開発援助における障害者支援
〜パキスタンを事例に

立命館大学大学院国際関係研究科 
国際関係学専攻 博士前期課程         
磯 部 由 美

2009年3月

[要約]
  本論文の執筆目的は、開発途上国における障害者の現状を探り、開発現場で行なわれている障害者支援を取り上げ、手法やその効果について検討し、今後の障害者支援のあり方を探ることである。
  障害は誰にでも起こりうるものであり、障害者を含めたすべての人が自分の人生を選択し、良く生きられる社会の構築が必要である。近代産業社会システムの構築とともに現れてきた「障害者」という概念によると、障害者は生産の担い手には含まれず社会開発の対象とはなり得なかった。つまり、生産者でないものは、自己決定権も認められず支援の必要な弱い存在であるとされ、障害者は慈善問題として支援されてきた。この概念は開発現場における障害者支援にも影響を及ぼし、たとえ障害者のためのプロジェクトであっても障害者のエンパワメントに至っていないという状況である。これまでの推移、そしてミレニアム開発目標や国連で採択された障害者の権利条約などにより、現在、障害者問題は開発目標の一つであると重要視され、障害者の権利を擁護するような支援へと移行している。しかし、それらに対する具体的な手法やその評価分析・知識の蓄積は十分ではない。障害の定義には、障害を個人の問題であるとし、リハビリテーションに重点を置く医学モデルと、障害者が社会から阻害されているのは社会に原因があるという社会モデルが存在しているが、この2つのモデルのみで障害は定義されるものではない。障害の社会モデルの概念に加え、障害者が持つ独自の価値・文化や歴史的背景を探り、かつ障害の経験を肯定的に捉えることで障害を学問として確立しているのが障害学である。しかし、障害学はアメリカやイギリスなどの先進国から発展した学問であるため、これらが開発途上国でも適応できるのか疑問である。なぜなら、障害者を取り巻く環境は開発途上国と先進国では大きく異なっているからである。開発途上国の障害者は、貧困、人権保障の低さ、文化的背景、そして事故や紛争の多発などにより、先進国に住む障害者以上に厳しい状況におかれている。そのような状況をふまえ、開発援助団体では、障害者問題を貧困問題と関連づける方向にある。つまり、障害者と貧困にあえぐ人々は低所得などの物質的な欠乏だけではなく、教育、就労、そして政治への様々な機会、権利を奪われているという点で共通している。さらに、貧困は障害への発生率を高め、障害は貧困の原因となるという報告もされている。障害と貧困の概念をふまえた具体的な例が、英国国際開発省(DFID)が取りまとめた障害についてのマニュアル(Disability, Poverty and Development )やHandicap International とドイツ技術協力公社(GDZ)が行うMaking Poverty Reduction Strategy Paper Inclusiveなどである。これらは中央政府や開発援助機関が行うトップダウン式の開発の意味合いが強く、実際にこれら手法が障害者の生活向上につながっているのかは疑問である。トップダウン式の開発も重要であるが、ここでは、パキスタンを事例にしたボトムアップ式の開発に注目した。パキスタン人によって設立された、自立生活運動を基に活動する障害当事者団体であるMilestoneはパキスタン政府からの支援はほとんど受けず、日本の障害当事者団体を含めた外国援助組織の支援を利用しながら活動を拡げ、多くの障害者をエンパワメントし、現在では彼らの活動は政府の障害者政策を変えるまでに至っている。彼らの活動は、開発における障害者支援のあり方を示唆していると考える。つまり、開発における障害者支援では援助するものが先進国の人間で、かつ障害者でない(多くが専門家)ということにより開発途上国に住む障害者の依存性を高めている。そのような支援ではなく、障害者の主体性に重点を置いた、地域や国境を越えた同じ環境にある人々との横断的なつながりを促進し、彼らの能力を高めることが彼らのエンパワメントにつながるのである。開発における障害者支援については、途上国での自立生活運動や国連障害者の権利条約の効果を含め、さらなる追跡調査が必要である。

目次

            はじめに
             1章 障害とは何か
              1節 障害を社会で考える
              2節 障害の定義
               (1)医学モデル
               (2)社会モデル
              3節 開発途上国における医学モデルと社会モデルの検討
              4節 障害学;途上国でも適応しうるのか
             2章 開発と障害;開発援助機関やNGOにおける最近の動向
              1節 社会開発の登場とその定義
              2節 近代産業社会における障害
              3節 国際的な条約と国際機関の取り組み
              4節 開発途上国における障害者の現状;貧困との関連
              5節 障害者支援の手法
               (1)Making Poverty Reduction Strategy Paper Inclusive
               (2)Community Based Rehabilitation
               (3)自立生活運動Independent Living Movement
             3章 パキスタン・イスラム共和国の事例
              1節 障害者を取り巻く現状と北部大地震
              2節 各組織の障害者への取り組み
               (1)国際協力機構JICA
               (2)Handicap International
               (3)Milestone
              3節 支援の提供者と受益者
              4節 貧困と教育
              5節 開発における政府と市民社会
             おわりに

はじめに

  パキスタンで障害者へのニーズ調査を行うと、多くの障害者やその家族からは、私達外部からの支援に対する受身的な印象を受ける。つまり、「何かをしてくれる、何かをもらえる」ものという多大な期待を感じる。これらは、開発現場における、外部からの支援に対するあたりまえの感情であるとも言えるが、一方では開発途上国であっても先進国と同じようにエンパワメントされた障害者がいるのも事実である。そのような障害者は少しずつ増えてきてはいるが、開発途上国で障害者のエンパワメントは広く浸透していないのが現実である。つまり、開発援助において障害者問題は未だ慈善問題として取り組まれており、障害者問題は社会開発問題として十分取り組まれてこなかった。さらに、開発途上国の障害者には、貧困やジェンダーなど何重もの困難が降りかかっており、現在も障害者の権利はほとんど認められてないといっても過言ではない。開発途上国での障害者支援というと、医療や職業訓練を中心としたリハビリテーションに関連した支援が多い。しかし、障害者問題に取り組む援助組織では、医療モデルを中心にした支援から社会モデルや権利を擁護する方向へと転換し、開発途上国の障害者問題を教育やジェンダー問題と同じように開発分野のメインストリームに取り込む方向に向かっている。この背景にはミレニアム開発目標がある。ミレニアム開発目標に掲げられている貧困削減は、貧困層を占める障害者へのアプローチが不可欠であるという認識に基づいており、多くの国際機関で共通の認識となり、様々な取り組みは始まってきているものの、どれだけ実践的なプロジェクトが行われ、障害者の生活の向上が見られているのかを評価する報告は少ない。よって、この論文では、開発途上国の障害者を取り巻く現状と最近の動向を把握し、パキスタンを事例研究とする中で、開発における障害者支援のあり方を検討する。第1章においては、障害を社会で考えていく理由について検討し、障害の定義について再確認した。さらに、先進国で生まれたイギリス障害学が開発途上国においても適応するのかを考察することで、開発途上国の障害者問題を分析した。第2章においては、障害者問題は社会開発の概念には組み込まれてこず、「慈善」として取り組まれてきた歴史的事実について論じた。そして、「慈善アプローチ」から「障害者の権利アプローチ」へと移行している最近の障害者支援の潮流に加え、ミレニアム開発問題や貧困との関連、障害者の人権法を交え分析した。さらに、開発途上国で行われている具体的な障害者支援の手法としてMaking Poverty Reduction Strategy Paper Inclusive、Community Based Rehabilitation、自立生活運動Independent Living Movementの3つを取り上げ比較・検討した。第3章においては、パキスタンで障害者支援を行う団体を選択し、彼らの活動を分析しながら、どのような障害者支援が障害者のエンパワメントに結びつくのかを考察した。

1章 障害とは何か

1節 障害を社会で考える

 ここでは、何故私たちは障害者問題を社会で考えるのかを検討する。障害はすべての人に起こり得る問題であり、私たちは常に障害問題に直面する可能性が高い。例えば、不慮の事故や予測しない病気、加齢で障害を受ける可能性があること、また、自分の子供が障害を持って生まれてくることもあるだろう。つまり、障害は現時点では自分に関わりが無くとも、いつ自分が障害を持つかは予測できないのである。その様な予測できないがそうなる可能性がある障害について考え、保障制度などが整備され、社会的弱者にも優しい社会を目指すことが必要ではないかと考える。さらに、困っている人々(社会的弱者)を見かけた時、その人に手を差し伸べるのは人道的なことであり、理由を述べる必要がない場合もあるだろう。しかし、これでは、気まぐれに手を差し伸べることもあり得るし、人々の価値観によってはある場合のみ手を差し伸べるという選択作業も起こり得る。困っている人に手を差しのべるという事は人道的であり、その場におけるニーズを満たすかも知れないが、障害者問題の根本的な解決には至らない。
 政治哲学者であるロールズ[1]の正義観では、自由と機会、所得と富、自尊の基盤になるものなどすべての社会的価値は、これらの一部または全部を不平等に分けることが、あらゆる人の利益になるのでない限り、あくまで平等に分配されるべきであるとする。ロールズの概念は、障害者をも含めたすべての人が分配の恩恵を受け平等に生活できる社会を作ることである。ロールズの概念からすると障害者にも分配を受け生活する権利があるとしている。そして、その分配を助けるものが法などの制度であるとする[2]。しかし、国家による制度が定められた場合、その国の国民は保障を受けられるが、国民としての権利を持たない者は保障を受けられないという線引きが行われ、すべての人に平等な分配が行われない可能性がある。また、法哲学者であるドォーキンはロールズの制度にある正しさの基礎づけとあわせ善き生を論じている。善き生とは「生がその生きられている中での個々の環境への適切な応答である限りその生は成功しているとし、挑戦している生」[3]をいう。ロールズもドォーキンも人々が持つ財や資源の平等に焦点を当て論じているが、さらにアマルティア・センは財を平等に分配するだけでは不十分であり、その財をどのように選択し使っていくかという生き方の幅を平等に保障することを述べている[4]。つまり、障害者だけでなくすべての人々が自分で生き方を選択し決定できることが、良い生活であり、そのような社会が必要であると考える。これらの論から、障害者を含めたすべての人が良き生を送るには分配による平等と自由に生き方を選択できる平等が必要であるということが考えられる。
 さらに、障害を社会で考えることは、人権や人間の安全保障とも関連している。人権とは「世界の人々はどこでも誰でも、国籍や居住地に関係なく、尊重されるべき基本的な権利をもっている」と説明されている[5]。この人権という概念からも、障害者問題に取り組む理由になると考えるが、権利を持っているというだけでは、果たしてそれが守られているのかという問いに答えることが出来ていない。そこで、最近、開発において頻繁に討論される人間の安全保障の概念から検討する。人間の安全保障[6]は、人間の中枢にある自由を守ることで、自由には「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」がある。さらに、生存、生活及び尊厳を確保するための基本的な条件を人々が得られるようなシステムを構築することでもあるとする。人間の安全保障と障害者については、ここで使われている人間の概念から障害者が排除されてはいないか、また人間の安全保障という概念そのものが外部からのトップダウンで開発を考えているのではないかということが問われている[7]。しかし、人間の安全保障は、社会で障害を考える強い動機となると考える。長瀬は「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を障害者の現状に置き換えて解釈している。前者は、過去にも現在も見られる、政府や家族によって障害者が殺害されていることからの自由であり、後者は貧困などで生きていくこともままならない状況からの自由である。このように人間の安全保障は人間の中枢にある自由を守ることであり、自由を守るためにすべての人々の生活の改善のシステムを考える必要があるという点は障害を社会で考える強い動機となっていると考える。
 さらに、2節で述べる医学モデルによって定義される障害は、近代産業社会において社会が作り上げたものである。このモデルが今日も続いており障害者の立場を苦しくしていると考えれば、このような医学モデルを作り上げた健常者優位の社会や政府が権力を行使しているという事実を認識し、社会的弱者にも優しい社会の構築を目指すよう一人一人が意識を変革していく必要があるのではないかと考える。 

2節 障害の定義

 障害の定義として主に使われている医学モデルと社会モデルを整理しながら障害とは何かを検討していく。

(1) 医学モデル

 代表的な障害の医学モデルは1980年にWHOがまとめた国際障害分類である(International Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps: 以下ICIDH)。このモデルでは障害を「機能障害(impairment)」「能力障害(disability)」および社会的不利(handicap)」の3つに分類し(表1)、それらが原因と結果という連続関係にあると捉える。

表1.医学モデルにおける障害の定義[8]
機能障害 心理的・生理的または解剖的な構造、または機能の何らかの喪失・または異常である
能力障害 人間として正常とみなされる方法や範囲で活動していく能力の、(機能障害に起因する)何らかの制限や欠如である
社会的不利 機能障害や能力障害の結果として、その個人にとって(年齢、性別、社会的文化因子からみて)正常な役割を果たすことが制限されたり妨げられたりすること


 このモデルの特徴は、正常という概念を基礎に捉えていて、心身機能の正常域からの逸脱を障害として捉え、これら障害を持つ障害者を健常者に近づけことを目標としている。つまり、障害を個人の問題として捉え、問題の所在を障害者自身に置いている。病気や外傷の結果、機能障害が起こり、その結果能力障害が生じ、結果として社会的不利が生まれるという線形帰結モデルを取っている。よって、障害の改善には機能・能力回復のためのリハビリテーション[9]が優先されており、これらを解決しなければ社会的不利を解決することは出来ないという考えがある[10]。医学モデルは心身機能の障害に重点が置かれており、社会的不平等や差別などの問題を障害として捉えてはいるも、これら改善のためのアプローチに対する議論や方法がほとんどなされてこなかったと考えられる。さらに、医学モデルは、近代産業社会において増え続ける都市部の貧困層の身元を確認し、分類する必要があったという歴史にかかわるものである。つまり、働けるが働かない怠惰な者と働くことができない者を分類し、働けない者に対しては、正当な社会的地位を与えるのである。この行政的作業を担ったのが、医学用語を用い障害を分類、解釈するようになった始まりであるという。ひとたび障害者が雇用不能と定義されると、医学の専門家が障害者を「ノーマル」にすること、そして、できる限り「ノーマル」にすることに集中するのは論理的だとされた[11]。よって、医学モデルは、医療機関関係者に受け入れられ、障害者の生活を良くするにはリハビリテーションが必要であると広く使用されてきたが、障害を機能面ばかりで捉えてしまっている場合が多い。つまり、医学モデルでは障害者が社会で直面する障害(参加の制約や偏見・差別など)を把握できておらず、これらから生じる問題に対して十分な検討がされていないと障害者を支援する人々や障害当事者からは批判されている。このような医学モデルへの批判を受けて、ICIDHは医学モデルと社会モデルを統合するよう国際生活機能分類(International Classification of Functioning, Disability and Health : 以下ICF )に改定された。ここでは、医学モデルにある社会的不利を「参加(の制約)」という概念を用い、参加の制約そのものが障害であるとしている。さらに、機能障害が原因で社会的不利が結果であるという線形帰結モデルではなく、相互が並立的な関係としている。また、障害のプロセスを捉えるうえで、障害者個人の要因に加えて、社会の要因の影響を等しく加味している。このように、医学モデルと社会モデルを統合することで、さらに包括的に障害を捉えようと改定されたICFであるが、社会モデルを反映しているとは言い難く医学モデルの視点が色濃く残っていると久野は指摘している[12]。

(2) 社会モデル
 
 社会モデルは、障害を「心身機能に障害をもつ人のことをまったくまたはほとんど考慮せず、したがって社会活動の主流から彼らを排除している今日の社会組織によって生み出された不利益または活動の制約」と定義する[13]。つまり、障害とは個人の機能・能力障害ではなく、人々の社会参加を阻害する社会の障壁なのであるとする。社会モデルは、医学モデルのような線形帰結モデルをとらない。社会参加と自立は、機能的差異にも関わらず、すべての人が等しく持っている権利である。よって社会モデルの根底にあるのは差異を理由に社会参加を制限し差別を生じるような社会の構造や制度、人々の態度そのものが変わる必要があるということである。このように、社会モデルは、障害を社会的なものと捉え、障害の所在も社会にあり、変わるべきは社会であると考える。

表2.障害の医学モデルと社会モデルの比較[14]
障害の医学モデル 障害の社会モデル
障害とは 個人に起こった悲劇
障害者個人の問題
社会的差別や抑圧・不平等社会の問題
機能回復 権利
価値 均質性・差異の否定 多様性・差異の肯定
視点 障害者のどこが問題なのか
「変わるべきは障害者」
社会のどこが問題なのか
「変わるべきは社会」
戦略 機能的に「健常者」になることでの自立
統合・同化(障害者が社会に適応する)
リハビリテーション
障害者のままでの自立
社会変革・インクルージョン(社会が多様な個を尊重する)
エンパワメント、社会運動、自立生活運動、権利擁護運動
障害者 治療の対象 変革の主体
社会 物理的環境 構造と制度、人々の関係
重要な分野 医療 権利 行政、制度、経験、社会開発、市民運動


 これまでの各モデルの説明と上記の表を参考にしながら、医学モデルと社会モデルをさらに比較、考察する。現在でも医療機関の多くが、障害を医療モデルとして扱っている傾向がある。この場合、障害者は、機能回復のためのリハビリテーションを専門家によって与えられ、健常者に近づき社会に復帰していくという受身的な存在になってしまっている。これでは、リハビリテーションが終了してもなお残ってしまった障害への対応がなされておらず、障害者の生活を十分把握できているのか疑問が残る。例をあげると、事故で脊髄を損傷し、車椅子生活になってしまった彼がいるとする。彼は病院で何ヶ月かのリハビリテーションを受けて身の回りのことは何とか一人で出来るようになり、退院した。しかし、退院後、彼は外出もままならず、さらに仕事を探すが車椅子利用者だからという理由で多くの会社に断られ社会から阻害されていったとする。この場合、彼が病院で受けたリハビリテーションは彼の生活を十分豊かにしたといえるだろうか。逆に、彼がリハビリテーションを短期に済ませ、身の回りのことが1人では十分出来なくとも介護してくれるサービスが十分であり、外出も含め自分のやりたいことを何らかのサービスで補いながら実現している場合、どちらが豊かな生活であるといえるだろうか。このような例からも、医学モデルは障害の一部をとらえ、医学的な治療を行うには必要なものではあるが、障害者の生活を考えたエンパワメントという概念からは、障害を社会モデルの点からも捉えていくことが重要である。

3節 開発途上国における医学モデルと社会モデルの検討

 ここでは、医学モデルと社会モデルに優劣をつけるという問題ではなく、双方が互いに補うことで障害を考えることが大切であるというのが前提である。では、開発途上国で医学モデルと社会モデルを考えるとどうであろうか。開発途上国ではリハビリテーションを行なう病院が都市部に集中している傾向があり、農村部に住む人口の多くがリハビリテーションを受ける機会に乏しい。また、医療従事者の教育制度が確立しておらず、従事者が極めて少ないためリハビリテーションサービスが十分普及していない。さらに、医療保険などの保障が無い場合、治療費は多額となり貧困層はサービスを受けることができない。たとえ、障害者がリハビリテーションを受けたとしても、退院先がアクセスの悪い農村でかつ貧困家庭であると家族の負担となってしまう場合が多い。つまり、開発途上国では、リハビリテーション従事者への教育機会の無さ、さらに一般の市民においても、リハビリテーションサービスが限定しており、障害に関する知識は浸透していないといえる。しかし、障害の定義付けが出来ていなくとも、開発途上国では障害を伝統的・宗教的慣習からも個人に起こった不幸、つまり個人の問題であると考える医学モデル的理解が強いのではないかと考える。一方、社会モデルは、どうであるか。途上国では、障害者が働けない場合、介護が必要で家族の負担となっている場合や、慣習的背景から障害を隠そうとする場合がある。この状況では、障害者の権利は何も保障されておらず、障害者は自分たちの持っている権利が侵されていることに疑問を持つことも無く、家族に依存している状態である。つまり、開発途上国の社会において多くの障害者は、権利が認められていない状態であり、社会モデルの概念は開発途上国では全く浸透していないのではないかと考える。実際に、パキスタンの理学療法士研修会において社会モデルについて説明した際、彼らは医学モデルについての認識は若干あるものの、社会モデルに対しての理解はほとんど無かったという現状であった。先進国と言われる日本でさえも、医療従事者の間では医学モデルが主流となっており、社会モデルで障害を考えることが少なく、障害当事者からたびたび非難されている。つまり、障害という概念をとらえる時、開発途上国でも先進国でも社会モデルは十分浸透しておらず、医学モデルが強いことが窺える。

4節 障害学;途上国でも適応しうるのか

 障害を医学モデル、社会モデルというだけでなく、もっと広い概念で、学問として確立しているのが障害学である。障害学とは、長瀬によると「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは、従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない」と要約される[15]。前述した障害を個人の問題として、治療の対象ととらえる医学モデルではなく、かつ福祉の対象ともとらえるものでは無い。つまり、「医学モデル、福祉の対象という観点から、障害の原因は社会にあるという社会モデルに転換し、障害者が持つ独自の価値・文化を探る視点を確立する」[16]ということである。さらに、長瀬は障害学において障害の経験を肯定的にとらえること、障害者の歴史的背景についても見直していくことを重要視している[17]。障害学は英国、米国で最も発展しているが、ここでは理論的にも優れているという英国障害学を中心に検討していく。
 先進国を中心にした医療技術・知識の発展においても、今後私達の社会から障害は無くなるものではない。つまり、医療の発展はたとえ重症な障害が残ったとしても生きることが出来る医療・福祉サービスを提供し、高齢化は関節炎や内部障害などの障害を引き起こすからである。オリバーのイギリス障害学によると、「障害の無力化[18]は、資本主義と専門家支配によって引き起こされている」[19]としている。障害者を近代産業社会の発展とともに検討している2章で詳しく述べるが、市場力が社会政策をまとめる支配的な要素である資本主義では、障害者は市場において重要な役割ではないとされている。さらに、イギリスなどの先進国では医療や福祉従事者、つまり専門家への教育水準は高く、その国のサービスに答えられるよう充実しているが、特に医療従事者には医学モデルが浸透している。実際に、イギリスの医療従事者に障害の「社会モデル」について尋ねても、なんとなく聞いたことはある人はいても、実際の評価や治療に利用している人はほとんどいないという。医療モデルの考え方では障害は個人の問題であり、何らかの治療を施すことで、「正常」に近づけようとするものである。この医療モデルを中心に考える専門家による支配は、障害者の治療や生活をコントロールしてしまう従属関係を引き起こしていると考える。これらからも、オリバーの言う障害の無力化は専門家の数が充実しており、彼らへの教育がいき渡った先進国で最もあてはまるのではないかと考える。
 それでは、資本主義と専門家支配によって引きこされる障害の無力化は開発途上国でも起こりえるのかを検討する。開発途上国では資本主義が十分に確立していない、そして専門家の数が全体的に少ないため専門家支配が生まれにくいと考えられる。すると、開発途上国では障害の無力化が起こりにくいということになるだろう。しかし、開発途上国の障害者は先進国の障害者以上に厳しい状況に置かれている、つまり、生きることもままならない障害者が多数存在している。開発途上国では、貧困(栄養不良)、環境破壊、保健・社会保障制度・施設の不備、人権保障の低さ、事故や災害の多さ、並びに戦争や地域紛争の多発により障害者の生活を悪化させ、新たな障害者を生んでいる。さらに、早婚、割礼、血族婚などの文化的背景も原因となりうるだろう。加えて、ジェンダー、人種、先住民差別の影響がある。このように途上国の障害者の状況に負の影響を及ぼしている原因はいくつもあるのだが、ここではまずこれらの差別と先進国の関わりに注目して考察する。同じ障害者であっても先住民や人種によって彼らの生活は大きく異なっているということは明らかであり[20]、この先住民や人種問題は植民地問題から発生しているということである。さらに、開発途上国の専門家は高い教育を受けたその国のエリートであるということである。彼らは、先進国の専門家の知識や技術を進歩的な考えとして吸収しようとしており、ここで医学モデルによる専門家支配の考えも持ち込んでしまっている。さらに政府や国際機関による開発政策では策定者が障害者問題を低い優先順位とし、慈善問題として扱っていることもある。実際にパキスタンで、政府の障害者省役人と障害当事者との会議に参加する機会があったが、障害当事者は低姿勢で役人に話すよう心がけていたが、役人達は障害当事者を見下したような態度が見受けられた。つまり役人達の中で「障害者は何も出来ないだろうから守ってあげるべき存在である」という彼らの能力を否定したような態度が窺えた。このようにエリートと一般市民の権力の格差は先進国以上に開発途上国の障害者問題に影響を及ぼし、さらに先進国が行う開発援助がこれらの格差を作ってしまっているという現実がある。つまり、途上国での障害の無力化にはオリバーのいう専門化支配のほかに障害者を取り巻く環境、貧困、歴史的背景に関連した差別、権力の格差と多くの要因が関係しており、先進国以上に彼らの立場を困難にしているのである。

2章 開発と障害;開発援助機関やNGOにおける最近の動向

1節 社会開発の登場とその定義

 ここでは、社会開発の定義を見直し、その中で障害者がどのような位置に置かれてきたのかを歴史的な視点から検討する。社会開発という分野が登場したのは、第2次世界大戦後である。そこで起こった民族独立運動は、単に民族自立のみでなく、経済的自立が不可欠の要素と考えられた。こうしたナショナリズムのなかで、経済開発計画が採用され、それに従って急速な工業化と近代化を促進し、植民地社会を特徴づけていた大衆的な貧困と剥奪という緊急課題に対処しようとしたのである。ここで、強調したいのは1960年から80年前後には、社会開発は主として、経済開発を補完する社会資本、社会インフラの整備を意味すると考えられたことである。つまり、社会開発は経済開発を補完するものとして現れてきている。佐藤は社会開発の定義を労働力の再生産を実現するさまざまな社会的装置を計画的に実現していく過程としている。生産の基礎的環境を整える経済開発に対して、生産の担い手たる人間に焦点をあて労働力の生命的・社会的生産のための環境を整えることが社会開発であり、双方は表裏一体であると述べている[21]。これは経済開発と社会開発を明確に定義したものであると考える。さらに、ミッジリイによると、社会開発は、コミュニティあるいは社会に焦点を合わせ、より広い社会プロセスや社会構造を対象としており、国民の生活を向上させるために、社会的介入と経済発展の活動とを調和させようとすると定義している。また、その特徴として社会開発活動と経済開発活動を結びつけることであるとし、社会開発と経済開発はコインの裏と表になるとも述べている[22]。これらの定義より、社会開発は労働力となる人々、つまり国民に対して環境や生活を整えるものであると要約することができる。彼らの論から、歴史的に見ても社会開発と経済開発は密接に関係しており、経済開発を補うような形で社会開発が出現してきたと言える。さらに、佐藤の論では、社会開発の対象は「労働力として経済活動に関われる人々」であるという意味合いが強いと考えられる。高齢者は長年にわたる知識の蓄積、子供は将来の担い手として労働力の再生産に必要な存在であるのは明確であるが、生産の担い手となり得ない障害者の場合、障害者は社会開発の対象から外されてきたのではないかと感じる。社会開発は近代に生まれた概念であり、社会開発と障害者問題を検討するならば、近代社会システム構築の過程において、障害者がおかれてきた現状を把握することが重要であると考え、次節で考察する。

2節 近代産業社会における障害

 石川は、労働と生産を根拠に財と自己決定権と評価を与える近代産業社会システムの構築において現れてきた障害者について述べている。つまり、生産者になりえない者は持たざる者として放置され、自己決定権も認められず、人としての価値も与えられない。生存に必要な物が与えられるときにも、それは他者からの恩恵であり慈善であったとしている[23]。さらに、フィンケルシュタインは、マルクス主義的な理論枠組みに基づき、障害をこう説明している。彼は、前産業化段階をフェーズ1、産業化段階をフェーズ2、ポスト産業化段階をフェーズ3と区別している[24]。フェーズ1の前産業的農業社会は必ずしも障害のあるものを排除しなかった、つまり、大半の障害者は生産過程に組み込まれて、完全に参加ができなくとも、家庭内の手工業などで部分的に貢献することができたという。しかし、工場労働が中心的な労働形態となるフェーズ2において、工場の生産ペースについてこられない者は「障害者」として労働現場から排除されるようになり、ひいてはあらゆる経済的・社会的活動から排除され施設に収容されるようになったと考察している。これらの論でも明らかであるが、社会開発の対象は国民ではあるが、実際の国民というのは生産者として財を獲得できる者に限定されており、経済発展により国民の生活が豊かになったとしても、障害者は自己決定権も与えられず、社会から置き去りにされ、差別されてきたことが窺える。さらに、このような近代社会において障害者は社会開発の中で排除されてきたばかりではなく、働けない者としてよりいっそう区別されるようになったといえる。障害者はこのような近代社会の中で、社会的博愛と慈善の対象として扱われてきた。ミッジリィは[25]、「社会的博愛と慈善は人間の歴史でも長い過程を持ち、宗教的慈善は今も、個人や組織が貧困者や社会的弱者を援助する手段となっている。」としている。また、社会的慈善の一般的な方法は入所施設であり、歴史的に見ると慈善活動を行なうものは、サービスを受ける「資格のあるもの」と「資格のないもの」とを明確に区別してきた。資格のあるものとは、高齢者、障害者、児童およびその他の自立のできないものであった。これらより、障害者が歴史的にみても慈善行為において「資格のあるもの」として援助されてきたのは明らかである。さらに、ミッジリィは社会開発を「経済開発のダイナミックなプロセスとの関連で、国民全体の福祉の向上を企画した計画的社会変革のプロセスである」と捉えている。さらに、社会開発の特徴を説明するなかで、「慈善やソーシャルワークと異なって、社会開発は個人に物品やサービスを提供するものではなく、処遇を行なったりリハビリを行なったりするものでもない」と述べており、このことからも社会開発と慈善やソーシャールワークは別のもとして明確に定義されている。では、慈善とは何か、開発の概念と比較しながらもう少し深く掘り下げてみたいと思う。ピーター・コリッジは、慈善は、「現状に対して何も挑戦したり変革したりしない、実際それを永続させる」、開発とは、「人々が不十分な原因を理解し、その理解に基づいて自分達の状況を変革するために働く状態」を言うとしている。つまり、開発は、究極に人々が自分達の生活を管理できる状態を言う。慈善は人々が他の人々に管理され犠牲者としてとどまる状態を言うと述べている 。つまり、開発には変革と自律性が要求されているが、慈善とは状態が継続するものであり、依存的で、最後に進歩の機会があたえられるという社会福祉の概念からも明らかである。このように開発と慈善には大きな違いがあり、慈善によって扱われてきた障害者は「自立のできない、保護すべき存在」であるとされ、慈善により彼らの生活を援助することは、実際には社会の中で彼らを抑圧してきたに過ぎなかったのであろう。つまり、慈善による援助が彼らの権利意識の獲得を妨げる要因になっていると考える。社会開発において障害者は対象者として扱われず、慈善として援助されてきたこと、そしてそれが彼ら自身の生活変革を受身にしていることが明らかである。

3節 国際的な条約と国際機関の取り組み

 障害者問題は歴史的に慈善問題として扱われてきた。現在もその考えが完全に無くなったとは言い難いが、国際的な潮流では、障害者の権利擁護へシフトする傾向にある。よって、ここでは、開発援助機関は現在、どのように障害者問題を開発に組み込む意思を持とうとしているのかについて言及する。身体障害者を社会的弱者として明確に取り上げているのは1993年10月にアジア開発銀行が示した、開発における社会的側面の配慮の視点と具体的なプロジェクト・サイクルの配慮への組み込みによる説明と、1995年3月にコペンハーゲンで開催された国連世界社会開発サミットにおける宣言・公約[27]である。国連世界社会開発サミットでは、障害者は高齢者と共に世界最大のマイノリティ集団の一つとされ、貧困・失業・社会的孤立を余儀なくされているとし、それらに対する公約として障害者(児)への差別撤廃、教育の機会均等を述べている。さらに、障害者の自立した生活のために様々なサービス、満足のいく生活や社会への完全参加を助ける技術を提供するとともにそれらにアクセスができるよう保障されるよう努力すると述べている。このように、国際的な公約の中で、障害者に光を当てることは、非常に革新的であるとも言えよう。しかし、ここでは、障害者の立場を改善するための公約としての姿勢は見られるものの、障害者に対するサービスの提供という障害者にとっては受身的な案になっている印象を受ける。さらに、その案に対する具体的な方法を示す十分な検討がされていないと感じる。一方、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)では、国連のミレニアム開発目標(Millennium Development Goals以下MDGs)[28]と障害問題の関連から考察され作られた『びわこミレニアム・フレームワーク』[29]が2002年に採択されている。『びわこミレニアム・フレームワーク』はアジア太平洋の各国・地域の政府や関係者が取り組むべき障害者政策・行動計画とし、最大の目的は政府の開発戦略に障害(者)支援の視点を組み込むこと、つまり障害(者)問題のメインストリーム化である。具体的には、障害者自身のエンパワメント、障害者が様々な情報も含めた社会にアクセスが出来る事、そして雇用促進など包括的な取り組みが提示されている。さらに、『びわこミレニアムフレームワーク』では、政策によるトップダウンと障害者自身のエンパワメントというボトムアップの両面から障害者問題に取り組もうとする姿勢が見られ、かつエンパワメントや雇用などの具体的な案が示されていると考える。
 このような開発における障害への取り組みは2000年9月に国連で採択されたMDGsにおいて加速した。MDGsでは、8つの目標のうちの1つである極度の貧困と飢餓の撲滅、つまり2015年までに1日1ドル未満で生活する人口と飢餓に苦しむ人口の割合を1990年の水準の半数に減少させるとしている。また、世界の障害者人口の8割が開発途上国に生活しており、障害者の4割が貧困者であり、同時に貧困者全体の約2から3割が障害者であるとも推定される[30]。この数値からもわかるように、MDGsで掲げられた貧困撲滅の達成には開発途上国の障害者へのアプローチが不可欠であることが国際的に認識されるようになった。さらに世界銀行では2002年に障害者運動のリーダー的存在であるジュディ・ヒューマン氏[31]を障害担当の顧問に任命し、障害分野を一層重要視する意思を示している。加えて、アジア開発銀行や日本のJICA(国際協力機構)、イギリスのDFID(英国国際開発省)、およびアメリカのUSAID(米国国際開発省)などの先進国の開発援助機関でも、開発における障害問題への取り組みが強化されつつある。JICAでは、社会保障分野における障害者支援の重要性を述べており、DFIDでは、貧困と障害の問題に触れ、開発における障害者問題のメインストリーム化は始まっている。DFIDは2000年に『障害、貧困と開発』[32]という指針を示している。その中で貧困は障害の原因と結果であるとし、障害と貧困の悪循環を明確にしている。よって障害を開発において重要な課題と位置づけ、貧困削減と人権問題において障害をメインストリーム化することとしている。エンパワメントとともに予防・リハビリテーション、(人々の障害への)態度の変化などに関連した障害者が組み込まれたアプローチが重要であるとし、いち早くツイントラックアプローチを採択している。ツイントラックアプローチとは、開発におけるジェンダーの分野で取り組まれてきた手法であり、@開発における障害当事者のメインストリーミング・インクルージョン、つまりすべての開発援助に障害者を組み込んでいくこと、A障害者のエンパワメントを平行して進めることで障害当事者の完全参加と(実質的)機会と均等化を目指すものである。一方、JICAの障害者支援分野の協力は1980年代に始まり、教育、医療、職業および社会の各リハビリテーション分野の人材育成、福祉機器(義肢装具等)の作製技術向上といった分野で成果を挙げてきたが、障害者支援分野のJICA事業業績に占める割合は1.2パーセント(2006年)と依然として小さい[33]。ミレニアム開発目標の達成には障害者の視点が重要であるとし、2003年には『課題別指針障害者支援』が示されたのである。この中で、DFIDによるツイントラックアプローチを採用しており、途上国において障害者の「完全参加と平等」の実現を目的に@開発における障害当事者のメインストリーミング・インクルージョン、および、A障害者のエンパワメントを基本方針としている。
 このような流れを受け、障害者の権利条約[34]が2006年12月13日の第61回国連総会において採択された。権利条約は「障害のあるすべての人による、すべての人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し及び確保すること、並びに障害のある人の固有の尊厳を促進すること」を目的とするもので、国連における第7番目の人権に関する条約である。2008年10月31日の時点で41カ国が条約に批准している。そして、この条約の32条では国際協力を義務付けている。つまり、障害者の権利条約を実現するためには国際協力の促進が重要であり、国際的及び地域的機関並びに市民社会(特に障害者の組織)と連携することをあげている。国際協力が障害者にとってインクルーシブであること、能力の開発、情報の交換・支援、研究協力それら知識へのアクセス、技術援助及び経済援助に効果的な措置を取るとしている。この条約により、国際協力における障害への取り組みは一層強化されることが期待されるとともに、批准した国がどのように障害者支援への取り組みを充実させていくかは今後の課題であろう。条約の批准国であっても、実際障害者のための政策や法律が整備され、そして障害者の生活に影響を及ぼすまでに至るには長い道のりを要し、障害者の権利を守る国際的な取り組みはようやく始まったと考えられる。長田は[35]この条約の評価として、障害者に関する国内政策や障害者法に変化があったか、障害者に対する差別は緩和されたか、障害者の生活は向上したかが問われ、結果ベースの目標達成が必要であると述べている。また、開発途上国では障害者問題に費やす物的・人的資源の不足、そして人々の理解が低いことなどによりこの人権条約の施行にはいくつかの困難が伴っている。しかし、この権利条約の策定過程の全過程において障害当事者および支援団体、市民社会のメンバーが積極的に参加し、取りまとめに大きく関与したという。このことからも、この条約は自分たちの権利を社会に強く主張する前進的な姿勢が窺え、以前から続いている依存的な障害者像を壊していく可能性があり、障害者にとって主体性のある活動が期待されるのではないかと考えている。

4節 開発途上国における障害者の現状;貧困との関連

 開発途上国の人々は、貧困、栄養不良、環境破壊、保健・社会保障制度・施設の不備、人権保障の低さ、事故や災害の多さ、戦争や地域紛争の多発により、先進国の人々よりも障害を負う危険により一層さらされている。世界の人口の10パーセントを障害者と推定するとその数は6億人、そのうち8割が開発途上国に生活しているという[36]。さらに、国連は途上国の人口の少なくとも4.5%が中・重度の障害者であると算出しており、貧困層の6人に1人は障害者であるとも言われている[37]。1982年に国連で採択された『障害者に関する世界行動計画素案(1981年)』では、世界中の障害者数は5億人以上で、その人数は増加しつつあること、および障害に応じたサービスを受けられない地域に住んでいる人たちが少なくとも3億5千万人はいると記している。さらに、国連社会開発・人道問題センターとリハビリテーション・インターナショナルによる『障害の経済学:国際的展望(1981年)』の中で「1975年時点で、世界中に推定4億9千万人(世界人口の12.3%)の障害者がおり、2000年までに推定8億4千6百万人(13.5%)となる。1975年時点でこの人びとの4分の3は開発途上国に住んでいる」といった文章が引用されている 。開発途上国では、戸籍制度が確立しておらず、また行政の管理が届かない地区があること、さらには慣習的な背景から障害者を隠そうとする態度がみられるため、障害者の正確な数値を得るのは極めて困難である。また、何を持って障害者とするのかの定義付けが各国によって多様であること、世界で起こっている内戦はさらに障害者の数を増やしていることを考慮すると、実際の障害者人口はこれらデータよりもっと多いのかも知れない。これらの統計からもわかるように、障害者の多くは開発途上国に住んでおり、障害者と貧困は密接な関係がある。それでは、貧困と障害はどのように関連しているのかを述べる。
 勝俣によると、近年の経済のグローバル化は資本と労働力の移動の規模を拡大し、人々、とりわけ開発途上国の人々の生活に貧困という影響を与えている。グローバル化された世界では人々の生活を支える自然や人間関係が商品として取り引きされ、これらの財やサービスにアクセスするには購買力というお金を必要としている。つまり、グローバル化の進展によって、購買力を十分持たない場合、経済的、社会的弱者が市場でニーズを満たすことが出来なくなるという現象を作っているという[39]。さらにグローバル化した市場のための大規模な農業システム・工場建設により土地を失った人々の増加、職を求めての都市部への人口流入増加、多国籍企業や先進国による途上国にある資源の搾取、国際競合、そして人々の生活の様式の変化などにより、人々の生活には購買力としてのお金が重要となっている。しかし、そのような購買力を十分持たない人々が増えており、開発の現場においても貧困の概念が重視されてきている。では、何をもって貧困とするのか。一般には「所得が少ないこと、そのために必要最小限のニーズも満たせない状態」として定義される。この定義のように、経済学的視点によるWorld Bankの指標(1997年度)[40]では、国際貧困ラインを1日1ドルで生活する人々(1983年)としている。貧困の割合と分布を見ると、20世紀末では地球人口60億のうち28億が2ドル以下、12億が1ドル以下の生活をしているという。さらに、最貧困層を1ドル以下で生活する人々、中所得国を1日2ドルで生活している人々としている。その他、国民一人当たりの国民総生産額が785ドル以下である国を低所得国、それが786〜3125ドルである国を下位中所得国、3126〜9655ドルである上位中所得国、そして、9656ドル以上の国を高所得国と分類している。このように、所得で貧困を定義しているが、貧困層の現状を探るには、これらの指標だけでは十分ではない。つまり開発途上国での貧困は、経済的な指標だけでは語れるものではなく、貧困の悪循環も関連しており複雑である。経済学的な観点からの貧困の悪循環とは、貧困層における貯蓄率の低下は、新しい投資を困難にさせ、それによって経済生産力や所得は向上しない、それはさらに貯蓄率を低下させるという悪循環である。さらに、貧困は所得の低さのみならず、低所得による不健康や教育水準低下をもたらし、社会的な欠乏と関連しており、病気、天災などの有害な出来事への対応を困難にしている。このように、貧困は多次元的な性質を持っているという事実は、貧困層の人々にインタビューし、World Bankから出版された『貧しい人々の声』[41]よりも明らかである。さらに、貧困は所得の低さのみでなく、教育や就労、政治への様々な機会、権利を奪うものであり、その権利の無い状況を持続させるものである。フリードマンはこの状況を「相対的な力の剥奪」としての貧困を定義している。つまり、貧困は総合的な剥奪状態であり、社会的な力の基盤をなす資源にアクセスできないことを貧困としている[42]。これらをより具体的に述べているのが、アマルティア・センである。人の生活の質はどのように評価するのかという問いに対し、センによると生活とは、相互に関連した「機能」の集合から構成されており、これらの構成要素を評価することが生活の「良さ」の評価になるだろうと述べている。そして、貧困とは基礎的な「機能」を実現するケイパビリティが欠けている状態だとしている。ここで言う「機能」とは、生活を形成する要素で、財、個人の特性、環境と社会から決定されるものであり、「機能」を実現するケイパビリティが欠けているとは、人々がどのような生活を送ることができるかという可能性や選択の幅、すなわち自由が欠けているといえる。センの理論を引用し、久野は自由と可能性がたくさんある生活は豊かであるのではないかと提案している[43]。
 上記の貧困という概念をふまえた上で、貧困と障害の共通点に注目したい。障害者の生活を検討すると、彼らには身体的な障害によりアクセスなどの物理的な制約もさることながら、教育や就職において偏見・差別などを受け、多くの制約がある。これら、制約は彼らの生活の自由を狭めるものである。つまり、このような障害者の生活には、十分な可能性や選択の幅というものが欠如しているのである。さらに、多くの開発途上国の障害者は、障害ゆえ、職業に就けず収入が無い(貧困である)、収入が無いから学校に行けない(教育機会の低下)、教育が低いから仕事に就けない、それは彼らが貧困から抜け出せない悪循環を作っている。このような点から、貧困と障害には同質性があり、さらに両者は密接に関連していることが窺える。さらに、開発途上国では福祉制度が整っていない、貧富の格差が大きいため裕福な障害者は多くのサービスを受けられるだろうが、貧困層の障害者は生きていくことさえままならない。ゆえに、開発現場において障害者支援のみを目的としたプロジェクトを実施するのではなく、貧困と障害者支援を同時に社会開発に取り組んで行く必要性があると考えるのである。World Bank やアジア開発銀行などの経済開発国際機関においても、貧困問題の解決には貧困を余儀なくされている障害者へのアプローチが重要であると述べ、障害者支援に携わってきている。実際にWorld Bankの国際会議では、セン自身が開発と障害者問題を取り上げ講演し、貧困と障害、双方に取り組む重要性が指摘されている。このように考えると、貧困と障害の双方に取り組む場合、それらのアプローチにも接点があると考えている。つまり、貧困や障害を相対的な力を剥奪された状態であるととらえると、貧困や障害による差別からの脱出とは、人々がエンパワメントされ自分達の権利を獲得していくことにある。

5節 障害者支援の手法

(1) Making Poverty Reduction Strategy Paper Inclusive

 貧困と障害者問題は密接に関係しており、開発において貧困削減に障害者問題を組み込んでいくことの重要性が認識されている。その具体的な事例としてMaking Poverty Reduction Strategy Paper Inclusive(以下PRSP Inclusive[44])という手法を考察する。Poverty Reduction Strategy(貧困削減戦略PRS[45]) は低所得や重債務国の貧困を削減するための包括的戦略枠組みの1つである。PRSP Inclusiveは貧困削減戦略ペーパー策定の際に、障害の視点をも組み込んでいこうとするアプローチであり、国際NGOであるHandicap International[46](以下HI)、ドイツ技術協力公社GTZ、およびドイツのNGOであるCBMが中心となりいくつかの開発途上国で行われてきた。貧困は物質的な欠乏のみをいうのではなく、政治的権力の無さや差別などの問題をはらんでおり、PRSP策定のすべての課程に障害者団体や障害者に関わっている組織が参加することは重要であり、意義のある事としている。実際に彼らが参加することで、障害者政策が従来の「慈善」問題から「教育・トレーニング・雇用」などへと移行し、社会における障害者問題への取り組み方が大きく変化するとしている。PRSPは編成から実行、評価と長い経過を要すが、これらすべてにおいて障害者団体の継続した参加が望まれる。編成までの課程は、@評価や調査を含んだオリエンテーション、A得られた情報を共有し意見交換を行う会合やPRSPと障害を学ぶようなセミナーやワークショップの開催、BAで得られた情報や疑問点を整理しながら貧困削減ペーパーに組み込むべき内容を検討する、Cこれら共同戦略の発展と実行である。次に実際にPRSP Inclusiveが行われた国を見ていくことで、PRSP Inclusiveの効果を検討する。事例が分析されているのは、タンザニア、シェレラオネ、バングラディッシュ、ホンデュラス、ベトナム、およびカンボジアであり、結果分析に注目した。タンザニア、バングラディッシュ、ホンデュラスの3カ国では、PRSPに障害者の概念が組み込まれたが、それに基づいた具体的な障害者支援は報告されていない。シェラレオネでは、PRSPに障害の概念が組み込まれているも、その内容は障害への理解が十分では無く評価が難しいとしている。ベトナムでは障害者自身の政治的な過程への参加、権利擁護運動が強化され、カンボジアではPRSP策定への参加を学ぶ過程において、障害の理解の向上や既存のプロジェクトに障害を組み込んでいくことなどが認識されてきているという。カンボジアやベトナムの事例のように、PRSP Inclusiveを進める過程が障害への理解を深め、障害者が社会で力をつけているという点は注目に値する。貧困と障害は関連しており、PRSPに障害を組み込む重要性は理解できるが、タンザニアを含む3ヶ国の事例からは、障害を組み込んだ貧困削減戦略ペーパーが実効性を伴って障害者が何らかの恩恵を受け、生活を改善できているのかは疑問が残る。また、PRSP Inclusiveの手法の実施は中央政府や開発機関からのトップダウンの手法であり、その中でどのように障害者のエンパワメントが実現されていくのか考慮されるべきである。加えて、PRSP Inclusive が効力を持つのかは、さらに継続した調査が必要である。

(2) Community Based Rehabilitation

 経済開発の発展は、いずれすべての人々の生活を向上させるだろうというトリクルダウン仮説は適用できず、現実として開発途上国における生活の格差を拡げたため、多くの開発機関では、開発援助への取り組みを変化させてきた。開発戦略はそれまでの経済成長優先から、人間・社会的側面を重視する方向性へシフトし、社会的弱者といわれる貧困層や女性のエンパワメントに重点を置いた開発戦略が進められている。医療・保健分野においてもこの戦略が採択され、プライマリーヘルスケアなど草の根レベルでの活動が推進された。社会的弱者とされる障害者への支援においても、Community Based Rehabilitation(以下CBR)が導入されることとなり、現在も開発途上国での障害者支援の手法として有効とされている。開発途上国では、医療機関が首都などの大都市に偏っていること、そして教育を受けたリハビリテーション職員が少ないという事実がある。つまり先進国で行なわれているリハビリテーションサービスを途上国に持ち込むことは困難であった。そこで、1981年にWHOは最初にCBRの概念を打ち出し、マニュアルを作成、多くの開発途上国でCBRが導入されてきた。WHOによると「CBRとは、地域開発におけるすべての障害者のためのリハビリテーション、機会の均等、社会への統合のための戦略である。CBRは障害者自身、家族、地域社会の協同運動、そして適切な保健、教育、社会サービスによって実施される」と定義される[47]。さらに中西はCBRを「地域レベルで、CBRのサービスの受け手が自己の政策決定に平等に参加する権利を保障しての参加の奨励と、村の活性化、村おこしに通じる意識変革がその中心概念となる」と定義している[48]。これらからもわかるようにCBRは今まで障害を個人の問題として個人に焦点が当たってきた医療モデル重視のアプローチから、地域の障害者の権利を獲得していくことによる地域社会の開発と考えられる。実際に、開発援助機関やNGOの行ういくつかの障害者支援では、CBRに基づき、障害者を受益者と見なし、リハビリテーションサービスや職業訓練などを提供している。CBRはその国や地域によって形態が大きく異なっており一言で定義するのは困難であるが、実際の例として、地域でリハビリテーションワーカーに研修を受けさせ、彼らが地域に住む障害児や障害者に治療法や介護の方法を教える。その他、地域にCBRセンターを設立、そこでリハビリテーションや職業訓練を実施する。さらには、教育現場で障害児と健常児が共に学ぶ統合教育を促進する啓発運動やその手助けなどがある。コミュニティを中心としたCBRの導入で、今まで社会から隔離されていた障害者にも何らかのサービスが届くようになった事は事実である。しかし、これらプロジェクトの作成や運営は障害者でない者が行なっているのがほとんどであり、医学モデルを推進するような医療・職業的なリハビリテーションの提供にとどまってしまっている場合が多い。つまり、障害者はサービス受給者という受身の立場を継続し、障害者自身が自分達の権利を社会や政府に訴えていくようなエンパワメントにはつながっていない場合が多い。久野はCBRの課題[49]について、@すべての障害者の参加の制限、特に実施課程における障害者の参加が少ないこと、A機能回復中心であり、多様な生活支援の不足、Bトップダウンとなっているということを挙げている。これらからも、現在のCBRの現状は、地域住民や障害者のエンパワメントを目標とするCBRの概念とは違ってきているのではないかと考える。久野が指摘するように今まで行われてきたCBRがトップダウンであるという背景には、障害者のエンパワメントを目標に挙げながらも、障害者は無力で守るべき存在であるとして障害者問題を扱い、専門家が権力を振るう現状があると考えられる。さらに、CBRが開発プロジェクトとしてトップダウンで実践される方が、開発援助機関にとってはプロジェクトの資金や運営・評価の面から管理がし易いのである。その結果、プロジェクトの対象者である障害者が力をつける(つまりエンパワメント)までには至っていない場合がある。

(3) 自立生活運動Independent Living Movement

 これらCBRの現状を踏まえ、途上国でも自立生活運動(Independent Living Movement以下 IL運動)を掲げた支援が盛んになっている。IL運動は1972年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業した重度障害者達を中心に発展してきた。この運動は、障害者が地域で生活し援助を管理でき、障害そのものを社会の偏見の犠牲者になっているという社会モデルを重視した思想を掲げている。それまで自立といえば医療モデルにもとづく日常生活の自立として理解されてきたが、この運動は障害者自身の選択にもとづく自己決定こそが自立であるとするモデルである[50]。つまり、障害者がたとえ日常生活で介助者のケアを必要としても、自らの人生や生活のあり方を自らの責任において決定し、また自らが望む生活目標や生活様式を選択して生きる行為を自立とする考え方である。IL運動を推進する上で重要なのが、ILセンターを拠点としたサービスである。ILセンターは運営委員の50パーセント及び重要な決定を下す幹部の一人は障害者とする要件に準じた運営方針に則って@介助サービス、Aピア・カウンセリング、B自立生活技能訓練、C権利擁護活動、D情報提供などのサービスを提供している。提供されるサービスが医療・職業的リハビリテーション中心となりがちなCBRとは異なり、自立生活運動では個人に対する社会的サービスや教育・文化・余暇サービス、住宅支援サービスが中心となっており、障害者自身が運営を行っている[51]。これらIL運動は市民社会や福祉サービスが発達し、個人の自立が広く認められている(例として成人すると家族から独立して暮らすなど)先進国のものとして理解されがちである。しかし、CBRの批判からもIL運動は開発途上国でも徐々に拡がりつつある。3章で考察するパキスタンの事例から、IL運動は障害者のエンパワメントにつながっていることが実感できた。IL運動は、障害者が家族から独立して地域で生活するという自立生活を掲げているが、それだけがゴールではないと考える。つまり、障害者が自分達の置かれている立場に疑問を感じ、それらを改善するよう社会に対して行動を起こす、また、そのような力をつける(つまりエンパワメント)ことがIL運動の哲学なのである。パキスタンの事例では、各々のILセンターが障害者自身によって運営されており、資金集めにおいても彼らがイベントを開催して企業から資金を得たり、国際機関に申請したりと障害者自身の積極的な活動が見られる点で、CBRと大きく異なっていると考える。つまり、CBRはサービスの受け手という概念が強いが、IL運動ではそのサービスを自分達で運営していく積極性がある。さらにはIL運動で見られるピア・カウンセリングが、障害者をさらにエンパワメントしていると考える。ピア・カウンセリングとは障害者が同じ境遇を持つ障害者から受けるカウンセリングの事である。ピア・カウンセリングについて谷口によると「カウンセラーとクライアントとのラポール[52]が早期に築かれ、クライアントのニーズや問題と感じていることを早期に認知、共感できるという点でより有効であり、カウンセリングの教育を受けた専門家とは異なる」と述べている[53]。医療の現場においても医師や医療スタッフが障害が残ってしまった患者にいろいろ話をしても、その患者は「あなた達は私の気持ちが分かるはずが無い」と感じるだろう。逆にすでに障害を持った患者が、最近障害を持った患者と話をすることでより前向きになった、積極的になったということはよく見られる。同じ境遇にある障害者からのカウンセリングは様々な経験を提示し、自分にも多くの事が出来るという自信を取り戻すきっかけになっている点で非常に有効であろう。さらに中西は、IL運動の途上国モデルとして途上国の大家族の中でいかに自己主張するかを支援するピアカウンセリングが重視されると述べている[54]。開発途上国の障害者は家族の負担となっており、彼らの自己主張は全く認められていない場合が多い。そんな状況で、まずは家族の中で自己主張ができなければ、障害者が社会に声を上げていくことができないのである。この中西の指摘は、先進国で生まれたIL運動をそのまま実行するのではなく、開発途上国の状況を把握し応用していくことが必要であることを示している。CBRとIL運動のサービスの違いもさることながら、自立生活運動において障害者自身がエンパワメントされていく過程に、この運動の有効性を感じている。実際に、日本国内のみならずアジアの開発途上国でもこの運動を展開している中西氏は、エンパワメントされた障害者当事者であり、さらに多くの障害者をエンパワメントし社会変革を起こしている一人である。エンパワメントされた障害者は、自分の置かれている立場に疑問を抱き、それを社会や政府に訴えていく力があるのである。この運動が一部の開発途上国にも広がりつつあり、開発援助団体も注目していかなければならないだろう。

3章 パキスタン・イスラム共和国の事例(北部地震後から現在)

1節 障害者を取り巻く現状と北部大地震

 パキスタン・イスラム共和国(以下パキスタン)の人口は1億5,817万人(2006/2007年)、面積は日本の約2倍、イスラム教を国教とする国であり、識字率は54パーセント(2005/2006年)である。パキスタンの障害者の割合はパキスタンの公式発表では2.48パーセント(精神障害者を除く)、WHOや世界銀行の推計では約10パーセント(1999年)となっている[55]。障害者を取り巻く現状は厳しく、社会福祉サービスはほとんど整備されていない。障害者を支援する法律としては障害者の雇用を促進する障害者法[56]と貧困層へ税を分配するザカート税[57]が存在するのみである。公務員採用においても障害者法により、障害者が雇用の機会を得られることになっているのは事実であるが、受付や雑用に回されることが多く、政策などの立案に障害者が参加できる機会はほとんど無いという[58]。2006年に国連で採択された障害者の権利条約には2008年8月に署名を行っており、今後批准へ向けた動きが期待されるとともに、権利条約に基づいた政府レベルでの障害者支援対策が本格化されるのかは今後注目していく必要がある。さらに、医療従事者も少なく(医師1人当たり1,754人1990‐99年、看護師または助産婦1人当たり3,125人92−95年[59])、医療・福祉サービスは都市部近辺に集中しており格差が見られる。このように国の障害者への取り組みは進んでいないが、都市によってはNGOが積極的に障害者支援に取り組んでいる姿が窺える。パキスタンにおけるNGO活動については、NGO途上国と言わざるを得ない状況であると指摘されている。つまり、政府が強権的であり、封権地主階層の影響力や最近のイスラム原理主義が力を伸ばしているため市民社会の領域が狭く、NGOの活動もオープンには行えず社会福祉や基礎教育などの分野に役割が限定されているという[60]。また、2005年以前は外国のNGOの支援も少なかった。実際には草の根レベルの組織が積極的に障害者支援に関わっている事実があるものの、資金や人的資源の制限により活動が困難となっている場合もある。さらに、パキスタン社会において、障害者は経済的に家族の負担となっていることも多く、家族の恥とされ隠されていることも多い。また、パキスタンでは階級の影響もあり近親結婚が障害の原因となっていることも考えられる。このような障害者を取り巻く現状、政府の対策、およびNGOの現状を考慮するとパキスタンの障害者支援は困難な状況にあると認識される。
 2005年10月8日、首都イスラマバードから北東へ約90キロのムザファラバード近郊で発生した地震によりパキスタンでは死者73,338人、怪我69,412人、家を失った人約280万人(推定)という被害[61]を出した。パキスタンの人々を援助するために、国際機関、国際NGO、各国の軍隊、市民など世界中から支援の手が差し伸べられた。この地震以前からパキスタンで障害者支援をしていた団体も多少あるが、この地震により障害を負った人々が増え、パキスタンにおける障害者支援に注目が集まったのは自然な流れである。ここで、地震以前から、または地震後からパキスタンで障害者支援を行なっている組織を3つ選択した。それら組織とは、国際協力機構(Japan International Cooperation Agency 以下JICA)、フランスに本部を置く障害者支援が中心の国際NGOであるHandicap International(以下HI)、そしてパキスタン人によって結成された障害当事者組織であるMilestoneである。この3つの組織の目的は障害者の生活・権利の向上であり、各々が様々な障害者支援を展開している。さらに、JICAは日本政府、HIはパキスタンから見て外国の国際NGO、Milestoneはパキスタンの草の根レベルから発展したローカル組織であり、組織形態が異なっている。これらの団体の活動については、彼らのホームページや文献・専攻研究、各組織の代表者へのインタビューを通じて情報を収集した。この情報をもとに各団体の活動を分析し、今後の開発における障害者支援のあり方を考察する。

2節 各組織の障害者への取り組み

(1) 国際協力機構(JICA)

 JICAによるパキスタンに対する障害者支援は青年海外協力隊による支援が大部分を占めている。パキスタンへの青年海外協力隊事業は1995年に開始され、とりわけ理学療法士、作業療法士、養護などリハビリテーション分野での隊員や障害児の職業訓練のための隊員が多く活動している。また、2005年には障害者支援の短期専門家が2名派遣されている。パキスタンでのJICAによる障害者支援は、専門職による技術支援を通した障害者の生活向上になっており、医療・福祉リハビリテーションがほとんどである。地震後、JICAは2006年2月末から5カ月間、地震で脊髄損傷患者となった人々の支援を目的としてイスラマバードにある国立障害者総合病院(NIHd:National Institute for Handicap)を拠点として活動するチームを派遣した。チームは作業療法士3名、理学療法士1名、コーディネーター1名で構成され、すべてのメンバーがかつて青年海外協力隊員(または現隊員)としてパキスタンに派遣されており、現地語を話し、パキスタンの事情に精通している人達であった。チームの活動の主な目的は@ニーズに根ざした支援、A退院後の生活を考慮したリハビリテーション、B笑顔あふれる(Joyful)練習、経験であり、活動内容としては@買い物、料理、身の回り動作(トイレ、食事、更衣動作など)、介護方法など、A他の組織との連携、B情報の発信が行われた。これらの活動には現地のスタッフや家族を必ず包含することで、支援終了後も継続的なエンパワメントが行われるよう配慮された。活動の最終的な目的は、利用者の自立生活につなげることであった。ここで、コーディネーターをしていた現JICA専門家の池田氏はインタビューにて、これらの活動の効果として障害を持った人も外出するようになった、自分に自信が持てるようになったことをあげているが、短期間の活動であったこともあり、緊急支援の域を超えられなかったと述べている。JICAでは障害分野での協力隊派遣や短期専門家の実績とともに、パキスタン政府からも技術協力プロジェクトの要請書が提出され、2008年12月からは障害者支援の長期専門家が初めてパキスタンに派遣されることとなっている。このプロジェクトでは権利アプローチとしての障害者対策が期待されており、現在の開発における障害へのアプローチの潮流に応じている。既存の協力隊事業による技術支援と新たな取り組みである権利アプローチとの融合、そして障害者のみならずパキスタンの人々が障害者の権利を理解していくような効果が期待される。

(2) Handicap International

 HIの支援は地震が起こった直後から理学療法士とコーディネーターが即座に現地入りし、現状を調査、同時に地震により怪我や障害を負った人々を対象に医療リハビリテーションを提供する緊急支援が始まった。当初の活動を要約すると@地震で怪我を負った被災者やその家族、現地の医療スタッフに医療リハビリテーションや介護法を指導する、A義足や車椅子などの歩行補助具や自助具を管理、配布すること、B他の医療組織への照会、他の機関との連携、C被災地における義足装具センター、リハビリテーションセンターの設立・運営であった。現在HIはこれら緊急支援を終了、上記のプロジェクトは現地の団体にハンドオーバーし、被災地におけるCBRプロジェクトを運営するという新たな開発支援に移行している。イスラマバードに滞在しているCBRプロジェクトマネージャーによると、2008年8月の段階で、HIは4箇所の被災地にセンター(Resource and Information Center) を設立している。各センターにはコーディネーター、理学療法士、フィールドワーカーが配置され、現状のニーズ調査を開始し、他の組織との連携が進められている。この調査に基づき、プロジェクトは障害へのアウェアネス や障害者のサービスへのアクセス向上を目的にしたアクセシビリティ、CBR、インクルーシブな教育のトレーニングを中心に進められている。トレーニングを受けるのはローカルNGO、障害者団体、コミュニティリハビリテーションワーカー、学校、エンジニアなどであり、地域の非障害者へもサービスが提供されている。これらプロジェクトの期待される効果としては、@障害者支援におけるさらなる地域との協調、A障害に対するアウェアネス[62]、B障害者の生活改善などである。この中でIL運動についてのトレーニングはMilestoneに依頼された。

(3) Milestone

 Milestoneはシャフィーク氏が養護学校の同級生数名と自助団体を設立することにより始まったパキスタンの障害当事者団体である。さらに彼は2001年に日本で9ヶ月間自立生活についての研修(ダスキン・アジア・太平洋障害者リーダー育成事業[63])を受けた後、2002年にはパキスタンにライフ自立生活センターを設立しIL運動を推進しており、日本の障害当事者団体との交流も深い。Milestoneは、介助サービス、自立生活プログラム(外出プログラム、スポーツ大会、アウトリーチプログラムなど)、ピア・カウンセリング、車椅子の製作と修理、障害者の在宅訪問などの活動を展開している[64]。今回の地震の後も、即座に被災地に赴き、救援物資の供給や怪我人の搬送に加え、被災地に取り残された地震以前からの障害者のために移動ILセンターを立ち上げた。さらに、イスラマバードに集められた地震被害による脊髄損傷患者を中心に多くの障害者支援を行ってきた。それらの実績に加え、世界銀行のプロジェクトに応募し2006年には資金を提供され、提供された767,000ドルにより彼らは被災地に四箇所[65]のILセンターを設立した。世銀から資金を獲得できた背景には地震以前からMilestoneなどの障害者支援に興味を示していた世銀パキスタン事務所所長であるジョン・ウオール氏との関係がある。資金獲得後、さらに車椅子や杖などの歩行補助具や自助具の配布、介助の訓練、ピア・カウンセリングを提供した。各センターは、障害者によって運営されており、障害者本人や介助者に自立生活のトレーニングを行っている。さらに、Milestoneの活動を分析した中西は、他の国に比べてピア・カウンセリングに重きが置かれていることを指摘している。彼らの活動から実際に地域で自立生活を行っている障害者が出現し、さらには重度の障害者にも介助者が派遣されるようになっている。また、政府や企業をスポンサーにつけてイベントを開催し資金を集めたり、障害者が中心となってアクセシビリティのデモを行ったりと障害当事者から社会に向けた積極的な活動が窺える。このような活動からパキスタン政府は障害者の10年計画を策定するようになり、Milestoneによる政府への働きかけは現在も続いている。

3節 支援の提供者と受益者

 3団体共に、支援の受益者は障害者やその家族であり、サービス提供者についてみると、JICAとHIはリハビリテーション専門家が主にサービスを提供している。Milestoneに関しては介助サービスを除くと、介護指導やピア・カウンセリング、運営は障害当事者がすべて行っている。地震前後の経過を見ると、JICAは時間的な制約もあり、障害者に対する緊急支援から開発支援への速やかな移行が行なえなかったが、HIは医療的なリハビリテーションや物資の配布などの緊急支援から障害者の権利を擁護する開発援助へと移行している。Milestoneは地震後、海外からの資金を獲得し、パキスタン政府への働きかけが実現するなど地震以前までの活動をさらに展開させている。これら3つの組織の共通するゴールとしては、ただ医療モデルに従って障害者に何らかの治療や支援をするだけではなく、彼ら自身の生活や社会モデルに焦点を絞った活動が見受けられる。
 次に、サービスやトレーニングの受益者という観点から考察する。JICAとMilestoneは障害者と家族など障害者を取り巻く人々に対し、HIは障害者だけでなく学校、エンジニアなど地域の人々や組織へもサービスやトレーニングを提供している。HIはCBRプロジェクトを提供しておりCBRの理念である「地域を巻き込んでの障害者の生活向上」という点で障害者も含めた地域の人々へのトレーニング提供は妥当性があり、障害者問題を地域に組み込んでいくために有効であると考える。実際にこのような考えのもと多くの開発途上国でもこのようなCBRプロジェクトが展開されている。しかし、開発における障害者支援では、Milestoneが行っている障害者自身による障害者へのトレーニングが今以上に重要視されるべきだと考えている。つまり、HIは障害者支援の団体であるが、障害当事者のスタッフがおらずスタッフはすべて健常者である。さらに、専門家によるトレーニングが大部分を占めているため、社会モデルで批判されている専門家支配により障害者の依存を高め、障害者自身のエンパワメントを妨げるのではないかと考える。JICAにおいても、障害者支援で派遣される専門家やボランティアはすべて短期派遣であり、障害を持つ人材の長期派遣は2008年に初めて実現したという[66]。この現状からも、開発援助組織が障害者支援プロジェクトに障害当事者の積極的な参加を実践する配慮が無ければ、障害者のエンパワメントにはつながらないと考える。障害者自身が提供する障害者へのトレーニングは、理想のモデルとなるような障害者と接することで、自分達の存在は大きなものであると気づき、自身の能力を再認識する。そして、自分達で社会を変えていこうとエンパワメントされる時、非障害者が支配している社会のシステムを変えていく原動力となるのだと考える。さらに、Milestoneが世界銀行から資金獲得が出来た背景にはパキスタン事務所所長が以前から彼らの活動に興味を示しており、何らかのコンタクトを継続していたという背景がある。また、世界銀行では2002年に障害当事者でもあるジュディ・ヒューマン氏を障害担当の顧問に任命している。これらの結果、障害者支援が開発において重要視されるようになっている。さらに、かつてパキスタンでは1980年代の障害児を息子に持つハック大統領の在任中は障害者施策が次々に出されていたという。このように障害者支援が開発問題として日の目を見る過程には政治的な意味があることが窺える。健常者が優位を占める今の社会において社会的弱者といわれる障害者にも支援が向けられるには、社会で権力をもつ上層部に障害者自身が組み込まれる必要がある。つまり障害当事者がエンパワメントされ社会に声をあげていくことに加えて、国際機関や政策を策定する組織で活動できるようなポストに着くことが非常に重要である。

4節 貧困と教育

 開発途上国で障害者問題をさらに難しくしているのは貧困である。つまり同じ障害者であっても富裕層と貧困層では得られる支援が全く異なるのであり、開発途上国で障害に取り組む場合、貧困の考慮が不可欠であると言われている。実際に、パキスタンでは貧富の差が大きく、障害者でなくても、貧困家庭では、親も十分な教育を受けておらず、これは次世代にも受け継がれていることが多い。障害者の教育について言及すると、経済的な問題が無く、学ぶ意欲があったとしても、通学の際のアクセスや学校で介護が必要であるとの問題から、教育の機会を失っているものが多い。これが、貧困家庭の障害者となると、これらの問題に経済的な理由や教育の必要性の理解低下が加わり彼らには教育の機会が全く失われるのである。パキスタンの貧困地区で障害者の訪問調査を行うと教育を受けたくても受けられない、教育をほとんど受けていない障害児や障害者が多くみられた。また、日常生活もままならないのに教育は必要なのかとの疑問も多く聞かれた[67]。これら教育を受けていない障害者とMilestoneのメンバーを教育という観点を含め考察する。障害者への教育に関して中西は[68]「教育の機会がなかった障害者の権利意識は弱く、専門家や家族の支配下で生活することを当然のことと考えている。」と述べている。言い換えれば、「教育によって意識を変えられ、自己の存在を肯定し、尊厳を持つようになる」という。これらからも障害者が自分達の権利を擁護していく、またはエンパワメントされる要因には教育が不可欠であることが窺える。さらに、中西は途上国モデルのIL運動を成功させる条件として@教育・権利意識の向上、A障害者の自助団体の存在、および、B権利擁護活動の実施を挙げており、彼らの活動にはすでにすべての条件が備わっている。Milestoneの中心人物であるシャフィーク氏はカレッジまでの教育を受けており[69]、マネージメント能力、各国際機関との交渉などの英語能力が高いことに加え、養護学校で生活を送っていた際に権利意識が育っていた事が窺える。識字率の低いパキスタン[70]において障害者[71]が高等教育を受ける機会を得られたという事実や実際に彼らに会い生活状況を聞いた事より、彼らは貧困層では無いと考えられる。一方、貧困地区で話をした教育を受けていない障害者は家族も含め援助組織に対して「何かしてくれるのか、何をもらえるのか」という受身的な態度が見受けられた。また、貧困層の障害者は外部からの情報収集能力が低く、たとえなんらかの障害者支援プログラムがあったとしても参加する機会を逃してしまっていると考える。そこでMilestoneで2007年7月から半年間活動をしていた元青年協力隊員の林氏に貧困層とMilestoneの活動についてインタビューを行った。
 
 林氏からの返答は以下である。

 「プロジェクトには貧困層の参加が少ない、何故なら彼らは自立支援センターに通うお金を持っておらず、センターに通えるのは歩行が可能な障害者でバスなどの安い公共機関が利用できる人が多い。重度の障害者や車椅子利用者であっても富裕層であれば高価なタクシーにお金を払いセンターに出向くことができる。」

 この報告と教育と貧困の関連性からも、障害者支援を行う際は、貧困層の障害者や重度障害者へのアプローチが不可欠であると考える。そこで、現在も活動を続けているHIとMilestoneへの質問として貧困層への取り組みを重視しているかどうか訊ねた。

 HIからの返答は以下である。

 「HIが活動を行なっている地域はパキスタンで最も貧しい地区であり、たとえ遠隔地であってもすべての障害者の調査が行なえるよう努力している。」

 Milestoneからの返答は以下である。

 「Milestone自体のメンバーは貧しい障害者であり、現状のシステムを変えるために苦労している。海外からの輸入品は高価であるので国内で生産できるようにしている。また、パキスタン政府からの援助も非常に限られている。しかし、将来はこれらの障害者を取り巻く現状がよくなるだろう。貧困層への具体的な取り組みの一つとして、介護者を派遣するサービスにおいて裕福な障害者からはお金をもらい、貧困の障害者には無料でサービスを提供している。」

 双方から得られた回答を比較すると、HIでは、プロジェクトとしては貧困を考慮しているが、それが貧困層の障害者にどのようにフィードバックされていくのかという所まで考慮されていない。また、外部からの開発援助という形から抜けられておらず、当事者の主体性の問題からはやや離れている印象を受ける。一方、シャフィーク氏の返答からは、開発における当事者のエンパワメントが達成されていることが窺える。つまり、海外の援助に頼りすぎず自分達で何とか問題を解決し、社会を変えようという強い意志や前向きな態度、そして、それに基づく積極的な活動が見られる。さらに彼らは他の障害者をもエンパワメントしようとしている。また、貧困層への無料サービスの提供により貧困層はサービスを受けることが可能となり、貧困層の障害者に焦点を絞った積極的な取り組みであると考える。しかし、貧困層や重度の障害者は、外出の困難さや、字が読めないことによる情報へのアクセスが制限されており、MilestoneやHIが行う障害者支援プログラムに参加するきっかけは誰がどのように提供していくのか疑問が残る。今後、開発において障害者支援が行われる際には、これらの人々をどのようにプロジェクトに組み込むかの具体的な検討がなされるべきである。社会において貧困層と障害者は底辺に追いやられている人たちである。障害者当事者による活動は、底辺にいる人達が、同じ境遇にある横のつながりを重視・強化していくことで、エンパワメントの輪を広げていると考える。そして起こったエンパワメントは力となり階級の上に位置する人々や政府、そして社会を変えていく原動力になっている。

5節 開発における政府と市民社会

 地震後から現在に至るMilestoneの成功の理由としては、長年にわたる日本の障害当事者団体との連携、特に人的資源への教育、その後の地震を契機にした世界銀行からの資金援助が挙げられる。ここで注目したいのは彼らの障害者支援活動にパキスタン政府の積極的な関わりがあまり見られていないことである。現在ではMilestoneなどの実績から政府による障害者へ向けた支援が始まりつつあり、JICAの長期専門家派遣もその一例である。開発援助の世界では、政府や国際機関からプロジェクトを進めるトップダウン式とNGOや草の根レベルからプロジェクトを進めるボトムアップ式が連携していくことが開発プロジェクトの成功の鍵だと言われている。この論に批判は無く、政策による継続した資金の確保や法律の拘束力は開発現場において不可欠なものである。しかし、Milestoneの例から、開発における障害者支援にはボトムアップ式、つまり社会的弱者を含めた市民社会が力をつけ、彼らから発信する社会変革が非常に重要であると考える。
 いくつかの開発途上国の現状は、政府自体が十分機能しておらず、限られた国家予算を障害者政策に使用しようとする政府は少ない。さらに、開発途上国における政府の役人はその国のごく一部のエリートであり、社会の底辺にいる人々の生活に対する実感が無く、汚職が蔓延っているのも事実である。開発途上国では経済体制が十分整備されていないばかりでなく、政治の不安定さもたびたび指摘されている。マイケル・エドワーズは、「外国からの多額の援助を背景に、短期的な成果をあげるのはそう難しいことではない。しかし、政治体制が脆弱かつ経済状況が不安定で、プロジェクト実施能力も貧しい中、その短期的な成果を持続させることは非常に難しいのだ」と、開発途上国政府のプロジェクトの持続性について述べている[72]。さらに、障害者問題においても、政策で障害者の権利を擁護したとしても、予算や人的な能力の問題などから、実際にプロジェクトの立案・運営を遂行できず、政策が機能していないという状況も見られる。かつて、パキスタンで仕事をした際、政府の障害者省と現地の障害当事者組織との話し合いに参加したが、政府役人はすべてその国のエリートでかつ健常者であり、障害者の生活に対する実感が全く無く、自分達の権利を要求していこうとしている障害者の話を聞くというよりもむしろ煙たがる態度が見られた。はたして、開発途上国の政府は障害者支援を進める中心的なアクターとなりうるのだろうか。逆に、障害当事者であるMilestoneが行なうパキスタンのIL運動では、実際に運動を進めている日本の障害当事者団体がパキスタン障害者にIL運動についての研修を提供し、彼らがこれらの活動をパキスタンに持ち帰り展開するというボトムアップの活動が根付いてきている。ボトムアップの弱点として経済面で持続性に問題があることや、ボトムアップを起こしていく人々の能力が高いレベルでないと達成されないことなどが挙げられる。しかし、これらの弱点をカバーしていくものとして援助機構、国際NGO、障害者団体などの横のつながりが重視されてくる。実際に日本の当事者団体が資金援助だけでなくMilestoneの人的資源の教育を重視し[73]、長年にわたり支援してきたことでMilestoneは力をつけた。日本の当事者団体の力は多大な影響を与えている。そしてMilestoneが世界銀行と連絡を取り続けてきたことが世界銀行からの資金を獲得できた所以であろう[74]。Milestoneを支援してきた日本の障害者団体の歴史を見ても、障害者から始まった権利擁護運動はやがて社会で大きな存在となり、政府の障害者支援政策に影響を及ぼし、障害者を取り巻く環境が変化したという歴史があり、ボトムアップによる活動からは持続性と社会を変革する強い力を感じる。さらに、エドワーズは「経済・社会・政治の構造を変え、貧しい人々たちが市場活動やガバナンスに参加でき、平和で安定した環境を作り出すことが必要だ。社会システム上の不公平、権力と搾取の鎖を断ち切るために、虐げられた人々が強固に団結することが大切である」[75]とし、入江によるとグローバル化した現代社会を考える中で、「グローバル共同体においては、均一性と異質性という両面が世界の人々の福祉に資するものとなる。そのような課題を国家に託すことは、国家が有する政治性や国益の点から困難であろう。他方、国際組織はその理念、使命感、ボランティア活動だけを強みに闘ってきたので、差異を克服できる」としている[76]。政府の役割もさることながら、政府にも限界がある。これらの論や、パキスタン障害者支援の取り組みの例より、政府と民間の縦断されたつながりも重要であるが、グローバル化された現代社会では、地域や国境を超えた同じ境遇にある人々の横断的なつながりの促進、そして市民社会が力をつけることが社会を変革する力になるのではないかと考える。
 また、障害者支援において専門家による支配をトップダウン、障害当事者がエンパワメントされていく過程をボトムアップととらえるとここでも開発における「依存」が発生するだろう。つまり、外部や政府が行う援助は、たびたび援助の受益者を依存的にしてしまう。同じように、専門家による支配は障害者の依存を高めてしまい、障害者自身が社会を変革していく力にはなってはいない。さらに、開発における障害者支援では、開発を行う先進国の人間と受益者となる開発途上国の人間、支援をされる障害者と支援する非障害者(専門家)という2面性が出てきてしまう。つまり、障害者支援の歴史からも、先進国の人間でかつ非障害者(専門家)が開発において障害者支援を行ってきたことが、逆に開発途上国の障害者を依存的にしてしまっているのではないかと感じる。先進国と開発途上国の市民社会の構成員の中で優劣を付けず、お互いを補っていけるような関わり方が開発において必要とされるのであろう。政府が十分に機能していない国々が存在し、グローバル化した現代の開発援助では、国を超えた同じ境遇にある人達の連携がさらに促進されるべきであろう。

終わりに

 社会開発における障害者問題は「慈善問題」として取り組まれてきたという歴史的背景から未だにその概念は継続され、開発途上国の障害者のエンパワメントを妨げているのは明らかである。これら「慈善」をもとにした支援では障害者はサービスの受給者として捉え彼らを受身にしてしまっており、彼らの生活を改善するような社会変革には至っていない場合が多い。さらに、開発を行う者が、先進国の人間でかつ健常な専門家であるという時点で、開発途上国の障害者の依存をさらに強めてしまっている。このような現状からも、開発における障害者支援では「慈善問題」から「権利アプローチ」へと方向を転換しているが、実践的な活動や評価の蓄積はこれからである。しかし、パキスタンにおける障害者支援の事例からは、外国の支援に頼りすぎず、自分たちで行動を起こし、社会を変革している障害当事者の活動が観察できた。彼らの活動により、パキスタン政府は障害者対策を変化させている。このように、社会的に弱者と言われる人々が自分たちの権利が侵されていると認識し、何らかの行動を社会に示すことで、社会は変わっていくのである。いったんエンパワメントされた人々は、障害者のみならず、他の人々をもエンパワメントしていく強さがある。開発援助に関わる私たちは、常にエンパワメントという概念に基づき支援を行っていく必要がある。人々のエンパワメントを促進するには、同じ境遇にいる人々が連携する横断的なつながりが重要であり、開発は外部から与えるものであるという固定観念を捨て、援助される人々の能力を引き出し、向上するような支援が望まれる。開発途上国を含めすべての人々が自分の生き方を「選択」していけるような社会になるには多くの課題がある。しかし、少しでもそのような理想の社会に近づけるよう行動し続けることで、社会は少しずつ変わっていくのだと考える。楽観的な意見ではあるが、エンパワメントされた障害当事者であり、社会変革を行ってきた人々と接することで学び得たことである。

引用・参考文献
<書籍>
アマルティア・セン著、池本幸生・野上裕生・佐藤仁訳『不平等の再検討 潜在能力と自由』岩波書店(2000)
アマルティア・セン著、東郷えりか訳『人間の安全保障』集英社新書(2006)
石川准・長瀬修編『障害学への招待』明石書店(1999)
石川准・長瀬修編『障害学の主張』明石書店(2002)
入江昭著、篠原初枝訳『グローバルコミュニティ』早稲田大学出版部(2006)
萩原康生編『アジアの社会福祉』中央法規出版会社(1995)
萩原康生著『国際社会開発;グローバリゼーションと社会福祉問題』明石書店(2001)
恩田守雄著『開発社会学;理論と実践』ミネルヴァ書房(2001)
勝俣誠編著『グローバル化と人間の安全保障 行動する市民社会』日本経済評論社(2007)
川本隆史著『ロールズ;正義の原理』講談社(1997)
久野研二・中西由紀子著『リハビリテーション国際協力入門』三輪書店(2004)
コリン・バーンズ他著、杉野昭博他訳『ディスアビリティ・スタディーズ イギリス障害学概論』、明石書店(2004)
佐藤誠編『社会開発論−南北共生のパラダイム』有信堂高文社(2001)
ジェームス・チャールトン著、岡部忠信監訳『私たちぬきで私達のことは何も決めるな;障害を持つ人に対する抑圧とエンパワメント』明石書店(2003)
ジェームス・ミッジリィ著、萩原康夫訳『社会開発の福祉学』旬報社(2003)
ジョン・フリードマン著、斉藤千宏・雨森孝悦監訳『市民・政府・NGO「力の剥奪」からエンパワーメントへ』新評論(1995)
杉野昭博著『障害学 理論形成と射程』東京大学出版会(2007)
全国自立生活センター編集『自立生活運動と障害文化 当事者からの福祉論』現代書館(2001)
谷口明広著『障害をもつ人たちの自立生活とケアマネジメント IL概念とエンパワメントの視点から』ミネルヴァ書房(2005)
特定非営利活動法人DPI日本会議2002年第6回DPI世界会議札幌大会組織委員会編集『世界の障害者われら自身の声 第6回DPI世界会議札幌大会報告集』現代書館(2003)
中西由起子・久野研二著『障害者の社会開発;CBRの概念とアジアを中心とした実践』明石書店(1997)
西川潤著『社会開発;経済成長から人間中心型発展へ』有斐閣(1997)
日本福祉大学COE推進委員会編『福祉社会開発学の構築』ミネルヴァ書房(2005)
ピーター・コリッジ著、中西由紀子訳『アジア・アフリカの障害者とエンパワメント』明石書店(1993)
マイケル・トダロ、ステファン・スミス著、岡田靖夫監訳『トダロとスミスの開発経済学』国際協力出版社(2004)
マイケル・オリバー著、三島亜紀子他訳『障害の政治;イギリス障害学の原点』明石書店(2006)
マイケル・エドワーズ著、杉原ひろみ他訳『フューチャーポジティブ;開発援助の大転換』日本評論社(2006)
マルコム・ピート著、田口順子監修、JANNET訳『CBR 地域に根ざしたリハビリテーション』明石書店(2008)
森壮也編『障害と開発』アジア経済研究所(2008)
若松良樹著『センの正義論 効用と権利の間で』勁草書房(2003)
<論文・報告書>
越智薫著、日本の技術協力における障害者のメインストリーミング、アジ研ワールドトレンドNo.153(2008.)
久野研二著「CBRの可能性と限界」アジ研ワールド・トレンドNo135 (2006)
中野善達編「国際連合と障害者問題−重要関連決議・文書集−障害者に関する統計」DINF 報告書(1997)
中西由起子著「自立生活運動発展の可能性に関する考察」アジ研ワールド・トレンドNo135 (2006)
中西由起子著「パキスタンの自立生活運動」(2007.)アジアの障害者UTR http://www.asiadisability.com/~yuki/
長瀬修著「人間の安全保障と障害者:障害学の視点から 第1章 人間の安全保障を踏まえた障害分野の取り組み
国際協力の現状と課題」 (2006) P11-12 
外務省UTR http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/shien/05_shogai_hb/index.html
長田こずえ著「障害者の権利条約の第32条のフォローアップ」アジ研ワールドトレンドNo.153 (2008)

引用・参考UTR

アジア経済研究所 障害
 http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Theme/Soc/Disability/index.html
アジアの障害 研究・調査報告パキスタン 
 http://www.asiadisability.com/~yuki/
外務省 ODA 人間の安全保障を踏まえた障害分野の取り組み 
国際協力の現状と課題
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/shien/05_shoga
国際協力機構(JICA)
 『課題別指針障害者支援(2003)』
 http://www.jica.go.jp/global/disability/report/word/001.doc
 『国別障害関連情報パキスタン』
 http://www.jica.go.jp/activities/issues/social_sec/pdf/pak_jap.pdf
ダスキンアジア太平洋障害者リーダー育成事業
 http://www.normanet.ne.jp/~duskin/ 
DFID; Department for International Development(イギリス国際開発庁)
 Disability, Poverty and Development
 http://www.dfid.gov.uk/pubs/files/disability.pdf
DINF障害保健福祉研究情報システム 
 国際障害者シンポジウム
 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/cpnf/070915_seminar/discussion.html
 国連障害者の権利条約
 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/rights/right.html
 国際連合と障害者問題−重要関連決議・文書集−障害者に関する統計
  http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/intl/un/unpwd/po92po97.html
 びわこミレニアム・フレームワーク
 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/glossary/BMF.html
Handicap International 
 http://www.handicap-international.org.uk/
MAJIPA パキスタンにおける震災復興支援
 http://www.geocities.jp/noor_khan_jp/
MakingPRSPInclusive,2006 
 http://www.making-prsp-inclusive.org/en/download.html
Milestone 
 http://www.milestonepk.com/activities.php
United Nations Enable 
 http://un.org/disability
World Bank Disability 
 Disability And Justice, 2004, Amartya Sen, speech at World Bank conference
 http://web.worldbank .org/disability

____________________________

[1[ 20世紀のアメリカを代表する政治哲学者、道徳哲学者で、1971年に刊行した『正義論』が大きな反響を呼び、厚生経済学においてロールズ基準と冠した概念を生み出した。
[2] 野崎泰伸作成 立命館大学応用人間科学研究科 障害学研究Hレジメ 第14,15回「正義論をめぐって」2008年7月
[3] 同上
[4] 同上
[5] アマルティア・セン著、東郷えりか訳『人間の安全保障』集英社新書(2006)P.40
[6] 人間の安全保障は安全保障の課題として環境破壊、人権侵害、難民、貧困などの人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、これらに対する取り組みを強化しようとする従来とは異なる安全保障の概念であり、1994年に 国連開発計画(UNDP)が『人間開発報告』で初めて打ち出した。
[7] 長瀬修著「人間の安全保障と障害者:障害学の視点から」第1章 人間の安全保障を踏まえた障害分野の取り組み:国際協の現状と課題 (2006) P.11-12 
外務省UTR http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/shien/05_shogai_hb/index.html
[8]  久野研二・中西由起子著、『リハビリテーション国際協力入門』三輪書店(2004)P.71より抜粋
[9]  この論文におけるリハビリテーションとは医療・福祉・職業リハビリテーションという狭義の意味である。
[10] 久野研二・中西由起子著、『リハビリテーション国際協力入門』三輪書店(2004)P.70-71
[11] 石川准・長瀬修編、『障害学の主張』明石書店(2002)P.20
[12] 久野研二・中西由起子著、『リハビリテーション国際協力入門』三輪書店 (2004) P.74-75
[13] 同上 P.72
[14] 久野研二・中西由起子著、『リハビリテーション国際協力入門』三輪書店(2004)P.74より抜粋
[15] 石川准・長瀬修編、『障害学への招待』明石書店(1999)P.11-12
[16] 同上
[17] 同上
[18] ここでの無力化とは、権利が奪われている、つまり社会において力が無いこと。具体的には教育・就労・政治において社会
の一員として参加が十分出来ておらず、それを権利の侵害だと声を上げていないことであると解釈している。
[19] マイケル・オリバー著、三島亜紀子他訳、『障害の政治;イギリス障害学の原点』明石書店(2006) 第3,4章
[20] ジェームス・チャールトン著、岡部忠信監訳『私たちぬきで私達のことは何も決めるな;障害を持つ人に対する抑圧とエンパワメント』明石書店(2003)P.81-85
[21] 佐藤誠編『社会開発論−南北共生のパラダイム』有信堂高文社(2001)P.2,16
[22] ジェームス・ミッジリィ著、萩原康夫訳『社会開発の福祉学』旬報社(2003)P.37
[23] 石川准・長瀬修編『障害学の主張』明石書店(2002)P.17-18
[24] マイケル・オリバー著、三島亜紀子他訳『障害の政治;イギリス障害学の原点』明石書店(2006)P.62
[25] ジェームス・ミッジリィ著、萩原康夫訳『社会開発の福祉学』旬報社(2003)P.29-30
[26] ピーター・コリッジ著、中西由起子訳『アジア・アフリカの障害者とエンパワメント』明石書店(1999)P.14
[27] 西川潤著『社会開発;経済成長から人間中心型発展へ』有斐閣(1997)P.193
[28] 2015年までに達成すべき8つの目標として@極度の貧困と飢餓の撲滅A初等教育の完全普及Bジェンダーの平等と女性のエンパワメントC子供の死亡率削減D妊産婦の健康の改善EHIV/エイズ、マラリア等の疾病の蔓延防止F環境的な持続可能性の確保Gグローバルな開発パートナーシップの構築を挙げている。
[29] DINF UTR http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/glossary/BMF.html 参照
[30] 長田こずえ著「障害者の権利条約の第32条のフォローアップ」アジ研ワールドトレンドNo.153 (2008)
[31] 元米国教育特殊教育・リハビリテーションサービス局次官で、彼女自身もポリオによる障害当事者である。アメリカはもとより世界の障害者運動の中心的人物である。
[32] Disability, Poverty and Development  http://www.dfid.gov.uk/pubs/files/disability.pdf を参照
[33] 越智薫著「日本の技術協力における障害者のメインストリーミング」アジ研ワールドトレンドNo.153(2008.)
[34] United Nations Enable http://un.org/disability を参照
[35] 長田こずえ著「障害者の権利条約の第32条のフォローアップ」アジ研ワールドトレンドNo.153(2008)
[36] 同上
[37]久野研二・中西由起子著『リハビリテーション国際協力入門』三輪書店(2004)P.40
[38]中野善達編「国際連合と障害者問題−重要関連決議・文書集−障害者に関する統計」(1997)
  DINF UTR http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/intl/un/unpwd/po92po97.html
[39]勝俣誠編著『グローバル化と人間の安全保障 行動する市民社会』日本経済評論社(2007)P.3-5
[40]マイケル・トダロ、ステファン・スミス著、岡田靖夫監訳『トダロとスミスの開発経済学』国際協力出版社(2004)P.243
[41]世界銀行が2000年に発行した報告書であり、貧困の原因とその影響について過去十年間に行われた世界60カ国6万人以上を対象とする聞き取り調査をまとめたものである。
[42]ジョン・フリードマン著、斉藤千宏・雨森孝悦監訳『市民・政府・NGO「力の剥奪」からエンパワーメントへ』
新評論(1995)P.12
[43]久野研二・中西由起子著『リハビリテーション国際協力入門』三輪書店(2004)P.83-91
[44]Making PRSP Inclusive,2006, Handicap Internationalを参照
[45]World BankとIMFにより1999年に提案された。ある国が貧困削減戦略を策定し、WBやIMFに申請、受理されると貸し付けや補助金を受ける事ができる。現在70ヶ国が使用している。
[46]1982年タイの難民キャンプに切断患者を治療する義肢装具センターを設立し開始されたフランスを本部とする国際NGOである。その後、医学的なリハビリテーションのみならず、障害者の生活や権利向上のためのプロジェクトを途上国で展開している。地雷撤廃条約に貢献したことによるノーベル平和賞の共同受賞者である(1997年)。
[47]中西由起子・久野研二著『障害者の社会開発;CBRの概念とアジアを中心とした実践』明石書(1997)P.23
[48]同上
[49]久野研二著「CBRの可能性と限界」アジ研ワールド・トレンドNo135 (2006.12)
[50]中西由起子・久野研二著『障害者の社会開発;CBRの概念とアジアを中心とした実践』明石書店(1997)
[51]中西由起子著「自立生活運動発展の可能性に関する考察」アジ研ワールド・トレンドNo135 (2006.)
[52]心理学において、人と人との間がなごやかな心の通い合った状態であること。親密な信頼関係にあることをいう。
[53]谷口明広著『障害を持つ人たちの自立生活とケアマネジメント』ミネルヴァ書房(2005)P.203
[54]中西由起子著「自立生活運動発展の可能性に関する考察」アジ研ワールド・トレンドNo135 (2006.12)
[55]『国別障害関連情報パキスタン』http://www.jica.go.jp/activities/issues/social_sec/pdf/pak_jap.pdf
[56]公共・民間セクターにおいて障害者雇用枠を2パーセントとする。
[57]イスラム教の五行のひとつである富裕層から貧困層にお金を恵むという義務的な喜捨に基づく税。
[58]土佐光章氏UTR http://www.ktc-johnny.com/pakspstcs.html 参照
[59]『国別障害関連情報パキスタン』 http://www.jica.go.jp/activities/issues/social_sec/pdf/pak_jap.pdf 参照
[60]勝俣誠編著『グローバル化と人間の安全保障 行動する市民社会』日本経済評論社)(2007)P.289
[61]JVC UTR http://www.ngo-jvc.net/jp/projects/pakistan/index.html 参照
[62]アウェアネスとは一般に知ること、認識することされているが、ここでは、もう少し深い意味があると考え、そのまま使用した。つまり、人々の障害への理解、障害についての気付きが促進され、そして自分たちの住むコミュニティにそれらをフィードバックするような行動が含まれるのではないかと考える。
[63]「国連・アジア太平洋の10年(1993−2002)」事業推進の一環として、アジア・太平洋州の各国で地域社会のリーダーを志す障害を持つ若い世代を対象に、平成11年度より実施されている研修。研修期間は約一年であり、日本の福祉の現状を学ぶ。現在研修生は60名を超えた。
[64]中西由起子著「パキスタンの自立生活運動」(2007.9)アジアの障害者UTRhttp://www.asiadisability.com/~yuki/ 
[65]マンセラ、ベシャーム、バーグ 、ムザッファラバードの四ヶ所である。
[66]2008年1月全盲のマッサージ師がシニアボランティアとして長期でマレーシアに派遣された。
[67]磯部2005パキスタンでの調査にて。
[68]森壮也編『障害と開発』アジア経済研究所(2008)P.235
[69]他のメンバーも10年間養護学校で過ごしている。
[70]パキスタンの識字率は54.0パーセント(2005/2006)、中等教育の純就学率は全体で65パーセント(男87パーセント、女42パーセント)。高等教育の総就学率は全体で10.3パーセント(男女に差なし)である(1996-1997)。
[71]長田によると障害者の識字率は一割以下と言われている。
[72]マイケル・エドワーズ著、杉原ひろみ他訳、『フューチャーポジティブ;開発援助の大転換』日本評論社(2006)P.101
[73]Milestoneの活動を分析した中西氏は他の国に比べてピア・カウンセリングに重きが置かれていることを指摘しており、障害者が力をつけるには人的資源への教育が重要であることが伺える。
[74]DINFパネルディスカッション「途上国の障害分野における人材育成の必要性と効果、及び援助機関の関わり方」(2007)DINF UTR http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/cpnf/070915_seminar/discussion.html 参照
[75[マイケル・エドワーズ著、杉原ひろみ他訳『フューチャーポジティブ;開発援助の大転換』日本評論社(2006)P.90
[78]入江昭著、篠原初枝訳『グローバルコミュニティ』早稲田大学出版部(2006)P.220