社会開発サミット特別総会と障害者問題

アジア・ディスアビリティ・インスティテート 中西由起子
2001年1月8日

会議の全体像
 5年前のデンマークで「社会開発サミット(WSSD)」が行われた時には、世界はこぞってこれを歓迎した。グローバル化によって経済格差が広がる世界の状況に対して、社会開発をもって対処しようとしたのである。コペンハーゲン宣言(www.un.org/socialsummit)での社会改善の約束はどの程度果たされているのか問う「国連社会開発特別総会」が、2000年6月26-30日ジュネーブで開催された。「世界社会開発サミットとその後 - グローバル化された世界での万人のための社会開発の構築」と題された会議には35カ国の国家首脳、4,791人の政府表、2,045人のNGO代表者が集った。また会場を別にして同時に開催された「ジュネーブ2000フォーラム」ではILO等の会議場を借りて、主に欧米のNGOが中心となって100ほどの主題別の各種セミナーが開催された。
 毎日本会議場では各国政府が国の過去5年間の経済・社会発展状況を発表した。それと同時に3つに分かれたワーキング・グループが特別総会での採択のために準備された報告文書を合意すべく、連日11時、後半には深夜2時まで討議を繰り広げた。報告(http://www.un.org/esa/socdev/geneva2000/)は「政治宣言」(第1部)、「WSSDの成果の実行の検討と評価」(第2部)、「コペンハーゲンでの1995WSSDでなされた決意実行のためのさらなる活動とイニシャティブ」(第3部)に分かれる。
 開会式で、デンマークのラスムセン首相は先進国にコペンハーゲン宣言での約束の履行のためさらなる努力をするよう呼びかけた。途上国に対しても問題提起はあった。例えばアナン国連事務総長は、「良い統治(good governance)」と開発の関係、つまり債務削減や開発援助増加による財源が貧困層の利益となる社会サービスを提供するために使われること、もしくは、兵器購入や特権階級の生活向上に使われないことを訴えた。(開会式での演説はhttp://www.unog.ch/ga2000/socialsummit/speeches/speeches.htmを参照のこと)
 開会日にはまた、国連事務総長と、経済協力開発機構(OECD)、世界銀行、国際通貨基金(IMF)が共同署名した報告書「皆のための、より良い世界」が公表された。ジュネーブに集った多くのNGOはこれは開発支援に対して政治的条件を更に押し付けることにつながると、IMFや世銀の貧困撲滅方針と歩調を合わせた国連に対して怒りをあらわにした。
 特別総会は予定より1日遅れて7月1日、コペンハーゲンの社会開発サミットの宣言、行動計画を前進させることで合意した政治宣言文と、国連としては初めて掲げた2015年までに所得1日1ドル以下の絶対貧困者を半減する目標を含めた行動計画を採択し、閉幕した。NGOによる最終報告では、http://www.iisd.ca/linkages/vol10/enb1063e.htmlが参考になる。

アジア諸国の報告
 以下はアジアのいくつかの国の発表の障害関連部分を中心とするまとめである。
カンボジア ー アジアでのほとんど9億人の人々が貧困ラインの下に住んでいる。 アジア人 のおよそ30パーセントがきれいな水を手に入れられない。 アジアの成人のおよそ50パーセントが非識字である。一般の経済学者によってグローバリゼーションの挑戦と呼ばれる、この種の統計の長いリストを指し示せる、新しいパラダイムを発展させる時、我々はどんな開発プロセスででも決定的な 役割を演ずる家族や地域社会という社会の連合体を構築する重要性にもっと充分な注意を払わなければならない。
未来の開始段階では、は歴史の夜明けから人間の存在を支配した「分かち合い」の意識を回復させることであるべきである。分かち合いとはは機会を供給し、貧しい国が十分にグローバリゼーションから利益を得る適切な条件を作ることである。
 いくつかの貧困国にとって、未払いのローンの重い負担を帳消しにする好ましい手段が取られた。 重債務国を援助する追加の資金を加えることによって、さらにこのイニシアティブを発展させることを訴えたい。 世界中の最貧国の1つとして、我々は政府開発援助 (ODA) の傾向が世界中で全体的減少傾向にあること非常に心配している。
 2年前の地域での経済危機の影響は大規模な悲劇をもたらした。 途上国も貧困を絶滅させ、生産的な完全雇用を促進して、民主主義と社会統合を推進し、する争いで同様に演じて、そして社会開発を可能とする環境を想像するめの戦いで、役割を持っていることは言うまでもない。
バングラデシュ ー コペンハーゲンサミットのフォローアップとして、国の第5次5ケ年計画 (1997-2002)の枠組みの中で国家行動計画が採用された。 適切な政府省庁、ならびに市民社会からの代表者を入れて、国家行動計画 (National Plan of Action) を実行するために国の委員会 (National Committee) が1996年に設立された。現在の年間開発プログラム の全配分分ほとんど42%が農業、農村開発、社会福祉、青年開発、初等教育と保健部門に捧げられる。 貧困プログラムには、 Ashrayan (ホームレスのプロジェクト)、弱者グループ開発プログラム、仕事のための食料、教育のための食料、障害者特別プロジェクト、困窮未亡人と高齢者への手当てがある。
 バングラデシュでのマイクロクレジットのプログラムの成功はよく知られている。 これはただ貧困絶滅に向けれれているだけでなく、バングラデシュ の女性の地位向上に重要な影響を与えている。 地域のレベルにおいて、バングラデシュは、2002年までになるべく南アジア から貧困を撲滅することを目指してSAARC諸国によって採用された貧困絶滅のためのダッカ宣言目的に向けて積極的に邁進している。
 我々は生産的な職をつくり出すことに特に力をいれている。我々の第5ケ年計画 には包括的雇用戦略が含められている。
 社会統合はバングラデシュの憲法上の約束である。
 社会部門での割り当て増加がサミットの目的の達成に向かって際立って貢献したことを示す十分な証拠がある。 例えば、我々の人口増加率は1995年の1.81%から1998年の1.5%まで落ち、成人識字率が1995年の43.2%から1998年に58%まで増加し、貧困ライン以下の生活をしていた住民は1996年の47.9.%以上と比較すると1999年は44.7%になった。
 社会開発をを「可能にする環境」の創造は、国際的共同体の集団での約束無しには成功裏に成し遂げられない。
インド ー 国際協力が我々の成功にとって重要となるいくつかの分野について言及する。 最初は社会の開発にとって極めて重要な啓家運貧困の撲滅である。 UNDP の貧困報告 (Poverty Report) によると、途上国の貧しい人たちの数は1998年に12億と見積もられた。 持続的な経済成長無しで、貧困が、撲滅することは言うまでもなく、削減することはない。 我々は1996の人間開発報告 (Human Development Report) のすべての警告を受け入れる、 成長が失業中で、無情で、沈黙し、根なし草であるか、あるいは未来がない状態であってはならないという警告を。 インド (India) を含め大半の途上国で、農業と関連の活動は自国の大多数の人々の暮らしの主要な源である。 それ故に、これらの部門への適切な技術の開発を通しての投資は、より高レベルの生産と雇用を生み出すであろる。貧困撲滅へのすべて事業で女性や他の疎外された弱者のグループの必要を満たすために特別な注意が必要であるととも言いたい。性的不平等が多くの国の社会文化的な環境に根付いている。 これらのことに差別撤廃の措置を要求する。 インドでは包括的な法律が障害を持つ人々のために制定された。
 世界の青年の問題に世界的な努力が重要である。ミレニアムサミットへの報告で、事務総長は国際社会にどこにおいても若い人々に適切な仕事を見つけるチャンスを与える戦略を開発するように要請した。 我々は青年の雇用が我々全員にとって優先事項であるに違いないと信じる。
 生存のための十分得ることが不可能な人たちのために国の資金によるプログラムがある。 食物を妥当な価格で入手することは貧困撲滅の戦略の不可欠な部分である。
今の子供たちについては、彼らの能力を築き、明日の労働力として彼らをより雇用にふさわしくすることは必要である。 これは教育と保健へのより多くの投資と、サービス提供制度をいっそう効率的でもっと高い費用効果にする質的向上を要求する。 プライオリティが少女の子供の教育に与えられる必要がある。 教育と求人市場のを関連づけることは必要である。
 同様に、プライマリー・ヘルス・ケア(PHC)へのアクセスは肝要である。 インドには世界中で最大のPHCネットワークの1つがある。 平均寿命が1951年の32才から1996年には61才まで延びた。
 私は同じく参加型開発の有効性を強調したい。 人々の参加は社会的監査のプロセスを通してさらなる透明度と責任を持ちこむことを目指している。
 WHOは去年マラリアだけでもアフリカにとってその大陸のGDPの1%と同等のの経費となる推定した。 結核が再流行している。
ただ普遍的な初等教育と基本的な保健サービスという2つの不可欠な社会のゴール −を達成する際に資源は大量に不足していて、不足をうめることは明らかに途上国の能力を超えている。
 テロリズム、 超国家的犯罪、麻薬取引、外国人排除が社会開発と社会的価値観を害している。それらに打ち勝つために国際的戦略を作成することは我々全員にとってプライオリティであるに違いない。
 世界銀行も指摘したように、貧しい人たちの健康は国境の外側にある権力への依存度を増している。 インドはグローバリゼーションの利得を可能な限り期限の決まった貧困撲滅イニシャティブに向けるためのどんな動きをも歓迎する。 現代の知識社会において、情報、教育、コミュニケーション( IEC )は人間の開発のために有力な道具であるべきである。
マレーシア ー グローバリゼーションは、いかに我々が相互に結び付けられたか、そして我々の挑戦が社会開発においていかに類似しているかにもっと気付かせてくれた。 グローバリゼーションとは単に貿易と金融部門の自由化についてではない。
 世界的協力のための第一義的国際機構として、国連は我々が共通の世界的関心と問題を扱う共同行動のための共通基盤を見いだすのに最適なフォーラムとして留まっている。
 10億以上の人々がまだ極限の貧困状態で生活している。 1億5000万人以上の子供たちが学校へ行くことができない。 少なくとも5千万の子が不適当な栄養のために精神障害または身体障害になっている。 世界人口は年に約8千万の割り合いで成長している。 金持ちと貧しい人たちの間の収入格差は広がッている。 世界の人口の4分の1が以上世界の原材料の4分の3を消費する。 少数派の人々、女性や子供に対しての社会的暴力が全世界で減退しないままである。
 我々は対立と自然災害によって引き起こされた人間の悲劇のに悲惨失望すべきではない。
 マレーシアでは、すでに1971年から適切に策定された貧困撲滅策がある。 マイクロ・クレジット、低コストの住宅、手乳を得られる職の訓練ににアクセスできるようにさせて、選ばれた対象グループを社会に統合させている。 マレーシア が1997年なかばに経済の低下を経験したとき、これらのプログラムは幾分影響を受けた。
政府と非政府部門での一般的情報や専門的知識、資源の分かち合いが奨励され、社会問題を扱う際の新しいアプローチを考案するために実行されている。
 マレーシアは社会開発における市民社会メンバーの貢献を歓迎して、そして彼らのそれ以上の社会開発への関与が政府の努力補完することを欲している。 マレーシアは市民社会の専門的知識とリソースが国内そして世界的規模で経済開発と社会開発のために動員されることが国家の利点へであることを認識する。
 ただ国家だけが効率的に世界的なプログラムの目的達成のための方策を制定することができる。
ネパール ー 我々も援助の活用の際の効率を改善しなくてはならない。 後発開発途上国 の負債負担の重さと負債返済のためにこれらの国から流れ出る極めて必要とされる資源を考えると、国際社会はすべての後発開発途上国 の完全な負債軽減を含めた重債務貧困国(HIPC)のイニシャティブ範囲を広げるべきである。 利用可能な資源は基本的な社会福祉と貧困軽減のために利用されることができたはずだった。 自由、社会正義、団結と世界平和を保証するために、現在の国際協力取り決めを再検討する必要がある。
 国家のレベルで、貧困軽減はネパール の最高政策優先課題である。
地方自治法 (Local Selfgovernance Act) は政策決定過程で地方の人々をエンパワーしている。 草の根レベルにおいてさえ政策決定 過程への女性の出席を保障する法律上の取り決めもなされた。 「貧しい人たちと女性の啓発を含むビシウェッシウォール 特別エリア開発」のようなプログラムが特に貧しい人たちの中のの最も貧しい人の社会、経済状態を高めるよう意図されたプログラムの対象者に基礎を置いたプログラムである。 貧困プログラムを促進するために、貧困削減資金 (Poverty Alleviation Fund) が最近作られ、そして貧困削減戦略はNGO の社会の動員を通して、地方自治体や地域に根ざした団体を含む市民社会によって種々のプログラムが実行されることを目指している。
 国家人権委員会 (National Human Rights Commission) が制度化された。
ネパールのような小さい内陸の、後発開発国にとって、挑戦は最も印象的に十分に増大するニーズと人々の期待を取り上げることができるために必要な人的、物質的、技術的なリソースの欠如で明白である。
 社会正義がない社会開発が可能ではないことを認識しよう。
フィリピン ー アジアの金融の危機と、出現してきたグローバリゼーションの片寄った影響と結びつけられたエルニーニョ天気現象とのダブルパンチは、我々の労働生産性に影響を与えた。
 社会統合の推進に関しては、、フィリピン政府は貧しい人、恵まれている人、弱者のためにこれを追求する。 我々の仕事は、以下のアプローチによって導かれる。つまり、地方自治体ユニットと、 N.G.O.やP.O. のユニット、受益者自身の参加、意気消沈した分野にに対象を絞ること、基本的なサービス提供の統合化、社会開発の中心としての家族の強調というアプローチである。 国際的なレベルにおいて、効果的な協力が、とりわけ麻薬取引、女性たちと子供たちの売買、テロリズム、環境の退廃、HIV / エイズ 、ストリート・チルドレンの増大、障害のある人の統合、武力衝突からの逃避した国内難民の間の病気などののような社会問題を扱うために必要とされる。
 地方自治体ユニットへの委託により、彼らの間により大きい責任感を持つようにさせた しかしながら、資源と専門的知識の欠如は彼らの可能性を制限する。
 フィリピンの予算での社会サービスの割合が1995年に27パーセントから今年2000年に34.1パーセントに増えたことは、我々の社会開発ゴールを成し遂げるようとの念願を反映している。
インドネシア ー 1997年に始まる東アジアの経験以上にいっそう明白なグローバリゼーションの危険を経験したところはない。
 その前に、我々の経済成長はすでに年平均で8%であり、我々はコペンハーゲンで作られた10項目のコミットメントを実行する用意ができていた。 1997の終わりまでに、影響を受けた東のアジア経済の中でインドネシア は危機によって最も強い打撃を受けていた。 我々の銀行制度は事実上すでに崩壊していた、そして我々の企業は財政的影響を受け、生産が大きく落ち込んだ。 結果として、我国の何百万もの人々やその家族は生計が立てられなくなり、貧困ライン以下になった。 その場で新しい改革政府が成功裏に経済の崩壊に対峙することに成功し、そして同時にいっそう民主的な、そして透明な政治的制度を打ち立てた。 貧困を撲滅し、社会開発を可能にする環境を作る我々の決心はゆるがない。
 1998年に、インドネシアの政府 は、人々を尊重したアプローチである「貧困の絶滅に関するその統合化運動」を導入した。 この運動は3つの戦略を採用している。第1は、産業の改善だけではなく、人々と家族をエンパワーする方法に焦点を合わせる戦略、第2は国の社会文化的多様性を認めて、開発プログラムのために地方分館化政策を採用する政策、第3に、開発プログラムのため株主の独立したネットワークを奨励する政策である。
 インドネシアの新改革政府が生産的雇用の拡大させることは同様に重要である。
中国 ー 世界的な社会開発を進めて、そして人類のためにより良い明日を作ることにとって、この会議はそれ故に重要である。
貧困撲滅、雇用の拡大とより大きい社会の統合向けられた国の活動と国際協力は常に強化されてきた。 しかし、世界的な社会開発がまだ期待には程遠いことを知っていなければならない。
 中国の政府は世界的な社会の進歩のために他の国と一緒に一生懸命に働く準備ができている。 このために、中国政府は4ポイントを強調したい。
  1.平和を守り開発を促進することは全人類の共有された責任である。 平和無しには、開発は不可能であり、人々が楽しく生活し働くことが不可能であろう。 戦争ではなく、平和が地球の上にすべての民族の強い願望いである。 中国 (China) は国際問題が国連憲章 (UN Charter) の目的と原則のとおりに処理されるべきであり、すべての国が平和を保護する義務を持っていると主張する。
  2.独自にその特定の状態を考慮して開発の方策を選択する国の権利は尊敬されるべきである。 我々は多様で多彩な世界に住んでいる。 その多様性は人間の意志とは別個の客観的な事実である。 世界の多様性は尊敬されるべきである。 相互の国での統治面での平等性と不干渉の原則は保護されるべきであり、誰も他の人たちにその開発モデルを課すことを許されるべきではない。
  3.経済のグローバリゼーションには公正で合理的な新しい国際的経済秩序の設立を緊急に必要とする。 経済のグローバリゼーションは経済発展の避けられない傾向であり、世界の国々に新しい機会をもたらす。 にもかかわらず、無情で非合理な国際的経済秩序によってグローバリゼーションプロセスは平等にすべての国に役立たなかった。 その代わりに、それはさらに金持ちと貧しい人たちの間のギャップさえを広げ、それをより重大な問題にした。 先進国が、人類共通の利益を考慮して、平等で合理的な方法で極貧の国の負債問題を解決して、ひも付きでない資金・技術援助を途上国に提供するべきである。
  4. 経済社会開発は途上国にとってずっと中央課題である。 貧困と失業者数は途上国にとって緊急問題である。 それらの解決は経済発展にある。 経済発展が社会的進歩の基礎となる。 それ無しで、貧困を排除し、雇用を増やし、人々の生活を改善することは不可能である。 途上国に成長と繁栄を保証することは新しい世紀に進み行く人間社会のために主要な仕事である。 この仕事は国際社会からの援助と支援、重要なことに、途上国自身のさらなる努力を必要とする。
 1995年の社会開発世界サミット以来、中国政府はその約束を果たすために具体的な行動をとった。 その時から5年間、アジアの金融危機やその他の問題のマイナスの影響を克服し、持続的で、速く健全な経済発展を成し遂げ、そして種々の社会的事業で全般的進歩をみた。 何年も一生懸命働き、12.5億人の中国の人々が生存から比較的快適な生活へと歴史の跳躍を行った。 中国政府は貧困の撲滅に特別に留意し、主にそれ自身の努力によって、1978年の2億5000万から1999年の3千4百万までに貧しい農村人口を減らすことに成功した。中国政府は障害者の法的な権利と利益の保護にも多くの注意を払う。
 過去5年間に、学校へ行っている障害児は20%から70%、仕事についている障害者は67%から73%以上に上昇した。 障害者へのリハビリテーションサービスもかなり発展した。 経済成長による新しい仕事の創出、多様な経済部門の並行的な発展と経済の再構成による雇用の構造の向上、社会保障制度の着実な改良にともない、雇用状況は害してで安定したままできた。 教育、科学と技術、保健、文化とスポーツのような種々の事業が繁盛した。 国民全体的の能力は着実に向上した。
 人口と雇用の圧力、貧困問題、都市と農村の人口間のそして異なった地域の間のギャップ、ますます厳しい資源と環境の制約は我々が直面しているいくつかの問題である。 決して困難を過小評価するべきではない。 けれども我々は信頼、開発の途中でこれらの問題に取り組む決意と能力を持っている。 中国政府は第10次国家経済社会開発5ケ年計画を立てている。 新しい世紀の始めに、我々は常に開発に焦点を合わせるべきである。
 中国政府は常に国連の世界的社会開発の事業をサポートしてきた。 国連社会開発特別総会の準備ために、国連と共同で中国政府は国家と市場、社会の進歩に関する国際的シンポジウムを、北京で、障害のある人の権利に関する北京宣言を採用した、国際的障害者組織のリーダーの集会を主催した。
タイ ー 国連が自らに義務づけられた中心的な使命を遂行することが可能であるであるように、タイは各国に国連を支援するように嘆願したい。 この関連で、国連が効率的にその代表権能を遂行することができるように、我々は ECOSOC 機構が強くなることを要求する。 さらに、タイは、国連 、ILOとブレトンウッズ機構の間での実質的な取り組みのはじまりを、リソースのいっそう効率的な動員と政策レベルでの努力の調整に向かっているという非常に好ましいサインとみる。 もし我々が経済社会開発に関する世界的課題を成し遂げなければならいなら、これは不可欠である。
行く手の仕事は厄介である。
行く手の道は曲がりくねっている。
社会のエンパワメントが公共部門にとって本当に最高の挑戦となる。
 タイでの金融の危機は社会的セイフティーネットの多くの欠点を明らかにした。 セイフティーネットはグローバリゼーションの津波を防御する不可欠なクッションとはならなかった。 恵まれない人々と中間所得層の家族は同様に不用意な状態、無装備の状態におかれた。 政府はタイの社会の様々な部門するマイナスの社会的影響をできるだけ速く軽減するような偶発的活動に頼らなければならなかった。
 タイでの金融経済の危機にはまったく意外な分野で、もう1つの確かな結果があった。 政治改革でのある程度の基礎づくりが独自に進められている時、経済危機から出現したのは、タイの人々にとって歴史上最も民主的で恐らく最も貴重な贈り物の1つであるタイ1997年憲法であった。
 憲法はタイ国民の権利を保護する多くの新組織設立の基盤となった。 これらには、国内人権委員会 、議会行政監察官、憲法裁判所、行政裁判所を含む。 例えば、国内人権委員会は2000年の内に希望に満ちて設立されるであろう。 タイも人権と人権教育に関する国家行動計画立案の途中である。
 新憲法はタイが国際分野で先見的人権政策を追求する強固な基礎となった。 タイは、民主主義、良い統治、持続可能な開発が相互に結び付けられ、人権問題に深く関連していると見ている。 人間の安全が安全の局面をカバーするだけではなく、社会的、経済的局面も受け入れるべきである。 タイも関与している1948年の国連人権宣言や他の人権条約で位言われている国連の念願と原則を支持しようと、タイは国際的、全国的、草の根のレベルにおいて努力してきた。
 2000年5月に、タイは国連人権委員会のメンバーとして選出された。 タイは政治的、経済的自由の遵守のために、公正で調和のとれた世界の社会秩序建設に向けて貢献しようと最大限の能力をかたむけて委員会のメンバーとしてその仕事を全うすることを誓う。
危機からの重要な教訓は社会統合の推進の一部であるニーズの承認であった。 この問題は、人間中心の開発を強調した第8次国家経済社会開発計画の広範囲の政策の中で先ず熟考される。
 第8次国家経済社会開発計画は社会ン片隅に追いやられたグループに社会福祉を提供する重要性を強調する。 これらは、特にセックスの産業の被害を受けやすく虐待と搾取に陥りやすい女性と子供、障害のある人、高齢者、都市と農村の貧しい人たち、矯正施設にいる人、囚人、少数民族、先住民族とHIV エイズ の人々である。
ブータン ー 非常に山が多い地形と遠くちりぢりの居住地を抱える内陸の後発開発国として、ブータンにとって社会開発の経費は今まで非常に高かった。 しかしながら、ジグメ・シンギュ・ワンチュック国王の賢明な指導力の下、我々はこれまでの40年の間に注目に値する進歩を成し遂げた。 開発哲学の主たる原則は人間中心の原則であり、ブータン人が全体的国民の幸福と呼ぶものに向かうことである つまり、国民、国民のニーズ、健康と幸福がすべての開発の努力に重要であると思われている。 つまり、経済成長は、それ自体は目標ではないが、社会と人間の開発の目標を達成するための手段である。
 国民の参加と分散は我々の開発戦略の主要目標の1つである。 この目標に向かって、我々は行政管理と地方統治の制度に重要な変更を行った。 村レベルから始ってすべての開発活動で国民の参加と意思決定を保証するために、地方開発団体が強化された。
 「ブータン2020」と呼ばれる書類の形式で平和、繁栄と幸福のために我々のビジョンを説明し、はっきりとした目的やその達成方法を持っているとも述べたい。
 過去の40年間に、国民のために国家予算のおよそ30%を割り当てて社会部門に最も高いプライオリティを与えてきた。 国の最も遠いへき地でさえ保健、教育、農業拡張施設普及がある。 結果として、国民に基本的社会福祉を供給するという目標は大いに成し遂げられた。 国民の生活水準は目に見えて向上した。 乳児死亡率と母親の死亡率が過去数十年の内にほとんど半減された。 平均寿命が47から66歳まで増加した。 全体的児童予防接種は90%達成され、そしてブータンの農村人口の65%が安全な飲料水と下水設備を利用できる。 国民のおおよそ90%が保健サービスを受けている。 ハンセン病のような病気とヨード不足による障害が絶滅されようとしている。
 教育については、すべてのブータン市民は初等から高等レベルまでの無償教育を受けられる。 もう1つの成長した分野は、大部分は女性たちの、何千という学生が受けているノンフォーマル教育である。
 成功にもかかわらず、社会開発を保証しようとする我々の努力には多くの挑戦と制約がある。若い世代の高まる願いを満たすために適切な就職のチャンスを作ることに関心が集まっている。 次の5年だけで、さらに5万人の若い人々が労働市場に入ってくると思われる。 さらに、農村から都市への移住が増える傾向がある。
 南アジアの我々の地域で世界の人口の5分の1が生きている。 世界の最も貧しい人々の43%以上がそこに居住している。 地域の個々の国が社会開発に高いプライオリティを置いているにもかかわらず、人口の爆発的増加、環境の退廃と極限の貧困という要因が重なりあってどんな有意義な開発でも成し遂げることが大いに難しくなっている。 従って、貧窮した人々によるより良い生活を捜索するのおおきな運動がある。 つまり、ブータンにとって、前に述べた通り我々の開発事業での成功のちょっとした結果として、我々は平和、安全、主権とっての大きな挑戦となる非合法の経済移民の問題にずっと直面している。
 途上国はODA を自分たちの国の社会経済開発事業への非常に重要な援助財源として見続けている。 しかしながら、数年間にわたる ODAの減額は途上国と特に後発開発途上国の将来にとってよくない。 ODA にGDPの0.7%という約束に従って行動した支援国に感謝する一方、他の国々にも同じようにするよう促す。
 ブータン政府と支援国が協力関係の再検討と討議を行う、ブータンのための次期円卓会議が、今年11月にブータンで初めて開催されることはうれしい。 会議の結果は我々の第9次5ケ年計画立案に重要な視差を与えるであろう。 我々の開発パートナーはブータンに開発に挑戦させ、成功させ、重要な貢献をした。
スリランカ ー スリランカは、国民の生活水準の向上の強調と、時には経済成長への投資による複雑な社会保護と統合プログラムのために、1950年代初期から社会開発モデルであると指摘されてきた。
保健と教育分野での我々の業績は、今まで世界の平均をこえていた。 1999年までに、スリランカは出生千人につき15.9人の乳児死亡率、途上国の平均に3%足りないだけの平均寿命73.1歳を成し遂げた。 教育面では、スリランカは90.7%の識字率を達成した。
 1999年の4.3%のゆるやかな経済成長にもかかわらず、失業者率は1990-94年の14.4%から1999年には8.8%まで下がった。 雇用の質には重要な進歩があった。 労働力への女性の参加は増加し、1998年までに女性の失業率は14.6%に減った。 男性の失業率も同じ期間6.6%に減った。 男性の労働者の間では36%であった普通教育終了免状(G.C.E.)保有する教育資格は、女性ではほとんど60%であった。
 現在、社会開発に関してのプログラムとプロジェクトはうまく焦点があってより良く目標を定められている。 プログラムは貧困手当てから障害者、弱い女性、子供、老人のための特別保護プログラム、貧しい自営業者のための年金と社会保障におよぶ。 これらのプログラムは持続可能で均等な経済成長と開発への移行期間中に、弱く疎外されたグループに、必要な社会経済的「安全策」を提供する。
労働者保護、労働者賃金保障、社会福祉策 、社会福祉制度のような社会開発の異なった局面に関係する多くの法律の制定が1994年から進められた。 これらの法律は既存の法律と行政の枠組みを強化し、女性、子供障害者、、高齢者、その他の人々の権利を守る新しい規則と施行メカニズム、方策をつくる。
 多くの大統領特別委員会も結成された。 特別委員会は、女性、子供、障害者、高齢者のエンパワメントと権利の保護のためのより良い手段を調査、勧告し調査して、そして、教育と保健のような基本的な社会開発設備の適切性と対象範囲の合理化と増加の手段も勧告する。

障害の取り扱い
 本会議場を見回してみると、政府代表者の中には歩行障害など軽度の障害を持つ人も混じっていたが、障害分野を代表しているのは中国代表団のデン・プ・ファン(中国障害者連合会会長)とNGOを代表して日本政府代表団に加えられた筆者のみであった。
 アクセスが十分でなかったことに加えて、要人の警備のためにエレベータの使用や通り抜けが禁止されているところが多く、初めの二日程は電動車椅子で動き回るだけで一仕事であった。整備に出して万全を期した車椅子のタイヤにどうもスイス航空で輸送中穴があいたらしく、2日程その修理にも時間も取られた。町中を走り回る時間はなかったが、どう見ても鋪道や建物がそれ程車椅子に配慮されているとは言いがたかったので、日本政府がリフト付きバンを移動用に借り上げてくれたことには感謝している。そのためNGOの会議にも自由に出席が可能となった。
 ジュネーブ2000フォーラムでは、障害に関する会議はたった一つだけであった。カナダに本部を持つ世界応用障害研究・情報ネットワーク(GLADNET)が障害者インターナショナル(DPI) と国際リハビリテーション協会(RI)と共同でILOを会場に6月28日に開催した円卓討議「万人のための完全参加」がそれである。
スピーカーは、
  スーザン・パ−カー、ILO上級リハビリテーション・アドバイサ−、元RI事務局長、
  ナンシー・ブレイテンバック、インクルージョン・インターナショナル理事長
  ナンシー・ライチェ、カナダ労働会議、書記兼会計
  スティーブン・カミンズ、世界銀行社会政策専門官
  デビッド・ヘンダーソン、RI事務局長
  バーバラ・ムレイ、ILO上級リハビリテーション・アドバイサ−、元ILOアジア太平洋事務所アドバイサ−
  ロバート・スコット、ロータリー・インターナショナル会長、
  レイチェル・ハ−スト、DPI人権副会長 
であった。GLADNET創始者のオードレッド・ニューフェルトはDPIのプロジェクトをいくつか手掛け、当事者参加の重要性も良く分かっていると思っていたが、当日の進行役を含め壇上に並んだ9人 のうち障害者はたった一人と言う状況であった。
 レイチェルは冒頭から「障害者の権利が侵害されていない国は世界にどこもない」、「参加は権利の一部でる」と強く聴衆に訴えた。緊急課題として障害者権利条約策定を推進しようとの彼女の呼びかけは、続く会場からの、国際社会の支持、協力を求める中国障害者連合会国際部のユー・リアン氏からの参加者の意見発表に引き継がれた。討議の時間が十分でなかったため、それ以上の発展がなかったことは残念である。中国政府は全体会での報告では、障害当事者の国際団体の長を集めて会合を開き障害者の権利に関する北京宣言を採択したことしか述べなかった。国連本部障害者ユニットが中国の要請で北京宣言のコピーを各参加者に配付していたが、それへの言及もなかった。会期中にデン会長がアナン事務総長に会い、権利条約のために半年以内に委員会を開いてもらうことになったとのニュースも聞いたが、真偽のほどは確かめられなかった。
 特別総会では登録したNGO代表の参加が許されたので、最終日30日には急遽レイチェルが障害コーカスを作り、アクセスが不十分な国連会議場は障害者の人権を侵害しているとの意見を、NGOコーカスの記者会見の席上で発表した。
 障害に関して今一番大問題となっているのが、エイズなどの感染症である。特別総会の最終文章ではとくにエイズが深刻なアフリカ25カ国に対し、感染者の削減目標の設定を促し、国際社会が支援していくことをうたった。
 報告文書ではその第3部「社会の開発のためのさらなるイニシャティブへの提案」において障害について以下のたった2項が当てられているにすぎない。

61.政策と方策の範囲を、とりわけ社会での自分たちの充分な役割を演ずるために障害をもつ人々をエンパワーさせる、国連障害者の機会均等化に関する基準規則の実行を促すことによって、拡大すること。発達障害、知的、精神障害をもつ人々や障害を持つ女性や子供たちに特に注意すべきである。

61bis .仕事場の環境の整備とデザインを通して障害をもつ人々のために雇用へのアクセスを保証して、そして教育と技能の獲得を強める方策を通し、可能なところならどこでも地域社会でのリハビリテーションや、そして障害のある人々を雇用する企業への奨励策を含むこともある他の直接の方策を通して、彼らの雇用される可能性を向上させること。

それらは、統合と機会の均等化に触れた自明のことであり、何も目新しいことではなかった。その他においては単に女性、子供、老人と一緒に並べて論じられているか、弱者または不利益を被っている者としてまとめて扱われている。

 
開会式

 
開会式でのもう一人の車椅子代表デン氏

 
全体会の報告に耳を傾ける各国代表

 
全体会で報告する政府代表

 
フォーラムの一部として日本のNGOが主催した
セミナーで報告する日本政府代表

 
GLADNET主催の障害に関する円卓会議
右から6番目がレイチェル・ハ−スト氏