統合



会報35号

2001年3月

特別な学生、特別な教師
 知的障害を持っている幼い少女がプ・タイ小学校 (An Phu Tay Elementary School) の1年生のクラスに受け入れられた。 彼女の教師は少女の学年と障害を考慮し読んで書いて、最も単純な科目を学ぶことを非常に一生懸命に教えようとした。 教師がやろうとすればするほど、彼女は失敗し、生徒と教師両方が苦しんだ。 何度も教師は「自分で教えられなかった」という悲しい気持ちと失望ために諦めようとしていた。 けれども幸いに、彼女はやってみようとし続けた。
 今、二人とも幸せである。 次第に、教師の愛情と辛抱強さは学生が進歩をし1年生の最終試験と2年生への進級試験に合格するのを助けた。学生の名前はPhung Thi Thanh Tuyenで、彼女の最愛の教師は Le Thi Minh Phuongである。

ホー・チミン市リハビリテーション協会が発足
 ホー・チミン市リハビリテーション協会 (Rehabilitation Association of HCM City) は、9A Ly Thuong Kiet 通りの児童リハビリテーションセンター会議ホール において2001年3月14日の式典で正式に設立された。311人の協会メンバーの代表者が、常任委員会 (Standing Committee) の7人と指導委員会 (Direction Committee) の21人のメンバーを選出した。 新設の協会の会長はホー・チミン市 医科・薬学大学 (University of Medicine and Pharmacy of HCMC) のリハビリテーション局長のDr. Nguyen The Luyenである。

暗闇でナイチンゲールが歌う
 彼女はステージに現われ、劇場全体は静かであった。
 彼女は歌い始めると試験官と聴衆、皆が息をこらし、慎重に喜々として聞いて、そして歓声と拍手喝采が巻き起こった。 彼女は最近ホー・チミン市10地区が開催したベトナム民謡と子守り歌のアマチュア歌手コンテストにおいて1等賞を勝ち取った。 2年前に彼女はホー・チミン市ラジオ局が主催した別の歌謡コンテストで3当賞を与えられた。 彼女の名前は Le Uy Uyenで、そして視覚障害であった。
 Uyen は弱視児施設であるグエン・ディン・チュー校 (Nguyen Dinh Chieu School) の9年生であった。 メコンデルタのTien Giang省Go Cong Tay郡Binh Nhi村の出身である。視覚障害ために Uyen は他の子供たちのように自分の村で学校へ行くことができなかったが、非常に知的でとても記憶力が良かった。 音楽が好きで、近所のラジオから聞いたフォークソングを上手に思い出し、素晴らしく歌うことができた。
 Uyenは13歳だった1992年にやっと、ホー・チミン市に行く機会に恵まれた。 教師は彼女の歌の才能にすぐに気付き、その才能をさらに伸ばすのを一生懸命に手伝おうとした。
 Uyen は幸せで、当然のこと全校で喜んだ自分の成功を誇りに思った。

社会へのパスポート
 HVOの資金によって同じく障害を持っている献身的講師Le Nguyen Binhが運営する、10人の障害者の訓練生の最初のコンピュータコースは成功裏に終わった。
 訓練生たちはアクセスが悪い環境のためにほとんど自分たちの家に閉じ込められていたので、手にした証明書はコンピュータの新しい知識だけではなく自分たちの生活の新しい認識も運んで来た。 彼らは障害者にとって現代社会に融け込むことは効率的な方法であることを認識しているので、自分たちの教育になさ、雇用者の疑っている態度や冷たい歓迎のような困難を克服するために最善を尽くさなければならなかった。 しかしながら、数人しか仕事を得られず、大部分がまだ雇用を得ることが難しい。

聴覚障害者スポーツ
 2001年3月26、27日にDong Thap、Dinh Duong、Long An、Dong Naiとホーチミン市からの多くの聴覚障害者運動選手がホーチミン市Phu Nhuan区Hoang Van Thu通り202に集まり、フットボール、卓球、バドミントン、バレーボール、チェスチャンピオンと陸上競技のようなスポーツに参加した。 このイベントはパール・S・バック・インターナショナル (Pearl S. Buck International) によって運営され2回目となる。


会報36号

2001年4月

2001年4月18日ベトナムの障害者の日とその活動
・セミナー:障害者 のための自立した生活

 2001年4月17-18日ハノイで大半がハノイとホーチミン市と若干数が Hoi An 、Qui Nhon、Dalatなどからの種々のグループと団体から100人以上の障害者が、 HVO、WVI、VNAF、VNAH / ODTAを初めとする種々の団体が支援するセミナーに出席した。 代表者たちは生き残り、障壁を克服し、自立した生活をしようとする自分たちの経験を分かち合った。 自分たちの生活を管理することと、自分たちの目標を決定することが、議題の中心だった。 参加者は様々な生活から異なった障害を持って会議に来たが、全員がもっと自立することを欲し、地域社会に融け込むことを望むことに同意した。 障害を持っているがどちらかと言うと人生で成功した一人が、「成功の秘密は自分の体に障害があることだとは思っていないことである。 我々の障害のためではなく社会の差別のために苦しんでいる」と述べた。
・障害者 のための職業訓練、就職のチャンス
 祖国戦線 (Fatherland Front) とホーチミン市労働障害者社会問題局(DOLISA)は2001年4月18日に障害者のためのケアと保護に関するセミナーを主催した。 多くの代表者が声だかに、障害者のための職業訓練と職業機会の促進、種々の建築や道路での適切な通路、各団体の職員の2ー3%までの障害者の雇用政策の実現、現在の支給額月各人45,000ドンの増額への必要性を強調した。 政府統計では、現在ホーチミン市に66,600以上の障害者いて、その内40,000人が弱視、2,500人は家族の支援がなく社会団体に頼って生きている
・音楽エンターテイメントの二晩と200台の車椅子
 2001年4月17-18日Trong Dongセンターで、有能な作詞家であった故Trinh Cong Sonの音楽が成功裏に演奏された。 花形歌手たちが3億2800万ドンを提供し、全て障害者 のための200台の車椅子の購入にて使われる。
・遠隔地の貧しい人と障害者の訪問
 警察雑誌 (Police Magazine) と障害者とホーチミン市障害者孤児支援協会 (Association of Support to PWDs and Orphans of HCM City) の代表者がホーチミン市周辺の郡の遠隔地に住む貧しい少数民族や障害のある貧しい人を訪問して、7千万ドン相当の974個のプレゼントと現金2千8百万ドンを贈呈した。

障害者のためのツアー
 昔障害者は観光客旅行がしたかった時には、数々の困難をへて全て自分たちで実行しなければならなかった。 最近いくつか旅行会社がこの種のサービスに関心を持ち始め、経験を得られる旅行が実現された。 ファミツアー社 (Famitour Company)のPham Thi Thuy Trang所長は 障害者 のためにDalatとCan Gioそれぞれに団体旅行を行った経験に非常に満足した。 確信に満ちて優しい心で、彼女は若干の損失があったもののこのような旅行で大いに学んだと言った。 彼女は障害者がさらに多くを学べて、障害者にとってもっと有用である他の団体旅行を続けようと決意している。

点字に関する科学セミナー
 数学、物理、化学での点字使用の統一化が2001年3月23-24日にホーチミン市で開催されるセミナーの主題であった。 ハノイ、ホーチミン市、Danang、Tra Vinh、Can Thoなどから45人の科学者や種々の団体の役員がセミナーに出席した。

公共輸送手段と障害者
 ベトナムでの障害者の最少限の念願を満たしていない公共輸送手段の現在の状態を批判しているTuoi Tre誌(若者の雑誌)の論文を読んで、 Huy Haは障害者 が毎日遭遇しているに違いない不快事項の長い詳細なリストを作った。 政府の建物、学校、文化センター、スーパーマーケット、カトリック教会、仏教のパゴダなどほとんどすべての公共の場所で、 障害者のための適切な設備が欠如しているため動き回ることができない。 Huy Ha自身が障害者としてベトナムで4百万の障害者 に関連している政府法律の適用を強く要求している。

「統合」 のミーティング
 4年間で36号を出版してみて、会報「統合」に関係する全員が、形式を良くし、内容を豊富にし、もっと広く配布し、障害者と家族にもっと情報を提供し理解をさらに深めてもらいたいとの同じ望みをもっている。 これらの願望を達成するために、「統合」編集者、寄稿者、読者の親睦会が2001年5月10日午前にホーチミン市第3区Nguyen Thong通り43で予定されている。 その目的は会報編集者、寄稿者、すべての読者の間にさらに緊密な協力関係を作ることにある。


会報37号

2001年5月

HOA NHAP(統合、HN) の活動4年目にして初の読者会議
 2001年5月10日に、統合(HN) と障害者と関係者50人から成る読者の初のミーティングがホー・チミン市心理教育協会 (HCMC Psychology and Education Association) において持たれた。 HN がその内容と形式と改善方法について読者の意見に耳をかたむけるすばらしい機会であった。
 36回に分けて、HN は読者に障害者の内外の活動、障害に関する科学的な業績、障害関連のサービスについての情報をもたらした。 それは障害者と障害児の親が自分たちの思いと考えを声に出し、社会への統合のための困難な争いを通して得た経験を共有することができる場でもある。 高い評価を受けていても、 HN はその維持管理と開発の可能性に影響を与えるかもしれない記事や協力者の欠如のために今にいたるまで多くの困難に直面してきた。 そこで、 HN はその拡大のためにすべての参加者の貴重な評価を熱心に聞き、直接的、間接的な貢献を歓迎している。 しかしながら、 HNは単なる会報で新聞ではなく、その主な目的が「障害者の能力と価値に関する国民意識を高め、障害者が自立した生活を送るよう励ますのに役立つ」以外の何でもないことを強調することは必要である。

「BY 」ではなく「FOR」( MA. Nguyen Thi Oanhのスピーチ)
 赤ん坊のように、HNは成長を続け、健康で美しくなった。 それは、読者が障害者の能力と 希望を信じる望むことができるという自分たちの共通の思いを強めている。 恐らくHNが主として障害者によって作られので信頼を勝ち得ていて、国中の障害者に HN を自分たち自身の会報であると考えさせ参加する気にさせている。 HN はベトナムの障害者の自助活動の一部である。 この活動は、国際的な運動には及びもつかないが、正しい方向に行っている。つまり、専門家が作って障害者の代弁をするのを待つのではなく、障害者が起き上り後ろを支えてもらいながら自分の足でったことである。 我々が効率的な方法で HN に支持を与えるべきであると提案する。 それが自然の法則に調和して発展するのに支援は役立てる。 支援には「自助」という意味に対する我々の意識と障害者をエンパワーするという我々の願望が反映されるだろう。

改善言語に関する訓練(REMEDIATION LANGUAGE)
 ホー・チミン市医科大学 (The Medicine University of HCMC) が米国のOchsner Institute of Medicineと共同で、2001年5月8日-11日にホー・チミン市第3地区Ba Huyen Thanh Quan通り70で、Ochsner Institute改善言語部部長が講義を行う「片麻痺と脳損傷の患者のための改善言語」に関する研修コースを開催する。 研修生の大半は市の病院、医療センター、障害児学校からの教師、セラピスト等であった。 たったの短い時間で、参加者は言語障害がある人々の治療で大きな助けとなるこの分野の基本的な知識を与えられた。

読者にとってのHOA NHAP
 HN の最初のミーティングに出席して、私はまだ創刊4年目であることを知って驚いている。 簡素な会報であるHNがまさしく不運な生活をしている人々の誠実な声であるから、私は9カ月に渡ってその中に幸福と慰め両方を見つけてきた。 HNが好きであり、HN がよりいっそう確信に満ち、大きくなり、自分の足ので固く立つであろうという希望をもって私のようにここに来る人たちに会えるチャンスを喜んでいる。

障害児のためのインクルーシブ教育
 副大臣Le Vu Hungが、4月26日でハノイで開催された「学齢期前の障害児の早期療法と教育」に関するワークショップにおいて、障害を持った子供たちが自分たちのの可能性と能力、技能を十分に伸ばす良い条件を作るインクルーシブ教育を与えられなければならないと確言した。 2005年までに、進んだ地帯の障害児の60-70%と少なくとも後れた地帯の40-50%が教育と医療が提供される。 統計によれば、障害児は住民のおよそ1%もしくは児童の3%であり、そのうちたった31,000人がインクルーシブクラスの学生であった。

「ダウン」症児をいかに援助するか
 25年前にダウン症で生まれたThanh は、彼が困難を克服し徐々に普通の生活をするのを愛と辛抱強さをもって手伝った素晴らしい母親を持って運がよかった。Thanhの母であるTam 夫人は、Thanhが生後2カ月の時普通とは違う体の形や目、泣き方で がどうにか「おかしい」という感じがした。 Thanh は診断のために村からはるか遠くの県庁のある町まで連れて行かれた。 そして結果はひどかった、ダウン症を治療する方法がないと。
5歳だった時だけThanh は数歩歩き、数語話すことができたとはいえ、きちんとしていて、そして幸せであった。 弟や親、親類、隣人を微笑んで抱きしめそしてすてきな言葉を数語口に出すことによって、彼らへのいっそう愛を示した。 だから皆はThanh が好きであった。Thanhの弟が学校へ行き始めたとき、単純な考えが Tam夫人に浮かんだ。 それ故に、彼女はThanhがすべてを理解することができなかった時でさえ一緒にお喋りを続けた。 Thanh はそれを喜び、幸せであった。 Tam夫人はだんだんトThanhにちょっとした家事をさせ忙しくさせておいた。 Thanh はそれをもっと楽しみ、自分が役立たずではなかったという思いで満足していた。
 前進の大きな一歩:15歳で Thanh は父親と一緒に田んぼに行き始め、次第に標準的な農民になった。Tam夫人が息子の援助にとても成功したことは彼女を有名にし、Binh Chanh 郡の女性協会 (Association) が彼女にダウン症の子供を持つ他の母親に貴重な経験を分かち合うよう提案した。

「 HOA NHAP 」
Hoi Anに新設された障害者の作業所Hoa Nhapは障害者が手芸品を生産し売ることを専門にしている。 その目的は Hoi An での障害者が実習し、仕事を得て、障害の手作りの製品を売る助けともなる機会を作ることである。 Hoa Nhapは障害者個人やグループと協力するつもりである。 その Web サイトは www.tbonet.f2s.com である。