アジアでの障害者自助運動

    アジア・ディスアビリティ・インスティテート 中西由起子

本稿は、月間福祉(「世界の障害者施策 アジア太平洋の障害者(2)−障害者の自助運動」、83:6、2000年4月、84-89頁、全国社会福祉協議会)に掲載されたものに加筆した。




1はじめに

 障害は栄養不良、環境破壊と衛生・医療の不備、事故や災害、いまだ戦争も原因として起こっている。栄養不良は食料不足のみではなく、保健・衛生活動や政府および家族の食料確保の能力が複雑にからみあって生まれる。結核、狂犬病、トラコ−マなどの撲滅されていない伝染病に、最近ではエイズが原因として加わった。急激な都市化で安全基準、交通規則、人命の尊重すべてが無視され、障害者は増加している。
 障害をもつ人たちの暮らしも、いろいろな問題を抱えている。多くのESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)加盟国では、いまだに障害児の5%以下しか教育の機会がない。(ESCAP, 1999)景気の低迷や環境が整備されていず、就職も難しい。医療が不十分であるので、障害の重度化も招く。
 ここではDPI(障害者インターナショナル)などの国際レベルの障害者団体でなく、国、地域レベルでの自助団体の活動をみてみる。

2サービスの提供
 障害者は問題解決のために、自分たちで必須サービスを確保している。

2ー1日常生活での支援
 多くの国で欧米からの宣教師やボランティアがまず盲学校を作り、その卒業生が中心となって比較的早く盲人団体が組織化され、会員のために点字・録音や図書館などを提供している。シンガポ−ル視覚障害者協会は、点字・録音サービス、図書館サービスを提供している。マレ−シア盲人協会ではそれらを録音図書サービスと名付けているし、ベトナム盲人協会も教科書などの点字印刷工場、録音図書製造センターを運営している。(Tran Van Nam, 1998)
 アクセスの悪い途上国では身体障害者の移動は困難を極める。そのため、シンガポ−ルの障害者福祉協会では通勤する人への朝晩の救急車(リフト付きバンをこう呼ぶ)と日中の救急車タクシ−を運行している。韓国小児マヒ協会や香港障害者青年協会などの身体障害者団体もリフト付きのバンやバスのサービスを提供している。

2ー2医療リハビリテーション
 リハビリテーションが十分に行き渡っていない国では、リハビリテーション・センターで通常受けられる訓練を障害者団体が実施している。バングラデシュ視覚障害者協会はファリドプ−ル郡に作られた100人足らずの小さな団体
であるが、同郡では十分リハビリ施設がなかったために身辺自立、白杖での移動訓練、点字教育を行っている。盲学校教師である視覚障害のオ−ロラ・スリブアプンが創設したタイ・コールフィ−ルド盲人協会でも、視覚障害者の男女ための日常生活技術、歩行の訓練を行っている。(Sarausuwan, 1998)
 フィリピン障害者連合(KAMPI)は、フィリピンでの各種障害を網羅し、58県、17 市、73町村に215 支部がある、アジア大平洋地域の中で最強の自助団体である。1991年にはヶゾン市で重度の障害児を対象とした最初の早期療育のためのセンターSTACを創設し、日本の「バタバタの会」の支援で大きく発展させた。1996年よりオランダ全国ポリオ・交通事故犠牲者協会と共同での「障壁除去プロジェクト」として、イロイロを含む5ケ所でもSTACを開始した。貧しい家庭の、障害をもつ0-14才の子供たちに無料の理学療法、作業療法を提供している。昨年末までに2000人の障害児がサービスを受けた。

2ー3職業訓練
 洋裁や手工芸品の製作は典型的職業訓練である。例えばバングラデシュの全国盲人連盟は、裁縫やジュ−ト・バッグ製作の職業訓練を行っている。
 タイ・コールフィ−ルド盲人協会は、タイ式マッサ−ジ、占星術の訓練を行う。タイ盲人協会も占いの訓練をしている。マッサージ訓練は他に、ホ−チミン盲人協会がホ−クス医学校の中に11ヵ月のマッサ−ジ・コ−スを設置し、10人を個人教授で訓練している。優秀な成績を修めた学生は協会が開設したマッサ−ジ診療所に常勤できる。

2ー4店や授産所の運営
 経営が軌道に乗っている店や授産所は少数で、大半の場合従業員は少ない給与に甘んじている。
 主に学校の教師なから成る会員約500人のネパ−ル盲人協会は、ノルウエー盲人・弱視者協会の援助でカトマンズのバクバザールにコピー・ショップを開いている。フィリピン聾者協会も1969年からマニラのリサ−ル公園などでコ−ヒ−ショップを開いている。同国ではKAMPIの会員団体であるイロイロ障害者協会やセブの身体障害者の団体HACIが各々の市の中心の公園でスナックの売店を運営しているし、同じく会員団体のザンバレットの聖ミカエル障害者協会は地元の高校の売店をまかされると同時に、そこで軽食も作って売っている。前述のバングラデシュの全国盲人連盟はショッピング・センタ−を経営している。
 タイの障害者支援開発協会は日本の援助を受けて、シリント−ン国立医療リハビリテ−ション・センタ−の一部を借用してスマイル・オフセット印刷作業所をつくり、障害者によるオフセット印刷をしている。(鶴田、1996)前述の香港障害青年協会も印刷工場を持ち、一般の印刷会社と競合する経営力をもっている。同協会は時計工場も運営し日本から高級腕時計の注文がくる程の高い技術力をもっているが、受注量にばらつきがあるのが目下の問題となっている。同じく企業として成功しているのは、1965年に6人の小児マヒの弁護士や、判事、医師等の障害者が結成した韓国小児マヒ協会が1989年から障害者の授産所として運営を始めた、正立電子である。サムソン電子と契約を結び、その子会社として昨今の韓国の不況にも耐えている。
 タイ全国ろう者協会はサイレント・ワールド作業所を運営していて、木製の玩具やみやげもの、装飾品を作っている。製品の質は高く、外国人観光客にも喜ばれている。ベトナムではハノイ盲人協会の授産所が、天然ゴムを加工し、
ガラス・水道まわりのゴム管、耐圧パイプなどを製造している。従業員75人(うち38人が視覚障害者)の給料は低く、生活には十分ではない。(日本障害者雇用促進協会、1997)
 1973年にフィリピン・マニラに作られた「階段のない家」は障害者自身が自立し生産を行う授産所である。金属製品部では車椅子、松葉杖、ウオ−カ−を、木工品部では教材、小さな家具、学校の椅子、縫製品部では装飾品や台所用品を作り、包装部では医者用製品サンプル、キャンディ、動物の薬の包装をしている。(エバンジェリスタ、アンゲリタ1999)
 同じくフィリピンで同様な事業を協同組合方式で行っているのが、マルティブハイ多目的協同組合である。サリサリストア−(雑貨店)、養鶏、小規模電気修理店などの試行錯誤のあと、学校用の机やテ−ブル付き椅子、金属や木製家具の製造、女性障害者によるバッグの製造、DTPでニュ−スレタ−、カ−ド、名刺、パンフレントを作るミニ・コンピュ−タ−・センタ−の運営をしている。

2―5ローンの提供
 障害者団体はまたロ−ンを提供して小規模事業も奨励している。事業が成功するよう、職業訓練や経営技術などのノウハウも教えている。
 シンガポ−ル視覚障害者協会が1987年に始めた小規模ロ−ン・プログラムでは、必要額の20〜40%を自己資金とした残り分を1万シンガポ−ル・ドルを上限として1%の利子で貸し出す。
 バングラデシュのチャコリアでは、身体的弱者社会援助・リハビリテーション協会(SARPV)がCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)の方式をまねて、経済的自立よりむしろ障害者の地域社会への統合を目的にローンを行っている。担保は必要ではなく、借り手の属する障害者グループ全体が返済の責任をもつ。6グループが参加し、メンバ−は先ず15週間のうちにローンの10%
を貯金する。その人のロ−ンの申請がグループで発表され許可を得たならば、SARPV のスタッフがグループの決議文、ロ−ンの申請書、契約書を準備する。SARPV のオフィスで貸し付けが行われる際には、家族を同伴し、一緒にロ−ンの条件や支払い規定について説明を受ける。返済金を持ち出しやすくし、家族のために稼ぐとの自信を植えつけさせるためである。ロ−ンは1年かけて毎
週分割して返済される。障害者は手数料として10%をSARPV に支払い、2.5 %は預金として、さらに2.5 %は払い戻し可能な開発資金として預けるように指導される。1996年度は60人に138,000 タカ(約55万円)が貸し出され、6グループの貯金の総額は38,352タカ(約15万円)、返済率は99%であった。ロ−ンは野菜や薪、米、陶器のつぼなどを扱う商売、農業、牧畜、養鶏、食品加工等に使われている。商品の運搬、近所の人への販売、家畜や畑の世話などの仕事は、家族や雇い人に任されることが多いが、障害者は小規模事業のための訓練を受けているので、自分で帳簿をつけ、事業を管理していける。(Haque et al、1996)
 KAMPI の場合は会員団体が申請する事業に資金を提供するという方式をとる。経営や販売に関する技術的指導や、政府や他のNGOへの資金申請の支援もしている。1998年までに33 の団体に5万ペソ(約1,200ドル)の資金援助を行った。 KAMPIは特に女性障害者や少数民族の障害者、貧しい障害児の家族が利するようなプロジェクトを積極的に応援している。観葉植物の栽培、生花の販売、手工芸品の製造、魚の養殖や養鶏などの成功例が出てきている。

3権利擁護活動
 経済的に余裕のない国でも、障害者団体は政策への参加を初めとしてデモなど権利擁護活動を盛んに行っている。

3ー1政策決定への参加
 前述の韓国小児マヒ協会はデモや裁判によって、政府の障害者施策に大いに影響を与えてきた。1982 年の司法試験に合格した身体障害者4人の裁判官への任用拒否に対する抗議デモと大法院(最高裁判所)での勝利、1986年にソウル市に職員採用の際に障害者の特別枠をもうけさせたことなどが挙げられる。1997年11月に韓国障害者家族協会と一緒に起こした、大統領選挙キャンペーンに文字放送、手話による放送、投票所を1階にすることを求めての運動は、韓国DPIの諸外国の例を挙げての訴えによって発展し、ついに地方裁判所で勝利をおさめた。(キム・ドンホー、1998)
 インドで1987年に設立された障害・開発活動は、サンガム(協会の意)運動に興味をもつNGOスタッフの訓練、障害者の自助団体作りへの協力、政策やプログラムの策定への支援をしてきた。サンガム運動の結果、アンドラ・プラデシの選挙では31人が当選した。(Venkatesh, 1997 )
 カンボジア障害者団体は1994年に結成されるとすぐに、国家リハビリテーション5カ年計画(1995-2000年)を策定する全国障害者タスク・フォースのメンバーとされ活躍した。1996年からはタスク・フォースが衣替えした、障害活動評議会にも参加している。
 1996年にタイDPIの運動が実って、現DPIアジア太平洋評議会議長で身体障害者のナロン・パティバサラキッチ氏が障害者を代表して、260人の上院議員の一人に任命された。(Bhothimas, 1996)韓国やフィリピンでも、障害者団体を代表して国、県、市のレベルで議員が誕生している。
 インドでは1995年の障害者(機会均等、権利保護と完全参加)法に規定された中央調整委員会首席コミッショナーが長いこと不在であった。障害者団体のデモに押され、昨年8月に最初のコミッショナーが任命され、インドDPIメンバーで盲人のアヌラダ・モヒットは実質的な事務局長となる副コミッショナーとなった

3ー2交通アクセス権の要求
 前述のタイDPIは、参加者たちの命をかけたアクセス要求のデモを行った。昨年末に開通したタイ・バンコクのスカイトレイン(モノレール)は、1993年に建設が始まった時には障害者への配慮を全く欠いていた。タイDPIはエレベーターの設置を要求したが、バンコク市は拒否し続けた。業を煮やした障害者たちは逮捕や発砲されることを覚悟して、1995年11月に400人の大規模抗議デモを組織した。ナロン氏を先頭に、車椅子や盲導犬をつれたメンバー、手話で抗議を表すメンバーが続いた。世界各地の障害者はデモ参加者の安全を願って、タイの新聞社やテレビ局に支援メッセージを送り続けた。プラカードや垂れ幕、のぼりはいつも観光客用の風景画やTシャツの絵を書いている聴覚障害者たちが前日作成した立派なものであった。その結果全23駅のうち5駅にエベーターを設置するとの約束がなされた。
 マレーシアでもクアラルンプールに作られる最初の狭軌鉄道(LRT)のアクセス化を求めるデモがあった。1994年に第1期工事が完成したが、車椅子使用者は、他の乗客にとって危険であり、非常時に他の人が逃げる邪魔になるとの理由で、利用を禁止された。障害者は会社の発表に怒り、障害者団体が何の反応もしないことにも怒った。政府が反政府活動を禁止しているので、障害者団体としては警察に捕まることを恐れて関与しなかった。その発表3日後に200人をこえる障害者個人が集まり、プトラ・アクショングループを結成し、街頭デモを実施した。3日間で、参加者のタクシ−代づくり、法律専門家の障害者に刑務所に入るとか仕事を失うとか言われ怖じけづいた公務員の障害者の説得などが行われた。メディアがデモを取り上げ新聞も30以上の関連記事を掲載した。社会の支援を取りつけたが、福祉大臣はモノレ−ルを使わせないのは心配故でありと弁明した。また、イギリスから障害者用タクシ−10台を輸入するから我慢するように言った。障害者団体代表は承諾したが、デモ参加者は拒否した。その後急に世の中が障害者問題を語り始め、運輸、住宅の政府関係者が障害者の話を聞く機会を設けたり、会社が建物のアクセスについて質問してきたり、映画館が階段にリフトをつけ、ス−パ−マ−ケットは障害者用の駐車場、スロ−プもつけ、新聞も雇用等を取り上げた。モノレ−ルの2期工事はカナダの最新技術を使って、100 %車椅子の使用可と発表し、1998年に部分開通された。(リ−、1998;久野、1999)

4おわりに
 障害者当事者の団体と聞くと、交流を目的とした親睦団体や要求を掲げて交渉する圧力団体としか考えない人も多いかもしれない。途上国の障害者団体の活動はサービスの提供を含め多岐にわたる。
 教育を受けた若い障害者がリーダーとなっているのが、その特徴である。彼らは国際会議やインターネットで最近増えた先進国のリーダーとの交流によって、人権意識にめざめ、自己決定と自己管理に根ざした自立生活運動を自国でも進めようとしている。各国の施策が彼らのイニシャティブによって、日本のレベルをこえるようなものに作られ行くのをみるのは楽しみである。

参考文献
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リ−、クリスティ−ン(1998)「マレ−シアの交通アクセスを求める運動」、第83回アジア障害者問題研究会報告

(20/3/2000)