「アジア太平洋障害者の十年」とネパールの障害者福祉サービス

平成16年度卒業研究論文


茨城大学教育学部学校教育教員養成課程養護学校教育コース
菊田寛子



目    次

序章
1節 研究フィールドであるネパールとの関わり
2節 研究の所在と目的
3節 研究の方法
4節 ネパールの概要
1項 自然
2項 政治
3項 経済
4項 社会
5項 ネパールの学校教育

1章 障害者を取り巻く世界的動向
1節 国連の「国際障害者年」からの経緯
1項 「国際障害者年」と行動計画
2項 「障害者に関する世界行動計画」

2章 アジア太平洋地域における障害者運動
1節 アジア太平洋経済社会委員会:ESCAP
2節 ESCAP「アジア太平洋障害者の十年(1993~2002年)」
3節 「アジア太平洋障害者の十年を行動課題に実行するための目標」とその成果報告
1項 目標項目の詳細
2項 12の行動課題:「107の目標」についての成果報告例

3章 UNICEFネパールによる“A Situation Analysis of Disability in Nepal(1999〜2001年)”
1節 目的
2節 障害の定義と分類
3節 調査方法
   1項 調査地域の選出
   2項 調査方法
4節 調査側の準備と評価
   1項 フィールドスタッフとトレーニング
   2項 チームの構成と役割分担
5節 フィールドワーク
   1項 プリテストの実施と最終調整
   2項 フィールドワーク
6節 調査の質管理
7節 調査の限界
8節 調査結果の概要
   1項 回答状況
   2項 データ報告の概要
9節 考察

4章 現地でのフィールドワーク(2004)
1節 フィールドワークの概要
   1項 調査の目的
   2項 調査方法
   3項 調査の限界
2節 調査報告
3節 考察

終章 ネパールの現状と課題
1節 文献とフィールドから見る考察
   1項 国内調整
   2項 立法
   3項 情報
   4項 国民の啓発
   5項 アクセシビリティ−とコミュニケーション
   6項 教育
   7項 訓練と雇用
   8項 障害の予防と原因
   9項 リハビリテーション
   10項 福祉機器
   11項 自助団体
   12項 地域協力
2節 現状と今後の課題

参考資料「本文中におけるネパールの群名(district)表記一覧」
引用文献及び資料

序章

1節 研究のフィールドであるネパールとの関わり
 私は,高等学校在学中からボランティア活動に参加している。母校に活動の拠点を置いているネパール会では,医療関連分野に従事することを目指す学生の奨学金支援を,現地の私立学校と連携し実施してきた。現在では現地活動家の協力のもと,数校の幼児教室教師の雇用費支援や,一部の山村地域で病人の搬送時に要する交通費支援などその範囲を広げ,草の根的な活動を行っている。他方,高校生を現地へ連れて行くスタディーツアーが4年前から始まり,筆者も会の引率者としてネパール現地に行く機会に恵まれた。そしてネパール現地を知るうちに,大学で専門に学んでいた障害児教育についてこの世界の指標から見ても経済的に非常に貧しい国で障害をもつ人々はいったいどのような環境に置かれているのか興味をもったのである。

2節 研究の所在と目的
 
1981年の「国際障害者年」を発端に世界的に障害者諸問題改善についての論議が次々となされてきた。そうした流れの中で,世界の障害者の3分の2を抱えるとされるアジア太平洋地域では,障害者に対する配慮をより一層強め,世界全体の障害者の「完全参加と平等」のレベルアップを図るべく,「障害に関する世界行動計画」等の国際的な文書を基盤として「アジア太平洋障害者の十年(1993〜2002年)」がESCAP: Economic and Social Commission for Asia and the Pacific総会において採決される。その後もこの十年計画は継続して進められることが決まり,その行動内容に見直しと改訂が繰り返され,「新アジア太平洋障害者の十年(2003〜2012年)」として現在もなお施行している。
 確かに障害者問題に対する意識の高まりは確実に浸透してきている。しかし,発展途上国の中でも後発開発途上国に挙げられるネパールにおいて,これらの採択に掲げられている目標項目には要求水準が高いと思われるものもかなり多くあり,実際に他の途上国からもそうした報告がある。
そこでネパールにおける障害児を含む,障害者サービスの実態は世界的な動向と比較してどんな位置におり,何か独自色はあるのか明らかにしたいと考えた。

3節 研究の方法
 
比較に際しては, 「アジア太平洋障害者の十年の行動課題を実行するための目標」(通称「107の目標」)に注目し,これを地域レベルの水準点として用いネパールの現状と比べる。ネパールの状況を判断する資料として,十年から新たな十年へ移行する前にUNICEFの協力で実施されたネパールの全国障害者実態調査の調査結果である“A Situation Analysis of Disability in Nepal(2001年)”を主なデータとする。さらに筆者が2004年の春1ヶ月の間現地で観察した障害者福祉サービスの関連施設を紹介し,照準を末端へ移してゆく。
 この規模の異なる3者を比較検討することで,ネパールの障害者を取り巻く環境やその特徴を考察する。

4節 ネパールを取り巻く環境;ネパールの概要
ネパール王国(Kingdom of Nepal. 以下,ネパール)
首都 カトマンドゥ(27°49′N・85°21′E)
面積 14.7万I
人口 2321万人
(図表・地図省略)

1項 自然;地理と気候
 ネパールは,中国のチベット自治区とインドとの間に挟まれたヒマラヤ山脈の内陸国である。地理,気候ともに南部の平坦なタライ(タライ平原部:Terai)と中部の丘陵地(Hill),北部のヒマラヤ山岳地帯(Mountain)と,東西に走る帯状の大きく3つの地帯に分けられる。

タライ
 (亜)熱帯モンスーン気候で南部のインド国境沿いの低地をタライと呼ぶ。標高はおよそ60M〜280Mでネパールの穀倉としての機能を果たす農村地域である。かつては,ジャングルの広がる地域であったが,政府による移住奨励政策の後,開発が進み森林の伐採などで原初の森は1/3まで減少した。ロイヤル・チトワン国立公園もこの地域の中央部にあり,野生生物・森林の保護区になっている。
中部丘陵地帯
 温暖な丘陵地帯は標高約2000M〜4000Mの地域で国土の68%を占める。丘陵,低いヒマラヤ(サブ・ヒマラヤ)まで東西に走り,大ヒマラヤ山脈との間にはいくつかの盆地や平坦地があり,首都のあるカトマンドゥ盆地や首都に次ぐ規模を誇る地方都市ポカラもこの地帯に属する。
北部山岳地帯(ヒマラヤ)
 チベット高原(中国)からヒンドスタン平原(インド)に下る斜面に突き出た東西2500Mにも続くヒマラヤ山脈でも,ネパールの北部はこの山脈の中央部に位置し,標高は4000M〜8848Mまである。国土の15%にあたるこの地帯は亜寒帯高山性気候になり,サガルマータ(エベレスト,チョモランマ8848M),ダウラギリ(8167M),アンナプルナ(8091M)その他世界的に有名な7000〜8000M級のピークが連なり,8000M超の世界の14座(全てヒマラヤに属する)のうち8座がネパール国内にある。

2項 政治体制と現在のネパール
 18世紀半ばまで小さな諸王国が存在していたネパールでは,いくつもの衝突を経て1781年に多民族国家ネパールとして成立する。
その後,摂政政治,王政復古,議会制政治,一党独裁体制など様々な紆余曲折を経て,1990年民主主義国家となる。その中で,王権の大幅な制限,主権在民,複数政党制を定めた新憲法が施行され今日に至る。
 2001年の王宮事件はそれまで活動していた反政府運動組織マオイスト(毛沢東主義)の動きに変化を与え,暫定停戦や平和協議が幾度か行われるものの実質的には実ることなく,特に新しい国王の即位後は年々政府とマオイストの関係が悪化し不安定な情勢が続いている。

3項 経済
 国民1人あたりのGNP(国民総生産)は200US$(98年)であり,後発開発途上国(LLDC; Least among Less Developed Country)のひとつであるとされている。
 1956年から始まった第1次五ヶ年計画以降,政府は国内で極西部・中西部・西部・中部・東部の縦五つに分けた経済開発区を設け,経済の活性化に力をいれてきた。各開発国は,タライ・丘陵・山岳の3つの帯状地域を含んであり,それぞれの開発区内でバランスのとれた経済開発を目指している。しかし,観光を主産業とするネパールでは,西を中心に広く展開を続けるマオイスト(反政府運動組織)の活動とそれに伴う国内情勢の不安定さから,渡航者数は減少し続けており,経済の活性化といった兆しは未だに見られない。

4項 社会
多民族国家(民族・言語)

 様々な民族がそれぞれの言語を用いているネパールであるが,公用語はネパール語である。しかし,多言語と一言に述べてもその数や種類は特定しにくく,ネパールだけに見られるものから,インドやチベットでも共通に用いられているものなどもあり,様相は様々である。更に,少数は言語の中には公用語へ取り巻かれ,自分の言語への引け目,経済的使用頻度の優先などの理由から消滅してゆく言葉もある。いずれにしても,大まかにインド・ヨーロッパ語系とチベット・ビルマ語系に2分できる。
宗教
 前述のインド・ヨーロッパ語系の言語を話す人々は,主に西・南のタライや中部丘陵地帯に多く住み,宗教的にヒンズー信仰が多い。またこの社会にはカーストが存在する。
 一方で,チベット・ビルマ語系の諸民族の大部分は北・東でかつ高地・山地高部に居住し,自分たちの民俗信仰を強く保持する傾向がある。一部の民族を除いて,カースト社会よりも平等的な社会をもつ。
 ネパール全体としては,国教がヒンズー教であるだけに人口の86.5%がヒンズー教信者である。その他,仏教徒7.7%,イスラム教徒3.5%,ジャイナ教・キリスト教・その他は2.18%であるが,特に首都カトマンズ盆地内では「純粋な」ヒンズー教寺院などは少なく,同じ敷地内にヒンズー教と仏教の神が並んで立つなど,一種寛容な宗教観が存在する国である。
ネパールとカースト
 畠によると,ネパール社会には本来非ヒンズーでネパール語を母語としない民族がいるものの,歴史的な支配者による宗教・言語の影響を受けてきたという。その結果,ヒンズー(教)化・ネパール(語)化が進み,特に150年ほど前のラナ政権時代に制定された「ムルキ・アイン」と呼ばれる国家法典は今もネパールの社会構造に影響を及ぼしている。

図表3 旧ムルキ・アイン(1854年)に見られる社会構造
身分階層 カースト/エスニック・グループの例

浄カーストのグループ

不浄カーストのグループ

[第1階層]
タガタリ
(Tagadhari)
「聖紐を身に付けた者」または「2度誕生
するカースト」
バフン(ブラーマン)
インド・ブラーマン
チェトリ(クシャトリア)
デオバジュ(ネワールの司祭)☆
サンニャシー(苦行者)
[第2階層]
マトワリ
(Matwali)
「酒を飲む者」
カーストを失うことのないマトワリ
(Na-masinya Matwali)
ネワールの諸カースト☆
マガル★
グルン★
カーストを失いうるマトワリ
(Masinya Matwali)
[第3階層]
水を受け取ることは出来ないが,接触しても清める必要のないカースト
(不浄であるが可触のカースト)
(Pani na-chalne Chhoi chhito halnu na-parne jat)
ムスリム
ドビ(タライの洗濯屋)
カサイ(ネワールの屠殺業)☆
クスレ(ネワールの弔いの楽師)☆
ムレッチャ(ヨーロッパ人)
[第4階層]
水を受け取ることは出来なく,接触すれば聖水で清める必要のあるカースト
(不浄で不可触のカースト)
(Chhoi chhito halnu parne jat)
サルキー(皮なめし工)
カミ(鉄鍛冶)
ダマイ(仕立て屋,婚礼の楽師)
ガイネ(遊行の楽師)
チャメ(ネワールの掃除人)☆
(☆は,ネワールのカーストを表す。★は,エスニック・グループを示す。)

 カーストと聞くとつい想像するのはバラモン・クシャトリアなどのインドのものであるが,ネパールのものはそれとは必ずしも一致せず,本来カーストグループには属さないいくつかの民族(「エスニックグループ」)をその構造に組み込んでいることが大きな特徴である。現在は憲法の下に平等が定められているが,実際の生活の中では慣習として未だに根強くその跡が残っている。

資料4:カーストと民族グループ・言語・宗教による分類(ネパール)
主な分類 主なカースト/少数民族 語族 宗教

丘陵と山岳

パハディ
66.8%

少数民族
26.5%
マガール(7.2%) チベット・ビルマ語
20%

タマン語
4.5%

ネワール語
3.7%
仏教精霊信仰など
仏教(7.8%)
ネワール(5.6%)
タマン(5.5%) ヒンズー教
ヒンズー教徒(86.5%)
ライ(2.8%)
グルン(2.4%)
リンブ(1.6%)
シェルパ(0.6%)
プラパティア
カースト
40.3%
チェトリ(16.1%)
バフン(12.9%)
サービス カースト(11.3%)
丘陵,山岳地帯に住むその他の人々 1%

平野部

マデシ
32.1%

カースト
15.9%
ヤダプ(4.1%) インド・アーリア
80%
ネパール語
(50.3%:インドアーリア系含む)
その他:
マイティリ(11.8%)
ポジュブリ(7.5%)
タール(5.4%)
アワディ(2.0%)
ブラーミン(0.9%)
様々なクシャトリア(0.8%)
カルワールなどの不浄なカースト(3.2%)
ムサハールなどの不可触カースト(2.8%)
少数民族9% タール(6.5%) 他の宗教
回教徒(3.5%)
その他7.2% 回教徒,シーク教,マルワリなど
99.9%



5項 ネパールの学校教育
 1977年からの初等教育無償化の流れによりネパール国内に教育が急速に広まった。しかし,現在でもネパールに義務教育制度は存在せず,国民には教育を受ける権利のみが保障されている。

学校教育制度の組織図[5]
年齢 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25
学年 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
就学前教育 初等教育 前期 中期 後期 学士 大学院
教養
中等教育 高等教育


 1993年より初等教育(小学校)5年,前期中等教育(中学校)3年,中期中等学校(高校)2年の5─3─2年制となった。中期中等学校終了時には,SLC(School Learning Certificate:中等教育終了資格)と呼ばれる全国共通卒業認定試験を受け,その結果で就職・進学ともに進路が決まる。近年まで,この試験を受験の後に大学へ進学する課程となっていた。現在は進学希望者はSLC受験後,それまで大学として位置づけられていた高等教育課程を後期中等教育(大学前教育;通称,プラス2と呼ばれる。)として2年受け,その後大学の学士課程3年へ進むことができる。従って,移行期間を終えた現在は5─3─2─2(プラス2)制がネパール国内で試行中である。

1章 障害者を取り巻く世界的動向

1節 「国際障害者年」からの経緯

1項 「国際障害者年」と行動計画
 国連総会の資料によると,79年総会において1981年を「国際障害者年」とすることが宣言され,テーマを「障害者の完全参加と平等」とすることを採択している。この当時,「世界に4億5千万人存在する」と推測をたてた障害者人口に関して,その大半が途上国に集中しているということをすでに言及しており,「開発途上国の障害者」についての対策に触れている。
 翌年打ちだされた「国際障害者年行動計画」には途上国に関するやや具体的な言及が示されている。それは,途上国で暮らす障害者についてその相当の数を見越しながら,これらの国における「環境条件の改善」の重要性を次のように述べている。
「障害者問題の解決は,その国の総合的発展の水準と密接な関係があるため,発展途上国におけるこれらの問題の解決も,これらの国のより速やかな社会経済的発展のための適切な国際的条件をつくり出し得るか否かに大きくかかわってくる。」[6]
途上国を特別に挙げる記述は,この段階では,二国または多国間の開発計画などを挙げ,加盟国など広く参加・プロジェクトを実施するなどのやや漠然とした表現に留まっている。文書全体を通じては,障害の定義(WHOの3区分),障害という問題の捉え方など障害観について明示している。また,国内活動として各国がとるべき措置の列挙には,後の「世界行動計画」に繋がる多岐に渡る内容が並び(項目だっていない),とくに国内計画にとどめず,国連の事業計画と各国間での調整に関して抑えられている。

2項 「障害者に関する世界行動計画」
 
1982年「障害者に関する世界行動計画」はそれまでの国際的な流れを受け,「障害者の社会生活と社会の発展への『完全参加』と『平等』という目標実現のための効果的な施策を推進すること。」を目的とし,「発展の如何を問わず全ての国」を対象に作成された。後述の「アジア太平洋障害者の十年」に深く影響する計画である。この行動計画は大きく「泱レ的・背景および概念,現状,。障害者に関する世界行動計画実施のための行動提案」の3章で構成されている。
 「泱レ的・背景および概念」にはこの世界行動計画の目的が次のように記されている。

「障害の予防・リハビリテーションならびに障害者の社会生活と社会の発展への『完全参加』と『平等』という目標実現のため効果的な対策を推進することにある。つまり,すべての人々が平等の機会を与えられるか,また社会的・経済的発展の成果としての生活向上に等しく与ることができるようになることを目的とする。」[7]

このように目的を掲げ,途上国は勿論のことすべての国を対象に早急に適用することを明示している。また前からの流れを引き継ぎ,障害の定義に関してはWHOの区分によるものを用いて「障害の観点」を提示している。

損傷(Impairment):心理学的,生理学的,もしくは解剖学的構造ないしは機能の喪失または異常。
能力不全(Disability):人間として普(ノーマル)とみなされている方法ないし範囲内で活動を遂行する能力が(損傷の結果として)制約され,または欠けること。
不利(Handicap):損傷または能力不全によってもたらされる特定の個人にとっての不利益で,その個人の年齢,性別,社会性ならびに文化的要素に従って普通とされる役割の充足を限定または妨げられること。[8]

 その他に定義として注目するのは,目的にも盛り込まれている,「障害の予防,リハビリテーション,機会の均等化」という用語についての規定である。

予防とは,精神,身体,ならびに感覚の損傷の発生を防ぎ(一次予防),あるいは損傷がいったん起こってしまった場合には,それが身体的,心理的そして社会的に不利な結果をひき起こすのを防ぐことを目的とした対策を意味する。
リハビリテーションとは,損傷を負った人に対して身体的,精神的,かつまた社会的に最も適した機能水準の達成を可能にすることにより,各個人が自らの人生を変革していくための手段を提供していくことをめざし,かつ時間を限定したプロセスを意味する。これは,社会的適応あるいは最適応を容易にするための方策はもとより,機能の喪失や制約を補う(たとえば自助具などの技術的手段により)ことを目的とする方策を含めることができる。
機会の均等化とは,物理的環境,住宅と交通,社会サービスと保健サービス,教育や労働の機会,すべての人が利用できるようにしていくプロセスを意味する。」[9]

 このテーマは,次に続く章の中でも特記事項として必ず触れられている。それだけに,前提に据えられたこの規定はこれ以降の各国「完全参加と平等」に関する施策に大きく影響を与えると考えられる。
加盟各国に向けた行動目標の列挙においては,全般的状況と別に途上国における障害について記されており,障害者と貧困の相互関係、資源不足、人口増加など途上国における障害者問題の深刻さと困難を指摘し「光をあてる必要」について述べられている。
では実際の文書中で挙げられているものについてどのようなものがあるのか,全ての国に向けて「実施するべき」とされている「国家レベルの行動」についての提案は以下の通りである。

・ 各レベルでの活動の立案,組織化および財源の確保
・ 立法による,目的達成のための施策に必要な法的基礎と根拠の確立と施策の正当化
・ 障壁の除去による完全参加のための機会の確保
・ 障害者に対し,社会的,栄養学的,医学的,教育的および職業的援助ならびに補装具の供与によるリハビリテーションサービスの提供
・ 障害者に関連した公立および民間組織の設立あるいは動員
・ 障害者団体の設立および育成の支援
・ 障害を持つ人々およびその家族を含め,国民のあらゆる層に対する世界行動計画の諸問題に関する情報の普及とその準備
・ 世界行動計画の鍵となる問題およびその実施に対する幅広い理解確保のための大衆の啓蒙の推進
・ 世界行動計画に関連した事がらの研究の促進
・ 世界行動計画に関連した技術支援ならびに技術協力の推進
・ 世界行動計画に関連した決定への障害者および障害者団体の参加を促進すること[10]

 実施の具体的な期間や重視する項目などはそれぞれ政府に委ねられているが,ここまでの流れを見ての通り,世界行動計画の実施にあたっては途上国に対するかなりの配慮がなされており,全ての国を視野に入れた経緯は「実施すべき」項目にもかなり反映している。また,「障害者の参加,コミュニティレベルの行動,職員の養成,情報および大衆の教育」といった実際の具体的な活動に深く関わる分野については別枠で施策の実施について詳細が述べられている。

2章 アジア太平洋全体における障害者運動
 この章では,論文のテーマである「アジア太平洋障害者の十年(1993〜2002)」に関する文献をもとに,まずアジア太平洋全体における障害者運動(1)と称して,「十年」の流れと実際の行動目標(「107の目標」)そして「十年」終了時に発表された行動課題に関する成果を紹介する。また3章ではネパールで行われた障害者に関する全国調査UNICEFネパールによる “A Situation Analysis of Disability in Nepal”を軸にネパール一国の視点からその実態を見てゆくが,行動計画自体が十年というある程度長いスパンで実施されているため,調査期間や報告資料などの時系列において章の順序と前後してしまう箇所が出ることをはじめに確認したい。

1節 国連アジア太平洋経済社会委員会:ESCAP
 ESCAPアジア太平洋経済社会委員会は国連組織の一機関である。国際連合は,いわずと知れた世界で最も大きい国際組織であるため,その組織構造は大きく全体像を把握するのはなかなか難しい。
国際連合は大きく6つの部門で構成されている。総会,安全保障委員会,経済社会委員会,国際司法裁判所,信託統治委員会,及び事務局である。これら委員会は直結しており,いわば兄弟的なつながりにある。そしてそれぞれの部門から子どもにあたる幾つもの下部組織が枝分かれしていくが,アジア太平洋経済社会委員会は経済社会委員会(ECOSCO)の下部組織である地域経済社会委員会の中の地域ブロックのひとつである。

加盟国・準加盟国メンバー(2003)[12]
・ 域内加盟国(49)
アフガニスタン,アルメニア,オーストラリア,アゼルバイジャン,バングラデシュ,ブータン,ブルネイ,カンボジア,中国,北朝鮮,フィジー,インド,インドネシア,イラン,日本,カザフスタン,キリバス,キルギス,ラオス,マレーシア,モルディブ,マーシャル諸島,ミクロネシア連邦,モンゴル,ミャンマー,ナウル,ネパール,ニュージーランド,パキスタン,パラオ,パプア・ニューギニア,フィリピン,韓国,ロシア連邦,西サモア,シンガポール,ソロモン諸島,スリランカ,タジキスタン,タイ,トンガ,トルコ,トルクメニスタン,ツバル,ウズベキスタン,バヌアツ,ベトナム,グルジア,東ティモール
・ 域外加盟国(4)
フランス,オランダ,英国,米国
・ 準加盟国メンバー(9)
クック諸島,香港,仏領ポリネシア,マカオ,ニウエ,ニューカレドニア,米領サモア,北マリアナ諸島,グアム

2節 ESCAP「アジア太平洋障害者の十年(19932002年)」
 アジア太平洋地域には全世界の障害者の3分の2に当たる2億4千万人から3億人の障害者がいると推計されている。先の「国連障害者の十年」の成果について国連事務総長は,多くの発展途上国では国連障害者の十年の間に障害者の生活状況が良くなったという証拠はほとんど見当たらないことを報告した。これをうけ,アジア太平洋地域の障害者に対する配慮を一層優先するべきであるという認識は高まり,「アジア太平洋障害者の十年(1993〜2002)」は日本の主唱のもと92年のESCAP第48回総会(北京)で決議採択された。
 この決議の中で,障害者の生活の質を向上させるために12の政策目標が据えられ,ESCAP域内国が障害者の完全参加と平等の実現に向けて各種施策に取り組むための宣言となるものになる。

国内調整
立法
情報
国民の啓発
アクセシビリティーとコミュニケーション
教育
訓練と雇用
障害原因の予防
リハビリテーション
福祉機器
自助団体
地域協力

 これらの領域は,世界行動計画の特に「完全参加と目標達成の課題解決」,また国連の文書や命令,勧告などに沿って考えられ,アジア太平洋地域の課題に合うように解釈されて設けられた。95年の第1回検討会議では12領域にわたる優先的到達目標73項目とそれぞれの到達年が採択され政府にその達成が課せられるが,97年の第2回会議時点では2年間の進展が少なくまた参加に積極的でない政府があったため,99年の第3回会議で73項目について再度見直しと強化がはかられた。討議の末,12の行動課題を実施するための目標は107項目となった。このような細かな目標の設定は外部圧力となり,いくつかの政府の実践に大きな影響を及ぼすものとなる。

3節 「アジア太平洋障害者の十年を行動課題に実行するための目標」とその成果報告

1項 目標項目の詳細
 
正式名称「アジア太平洋障害者の十年を行動課題に実行するための目標」通称「107の目標」は,この十年の計画実施に向けて,国内組織の設立から構成員に関する条件,マニュアル作成など非常に細部にわたって記述され,かなり具体的なものが多い。中にはその国の文化を左右する法律(相続・婚姻に関わるものなど)に改正を求める項目や,一部の途上国では経済的に厳しいと思われる項目なども盛り込まれている。参考にESCAP第56総会(1999年11月22-24日,バンコク)の評価会議で2002年を目標年として決定された実際の「107の目標」を列挙する(省略)。

2項 12の行動課題:「107の目標」についての成果報告例
 「十年」終了後さまざまな団体がその成果を確認するために連絡会議等を催してきた。RNN(アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議)もそのひとつであり,「十年」の開始に合わせて創設されその終了とともに活動を終えている。(その後APDFというNGOに活動を引き継ぎ,同様の方針をもった運動が今も続いている。)ここは各国内団体と国際団体をメンバーとするネットワーク型のNGOであり,アジア太平洋地域の当事者と関係者が連携するという先駆け的活動を始めた。
 この「十年」を提案したNGOのひとつであるRNNは2002年終了時に「十年」の効果的推進および障害に対する認識とその先の行動がどの程度のものとなったのか確認するため各国のRNNメンバーに呼びかけ,「十年」の各国報告と「12の行動課題」に「女性障害者」を付け加えたタスクフォースの編成を行った。
 いちNGOの報告例であるが,多くの視点のひとつとしてまたネパールの報告資料が存在するということから以下にその成果報告[14]を取り上げる。

.国内調整
 
1. 2000年度の国内調整委員会の設立。それは政府系機関やNGO,自助団体,そして私的部門を含む。
 2. 国内調整委員会は政策立案の国内計画策定に関して児童女性社会福祉省に対して助言する役割を果たしている。
 3. 執行委員会は政府部門のNGOや自助団体,女性障害者を含んで形成された。
.立法
 
1. 1982年の障害者保護および福祉法修正のために2000年に委員会が創設された。修正案は児童・女性・社会福祉省および系列省庁に配布され,承認を待っているところである。
 2. 児童権利擁護法は,障害をもつ児童の権利を含む。2000年から修正途上にある。
 3. 教育や地方開発のような他の立法も障害問題を含めるようになってきた。
.情報
 
1. 2000年に国家計画策定委員会によって全国障害者実態調査が進められた。その報告はまだなされていない。(3章を参照)
 2. 2001年に行動課題をネパール語に翻訳。
.国民の啓発
 なし。
.アクセシビリティーとコミュニケーション
 1. 手話が1994年に公用化された。
 2. 点字法を使用している教室が10ある。
.教育
 1. 障害をもつ人々と障害をもつ子どもたちの2%以下しか正規教育と非公式教育に参加していない。
 2. 障害をもつ子どもたち約4000人は,正規教育または非公式教育を受けている。統合教育は2001年に2つの地区のパイロットプロジェクトとして文部省によって創始された。
. 訓練と雇用
 なし。
.障害原因と予防
 1. ビタミンA不足,ポリオとハンセン病対策のプログラムが進行している。
 2. 政府は2001年に国際地雷廃止キャンペーンに参加した。
.リハビリテーションサービス
 1. 児童女性社会福祉省は2001年から国家計画と予算にリハビリテーションサービスを含めた。
10.福祉機器
 なし。
11.自助団体
 1. 自助の全国的組織が改組されて,1993年にネパール障害者連盟として設立された。
 2. 多様な障害者団体が1991年以降活動している。
 3. 1993年以来,女性障害者を含む障害をもつ人のための,リーダーシップと自助団体のマネジメントに関するトレーニングが発展した。
 4. 2001年以来,障害をもつ人々の自助団体の発展と,情報提供を支援するために必要な資源の配分に関する国家政策の策定。
 5. 国内調整委員会の指示による機構ができた。これにより,障害をもつ人々の自助団体と,行動課題の履行に関わっている種々の政府省庁との間で協議が増加するであろう。
12.地域協力
 なし。

3章 UNICEFネパールによる “A Situation Analysis of Disability in Nepal(1999〜2001年)[15]
 「十年」から「新十年」に移行する以前,UNICEFネパールの協力でネパールの全国障害者実態調査が行われている。活動の時期からも99年に見直し強化のされた「107の目標」には,「国内の障害者に関する正確な状況把握する」という内容に該当すると考えてよいだろう。
 ネパールでは基本的に十年に一度統計修正のため人口,地理,産業などの一般の国勢調査が実施されているが,その中で障害をもつ人々に関する統計をうかがうことはできない。81年,91年の調査には,僅かに出現率などが触れられているが,その数値は時系列的に比較できるようなものではなく,障害の種類・定義,調査方法,など定めるべき規定・条件がすべて統一されていないのである。この時点で,国内の統計学のレベルと障害をもつ人々に対する認識の低さが垣間見える。また,全国規模ではない,特定の自治体による調査や小規模地域に限定した調査はいくつか見られるが,その水準にあまり開きはなく,相互比較を行うことはできない。
 そういった意味で完全な国勢調査とは言えないまでも,全国規模で定義・調査方法を統一し,同条件下でフィールドワークを行った本研究調査はネパールの障害者実態把握調査として歴史上始めてなのである。

1節 目的
 この調査の目的は,以下の5項目である。
ウ)国内外の定義を考慮した全ての障害に,ネパールの状況につり合う一般に受け入れ可能な包括的定義と分類を広めること。
エ)国内レベル,発展地域レベル,環境発展地域レベル全てにおいて,同様の年齢,性別,民族,カーストによる全障害の拡大状況について査定すること。
オ)障害者および彼らの家族の社会経済状況を開拓すること。
カ)障害とその影響について考えられる既存のサービス,プログラム,組織を設定し,それらの使用と現在差し迫ったサービスの必要性を決定づけること。
キ)障害者の要求を満たし,彼らの生活の質を改善するために,社会方針,プログラムの計画・開発を構築的に推し進めること。

2節 障害の定義と分類
 障害の定義がどのように据えられているのかは,調査の前提として重要な点になってくる。この研究では,「医療科学技術,社会科学,CBRプログラムそれぞれの分野における専門家で構成されたチームが,アマチュアの聞き取り者たちによって実施される際用いられる予定であった,研究の範囲に置かれる定義を検討するために何度も会合を設け」,結果として以下のような定義を適用した。

 その者が特別なケア,支援,リハビリ等サービスの類を必要とする場の中でまたは特定の年齢内で,人間にとって普通だと考えられる生活の日常活動を行うことができない場合,障害をもつ者とみなす。これは各種サービス,政策,プログラムフォーメーションに関しての優先的グループに焦点をあてたものである。

 この研究の文脈では,世界行動計画の‘disabled’に当てはまるものとして‘disabled persons’または‘disability’といった表現が随所に用いられており,また定義に関しては前述のWHO(1980年)の区分や国内の女性社会福祉省(1999年)が打ち出した障害の定義(特にWHOのもの)をモデルにしている。しかし,ネパール国内の障害者の状況を明らかにするべく実施されたこの研究過程で障害の原因を診断する中,その状況から特に‘impairment’に該当する例が大半であること明らかになってきた。そのような経緯から,この研究調査では障害を以下の4の大枠に文脈上分類している。

a)コミュニケーション障害(Communication Disability)
b)運動障害(Locomotion Disability)
c)精神関連障害(Mentally Related Disability)
d)複合障害(Multiple Disabilities/Complex Disability)

障害の分類[16]
コミュニケーション障害
(Communication Disability)
運動障害
(Locomotion Disability)
精神関連障害
(Mentally Related Disability)
複合障害
(Multiple Disabilities/Complex Disability)
視覚障害Seeing Disability
処方の後にも関わらず,回復した視力で3mの距離から指を数えることができない者。
身体障害Physical Disability
身体不全,身体的欠損により日常生活の活動を行うことができない者。
精神遅滞Mental retardation
18歳より前の精神発達に遅れているため,活動することが不可能な者または年齢・環境に応じた新しい課題を学習することが不可能な者。
1.トレーニング等の支援を受けて生活上の日常動作ができる者。
2.トレーニング等の支援を受けても摂食,脱衣,会話,排泄等の生活の日常的動作ができない者。
重複傷害Multiple Disabilities
1つより多くの障害を併せ持つ者。
聴覚障害Hearing Disability
1mの距離から両耳で普通の声を聞き取れない者。
移動/歩行障害Mobility/Walking
下肢の身体的不全,欠陥,奇形に因って日常生活の活動を行うことが不可能な者。
Disabilities as a result of Neuro-psychiatric conditions
てんかんEpilepsy
たびたびの無意識の発作を持ち,舌を噛む,口から泡を吹く,痙攣をする,失禁するなどの徴候を示す者。
脳性麻痺Cerebral Palsy
身体的能力障害を引き起こす未成熟な脳に何らかのダメージをもつ者。精神遅滞を併せもつケースもしばしば見られる。
会話障害Speaking Disability
全く話すことのできない者または家庭の外では(話を)理解されない者。
操作/労働障害Manipulation/Working
上肢の身体的不全,欠陥,奇形に因って日常生活の活動を行うことが不可能な者。
慢性精神疾患Chronic mental illness
18歳以上で,何にも起因しない状態で怒る,喜ぶ,泣く,自ら孤立する等の徴候を伴う,情緒不安定の何らかの類をもつ者。
 

3節 調査方法

1項 調査地域の選出

    5つの開発地域(Developmental Region) 
  

 先にネパールの5の開発地域についての述べたが,ネパールの行政区分は上記のとおりである(筆者作成)。この調査では行政区分とはやや異なる形で対象郡を選出している(下表参照)ため,上の表は略式名称など記載の際に参考としてほしい。

サンプル郡の一覧[17]
3区分(Ecological Belts)
開発地域
Development Regions
タライTerai 丘陵部Hills 山岳部Mountains
東部開発地域
Eastern Development Regions
モラン
シラハ
テラトゥム
ウダイプル
タプレジュン
サンクワサバ
中部開発地域
Central Development Regions
ダヌシャ
バラ
マクワンプル
カトマンドゥ
ドラカ
シンドゥ・パルチョク
西部開発地域
Western Development Regions
ナワルパラシ
カピラバストゥ
シャンジャ
グルミ
マナン
ムスタン
中西部開発地域
Mid-western Development Regions
ダン
バルディヤ
ピュタン
スルケート
ジュムラ
カリコート
極西部開発地域
Far-western Development Regions
カイラリ
カンチャンプル
アチャム
バイタディ
バジュラ
バジャン

 調査地域(世帯)の選出方法であるが,上の図表の通り5の開発地域を縦に地理的な3の帯状地域区分を横に据えた15層の桝目のうちこれらに該当する群をそれぞれ2群ずつ計30群選出する。さらにそれらの群から,地方域23集落ずつの計194集落と都市域(選出30群のうち地方自治体を有する群から)を23集落,総計217集落を選び出す。最後に1集落ごと65世帯(無回答を考慮した予備の5世帯を含む)を調査対象として絞り込んだ。なお選出は無作為に行う。
 最終的に集められたデータは,217集落の13005世帯(総人口:約78000人)という規模になった。
※15群から13集落ずつ選出すると195集落になるはずであるが,対象候補に指定されていたサンプル群が他の郡へ変更することになり,その影響で調査集計の間に1集落減った合計数となった。
※世帯:この調査で述べる世帯の定義は,同じ台所を共有する家族構成員を1単位として扱っている。また,後述する世帯主とは世帯内の主権(家庭の諸問題などものごとの決定権)をもつ者であり,家族を抱える者を指す。

2項 調査方法
 この調査では大きく2つの観点(Quantitative technique と Qualitative technique)から調査方法を設定している。
量的観点では,出現率見積もったり,障害の拡大の状況・特徴の調査などいわゆる統計的な側面のことを意味しており,例えば選抜した世帯リストを1箇所ずつ訪問し直接面接を繰り返しながら質問紙を用いた聞き取りを行うなどの方法がとられている。このような調査はこれ以前のサンプル調査や古い統計でも見られる考え方であり,統計学の基礎部分であるといえるだろう。
 一方今回の調査で調査側が特徴的であると強調しているのは質的観点である。これは障害者を取巻く諸問題への精通した理解を得るために,当事者・その両親・地域のリーダーなどそれぞれの声を明らかにするなど数値では測れない面や,また性差別などの社会問題的現象にも触れているように,意識して設定しなければ数値に表れない側面に配慮がされているということである。具体的にはディスカッションや情報交換会などの国民の啓蒙活動に繋がるような企画が調査と称して実施されている。
 以下具体的に行われた調査方法についてまとめた。
ウ Quantitative techniqueによる調査
 先ずは選抜済みの対象集落で世帯リストを作成し,調査する60世帯を絞る。サンプルとして選ばれた世帯(以下,サンプル世帯と記す)では以下のような方法で調査が実施された。
調査名称 解答者 内容 備考
Screening Questionnaire 世帯主 ・世帯全員の氏名
・教育レベル
・物理的地位
・活動に関する困難度など
出現率の見積もりを主たる目的とする
House Holding Questionnaire 世帯主(世帯内に障害をもつ人がいる) ・社会経済的状況
・家族の状況
・生活状況
・障害を持つ人への認識など
Disabled Questionnaire 当事者 ・障害の種類/程度
・治療/教育/雇用状況
・家庭や地域での活動状況
・解答は可能な範囲で実施する。
・解答者が12歳以下の場合はケアテイカー(ほとんどが養育者)が代理の解答者となる

(メA Situation Analysis of Disability in NepalモのモVol.1 Chapter1 Introductionモより筆者作成)

 これらが世帯向けに実施された調査である。フィールドワークの形態としては分権から推測するところ「訪問面接法」による聞き取り調査と質問紙調査の組み合わせによるものであると考えられる。
エ Qualitative techniqueによる調査
次にもう少し規模の広がった調査について紹介する。これは先に述べたように統計的要素よりも,むしろそれぞれ恣意的に目的をもって実施されているため対象者のグループ規模も中程度から広いものまでばらつきがある。
名称 対象 目的 方法 備考
Focus Group Discussion ・当事者
・当事者の親
・地域のリーダー
人々が障害をもつ人に対して抱く意識/視点/考えを確認し明らかにする。 ・選抜した30群でそれぞれ行う。
・3形態で同質の特徴をもつ7〜9人のグループで実施する。
・司会者と記録者の配置。
・ディスカッションのテーマは「障害理解/家庭及び地域の活動への参画/問題点/要求/解決方法」など
聴覚に障害をもつ人がいるグループなどでは一部ディスカッションに支障があるなどした。
Interview with Key Information VDC議長,市村長,教師,福祉サービス従事者などの有識者 地域の障害者向けサービスの実態/情報を得るため 訪問面接法によるインタビューアンケート形式 ※ここでサービスとはCBRや保健関連施設などを指す
Case Study ※方法の欄を参照 障害の認知/発生の状況などの確認と理解 ・保護者と親類間での談話会
・当事者または代弁者への病歴に関する口頭質問
Cluster Situation Form 集落の状況把握 集落のリーダー :調査に協力した集落それぞれに彼らの属する自分の集落の特性を理解してもらうため ・対象者自らも調査の一部に参加してもらう。
・障害の種類/拡大状況/発生率/ニーズなどについての集落に関する情報収集
地域リーダーの意識向上/参加促進をねらった活動
("A Situation Analysis of Disability in Nepal"の"Vol.1 Chapter1 Introduction"より筆者作成)

 このように対象・目的のばらつきだけではなく,調査を啓蒙の活動の一環として活用しているふしがあることが分かる。

4節 調査側の準備と評価

1項 フィールドスタッフとトレーニング
 フィールドワークに参加するスタッフが99年の夏に募集され,最終的に6チームと緊急用の呼び2チーム計32人が調査にあたった。彼らのトレーニングはおよそ1ヶ月間行われ,調査の目的や方法の概要が確認された後,障害の概念や定義についての様々な講義を受けている。特に後者に関しては技術的側面を少しでも補うために,専門家による講義・演習プログラム(病院施設等の見学・実地演習から本番と同様の方法による予備的フィールド調査,質問用紙の微調整など)で訓練されている。パイロットテスト(予備的調査)では,予定のチーム構成でサンプル外の集落で本番同様の調査を行い,実習後フィードバックのために意見交換や確認・反省会など実に丁寧に準備されている。

2項 チームの構成と役割分担
 各チームはSupervisorとされる監督官1名とEnumeratorと呼ばれる調査者3名合計4名で構成されており,チーム内は男女2名ずつ必ず当事者(障害をもつスタッフ)が含まれるように編成されている。1チーム36集落を担当し,3つの帯状地域,地方域,都市域それぞれ偏りのないように割り当てられた。監督官と調査者の役割分担詳細は次の通りである。

Supervisor:監督官 Enumerator:調査者
・チームの統率者
・地域住民やリーダーとの関係構築
・世帯リストの準備とサンプル世帯の選出
・スクリーニング質問紙調査の指揮
→チームメンバーの割り当て
 質問事項のチェック
 チームメンバーに必要なフィードバック
・Focus Group Discussionの先導
・Interview with Key Information時の情報提示,インタビューの指揮
・Case Studyのチームメンバーの割り当て
・集落に関する簡潔な省察と状況の記録
・集落のリーダーへの記録の提供
・質問紙調査の実施
・Case Studyの実施
・Focus Group Discussionの際のアシスト
("A Situation Analysis of Disability in Nepal"の"Vol.1 Chapter1 Introduction"より筆者作成)

5節 フィールドワーク

1項 プリテストの実施と最終調整
 専門家による討議の末,実験的フィールドワークが行われた。この時に調査時の言語,結果報告,情報が明確で適切であるかなど最終判断をするため,この実験のための専門監督官3名が現場に立会っている。実施後に修正必要な面は見直されたが,大きな修正点は5歳未満の乳幼児とそれ以上の年齢の者の質問用紙(項目)区別が決められたことである。最終的に調査チームに渡ったフィールドマニュアルは次のような項目の詳細が記述された。
・ネパール語による実施
・質問の仕方/回答範囲の詳細な記述
・障害の分類ガイドライン
・全スタッフが同一の方針に則りフィールドワークを行えるように設置した規定

2項 フィールドワーク
 フィールドワークは首都カトマンドゥ盆地を皮切りに1999年9月12日から2000年1月15日までのおよそ4ヶ月の間実施された。その手順は以下の通りである。
(ウ)サンプル対象となる集落に入る。
(エ)権力者にコンタクトをとる。
(オ)調査の目的を説明し,承諾を得る。
(カ)世帯リストの作成
(キ)スクリーニング調査と情報の収集など調査の実施
 調査中,調査者たちは自分達の記録の質を維持するために査定シート(Assignment Sheet)を使用し,チームの管理・評価記録とした。具体的には,どの世帯で,誰に,何人の調査者が記録をとったのかなどの活動の詳細なチェックである。

6節 調査の質管理
 データの管理については以下のような規定が設けられ,これを基準に活動が評価されていった。
(ウ)インタビュー終了後の質問の振り返りや再確認は調査者が責任をもって行う。これは回答者の自宅を出る前に行うこととする。
(エ)一日の調査を終了後,監督官に記録を提出する前に他の調査者と質問紙等を交換し,会確認する。
(オ)監督官は用紙に誤答や矛盾がないかチェックする。必要に応じて回答の正誤を立証するために世帯の再調査を調査者を通じて行う。
(カ)フィールドワークの最中に監督者によって口頭質問された世帯内で抜き打ちのチェックを行い,調査者からの回答記録が正しいか確認をする。そうした中で報告にある障害の種類などもチェックされる。
(キ)調査時のアシスタントは随時フィールドでの仕事をチェックするため屋外でチェックリストに記録を行う。チェック項目は,リスト作成・サンプリングの工程・口頭質問方法・障害の分類・記入後の用紙チェック・チームの調整などである。
(ク)UNICEFコンサルタント同様,主要調査もとはフィールドワーク監視のためチームを定期的に訪問すること。同じ主要方針は監視側の仕事内容にも盛り込まれている。
(ケ)物理的なフィールドチームの監視に加えて調査チームは不一致・暗号などの防止のため記入後の用紙のチェクに携わる。これにより矛盾点が認められた場合は,直ちにフィールドチームに再確認が求められる。
(コ)技術委員会(※)メンバーは,またフィールドでもスタッフの仕事を監視し,実施後の調査が満足のいくものとなるよう努める。
※技術委員会:調査の実行過程で重要な役目を担う。いくつかの分野に分かれており,重大問題の協議では決定を下す機関となる。研究の全局面でこの委員会に最新の情報が提示され必要なフィードバックはこの機関に先ず初めに送られる。

7節 調査の限界
(ウ)研究の定義それ自身に困難さがある。障害をもつ人が支援・リハビリテーションを要するといった点の深刻な障害をもつために制限が多いと,軽度や機能障害などの全タイプを一区切りにすることが難しいのである。ここではサービス方針・プログラム形式の優先的グループに焦点を充てることとする。
(エ)研究の目的と合わせて,分析時の年齢制限は0歳〜70歳までとした。年齢という要素は障害やその出現率など大きく関わってくる。国内での状況に基づき,リハビリテーションは資源の制約からも初期から若者に対象を絞るであろう。この研究では70歳までの労働階層を含めるため,全人口を対象とするような他の研究との比較には限界がある。
(オ)調査の中でフィールドワーク時の臨床実験には資源の限りがあるため,障害をもつ人の診察は不可能である。加えてスタッフ養成に努力はしたが,医療関係者ではないものがフィールドワークを実施していた経緯がある。この種の調査のために障害の定義に関してはフィールドで判断可能な重度の障害に絞っている。このことから出現率を少なく見積もっていると考えられる。
(カ)この調査では障害をもつ人のためのさまざまな活動団体へ情報を提供するつもりである。しかし時間と負担のかかる調査のため,範囲内の情報をほぼ編集している。また可能な限り調査外の情報も入手しようと試みているが,既存する全ての団体をリストアップしこれらの情報を流すことは不可能である。
(キ)県(経済開発地域)レベルで調査の分析を試みる予定であったが,サンプル規模が小さいためこのレベルでデータに格差を与えないようにするのは容易ではない。このレベルの情報では典型的性質(有意性)となりうるものを分析することは難しいため結局その種の分析は行わなかった。
(ク)調査期間中,既存の状況をできる限り診るつもりであったが,世帯の中において該当しない児童の病気・障害・死亡の事例については調査しなかった。

8節 調査結果の概要

1項 回答状況
 フィールドワーク終了後の集計の結果,サンプルとなった世帯総数13005世帯のうち障害をもつ人のいる世帯は1148世帯(8.82%)となり,うち233世帯では世帯主自身が障害をもっていた。また一部の調査方法における回答者の詳細情報は次の通りである。

○当事者対象の調査(Disabled Questionnaire)
回答者 人数
当事者本人 499
ケアテイカー(親を含む) 695
(12歳未満258名,12歳以上437名)
("A Situation Analysis of Disability in Nepal"より筆者作成)

○無回答(不完全回答)の理由
・代弁者がいない
・通院,寄宿舎に滞在などで不在
・行き先不明

○Interview with Key Informationにおける既存サービスに関する情報提供者(総数358名)
提供者の役職 人数(%)
Ward Chairman(地区長) 158(44.1)
Ward Member(地区委員) 45(12.6)
School Teacher(教員) 40(11.2)
VDC Chairman(村落開発委員会委員長) 40(11.2)
Social Worker(ソーシャルワーカー) 35

("A Situation Analysis of Disability in Nepal"より筆者作成)

○Focus Group Discussionにおけるディスカッションメンバーの内訳
(ウ)当事者:
実施回数計5回/参加総数30名(男性20名/女性10名)/1回につき5〜9名
障害の分類 参加人数
てんかん
操作障害(上肢身体障害)
移動障害(下肢身体障害)
重複障害
視覚障害
会話障害

("A Situation Analysis of Disability in Nepal"より筆者作成)

(エ)当事者の親:
実施回数計6回/参加総数37名(男性31名/女性6名)/1回につき5〜9名
子どもの障害の分類 参加人数
聴覚および会話障害
移動障害(下肢身体障害)
てんかん
操作障害(上肢身体障害)

知的障害
視覚障害

("A Situation Analysis of Disability in Nepal"より筆者作成)

(オ)地域のリーダー:
実施回数計6回/参加総数47名(男性31名/女性16名)/1回につき5〜9名
役職 参加人数
Teacher(教員) 13
Social Worker & Local Village Leader
(ソーシャルワーカーおよび村落リーダー)
13
Ward Chairman(地区長)
Ward Member(地区委員)
VDC Chairman(村落開発委員会委員長)
Local Business Man(地方会社員)
Water User Committee Member(水道委員会委員)
Technician(技術者)
Female Committee Health Worker(女性委員会ヘルスワーカー)

("A Situation Analysis of Disability in Nepal"より筆者作成)

2項 データ報告の概要
 次にA Situation Analysis of Disability in Nepal(2001年)のこの調査の結果概要が Executive Summary(行政向け要約文)として具体的にポイントを抑えまとめられている。以下にその翻訳文を掲載する。

Executive Summary(行政向け要約文)[18]
A Situation Analysis of Disability in Nepal(2001)での研究は,国内計画委員会事務局と社会福祉省の庇護のもと実施され,UNICEFによって協力されたものである。1999年~2000年の間NewERAによってこの研究は指揮され,その主要目的は,全ての障害に包括的な定義を発展させること。そして,ネパールの障害者に対するサービスについて国際的統計と情報を引き出すためである。

1・0定義
 過去に行われたネパールでの多様な研究は国内の障害の流布においてさまざまな情報を提供してきた。このヴァリエーションがこの調査で用いられた方法や定義に表れている。強い影響のある研究では軽度障害からけがや目の感染症による病気まで含まれている。研究の手始めの任務はこの調査によって障害者の就労の定義を開拓することであった。医療科学技術,社会科学,CBRプログラムそれぞれの分野における専門家で構成されたチームは,アマチュアの聞き取り者たちによって実施される際用いられる予定であった,研究の範囲に置かれる定義を検討するために何度も会合を設けた。それゆえ,障害の定義がこの調査の成果のために適用された。
1・1 この定義の拠ると,その者が特別なケア,支援,リハビリ等サービスの類を必要とする場の中でまたは特定の年齢内で,人間にとって普通だと考えられる生活の日常活動を行うことができない場合,障害をもつ者とみなす。この定義は各種サービス,政策,プログラムフォーメーションに関して優先的グループに焦点をあてたものである。
1・2 このように,この研究では障害を以下の4の大きなカテゴリーに分類した。
※原文の表現(英語)については,2節「障害の定義と分類」を参照。
a)コミュニケーション障害
b)運動障害
c)精神遅滞障害
d)複合障害
aには盲者,聾者,亜者,bには移動に関する障害,操作障害,cには精神地帯,慢性精神疾患,てんかん,dは重複障害とも位置付けられ2つ以上の障害が重なる場合を言い,また脳性まひもdに位置する。
1・3 視覚障害:処方の後にも関わらず,回復した視力で3mの距離から指を数えることができない者を視覚障害者または機能的側面の盲者とする。
1・4 聴覚障害:1mの距離から両耳で普通の声を聞き取れない者を聴覚障害とする。
1・5 会話障害:全く話すことのできない者または家庭の外において(話を)理解されない者を会話障害とする。
1・6 移動障害:下肢の身体的不全,欠陥,奇形に因って生活の日常活動を行うことが不可能な者を移動障害とする。
1・7 操作障害:上肢の身体的不全,欠陥,奇形に因って生活の日常活動を行うことが不可能な者を労働または操作障害とする。
1・8 精神遅滞:18歳より前の精神発達に遅れているため,活動することが不可能な者または年齢・環境に応じた新しい課題を学習することが不可能な者を精神遅滞とする。
1・9 てんかん:たびたびの無意識の発作を持ち,舌を噛む,口から泡を吹く,痙攣をする,失禁するなどの徴候を示す者をてんかんとする。
1・10 慢性精神疾患:18歳以上で,何にも起因しない状態で怒る,喜ぶ,泣く,自ら孤立する等の徴候を伴う,情緒不安定の何らかの類をもつ者とする。
1・11 重複障害:1つより多くの障害を併せもつ者。
1・12 脳性まひ:身体的能力障害を引き起こす未成熟な脳に何らかのダメージをもつ者を指す。
1・13 ネパールの15の経済発展地区を越えた30の地方で実施された。75,944人の人口を覆う13,005戸の家庭の調査結果は,研究のため考慮された。これらの家庭は217の郡(それぞれの郡が1つずつまたは複数の区や町で構成されている)から抜き出された。サンプルとなる郡においては,地方が89.4%,先進地域が10.6%を占める。

2・0社会経済的性格
 障害者を抱える家庭とそうでない家庭の社会的経済的性格が評価された。調査人口の土地所有規模,職業,収入といった経済指標が考慮された。家庭の特徴(言語,性別,宗教,カースト)および住宅(家)の特徴は障害者を抱える家族とそうでない家族の家庭状況の関係を分析するために査定された。
2・1 障害者のいる家庭とそうでない家庭との経済レベルはわずかに違いがあった。統計的にみてその違いに有意性はないが,5%レベルの率である。障害者のいる家庭はいない家庭と比べてわずかに暮らし向きが悪い。
2・2 しかし,障害者のいる家族の世帯主とそうでない場合の言語状況には5%レベルの率の重要な違いが見られた。これは世帯主が習得した学歴という点において明確な違いで裏付けられている。研究によると障害者を抱える世帯主の57・6%が教育を受けていない。一方で,障害者のいない家庭の世帯主のうち50・7%が教育を受けていない。通常非識字の者が経済的地位を改善するための機会はほとんどないことから,障害者のいる家庭の世帯主は,そうでない家庭の世帯主に比べてより不利な立場に陥りやすくなると言える。栄養失調と医療機関へのアクセス不十分のために,貧困は障害という大きなリスクを生み出すと一般に知られている。
2・3 障害者の高い比率は,シェルパ/タマン,マグル,タルー,職業的カーストグループの間で見られた。これには異なる解釈が存在しうる。これらのグループにおける障害の高い発生率は彼らの貧困,困窮,社会的不利に起因する。彼らの障害者に対する適切なケアが高い生存率を結果として出したことも原因にできるだろう。

3・0障害の状況
3・1 この研究で適用された定義に基づくと,障害の普及は全人口の1.63%と見積もられた(地方1.65%都会1.43%)。帯状に地域別で見ると,山岳地帯が最も多く(1.88%),続いて丘陵地帯(1・64%)タライ平野地域(1.45%)となる。同様に,開発地域を見た場合,西部開発地域が最も高く,地域の障害者人口は1.81%であった。
3・2 ほとんどの障害者(国内の全障害者の31.0%にあたる)が重複障害であると見られている。これは重複障害の発生が全人口の0.51%であることを示している。聾唖のような障害の組み合わせが重複障害の人々の48.3%と高い率であると見られる。
3・3 重複障害を含む17.4%が移動障害であると見られる。13.3%がてんかんである。また,精神遅滞,講話障害,慢性精神疾患の単独障害は発生率が低いと見られた。
3・4 重複障害を含む障害者人口中,異なる種別の障害の間において,最も一般的な(共通の,よく起こる)種類となると考えられたのが移動障害であり,全障害種の19.5%である。講話障害は19.4%とみなされ,一方で聴覚障害は全体の19.1%である。操作障害は14.8%,てんかんは11.1%である。ほとんど見られないのが精神遅滞(5.9%),視覚障害(機能的盲)(5.6%),慢性精神疾患(4.6%)である。
3・5 女性よりも男性のほうが障害の発生率が高い。その違いは女性障害者のための適切なケアや早期発見の欠如のためであると言うことができる。男女を識別した結果,女性の間で生存の機会は減る。女性における低い障害発生率の理由は,彼女たちの障害が認知を受けないことにある。つまり多大な個人の労苦(苦痛や努力)が伴うにも関わらず障害を隠すために,少女や女性はしばしば確かな活動を行うことができるからである。
3・6 人口中の年齢における明確な障害は労働者グループ(15~59歳)の間での障害発生率が1.99%である部分に示される。これは障害者人口の64.3%にあたる。
3・7 ほとんどの障害について言えることは,当事者の半数が五歳になる以前に障害が発生したと報告しているということである。これは,これらの障害のほとんどが幼少期の病気や事故に起因していることを示している。
3・8 報告された障害の原因は,障害の種類によって変わった。視覚障害,聴覚障害と精神遅滞はそのケースのほとんどが出生時から起こったものであると報告されている。その答えが障害者自身の病気や事故のエピソードといった明らかな原因が発見されなかったため,先天性障害として報告されている。
3・9 病気は種類を問わず障害の一因となる重大な原因(病気を原因とするもの30.3%)である。病気は視覚障害(62.5%),移動障害(36.0%)において最も普及する要因である。またそれは聴覚障害,操作障害,精神遅滞に関して重大な役割を果たしている。事故は操作障害(40.3%)の場合顕著であり,また移動障害(25.5%)に大きく影響する。一般的に,障害の15.4%が報告によるところ事故のためであるものだ。
3・10 5歳未満での障害の徴候,病気が高い確率で発生することは,予防のイニシアチブが緊急で必要とされていることを示している。移動障害,操作障害の要因であるような事故の高発生率はトラウマ(他の言い方をすれば,事故後の適切な医療処置の欠如を放置しているということ)ともいえる。
を無視していることを明示している。
4・0体制と認識
4・1 人々は未だに家族の中で障害をもっている者は彼らの運命の結果だ(28.4%)と信じている。迷信を信じたり,障害の原因に魔法的な解釈をする者も何人かいる。これらの発見は裏を返せば,障害の医学的原因を知るものがほとんどいないことを明らかにしている。
4・2 家族は障害者の多様な活動(学校へ行く,他の人と遊ぶ,仕事に出る)への参加を促している。(が,結婚については前向きに勧めることはまだない。)
4・3 障害をもつ人の多くは自活している(49.3%)。しかし,自分で世話をすることができない人の場合,彼らの世話は大抵,家族内の女性の仕事となる。
4・4 障害者のほとんど(69.3%)が家族の協力や支援を得ている。しかし,機能回復のために彼らに刺激や運動を施すことはほんのわずかにしか見られなかった。家具や設備を修正することで障害者に適した家庭を作るとするような家族によっての努力は一般的にわずかなものである。
4・5 ほとんどの家族(90.5%)で,障害をもつことは問題であると位置付けられている。彼らの直面する困難は,障害者の労働に関する無力さ,そして独り残さなければならない時に新しい仕事を教えたりするといった介護に関することに関係していた。
4・6 そして同時に31.4%の家族が家族内の障害者はかなり大きな経済的負担として捉えており,ほとんどが精神遅滞,移動障害,視覚障害,操作障害者のいるものだった。女性の場合は少ない経済負担で済むと思われており,それは恐らく彼女たちが男性に比べて需要や期待が少ないからだと考えられる。
4・7 ほとんどの場合(68.8%),治療のために費用が用いられている。ほとんどの家族(71.5%)が障害者を治療へ連れて行っている。障害者は治療のために医者またはヘルスポストの元に連れて行かれている(40.9%)。かなりの数の家族が信仰神霊治療者の元へ障害者を連れて行く(30.3%)。
4・8 まだ30%近くの障害者が全く治療を受けていなかった。これは「障害は治療することができる」という知識や認識の欠如のためだということができるだろう。それはまた,家族がその資源を持っていない,または医療施設が適切に機能せず,スタッフも障害について知らないなどとも理由にいえるようだ。医療施設での想定される問題点は地方で利用可能な専門化された適用サービスがほとんど存在しないという結論によって示されている。
4・9 半分近くの場合,障害者の家族は障害を持つ家族がいることを理由に,地域の中で屈辱を受けなければならなかった。それは, Focus Group Discussionの場で障害者に対する地域住民の認識及び問題性が,それまでのはいた排他的なものから参加を促す方向へ変わったということからも明らかになった。軽度障害の者は,深刻な程度のものと比べて,社会でより容易に順応できる。
4・10 自尊心を持ってコミュニティーの中で暮らすことが困難であるということは,70.1%の障害者たちによって言われ始めた。
4・11 彼らのほとんど(82.9%)が障害者の人権構想の範疇で自分たちが権利をもっていることを理解していたが,自分たちにそれらは利用できないと訴えている。
4・12 障害者のために動いている地方組織内で当事者の参加はわずかなものであった。
5・0 障害者の経済社会参加
5・1 ほとんどの障害者が一般の人口に比べて(4.8%が教育を受けていない)教育を受けていない(68.2%)。識字率は男性に比べて,女性のほうがかなり低い。教育を受けていないのは,女性が77.7%,男性が59.6%である。
5・2 6-20歳の年齢層を考慮したところ,この年齢の障害児の半数が学校に入学していることが明らかになった。世帯主の95%は障害をもつ彼らの子どもを学校に通わせたいしているが,6-20歳の層で実際通学しているのは56.3%しかいなかった。これは学校には物理的にも社会的にも壁があることを示している。障害は学校に全く通わなくするために十分効力のある理由となっている。特に男子よりも女子の場合に顕著に表れる。
5・3 結果によると,障害児のほとんどが通常学級に所属しており,これはほぼ間違いなく特殊諸学校が存在しないためである。特別教育の団体が一部において適切に行われていると記録にあるが,大多数の者(81.0%)は通学することは授業に出席することで利益を得るものだと評価している。入学者の全てが出席し続けるわけではない。退学者(36.5%)のほとんどにとって,授業中他の児童生徒のようにしていられないことがその退学理由であり,学校での支援の欠場が示唆できる。
5・4 また,実際に学校での利益を得ていない障害児もいる。彼らは授業で模写などが困難であったりする。教わっていることが掴めない子どもの67.6%が,普段の日課の範囲で何らかの特別な対策や支援を必要としていた。高い中退率から言えることは,学校現場で障害児のための支援が欠如していることがある。
5・5 学校までの距離や所要時間は地方での一般的な問題にも位置付けられるが,障害児にとっては特に重要な物である。
5・6 かつて学校で移動障害児(身体障害児)やてんかん児は所業が良好であると記録されえた。特にこれらの子どもたちには,学校で得る介護補助が利にかなったものであったのだろう。より鋭敏で協力的な教師の必要性が不可欠である。
5・7 非公式セクターでは障害児にとってまさに生産的なものは見られなかった。より良い素材や特別に養成された教師が必要である。
5・8 スキル訓練での障害者の参加はわずかである。何らかの訓練を受けている14歳以上の者で917人中27人に過ぎない。これからすると,例えスキルを得たとしても半分以上がそれに応じた利益を受けていない。これに当てられる理由のいくつかに材料,道具,市場アクセスの欠如がある。
5・9 経済的に活発な障害者(22.2%)の中には農業に従事する者がある。これらの例には障害を被る以前から働いていた者や障害のために失業した者などが含まれる。しかし,障害者のほとんどが経済的に家族に依存している(79.9%)。
5・10 全く障害者の大多数が社会的行事参加することが困難を抱え,週のマーケットに参加することが難しいとほとんどの者(84.6%)が判断している。
5・11 一般に,障害は結婚に支障をきたす理由の代表であるとされる。
5・12 障害者のために動いている組織において,参加している当事者はほとんどいない(たった4人である)。さらに,参加している者は自分たちの利益となっていないと主張している。
5・13 障害者(児)は学校,スキル訓練,雇用開発プログラムいずれをとっても統合(integrated)されていない。教育とスキル訓練では,将来の職業機会に大きな影響をもたらす。障害者の雇用の地位は,障害者を持つ家族の経済的状況に影響をもたらす。障害を持つ少女や女性については少年や男性に比べ,なおさら参加していない。

6・0 障害者のためのサービス
6・1 たくさんの政府組織(GOs),非政府組織(NGOs)が国内で障害(者)問題分野において活動を行っている。障害(者)問題分野で活動を行う政府組織は国内計画委員会事務局,女性児童社会福祉省,教育省,健康省,財政省,地方開発省,社会福祉委員会である。
6・2 教育省の下部である特別教育ユニットは障害児のための特別教育を促進する点において重要な役割を果たしてきている。
6・3 国内計画委員会事務局では障害者諸問題と特別教育を取り扱うそれらの教育ユニットをもつ。
6・4 最近,障害者福祉に関する国内調整委員会が女性子ども社会福祉省と財政省と国内計画委員会事務局と社会福祉委員会,ネパール工業開発法人のもとで組織だてられた。
6・5 地方自治体法の開始後,地方開発省は郡開発委員会(DDCs),村落開発委員会(VDCs)が障害者を含む不利な立場にあるコミュニティーの保護に焦点を当てるように方針づけた。
6・6 1992年の社会福祉法のもと構成された社会福祉委員会は,国内の障害者福祉を含めた福祉活動を引き受ける開発・サービス機関として主要な役割を果たしている。
6・7 調査終了までの間,障害分野で活動する148のNGOから情報が集められた。組織の大多数が視覚障害,聴覚障害,精神遅滞の者たちを対象に活動していた。また,分類に関わらず全ての障害を対象とした活動を展開する組織の数もあった。しかし,脳性まひやてんかんのような障害をもつ人々を対象に活動する特殊組織はほとんど見られなかった。
6・8 35の組織(23.6%)から報告されているように,財政問題が彼らの活動を阻害している。財政問題を抱えた11の組織がこの理由のために機能しなくなった。他団体は彼らの活動実施を困難にする要因に,政府方針の欠如,人材不足,場所の問題,地方の政治などを報告している。
6・9 地域NGOに加えて,INGOがネパールの障害(者)問題分野で重要な役割を担っている。1964年以来,国際団体がネパールの支援に着手してきたとされている。例えば,この国で活動を行うために,ごく初期にいた組織のひとつであるイギリスの海外ボランティアサービス(VSO)などである。
6・10 回答者の大多数(97.9%)が彼らの特に村落開発委員会(VDCs)内における保健サービスの有効性を理解している。しかし,障害者にとってそれら施設は国内の広範囲に渡ってまでサービスを届けられないため,回答者のほとんどがそのような施設に気付いていない。
6・11 回答者は普段の病気の処方のために保健施設を利用することはほぼ知らされているが,障害のためにとは知らされていない。保健施設を訪れた15.3%しか障害の処方処置のために来なかった。
6・12 障害者支援組織のうち,8名しかそういった団体からサービスを受けていない。
6・13 保健施設を訪れる多数の障害者(83.6%)が彼らの受けるサービスから利益を得ていなかった。これは障害者が保護を受けられるという当然与えられるべき希望である。さらに,資源やスタッフの不足からヘルスポストや準ヘルスポストがうまく機能していないという事実のため起こりうるのである。またさらにスタッフ自身,障害について全く知らないからである。これは委託サービスがほとんどないという事実から裏付けられるものである。
6・14 この調査によって,特別支援が大多数の障害者に利用可能なものになっていないということが示された。
6・15 恐らく障害者の家族は,障害者の人生は改善されうるものだということでなく,救うことのできないものであると理解している。専門化された組織は広範な社会啓蒙に言及していないのである。主流な開発組織は専門化された組織よりも物質的な面にメリットを見出しているからと示唆できる。ヘルスケアスタッフはもっと障害について知る必要がある。彼らは委託網や適切なサービスに関する教育を必要としているのである。これは特に重要である。なぜなら,地方の保健施設で適切な処置が直ちに障害者に提供されうるからだ。

7・0 障害者に必要とされる支援
7・1 障害者(37.8%)同様に,世帯主(43.2%),ケアテイカー(38.7%)らは,医療的処置が障害者に最も必要とされる支援だと感じている。
7・2 世帯主にとって述べられる次に重要なニーズは,家族内の障害者を世話するための経済的支援である。
7・3 ケアテイカーと障害者の場合,確かに経済面での支援も必要だとしながら,それよりも必要視される考えがスキル訓練である。
7・4 障害者にとって政府に期待することは経済支援である。これによると,コミュニティーに返る分も付け加えて,一部の者に対する障害者手当てが投資の対象となるであろうことが示唆できる。
7・5 回答者の一部(37.7%)は,障害者手当ては彼らの生活を向上するために彼らにとって必要なものと感じている。
7・6 回答者のたった0.9%(ケアテイカーと障害者)の者しか,スキル訓練は資金的手当てよりも障害者のために役立つとしていない。地方の指導者たちはFocus Group Discussionの中で資金手当てはそれほど重要でないとし,訓練の必要性を強調する発言を見せている。

8・0 法律と人権
8・1 全世界的での1981年の国際障害者年を賞賛し、その年にネパールは障害をもつ人の人権について認識した。従って,1982年障害者(保護福祉)法(Disabled Persons(Protection and Welfare) Act ,1982 :DPWA)として知られる特別法を実施した。DPWA及びその他の法により,障害者に確かな人権と特権が与えられたが,それらの法はいくつもの要因により彼らに享受されてはいない。
8・2 DPWAを含むネパールでの多くの革新的法律は,紙面上確かに維持している。障害者の福祉と保護の為に当時の法組織(パンチャヤト政権)によって作られた法律はたくさんの物の流通を約束したが,実際のところこの慣行はこの18年の間にほとんど成果を挙げていない。
8・3 国内の経済的資源の不十分性は法律遂行の遅延を引き起こしたであろう一つの要因であるかもしれない。しかし,真の問題を引き起こしているのは,法を実行するための政府上層部(権威)委員会の欠如そのものである。法の実行には特に良好で力をもち,積極的でまとまった行政組織を有する政府が必要となる。誠意のある法を実行すること,また法律によって認められる障害者への公正な権利と設備を供給することのためには,積極的な国力の多大な努力が必要となる。地方自治体は障害者に関する知識,そしてそれら方針を実行するという彼らの責任に関して既存の方針についての知識を有するべきである。
8・4 1990年代の民主主義の復活以来、それら組織を通じて障害者は政府へ法律の実行と法律によって規定された全ての設備の供給を要求してきた。最近になって,障害者組織の圧力の下で政府は, 必要に応じて法の改正ですら視野に入れた,信用に足る法律を実行するためのそれら委員会を示している。

9節 考察
 この文献の詳細を通してみて,ネパールの障害をもつ人々の状況はやはり非常に厳しいものがある。
第1に物理的環境についてである。世界の最高峰を国土にもっているだけあり,地理的な特徴は資源の流通,アクセシビリティの面でかなり不利な状況生み出している。
家族が主に利用した保健施設内訳[19]
(Health Facilities Most Often visited by the Households)
Background
Characteristics

地理的3区分(Ecological Belts)
合計

タライ(Terai)
丘陵部(Hills) 山岳部(Mountains)
n % n % n % n %
準ヘルスポスト
(Sub-health posts)
ヘルスポスト
(Health posts)
病院(Hospitals)
薬局(Medical shops)
Ilakaヘルスセンター
(Ilaka health centers)
私立病院(Private clinics)
小児診療所
(Primary health care)
準地区病院
(Sub-regional hospital) 合計
訪問せず(Do not visit)
その他(Others)

219

61

22
20
24

17



373

8.7

16.4

5.9
5.4
6.4

4.5
1.1

0.8

0.0
0.8
100.0

5198

98

13
27




355

55.8

27.6

3.7
7.6
2.2

1.4
0.6

0.0

0.0
1.1
100.0

141

129

41




333

42.3

38.7

12.3
1.5
2.4

0.3
0.0

0.0

1.8
0.6
100.0

558

288

76
52
40

23



1061

52.6

27.1

7.2
4.9
3.7

2.2
0.6

0.3

0.6
0.8
100.0


 上の表を見てほしい,保健施設の数がタライ平野,丘陵地帯、山岳地帯の順で少なくなっている。地位面積や人口あたりを考えると、いずれも丘陵地帯が最も数値が大きく,続いてタライ平野,山岳地帯の順でなるので納得のいくところであるが,障害の発生率をこれに照らし合わせた時,この影響が見えてくる。発生率の見積もりは,タライ平野(1.45%),丘陵地帯(1.64%),山岳地帯(1.88%)となる。障害の発生軽減と保健教育等の関係は後述するが,教育施設数および帯状地域の教育レベルの内訳もこの発生率の順番に並んでいる。また,障害の種類も山岳地帯には特徴があり,移動障害・操作障害の割合が他に比べて高い。つまり身体障害の発生であるがこれは事故によるところが大きく,おそらく自然災害の類ではないかと思われる。そして,治療可能なけがも施設へのアクセスが悪いために切断などの最終処置にまで至り,身体的障害をもつ人が生まれるという悪循環が起きる。このことからも地理的環境は障害に大きく関与していると言えるだろう。
 第2に文化的な要素と障害との関連である。これはあまりの複雑さゆえ言及するのに限界があるのだが,単純に文献から言えるカースト・民族などと発生率の関係について述べる。1章で言及したようにカーストの構造の中にエスニックグループも含むネパール独特のカーストであるが, [2・3]にあるように,シェルパ/タマン,マグル,タルーといった民族はムルキ・アインでも第2階層に属し,浄カーストではあるが,職業カーストを除くと相対的に低いとみなされる階層にいる。またこの調査報告および畠によると,彼らのような被抑圧カースト/エスニック・グループの教育レベル(教育の機会,識字率など)はかなり低い[20]。さらに彼らは社会的不利な立場にあることと同時に,家族の規模が大きいことから少ない資源を多くの家族で分かち合わなければならないため,不利な状況はさらにエスカレートする。
 第3に障害に対する正しい知識・理解の欠如が甚だしい。現在の私たちの国にはない「超自然的」な要素を障害の原因として捉えている人々の多さや,改善の不可能性を疑うことがない姿勢からしても国民啓発の遅れが見える。

表1:通学をさせない理由(Reasons for Not Enrolling in School)[21]
理由 男子の場合 女子の場合 合計
n % n % n %
親が就学を重要だとみなさない
障害のため
経済問題
学校の受け入れ拒否
聾者受け入れ校がない
健常児のように振舞えない
その他
合計
34
10





63
53.9
15.9
11.1
11.1
3.2
1.6
3.2
100.0
41
16





76
53.9
21.1
10.5
1.3
3.9
3.9
5.3
100.0
75
26
15




139
53.9
18.7
10.8
5.7
3.6
2.9
4.3
100.0


表2:6歳以上に該当する家庭メンバーの教育レベル[22]
Background
Characteristics

教育レベル
合計
なし 初等教育 中等教育 SLC以上 ノンフォーマル % n

年齢層
6−9
10−14
15−19
20−24
25−29
30−34
35−39
40−49
50−54
55−59
60−64
65+

性別

地域
都市域
地方域

地理別3区分
タライ
丘陵部
山岳部

開発地域別
東部
中部
西部
中西部
極西部

全土


26.8
19.2
24.3
36.2
45.1
51.2
59.3
67.2
75.2
78.7
81.6
86.1

30.0
57.7


27.7
45.6


47.0
35.3
49.5


40.6
45.6
40.7
44.6
47.8

43.9


72.8
67.1
26.3
18.5
16.7
15.6
15.1
12.4
8.8
6.2
4.1
2.5


38.6
23.8


30.3
31.3


30.1
33.8
29.7


29.8
30.3
32.3
32.6
31.0

31.2


0.0
11.4
35.8
23.4
16.9
13.9
9.5
7.1
4.6
2.8
2.9
1.2


18.3
8.0


21.3
12.3


12.2
16.6
10.4


16.1
13.0
13.6
12.0
11.2

13.1

0.0
0.0
6.7
14.0
12.6
10.0
6.3
4.7
2.8
2.3
1.6
1.0


8.2
2.5


15.1
4.3


5.5
6.6
3.7


7.8
6.2
5.3
3.8
3.7

5.3


0.4
2.3
6.8
7.8
8.6
9.4
9.7
8.6
8.6
10.0
9.7
9.2


4.8
8.1


5.6
6.5


5.2
7.7
6.7


5.7
4.9
8.1
7.0
6.5

6.4


100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0


100.0
100.0


100.0
100.0


100.0
100.0
100.0


100.0
100.0
100.0
100.0
100.0

100.0


8519
9644
8252
6656
5587
4291
4042
6520
2421
2155
1705
3041


31320
31512


6041
56791


24850
20519
17463


12658
12716
11631
12846
12081

62832



表2:6歳以上に該当する障害をもつ人の教育レベル[23]
Background
Characteristics

教育レベル
合計
なし 初等 中等 SLC以上 ノンフォーマル
n % n % n % n % n % n %

年齢層
6−9
10−14
15−19
20−24
25−29
30−34
35−39
40−44
45−49
50−54
55−59
60−64
65+

性別

地理別3区分
タライ
丘陵部
山岳部

開発地域別
東部
中部
西部
中西部
極西部

全土



49
39
43
42
74
58
77
67
67
66
71
64
49


349
417


276
211
279


135
140
170
166
155

766


57.0
33.6
39.4
55.9
62.2
70.7
77.0
88.2
83.8
89.2
89.9
88.9
92.4


59.6
77.7


69.8
57.8
76.9


64.3
67.6
72.6
65.6
70.8

68.2

37
69
42
8
19
6
13
7
7
3
3
7
1


158
66


84
92
48


45
40
41
55
43

224

43.0
59.5
38.5
10.7
15.9
7.3
13.0
9.2
8.7
4.1
3.8
9.7
1.9


26.9
12.3


21.2
25.2
13.2


21.4
19.3
17.5
21.7
19.6

19.9

0
6
18
12
11
8
5
1
2
1
0
0
1


43
22


16
37
12


8
14
12
20
11

65

0.0
5.2
16.5
16.0
9.2
9.8
5.0
1.3
2.5
1.3
0.0
0.0
1.9


7.3
4.1


3.9
10.1
3.2


3.8
6.8
5.1
7.9
5.0

5.8

0
0
3
9
5
2
3
0
2
1
2
0
0


22
5


9
7
11


15
5
2
1
4

27

0.0
0.0
2.8
12.0
4.2
2.4
3.0
0.0
2.5
1.3
2.5
0.0
0.0


3.8
0.9


2.4
1.9
3.1


7.1
2.4
0.9
0.4
1.8

2.4

0
2
3
4
10
8
2
1
2
3
3
1
2


14
27


10
18
13


7
8
9
11
6

41

0.0
1.7
2.8
5.3
8.4
9.8
2.0
1.3
2.5
4.1
3.8
1.4
3.8


2.4
5.0


2.6
4.9
3.6


3.3
3.9
3.8
4.3
2.7

3.7

86
116
109
75
119
82
100
76
80
74
79
72
53


586
537


395
365
363


210
207
234
253
219

1123

100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0


100.0
100.0


100.0
100.0
100.0


100.0
100.0
100.0
100.0
100.0

100.0


 次の表は「6歳以上に該当する家庭メンバーの教育レベル 」「6歳以上に該当する障害をもつ人の教育レベル」「通学をさせない理由」のデータであるが,教育機会の格差は勿論一目瞭然であるのに加えて,その理由として障害児教育の価値を評価しない親の多さが伺える。これは明らかに,障害者(児)教育への理解の欠如が大きい。症状の改善に医学的治療は有効だが教育は意味のなさないものだという程度の認知だからである。確かに,教育の質,教材,専門の教師の不足から考えれば当然その程度の理解に留まることはやむを得ないのかもしれない。医療的処置にしても[4・8]にある通り,障害が治療できると考える人が少ないこと,医療従事者の質が低いことからせっかく全国に展開しているヘルスポスト(数は少ないかもしれないが,)なども貴重な資源として有効に活用できていない。障害に対するイメージは, 当事者の親のもつ子どもへの愛と痛切な(将来への)不安,地域の困惑する障害者のとる問題行動など日本でも同様に問題とされることがケーススタディとして載っている一方で,家族と地域のもつイメージのどちらをとっても,(根強い信仰神霊宗教的認識のほかに,)労働力としての存在価値を認められないこと,非生産的で経済的負担であるということは未だに広く浸透した障害への否定的なイメージである。一般的に特殊教育の発展過程においてそういった経緯を辿ってきた歴史がある。荒川は,社会全体の「負担軽減」や社会的・経済的「有用化」が唱えられ,底辺・補助労働力の選別などの役割は結局労働力として見込みのない者を「教育不可能」として排除する動きへと進み,「就学免除」に連動したと述べている24。文献を読む限りでネパールの障害観はまさにこれが多数派であると言えるのだ。しかし,障害者のもつさまざまな権利が世界中ですでに浸透しているという事実は,一般的な特殊教育の歴史経過とは全く違う環境要素である。ネパールで「義務教育」はないが教育は無償であるし,「就学免除」という考えはそもそも存在した経緯がない。すると,国民の啓発こそが障害への否定的なイメージを払拭する解決法なのか。残念ながら恐らくそれだけでは答えにならない。途上国では貧困という根本的な社会問題が絡んでくるからである。貧困・女性差別これは8節2項の要約からも随所に確認できる事実である。だいたいが,発生率の男女比を一般的に考えられている医学的根拠ではなく,女性差別に拠るものだと調査の中で結論付けている。(「ネパールで女性は出生時点または成長の過程で障害があることがわかると,出生そのものを隠蔽されたりケアされないなどの事態が普通のこととして起きる。すると不確定数・死亡数が多いために男性と比べて女性障害者の割合が減る。そこで男女比に優位な結果が表れたのだろう。」
 このような論を結ぶ時点で相当の女性差別が国の課題としてあるのだろうと推察できる。そして,先に述べた労働力を基準とした人間の価値付けは「能力主義」によるものというより「貧困」さゆえに,より強調されてしまうのだと言えるだろう。

4章 現地でのフィールドワーク(2004)

1節 フィールドワークの概要

1項 調査の目的
 2004年の春フィールドリサーチのため私はネパール現地に1ヵ月滞在した。その目的は主に,現地の障害者向けサービスおよび教育事情を実際自分の目で確かめることであり,生の情報を集めるということであった。
 準備は2003年秋頃から始め,ネパールの障害者事情に関する論文や文献を基にした調べ学習,インターネットによる現地の関連情報の収集はもちろんのこと,過去にフィールド研究を行っていた人と接触を試みたり,メールのやりとりや勉強会への参加によるコネクションから,現地の施設見学のアポイントメントを取るなどフィールドでの下地作りに専念した。現地に入る前の段階で見学のアポイントメントを取った施設は次の3ヶ所である。
○ ラリトプル郡パタン市ブグマティ村DSA(Disabled Service Association)経営の公立学校内障害児学級と併設の生活ホーム
○ カスキ郡ポカラ市オールドバザールの日本人のイエズス会神父が運営する私立養護学校シシュ・ビカス・ケンドラ(Shisu Bikas Kendra)
○ バクタプル郡バクタプル市CBR施設(Bhakutapur Community Based Rehabilitation Organization)
 いずれもネパールをフィールドに研究またはNGO活動など行っている方々を仲介してアポイントメントを取った施設である。しかし今までの渡航の経験上,実際の現地では時間通り・予定通りに物事が進むということはまず無い。そのため見学の許可のみ頂き,その後の現地での交渉次第で詳細をつめていくということになった。この予測どおり最終的に現地滞在中に訪問した施設・機関はスケジュールを大きく上回り,細かいところまで含めるとおよそ15ヶ所ほどになった。日程及び訪問先については日程表を参考にして欲しい。

ネパール行動日程表(ネパール滞在期間2004年2月26日(木)〜3月28日(日))
曜日 訪問先と活動内容
27 バクタプル郡バクタプル市CBR施設(Bhakutapur Community Based Rehabilitation Organization)への挨拶
28 パタン市CBR施設(Patan Community Based Rehabilitation Organization)見学・聴き取り
バクタプル群バクタプル市Resource Center for Rehabilitation and Development(RCRD)訪問
バクタプル郡バクタプル市CBR施設(Bhakutapur Community Based Rehabilitation Organization)でRoutine Workへの参加と聴き取り
ラリトプル郡パタン市ブグマティ村入り
ラリトプル郡パタン市ブグマティ村DSA(Disabled Service Association)経営の公立学校内障害児学級と併設の生活ホームでの見学・参観と聴き取り
カトマンドゥ関連施設巡り
Kagendra New Life Center(Apanga Navajeevan Kendra)内の見学
・Nepal Disabled Association(NDA)(ネパール障害者協会)CBR部門/ドミトリー訪問
・オーストリアINGO(SOS)運営施設見学
 ・イギリスINGO運営施設(チェシャホーム)見学
 ・Nepal Orthopedic Hospital(ネパール整形外科病院)見学
・Spinal Injury Rehabilitation Center(脊髄損傷リハビリテーションセンター)見学
カトマンドゥ市ハティサールのAssociation for the Welfare of the Mental Retarded(AWMR)(知的障害者福祉協会)※
カトマンドゥ市バネソールのSelf-help Group for Cerebral Palsy, Nepal(SGCP)(ネパール脳性まひ者自助団体)※
ネパール日本大使館へ情報収集のため訪問
午前/ティミ市T.B.Center(Tuberculosis Center)(結核予防センター)の見学・聴き取りおよびDOTS(ヘルスポスト的な小規模保健管理施設)
午後/バクタプル郡バクタプル市CBR施設(Bhakutapur Community Based Rehabilitation Organization) への再訪問・Routine Workへの参加
15 カスキ郡ポカラ市オールドバザールの日本人のイエズス会神父が運営する私立養護学校シシュ・ビカス・ケンドラ(Shisu Bikas Kendra)への挨拶
16 カスキ郡ポカラ市オールドバザールの日本人のイエズス会神父が運営する私立養護学校シシュ・ビカス・ケンドラ(Shisu Bikas Kendra) でRoutine Workの参観
17
19 カトマンドゥ市女性児童社会福祉省の管轄下NAFAで聴き取り
カトマンドゥ市ブリクティマンダップ内の見学と聴き取り
 ・National Federation of the Disabled Nepal
・Blind Youth Club
22 ラリトプル郡パタン市ブグマティ村DSA(Disabled Service Association)経営の公立学校内障害児学級と併設の生活ホームへ再訪問
24 午前/カトマンドゥ市バネソールのSelf-help Group for Cerebral Palsy, Nepal(SGCP)(ネパール脳性まひ者自助団体)※
午後/ラリトプル郡パタン市ブグマティ村DSA(Disabled Service Association)経営の公立学校内障害児学級と併設の生活ホームへ再訪問
25 バクタプル郡バクタプル市CBR施設(Bhakutapur Community Based Rehabilitation Organization)への再訪問・Routine Workへの参加
26 カトマンドゥ市ハティサールのAssociation for the Welfare of the Mental Retarded(AWMR)(知的障害者福祉協会)※

※ AWMRおよびSGCPは2度の訪問ともそれぞれ休日やオフィスの引越しなどの都合上,代表者との面会がかなわず,情報は文献・資料によるものみとなった。

2項 調査方法
 フィールドワークの調査方法とひと言で言ってもその方法は様々である。高等学校在学中に経験のある地理学的なフィールドワークの基礎以外に,私自身特別な技術があるわけでもなかった。従って今回のネパールフィールドワークを行うにあたって,滞在中の調査方法について何か学問的な手段を正確に把握して臨んだわけではないため,実施の結果から付け加える形になってしまうことを確認しておく。一般的なフィールドワークに関する文献や資料から,今回実施した調査手段は聴き取りおよび参与観察法の2つに大きく分けることができる。また場合によって聴き取りにおいても自由面接法に近いケースがあった25。
 聴き取りは,主に当事者への支援サービスを実際に提供する場ではない組織を訪問した場合に行った方法である。具体的には,代表の方からお話を伺ったり見学のみで関係者の方に案内していただくような場合は全てこのケースに該当する。また後述するが,見学先として事前にあがっていた場所は当初なく,現地で急遽見学訪問が決定するという形だったため,質問内容を統一するなどして一貫したデータを収集することはできなかった。しかし一方で,訪問を繰り返すうちに親しくなった訪問先では類似した質問内容などでも自然な会話の中から次第に興味のある内容へと発展するなどし,自由面接法に近いケースもあった。この手段はデータの収集と分析が同時並行的に行われることを特徴とする。
 参与観察法は,調査対象社会にその一員として参与しながら現地の人々と生活と行動を共にし,調査者の五感を通じた自らの体験を分析や記述の基礎におき,その社会の成り立ちや文化を捉えようとする調査方法である。例えば,実践の支援サービスが行われている訪問先で許可があった場合に,子どもと交流したり,場所によっては指導補助(ティームティーチングのT2以下)に近い参加の仕方をさせていただいた。この方法を実施できる場合は,できる限り数回にわたって通い,ラポール(人間的な信頼関係)をうまく築くことで子どもや教師の実態・個人の詳細なデータを(許可の下)提供していただいた。
 上記のどちらの方法も定性的調査(Qualitative research)に当てはまる。これは定量的調査(例,統計・標準偏差など)と対の性質を成すものであり,比較的数の少ない事例を詳しく分析することによって社会現象や文化に関わる事柄あるいは心理学的な問題について,できるだけ多くの要因の動態関係を分析する場に向いている。反面,限界としては事例の少なさから代表的理論を検討できなかったり,データ自身が日常による曖昧な記述のため主観的含意をもちやすく,調査方法が不定形であるために調査者の洞察力や理解能力に依拠しやすい。そのため調査者の勘によって調査対象の本質を理解する傾向にある。端的に述べれば,データへの信頼性については疑問視されるところが多いのが欠点である。一般的に定量調査との併用においてその特性は生かされ,例えば統計調査や質問紙調査などの事前の問題把握や仮説の設定などにおいてその有効性を積極的に使うことが望ましい。また定量調査の後に理論の検証として循環的に用いることも有効な活用方法である。いずれにせよ理論(定量的調査)と経験(定性的調査)のどちらかに偏向することは望ましくないとされる26。その意味では当初春の滞在後にデータを整理し,再び予定していた第2段階目の調査を都合により決行できなかったことは残念であるがこの卒業研究では現地でのフィールド調査は一段階で終了という結果になった。

3項 調査の限界
 以上のようにできる限りの準備を整えて現地入りしたがやはり解決できない問題がいくつかあった。まず根本的な問題として,2章で扱った“A Situation Analysis of Disabled in Nepal”の内容について,ほぼ無知の状態で現地に向かったということである。当初は「情報の収集」が目的であったのでフィールドレポートを十分に生かせるという予測がたっていたのだが,現地のNGOで“A Situation Analysis of Disabled in Nepal”の冊子を入手し,その帰国後に「107の目標」や全国障害者実態調査の比較検証(現論文)を構想することとなったのである。幸運にも,「107の目標」にまさしく該当するような情報を発見するに至ったが,あくまで結果論であって効率的に絞込みをかけた調査にならなかったことは事実である。次に,現地でのコミュニケーション方法である。私はネパール語やその他の民族の言葉を使うことができない。そのためコミュニケーション方法は英語と(友人の通訳を介しての)日本語であり,加えて英語はネパールでも流暢に使いこなせる人が多くいるわけではないので,相互に意思疎通をすることに困難が付きまとう。特に親しくなった訪問先や友人たちとは肝心なところで核心を突くような質疑応答ができないために研究の質を追求する上で大きな障害となっていることは間違いない。最後に,前述の通りネパールの時間の中でスケジュールを組み立てることの難しさである。今回の渡航は3度目となり,ある程度の経験があるため余裕をもって行動していた。しかし,アポイントメントを取る,連携が取れないときの連絡手段,オフィスワークの不定時さなど国の事情が違うために見学希望の施設を案内してもらっても面会もできずに帰国しなければならないという残念なこともあった。日本にいるわけではないので比較すること自体間違っているが,決められた時間を無駄なく過ごすということは最も難しいかもしれない。この点は今回の情報収集を目的とした中では最も悔しく残念に思っていることである。

2節 調査報告
 詳しくは日程表を見ていただきたいが,現地では公機関から小規模NGOまで様々な団体・関係者を訪ねた。そのため,規模はもちろん活動の内容や特徴もばらばらである。従って,現地での記録を羅列することは資料として非常に読みにくくまた量の関係上も難しいと思われるので,重要と思われるポイントに関して以下にまとめた。

〈障害をもつ子どもたちが生活し、勉強する場〉
1. 学校などの教育分野
◎公立学校内の障害児学級

 この施設はカトマンドゥから隣の市であるパタン市(交通手段は多く,車で10分程度)に出て,そこからさらにタクシー等で20分ほど向かった郊外の村にある。ここを支援する日本のNGOブグマティ村パサクラブから紹介していただいた。このNGOは日本と現地の両方に中心となる活動スタッフがおり,現地に日本人の協力者の方と日本語をしゃべるネパール人の協力者たちがいるためホームステイをしながら学校に訪問することができたが,学校でお世話になった先生方はほぼネパール語でしかコミュニケーション手段をとれないため,十分に聞きたいことを得られなかったともいえる。しかし,22日の訪問時は午後から日本人の(女性の夜間言葉の教室の)支援者が見学に来るということで,パサクラブの日本人協力者の方などに通訳をお願いすることができ,貴重な資料を入手することができた。

場所:ラリトプル郡パタン市ブグマティ村
運営者(創立年):
Daya Ram Maharjanダヤラム・マハラジャン氏(DSA;Disabled Service Association代表者)
支援の有無:有り
NHS(アメリカの学生組織)→教師1名分の給料を支援
Bungmati PASA Group(日本のNGO)→教室運営の費用全般、教師の給料など支援
その他:教育は無償で行い,寄宿用施設(生活ホーム)を2ヵ所併設する(食費のみ月謝制)。
子どもの実態:
児童生徒数 19名
障害の種類
(人数)
聴覚(9)視覚(4)脳性まひ(4)ダウン(1)不明(1)
※知的障害を重複する子どもは5,6名
年齢 7〜16歳
その他 全体のうち女子が3名と極端に少ない。
教師・スタッフ:
人数 教師4名(男性3名、女性1名)
生活スタッフ数名
実態 DSA責任者であり,同公立学校の教師を兼任する教師が実質上の校長であるといえる。彼はパタン市のCBRセンターで研修を受けている。全盲の男性教師1名と女性教師は彼の教え子である。残る男性教師は去年NHS寄付のもと派遣された(保健衛生が専門でリハビリの知識もあり)。
生活スタッフは,日本でいう寮母のようなもので日中と夜間で2つの施設にそれぞれいる。食事・洗濯などホームでの仕事を行う。DSA責任者である男性教師の教え子が多い。
特徴
○ 大きく盲児向けの内容と聾児向けの内容とに分かれて,1教室内で一度に授業が進められている。授業内容は主にことば(手話・点字も含むネパール語・英語),かず,理科,社会など。
○ 生活ホームが2ヵ所併設されているが,当初は1ヶ所で学校のすぐ隣近所にあるものだけであった。が,政府からの要請でホームを増設する代わりに聾児10名の増員をするということがあり,校内の1教室を宿舎として設けている。
○ 生活ホーム入所時,子どものカルテが作られ,子どもの氏名,親の氏名,住所,職業,宗教,性別,連絡先,保証人の氏名,子どもの能力およびできないこと,生年月日,障害の種類(発症年齢と原因を含む)が書かれている。また,入所条件(入所承諾書)が11項目にわたって決められている(以下に列挙)。
 入所条件(入所承諾書)
 @学校の長期休暇(春,夏,ダサイン祭,冬)には帰省のこと。
 A保護者が遠方の場合,その代理人として責任をもてる人間(保証人)を挙げておくこと。
 B緊急の場合,学校の指定する場所へ親または代理人が迎えに来ること。
 C毎月(ネパール暦で毎月15日までに)できる限り米やお金,衣類などを納めること。(ただし家庭によっては柔軟に対応する。)
 D子どもの衣食住に関しては家庭で無断に(おこづかいやおやつなど)必要以上与えず,協会の方針に則って行うこと。
 E入所は,はじめ6ヶ月を試行期間の一時預かりとし,条件を守れるようであれば正式に入所できる。
 F子どもの送迎に関して,必ず職員に許可を得てから行うこと。
 G学業にかかるお金は継続的に障害者協会から支援される。
 H全盲の児童生徒に限って,特別な教材費(点字用の用紙)がかかるため,可能な限り家庭で払うようにする。無理な場合は協会から支援される。
 I入所した児童はホームの生活方針に沿って暮らすこと。問題のある場合,保護者面談,家庭のしつけや説得といった処置をする。それでも改善の兆しがない場合は退所の可能性もある。
 J入所の合意書は,こどもが入所の間のみ有効である。
以上を承諾し条件を満たす家庭の子どものみ入所を認めるものとする。

 公立学校内の障害児学級の運営と生活ホームの運営と全て,現地の人間であるDSAの責任者がその方針にのっとって進めてきた。結果的に現在は外国からの支援で金銭的に支えられているものの,発足当時から活動自体を地元の人間が自主的に立ち上げ,献身的(一部ボランティアで働いている面がある)に活動し,それが継続していることは非常に珍しいケースである。

◎私立養護学校 “Shisu Bikas Kendra”(子ども発達センター)
 ポカラは西部開発地域の中心地方自治体であり,カトマンズに続いて大きい観光地として有名である。この学校は日本人神父が20年以上この地で活動を続けており,ネパールの特殊教育分野では有名な学校である。ポカラの市街地から車で15分程の旧市街(オールドバザール)の近くにある。ここでの滞在はバンダ※の関係でスケジュールに変更があり,ポカラ入りが遅れたため滞在日程が短くなってしまった。市街地の観光客用ホテルはシーズンにもかかわらず例年に比べて観光客が極端に少ない。友人の紹介もあるが普段より安価で滞在でき,神父の学校へは2日間歩いて通った。
※ 反政府組織マオイストの強制するストライキで,下手に動きまわると攻撃の対象とされることもある。事前予告があって実施されるが,地方には時間差で伝わるため日程がずれる。そのため現地に近寄り情報を集めながら様子を見て行動することが唯一安全な移動の方法である。ただし基本的に観光客やNGO関係者(特に日本人)などには手を出すことはない。マオイストの活動は西の方が活発であり,ポカラに入るルートも別団体の用事の関係で地方の村から入ったためジープでの移動中に何度も車内の確認・検問(マオイストと政府軍の両方から)を受けた。

場所:カスキ郡ポカラ市オールド・バザール
運営者(創立年):イエズス会 大木神父(1979〜)
支援の有無:日本から多数有り
その他:完全通学制で、月謝50Rs(払える子どもは、給食費5Rs/日を別に払う)
子どもの実態:
児童生徒数 23名
障害の種類 知的障害を持つ子どもがほとんど(ダウン症児は5,6名)。聴覚障害を持つ子どもも目立つ。軽い麻痺を持つ子どもや視覚障害は数名しかいない。
年齢 5〜15歳
その他 どの障害をとっても軽度の子どもたちたちがほとんどである。ダウン症児が多い。

師・スタッフ:
人数 教師8名(男性2名、女性6名)
スタッフ 約10名
実態 校長を務めるのはイエズス会の神父である大木章次郎氏。77年から2年間カトマンドゥのカトリック校で教鞭をとり,パンチャヤト政権時代に政府の要請から1年契約でポカラ市に障害児センターを立ち上げたのがきっかけ。7人中2名は聾者の教員(女性)で彼の教え子である。7人中4名は日本の養護学校で何らかのトレーニングを受けている。
スタッフは掃除,庭の手入れ,運転などが仕事。また別棟の工房に裁縫などの作業をする卒業生が数名いおり,かばんや布を機織りの段階から手作りして販売している。
職員会議が定期的に行われている。出勤簿などもあり。
特徴
○ 情操教育に力を入れ,ネパールの教育現場では見られない音楽・美術・体育がカリキュラムに取り入れられている。特に体育については毎日の日課に朝の体操があり,そこではラジオ体操(ネパール語)・マット運動・ストレッチなどが行われ,帰る前にはダンスの時間もある。
○ 子ども自身による出欠遅刻確認から,朝の挨拶,給食,歯磨き,食器の片付け,清掃,帰りの挨拶に至るまでの流れは,校長の「自立心・社会性を育てる」という独自の方針のもと何十年も実践されている。生活習慣の指導という印象を受ける。
○ 寮を設けないことについて,家族、コミュニティとの関係が教育に不可欠であるという考えから開校当初から実施していない。従って通学可能な生徒のみの受け入れとなっている。
○ 上級クラスの作業学習,近隣の公立学校との交流,遠足など特別活動が行われている。

 ネパール国内で障害者(児)教育に携わる人間にとって,大木神父の学校は大きなモデル校となっている。現に上記のダヤラム氏も過去にこの学校を訪問しており,遠方からの見学者が頻繁に訪れている。また特筆するべきは生活習慣の指導であり,つまりカースト制度が密接に関わるネパールにおいて食器を拭いたりトイレの掃除をするなどとは一般的に考えられない。無論その点については今まで多くの批判があったとのお話であった。しかし寮の設置を視野に入れないことなど,校長である大木神父の教育方針を貫くことで今では掃除をカリキュラムに取り入れる学校も一部存在するということである。

2.保健医療分野
 CBR;Community Based Rehabilitation Organization(地域に根ざしたリハビリテーション)(以下CBRとする。)の施設で聞き取りまたはボランティアワークを行ってきた。CBRは現在途上国で展開するリハビリテーション・アプローチの主要なひとつの手段である。
 途上国においては障害を単に個人の身体機能不全としてだけで捉えたアプローチでは障害(者)問題の解決には至らない。これらの国では貧困をはじめとした多くの社会問題が底辺にある中で,障害者がさらに参加の機会を奪われた不利な状態に陥り,社会の発展から取り残されていく。彼らの直面する問題は身体機能の制限だけではなく,不利な立場に伴って生じる偏見と差別となる。これはその地域社会の文化や社会,そしてそれらに根ざした地域社会の人々の規範や態度などによる部分が大きい。このような状況に対して,それまでの施設を中心としたリハビリテーションサービスでは機能回復のための治療と訓練だけを切り取り提供してきたため,そのサービスは一部の都市部の裕福な障害者のものでしかなく大部分の障害者にとっては意味のあるものとならなかった27。
 そこで新たに代わる方法として実践されてきたのがCBRプログラムである。国連機関としてCBRを進めてきたWHO,ユネスコ,国際労働機関(ILO)は“CBRは地域社会開発における,全障害者のリハビリテーション,機会の均等化,社会統合のための戦略のひとつである。CBRは障害者自身,家族と地域社会,そして適切な保険,教育,職業および社会サービスの連携協力を通して遂行される。”と定義している。またESCAPは“CBRは,障害者を援助の受動的な受け手とみなし,第3者が障害者に代わって外部から障害(者)問題に介入することである以上に,地域社会が発展していくために欠かすことのできない存在としての障害者の参加を含んだ内発的地域社会開発である。”と述べている。同様に多くのCBR実施機関が,CBRを障害(者)問題解決を通した地域社会の開発戦略,社会変革であると定義し実践している。WHOはCBRマニュアルの中でリハビリテーションのアプローチを施設中心型,巡回型,そして地域社会主体型(CBR)の3つに分け説明している。特に地域社会中心型アプローチ(Community-Based Approach)を取り上げると,「治療・訓練といった狭義のリハビリテーションは重要ではあるけれども,それ以上に生活に根ざした関わりがより重要であり,地域社会の人々にとってなされうることが多々あるという考えに基づいたアプローチである。専門職は単独の意志決定者ではなく,地域社会における障害(者)問題解決への変化を促す役割(カタリスト,ファシリテイター)と,障害者を地域社会発展の主体として力づけ(エンパワーメント),支援する役割を担う。障害者を含んだ地域社会の人々は,当事者として自分達の地域社会の障害(者)問題を分析し,解決のための方法を決定し,実施,評価する権利と責任を担う。」というものである。
 久野によると,「CBRにおいては,専門職自身の役割と障害(者)問題の転換が求められる。地域社会は単なるマンパワーとしての参加ではなく,必要であるならば専門職の権威性を凶弾する等,社会変革を導く主体としての役割を担う。これによってリハビリテーションは,医療や教育といった専門職の分類に沿った縦割りのアプローチではなく,障害者の生活を中心に据えた地域社会の生活に根ざしたアプローチとなる。都市の施設や専門職は,このCBRに組み込まれることで初めて障害者の大部分を占める農村の障害者にとって手の届く資源となり,意味のある存在になる28」としており,さらにその成功の鍵として「継続性(Sustainability)が最も重要であり,その鍵となるのは地域社会の主体性である。」と述べている。主体性を支援する方法としては,「啓発(Awareness Rising),地域社会の組織化(Community Organization)」の2軸で「できることから始め,既存の医療・訓練的アプローチにとらわれない」ことを挙げている。

◎Bhaktapur Community Based Rehabilitation Organization
 バクタプルCBROは後述のRCRDと当初同時に創設された経緯がある。ここにはRCRDにJOCV(Japan Overseas Cooperation Volunteers)の派遣勤務という名目で(実際はCBROで日々子どもと関わっていらっしゃる)SV(シニアボランティア)の女性がいる。この方はつい最近まで東京都内の小学校で現職の教員(隊員応募間際は校長職)をされていた先生であって,特殊学級などでの指導経験をもつ人である。知人のJICA(Japan International Cooperation Agency)臨時派遣専門家の方に紹介していただき,初対面であった。にも関わらず訪問した先の中で最も意気投合した先生で,CBROのデイケアにも喜んで面倒をみてくださった。
 バクタプル郡のこの施設はカトマンドゥから(常に渋滞を起こす一本の道を通って)車で一時間弱かかる所にある。この地方都市は古くからの景観が町の随所に保存され残っており,観光地としても有名な場所である。施設はその観光の中心である寺院の密集するエリアの直ぐ脇に立地しており,隣は寺院である。そもそもこの建物のたつ場所は以前お寺の一部であった場所で,コミュニティースペースとして自由に使えることから市の青年会義所員中心となりがRCRDやCBRを発起し設置され,今日まで至ったのである。自治的なかつ主体性をもって作られた組織だけに非常に地域に密着している。また十年以上前にここで支援をしていた同じくJOCV隊員の作業療法士の先生(上述のJICAの臨時派遣専門家の方)もこのCBRには,その頃ですでに十年の実績と通所者の名簿が管理されていたことから修士論文の主な調査機関に選んでいる。さらにこの施設の最高責任者の方(RVRD代表)や代表者(実質CBR部門の責任者でカウンターパートともいう)の方お2人は親友であり,組織の立ち上げ時から関わってきた人たちである。そのため非常に人格者でかつ親しみやすく,宿泊先に自宅を提供しようとするほどの方であったので,調査の協力依頼が非常にスムーズであった。

場所:バクタプル郡バクタプル市
創立の経緯:1985年に同郡内で始められた知的障害児向けの養護学校が発端となり,同年にUNICEF-Nepalの支援を受けて,バクタプル地方自治体がリハビリ療育施設として活動を始めた。90年からは主な支援先がノルウェーのNGOに変わり,99年からは郡の行政事務所に組織として登録され自治体として発展した。
支援の有無:有り(全体の90%をひとつのNGOが支援)
Save the Children ミ Norway(国際NGO)
その他:完全通所制の施設 月謝200Rs 訪問指導・巡回相談や診察等の医療行為も行う。
子どもの実態:
児童生徒数 22名(男子11名、女子11名)
障害の種類 肢体不自由(脳性まひを含む)が大半。ダウン症児は1名で,半数が知的障害をもつ。女子は1名を除く10名が肢体不自由(脳性まひ8名)と極端に偏る。
年齢 2〜16歳(女子10名が7〜16歳の高年齢層)
その他 対象はバクタプル郡及びその周辺地域の障害をもつ人たちとしており,カトマンドゥのトリブバン大学病院,パタンの病院等の診断を受けて,通所する子どもがほとんどである。
教師・スタッフ
人数 教師4名(男性1名,女性3名)
生活スタッフ2名
実態 平成15年10月からJICAのシニアボランティア(SV)として,日本人女性の元現職教員が障害児教育の専門家として働いている。ほか,3名の教員は全員ネパール人。RCRDというこの施設の独立研修機関で数ヶ月の養成を受けている人たちである。またその中で1名の女性教員は日本の養護学校で3ヶ月の研修を受けてきた経験がある。

特徴
○ 月〜金曜日は通常日課が行われており,土曜日には普段通所していない子ども(情緒障害、精神病、引きこもりなど)の親も混じり,保護者向けのトレーニング・相談の場にしている。また訪問指導も行っているようである。
○ 指導計画にはポーテージプログラム※を採用している。
○ 隣接するGeneral Schoolには、難聴児クラスが設置されており生活に支障をきたさないような子どもは通級となる。
※ポーテージプログラムは,家庭での療育指導を目的にアメリカで開発された早期教育プログラムである。経済的に負担のかかる指導を避け,西洋の理論は取り入れるが現地の風土習慣に合わせ,且つ日常生活の中で簡便に実施できる方法を考案するという意味でCBR等と組み合わせて行うと成果が望まれるが,親指導を行う専門家が存在しない29。

CBRO- Bhaktapurのパンフレット
対象 
バクタプルに住む全ての障害者
目標 CBROは障害の発生の少ない社会を目指し,障害をもつ子どもや人々が歓迎され機会の均等とインクルージョンの権利をもち得るようにする。
目的 理解ある地域に根ざした障害の予防とサービスを,障害をもつ子どもと人々に認められた権利として促進させる。
戦略 @リハビリテーションサービスを促進・提供することが,損傷(impairment)と能力障害(disability)の影響を減らすために子どもの初期発達段階で処置される。
   Aリハビリテーションの提供とプログラムの啓発による社会のメインストリームの中の障害をもつ子どもや人々のインクルージョンと参加。
   B障害の発生を減らすための予防策をイニシアティブする。
   C鍵となるStakeholderとサービスの提供者とで連携やネットワークを構築する。
   D様々な募金活動対策を通して,プログラムと組織への支援を強化する。
   ECBRアプローチと障害をもつ子どもおよびCRCのための権利を主張する。
活動Aリハビリテーション
   @早期診断と障害の予防
   A家庭内プログラム
   B医療的介入と専門医照会サービス
   C教育機会の構築
   D普通および特殊諸学校におけるCWDsのインテグレーションとインクルージョン
   E重複障害をもつ人々のデイケアセンター
   F聾学校の経営
   G独自色の強い工夫した対策の確立
   H職業訓練の機会
   I自営業者のための抵当貸付
   J職業斡旋
   Kカウンセリング
  B予防活動
   @保護者会と保健教育
   A一般向け健康診断
   B聴覚クリニック
   C母子健康保健所
   D免疫を与えること
   E家族計画
   F保健プログラムの移動学校
   G障害問題に関する継続性と啓発プログラム
   HHIV/AIDSの予防に関わる啓発プログラム
  C内部,地域,国内外の,プログラムおよび組織を支援する資源の流通
  Dサービスや調整に関わるGOs,NGOs,INGOsとのネットワークの開発

◎Patan Community Based Rehabilitation Organization
 パタンはカトマンドゥに隣接する市でも特に近く,カトマンドゥ市内マップの中に一緒にするほど隣り合った大きな町である。そのため,都心部分も多くあるがパタンCBROは市街地の外れにある。今回の滞在で知り合った現地人の友人(ORCHIDという里親組織を副職として活動している)に連れていってもらった。スケジュールが合わなかったため,平日日課外の日に伺ったため代表者(カウンターパート)の女性から友人を介した聞きとりのみ行った。平日の日課に是非こどもと遊ぶために来てほしいと誘いは受けたが時間の都合が付かなかった。訪問した日は地域住民と健常の子どもと何人かの障害をもつ子どもが一緒に屋外で簡易トイレを作っている最中だった。

場所:ラリトプル郡パタン市
創立年:1995〜
支援の有無:有り(市長,村長などの個人レベルの寄付からINGOまで多方面から)。バクタプルと同じく,Save the Children ミ Norway(国際NGO)の傘下にある。2004年から障害理解教育に関しての予算が政府から出ている。
その他:通所制教育施設 月謝600Rs デイケア, 訪問指導・巡回相談や診察等の医療行為も行う。
子どもの実態
人数 2〜12歳は17名,16歳以上は16名 (年齢で2つのクラスに分かれる)
デイケア 7名,訪問指導 5〜6名

障害の種類
対象はMultipule disabilityであるが,視覚障害者も多い。ダウン症児も5〜6名いる。比較的軽度の子どもが多いとおもわれる。

特徴
○ リハビリテーション機関としてのCBROというよりも,教育施設という印象の強い施設である。学齢を超えている16歳以上の通所者には,生活訓練などのSkillを高める指導を行う。また地域(学校や行政機関など)に向けた障害理解教育(障害の原因,予防法,処置法の普及活動など)に非常に力を入れている。
○ 2003年にPatan-CBRO独自でパタン市の障害者数等の調査を行っている。
○ 教師・指導員の養成機関はBhaktapur-CBROと同じくRCRDであり,彼らは数ヶ月の研修を受けている。女性の指導者が目立つ。またカウンターパート(マネージャーのような存在)も40歳前後の女性である。

CBRO-Patanのパンフレット
 1995年NPOとして立ち上げられ,予防,障害のケア,支援・設備の用意,統合教育,統合社会,社会的リハビリテーションのため組織されて,全ての段階を完備したリハビリテーションで地域社会を巻き込んだ障害をもつ子どもへのサービスを支援している。
目標 さまざまなIMGOs,NGOs,GOsと協同でCBRリソースセンター内パタンCBROを発展させることで,ラリトプル郡,カトマンドゥ,ヌワコット郡,ナワルパラシ郡の異なる能力の子どものために適切な環境を構築する。
目的 @目標を達成させるため組織に必要なスキルと能力を伸ばす。
   A地域や国内の重要な鍵となるStakeholderとの間に子どもの障害に関する知識・理解・概念の明確化を図り,彼らの義務と責任を注意喚起させる。
   Bパートナーシップのため鍵となるStakeholderの身元保証と動員。
   C地域,国内の様々な鍵となるStakeholderとの協同とパートナーシップにより広い認識構築の基盤を強化する。
   D教育の機会,保健リハビリテーションサービスへのアクセスにおいて,障害をもつ子どものインクルージョンを機能させる擁護に焦点を当てる。
   E診断された子どもへの初期リハビリテーション施設へのアクセスを工夫する。
   F他の開発組織とのパートナーシップの協同を通じて,達成された調査の終了した郡で子どもの障害の実態調査に関して利用できるデータを集める。
   G地方自治体へ教育や健康保健分野の特別な障害者用リハビリテーション施設にメインストリーミングアクセスをもたらせるように働きかける。
   HCAHDの通常業務と同様に,管理のため関係組織との連携を構築強化する。
   Iパイロットプロジェクト(試験的計画)を実行するために政府を補助する。
   JCBROの努力拡大の発展において,社会的不利( handicapped)へのコミュニティーアプローチのスムーズな実行のために管理運営を強化する。
実施中の活動プログラム
   @各自の義務・責任・行動について啓発するために重要な鍵となるStakeholder,国内,郡,プロジェクト地域レベルで,子どもの障害・ネパールの実態・子となる能力の子どもたちの権利問題について知識と理解を増進すること。GOs,NGOsと地域住民へのCBRとCRC(Community Resource Center)のワークショップ・オリエンテーションを指揮する。
   A子どもの障害についての広い意識改革を継続するために郡,国レベルで鍵となるStakeholderとの強化・協同を結集する。
   B400人の障害をもつ子どもとその家族への初期リハビリテーション施設へのアクセスを改善し,最善の潜在力を発達させるため,子どもを支える家族のスキルと能力を伸ばす。
   Cプロジェクト地域内で子どもの障害の予防と早期診断のための施設へのアクセスをつくる。
   D更に拡大するために,パタンCBROによる2002年までの可能な支援相手を保障する。
   E隣接の1郡,1市を加えた達成を図るため,対象障害児の住む郡と実行中の地理的プロジェクトをこえた郡との初期リハビリテーション・予防施設へのアクセス。
   F家族の認識と心理,あらゆる教育機関,保健機関に影響を与えるため,障害をもつ子どものインクルージョンとメインストリームプログラムを促進する。
   G実行中の啓発プログラムの中で,鍵となるStakeholderの十分な能力を開発する。初期リハビリテーションと予防では開発プログラムの中で障害をもつ子どものインクルージョンを管理する。
   Hプランニング,モニタリング過程の中で障害をもつ子どもが最も興味をもつ計画でインクルージョンの提案と意見を確立するのに,子どもの参加を増やす。
   I1ヶ所に子どもたちを集め,障害児の心身の発達をねらった様々な遊び,おどり,歌を教えることで通常の活動グループは1日に2回編成される。
   J認識・理解・CRC幹部の慣習・鍵となるStakeholder間のGMCのレベルを増加させる。
   K新しい役割を担う組織力を高め強化する。異なる能力をもつ子どもたちの権利の認識のために,未着手の部分へアプローチするような努力をさらに増やし,資源の照会組織として機能する。
   L変化の状況で障害(者)問題をたどり,彼らの資源を流通させるため,鍵となるStakeholderの役割と参加を増やす。
   M明確なモニタリングと評価システムを開発し実行する。
   N中間報告,SCN戦略と国策の変化の点で,戦略・機構・方針を改定適合させる。
   O日々の活動を調整,管理し,文書を記録し,査定して基礎を作る。

◎公的機関の女性児童社会福祉省女性社会福祉局(聞き取り)
 今回の滞在中に訪問できた唯一の政府機関である。現在,JICA(日本国際協力機構)からSVの女性(もともとネパールの民間NGOの盲人協会に支援協力をしていらした方)がこの機関に派遣されており,現地でお世話になった日本の知人から連絡をつけていただき,その女性と面会できることになった。オフィスで彼女からお話を伺い,その後に後述のブリクティマンダップ(NFDN所在地)内を(短時間ではあったが)案内までしていただいた。

場所:カトマンドゥ市内
支援:Disable Persons International(日本のNGO)
活動内容:
・国内NGOの統括→国内で活動するNGO及びINGOの登録先であり,年に一度の会計監査(各団体の自主的な会計報告)を管理する場である。
・情報提供→一般人の外来者向けに2003年9月に開設された相談窓口。主に障害児向けのサービスについて案内することが多い。
その他:
→創立の経緯は故前王妃が慈善事業として立ち上げたことがきっかけ。省の下にある機関であるが互いの連携は薄く,活動が重複することもしばしばである。つまり,上記の業務内容に関しても肩書きだけの部分があり,組織力は低い。
→国内に推定15,000あるNGOのうち,登録済みのものは1,000うち100はINGOである。しかし実際に登録している障害者サービスに関するNGOが人口の5分の1を占めるほどであるわけがなく,数回の交流・接触のみで障害者サービス分野のNGOと名乗るところも存在すると思われる。
→奨学融資制度がある(1人あたり最大で2万Rs)。しかし利用者についての経過報告や成果の記録等がなく,情報の処理知識が低いと思われる。

◎National Federation of the Disabled in Nepal ( NFDN )(仲介者なし,英語による聞き取り)
場所:カトマンドゥ市 ブリクティ・マンダップ内
支援:DSI(デンマークINGO)
活動内容:国内全土の自助団体の統括→障害者の権利擁護・啓蒙活動を行うような国内全土の活動団体のセンター的存在。2001年のネパール全国障害者実態調査の調査報告文献を無償で提供して下さったのはこの団体である。

◎Khagendra New Life Center カゲンドラニューライフセンター内(見学)
 カトマンドゥ市校外に位置する広大な敷地の総称で,15年以上前から何カ国かからの大きなNGOがそれぞれに建物を設けて障害者むけのサービスを展開してきた場所である。現在以下の5つの建物がそれぞれで活動している。上述のJICAの臨時派遣専門家の方と偶然現地で接触ができたため案内していただいた。彼は86年の隊員時代にこの施設内のネパ−ル障害者協会(NDA)に作業療法士として配属されていた。その時の修士論文によると,当時この施設には「84名が入所しており,ネパール最大のリハビリテーションセンターであった。待機者リストには200名を超える名前が連なる一方で,入所期間は6,7年に達し,年間の退所者はわずか1,2名程度で,国のリハビリテーションセンターとしての機能は果たせなくなってしまっていた。30」とある。先にWHOのリハビリテーションアプローチの3タイプを紹介したが,この施設は典型的な施設中心型アプローチ(Institution-Based / Agency-Based Approach)である。「病院や学校等施設における障害者を対象とした治療・訓練的サービスの提供を中心に据えたアプローチである。サービスは専門的である反面,限定的であり,施設のサービスに適さない障害者は除外される。施設と専門職の役割はサービスの決定と提供であり,障害者の役割はサービスの受益者であり対象である。」というものである。以下の細かい施設(建物)の簡単な紹介を見ると,一部にその行き詰った様子が伺えるであろう。

 @ネパール障害者協会(Nepal Disabled Association)
 ドミトリー,図書館,職業訓練作業所などの施設をもち,事務局は国内の一部地域に広がるCBRのセンターとして機能している。つい最近,政府もCBRネットワークの分野に着手し始めたがNDAの方がまだ規模としては大きい。全国区というわけではないが,広い範囲で行動している。その実践計画の一例を紹介する。2003年にカスキ郡ポカラで新しくCBRを実施する村を選択・決定するために調査に同行した上記のJICA臨時派遣専門家の先生のレポートによると,「NDA CBRは過去十年間にNHR(英語ではSwedish Association of Neurologically Disabled)の援助を受け,14か村でCBRを実施し,村のCBR委員会(Community Rehabilitation Committee)に運営させている。つまり直接的な支援は3,4年に限定し,その後他の村へ拡大させていくのである。現在NDAが関わっているCBRは7か村で,そのうち2村が12月に終了となる。そのため,今年度は6村を新たに活動拠点として加える計画である。」(ちなみにこの調査は9月に行われている。)とあり,この先生の視点からは,この同行にあたって「障害者やその家族だけに声をかけているのではなく,村の村長や有力者は含んではいるが,地域住民を対象としており,医療モデルから完全に地域開発の手法にとって変わっている」感を受けたという。この調査で無償で同行している元NDAのfield supervisor の Punya Prasad Bhandari氏に言わせると,CBRで重要なことは「Accessibility (接近性/通いやすさ),教育レベル,VDC村のリーダーシップ」の3つであり,Sustainability(継続/持続性)について重要なことはSensitization(啓発)意識を変えることだと述べている。このような考えからも,Khagendra New Life Centerの設立当初からNDAのCBRに関する認識の違い(変化)がうかがえる。

 AオーストリアINGO(Save Our Souls)の関連施設
 32人を定員とする重度障害児のためのサービスを展開する。3棟のドミトリーには男女それぞれの子ども専用の棟と彼らの母姉スタッフ(親族ではない)のための1棟がある。子ども一人一人にスポンサーが付いており手厚いケア(教育ではない)が受けられる。

 BKhagendra Home
 元々イギリスのINGO(Ryder-Cheshire)によって展開されたチェシャールホームであった。成人向けの入所施設で作業訓練やリハビリ用の部屋などあるが,いったん入所すると地域に戻れなくなり定員空きがなかなか出ないような施設であった。現在はイギリスは手を引きNDA管轄の下,定員は極めて小さくなり運営されている。

 CNepal Orthopedic Hospital
 この敷地内で最も運営のうまくいっている整形外科病院。優秀な医師とPT(理学療法士),看護婦などの人材が多く集まっているところ。民間人などからの寄付も頻繁にあって建物や機材なども非常にきれいである。患者の管理にPCを使っているほど。

 DSpinal Injury Rehabilitation Center
 敷地内で最も重度の障害を持つ人々,脊髄損傷の方が集まる入所施設。

 ネパール国内で最先端のサービスやケアがこの敷地内で行われてきた。今も尚そうではあるが,都市部に位置し,古いCBRスタイルのまま現在まで変わらず運営されてきた施設(そして組織自体が成立しなくなっているもの)も中にはある。ほんの一握りの人間だけがこの国の経済状態に見合わない最高のケアを生涯にわたって受けることができ,同時に非常に重要な価値観である共同体の帰属意識が希薄になるということは,この敷地内を見る限りでいまや時代遅れの手法であると言えるかもしれない。NDAなどは今にあった運営方式でリーダー的な存在に成長してきている団体なのである。

◎ResourceCenter for Rehabilitation and Development ( RCRD )(聞き取り)
 先述のバクタプルCBROから独立した機関である。現在その働きはネパール全土を対象としたものに成長したが,詳しくは後述の団体の紹介パンフレット(訳)を参考にしてほしい。この施設はカトマンドゥから出ているバクタプル行きの市バス終着場の直ぐ近くにあり,市街地の中にある。正面はバクタプル郡の病院(障害の診断を行うことも頻繁にある)であり,カトマンドゥからは車やバスでやはり1時間弱ほどである。

場所:バクタプル郡バクタプル市
支援:Save the Children ミ Norway(INGO)
活動内容:CBRスタッフ研修機関→上記のINGO傘下にあるCBRO(前回紹介したバクタプルCBROやパタンCBROなど)のスタッフを養成する民間NGO組織。会議部屋や視聴覚機材,義肢足のサンプル倉庫,宿泊施設など研修に必要な設備がある。(元々バクタプルCBROの研修部門として97年から立ち上げられていたが,99年に独立した団体になった。)

Resource Center for Rehabilitation and Development ( RCRD )のパンフレット
目標 RCRDでは障害をもつ人々の権利を尊重する社会を理想とし,彼らの機会均等を確かなものとし,彼ら障害者を社会のメインストリームの中にインクルージョンする。
目的 RCRDの役目はネパールの障害者に地域に根ざした啓蒙・予防・インクルージョン・リハビリテーション過程を提供するべく,彼ら当事者,NGOs,GOsの力を伸ばし促進すること。
戦略目標
   @意識改善,予防,インクルージョン,リハビリテーションの点で先導できる人的資源の開発組織としてそれを構築する。
   Aネパールの障害者問題の国内情報センターとして組織化する。
   B障害者問題の鍵となるStakeholderの間で効果的擁護活動とネットワークを強化する。
Cプログラムおよび組織の支援強化の点で鍵となるStakeholderと両親の役割を増やす。
活動と成果
○トレーニング
 RCRDはトレーニング組織としてよく知られている。それは,子どもの権利協定(Convention on the Rights of the Child;CRC),トレーナー訓練(Training of Trainers;ToT)と組織管理の点で,障害(者)の特別な問題のトレーニング範囲と一般のトレーニング範囲とを組み合わせているものである。それは,3ヶ月間の地域の障害フィールドワーカーのための包括的トレーニングを含み,さらに追跡調査や初心者講習も引き受ける。これらに加えて,RCRDは要求に合わせた数々のトレーニングを発展させ指揮する。従って,RCRDでは今までに異なる組織の700名を指導してきた。
○情報
 RCRD自体,障害(者)問題の国内情報センターとして展開してきた。この分野の主たる活動は,情報文書の収集・整理と適切な対象に適当な情報を提供することである。特に,国内外組織の多様な資源から障害(者)問題の指導マニュアル・文書調査に関連した文献や資料を集めている。また,障害の分野で活動する組織の国内の名簿をネパール女性児童社会福祉省と協同で出版した。この名簿は定期的に改定される予定である。
○アドボカシー
 RCRDは実際に子どもと障害をもつ人々の権利擁護に関わっている。それらはCRCや国連基準規則に認可されて反映されているもので,それら全ての活動において刺激となっている。RCRDは会議,ワークショップ,オリエンテーション,プレゼンテーションを組織し,また地域の様々なレベルに貢献している。近年,国内障害者サービス調整委員会(National Disability Services Coordination Committee)に参加し,障害者保護福祉法の修正,児童福祉法,国内CRC定期レポート(2001)の準備などに積極的にその役割を果たしてきた。それらはNFDNの諮問委員会である。
○組織開発
 独立したNGOとしてのRCRDはより自己依存を強め,組織化を進めることを意識している。ここには熟練された25名のトレーナーと専門家の資源,異なる障害分野の経験,組織管理が存在し,常に学びの場や問題の表出,その適切な処置を探求している。さらに,国際協力の資源に加え,国内内部の資源の流通に配慮している。国内関する限り,RCRDはトレーニング,人的資源,レンタルサービス,資源力を強化するための募金活動引き受けの計画などに資源を動員している。
○協力と調整
 障害予防,インクルージョン,リハビリテーションは切り離して解決することのできない総合的な問題である。ゆえにRCRDではネパールの障害をもつ子どもと人々の権利を満たす要因をたどり,手を取り合うため,全ての関連機関に声をかけている。近年RCRDはノルウェーのセイブザチルドレン(Save the Children-Norway)やフランスのハンディキャップインターナショナル(Handicap International)とパートナーシップをもち,ともに活動してきた。様々なINGOs,NGOs,GOsとも強い調和と調整を構築している。

3節 考察
 さて以上のようにさまざまな施設を訪問したわけであるが,情報収集を最大の目的としていたその成果はあったと言えよう。少しでも手がかりになりそうなところは,わずかの時間でも割いた甲斐があったと思う。しかし情報以上に貴重であったのは,実際に見ることからネパールの特徴を再確認したことである。他の途上国でも大きなポイントになってくると思うが,家庭・市町村などの小規模単位の集団がもつ絆・つながりの重要性である。厳しい自然や生活状況だからこそ協力体制は必然的に生まれてくるものなのであろう。そしてその結果生じる小集団のまとまりは,共通の問題意識に取り組む体制を構築しやすい。これは調査報告に取り上げた団体だけでも説明できることである。
 教育施設を見ても保健医療関係を見ても,CBRは概念自体がこれに当たるのであるが,モデル校・センター的情報発信機関が中心となり各地にその原動力が散らばってゆく。末端で地道に活動する団体は,資源不足や地域の問題と戦いながらなんとか最新の目標を勉強し,地元色に合わせた成長を目指している。地方地方ではそれぞれの限界が確かにあるかもしれない。田舎のほうの学校には(それなりのがんばりは勿論見えるが)限界がある。しかし逆に,高度な知識や情報の中心そのものに障害をもつ人々が集められる様子は悲惨な結果になる。これは大型施設の事例で容易に想像できるであろう。施設と専門職の役割がサービスの決定と提供,そして障害者の役割はサービスの受益者であり対象となるそういった相互関係が,限定的な場所で実施されると,アウトサイダーを追いやる排他的な空間を生み出すだけになってしまう。生活空間,生活状況を相互に分かち合う関係を断ってしまうことはこの国の障害者にとってそれこそ致命的なことになるのである。政府そのものですら組織力にかなりの問題があるというのに,低い組織力・(身近でないために)低い問題意識・財政の限界など,このような要素の中で主体性や自立的な運動を望むのは難しい。
 国の事情が複雑に絡み合う中で結局私が感じることは,障害への関心を如何に高めるかということである。啓発なくして強い動きは生まれないだろうと思うのである。障害への関心・問題意識をもつことは,この国の人々にとって必ず何らかの変化をもたらす。その変化は勿論障害をもつ人々などマイノリティにとって良いものであってほしいが,そのためには徹底して正しい啓発を進めることにあるだろう。つまり,CBR的開発も下手をすると中央集権的で権威的なものになるのではということなのである。組織の中には首都に近い立地のためか,非常に権威的雰囲気をもつところがあった。国自体が途上とされ教育の徹底を図り始めてから,それまでの権力に対する絶対的な価値付けが高学歴高所得の方向に近年さらに発展している風潮がある。高い教育レベル,裕福な暮らし,権力者を知人にもつこと,これらは都市集中現象を悪化する原動力となっており,時代の流れは一部分で障害(者)問題にマイナスになりうる要素を抱えている。

終章 ネパールの現状と課題

1節 文献とフィールドから見る考察
 障害(者)問題に関する世界全体の流れ,アジア太平洋地域の動向を抑えた。さらに地域の一員としてのネパールの成果報告,国内で独自に実施した全国障害者実態調査,そして個人で収集した情報と順を追って紹介した。では,最後にネパールの実情が多国間の共通目標にどれだけ迫っており,どういった位置にあるのかを12の行動課題別に分析していきたい。
※なお,括弧の表記を【 】は107の目標のナンバリング(2章3節1項),[ ]はExecutive Summaryのナンバリング(3章8節2項)として区別して記述する。

1項 国内調整
 主に目標の全体像として,組織の体系づくりを据えていたものである。国,それに準ずる地方・群などの組織,さらにその中にNGOや当事者・親の会等,関係者がまんべんなく相互関係をもつ体系を目指しているが,実際にはどうであったか。
 RNN(アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議)の成果報告(2章3節2項)にもあるように,国内調整委員会(NCC)が2000年にネパールでも立ち上げられ,政府に対して発言力をもつ活動を各関係者を集めて実践している。事実4章で取り扱ったRCRD・NFDなどはその関係NGOの一部であり,NCCの構成員である。この機関が「効果的なコミュニケーションルート」を担っているかは明示できないが,法の修正案作成や権利協定(CRC)についての定期レポートの連絡協議など会議はすでに行われている。また【1・11】にもあるように「障害者とその家族の生活状況に関する正確なデータ」を集めた結果が3章の調査そのものに還元できると考えてよいだろう。ただし定期的に更新されうるか否かは今後の展開を見るしかない。
 一見それなりの成果を挙げているように見えるが,ひとつとても重要な部分について濁されていることがある。それは国や政府の姿が見えてこないということだ。民間の関係者も発言力をもつようになったとはいえ,NCCの報告は何を介して国にその生の情報を伝達しているのであろうか。NFDでの聞き取り時も「自分たちの活動は,国の意識を変えつつあり徐々にその影響が表れているのです」という関係者の自信ある発言とは裏腹に,いずれも具体的に実践例が見えてこないのが現状である。

2項 立法
 法の詳細な側面については,情報収集に限界があるためA Situation Analysis of Disability in Nepalに掲載されているものを参考にせざるを得ない。しかしNGO関係者からの聞き取りでは,【2・1〜2・2】にはある程度国内で動きがあることははっきりしている。RNNのレポート(2章3節2項)にある1982年「障害者保護および福祉法」は[8・2]にあるパンチャヤット政権時代の法と時期的に一致しており,機能性の低かった法律が現在修正・改訂の最中であることが明らかであり,さらに[8・4]に示された「法の改正でいすら視野に入れた委員会」の存在はまさしくNCCのことを指しているのではないだろうか。ネパールで障害をもつ人々の人権・権利が認められ,機会均等を目指すといった姿勢が伺えることは,2章の世界の障害(者)問題運動と重なるとも置き換えられ,ネパールにも立法面での進歩のあることが分かる。
 但し【2・3】以降について,当事者に対する肯定的な世間の認知やそれを助長するイメージ戦略,様々な文化的・社会的戦略などは実際にまだ追いついていない。2004年の現地訪問直前にネパールがホスト国となってモCapacity-Building Training/Seminar for People with Disabilities(CBTS)モという国際的セミナーが開催されたが,資金不足などの他要因はあるであろうが,意識関心・広報活動などが低く留まり盛況さに欠けていたという話を聞いている。ここから推測できるのは,立法自体は動き出しているがそれが浸透するだけの意識基盤は遅れており,具体的な戦略政策まで着手できないということである。

3項 情報
 障害関連調査や行動課題の翻訳活動は十年の期間中になされている。一国の政府が主体性をもって活動していない面や,アジア太平洋地域規模の共通となる障害定義の開発【3・2】などに関してはまだ改善の余地があるが努力の跡ははっきり伺える。また検索可能な情報を多様な民族・言語に合わせてデータベース化してゆく目標は,代替物として情報センターの働きをするNGOや政府の公的機関を引き合いに出しても始めの一歩と捉えてよいであろう。「当事者が質問にやって来る(女性社会福祉局,4章2節)」という実態から伺えることは需要があるということであり,今のところは臨時の相談所的形式(正式な相談機関としての機関ではない)に留まっている。しかしIC化が進むにはまだ時間も資源も足りないし,さらにそれ以前に相談所の数そのもの需要に見合っただけの数と質を備えていない。

4項 国民の啓発
 RNNの報告では「なし」とされているのだが,3章の文献調査からもかなり立ち後れた分野であることは否定できないであろう。国民の障害に対する正しい知識・理解・認識は行き届いておらず,超自然的な力に依存する人々のまだ多い事実[4・7]や障害を救いようのない現象と諦める傾向[6・15]からもそれは明らかである。そもそも専門化されているはずのスタッフですら知識不足が示唆され[6・13],目標の大半を占める基礎概念の構築が普及していないことが分かる。目標自体はいずれも広報活動やイベント企画などの具体的に生活場面に現れるように啓蒙戦略を打ち立てているがそこまで至らない状況である。

5項 アクセシビリティーとコミュニケーション
 コミュニケーションについては,RNNおよび個人調査から点字など特別なニーズへの具体的施策も少しずつ浸透し始めている。手話もネパール語のための手話やアルファベットの指文字など指導者側の努力もあって一部で用いられているが,言語によって手話に置き換える難しさがあるようで,ネパール語では表現の広がりがやや狭いという残念な指摘も得ている。
 アクセシビリティーのように資本・技術の必要なバリアフリー建築はネパールで適応可能かまだ判断が難しい。日本ですら1994年に建築物のバリアフリー化を法制化(ハートビル法)し、2003年に改正,建築基準法に関連規程として取り込んだばかりである。今現在で2階以上の伝統的建築様式が建物のほとんどを占め,地方では裕福な家庭で窓にガラスがはめられているという水準である。資材・経済面での問題と,大規模家族構成などの社会が根強く残っているため,ネパールでバリアフリーを普及させるにはまだ難しいであろう。しかし一部で進歩的なものも見られる。4章で紹介したRCRDとバクタプールCBROは共同で使用する新しい施設を訪問時の時点で建設しており,簡易診療所なども併設した2〜3階建てのものが完成する予定である。ここにはエレベータこそないものの,1階の一般向けの診療窓口にはスロープが設置されるという。構想段階でスロープが含まれるのはネパール初めてのことではないかと関係者もいっていた。

6項 教育
 
男女間の教育格差,教員の質,高い留年率と中退率などは特殊教育に限らず普通教育でも社会問題とされていることである。但し,3章の考察で触れたとおり障害をもつ子どもと健常児とには就学にかなりの差が存在する。それが教育から職業訓練教育(スキル訓練)ともなるとその希少性はさらに高くなることは歴然で,教育課程の中に確実に組み込まれている【6・7】のかは甚だ疑問である。障害をもつ子どもための教育に関する特別な支援は物理的にも技術的にも目標にはまだ遠い状況である。滞在中,新聞には比較的頻繁に教育省の特別教育関連記事が掲載されていた。確かに活発にはなってきているのは分かるのであるが,具体的な施策や日時のめど等は明記されていなかった。早期教育プログラム【6・4】については,CBRでの予防活動項目に想起対応を包括するような類似したプログラムが連なっており,家族や地域社会の開発政策的なアプローチ【6・11】が実践につながっていることを加味すると家庭内での保健的教育活動にはそれなりの展開が見られるとしてよいだろう。一方でインフォーマルを含む公教育では小数の児童生徒にサービスが限られてしまうとも言える。また,障害の種別に考えると目標の中でも懸念されている知的障害・重複障害・自閉症・学習障害・行動障害・言語,コミュニケーションに問題のある子どもの教育【6・8】にはJOCVなど他国の技術援助を要請したり,(自閉症など特に)概念そのものが比較的最近有識者に理解されてきた経緯をふまえると,教育実践に適切な対応を求めるところまで来ていないと言えるであろう。但し,てんかん・身体障害・聾唖・盲などの教育にわずかではあるが成果が事例報告されているところを見ると,知的障害をもたないまたは精神疾患のない児童生徒に関しては総合が進んでいると考えられる。

7項 訓練と雇用
 教育の項で述べたとおり職業訓練教育やスキル訓練の低い浸透率からするとRNNの「なし」という報告にも残念ながら信憑性がある。しかし,ごく一部ではあるがNGOでは職業斡旋を活動に含めている機関もある。例えば,2002年のネパール訪問時には偶然ではあるが「女性身障者協会」(場所や団体の正式名称に関する正確な記録を残していない)という民間NGOを訪ねた経験がある。そこでは軽度障害から差別を受けて解雇されたり,離婚によって扶養者を失った女性などの労働訓練を行うために活動している団体であり,はた織りや裁縫などの技術訓練・製品の販売を細々と行っていた。日本でいう作業所に近い施設であろうか,授産施設のようなシステムは整備されていないため外国のNGOの援助で経営していたが厳しい運営状況であったという記憶がある。またネパールでもそれなりに知名度のあるレストランチェーン店では,ほとんどの店舗で客室係に障害をもつ人を採用していた。オーナーの個人的な活動であると耳にしたが,企業雇用が存在したのに驚いたことがある。但し,そのレストランで見た被雇用者達はすべて聾者の男性であり,職業訓練学校を卒業しているということであったからかなり限定的であることは否めない。

8項 障害の原因と予防
 教育の項で述べたが,CBRサービスでの障害の原因と予防プログラムは比較的活発に実施されている。しかし,幼児などの子どもの早期対応に限定されるサービスが多く手がけられる一方で,成人向けのものや種別によってはまだ満足なものとなっていない。そもそも出生児の平均余命が60歳未満である(59.1歳/UNDAP2001)ことからもその段階まで至っていないためとも考えられる。ただ,3章を見ると衛生保健教育が進められていると言っても,その従事スタッフの障害に関する知識不足が少ないことやサービスの利用側である当事者の親など施設を活用できていない現状がある。それらふまえた上で,特に予防策が流通する経路とそれをスムーズに循環させるだけの最低条件(地域に精通した人材の確保,基礎知識のテキストなど)を早急に揃える必要があるだろう。

9項 リハビリテーション
 CBRプログラムを中心にしてリハビリテーションに関しては全国的に何らかの活動が展開している。サービスの受け手である当事者・その親,供給側のスタッフをより地域内で相互に密着させようと尽力している機関が多く存在するし,旧来の方式で施設型のサービスを展開する所もある。また【9・7】で求められているような二国間援助も資金面技術面ともに様々な国との間で進められている。しかし,包括的国家政策【9・2】,貧困状態にある障害者の社会保障制度【9・9】など未だに整備が足りない。RNNの報告にあるように国家計画と予算にリハビリテーションサービスが含まれたことから今後の成り行きに注目できるだろうか。また,実践研究や革新的アプローチ【9・8】は今のCBRシステムが一般化してきた後,さらにこの国に適切な形に変化してゆけば次第に活発化するであろうか。リハビリテーションシステムには自発性を期待できるだけの可能性が他の項目に比べて高い。

10項 福祉機器
 福祉機器について取り扱った施設はバクタプルで1カ所見たきりである。
 技術の程度・技術者訓練・研究・材料の充実・生産それらの実態は定かでない。しかし,こういった物理的要素の強い項目は資金資財の過不足している国ではやはり育ちにくい。学校施設で見た立位用の装具や子どもを座らせる椅子には,板に関節をくくりつけるような古い時代の技術が(考え抜かれた結果)工夫して実践されている様子で,此処にあるものを駆使してやりくりするという印象を受けた。

11項 自助団体
 自助団体の目標には障害をもつ人々の中でも特に農村部・地方・スラムの貧困層・女性や少女など余計に後ろへ追いやられるグループへの配慮が目立つのであるが,全体的に当事者そのものの社会参加が少ないことが調査の結果から明らかである[4・12,5・12]。ただ,自助団体の指導者育成,運営に関する訓練【5・11】については日本の幾つかのNGOでリーダー研修プログラムという形で知見しており,まさにこの項目に該当すると言える。
 ここで目標項目の【11・6】にある「自立生活」についてひとつ言及しておきたい。それは「自立生活という概念」の導入が一体どのように進められるのかという危惧である。「地域における自立生活の達成促進」とはその捉えようによっては誤解が生じたり歪んだ理解が進む可能性もある。3章で紹介のFocus Group Discussionで再確認が成されたように,コミュニティーを統率するための障害をもつ人の自立が疎外につながることもあるのだ。障害をもつ人の自己決定・自己管理を尊重することは地域社会の輪に取り込まれた形で進めなければ意味のないものになってしまう場合があるのを確認しておきたい。

12項 地域協力
 この項目は多国間援助のアプローチの目的を自国のエンパワーメント,そこから生じる国民の理解,各国で優先する開発領域での当事者参加など,国に関わる全ての人間を対象に障害(者)問題を取り扱おうとしている。しかし結果はどうであろう。
 3,4章を通じてもアプローチを仕掛けて実践に移しているのは非政府の団体がほとんどで公的なものは皆無に等しい。わずかに見られる国の努力も,エンパワーメントに直接連動しているというよりNCCなど非政府関係者による圧力をもってして間接的に働きかけているものであり,国の自発性に重きを置いて設定されていると考えるとこの目標内容は未だ達成せずというRNNの報告通りとなる。

2節 現状と今後の課題
 ネパールの実状を4章に渡って紹介し整理してきたわけであるが,この国で現時点の大きな問題とは一体何か。先ず1節でも指摘したことになるが,国(政府)の組織力の弱さである。障害(者)問題を社会問題として真摯に受け止め具体的に活動に移す様子が見られない。主にその役割を担うのは知識・意欲・感心の高い一部の国民(民間NGO)と外部から入ってくる者(INGO)であり,本来率先して先頭に立つべきリーダーは国際的主潮に合わせ体裁を整えている程度にしか映らない。
ネパールでは政治家に知り合いがいるとかなり有利な状況となる現実がある。畠は,98年のJOCV隊員総会講演の中で「アーフノ・マンチェ」(自派の人間)という表現を用いている。ネパールでの援助活動やビジネスを行う時の注意事項を様々取り上げて,騙しの手口やネパール社会に根付く暗い部分をその隊員経験から紹介しているのであるが,ネパールではカースト別,政党別,宗教派別,出身村別に様々な局面で「アーフノ・マンチェ」を優遇することが見受けられ,またそれ以前の段階「チネコ・マンチェ」(知り合い)というのもよくネパール人の間で使われるのだと紹介している31。つまり何らかの仕事や権利を取得する場合に,国など公的機関に申請する時この知人が公関係者にいると非常にスムーズに仕事が進む。裏を返せば,コネのない人間が何らかの活動を起こすのには困難さが付きまとうのである。民主化したとはいえ,権威社会が根底に残ったまま,それを摘発し,更に民主化を進めようとする運動はない。そういった現実がこの言葉に表現されている。権威者たちはその地位に安住し,自らに実害が及ぶことを除いて社会問題に主体性や自発を求めることは難しいのであろう。さらに国民にそれを指摘する力や抵抗しようとする文化がないために権力がのさばっている。この問題に対処するためには,文化の独自性は尊重しつつ中立的立場を保持し指導ができる外部からの知識介入が必要なのであろう。
 次に,総合的に見て物理的要素にばかりに注意が向けられ,啓発において充実した取り組みがなされていないと考える。被援助国が支援されることに慣れてしまうことの危険性は,ボランティア団体で活動を始めた当初に学んだことであるのだが,結局支援の程度が過ぎるとヒンズー教の「喜捨」的な教えが裏目に出る時があるのだ。豊かなものからその冨を分け与えられることに満足してしまうと,自らの力で解決する力が育たなくなってしまう。するといつまで経っても援助する側はその恩恵を求められ,引いては与えないことが罪と認識される可能性すら出てくる。安易な資金や物資の援助は,前述のとおり騙し合う関係を生み出す原動力になってしまう。近年でこそ,ボランティアのノウハウも浸透し,騙されないため,うまく利用されないため,支援する側にも実績と経験が積まれてきているが,そのことを含めて考えても,やはり量や物的な形の充足に捕らわれて質や概念化を推し進めるような根本的な部分を取り残した考え方が主流にあると思われる。すなわち施設数やスタッフの数は爆発的に増えた一方で,それが正常に機能していない活用できていない形骸化された現状が根強いのである。これはやはり初期型援助方法の名残が違う形で残されていると見てよいだろう。形から入ることもひとつの手段であるが,アプローチの方法に変化がある場合を考慮すると,それが十分に働いていない時に見直しを図り改訂を繰り返しながら調整を試みるシステムがここには不可欠である。
 この2点に配慮した対策を講じた場合考えられるのは,情報ネットワークのセンター的存在となり得る人物が全国規模で登録・召集され定期的に情報の交換と意見検討が行えるような連絡協議会を設立するということである。「107の目標」の国内調整委員会の設置に近い対応であるが,同委員会に属する有識者や関連NGOなどの指導的立場の者達は国(政府)と国民の間の仲介役・コーディネーターとして放射線状の核に位置しあくまで原動力に従事するべきである。彼ら核の次に位置する地域毎の中心(情報センター的人物)がいれば,さらに細かい放射を描いて末端まで知識を広げてゆくことが可能だろう。有識者の核は重要であるのだが,それもやはりカースト,宗教,教育レベル,経済状態に高位のものが就く傾向は回避できないであろうから,彼らの障害(者)問題に対する主体的な姿勢を最大限に生かし,中立を貫くようなシステムを構築するのである。そこへ地域をよく理解する市民代表の参加を促せばもう少し啓発運動の守備範囲は拡がるのはないだろうか。活動家の自発性・献身ぶりは国内外を問わずフィールド調査中もはっきりと知見したことである。
 機能性の高いネットワーク拡大の次に必要だと考えるのは,当事者やその家族の能動性を高めることである。ここで近年他の途上国(ASEANなど)で実践されている「母子健康手帳」に注目する。国の衛生保健対策として仮にこの戦略を導入するとどうであろうか。障害をもつ人々の半数が5歳以前に発症していること(3章8節2項[3・7])からも,予防による障害者数の大幅な減少が見込まれる。また,予防に関わる分野を母子健康手帳の制度に任せることとなれば,各CBROの実践している予防プログラムも(発症の減少見込み,母親の基礎知識の変化などから)負担が減ると推測され,障害発症後のケアプログラムに専念できるのではないだろうか。
 安易に専門性分業化を進めるということではない。相互に補完しあう対策を講じれば,CBROは負担減少,母子健康手帳管轄の医療施設(ヘルスポスト等であろうか)は知識修得が余儀なくされ障害(者)への理解浸透という結果が生まれるのではないだろうか。そして何よりも,筆者の考える母子健康手帳のメリットは,障害をもつ人の最も身近な存在である親・家族(特に母親)の能動的な対応を期待できるところにある。親と専門家の双方が,障害の出現以前に経過を確認し合い,問題があれば相談(診断)できる関係を築くのである。ここに大きな可能性があるのではないだろうか。
 施設・専門ツール・薬など物理的環境の充実は一見有効に見えるが,そこにある地理環境,宗教・言語問題,科学への不信といった受け入れの基盤態勢が整っていないことを考慮するとあまり意味のもたないものとなる。従って,必要最小限のきっかけ作りとそこに暮らす人々の意識向上とが,貧困状態でも障害をもつ人々が周囲と尊重し合い共存する場作りに直接繋がってゆくのではないだろうか。

参考資料 本文中におけるネパールの郡名(district)表記一覧32
District 日本語表記 District 日本語表記
Achham
Arghakhanchi
Baitadi
Bajhang
Bajura
Baglung
Banke
Bara
Bardiya
Bhaktapur
Bhojpur
Chitwan
Dandeldhura
Dailekh
Dang Deukhuri
Darchula
Dhading
Dhankuta
Dhanusa
Dolakha
Dolpa
Doti
Gorkha
Gulmi
Humla
Ilam
Jajarkot
Jhapa
Jumla
Kabhrepalanchok
Kailali
Kalikot
Kanchanpur
Kapilbastu
Kaski
Kathmandu
Khotang
Lalitpur
アチャム
アルガカンチ
バイタディ
バジャン
バジュラ
バグルン
バンケ
バラ
バルディヤ
バクタプル
ボジプル
チトワン
ダンデルドゥラ
ダイレク
ダン・デウクリ
ダルチュラ
ダディン
ダンクタ
ダヌシャ
ドラカ
ドルパ
ドティ
ゴルカ
グルミ
フムラ
イラム
ジャジャルコート
ジャパ
ジュムラ
カブレ・パランチョク
カイラリ
カリコート
カンチャンプル
カピラバストゥ
カスキ
カトマンドゥ
コタン
ラリトプル
Lamjung
Mahottari
Makwanpur
Manang
Morang
Mugu
Mustang
Myagdi
Nawalparasi
Nuwakot
Okhaldhunga
Palpa
Panchthar
Parbat
Parsa
Pyuthan
Ramechhap
Rasuwa
Rautahat
Rolpa
Rukum
Rupandehi
Salyan
Sankhuwasabha
Saptari
Sarlahi
Sindhuli
Sindhupalchok
Siraha
Solukhumbu
Sunsari
Surkhet
Syanja
Tanahu
Taplejung
Tehrathum
Udaypur
ラムジュン
マホッタリ
マクワンプル
マナン
モラン
ムグ
ムスタン
ミャグディ
ナワルパラシ
ヌワコート
オカルドゥンガ
パルパ
パンチタル
パルバト
パルサ
ピュタン
ラメチャプ
ラスワ
ラウタハト
ロルパ
ルクム
ルパンデヒ
サリャン
サンクワサバ
サプタリ
サルラヒ
シンドゥリ
シンドゥ・パルチョク
シラハ
ソルクンブ
スンサリ
スルケート
シャンジャ
タナフン
タプレジュン
テラトゥム
ウダイプル

引用文献および資料

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8. 前掲書:国際障害者年推進会議編.国際障害者年・海外関係資料集.社会福祉法人全国社会福祉協議会.1983.p.24
9. 前掲書:国際障害者年推進会議編.国際障害者年・海外関係資料集.社会福祉法人全国社会福祉協議会.1983.p.25
10.前掲書: 国際障害者年推進会議編.国際障害者年・海外関係資料集.社会福祉法人全国社会福祉協議会.1983.pp.41-42
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17.前掲書:UNICEF-Nepal & HMG Nepal National Planning Commission. A Situation Analysis of Disability in Nepal.2001.Vol.1.Chapter1.p.12
18.前掲書:UNICEF-Nepal & HMG Nepal National Planning Commission. A Situation Analysis of Disability in Nepal.2001.pp.xxii-xxx
19.前掲書:UNICEF-Nepal & HMG Nepal National Planning Commission. A Situation Analysis of Disability in Nepal.2001.Vol.1.Chapter6.p.148
20.畠博之.ネパールのカースト/エスニック・グループ間の教育格差とその要因に関する実証的研究.神戸大学大学院国際協力研究科修士論文.第2章.2001
21.前掲書:UNICEF-Nepal & HMG Nepal National Planning Commission. A Situation Analysis of Disability in Nepal.2001.Vol.1.Chapter5.p.117
22.前掲書:UNICEF-Nepal & HMG Nepal National Planning Commission. A Situation Analysis of Disability in Nepal.2001.Vol.1.Chapter2.p.31
23.前掲書:UNICEF-Nepal & HMG Nepal National Planning Commission. A Situation Analysis of Disability in Nepal.2001.Vol.1.Chapter5.p.115
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