初等教育を受ける権利とインクルーシヴ教育を受ける権利の検討
平成16年度修士論文(加筆修正)

大阪大学大学院 国際公共政策研究科
国際公共政策専攻
博士前期課程
永恵美香

目次
はじめに                                     1
1. 本稿の目的と対象                              1
2. 本稿の構成                                  3
3. 条約解釈の方法                                5
第1章.発展途上国の障害のある子どもの初等教育の現状              7
1.アジア                                    7
(1)東アジア                                   7
(2)東南アジア                                 8
(3)南アジア                                 10
3.中南米                                   11
4.アフリカ                                  11
5.総括                                    12
第2章.初等教育を受ける権利の検討                       13
1.初等教育を受ける権利の検討                         13
2.発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利の検討       14
(1)予備的考察                                14
(2)「最低限の中核的義務」                          16
(3)結論                                   17
第3章.「インクルーシヴ教育」概念の生成                    19
1.分離教育への批判とノーマライゼーション(normalization)の概念の登場   19
(1)分離教育への批判                             19
(2)北欧におけるノーマライゼーションの概念の萌芽               21
(3)ノーマライゼーションの概念の発展(1960年代後半〜1970年代)        23
(4)国際的な動き(1970年代)                         23
2.特別なニーズ教育(special need education)の概念の萌芽と統合教育の展開 25
(1)特別なニーズ教育の生成                          25
(2)統合教育の保障に向けた国際的な動き(1980年代)              34
3.ノーマライゼーションから「ソーシャル・インクルージョン(social inclusion)」へ 41
(1)統合教育への批判と「インクルーシヴ教育」概念の登場            41
(2)インクルーシヴ教育の保障に向けた国際的な取り組み             43
(3)「ソーシャル・インクルージョン」概念の登場                47
4.結論                                    48
第4章.障害のある子どものインクルーシヴ教育を受ける権利の検討         50
1.障害のある子どものインクルーシヴ教育を受ける権利の検討          50
(1) 予備的考察                                 50
(2) 子どもの権利に関する委員会の見解                      52
(3) 結論                                    56
2.障害のある人の権利と尊厳を保障及び促進のための国際条約案          57
(1)障害のある子ども(16条)                         58
(2)教育(17条)                               59
おわりに                                    63
参考文献・引用文献                                65

はじめに

1.本稿の目的と対象
 現在、世界の子ども[1]の総人口は約20億人であると推定されるが、そのうち約1億5000万人は障害[2]をもって生活し[3]、80%以上が発展途上国[4]で生活している[5]。世界各国の発展途上国における障害のある子ども[6]の中で、何らかの支援やリハビリテーション・サービスを利用することができる子どもの割合は、平均すると約1%であり、形態を問わず[7]、初等教育を受けることのできる子どもは約2%である[8]。これに対して、障害のない子どもの初等教育への就学率は約80%である[9]。発展途上国における障害のある子どもは、初等教育を受けることが困難な状況に置かれていると言える。
 それでは、このような状況を改善し、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利を実質的に保障していくためには、国家はどのような政策を行っていくべきなのだろうか。この点、障害のある子どもの初等教育を受ける機会を保障できていない初等教育制度の問題が考えられる。すなわち、障害のない子どもの場合は、約80%は初等教育を受ける機会がある一方で、障害のある子どもの場合は、約2%しかその機会がないのが現状であり、両者の間には歴然とした格差が存在する。そこで、まず、発展途上国は、障害のある子どもの初等教育の機会を保障するために、義務的でかつ無償の初等教育を整備すべきであると言える。
 ただし、障害のある子どもの教育の場合は、単に初等教育制度を構成する、義務制と無償制を実施するだけでは、障害のある子どもの初等教育を受ける機会を保障したことにはならない点に留意すべきである。すなわち、障害のある子どもは、その障害ゆえに学習上の特別なニーズをもっており、医療的、心理的、あるいは福祉的な支援を必要とする。そのため、学校教育において、このような教育的な調整が行われなければ、かえって教育を受ける権利を侵害することになると考えられる。この点、障害のある子どものニーズに応じた教育的対応が行われず、ただ単に場所を提供されただけでは、障害のある子どもは学校において行われる教育を理解することが困難となり、個人の人格や能力の発達を阻害する危険性がある。また、障害のある子どもには、その障害ゆえに特別なニーズがあることから、障害のある子どもの障害を個人の医学的な欠陥として捉え、その治療や克服に重点を置いた療育のみが行われた場合にも、読み書きなどの基礎教育を受ける機会を侵害され、社会で生活するための知識や技能の習得が困難となると考えられる。したがって、障害のある子どもの初等教育を受ける権利を実質的に保障するためには、義務的でかつ無償の初等教育制度の整備だけでなく、その教育内容自体をも問われなければならない。
 この点、現在、障害のある子どもの教育の考え方は、障害のある子どもを含む、すべての子どもに対して、それぞれが有する特別なニーズに応じた教育を通常学校や通常学級において提供することを目的とするインクルーシヴ教育(inclusive education)[10]が国際的な潮流であると考えられている。発展途上国における初等教育の教育内容も、この考え方に従い、障害のある子どもがその障害ゆえに有する特別なニーズに応じた支援や援助を通常教育おいて行うべきであると考えられる。

2.本稿の構成
 そこで、本稿では、初等教育を受ける権利とインクルーシヴを受ける権利に関わる国際人権条約の検討を通して、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利の内容について明らかにしていきたい。
まず、第1章において、発展途上国における障害のある子どもの教育の現状について、初等教育を中心に概観する。
 次に、第2章において、初等教育を受ける権利に関する国際人権条約の検討を行い、その保障の内容について明らかにしていきたい。すなわち、初等教育への権利を規定する社会的、経済的、及び文化的権利に関する国際規約(以下、社会権規約)[11]13条2項(a)と、初等教育に関する行動計画を規定する同14条、及び子どもの権利条約28条1項(a)の検討を行い、義務的でかつ無償の初等教育の保障の内容について検討する。その際、条約を「誠実に解釈する」際に当然に考慮に入れるべきものであると考えられる条約実施機関の見解として、社会権規約の実施機関である社会的、経済的、及び文化的権利に関する委員会(以下、社会権規約委員会)が採択した、次の2つ一般的意見について検討する。すなわち、締約国の義務について規定している社会権規約2条1項に関して、1990年に採択した「一般的意見3」[12]と、初等教育に関する行動計画について規定している社会権規約14条に関して、1999年に採択された「一般的意見11」[13]、である。
 そして、第3章と第4章において、発展途上国における障害のある子どもが、初等教育において受けることになる教育内容について検討していきたい。まず、第3章では、障害のある子どもの教育に関して、インクルーシヴ教育の概念の生成過程について検討し、分離教育(segregation)[14]から統合教育(integrated education)[15]、そしてインクルーシヴ教育へという国際的な潮流が存在することを指摘する。
 ただし、第3章については、次の点に留意して検討を行う。すなわち、障害のある子どもの教育に関わる問題は、発展途上国に限られた問題ではなく、先進国と発展途上国の双方において様々な問題があると言える。ただし、先進国では、障害のある子どもの初等教育への就学率はほぼ100%に達するのに対し、発展途上国においては、その割合は2〜3%である。そのため、先進国において問題とされるのは、初等教育を受ける機会の保障ではなく、障害のある子どもの教育内容の質に関するものである。
 この点、欧州や北米では、1950年代に北欧においてノーマライゼーション(normalization)の概念が登場して以降、この概念を実現させるために、障害のある子どもの教育の実践を通して、分離教育から統合教育、そしてインクルーシヴ教育へとその内容を発展させてきている。そして、現在、インクルーシヴ教育は国際的な流れとして考えられ、先進国と発展途上国の双方において実践され始めている。また、国連はこの流れを受けて、国際教育科学機構(以下、UNESCO)を中心として、その実践に向けた取り組みを行うとともに、2001年から起草作業中である、「障害のある人の権利と尊厳を保障及び促進のための国際条約(以下、障害のある人の権利条約)」においても、その保障を規定する動きがある。
 第4章では、第3章の検討から国際的な流れとして明らかになったインクルーシヴ教育の国際人権条約上の保障の内容に関して、子どもの権利条約23条(障害のある子どもの権利)の検討を行い、同条がインクルーシヴ教育を保障していると解することができるかどうかについて検討を行う。その際、条約を「誠実に解釈する」際に当然に考慮に入れるべきものであると考えられる条約実施機関の見解として、子どもの権利条約の実施機関である子どもの権利に関する委員会(以下、子どもの権利委員会)の見解の検討を行う。この点、子どもの権利委員会の見解としては、政府報告審査と障害のある子どもをテーマとして1997年に実施された一般的討議[16]を取り上げる。また、現在、起草作業中である障害のある人の権利条約の審議過程の検討を通して、現段階でのインクルーシヴ教育の保障の内容についての検討を行う。
 最後に、これまでの検討を受けて、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利とインクルーシヴ教育を受ける権利の保障に関する総括を行いたい。

3.条約解釈の方法
 なお、本稿では、条約を解釈するに際して、「条約法に関するウィーン条約(以下、条約法条約)」[17]の解釈規則に従うこととする。
また、社会権規約及び子どもの権利委員会の見解を検討する際に、それぞれの委員会の見解が持つ意義について留意する必要がある。この点、社会権規約委員会は、「この規約の締約国は、権利の実現のために取った措置及びこれらの権利の実現についてもたらされた進歩に関する報告」を国連に提出することを約束し、報告は経済社会理事会により審査される(社会権規約16条)の規定に基づいて、1985年に、経済社会理事会の補助機関として設置されたため、厳密には条約上の機関ではない[18]。ただし、社会権規約委員会については、次の2つの点に留意すべきである。すなわち、同委員会は、@経済社会理事会の責務を援助するために、「締約国の報告と専門機関が提出した報告の検討に基づく提案及び一般的な性格を有する勧告を行う」ことを委ねられた機関として設置されていることと、A18人の個人資格の専門家から構成され、他の人権条約機関と同様、報告審査機関として、積極的な役割を担っていること、である[19]。したがって、@とAから、同委員会は、条約の解釈を最もよくなしえる機関であると言える。すなわち、社会権規約委員会の見解は、社会権規約を解釈する際に、当然に考慮に入れるべきものであると考えるべきであると言えるだろう。
 また、子どもの権利委員会の見解を検討する場合も、同委員会の見解が持つ意義について留意する必要がある。子どもの権利委員会は、条約解釈を表明する権限を認められる機関であり(子どもの権利条約45条(b)、(c)、(d))、かつ「徳望が高く、かつこの条約が対象とする分野において能力を認められた10人の専門家」から構成される機関(同43条2項)であることから、条約の規定に従うと、条約の解釈を最もよくなしえる機関であると言える。すなわち、子どもの権利委員会の見解は、子どもの権利条約を解釈する際に、当然に考慮に入れるべきものであると考えるべきであるだろう。
 しかしながら、社会権規約委員会及び子どもの権利委員会の見解が常に正しいとは限らないことから、条約を誠実に解釈する際に、条約機関の見解に対する異論またはあり得る異論を考慮してもなお、条約機関の合理性があれば、その解釈に従うこととする。

[註]
1 本稿における子どもとは、「子どもの権利に関する条約(以下、子どもの権利条約)」1条に基づき、18歳未満のすべての人を指す。なお、本稿では、公定訳を用いるが、若干の語彙を修正して用いる。まず、「児童」という用語が、18歳未満のすべての子どもを意味する言葉として、適切であると考えにくいことから、本稿では、すべて「子ども」と表記する。また、「〜者」という表現は、本稿で人を意味する場合すべて「〜人」と用いていることから、この表記にあわせることとする。それ以外は、公定訳の通りである。
2 現在、「障害」は、障害のある個人と社会環境作用の結果として発生するとし、社会の側に障害のある人の社会参加を妨げる諸壁を取り除く義務、「合理的な配慮(reasonable accommodation)」の提供義務があると考えられるようになっている。これを人権モデルと言う。そこで、本稿においても、この人権モデルに従って、「障害」を考えていきたい。
2 CRC/DOD/1, p.68.
4 本稿における「発展途上国」とは、概して工業化されていない、先進国からの援助または開発事業の対象となっている国々を意味する。これに対して、「先進国」とは援助の受けるよりも援助の提供者である、経済的に裕福な国を意味する。なお、世界銀行は、一人あたりGDPが2万ドル以上を一応の目安として、経済協力開発機構加盟国(30カ国)からギリシア・ポルトガル・トルコを除いた国を「先進工業国」と定義し、これ以外の国からソ連・東欧諸国・南アフリカ共和国などを除外した国々を最も広い意味での「発展途上国」としている。これに対して、国連の貿易統計では、北米・EU・EFTA、マルタ、日本、イスラエル、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ共和国(計25カ国)を「先進国」に分類している。
5 Susan J. Peters, Inclusive Education: Achieving Education for All by Including Those with Disabilities and Special Education Needs, Prepared for the Disability Group, World Bank, 2003, p.13.
6 現在では、「disabled children(障害児)」という表現ではなく、「children with disabilities(障害をもつ子ども、あるいは障害のある子ども)」という表現を用いるようになってきている。前者の場合、人として機能する個人の能力が障害を受けていると含意されうると解することもでき、障害のある個人の側に問題があるかのように理解される可能性があるからである。そこで、本稿では、歴史的意味のある文脈や特定の文書の訳語としてやむ得ない場合のみ、disabled childrenの訳語として「障害児」、disabled personの訳語として「障害者」を用い、それ以外の場合は、原則として、「障害児」という表現ではなく、「障害のある子ども」という表現を用いる。
7 なお、本稿で取り上げる教育は、フォーマルな教育である学校教育を取り上げる。この中には、公立学校及び私立学校の双方を含む。そのため、インフォーマル、ノンフォーマルは取り上げない。なお、インフォーマル教育とは、家庭での教育を意味する。また、ノンフォーマルな教育とは、学校教育(フォーマルな教育)以外で行われる、成人教育や生涯教育などの社会教育を意味し、フォーマルな教育を受けることができない子どもや成人に対して、識字教育を含む初等教育レベルの教育を提供するもので、非政府組織(以下、NGO)等によって実施されているものを指す。
8 CRC/C/SR.418, para.2.
9 A/56/114-E/2001/93, para.4.
10 インクルージョン(inclusion)とも呼ばれる。なお、インクルーシヴ教育またはインクルージョンは、「包括教育」、「一体化教育」、「支えの教育」、あるいは「共生教育」と訳されることがあるが、いずれもこの教育が意味するところを伝えられないと考えられることから、定訳はまだないのが現状である。ただし、このような状況にあるものの、近年、障害のある子どもの教育の議論において、インクルーシヴ教育やインクルージョンという言葉は定着しつつあるため、本稿では、日本語に翻訳はしないで、暫定的にカタカナ表記で用いることとする。なお、このインクルージョンに対立する概念は、排除(exclusion)である。
11 社会権規約についても、子どもの権利条約と同様に、公定訳を用いる。注1参照。
12 E/1991/23,Annex。
13 E/C.12/1999/4
14 本稿では、分離教育と特殊教育はほぼ同義に用いている。分離教育とは、障害のある子どもと障害のない子どもを分けて教育するという状況に重点を置いた呼び方である一方、特殊教育とは、障害のある子どもが、特殊学校や特殊学級という通常教育とは分離された場において提供される教育の内容に重点をおいた呼び方である。これに対して、「特別なニーズ教育」という用語が用いられるようになっている(第3章で詳しく検討するため、ここでは詳しい説明は割愛する)。なお、本稿においては、特殊教育などなどの「特殊」という用語は、歴史的意味のある文脈や特定の文書の訳語としてやむ得ない場合のみ使用する。障害のある子どもの教育が「特殊」であると形容すること自体問題であると考えるからである。
15 統合教育とは、integrationまたはintegrated educationの訳語である。なお、教育上の用語として、integrationは統合教育と訳され、障害のある子どもを障害のない子どもと通常学校や通常学級において教育することを意味する。なお、integrationという語は、主に北欧、英国、オーストラリア、ニュージーランドなどで使われる(英国の事例について、第3章2(1)A参照)。これに対して、米国のメインストリーミング(mainstreaming)は、すべての障害のある子どもは「最も制約のない環境(the least restrictive environment)で教育を受ける」という原則に従って、障害のある子どもを可能な限り主流の学校(mainstream school)に組み込んでいこうとするものである(米国の事例について、第3章2(1)@参照)。このmainstreamingという語は、米国やカナダで用いられてきた。障害のある子どもと障害のない子どもを同一の環境において教育するという点からすると、この2つの概念は、ほぼ同じ概念である。なお、統合教育に対立する概念は、分離教育(segregation)である。
16 CRC/C66, Annex V. 16th Session, 6 October1997.
17 条約法条約は、条約の解釈について、次のように規定している。すなわち、「条約は文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈する」(31条1項)。この場合の「文脈」とは、@条約文(前文及び付属書を含む)、A条約の締結に関して、すべての当事国の間でされた条約の関係合意、及びB条約の締結に関連して、当事国の@または2以上が作成した文書であって、これらの当事国以外の当事国が条約の関係文書として認めたもの、を言う(同2項)。
また、文脈とともに考慮されるべきものとして、次の3つをあげている。@条約の解釈または適用につき当事国の間で後にされた合意、A条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの、及びB当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則、である(同3項)。ただし、用語は、当事国がこれに特別の意味を与えることを意図していたと認められる場合には、当該特別の意味を有するものとされる(同4項)。
さらに、条約法条約では、解釈の補助的手段に関して、次のように規定している。すなわち、条約法条約31条に規定する条約の解釈規則に従って導き出された文言の意味を確定するために、「解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる」。また、このような解釈の一般的規則に従ってなされた解釈によってもなお、「問題とされる規定の意味があいまいまたは不明瞭である場合」や、解釈規則に従って導き出された解釈が「明らかに常識に反しまたは不合理な結果がもたらされる場合」においても、解釈の補助的手段に従って解釈することができると規定している(同32条)。
 このように、条約法条約は、原則として、「用語の通常の意味」に従って解釈することとしつつも、その「意味」を明確にしていくために検討されるべき諸要素について規定している。
18 阿部浩己・今井直、『テキストブック国際人権法概論〔第2版〕』、日本評論社、2002年、95頁。
19 畑博行・水上千之編、『国際人権法概論〔第3版〕』、有信堂、2002年、41頁。

第1章.発展途上国の障害のある子どもの初等教育の現状

 現在、障害のある子どもの80%以上が発展途上国で生活し、その中で、形態を問わず初等教育を受けることのできる子どもの割合は、平均すると約2%であると考えられる[20]。
 本章は、発展途上国における障害のある子どもの教育の初等教育の現状を明らかにすることを目的として、アジア、中南米、及びアフリカにおける現状を取り上げ、概観していく。ただし、アジアに関しては、@東アジア、A東南アジア、及びB南アジアについて取り上げる。西アジアと中央アジアについては資料が入手困難なため、本稿では取り上げない。
なお、発展途上国の統計は不正確な場合が多く、その信頼性にも問題がある点に留意しなければならないだろう。この点、障害のある子どもの場合は、政府の関心の低さなどの理由から、統計が自体行われず、データそのものが存在しない場合もあり、また障害のある子どもの多くが登録されていない場合が多い。そのため、これらの子どもたちを含めると、初等教育を受けることができない障害のある子どもの割合は、さらに低くなると考えられる。本章では、この点に留意しつつ、発展途上国においては、障害のある子どもが初等教育を受ける機会が十分に保障されていない現状があることを指摘するために、経済的にも文化的にも、また社会的にも多様な発展途上国の初等教育の現状を概観していきたい。
 以下、順次検討していきたい。

1.アジア
(1)東アジア
 東アジアについては、中国を取り上げて検討していきたい。
 中国では、1995年の時点で、0〜14歳の障害のある子どもは、約900万人いると推計されており、国内の子どもの総数の約2.66%であると考えられる[21]。また、そのうち80%は農村で生活し、半数は貧困状態にあると考えられている[22]。
 現在、中国では、障害のある子どもの就学率の向上を重点課題の1つとして、初等及び中等教育において、統合教育と通常学校での特殊学級を推進しているが[23]、1999年の時点で、特殊学校や通常学校内の特殊学級で教育を受ける視覚・聴覚・言語・知的障害のある子どもは、37万1,600人であると推計される[24]。これは、900万人いると考えられる障害のある子どものうち、4%しか教育を受けることができていないことを示しており、障害のある子どものほとんどが教育を受ける機会を制限されていると考えられる。

(2)東南アジア
 次に、東南アジアにおける障害のある子どもの教育の現状に関して、タイ、フィリピン、及びベトナムを取り上げて検討していきたい。

@ タイ
 タイでは、1996年の国家統計局の保健・福祉調査によると、就学年齢にある障害のある子どもは15万5,330人であると推計されるが、その中で、初等教育を受けている障害のある子どもは、1998年の時点で、1万1,292人であると推計される[25]。これは、就学年齢にある子どもの約7.3%しか教育を受けていないことを示している[26]。これに対して、障害のない子どもの初等教育就学率は88%である[27]。この点、障害のある子どもを受け入れることのできる学校や施設の不足、及び指導技術の不足などといった条件が整備されていないことが原因としてあげられる[28]。
 また、タイでは、1939年に米国の宣教師がバンコクに視覚障害のある人のために盲学校を設立後、1952年に障害のある子ども及び社会的に不利な立場にある子どもの教育を担当する部署が、一般教育局に特殊教育部として設立され、地域社会から隔離された学校や施設において分離教育が行われてきた[29]。現在、この特殊教育部を中心として、特殊教育制度を改革し、統合教育に向けた動きが見られる[30]。例えば、1999年に、就学前訓練や障害に関する調査を実施する特殊教育センターが5ヶ所開設されている[31]。
Aフィリピン
 フィリピンでは、就学年齢にある障害のある子どものうちで教育を受けることのできる子どもは、3〜5%にしか満たないのが現状である[32]。1999年から2000年の教育省の統計によると、初等及び中等教育に就学する年齢である子ども[33]の総数は約1,800万人であると推計されており、350万人の子どもが障害をもっていると考えられているが、初等及び中等教育において学校教育を受けることのできる障害のある子どもは56,161人であると推計されている[34]。これは、障害のある子どものうち、約1.6%しか初等または中等の学校教育を受けることができないということを示している。これに対して、障害のない子どもの初等教育の就学率は約98%である[35]。
Aベトナム
 1998年の教育省の統計によると、ベトナムには、約20万人の障害のある子どもがいると考えられている[36]。現在、ベトナムでは、インクルーシヴ教育の保障に向けて、教員に対する専門的な研修を含むプログラムなどの、障害のある子どもを通常学級で教育するための様々な国家計画を開発及び実施を行っている[37]。これらの計画の1つである、障害のある子どもの初等教育に関するプログラムは、ベトナムの61市・省のうち、42の市・省において実施され、通常学校に4万2,000人、80の特殊学校に4,000人の障害のある子どもを入学させることに成功している[38]。このような取り組みから、1999年の時点で、通常学校で学ぶ障害のある子どもは約3万5,000人いると推定され[39]、通常教育及び特殊教育受けることのできる障害のある子どもは、40〜50%であると考えられている[40]。これに対して、障害のない子どもの初等教育の就学率は約95%である[41]。

(3)南アジア
南アジアについては、インドとネパールを取り上げて検討していきたい。

@ インド
 インドでは、2003年の時点で、就学年齢の障害のある子どもは約5000万人いると推計されているが[42] 、通常学校で教育を受けている障害のある子どもは4万5,000人であり、5万から6万人の障害のある子どもが約1,200校の特殊学校において教育を受けていると推計される[43]。これは、障害のある子どもの約1%しか教育を受けることができていないことを示している。これに対して、障害のない子どもの場合の初等教育の就学率は、77%である[44]。
 また、インド政府は、1974年から、障害のある子どもの統合教育を推進し、統合教育を行う施設に資金援助を行っているが、資金不足、インフラ整備の不備、及び低賃金による教員の不足などの原因から、統合教育の推進は、難しいのが現状である[45]。
A ネパール
ネパールでは、障害のある人の68.2%は、教育を受けておらず、男性の障害のある人の場合は59.6%、女性の障害のある人の場合は77.7%が教育を受けていない[46]。さらに、6歳から20歳までの障害のある人の中では、43.7%が就学経験がなく、学校に通う障害のある子どもの退学率は、約30%となっている[47]。
 現在、ネパールでは、教育は重点課題として取り組まれ、障害のある人に対しては、就学前教育から大学の学部レベルまで無償の教育が保障されているものの、依然として、学校に通う障害のある人は限られており、退学率も高いのが現状である[48]。これは、学校設備が障害のある人が利用しやすいように整備されていない点や、障害のある子どものニーズに応じた教育カリキュラムの開発、及び教員の養成などが十分に行われないまま、学校への就学を推進していることが原因であると考えられる。

3.中南米
 中南米において、形態を問わず初等教育を受けることのできる子どもの割合は、平均すると約1〜10%であると考えられる[49]。同地域における障害のある子どもの教育は、主に特殊教育で行われており、障害のある子どもは通常学校ではなく、特殊学校へ就学することとされている。また、そのような学校施設の多くは都市部に集中しているため、障害のある子どもの多くが生活する農村部においては、都市部の場合に比べて、教育を受ける機会を著しく制限されているのが現状である[50]。したがって、障害のある子どものほとんどが、特殊学校と通常学校の双方において教育を受けることが極めて困難である。
 例えば、ニカラグアでは、就学年齢の障害のある子どもは約15万人であると推定されるが、これらの子どものうち、教育的対応が行われているのは、約2.4%に当たる3,600人である[51]。
 また、チリでは、ほとんどの特殊学校では、1種類の障害に対応するものであり、主に中度の障害のある子どもを対象としているため、重度の障害のある子どもや重複障害のある子どもは対象とされていない[52]。全国に特殊学校は300校あるものの、サービスを必要とする障害のある子どもの3分の1にあたる、3万人に対してしか対応できないのが現状である[53]。
 さらに、エルサルバドルでは、就学年齢の障害のある子どもは、22万2,000人いると推計されるが、このうち特殊教育において教育を受けている障害のある子どもは、約2,000人であると推計される[54]。これは、通常教育と特殊教育の双方において教育を受けることのできる障害のある子どもの割合が、1%に満たないことを示している[55]。

4.アフリカ
 エチオピアでは、特殊教育か通常教育かの如何を問わず、教育を受けることのできる障害のある子どもは1%未満である[56]。また、ザンビアでは障害のある子どもは約4万人いると推計されるが、そのほとんどが教育を受けることができていない[57]。モザンビークでは、障害のある子どもは約17万人いると推計されるが、そのうち、教育を受けることのできる子どもは、0.7%であると考えられる[58]。ウガンダでは、約8万人の障害のある子どもがいると推計されるが、これらの国と同様に、そのほとんどが教育への受ける機会を制限されている[59]。

5.総括
 以上で概観したように、発展途上国における障害のある子どもは、初等教育を受けることが困難な状況に置かれていることが明らかである。すなわち、発展途上国では、通常教育か特殊教育の如何を問わず、障害のある子どもは初等教育を受ける機会を侵害され、初等教育を受ける権利が実質的に保障されていないのが現状であると考えられる。
 それでは、発展途上国における障害のある子どものこのような状況を改善し、初等教育を受ける機会を実質的に保障していくためには、国家はどのような政策を行っていくべきなのだろうか。この点、まず、義務的でかつ無償の初等教育制度を整備していくことが考えられる。そこで、次章では、まず、初等教育を受ける権利の保障に関わる国際人権条約の検討を通して、初等教育の保障に関する締約国の義務の内容について明らかにしていきたい。

[註]
20 CRC/C/SR.418, para.2.
21 JICA、『国別障害関連情報 中国』、2002年、6頁。
22 同。
23 同、15頁。
24 同、16頁。
25 JICA、『国別障害関連情報 タイ』、2002年、20頁。
26 同。
27 同、2頁。
28 同。
29 同、20頁。
30 同、21頁。
31 同、20頁。
32 Ture Jonsson and Ronald Wiman, Education, Poverty and Disability In Developing Countries, World Bank, 2001, p5.
33 フィリピンの場合、7歳から12歳までの6年間が義務的な初等教育であり、13歳から16歳までが中等教育である。本稿における就学年齢とは、7歳から16歳までを指す。
34 Part National Summary Data, Table 3-3 Enrolment of Children with Special Needs Elementary and Secondary School Year 1999-2000, DECS Statistical Bulletin, SY 1999-2000参照。(フィリピン教育省のホームページhttp://www.deped.gov.ph/index.htm、2004年7月24日アクセス)
35 ただし、ドロップアウトした子どもの復学等が算入されるため、正確なデータとは言えない。
36 CRC/C/65/Add.20, para.168.
37 Ibid.
38 Ibid.
39 Ibid.
40 JICA、『国別障害関連情報 ヴェトナム社会主義共和国』、2002年、17頁。
41 同、2頁。
42 Susan J. Peters, supra, n.5, p.4.
43 Ibid, p.44.
44 JICA、『国別障害関連情報 インド』、2002年、2頁。
45 同、18-19頁。
46 同、12頁。
47 JICA、『国別障害関連情報 ネパール』、2002年、18頁。
48 同、21-22頁。
49 Gordon L. Porter , Disability And Inclusive Education, A Paper prepared for the InterAmerican Development Bank, 2001, p.3.
50 Ibid, p.8.
51 Ibid.
52 Ibid..
53 Ibid.
54 Ibid.
55 Ibid.
56 Ture Jonsson and Ronald Wiman, , supra, n.32.
57 CRC/11/C/Add.25, para.255.
58 Ture Jonsson and Ronald Wiman, , supra, n.32.
59 Ibid.

第2章.初等教育を受ける権利の検討

 本章は、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける機会を実質的に保障するために、初等教育を受ける権利に関する国際人権条約の検討を行い、締約国たる発展途上国が実施すべき義務の内容について明らかにすることを目的としている。
 そこで、初等教育の保障について規定している社会権規約13条2項(a)と、初等教育に関する行動計画について規定している同14条、及び子どもの権利条約28条1項(a)の検討を行い、義務的でかつ無償の初等教育の保障の内容について検討する。

1.初等教育を受ける権利の検討
 社会権規約13条2項(a) と子どもの権利条約28条1項(a)は、「初等教育は義務的なものとし、すべての人に対して無償のものとすること」と規定している。この点、これらの規定は、障害のある子どもを含む、すべての子どもの初等教育への権利について規定し、義務的でかつ無償の初等教育を保障する義務を締約国に課していると解することができる。
 それでは、「義務的」と「無償」とはいかなる意味であると考えるべきだろうか。
 この点、条約の文言からは、その意味は明らかではない。この点に関して、社会権規約の実施機関である社会権規約委員会は、「一般的意見11」 において見解を示している。「一般的意見11[60]は、1999年に同委員会によって採択され、初等教育に関する行動計画について規定している社会権規約14条に関する同委員会の見解を示したものである。
 まず、「義務的」に関しては、次のように述べている。すなわち、「義務の要素は、子どもが初等教育を受けることができるべきかどうかに関する決定を選択の余地があるものとして扱う権利は、親にも保護者にも国にもないことを浮き彫りにしている」と述べている[61]。委員会のこのような見解は、初等教育を受けることができるべきかどうかに関する決定の判断は、親、保護者、及び国ではなく、第一義的に子どもにあることを主張するものであると言える。すなわち、義務的な初等教育の保障は、子どもに固有の権利であり、何人も子どもが基礎的な教育を受けることを妨げることはできない[62] と解するものであり、妥当な見解であると言える。
 また、「無償」については、次のように述べている。すなわち、「この権利は、子ども、親、または保護者に対して、対価を要求することなく、初等教育が利用可能となるよう、はっきりとした規定の仕方になって」おり、「政府、地方の公的機関または学校が課す料金及びその他の直接の費用はこの権利の享受に対する阻害要因となり、その実現を危うくし」、「権利の実現を後退させることも多い」と指摘している[63]。委員会のこのような見解は、初等教育においては、無償制の範囲を授業料や教科書代だけでなく、学校教育において必要とされる経費は、原則として、子ども、親、または保護者に対して請求するべきはないとの立場を示していると言える。すなわち、初等教育において必要であると考えられるすべての経費は、原則として無償とすべきであることを締約国に要請するものであると考えられる。この点、発展途上国においては、初等教育を受ける機会を侵害されている子どもが貧困層に多いことを考慮すると、無償制の範囲を拡大することは、これらの子どもの初等教育を受ける機会の保障を促進することにもつながると考えられることから、妥当な見解であると言える。
 したがって、義務的でかつ無償の初等教育の保障とは、初等教育への権利を子どもの権利として認め、授業料や教科書だけでなく、原則として学校教育において必要とされる経費すべてを無償とすべき義務を締約国に課していると解することができる。

2.発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利の検討
(1)予備的考察
 次に、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利を保障する義務について検討していきたい。発展途上国においては、第1章で検討したように、障害のある子どもの初等教育の就学率は平均すると約2%であり、ほとんどの子どもが初等教育を受ける機会を侵害されている。すなわち、発展途上国においては、相当数に上る障害のある子どもが初等教育を受ける権利が保障されていないのが現状であり、早急な対応が必要である。
 この点、社会権規約14条は、次のように規定し、義務的でかつ無償の初等教育を確保するに至っていない締約国に対して、初等教育に関する行動計画を作成、採用、及び実施することを求めている。すなわち、「この規約の締約国になるときにその本土地域またはその管轄下にある他の地域において、無償の初等義務教育を確保するに至っていない各締約国は、すべての人に対する無償の義務教育の原則をその計画中に定める合理的な期間内に漸進的に実施するための詳細な行動計画2年以内に作成し、かつ採用することを約束する」と規定している。
 同条のこのような規定は、締約国が義務的でかつ無償の初等教育の保障を確保するに至っていない場合には、初等教育の保障に関する「合理的な期間内に漸進的に実施するための行動計画」を「2年以内に作成し、かつ採用」すべきであり、締約国がそのような措置を取らない場合は義務違反であると解することができる。それでは、同条における締約国の義務とは、いかなるものだろうか。すなわち、義務的でかつ無償の初等教育の保障は漸進的義務と即時的義務のいずれであると解するべきなのだろうか。
 この点、「合理的な期間内に漸進的に実施するための詳細な行動計画」を「2年以内に作成し、かつ採択」義務については、「2年以内」という期間を規定していることから、このような計画を漸進的にではなく即時的に作成しかつ採用することを締約国に要請するものであると言える。したがって、社会権規約14条は、義務的でかつ無償の初等教育に関する「合理的な期間内に漸進的に実施するための詳細な行動計画」を「2年以内」に「作成・採用する」即時的義務を締約国に要請していると解するのが妥当であると言える。
 これに対して、このような初等教育に関する行動計画を「実施する」義務に関してはどのように考えるべきだろうか。この点、条約の文言の意味から、「合理的な期間内に漸進的に実施する」ことを当事国たる締約国に求めていると解することができる。しかしながら、発展途上国においては相当数に上る人数の障害のある子どもが初等教育を受けることができていない現状であり、このような場合に、義務的でかつ無償の初等教育の保障を単なる漸進的義務として解することは疑問が残る。また、初等教育の保障は、社会権規約13条2項に加え、同14条において規定し、社会権規約上、初等教育の保障が他の権利よりも重視されていると考えられることから、少なくとも他の権利に優先して実施することを締約国に要請していると考えられる。そこで、本稿では、この点について明らかにするために、締約国の義務について規定している社会権規約2条1項に関して社会権規約委員会の見解を述べた「一般的意見3」[64]において、締約国が満たすべき義務として示された「最低限の中核義務」[65]という考え方を参照としながら検討していきたい。

(2)「最低限の中核的義務」
 「最低限の中核的義務」とは、社会権規約2条1項に関し、社会権規約委員会が「一般的意見3」[66]おいて締約国が最低限満たすべき義務として新たに示した見解である。すなわち、同委員会は、「最低でも、各権利の最低限の不可欠なレベルの充足を確保することは締約国に課せられた最低限の中核的義務である」として、「相当数の個人が不可欠な食料、不可欠な基本的健康保険、基本的な住居または最も基本的な形態の教育を剥奪されている締約国は、規約上の義務を怠っているという推定を受ける[67]と述べている 。そして、締約国が「その最低限の中核義務を履行できないこと」を「利用できる手段の制約」が原因であると主張するためには、当該国は、「これらの最低限の義務を優先事項として充足するためにその利用可能なすべての手段を用いるあらゆる努力がなされたこと」を挙証しなければならならないと述べている[68]。
 この点、同委員会が「もし規約がそのような最低限の中核的義務を設定していないものと読まれるならば、規約はその存在理由を大部分奪われるだろう」と述べて[69]、「最低限の中核的義務」が社会権規約上の義務であると解するべき根拠を「規約の存在理由」に求めていることは、人権保障という規約の趣旨目的に照らして、最低限の義務を導き出したものであり 、注目される。また、主に発展途上国において、依然として、きわめて多くの人が「不可欠な食料、不可欠な基本的健康保険、基本的な住居または最も基本的な形態の教育を剥奪されている」現状を考慮すると、同委員会が、社会権規約委員会において保障される「各権利の最低限の不可欠なレベル」を確保する義務として「最低限の中核的義務」との見解を示したことは、締約国が満たすべき義務の最低限の基準について具体的な方向性を示すものであり、妥当な見解であると言える。
 それでは、相当数に上る人数の障害のある子どもが初等教育を受けることができていない場合に、社会権規約14条に規定する初等教育に関する行動計画を「実施する」締約国の義務については、どのように考えるべきだろうか。この点、発展途上国における障害のある子どもの初等教育の就学率は約2%であり、発展途上国においては、相当数の障害のある子どもが「最も基本的な形態の教育」である初等教育を受ける機会を剥奪されているのが現状である。すなわち、締約国たる発展途上国は、障害のある子どもの初等教育の保障に関して、社会権規約委員会が示した「最低限の中核的義務」に違反し、社会権規約上の義務違反である。当該国たる締約国が「最低限の中核義務を履行できない」場合、「利用できる手段の制約」が原因であることを主張するためには、「これらの最低限の義務を優先事項として充足するためにその利用可能なすべての手段を用いるあらゆる努力がなされたこと」を立証しければならず、それができなければ義務違反となると言える。したがって、締約国たる発展途上国は、相当数の障害のある子どもに対して、「最も基本的な形態の教育」である初等教育を受ける機会を他の権利よりも優先して保障するために、「自国における利用可能な手段を最大限用い」、かつあらゆる努力をする義務が課せられていると言える。

(3)結論
 以上の検討から、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利を保障する締約国の義務は、次のように解するべきである。すなわち、義務的でかつ無償の初等教育を障害のある子どもに保障し、「合理的な期間内に漸進的に実施するための行動計画」を「2年以内に作成し、かつ採択」する義務については、即時的義務が締約国に課せられていると解するべきである。また、そのような計画を「実施する」義務については、漸進的に実施する義務であるとしても、「合理的な期間内に」、「自国における利用可能な手段を最大限用い」、かつ他の権利よりも優先し、可能な限り早期に取りうるすべての措置を講ずる義務が締約国たる発展途上国に課せられていると解するべきである。ただし、締約国たる発展途上国は、相当数に上る障害のある子どもが「最も基本的な形態の教育」である初等教育を受ける機会を保障することができておらず、社会権規約違反であることから、緊急の対応を要請されていると考えられる。
 なお、発展途上国が障害のある子どもの初等教育を受ける権利の保障を確保していくためには、発展途上国のニーズを考慮した国際協力を促進し、締約国や国際機関などの間での情報の交換を推進していくことも不可欠であると言える。
 次章では、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利を実質的に保障するために、学校教育を受ける場合に問題とされるべきである教育内容として考えられる、インクルーシヴ教育の概念の生成について検討していきたい。

[註]
60 E/C.12/1999/4
61 Ibid., para.6.
62 See, Sharon Detrick, A Commentary on the United Nations Convention on the Rights of the Child, Martinus Nihoff Publishers, 1999, p.479.
63 E/C.12/1999/4.,para7.
64 E/1991/23,Annex。
65 「一般的意見3」は、「最低限の中核的義務」に関して、次のように述べている(E/1991/23,Annex。, para.10)。すなわち、「10年以上の期間、締約国の報告を審査して、委員会及び先行機関の得た多くの経験に基づき、委員会は、最低でも、各権利の最低限の不可欠なレベルの充足を確保することは締約国に課せられた最低限の中核的義務であるという見解である。従って、例えば、相当数の個人が不可欠な食料、不可欠な基本的健康保険、基本的な住居または最も基本的な形態の教育を剥奪されている締約艮は、規約上の義務を怠っているという推定を受ける。もし規約がそのような最低限の中核的義務を設定していないものと読まれるならば、規約はその存在理由を大部分奪われるだろう。なお、ある国がその最低限の中核的義務を履行したか否かの判断に当たっては、当該国の制約をも考慮に入れなければならない。2条1項は、各締約国に、「利用可能な手段を最大限用いることにより」必要な措置を取ることを義務付けている。締約国は少なくともその最低限の中核義務を履行できないことを利用できる手段の制約に帰するためには、当該国は、これらの最低限の義務を優先事項として充足するためにその利用可能なすべての手段を用いるあらゆる努力がなされたことを証明しなければならない。」
66 E/1991/23,Annex。
67 Ibid., para.10.
68 Ibid.
69 Ibid.
70
申恵手、「『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一般的意見(一)」青山法学論集第38巻1号、1996年、86頁。



第3章.「インクルーシヴ教育」概念の生成

 次に、本章では、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける機会を実質的に保障するために、初等教育を受ける場合に問題とされるべき教育内容として考えられる、インクルーシヴ教育の概念の生成について検討していきたい。この点、本章では、障害のある子どもの教育の歴史的な流れの検討を通して、分離教育から統合教育、そしてインクルーシヴ教育という国際的な潮流が存在することを指摘し、今日の国際的な流れであると考えられるインクルーシヴ教育の概念の生成について明らかにしていきたいと考えている。

1.分離教育への批判と「ノーマライゼーション」概念の登場
(1)分離教育への批判
 18世紀から19世紀前半にかけて、欧州や米国において、障害のある子どもを地域社会から隔離された施設や学校において教育する分離教育が始まった。それまで、障害のある人の障害は、伝統的に治療または克服が不可能なものであって、障害のある人は障害のない人とは異なる存在として考えられ、社会から排除されていた。そのため、障害のある人のほとんどが、教育を受けることを否定され、仕事の機会にも恵まれず、極度の貧困状態に置かれていた。このような状況に対して、善意ある人や宗教団体の慈善行為によって、このような障害のある人を保護しようとする動きが起こる。そして、18世紀前半になると、当時のヒューマニズムや啓蒙思想の影響を受けて、障害は、教育することによって、治療や克服することができるものであり、そのような教育を提供すべきであると考えられるようになった。
 では、分離教育ではどのような教育が行われたのだろうか。この点、分離教育では、障害のある子どもの障害の軽減・治療を目的とする取り組みであるリハビリテーションの提供を主な内容とする教育が行われた。そのため、障害のある子どもに対して、通常の学校教育で提供されるような教科教育などはほとんど行われることなく、障害のない人のように通常の社会生活を行えるよう、リハビリテーションを通した教育が提供された。このような分離教育は、1970年代後半に、欧米において、「統合教育」を原則とし、例外的に分離教育が容認されるべきであるという考え方が提示されるまで、障害のある子どもの教育の主たるものとして考えられてきた。
 しかしながら、このような分離教育は、1950年代以降、次の2つの観点から批判され始める。すなわち、@障害のある子どもを障害のない子どもから分離し、地域社会から隔離された施設や学校において教育することは、障害のある人への偏見を強める点、及びAこのようなリハビリテーションを主たる目的とした分離教育では、障害のある子どもは患者や治療の受け手としての役割を果たすことを期待され、担当する医療従事者や専門家の管理下に置かれてしまう点、である。
 @については、地域社会から遠く離れた場所において教育することによって、障害のある人は、社会から分離された場所で教育を受け、そのような場所で生活する人たちとして考えられ、障害のある人に対する伝統的な偏見をなくすどころか強める結果となってしまった。そのため、たとえ障害のある人が地域社会で障害のない人と共に生活したいと希望したとしても、両者のコミュニケーションの欠如によって、地域社会の側に受け入れる物理的な基盤が整備されていないだけでなく、相互に心理的な溝が生まれてしまった。
 また、Aについては、障害をコントロールする決定権は、障害のある子ども自身ではなく、医師や看護婦、理学療法士などの医療従事者や、教育・福祉の専門家の側にあり、障害のある子どもは、このような専門家の管理の下に置かれることを余儀なくされることを意味している。確かに、今日、リハビリテーションは、障害のある人が障害を自分でコントロールするという意味において、重要な役割を果たすものであり、本稿でもリハビリテーションを否定しようなどと考えていない。問題であるのは、分離教育が障害を軽減、治療するという医療的な面を重視しすぎている点である。これでは、障害のある子どもが自分の障害をコントロールする手段を獲得したとしても、社会で生活するための知識や技能を学ぶことができないばかりか、生活のすべての面において、他者の管理の下に生活することを強制され、自立することができなくなってしまうという悪循環を生んでしまうのである。
 このような観点から、1950年代以降、障害のある人の親を中心として、このような隔離保護的な教育を批判する運動が展開され(本章1(2))、1960年代から1970年代になると、当事者たる障害のある人自身によって、分離教育への批判を含めた障害者権利運動が展開され始める。そして、1970年代後半には、ノーマライゼーションの影響を受けて、障害の有無によって、障害のある子どもを隔離した施設や学校において教育する分離教育ではなく、障害のある子どもを障害のない子どもと共に地域社会で教育することを目的とする「統合教育」が主張され、実践され始める(本章1(3)・(4)、及び2)。さらに、1990年代以降には、通常教育と特殊教育を統合し、1つの教育制度として、障害のある子どもを含むすべての子どもに対して、通常教育において、それぞれの子どもが有する固有のニーズに応じた教育を提供することを目的とする「インクルーシヴ教育」が主張されるようになる(本章3)。
 以下、障害のある子どもの教育に関するこのような考え方の変化について、順次検討していきたい。

(2)北欧におけるノーマライゼーションの概念の萌芽
 1970年代になると、障害のある子どもの教育に対する考え方は、「ノーマライゼーション」概念に大きな影響を受けて、分離教育から統合教育へのパラダイム転換が行われる。すなわち、ノーマライゼーションの概念の登場により、障害のある子どもの教育に関する考え方が、障害のある子どもを地域社会から隔離された学校や施設において、主に障害の治療に焦点を当てた教育を行うことを目的とする教育から、障害のある子どもの通常教育への統合を目的として、原則として、障害のある子どもを通常学校や通常学級において教育する教育へと大きく変化してきた。
 それでは、ノーマライゼーションとはどのような概念なのだろうか。この点、まず、この概念の発祥について検討し、次に概念の内容についての検討を行いたい。その際、後者については、特に教育を中心として検討していくこととする。
 まず、概念の発祥についてである。この概念は、障害のある人に対する伝統的な処遇のあり方に対する批判と抵抗から生まれてきた概念であり、1950年代のデンマークにおいて展開された隔離保護主義に対する批判運動が契機となっている。1950年代当時のデンマークの福祉制度では、地域社会とは隔絶された数百人規模の大規模収容施設に知的な障害のある人を収容し、外出制限や成人に対する断種手術が当然のこととして行われていた[71]。これに対して、1950年代初めに結成された「精神遅滞者[72]の親の会」と、今日ノーマライゼーションの代表的な論者として知られるバンク・ミケルセン(当時は社会省の行政官)は、このような隔離保護主義とそれにともなう人権の侵害に対する批判から、互いに共同し、このような福祉制度に対する抵抗運動を展開した。
 この運動の結果、デンマークでは、1959年に、精神障害のある人が地域で障害のない市民と同じ生活を保障することを目指して、「精神遅滞の人々をできるだけ通常の生活状態に近い生活を作りだすこと」という点を規定した「1959年法[73]]が成立した 。その後、デンマークでは、ノーマライゼーションの理念に基づいて、精神障害のある人に限らず、障害のある人一般を対象とした福祉制度が形成された。そして、この概念の影響を受けた北欧諸国は、このノーマライゼーションの理念の下に、1970年代に福祉制度の大転換を成し遂げ、障害のある人の地域への統合(integration)を実現に向けた制度作りが行われるようになった。
 それでは、このような契機から生まれたノーマライゼーションとは、どのような概念なのだろうか。この概念を整理すると、以下の2つの点をあげることができるだろう。すなわち、ノーマライゼーションとは、@障害のある人の生活を通常の(ノーマル(normal)な)生活に近づけるとともに、Aすべての人が共に生活できるように社会のあり方を変革するという考え方である[74]。@については、障害のある人が、地域社会か隔離された施設から出て、グループホームなどの形で、他の障害のない人と同様の通常の生活を行うことを目指したものである。Aについては、障害のある人の視点から、障害のある人を排除してきた社会のあり方に異議を唱え、障害の有無に関わらず、すべての人々が共に生きていける社会を変えていくことを目指したものである。
 その際、ノーマライゼーションでは、統合をこの概念を実現するための手段としてとらえる。すなわち、特別な施設や学校に入れられることによって、通常の生活条件を奪われてきた障害のある人の状態を克服し、彼/彼女らの通常の生活を確立するためには、障害のある人を地域社会や学校に統合(integrate)することが必要であると考えられたのである[75]。したがって、統合教育の動向は、ノーマライゼーション理念の教育への適用の結果、出てきた概念であると言える。

(3)ノーマライゼーションの発展(1960年代後半〜1970年代)
 ノーマライゼーションは、世界各国の福祉制度の根幹に大きな影響を与えた。すなわち、1960年代後半頃には、スウェーデンやノルウェーなどの北欧の国々において、また、1970年代以降には、北欧以外の英国や米国といった先進資本主義諸国において、ノーマライゼーションが福祉の基本指針とされるようになった。教育においても、同様であり、ノーマライゼーションを教育において実現するために、統合教育が各国で実践され始めた。すなわち、多くの国によって、分離教育から統合教育へ向けた特殊教育制度改革が行われ始めるようになった。
 例えば、スウェーデンでは、知的な障害のある子どもや聴覚障害の子どもの分離教育を維持する一方、1968年に、重度重複障害のある子どもを含む、すべての子どもの教育を法的に保障し、教育の分野における統合を強力に進めた。また、徹底した分離教育を行ってきたドイツにおいても、1973年、旧西ドイツ(当時)が統合教育を進める勧告を出し、この勧告に基づいて出された「特殊学校と通常学校の包括的協力体制を目指す共同学校センター構想(Kooperative Schulzentrum)」などに沿って、一部の地域で統合教育が試みられた[76]。その他、日本においては、1979年に、文部省(当時)によって、分離教育を基本としつつも、障害のある子どもを地域社会と通常学校へ統合する取り組みである「交流教育」[77]が学習指導要領で規定され、その実例を『交流教育の実例』として発行するなどして、普及に努めた[78]。

(4)国際的な動き(1970年代)
 また、このようなノーマライゼーションの影響を受けて、国連においても、障害のある人の権利に関して、2つの宣言が総会決議として採択された。すなわち、1971年に採択された「精神遅滞者の権利に関する宣言(以下、精神遅滞者の権利宣言)」[79] と、1975年に採択された「障害者の権利に関する宣言(以下、障害者の権利宣言)」[80]である。前者は、障害のある人の権利に関して、国連において初めて採択された宣言であり、後者は、精神遅滞者だけでなく障害のある人をその対象とし、障害のある人の定義を初めて行った国際人権文書である。
それでは、これらの宣言は、教育についてどのような規定を行っているのだろうか。
 まず、精神遅滞者の権利宣言[81]を検討する。この点、「精神遅滞者は、適切な医療的なケア、理学療法を受ける権利並びにその能力と最大限の潜在的可能性を発展させることができるような教育、訓練、リハビリテーション及び指導を受ける権利をもっている」[82]と規定し、精神障害のある人に対して、医学的な治療を前提として、教育やリハビリテーションを受ける権利があるとしている。この点、これらの障害のある人が「最大限の潜在的可能性を発展させることができるような」教育であれば、障害の克服や治療を主たる目的として、障害の有無によって特殊な学校や施設に措置することを容認していると解することができ、統合教育を要請しているというよりは、むしろ分離教育を前提としたものであると考えられる。
 これに対して、障害者の権利宣言[83]では、障害のある人の教育に関しては、次のように規定している。すなわち、「障害者は、技師・補装具を含む医学的・心理的・機能的治療を受ける権利を有し、その能力や技能を最大限発展させ、かつ社会的統合や再統合の過程を促進する医学的・心理学的リハビリテーション、教育、職業訓練、リハビリテーション、援助、カウンセリング、職業斡旋サービス、及びその他のサービスを受ける権利を有する」[84]としている。この点、障害のある子どもの教育は、「その能力や技能を最大限発展させ」るとともに、「社会的統合(social integration)や再統合(reintegration)の過程を促進する」不可欠なものとして位置づけられており、統合教育を原則とし、例外的に殊学校や施設に措置することを要請していると言えるだろう。

2.「特別なニーズ教育(special need education)」概念の生成と統合教育の展開
 (1)特別なニーズ教育の生成
 1970年代後半になると、上記で検討したノーマライゼーションを実現するために、米国や英国において行われた統合教育の実践の中で、特殊教育(special education)に変わる概念として「特別なニーズ教育(special needs education)」という概念が登場してきた。特殊教育とは、通常学校の施設から区別または分離された特殊な学校や施設などで行われる障害のある子どもに関わる教育であり、障害のある子どもが、特殊学校や特殊学級という通常教育とは分離された場において提供される教育である。また、その教育内容は、主として、障害の克服や治療を目的としたリハビリテーションを通して行われる。これに対して、「特別なニーズ教育」とは、各個人が有する特別なニーズに応じた教育の提供[85]を目的とした考え方であり、今日、インクルーシヴ教育を支える概念のうちの1つであると考えられている。
 本稿では、このような特別なニーズ教育の概念の生成に大きな影響を与えたと考えられる、米国のメインストリーミングと英国のインテグレーションの検討を通して、この概念の内容について明らかにしていきたい。また、特別なニーズ教育が従来の特殊教育と具体的な実践においてどのような違いがあるのかについて、それぞれ順次検討していきたい。

@米国におけるメインストリーミング
a. 特別なニーズ教育の登場
 米国では、19世紀前半からろう学校及び盲学校が、19世紀後半には知的に障害のある子どものための州立学校が設立され、19世紀末からは英才児を含む多様な障害のある子どものための特殊学級が公立学校内に開設されることにより、1950年代後半には特殊教育制度が確立された[86]。しかしながら、各州の教育法が公教育から障害のある子どもを排除する規定を設けていたり[87]、事実上学校が障害のある子どもに対して教育を行うことを拒否するなどしていたため、障害のある子どもの多くは、通常学校はもちろん、学校内の特殊学級にさえ就学することができなかった[88]。
 そこで、1950年代後半には、連邦政府が、労働力育成を目的とした教育制度改革の一環として、特殊教育改革に着手し始めた。すなわち、それまでの連邦教育年報の障害のある子どもの項目を「特異児」から「特別な教育的ニーズへの対応」に変更し、「利益を得ることができるようすべての特異児に対して適切な教育機会を提供する」という特殊教育推進策を主張した[89]。その結果、障害の種類を問わず、すべての障害のある子どもに対する教育の機会の保障が追及され始めた。
 さらに、1960年代後半になると、アフリカ系米国人の公民権運動に大きな影響を与えた1954年のブラウン判決[90]を受けて、障害のある子どもを公立学校に就学させないと規定する州の教育法が、連邦憲法修正14条の平等条項に違反するのではないかという主張がなされるようになった[91]。そして、1970年には、ペンシルバニア州知的遅滞児協会と知的に障害のある子どもの親によって、ペンシルバニア州が公教育を知的に障害のある子どもに提供できなかったことが連邦憲法修正14条に違反するとして、訴訟が提起された[92]。この結果、和解によって、原告の主張が認められ、ペンシルバニア州は州教育委員会のそれまでの措置を改めることが要請された[93]。
 そして、この裁判を契機として、障害のある子どもの教育に関して、次の2つの法律が成立することとなった。すなわち、1973年には、連邦政府の補助を受けるいかなる機関も障害のある人に対して差別的な取り扱いをしてはならないと規定する、「リハビリテーション法504条」が、1975年には、障害のある子どもに対して、原則として、通常学級での教育を保障し、かつ無償の適切な公教育を提供することを目的とする「全障害児教育法[94]が制定された 。後者の全障害児教育法は、統合教育を原則とし、無償の適切な公教育をすべての障害のある子どもに提供することを目的として、障害のある子どもの特別なニーズに応じた教育の提供を保障したものである。次に、後者の内容について検討していきたい。

b. 「全障害児教育法」の成立(1975年)
 全障害児教育法の特徴は、大きく分けて、次の2つに分けることができるだろう。すなわち、統合教育を原則としている点と、その教育内容として、障害のある子どもが有する特別な教育的ニーズを提供するために、無償の適切な公教育を保障したことである。以下、それぞれについて、順次検討していきたい。
 まず、統合教育を原則としている点について検討していきたい。この点、全障害児教育法は、障害のある子どもを可能な限り通常学級で教育することを規定し、補助的手段やサービスを活用しても通常学級での教育が十分に行い得ない場合に限って、特殊学校や特殊学級などの分離された環境で教育することとした[95]。そして、その際、連邦憲法修正14条の適正手続きの規定に従って、州の教育機関が、障害のある子どもを通常教育とは異なる分離教育への措置を行う場合には、その措置に合理的な理由があり、かつその制約が最少のものでなければならないとされた(「障害児は、最大限可能な限り最も制約の少ない環境(the least restrictive environment)で教育を受ける」という原則)。また、このような障害のある子どもの教育は、分離された環境で教育する特殊教育ではなく、通常教育という主流(mainstream)で行うという意味において、「メインストリーミング」と呼ばれた。
 次に、同法は、その教育内容として、無償の適切な公教育を規定しているが、具体的にどのような内容を持つものなのだろうか。この点、大きく分けて、次の4つの点[96]をあげることができるだろう。すなわち、障害のある子どもの特別なニーズに合わせて、(a)「個別教育計画」を作成し、(b)交通手段や理学療法などといった関連サービスの提供を保障すること、 (c)親や後見人の義務規定と、教育措置や教育内容に対する権利を認めたこと、及び (d)連邦政府は、(a)(b)を提供する州及び地方教育行政に対して、補助金を支出する義務があること、である。
 (a)「個別教育計画」の作成は、障害のある子どもの特別なニーズに合わせ、特別に計画された教育を提供することを目的としている。そのため、作成にあたっては、地方教育機関、学校管理者、担当教師、親あるいは後見人、及び障害のある子ども本人の協議によって作成され、少なくとも年1回その措置継続についての評価を行うことになっている。ただし、通常学級の教員の参加は努力義務とされた。 (b)関連サービスとは、特別なニーズ教育により利益を得る障害のある子どもを援助するために必要と考えられる医療サービスであり、障害の早期発見及び評価もこれに含まれる[97]。そして、(c)についてであるが、(a)(b) を保障するために、障害のある子ども及びその親や後見人の権利を保障することが重視され、州教育機関などが彼/彼女らの権利を保障するための手続保障を規定された[98]。最後に(d)についてであるが、連邦政府は、州から報告される障害のある子どもの人数に基づいて、州に対して補助金を交付することが義務付けられた。
 しかしながら、実際のところ、全障害児教育法では、障害のある子どもを通常教育で教育することを目標としながらも、現実には障害のある子どもを受け入れる通常教育が制度上ほとんど整備されなかったなどの制度上の問題から、障害の種類や程度によって、その進行の度合いに大きな違いが生じた。すなわち、結果として、軽度の障害のある子どもの通常教育への統合はある程度進んだものの、その反面、重度の障害や重複の障害のある子どもの多くは、受け入れる学校側の整備の不備や統合教育へ消極的な教師の態度などから、通常学校や通常学級において教育を受ける機会を否定されてしまった。その後、このような制度の問題に対しては、1997年に、全障害児教育法を改正し、「障害のある個人の教育法」が成立し、問題の解決に向けた動きが展開されていくこととなる。

A英国におけるインテグレーション
a. 特別なニーズ教育の登場
 次に、英国における「インテグレーション」について検討していきたい。英国では、1978年、「障害児者教育調査委員会の報告書(以下、ウォーノック報告[99])」において、「特別な教育的ニーズ(Special Educational Needs)[100]」 という考え方が示され、分離教育が批判されるとともに、統合教育への方向付けがなされた。すなわち、同報告では、統合教育を原則として、就学年齢の子どもの15%〜20%を特別教育の対象と考えるべきことと、従来の障害種別の特殊教育制度を廃止し、対象には障害のある子どもだけでなく、障害がなくても学習上の困難のある子どもを含めるべきことを勧告した[101]。この後者が、「特別な教育的ニーズ」という考え方である。
 それでは、英国において、なぜこのような委員会の設置や勧告がなされたのだろうか。この点、大きく分けて、次の2つの点があげられるだろう。すなわち、ノーマライゼーションの影響による、(ウ)特殊教育制度が抱える制度上の問題の表面化[102]と、(エ)通常教育制度における学力低下問題の顕在化[103]、である。
 まず(ウ)についてである。英国では、1944年教育法により、「重度教育遅滞」のカテゴリーに分類された子どもは、就学免除の対象となっていた[104]が、1950年代以降、重度の障害のある子どもの教育可能性が主張されるようになり、重度の障害のある子どもを対象とした特殊学校が設立されるようになった。そして、ノーマライゼーションの影響を受けて、1970年教育法により、就学免除規定が撤廃され、1971年4月1日に全国一斉に実施され、全員就学が実現することとなった[105]。このように制度的に障害のある子どもに対する特殊教育制度が確立されることとなる一方で、次のような実践的な問題が提起されるようになった。すなわち、医学的診断、あるいは心理的診断に基づいて、障害の種類を判断して学校を指定するため、重複障害のある子どもや、同じカテゴリーに分類されても異なる教育的対応を必要とする子どもへの対応が不十分である点である。また、障害のある子どもの教育的対応に関して、関連分野との連携の問題や保護者と学校との関係の問題などが指摘され始めた。
 また、(エ)については、1960年代、英国では、中等教育改革によって、学校の大規模化が促進され、学力水準の低下や学校の荒廃が大きな社会問題とされるようになった。これは、学力差が拡大する中等学校において、何らかの特別な配慮を必要としている子どもが多数存在していたことを示すものであり、通常学校において顕著な学習上の困難を示す子どもに対する教育的対応が要請されるようになった。すなわち、それまでは、就学年齢の子どもの2%にあたる障害のある子どもを対象として特殊教育を行ってきたが、今後は、通常学校において学習上の遅れのある子どもを含めた、就学年齢の子どもの20%にまで特別な配慮を提供する教育を行うことが要請されたのである。その際、障害の種類や有無によってではなく、各個人の特別なニーズに応じた教育の提供が提起されたのである[106]。
 次に、ウォーノック報告書の勧告を受けて具体化されることになる、「1981年教育法」について検討していきたい。

b.1981年教育法
 英国政府は、ウォーノック報告で示された内容を具体化させるために、1980年に政府白書「教育における特別なニーズ」を作成し、1981年10月に「1981年教育法」を成立させた。1981年教育法は、統合教育を原則として、特別な教育的ニーズのある子どもには、そのニーズを評価し、判定書[107]を交付すべきこと、及び教育は判定書に基づいて行われるべきであることを規定し、その基準として、次の3つをあげている。すなわち、(a)そうすることが親の意見に沿ったものであり、かつ(b)その子どもが必要とする特別な教育的措置を実現することになることと、その子どもと共に教育を受ける他の子どもの効果的な教育が妨げられないこと、及び(c)財源の有効な利用が阻害されないこと、である。
 しかしながら、1981年教育法は、施行直後には、判定書の作成割合が、特別な教育的対応を必要とする子どもの割合の拡大を端的に示す指標として注目を集めたものの、1980年代半ばには、判定書の作成の割合が、地方教育当局の間で大きな格差が存在することが明らかになった。この点、制度上の問題として、特に次の2つの点が考えられる。すなわち、(イ)特別な教育的ニーズの評価基準が曖昧であった点と、(ロ)子どもの特別な教育的ニーズを判定する地方教育局と学校との責任の所在が不明確であった点、である。
 (イ)については、特別な教育的ニーズの評価基準があいまいであったため、子どものニーズに応じた判定書が作成できずに、子どもの特別なニーズに応じた教育的対応が具体的に行えない場合もあった。また、(ロ)については、同法において、地方教育局と各学校との責任の所在が明確にされなかったために、地方当局と学校とが子どもの対応をめぐる責任の問題や、判定書の作成とそれに基づく資源の配分などにおいて混乱する事態を招く結果ともなってしまった。
 さらに、1988年には、教育への競争原理の導入を目的として、「全国統一カリキュラム」の策定、これを基準とした「統一評価システム」による学校への予算配分の傾斜、及び各学校への大幅な権限委譲を認めるなどの規定を盛り込んだ、「1988年法」が成立し、事態は悪化してしまう[108]。すなわち、同法により、判定書を作成された特別な教育的ニーズを有する子どもが予算獲得のための手段として利用されたり、判定書を持たない特別な教育的ニーズを有する子どもが学校から受け入れを拒否されるなどの事態を生むこととなってしまったのである。
 次に、このような状況を解決するために成立した「1993年教育法」について検討していきたい。

c.1993年教育法
 1993年教育法では、1981年教育法での問題を踏まえて、地方教育局と学校との間の責任の所在を明らかにし、特別な教育的ニーズのある子どもへの教育的対応が効果を挙げるために、地方教育局に与える指針として、「実施要綱」を示した[109]。実施要綱は、子どもが特別な教育的ニーズをもっているかどうかの判別とそれに関わる評価の基本原則[110]と、これらの原則を実現するための実践と手続き[111]について規定している。
 さらに、この実施要綱では、子どもの特別な教育的ニーズを確認して、判定書が作成されるまでに行われる評価の段階を次の5つの段階と規定した。すなわち、第1段階を「学級担任または教科担任が、子どもの特別な教育的ニーズを確認し、あるいは登録し、学校の『特別な教育的ニーズコーディネーター(以下、SENCO)』[112] と相談しながら、最初の措置を開始する」とし、次に第2段階を 「学校とSENCOの責任で、情報を集め、子どもの特別な教育的対応を子どもと教師とともに調整する」とした。そして、第3段階として、「教師やSENCOは学校外の専門家の支援を受ける」とし、第4段階として、「地方教育局は、法令に基づく評価の必要性を検討し、適切であれば、様々な専門分野と共同で、評価を行い」、第5段階として、「地方教育局は、特別な教育的ニーズの判定書の必要性を検討し、適切であれば、判定書を作成し、モニターとレビューの措置を取る」と規定した。
 その他、地方教育局によってなされた判定書に対する不服申立て制度として、「特別な教育的ニーズ審判所」を設置している。このことは、障害のある子どもを含む、特別な教育的なニーズを有する子どもに対する教育的な対応をよりよいものとするために、再度その判定の妥当性を検討するものであり、大きな意義を有すると言える。
 このような1993年教育法において規定された制度は、いずれも、1980年代に指摘された問題を踏まえたものとなっており、地方教育局と学校の間の責任の所在を明確にしたり、特別な教育的ニーズの評価手続きの具体的な実践指針を示した点で評価できるものであると言える。しかしながら、同法は、特別な教育的ニーズの基準が依然として不明確であるなどの問題や、判定書が作成されない特別な教育的ニーズを有する子どもに対する教育的対応の如何などの問題が残された。これらの問題に対しては、1990年代以降、1980年代後半に北米において主張され始めた「インクルーシヴ教育」概念の影響を受けて、「2001年特別な教育的ニーズと障害のある人の法」が制定され、問題の解決に向けた動きが展開されていくこととなる。

(2)統合教育の保障に向けた国際的な動き(1980年代)
また、このような国内的実践の影響を受けて、1980年代に入ると、国際人権文書においても、特別な教育的ニーズに言及しつつ、統合教育の保障を目的とした内容が見られるようになってくる。すなわち、@「国際障害者年(1981年)」と「教育・予防・統合のための行動・方略に関する世界会議(1981年)」、A「国連障害者の十年(1983年〜1992年)」と「障害者に関する世界行動計画[113](1983年)」、及びB「障害のある人の機会均等に関する基準規則[114](1993年)」である。以下、順次検討を行いたい。

@ 国際障害者年(1981年)と教育・予防・統合のための行動・方略に関する世界会議 (1981年)
 1975年に障害者の権利宣言が国連総会において採択されて以降、障害者の権利宣言の具体化と実施に向けて、国連は、1976年に、障害者の権利宣言の実施に関する決議[115]を総会において採択し、同年、1981年を「完全参加(full participation)」をテーマとする「国際障害者年」と宣言する国連決議[116]を採択した。この決議を受けて、1978年には、国際障害者年の行動計画を策定するために、国際障害者諮問委員会を設置し[117]、同委員会によって、1978年から1979年にかけて、国際障害者年の目的[118]を実施するための行動計画が策定される。そして、1979年には、テーマが「完全参加」から「完全参加と平等(full participation and equality)」に拡大され[119]、1981年に、国際障害者年は、次の3点を主たる目的として実施された。すなわち、(a)障害のある人の社会生活と生活する社会の発展への「完全参加」、(b)障害のない人と等しい生活の諸条件を享受するという意味においての「平等」の目標の実現、及び(c)社会的・経済的発展による生活諸条件の改善の平等の享受などを促進すること、である[120]。
 それでは、国際障害者年では、教育に関してどのような取り組みが行われたのだろうか。この点に関して、同年、この国際障害者年の活動の一部として、11月2日から7日にかけて、スペインのトレモリノスにおいて、UNESCOとスペイン政府による国際会議「教育・予防・統合のための行動・方略に関する世界会議」[121]が開催されている。これは、国際障害者年の一環として、1980年に、旧ユーゴスラビアのベオグラードで開かれたUNESCO第21回総会で決定されたものである[122]。
 この会議における報告と討議の結果、障害のある子どもの教育に関して、障害の程度や種類に関係なく、すべての障害のある子どもが、通常学校を前提として、「可能な限り最も制約の少ない環境で」教育を受けることが保障されるべきことが提起された。その際、障害の性質や程度に基づいて統合の如何を決定するのではなく、各個人の特別なニーズに基づいて決定されるべきであるとされた[123]。そして、このような特別なニーズに応じた支援を提供するためには、柔軟な対応が不可欠であるとされ、障害のある子ども自身、親、及び様々な専門家と共同して、個別化された教育プログラムを提供するべきであると提起された。また、このような教育における統合を実現するためには、通常学校の教員と特殊学校の教員間の連携が重要であり、教員養成計画の中に統合教育の原則が反映されるべきであるとされた[124]。その他、障害の影響を軽減するために、リハビリテーションの重要性が主張され、同時に障害の早期発見、診断、及び早期対応を教育計画に含めることが提起された[125]。
 そして、同会議の閉会を前に、上記の会議の内容を踏まえて、「サンドバーグ宣言」が採択された。この宣言は、全16条からなり、障害のある人の社会生活への完全参加と統合教育を原則としており、精神遅滞者の権利宣言や障害者の権利宣言で主張された、教育における統合よりも進んだ考え方を提示したものとなっている。すなわち、同宣言では、米国の全障害児教育法において規定された、障害のある子どもを通常学級を前提とした、「可能な限り最も制約の少ない環境で」の教育する原則と個別教育計画の重要性について述べており、また英国のウォーノック報告で提起された「特別なニーズ教育」概念の影響を受けた内容となっている[126]。ただし、同宣言は、統合教育の方向性をある程度具体的に示したという点では評価できるものの、会議の目的に障害の予防を掲げ、障害の予防に重点を置いており、リハビリテーションを活用した教育を推進する内容であるとも言える[127]。そのため、特殊教育における障害を克服・軽減する医療的なアプローチに重点を置いた教育を容認しているとも解することもでき、問題があると言わざるを得ない。

A国連障害者の十年(1983年〜1992年)と障害者に関する世界行動計画(1983年)
 障害者に関する世界行動計画[128]は、国連障害者の十年の初年である1983年から、国際障害者年(1981年)と同様に、「完全参加と平等」をテーマとして実施され始めた。同計画は、障害の予防、障害者のリハビリテーション、障害者に対する機会の均等化という目標を達成するための具体的な内容や方法について規定し、国際レベル・地域レベル・国内レベルのそれぞれにおいてどのように取り組んでいくべきかについて、示唆に富む内容となっている[129]。
 それでは、障害者の世界行動計画では、教育に関してどのように規定しているのだろうか。この点、「障害者の教育は、可能な限り、一般教育制[130]の中で行われるべきである」[131]とし、最も重度の障害のある人も含めて、あらゆる障害のある子どもや成人が、特別なニーズに応じた教育の提供が受けられるべきであるとして、統合教育の保障を国連加盟国に要請している[132]。その際、提供される教育サービスの開発に関する基準として、次の4点をあげている。すなわち、(a) 個別化すること、(b)地元で受けられること、(c)総合的であること、及び(d)地域社会において、特別なニーズに合わせた選択ができること、である。
 (a)については、「専門家、教育に関わる行政当局、障害のある子ども、及びその親の間で十分に合意され、かつ客観的に評価されたニーズに基づくこと、及び明確に表明されたカリキュラム目標と短期目標が、定期的に検討され、かつ必要な場合は改正されること」と規定している。この点、本章2(1)@bで検討した米国の全障害児教育法における個別教育計画や、本章2(1)Abで検討した英国の1981年教育法における判定書の作成などの国内的実践を想定しているものと考えられる。また、(b)については、「特別な場合を除いて、生徒の家や居住地から相応な距離にあること」と規定されており、障害のある人の地域社会の統合を目指した、ノーマライゼーションの影響を受けたものであると考えられる。(c)については、「就学年齢のすべて子どもが、障害の重さを理由に教育を受けられなかったり、他の子どもより実質的に劣る教育的サービスを受けたりすることはないように、年齢や障害の程度に関係なく、特別なニーズのあるすべての人にサービスが提供されること」と規定されている。この点、障害の程度に関係なく、すべての障害のある人が教育的サービスを享受することを要請するものであり、米国や英国における特別なニーズ教育の実践の影響を受けたものであると言える。
 その他、教員に関しては、次のような規定を置いている。すなわち、「統合教育を成功させるためには、通常教育と特殊教育の両方の教員に対して、適当な教員養成プログラムを行うことが必要である。統合教育の概念を教員養成プログラムに反映させなければならない。」[133]この点、統合教育の保障のために、教員養成プログラムに統合教育の概念を反映させることを明文で規定し、また通常教育と特殊教育の相互の教員の協力を要請するものであり、評価できるだろう。
 ただし、次の点に留意する必要がある。すなわち、障害者の世界行動計画では、統合教育の促進を具体化するために、上記のような規定をしているものの、一般135]教育の施設が、障害のある子どもにとって、不適切であると考えられる場合には、適当な期間、特殊教育を行う分離された学校や施設への措置を容認している点である[134]。その際、そのような施設での教育は、「一般の学校教育に匹敵するものであり、かつ密接に連携すること」[としている点は、統合教育の促進を要請しているという意味において、評価できるだろう。しかしながら、障害のある子どもが通常教育の施設に適応できなければ、特殊教育に措置するとの規定は、通常教育制度をほとんど変更することなく、障害のある子どもに対して、通常学校や通常学級での教育に適応することを求めるものである。したがって、そのような教育制度に適応できる軽度の障害のある子どもの統合を促進するが、適応できない重度の障害のある子どもを排除することを容認しているとも解することができ、問題であると言わざるを得ない。

B障害のある人の機会均等に関する基準規則(1993年)
 障害のある人の機会均等化に関する基準規則[136](以下、基準規則)は、経済社会理事会の下部組織である社会開発委員会が中心となって起草し、1993年に国連総会において採択された決議であり、今日、国連の障害分野の最重要文書であると考えられている[137]。
 では、基準規則とはどのような内容を規定しているのだろうか。この点、基準規則では、障害のある個人と社会環境作用の結果として発生するのが障害であり、各国政府に障害のある人の社会参加を妨げる障壁を取り除く義務、「合理的な配慮(reasonable accommodation)」の提供の義務があるとして、政府がとるべき具体的な方針や措置について、22の規則[138]を規定している。また、基準規則の起草を行ってきた社会開発委員会は、国際的な監視として、各国による基準規則の履行の促進と、基準の監視を行う特別報告者を任命している[139]。さらに、社会開発委員会は、障害分野において積極的に活動する主要なNGOの代表からなる専門家パネルを設置し、特別報告者による基準規則の履行監視に対して、諮問的な役割を果たしている。
 それでは、基準規則は、教育に関してどのように規定しているのだろうか。この点、基準規則の規則6は、「国家は、障害のある子ども、青年、成人の統合された環境での初等、中等、高等教育への機会の均等の原則を認識すべきである。政府は障害のある人の教育が教育制度の不可欠の部分であることを保障すべきである」と規定し、次の9つの項目を設けて、政府がとるべき具体的な方針や措置について規定している。
 すなわち、@教育行政を行う当局は、通常学校や通常教育などの「統合された環境」における障害のある人の教育に対して責任があることと、障害のある人の教育は、全国的教育計画、カリキュラム開発、及び学校運営において不可欠の部分であるべきであること(1項)、A通常教育において、障害のある人の多様なニーズに応じた支援サービスを提供すること、B親や障害当事者の団体の教育課程への関与(2項)、C障害の種類や程度に関係なく、義務教育を保障すること(3項)、D障害のある幼い子ども、学齢期以前の子ども、及び障害のある女性に特別の関心が払われること(5項)、E通常学校において障害のある人に教育的設備を提供するために、(a)学校の内外で理解され、受け入れられる明確な方針を持つこと、(b)カリキュラムの柔軟性や追加・変更を許容すること、 (c)質の高い教材や、継続的な教員研修、及び補助教員を提供すること(6項)、F統合教育と地域に根ざした計画は、障害のある人に対して対費用効果の高い教育と訓練を提供するという点において、相互補完的なアプローチであり、推奨されること(7項)、G一般教育制度が障害のある人のすべてのニーズを適切に満たさない場合には、生徒を一般教育制度での教育に準備するために、一般教育制度と同質・同基準である特殊教育を考慮することと、特殊教育の通常教育への段階的な統合を目指すこと(8項)、及びHろうの人や盲ろうの人の特別なコミュニケーション上のニーズを満たすために、通常学校内の特殊教育での教育や初期の段階における配慮を提供すること(9項)、である。
 規則6のこのような規定は、統合教育を明文で規定し(7項)、障害のある人の多様なニーズに応じた教育を通常教育を実施するために、政府が取るべき具体的な方策を明示するものであり、評価できると言えるだろう。

3.ノーマライゼーションから「ソーシャル・インクルージョン(social inclusion)」へ
(1)統合教育への批判と「インクルーシヴ教育」概念の登場
 1980年代後半になると、1970年代後半以降の統合教育における特別なニーズ教育の実践を通して、ノーマライゼーションを教育において実現する手段である統合教育の概念が批判され始める。また、その一方で、その内容の発展により、統合教育に関する概念の拡大と再定義の必要性が主張されるようになった。そこで、統合教育に変わる概念として登場するのが、「インクルーシヴ教育」概念である。
 インクルーシヴ教育は、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、米国の障害のある子どもの教育関係者を中心として起こった「通常教育主導主義論争」において発展してきた考え方である[140]。この点、この論争は、連邦教育局障害児教育担当副主任であったウィル氏が、1986年に、『学習上の問題のある子どもの教育―責任の共有』と題する報告書において、通常教育と特殊教育の双方による「責任の共有」を提起したこと[141]を契機として始まっている[142]。
 すなわち、彼女は、学習障害のある子どもを中心とする障害のある子どもを通常学級から抽出する形で、これらの子どもを通常学校内の特殊学級において教育する特殊教育が、子どもの学習をこま切れに中断させ、十分に成果をあげていないことを批判し、抽出方式によらないで、通常教育においてこれらの子どもを教育するべきであると主張した[143]。この点、全障害児教育法における実践は、通常教育において障害のある子どもの教育を行うという面では、統合教育の目的に合致したものであったものの、同法による教育制度では、障害のある子どものニーズに応じた教育の提供を十分に行えないという問題が提起されたと言える。そして、このような主張は、全障害児教育法に従って認定される学習障害のある子どもの人数が過剰に増加し、その状況に十分対応することができない学校教育に危機感を感じていた障害のある子どもの教育関係者の関心を引きつけることとなる。
 しかし、このようにして展開され始めた通常教育主導主義論争は、その展開過程において、ウィル氏の「責任の共有」という考え方が急進派 [144]によって拡大され、通常教育と特殊教育という2つの教育制度の統一や合併が主張されるようになる[145]。このような急進派の中で中心的な役割を果たしていたのが、「重度の障害のある人の協会」に属する人たちであった。彼/彼女らは、可能な限り通常教育と特殊教育の統一の推進することによって、重度の障害のある子どもも含め、障害のある子どもすべてを可能な限り通常教育で教育することを、「インクルージョン」という用語を使用して、主張し始めたのである。
 このような急進派の主張は、障害のある子どもを可能な限り通常教育で教育することを目的とする統合教育が、主として軽度の障害のある子どもの統合につながり、重度の障害のある子どもを排除してしまうことに対する反省に基づいていると考えられる。また、従来の統合教育は、通常教育と特殊教育の制度の2つの教育制度の存在を前提とし、両者の統合を企図するものではなかった。そのため、急進派は、(a)重度の障害のある子どもも含めて、すべての障害のある子どもが可能な限り通常教育で教育を受けることと、そのための方策として、(b)通常教育と特殊教育を可能な限り統合させることの2点を強調したのである。そして、このような考え方は、従来のメインストリーミングやインテグレーションにおける考え方とは意味内容が異なることから、このような統合教育を意味する用語に代わるものとして、「インクルージョン」が適当であると主張された。 
 このような通常教育主導主義論争の結果、インクルーシヴ教育の概念は、1990年代以降、障害のある子どもの教育の教育関係者や専門家によって発展していく。そして、インクルージョンという用語は、その内容が多義的であいまいであることものの、大きく分けて2つの考え方が提起された。すなわち、急進派によって主張される「フル・インクルージョン」と、穏健派によって主張される「教育サービスの連合体」論である。前者は、上述したとおりである。これに対して、後者は、次の2点を主張する[146]。すなわち、(ウ)全障害児教育法において規定している「障害児は、最大限可能な限り最も制約の少ない環境で教育を受ける」という原則を具体化するために、障害のある子どもに対して、地域の学校への教育措置、適切な支援、及び個別に計画されたカリキュラムを提供し、(エ)その際、通常教育と特殊教育を統合し、1つの教育制度とするが、支援付きの通常学級での教育だけでなく、特殊学校や殊学級への措置、及び病院あるいは在宅訪問教育にいたる「教育サービスの連続体」の維持し、障害のある子どもの多様なニーズに応じて選択できるものとすること、である。この点、後者は、最大限のメインストリーミングが推進されるべきであるが、障害のある子どもを教育する場は、通常学級に限られないとする考え方であると言える。
 では、両者の違いは何だろうか。この点、急進派と穏健派の主張の違いは、この「教育サービスの連続体」を維持するか否かである。前者は、これを全面的に解消し、すべての障害のある子どもを通常学級において教育するべきであると主張するが、後者は、「教育サービスの連続体」を堅持するべきであると主張する。いずれにせよ、インクルーシヴ教育は、障害のある子どもを単に通常学級に入れることを意味するのではなく、障害のある子どもを内部的に包摂できるように教育制度自体を改革することを目指すものであると考えられる。すなわち、通常教育において障害のある子どもを教育することを要請するインクルーシヴ教育を実現するためには、すべての子どもに普遍的な通常教育と特別なニーズに対応した教育の双方を障害のある子どもに提供することなしには成立しえないと考えられる[147]。そのため、インクルーシヴ教育を実質的に保障していくためには、通常教育と特殊教育を統合し、1つの教育制度として再編していく必要があると言える。

(2)インクルーシヴ教育の保障に向けた国際的な取り組み
 北米において登場したインクルーシヴ教育の影響を受けて、国連においても、1994年以降、インクルーシヴ教育の保障に向けた国際的な取り組みが展開される。主なものとして、次の3つがあげられるだろう。すなわち、@「特別なニーズ教育に関する世界会議:アクセスと質(1994年)」と「特別なニーズ教育における原則、政策、及び実践に関するサラマンカ声明」と「特別なニーズ教育に関する行動枠組み」、A子どもの権利条約の実施機関である子どもの権利委員会が、1997年に「障害のある子ども」をテーマとして行った一般的討議[148]、及びB障害のある人の権利条約の起草、である。なお、AとBについては、第4章において、国際人権条約上の障害のある子どものインクルーシヴ教育の保障の検討の際に取り上げるため、本章では、@について検討することとする。
 1994年6月に、スペイン・サラマンカにおいてUNESCOとスペイン政府の共催で開催された「特別なニーズ教育に関する世界会議・アクセスと質に関する会議(以下、サラマンカ会議)」[149]は、「特別なニーズ教育における原則、政策、及び実践に関するサラマンカ声明(以下、サラマンカ声明)」と「特別なニーズ教育に関する行動枠組み(以下、行動枠組み)」を採択し、国際文書として初めてインクルーシヴ教育の考え方を表明した。この会議は、1990年に、タイのジョムティエンにおいて、UNESCOの最重要事業として、国連児童基金(以下、UNICEF)、国連開発計画、及び世界銀行との共催で開催された「万人のための教育に関する世界会議―基本的学習ニーズへの対応―(以下、万人のための教育に関する世界会議)」[150]の幅広い枠組みの中で、特別なニーズ教育を中心課題として取り上げた会議である。
 サラマンカ会議では、万人のための教育に関する世界会議を受けて、次の4つの目的に沿って、討議が行われた。すなわち、@学習の困難、学習障害、及び特殊教育の学校や諸施設などと通常教育の改革との関係に関して、新しい考え方を示すこと、A特別な教育的ニーズを有する子どもや青年のための学校や施設などにおける最近の発展を再検討すること、B法制、カリキュラム、教育学、学校組織、及び地域社会の参加といった分野における画期的な進展や、重要な経験を明らかにすること、及びC二国間レベル、地域レベル、及び国際レベルで経験を共有し、今後の協力に向けた協議の場を提供すること、である。
 そして、この会議の結果、サラマンカ声明と行動枠組みが採択し、各国政府に対して、国内レベル、地域レベル、及び国際レベルで取られるべき方針や措置を勧告している。この点、サラマンカ声明は、インクルーシヴ教育の原則と、すべての人を含み、個人の多様性を祝福し、学習を支援し、かつ個人の固有のニーズに対応する教育制度である「万人のための学校(schools for all)」の原則の実現に向けて、次のように宣言している。すなわち、「すべての子どもは、教育への基本的な権利を有しており、受け入れられる学習のレベルに到達しかつ維持する機会が与えられなければならない。すべての子どもは固有の個性、興味、能力、及び学習上のニーズを有している。教育制度と教育計画は、子どもたちのこのようなきわめて多様な個性とニーズを考慮し計画され、実施されるべきである。特別な教育的ニーズのある子どもは、これらのニーズを満たすことができる子ども中心の教育学において、これらのニーズを調整する通常学校を利用することができなければならない。インクルーシヴ教育を指向する通常学校は、差別的な態度と闘い、すべての人を受け入れる地域社会を創り出し、すべての人が平等に受け入れられ、共生することのできる社会(inclusive society)を築き、万人のための教育を実現するための最も効果的な手段である。さらに、このような学校は、大多数の子どもに対して効果的な教育を提供し、かつ教育制度全体の効率を高め、最終的には費用対効果の高いものとする。」
 この点、同声明は、「すべての子どもは固有の個性、興味、能力、及び学習上のニーズを有して」おり、障害のある子どもや学習困難を抱えている子どもだけでなく、難民の子どもや働く子どもなど、様々な理由によって学校教育を受けることができない子どもも含めて、通常教育において特別なニーズ教育を行うことによって、個人としての子どもの人格、才能、及び能力の発達を図ることを目的とするべきであると主張したものであると言える。すなわち、同声明では、障害のある子どもを含むすべての子どもの教育への権利を実質的に保障するためには、各国政府が、通常教育において特別なニーズ教育の提供を行うことを目的とするインクルーシヴ教育の保障に向けて行動すべきであることが強調されたのである[151]。なお、同声明のこのような規定は、その内容から、万人のための教育に関する世界宣言だけでなく、英国における特別なニーズ教育の考え方(本章2(1)A)や、米国におけるインクルーシヴ教育の取り組み(本章2(1))の影響を強く受けたものであると考えられる。
 このような内容を持つサラマンカ声明と行動枠組みは、世界各国の特殊教育制度に大きな改革を迫るものであり、1994年に同声明が成立して以降、先進国だけでなく発展途上国においても、同声明と行動枠組みに従って制度改革が行われ始めた。例えば、米国では、1997年に、全障害児教育法を改正して、「障害のある個人の教育法」を制定している[152]。また、英国では、サラマンカ声明と行動枠組みを具体化させ、インクルーシヴ教育を保障するために、2001年に、「2001年特別な教育的ニーズと障害のある人の法」を制定している[153]。ベトナムでは、1995年以降、インクルーシヴ教育を推進し、教員に対する専門的な研修を含むプログラムなどの、障害のある子どもを通常学級で教育するための様々な国家計画を開発し実施している。
 また、国連においては、子どもの権利に関する条約の実施機関である子どもの権利に関する委員会が、1997年に「障害のある子ども」をテーマとして一般的討議を行い、サブテーマの1つとして、インクルーシヴ教育を取り上げ、活発な議論を行っている(第4章1(2)A)。さらに、現在起草中である障害のある人の権利条約の起草過程では、障害のある子どもの教育への権利に関する審議において、インクルーシヴ教育の保障についての議論が行われている(第4章2)。
 したがって、サラマンカ声明と行動枠組みの成立後、障害のある子どもの教育に関して、国際レベルと国内レベルの双方において、統合教育からインクルーシヴ教育へと考え方の大転換が行われ始めたと言えるだろう。

(3)「ソーシャル・インクルージョン」概念の登場
 1990年後半になると、このようなインクルーシヴ教育に向けた国際的・国内的な取り組みの影響を受けて、障害や貧困などといった様々な理由によって、社会から様々な人々を疎外し排除する今日の社会のあり方そのものを批判する考え方が登場する。これを「ソーシャル・インクルージョン」と呼ぶ[154]。ソーシャル・インクルージョンは、現在生成途中の概念であるが、現段階の議論を整理すると、次のように整理することができるだろう。すなわち、貧困・障害・逸脱などの状態によって社会から疎外・排除されてきた人々を、そのようなカテゴリーによってではなく、特別のニーズのある人々として捉え直し、それぞれのニーズに応じたサービスの提供を行うことによって、分断や格差を生みだす構造を解消し、すべての人が平等に社会に受け入れられるようにしていこうという考え方である。これを初めて表明したのは、「差別的な態度と闘い、すべての人を受け入れる地域社会を創り出し、すべての人が平等に受け入れられ、共生することのできる社会を築」くために、各国がインクルーシヴ教育を保障すべきこと宣言したサラマンカ声明である。
 また、ソーシャル・インクルージョンは、ノーマライゼーションの特徴の1つである、すべての人が共に生活できるように社会のあり方を変革するという考え方が発展したものであると考えられる。すなわち、ノーマライゼーションは、障害のある人の視点から、障害のある人を排除してきた社会のあり方に異議を唱え、障害の有無に関係なく、すべての人々が共に生きていける社会を変えていくことを目指したものであった。この概念は、1950年代に登場後、1970年代から1980年代における統合教育の実践など、教育や福祉といった様々な分野において、世界各国で展開されてきた。そして、1970年代後半に登場した特別なニーズ教育や、1980年代後半から1990年代に登場したインクルーシヴ教育の影響を受けて、障害のある人を障害のない人の生活に近接させるという視点よりも、障害に関係なく、すべての人が平等に受け入れられる社会へと社会自体を変革するという視点を強めるようになったと考えられる。
 現在、欧州では、このソーシャル・インクルージョンを基本理念とした改革が各国で行われている。例えば、フランスにおいては、1997年に成立した社会党政権が、「ソーシャル・インクルージョン」という政策を提言し、1998年に「社会的な排除を防止する法」を成立させている。当時のフランスでは、経済状況の悪化による移民に対する排斥運動の展開や、若者を中心としたホームレスの存在が問題とされていた。そこで、このように社会から排除されやすい外国人やホームレスといった人たちを社会の中に包摂していく方策として、インクルーシヴ教育に代表されるソーシャル・インクルージョンの概念の具体化が提言されたのである。また、英国においては、1997年12月に、内閣の中に「ソーシャル・インクルージョン・ユニット」を設置し、障害、人種、民族、貧困、及び年齢などを理由として、社会的に不利な立場に置かれてきた人や社会から排除されてきた人を対象として、教育をはじめとして、雇用や福祉などの様々な分野において政策を行っている。これは、サラマンカ声明やフランスの取り組みに影響を受けた労働党政権が、資本主義でもなく、社会主義でもない、「第3の道」として、ソーシャル・インクルージョンを基本理念とした社会づくりを目指したことによる。その他、欧州連合は、2004年6月18日に採択され、2007年に発効予定の欧州連合憲法である新ローマ条約においても、ソーシャル・インクルージョンは社会政策の基本理念として規定されている。

4.結論
 以上で検討してきたように、障害のある子どもの教育は、分離教育から統合教育、そしてインクルーシヴ教育へと変遷し、インクルーシヴ教育が今日の国際的な潮流であると言えるだろう。この点、今日、サラマンカ声明は、国際的に最もインクルーシヴ教育の考え方を表している国際人権文書であると考えられており、国際的、国内的にこの声明で示されたインクルーシヴ教育の内容に従って、教育制度が整備され始めている。
 それでは、インクルーシヴ教育と統合教育はいかなる点で異なっているのだろうか。この点、初期の統合教育では、障害のある子どもと障害のない子どもの交流を図ることを主たる目的として、障害のない子どもと同一の教育環境である通常学校や通常学級において教育することを目的としていた。その後、1970年代後半に、特別なニーズ教育の概念が登場すると、障害のない子どもと同一の教育環境だけでなく、障害のある子どもの特別なニーズに応じた教育の提供を行うことも統合教育の目的とされるようになった。すなわち、インクルーシヴ教育も、統合教育と同様に、障害のある子どもと障害のない子どもを同じ学校・学級で教育することを目的とし、特別な教育的ニーズを有する子どもに教育を提供するために様々な特別な調整が行う教育であると言える[155]。
 ただし、次の点に留意すべきである。すなわち、統合教育は、障害のない子どもを中心に考えられた通常学校や通常学級における教育を基本的に前提として、そこに障害のある子どもを適応させていくことを目指す教育である 。そのため、特殊教育の制度改革を行うことによって、主に障害のある子どもを対象とした特別のニーズ教育の提供を図るため、通常教育との統合は行われない。これに対して、インクルーシヴ教育は、障害のある子どもの教育から発展してきた教育であるものの、現在では、難民や働く子どもなど、特別なニーズを有すると考えられる子どもの中の1つのカテゴリーとして障害のある子どもを捉え、すべて子どもを対象として特別な教育的ニーズの提供を行うことを目的とする教育であると考えられている。そのため、特殊教育と通常教育を統合し、1つの教育制度とすることを要請する 。その際、インクルーシヴ教育において要請される教育改革としては、教育心理学的、医学的、及び社会福祉的なサービスの提供を行うために、学校内に専門家を配置するなどといった点が考えられる。また、障害のある子どもの場合は、障害のある子どもの教育に関する特殊学校の専門性を生かすために、特殊教育学校を通常教育の支援を行うセンターとして位置づけ、障害のある子どもの多様なニーズに応じた支援や通常学級における教員に対する専門的な研修などを実施することが考えられる。したがって、インクルーシヴ教育と統合教育の違いは、特殊教育と通常教育を統合を要請するかどうかにあると言える。

[註]
71 堀正嗣、『障害児教育のパラダイム転換 統合教育への理論的研究』、拓殖書房、1994年、84頁。
72 精神遅滞という語は、mentally retarded personの訳語であるが、知的または精神的な障害を「遅滞」と形容すること自体問題であると考えられるようになってきたことから、今日では、ほとんど使われていない。現在、同語に代わって、障害のある人を意味するperson with mental disabilitiesという用語が使われている。そこで、本稿においては、歴史的意味のある文脈や特定の文書の訳語としてやむ得ない場合のみ使用する。
73 堀正嗣、「前掲論文」、84頁。
74 同、92頁。
75 同、368頁。
76 同、368-369頁。
77 文部省(当時)によると、「交流教育」とは、「特殊教育諸学校及び特殊学級に在籍する心身障害児・生徒が、小・中・高等学校の通常の学校に在籍する児童・生徒、さらには地域の人々と、学校の教育活動を通じて活動を共にすること」であるとされる。以上、三沢義一、『講座 障害者の福祉3 障害者の教育と心理』、光生館、1984年、160頁。
78 堀正嗣、「前掲論文」、384頁。
79 General Assembly resolution 2856. この宣言は、フランスの1970年に行った要請に基づき、1971年3月に開催された経済社会理事会の社会開発委員会によって審議・採択されたものである。そして、同委員会は経済社会理事会に採択を勧告し、この勧告を受けて、経済社会理事会は、社会小委員会での検討を命じる。その際、「最大限実行可能な限り」という留保案を付したギリシャの修正案が賛成多数で採択され、これを受けて、経済社会理事会での採択行われ、同様に賛成多数で採択された。その後、経済社会委員会は、総会に同宣言案を送り、総会は第3委員会での審議を経て、投票により、賛成110、反対0、棄権9で同案を採択した。棄権したのは、旧ソ連をはじめとする旧社会主義諸国であった。
80 General Assembly resolution 3447. 障害者の権利宣言は、通常の手続きと異なり、ベルギーがオーストリア、バングラディッシュ、アイルランド、モロッコ、タイと共に、精神遅滞者の権利宣言の内容を基盤として作成した決議案を総会に提出し、総会の第3委員会による審議を経て、無投票採択によって採択されたものである。
81 精神遅滞者の権利宣言は、「精神遅滞者は、最大限実行可能な限り、他の人々と同じ権利を有している」と規定し、「最大限実行可能な限り」という制限を付しつつも、「可能な場合はいつでも、精神遅滞者は自身の家族あるいは里親と共に生活し、様々な形態の地域社会での生活に参加するべきである。精神遅滞者が同居する家族は援助を受けるべきである。もし施設でのケアが必要な場合は、できる限り通常の生活に近い環境でこれを提供しなければならない」と規定する。この点、「できる限り通常の生活に近い環境(normal life)」という表現から、精神的に障害のある人が地域社会への統合することを目的とした規定であると考えることができ、障害のある人の生活を障害のない人のような通常の生活に近づけることを目的とする、生活面でのノーマライゼーションの観点を規定したものであると考えられる。
82 General Assembly resolution 2856, para2.
83 障害者の権利宣言は、「障害者は、自身の人間の尊厳を尊重する、生まれながらの権利を有している。障害者は、その障害の原因、特質及び程度に関わらず、同年齢の人々と同等の権利を有している。このことは、可能な限り通常かつ十分な相当の生活を享受する権利を意味する」と規定し、保障の対象を精神障害のある人だけでなく、障害のある人全般を対象とする。そして、「障害者は、その家族もしくは里親と共に生活し、またあらゆる社会的・創造的活動もしくはレクレーション活動に参加する権利を有している。…(中略)…もし障害者が専門的な施設での生活が不可欠であるとしても、そこでの環境及び生活条件は、同年齢の人々の通常の生活に可能な限り近づけなければならない」と規定する。この点、同宣言では、障害のある人には「通常のかつ十分に満たされた相当の生活を送ることができる権利(the right to enjoy a decent life, as normal and full)」があるとして、生活の面でのノーマライゼーションの観点から、「通常のかつ十分に満たされた相当の生活」、すなわち、障害のない人の生活に、可能な限り近づくことをその権利として規定している。また、同宣言では、障害のある人の地域社会への統合のために、施設でのケアを不可欠であると考えられる場合に限定し、その際は「できる限り通常の生活に近い環境」を要請している。この点、精神遅滞者の権利宣言においても同様の表現が用いられているが、精神遅滞者の権利宣言についてはこのような限定はないことから、障害のある人の社会への統合に向けてより進んだ考え方を提示したと考えられる。
84 General Assembly resolution 3447, para.6.
85 また、そのような教育上の特別なニーズは「特別な教育的ニーズ(special educational needs)」と呼ばれる。
86 安藤房治、「第2章 アメリカにおける特別なニーズ教育」、特別なニーズ教育とインテグレーション学会編、『特別なニーズと教育改革』、クリエイツかもがわ、2002年、181頁。
87 アラン・ガートナー、ドロシィ・ケルツナー・リプスキー、「第7章 障害、人権と教育―アメリカ合衆国―」レン・バートン、フェシティー・アームストロング編(嶺井正也監訳)、『障害、人権と教育』、明石書店、2003年、188頁。
88 同。
89 同、182頁。
90 この判決は、「分離すれども平等(separate but equal)」という従来の判例を変更し、「分離教育は差別である」として、連邦最高裁の裁判官が全員一致で、公教育における人種隔離政策を連邦憲法修正14条に違反すると判断を下した。従来の判例とは1896年のプレッシー事件判決であり、連邦最高裁は、「分離すれども平等」という原則を確定し、「実質的に平等な施設を備えていれば、それが分離されているものであっても、平等の取り扱いを妨げない」として、分離教育を含むアフリカ系米国人への分離政策を正当化した。
 これに対して、ブラウン判決では、次のように述べている。すなわち、「人種のみを根拠として公立学校において子どもを分離することは、たとえ物的施設その他の有形の要素が平等であるとしても、少数のグループの子どもから平等な機会を奪うものである。…中略…人種だけの理由によって、子どもを同じ年齢と資格のほかのものから分離することは、彼(彼女)らの社会における地位について劣等感を起こさせる。その劣等感は彼(彼女)らの心を回復できないほどに傷つけてしまうかもしれない。…中略…われわれの結論は次の通りである。公立学校の教育分野においては、『分離すれども平等』の原則は存在の余地がない。分離された教育施設は、本質的に不平等である。」
 この判決が契機となり、アフリカ系米国人の公民権運動は大きく盛り上がり、1964年の公民権法制定へとつながる一方、障害のある子どもの親たちによって組織された団体によって、障害のある人にもこの平等権の法理が適用されるべきであるという主張がなされるようになった。
 以上、堀正嗣、「前掲論文」、399頁参照。
91 障害のある子どもの教育に関わる裁判に関しては、穐山守夫、「障害者と平等」、明治学院大学法学研究論集第5号、1996年参照。
92 当時、ペンシルバニア州の教育法では、次のように規定され、障害のある子どもを公教育から排除することが法的に認められていた。すなわち、「公立学校で教育不可能・訓練不可能とみなされた子どもの、一時的または永続的に公立学校からの排除について……このような子どもがいる場合には、公立学校はそのような子どもたちに教育もしくは訓練を提供する必要はない。教育委員会は、精神年齢が5歳に満たない子どもを受け入れることを拒否することができる。就学からは得られる利益がないことが分かって、教育委員会に報告され、就学免除を受けた子どもの場合には出席義務は免除される。」以上、レン・バートン、フェシティー・アームストロング編(嶺井正也監訳)、『障害、人権と教育』、明石書店、2003年、188頁。
93 安藤房治、「前掲論文」、182頁。
94 日本弁護士連合会人権擁護委員会編、『障害のある人の人権と差別禁止法』、明石書店、2002年、41頁。
95 同法は、次のように規定している。「障害児は、適切にかつ最大限、公立及び私立の施設や他の保護機関で生活する子どもを含むすべての障害児は、非障害児と共に教育されるべきであり、特別学校・特別特別学級へ入れること、または障害児を通常の教育環境から離すことは、障害の性質や程度が、通常学級において補助的手段や方法をもってしてもなお十分に達成できない場合にのみ限られる。」(612条(5)(B))
96 安藤房治、「前掲論文」、183-184頁、及び堀正嗣、「前掲論文」、369頁参照。
97 このサービスでは、言語病理学、聴能学、心理学的サービス、理学療法、作業療法、レクレーション、カウンセリングサービスが行われるが、単に診断と評価だけを目的とするものは除く。
98 この手続き規則として、次の4つの点があげられる。すなわち、(イ)親もしくは後見人が子どもの判定、評価や教育指導等についての記録をすべて閲覧し、検討する機会が保障されること、(ロ)子どもの親や後見人が不明な場合、子どもがその代理となって権利を行使できる保障、(ハ)教育機関が、子どもの判定及び評価を新たに開始するときや変更する場合、事前に親や後見人に知らせなければならないこと、(ニ)当該子どもの判定、評価、及び教育措置に関わるあらゆることについて不満を表明できること、である。
99 英国では、重要な委員会や法律はその委員長名や大臣名を冠して称することが通例であり、同委員会もM.ウォーノック委員長の名前を取って、ウォーノック報告と呼ばれている。
100 英国において、「特別な教育的ニーズ」概念をはじめて体系的に提起したのは、R.ギルフォードである。彼は、1971年に、その著書「特別な教育的ニーズ(Special Educational Needs)」の中で、当時の障害のある子どもに対する対応において、子ども自身の欠陥(defect)が強調されすぎているとの問題意識から、「特別な教育的ニーズ」概念を提起した。
101 堀正嗣、「前掲論文」、370頁、及び真城知己、「第3章 イギリスにおける特別な教育的ニーズの概念」『特別なニーズと教育改革』、204頁参照。
102 真城知己、「前掲論文」、205-206頁。
103 同、206-207頁。
104 例えば、知的障害の分野では、軽度・中度・重度に分類され、特殊学校で教育を受けることができたのは、軽度に分類された子どもに限られ、中度は訓練可能であるとして、保健・社会保障省所管の施設で教育を受けていた。重度の場合は、教育不可能であり、就学不可能であるとして、就学免除の対象となり、大規模収容施設に収容されていた。
105 これは、障害の程度に関わらず、重度、最重度、及び重複障害の子どもを含むすべての子どもを、特殊学校化通常学校化を問わず、全員就学を実現させるものであった。当時、教育科学省大臣であったマーガレット・サッチャーは、「教育不可能な子どもは1人もいない。(No child is ineducable.)」との言葉を残している。
106 真城知己、「前掲論文」、206-207頁。
107 判定書とは、地方教育局によって、子どもが特別な教育的ニーズをもつと評価された場合に、特別な教育的対応の根拠となる文書として作成される公的文書。
108 清水貞夫、「イギリス労働党政権下でのインクルージョンに向けた取り組み」、宮城教育大学紀要第37巻、2002年、154頁。
109 真城知己、「前掲論文」、212-213頁参照。
110 この基本原則としては、次のように規定されている。すなわち、「@特別な教育的ニーズをもっているかもしれないすべての子どものニーズは、在学中を通して、そのいかなる時期であれ取り上げられなければならない。実施綱領は、ニーズの継続性、また極めて多様なものとなるかもしれない教育的対応の継続性を認める。A特別な教育的ニーズのある子どもは、ナショナル・カリキュラムを含む最大限可能な限り広範囲でバランスのとれた教育を必要とする。B大部分の子どものニーズは、統合教育の場で満たされ、特別な教育的ニーズについての法令による評価や判定書を必要としない。判定書を持つ子どもは、適切であれば、そして親の希望を考慮して、通常の学校で教育されるべきである。
 たとえ義務教育年齢前でも、子どもは特別な教育的ニーズをもつかもしれない。その場合は、地方教育局や保健サービスで早期療育をしなければならない。C親の知識、見解、経験は強力である。効果的な評価と教育的対応は、親と子どもと、学校、地方教育局、他の関係機関の最大限の協力がある場合に保障される。」
111 これらの原則を実現するための実践と手続きとしては、次のように規定されている。すなわち、「@特別な教育的ニーズのあるすべての子どもは、できるだけ早期に、徹底して、また首尾一貫して、迅速に判別され、評価を受けなければならない。A特別な教育ニーズのある子どもの教育的対応は、最も適切な教育的機関でなされなければならない。大部分は、親の協力を受けながら、通常の学校で統合教育を受け、法令による評価を必要としない。B必要ならば、地方教育局は決められた期限内に評価を実施し、判定書を作成しなければならない。判定書は、子どもの教育的及びそれ以外のニーズ、保障されるべき目標、取られるべき教育的対応、モニターとレビューについて記載された明瞭で徹底した判定書でなければならず、また子どもへの教育的対応の毎年のレビューと,教育目標の更新及びモニターが保障されていなければならない。C特別な教育的対応は、その子どもの年齢や理解力を考慮しながら、関係者が、子どもの希望を聞いて配慮するとき、最も効果をあげることができる。Dすべての関係機関と、問題の解決へ向けての様々な専門分野共同で行うアプローチの密接な協力が必要である。」
112 各小・中学校に配属される特別なニーズ教育の専門教師で、SENCOと略称される。小規模の学校では、校長か教頭によって兼任される場合がある。
113 A/37/351/Add.1 and Corr.1, annex, sect. VIII, recommendation I(IV).
114 A/RES/48/96
115 A/RES/31/82
116 A/RES/31/123
117 A/RES/33/170
118 この決議では、次の5つの目的を掲げている。すなわち、(a)社会への身体的・心理的適応が可能なように、障害者に助力をすること、(b)障害者に対して、妥当な援助、訓練、ケア及び指針を提供し、適切な労働を行う利用可能な機会をつくり、社会への完全な統合を保障する国内及び国際的なあらゆる努力を促進すること、(c)例えば、公共の建造物や輸送機関の利用方法を改善することによって、障害者が日常生活に実際に参加することを促進するように気とされた研究や調査を奨励すること、(d)経済的、社会的ならびに政治的生活の様々な側面に障害者が参加し、貢献する権利について一般の人々を教育し、又情報を提供すること、(e)障害の予防及び障害者のリハビリテーションに対する効果的手段を促進すること、である。さらに、締約国や関連組織に対して、国連障害者年のこのような5つの目的を実施するための手段や計画の確立に注意を向けるように求め、事務総長に国際障害者年の計画案と同計画案の総会への提出を要請した。
119 A/RES/34/154, para.1.
120 中野善達編、『国際連合と障害者問題 重要関連決議と文書集』、筒井書房、1997年、41-42頁。
121 この国際会議の目的は次の3つである。すなわち、(a)障害のある子ども・成人の教育の原状を検討し、今後の見通しを明らかにするとともに、障害のある子ども・成人のニーズに応じた教育の推進に向けた今後の取り組みに関する提案を行うこと、(b)予防の教育的側面について、専門機関や国際的・国内的取り組みの方向性を明確化すること、及び(c)総合的アプローチを基にして、リハビリテーションと社会への統合の方法を明らかにすること、である。
122 中野善達編、「前掲論文」、348頁。
123 同、350-351頁。
124 同。
125 同、352-353頁。
126 See, Sundberg Declaration article2・5・6・9・13
127 Ibid, article7
128 A/37/351/Add.1 and Corr.1, annex, sect. VIII, recommendation I(IV). なお、障害者に関する世界行動計画の策定の経緯は以下の通りである。すなわち、国際障害者年の行動計画を策定するために、国連総会決議 に基づいて設置された国際障害者諮問委員会は、1981年から1982年にかけて、国際障害者年での取り組みを長期行動計画として実施するために、「障害者に関する世界行動計画」案の審議を行った。そして、1982年に、同委員会は、同計画案と共に、加盟各国が同計画を積極的に実施するための契機となるように、1983年から1992年を「国連障害者の十年」とする決議を採択した。総会は、同委員会の決議を受けて、同年、第3委員会において審議を行い、両決議とも無投票で採択された。また、障害者に関する世界行動計画は、1982年9月15日に、事務総長の報告の付録という形式で公表された。
129 障害者の世界行動計画の構成は、次の通りである。第1章において、目的、背景及び概念(A.目的、B.背景、C.定義、D.予防、E.リハビリテーション、F.機会均等化、G.国連システム内で採択された概念)について規定し、次に第2章において、現状(A.全般的記述、B.予防、C. リハビリテーション、D. 機会均等化、E.障害と新国際経済秩序、F.経済的・社会的進歩の結果)について規定している。そして最後に、第3章において、同計画実施への提案(A.序、B.国家の行動、C.国際的行動、D.調査研究、E.監視と評価)について規定している。
 また、内容は、次のようにとなっている。すなわち、@障害者の定義として、WHOの「損傷(impairment)、障害(disability)、社会的不利(handicap)」を用いている点、A障害者の人権保護、B障害者が職業的・社会的・文化的生活に十分に参加することを保障するのに必要な政策や制度等、C市民的・政治的権利、Dリハビリテーション・サービスと適切な装置提供の重要性、E教育その他のサービス、F労働の権利、社会保障を受ける権利、G働くための同等の機会、H障害のある人の特別なニーズ、I家族と生活する権利、Jレクレーションなどの諸活動に参加する権利、K法律の制定、L他の市民と同じ機会を与えられること、M当事者たる障害者や障害者団体と協議することの重要性、N障害者の権利を障害者やその家族、社会へ十分に知らせること、である。
 以上、中野善達編、「前掲論文」、58-59頁参照。
130 本稿では、一般教育制度と通常教育制度を同義として用いる。前者は、general education systemの訳であり、後者はregular school system、ordinary school system、及びmainstream school systemの訳である。障害のある人の世界行動計画以外にも、これらの語を併用して用いているものの、その意味自体はほぼ同じであると思われる。
131 A/37/351/Add.1 and Corr.1, annex, sect. VIII, recommendation I(IV)., para.120.
132 Ibid, para.120-127.
133 Ibid, para.145.
134 Ibid, para.124.
135 Ibid.
136 A/RES/48/96. 障害のある人の権利に関する基準規則は、障害のある人の権利を保障するための条約起草に向けた1980年代後半の試みの失敗から生まれた。すなわち、1980年代後半に、国連において、イタリアとスウェーデンにおいてなされたが、拘束力を持つ国際条約の制定することに対して多数の国々から否定的な見解が出され、その当初の試みは成功しなかった。
 まず、イタリアの提案について検討していきたい。国連は、第42回総会において、国連障害者の十年の中間点である1987年に、障害者に関する世界行動計画の実施を評価するために、主として障害のある人によって構成される専門家会議を同年に開催すべきとの決議を採択した。これを受けて、「国連障害者の十年の中間点で障害者に関する世界行動計画を再検討する世界的な専門会議」がスウェーデンのストックホルムにおいて開催され、イタリアの提案により、「障害者に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する国際条約」の起草と、障害者の十年の終結までに、この条約を加盟各国が批准することが勧告された。しかし、第43回国連総会において、専門家会議での勧告の多くは支持されたものの、拘束力を持つ国際条約の制定に対しては多数の反対意見が出され、同条約策定の提案は否決された。
 そして、今度は、スウェーデンが、第44回国連総会において、既存の国際人権文書の履行によって、障害のある人の権利を保障することは可能であり、スウェーデンにはそのような条約の必要性は認められないとしつつも、世界の現状は障害のある人の権利を保障するための条約を必要としているとして、「障害者の権利に関する条約」案を提出した。しかしながら、障害者の権利を保障する条約に対しては反対意見が依然として多数を占めていたことから、スウェーデン代表のベングト・リンドクヴィスト氏は各国代表と折衝を行う。その結果、反対意見の多い条約ではなく、法的に拘束力のない国際的な最低基準の原則であれば賛同を得られるとして、スウェーデンによって「障害者の機会均等化の原則」の提案がなされた。これが基準規則起草の基礎となっている。
 その後、1990年に経済社会理事会は、障害者の機会均等化に関する基準規則を策定する決議を採択したした。この決議を受けて、1991年に、経済社会理事会の下部組織である社会開発委員会は、加盟国政府代表、国連専門諸機関、政府間機関、及びNGOなどから構成される特別作業部会を設置し、スウェーデン代表であるリンドクヴィスト氏が策定・提出した基準規則案を基盤として、障害者の機会均等化に関する基準規則の策定作業を開始した。そして、国連障害者の十年の最終念である1993年に、第48回国連総会において、若干の修正を受けて、「障害のある人の機会均等化の基準規則」は総会決議として採択された。
137 なお、社会権規約委員会は、障害のある人の権利に関して、1994年に「一般的意見5」を採択し、基準規則を参照指針として用いている。
138 基準規則は、次の22の規則を規定している。すなわち、@意識向上、A医療ケア、Bリハビリテーション、及びC支援サービスを規定し、次に平等な賛歌のための対象分野として、@アクセス、A教育、B雇用、C所得の対象と社会保障、D家庭生活と個人の人格形成、E文化、Fレクリエーションとスポーツ、及びG宗教について規定している。また、実施措置として、@情報と調査・研究、A政策制定と立案、B立法、C経済政策、D調整作業、E障害のある人の団体、F人材養成・研修、G基準規則実施に関する障害に関する計画の国内監視と評価、H技術的経済協力、及びI国際協力について規定している。
139 特別報告者の任期は3年であり、1994年から2002年の3期は、基準規則の起草に尽力したリンドクヴィスト氏が行い、2003年から2005年は、カタールのシェイカ・ヘッサ・カリファ・ビン・アフメド・アルタニ氏が選出されている。
140 清水貞夫、「合衆国におけるインクルージョン論争の展開−新たなメインストリーミング理解をめぐって―」、宮城教育大学紀要31巻第1部冊、1996年、109頁。
141 なお、彼女の主張は、本質的には、「強い米国・小さな政府」を目指す、当時のレーガン政権による教育資金の歳出削減を狙ったものであった。
142 安藤房治、「前掲論文」、191頁。
143 清水貞夫、「前掲論文(1996年)」、109頁。
144 急進派の代表的論者であるリプスキーとガートナーは、インクルーシヴ教育を次のように定義している。すなわち「重度の障害のある子どもを含むすべての障害のある子どもに対して、地域の学校の年齢相応の通常学級で、子どもと教員の双方に必要とされる支援サービスや補助教員をともなった形で、教育を提供することである。インクルージョンの目標は、障害のある子どもを全面的に寄与できるメンバーとして社会に参加できるようにすることである。」See, Lipsky, D. K. and Gartner A, Inclusion: What it is, What itユs not and Why it matters, Exceptional Parent, September, 1994, p.36.
145 清水貞夫、「前掲論文(1996年)」、109頁。
146 清水貞夫、「前掲論文(1996年)」、111頁。
147 同、117頁参照。
148 CRC/C66, Annex V. 16th Session, 6 October1997.
149 サラマンカ会議には、スウェーデン、フランス、米国、インド、及びタンザニアなど92カ国の政府と、国連開発計画や世界銀行、欧州共同体(EU)などの25の国際組織(国連の専門機関や政府間組織、及びNGOなど)を代表する300人以上が参加している。
150 万人のための教育に関する世界会議は、アジア開発銀行や国連人口基金、イスラム教育・科学・文化機関、デンマーク、スウェーデン、及び日本などが支援しており、115カ国から約1500人が参加した。
 同会議は、世界人権宣言が、その26条で、「すべての人は、教育への権利を有する」と規定しているにもかかわらず、同宣言が成立してから40年以上経過してもなお、いまだ実現を見ることなく、多くの人の教育への権利が実質的に保障されていないことへの反省から開催されている。同会議は、「万人のための教育(Education for All)」に向けて、各国が取るべき方針や措置に関して、「万人のための教育に関する世界宣言」を採択し、及びこれに付随する文書として、「基本的学習ニーズに対応するための行動枠組み」を採択した。障害のある子どもの教育に関しては、「万人のための教育に関する世界宣言」が、3条(アクセスの普遍化と公平性の促進)において規定している。同条は、基礎的な教育はすべての子ども、青年、成人に保障されるべきであり、そのための教育を受ける機会の保障と公平性の促進が優先されるべきであると規定し、5項において、障害のある子どもに関して規定している。すなわち、「障害児の学習的ニーズに対しては特別の注意が払われるべきである。いかなるカテゴリーの障害児も、教育制度の不可欠の部分として、教育の機会の均等のための措置が取られなければならない。」この点、特別なニーズ教育の観点から、障害のある子どもの教育を受ける権利について規定していると考えられる。しかしながら、同宣言においては、障害のある子どもに関する規定は同条のみであり、統合教育やインクルーシヴ教育に関する規定は見られない。この点に関して、より詳細な議論が行われたのがサラマンカ会議である。また、2000年4月には、万人のための教育に関する会議で採択された「万人のための教育に関する世界宣言」と「基本的学習ニーズに対応するための行動枠組み」の実施に関して、その後の進捗状況の把握及び今後の展開の方向性に関して検討を行うために、セネガルのダカールにおいて、「世界教育会議―万人のための教育:我々の集団的コミットメントの達成に向けて―」会議が開催されている。この会議は、「万人のための教育」に関して、北米・欧州、アジア・太平洋、サハラ以南のアフリカ、アラブ諸国、及び南米において行われた地域会合での検討を踏まえ、UNESCO、UNICEF、国連人口計画、国連人口基金、及び世界銀行が共催して開催された会議であり、181カ国の政府代表、及び31の国際機関及びNGOなどから1500人以上が参加した。同会議では、依然として、万人のための教育を実現するには程遠い状況にあるものの、この困難な目標を達成するためには各国の強い政治的意思による取り組みが必要であるとして、女子に対する教育や識字率の向上などの6つの目標を設定し、これらの目標を達成するため戦略を規定した「ダカール行動枠組み」を採択した。そして、各国は少なくとも2002年までに、これら目標を達成するための具体的な計画を立案することとされた。なお、これらの6つの目標の中に、障害のある子どもの教育は規定されていない。
151 サラマンカ会議では、特別なニーズ教育の対象として、次のような状況にある子どもをあげている。すなわち、@地域の学校に通うことができない障害のある子ども、A一時的もしくは恒久的に学校で困難を経験している子ども(学校の授業についていくことができないでいる子どもや、いじめを受けている子どもなど)、B学習に対して興味や動機付けを欠いている子ども、C留年を繰り返し、1〜2年の初等教育しか完了できない子ども、D児童労働に従事する子ども(ストリートチルドレンなど)、E学校からあまりに遠いところで生活している子ども、F厳しい貧困状態で生活していたり、慢性的な栄養失調にさらされている子ども、G戦争や武力紛争の犠牲となっている子ども、H持続的な身体的・情緒的・性的な虐待を受けている子ども、及びI理由の如何を関わらず、不登校である子ども、である。
152 清水貞夫、「前掲論文(1996年)」参照。
153 清水貞夫、「前掲論文(2002年)」参照。
154 「ソーシャル・インクルージョン」は、「ソーシャル」を省略して、「インクルージョン」とも呼ばれる。本稿では、インクルーシヴ教育と区別するために、「ソーシャル・インクルージョン」という表現を用いることとする。
155 嶺井正也、『インクルージョン及びインクルーシヴ教育の概念に関するメモ ―イギリスを中心に―』、専修経営学論集68号、1999年、252頁。See, M. Ainscow, Understanding The Developing of Inclusive School, London: Falmer Press, 1999.
See, M. Blamires, ヤUniversal design for learning :re-establishing di
156 See, M. Blamires, ヤUniversal design for learning :re-establishing differentiation as part of the inclusion agenda?,ユ Support for Learning14(4), 1999, 158-163.
157 ピーター・ミットラー(山口薫訳)、『インクルージョン教育への道』、東京大学出版会、2002年、21頁。

第4章.障害のある子どものインクルーシヴ教育を受ける権利の検討

 最後に、本章では、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利を実質的に保障するために、初等教育において提供される教育の内容として考えられるインクルーシヴ教育について、その国際人権条約上の保障の内容について明らかにいきたい。
 そこで、本章では、障害のある子どもの権利について規定している子どもの権利条約23条の検討を行い、同条が障害のある子どものインクルーシヴ教育の保障を締約国に義務付けていると解することができるのかどうか検討を行う。

1. 障害のある子どものインクルーシヴ教育を受ける権利の検討
(1)予備的考察
 子どもの権利条約23条[158]は、障害のある子どもの権利に関して、次のように規定している。
 1 締約国は、精神的又は身体的な障害を有する子どもが、その尊厳を確保し、自立を促進し及び社会への積極的な参加を容易にする条件の下で十分かつ相応な生活を享受すべきであることを認める。
 2 締約国は、障害のある子どもが特別の養護についての権利を有することを認めるものとし、利用可能な手段の下で、申込みに応じた、かつ、当該子どもの状況及び父母又は当該子どもを養護している他の人の事情に適した援助を、これを受ける資格を有する子ども及びこのような子どもの養護について責任を有する人に与えることを奨励し、かつ、確保する。
 3  障害のある子どもの特別なニーズを認めて、2の規定に従って与えられる援助は、父母又は当該子どもを養護している他の人の資力を考慮して可能な限り無償で与えられるものとし、かつ、障害を有する子どもが可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法で当該子どもが教育、訓練、保健サービス、リハビリテーション・サービス、雇用のための準備及びレクリエーションの機会を実質的に利用し及び享受することができるように行われるものとする。
 4 締約国は国際協力の精神の下で、障害のある子どもの予防的な保健並びに医学的、心理的及び機能的治療の分野における適当な情報の交換(リハビリテーション、教育及び職業訓練サービスの方法に関する情報の普及及び利用を含む)であって、これらの分野における自国の経験を広げることができるようにすることを目的とするものを促進する。これに関しては、特に発展途上国のニーズを考慮する。
 同1項は、「その尊厳を確保し、自立を促進し及び社会への積極的な参加を容易にする条件の下で十分かつ相応な生活を享受すべきであることを認める」と規定して、障害のある子どもの権利を保障するための基本原則について規定している。次に、同2項では、「十分かつ相応の生活を享受する」ための具体的な権利として、障害のある子どもの「特別の養護についての権利」を認めた上で、同3項において与えられる援助の提供方法について規定している。そして、同3項は、障害のある子どもの特別なニーズを承認した上で、同2項に従って与えられる援助を提供する方法について具体的に規定している。最後に、同4項では、障害のある子どもの「予防的な保健並びに医学的、心理的及び機能的治療の分野における適当な情報の交換」に関して、国際協力を促進する締約国の義務について規定している。
 それでは、同条は、障害のある子どものインクルーシヴ教育を保障していると解することができるのだろうか。すなわち、特殊教育と通常教育の双方の教育制度を統合し、1つの教育制度として、障害のある子どものニーズに応じた教育の提供を通常教育において行うことを締約国に課していると解することができるのだろうか。
 この点、同条は、障害のある子どもの教育の保障に関して、障害のある子どもの「特別の養護の権利」(2項)と障害のある子どもの「特別のニーズ」(3項)を認めた上で、同2項に従って提供される援助が、「障害を有する子どもが可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法」で、教育の機会を実質的に利用し及び享受することができるように実施すべき義務を締約国に課していると考えられる。ただし、その文言の意味からは、障害のある子どもが「可能な限り全面的に社会的統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む)を達成することに資する方法」で提供される援助が、障害のある子どものインクルーシヴ教育であると解することができるかどうかについては明らかではない。
 そこで、本稿では、子どもの権利条約の実施機関である子どもの権利委員会が政府報告書審査の審議の後に政府報告書[159]に対して行う最終所見と、1997年に障害のある子どもをテーマとして開催された「一般的討議」[160]を参照としながら、この点について検討し、同条が障害のある子どものインクルーシヴ教育を保障していると解することができるかどうかについて明らかにしていきたい。

(2)子どもの権利に関する委員会の見解
 以上の点に関して、子どもの権利委員会は、最終所見と一般的討議において、23条における障害のある子どもインクルーシヴ教育の保障について見解を出している。以下、それぞれについて検討していきたい。

@ 最終所見
 子どもの権利委員会は、1996年10月に第343会期において採択した「定期報告書の一般的基準」[161] において、子どもの権利条約23条の障害のある子どもの権利に関連して、当該国が提出する政府報告書の中に、障害のある子どものインクルーシヴ教育の保障に関する情報を記述することを締約国に要請している。すなわち、「教育制度内を含む、制度、サービス、及び施設において、障害のある子どもを障害のない子どもと共に包摂する(inclusion)ために行われる考慮」に関する情報を政府報告書に記載すべきであると規定している[162]。これは、インクルーシヴ教育だけでなく、制度、サービス、及び施設においても障害のある子どもを障害のない子どもと共に包摂する(inclusion)ことに言及することを要請するものであると言える[163]。
 また、子どもの権利委員会が政府報告書[164]に対して行う最終所見では、1999年以降、子どもの権利条約23条の障害のある子どもの権利に関わる「基礎保健及び福祉」の部分において、基準規則と1997年の「障害のある子ども」に関する一般的討議において採択された勧告の内容も同時に考慮すべきことを締約国に勧告するようになっている。すなわち、「基準規則[165]と障害のある子どもの権利に関する一般的討議で採択された勧告[166]に照らして」という表現を、定型句的に用いるようになってきている。この点、子どもの権利委員会が、インクルーシヴ教育の保障を基準規則と一般的討議において採択された勧告に従って履行すべきことを締約国に要請するものであると考えることができ、同委員会が政府報告書の審議において、この両者を重要視していることを示すものであると言える。

A 子どもの権利に関する委員会の一般的討議「障害のある子ども」
 一般的討議では、障害のある子どものインクルーシヴ教育の保障について、具体的にどのような議論が行われたのだろうか。この点、子どもの権利委員会が政府報告書に対する最終所見において考慮すべきとしているCRC/C/69のパラグラフ335[167]は、インクルーシヴ教育の保障に関して、次の3点を主張している。すなわち、(a) インクルーシヴ教育への権利、(b)インクルーシヴ教育と統合教育の区別、(c)ソーシャル・インクルージョンの概念の教育への適用、である。なお、審議過程では、サラマンカ声明の採択など、中心的な役割を担ってきたUNESCOが、インクルーシヴ教育の保障に関する見解を示すことから、討議が始まっている。
 (a)については、同パラグラフは、「インクルーシヴ教育は、基本的な権利であ」るとして、インクルーシヴ教育を権利であると規定している。この点、UNESCO代表は、サラマンカ声明において宣言された、通常学校におけるインクルーシヴ教育の提供は、子どもの権利条約上の締約国の義務であると主張している[168]。また、彼女は、インクルーシヴ教育の基本的な原則は、「すべての子どもが通常の学校で共に学ぶ権利があるべきである」との見解を示した[169]。このようなUNESCO代表の意見に関連して、NGOの代表も同様の見解を行っている。すなわち、障害のある子どもを含む、すべての子どもは固有の個性、興味、能力、及び学習上のニーズを有しており、それぞれのニーズに応じた教育を通常教育において提供することを目的とするインクルーシヴ教育の保障を、子どもの権利条約上の締約国の義務であるとの見解を示していると言える。
 また、(b)については、「統合教育とインクルーシヴ教育の間には大きな違いがある。統合教育に関する政策は、障害のある子どもに学校に適応することを要求する。これに対して、インクルーシヴ教育は、障害のある子どものニーズに応じるように学校環境を変革することを要求する」として、インクルーシヴ教育と統合教育の区別を明確に規定している。この点、UNESCO代表は、インクルーシヴ教育は、「教育制度全体の改革によってのみ実現される」と主張し、そのためのより柔軟なカリキュラムの導入、教員養成課程の修正、利用可能な資源の適切な配置、及び親や地域社会の参加などを提案している[170]。また、同様の意見が、NGOの代表からも表明された。
 しかしながら、このような改革の内容に関して、地域間政府組織であるInter-American Children's Instituteの代表から、次のような提案がなされた[171]。すなわち、障害の種類や程度に関わらず、障害のある子どもの多様なニーズに応じるために、特殊教育制度を廃止するのではなく、通常教育を支援する形で特殊教育制度を活用すべきであるとの意見が出された。これは、原則として通常教育において障害のある子どもの多様なニーズに応じた教育を行うために、障害のある子どものインクルーシヴ教育を保障するためには、通常教育と特殊教育を統合し、1つの教育制度とすべきであるとの見解を示したものと言える。この点、従来の教育サービスの連合体を否定するのではなく、その役割を重視し、通常教育の支援する役割を担うことを提案したことは、障害のある子どもの多様なニーズに応じるだけでなく、急速な改革による現場の混乱を最小限に抑え、効果的な教育的対応を期待できるものであり、妥当な見解であると言える。
 (c)については、「インクルーシヴ教育は、すべての人が平等に受け入れられ、共生することのできる社会を促進するための戦略の一部として導入される必要がある」として、ソーシャル・インクルージョンの概念の教育への適用について規定している。この点、子どもの権利委員会の委員は、「インクルーシヴ教育の目的は、障害のある子どもだけでなく、すべての子どもや大人の人間の尊厳を保障するということであり、社会が非常に多種多様な個人の能力を調整することによって、よりよい社会を築くことである」と述べている。また、UNESCO代表は、「インクルーシヴ教育の問題は、どのような社会を目指すべきであるのか、この社会の中での学校教育の役割はどのようなものであるべきであるのかという重大な問題を提起する」と述べて、ソーシャル・インクルージョンを実現するための学校教育の役割について問題提起を行っている。さらに、国際NGOであるInternational Save the Children Allianceは、発展途上国におけるインクルーシヴ教育の実践の経験から、この教育の影響が「家族や地域社会に拡大し、生涯を通じて続くという点から、インクルーシヴ教育はインクルーシヴな学校教育以上のものを意味する」と述べている。その他、同様の見解は、NGOや地域間政府組織などからも示された。いずれの見解も、すべての人を平等に受け入れる地域社会を創り出し、共生することのできる社会を築くための手段として、インクルーシヴ教育を捉えており、サラマンカ声明において表明されたインクルーシヴ教育の考え方に合致するものであり、妥当な見解であると言える。
 以上の検討から、一般的討議では、子どもの権利条約における障害のある子どものインクルーシヴ教育の保障を、障害の有無に関わらず、すべての人が平等に受け入れ、共生することのできる社会を築くことを目指すソーシャル・インクルージョンの手段として捉え、次にように解していると考えられる。すなわち、締約国は、障害のある子どものインクルーシヴ教育への権利を認め、障害の程度や種類に関係なく、すべての障害のある子どもの特別なニーズに応じた教育を通常教育で行うべきであり、特殊教育制度は、障害のある子どもの多様なニーズに応じるために、通常教育を支援する役割を担うように計画されるべきであると解していると言える。

(3)結論
 以下、このような委員会の見解を参照として、23条3項における、障害のある子どもが「可能な限り全面的に社会的統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む)を達成することに資する方法」で提供される援助がインクルーシヴ教育を意味し、締約国にはこの教育を保障すべき義務が課せられていると解することができるかどうかについて検討していきたい。
 まず、インクルーシヴ教育が、障害のある子どもの「可能な限り全面的に社会的統合」を達成することに資する方法であるかどうかについて検討する。この点、インクルーシヴ教育は、障害のある子どもを含む、すべての人が平等に受け入れ、共生することのできる社会を築くことを目指すソーシャル・インクルージョンの概念を実現するための手段である点に留意すべきである。すなわち、インクルーシヴ教育は、障害のある子どもを含む、すべての子どもを可能限り社会に包摂していくことによって、すべての人が平等に受け入れられ、共生することのできる社会を促進することを目的とするものであり、障害のある子どもが「可能な限り全面的に社会的統合」を達成することに資する方法であると解することができる。
 次に、インクルーシヴ教育が、障害のある子どもが「可能な限り個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む)を達成することに資する方法であるかどうかについて検討する。この点、インクルーシヴ教育は、「すべての子どもは固有の個性、興味、能力、及び学習上のニーズを有して」おり、それぞれの子どもの特別なニーズに応じた教育を通常教育において行うことによって、個人としての子どもの人格、才能、及び能力の発達を図ることを目的とする教育である点に留意すべきである。すなわち、インクルーシヴ教育は、障害のある子どもを含む、すべての子どもの多種多様な個人の能力を調整することによって、それぞれの子どもの文化的及び精神的な発達を図ることを目的としており、障害のある子どもが「可能な限り個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む)」を達成することに資する方法であると解することができる。
したがって、同3項における、障害のある子どもが「可能な限り全面的に社会的統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む)を達成することに資する方法」は、インクルーシヴ教育を意味し、締約国にはこの教育を保障すべき義務が課せられていると解することができる。
 ただし、次の点に留意すべきである。すなわち、インクルーシヴ教育は、インクルーシヴ教育を行いうる教師の要請など、なお現状において即時に実現することは困難であることから、即時的義務を締約国に解していると解するべきではなく、漸進的義務を課していると解するのが妥当である[172]。また、インクルーシヴ教育の保障は、障害のある子どもを含むすべての子どもが共に学び、それぞれが有するニーズに応じた教育を享受する状態を指向し、常に教育制度の改革を要請するものである。そのため、現段階において、統合教育のままであったとしても、インクルーシヴ教育へ向かう一段階として考えるべきであるため、締約国の教育制度がインクルーシヴ教育を十分に保障できていないからといって、必ずしも義務違反であるとは言えないと解するべきであると言える。

2.障害のある人の権利と尊厳を保障及び促進のための国際条約案
 次に、現在、起草作業中の障害のある人の権利条約の審議過程の検討を通して、現段階でのインクルーシヴ教育の保障の内容についての検討を行いたい。作業部会によって採択された条約案は、16条において「障害のある子ども」について規定し、17条において「教育」について規定している。なお、16条については、特に教育について検討する。以下、順次検討を行いたい。

(1)16条(障害のある子ども)
 16条案[173]は、2項から3項までを子どもの権利条約23条を基礎として起草し[174]、障害のある子どもの権利について、次の5つの点をそれぞれ規定している。すなわち、差別の禁止(1項)、十分かつ相応な生活を享受すること(2項)、インクルーシヴな養護への権利(3項)、特別なニーズを承認した上で、可能な限り社会への統合及び個人の発達を達成することに資する方法で、3項において提供される援助を可能な限り無償で提供すること(4項)、及び情報の利用の保障(5項)である。
 そのため、同条案においても、障害のある子どもの教育の保障に関して、子ども権利条約の場合と同様の規定をしている。すなわち、障害のある子どもが「可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法」で、教育を受ける機会を実質的に利用し及び享受することができるように行うべきであるとの規定を置いている。
 ただし、障害のある子どもに関する16条案に関する作業部会での審議過程においては、インクルーシヴ教育の保障に関する具体的な議論は行われなかったものの、審議の全過程を通して、障害のある人のソーシャル・インクルージョンに関する議論が行われており、4項案における「可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法」は、インクルーシヴ教育であると考えられる。例えば、作業部会は、条約の一般的な原則について規定する2条案において、「すべての生活面への平等な市民及び参加者としての障害のある人の完全なインクルージョン 」を規定し、ソーシャル・インクルージョンを条約の一般原則として規定している。この点、審議過程においては、作業部会の構成員であるアイルランド代表が、「インクルージョン」に関して、各国の間で「かなりの合意」が見られることは評価できると述べており、ドイツ代表や各NGOも同様の見解を述べている。また、このような審議の結果採択された16条案では、3項において、「十分かつ相応な生活を享受する」ための具体的な権利として、「障害のある子どもの特別な養護への権利」(子どもの権利条約23条2項)に代えて、障害のある子どもの「インクルーシヴな養護」への権利をと規定されている。さらに、第3回特別委員会では、ウガンダ代表が、2項案の「社会的統合」を「ソーシャル・インクルージョン」に変更することを提案している。
 したがって、16条4項案における「可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法」で提供される援助は、インクルーシヴ教育を意味すると言える。

(2)17条(教育)
 17条案[175]は、社会権規約13条、子どもの権利条約28条、同29条、及び基準規則を基礎として規定し、障害のある人の教育について、次の5つの点について規定している。すなわち、教育の目的(1項)、インクルーシヴで利用可能な教育の保障(2項(a))、必要な支援の提供(2項(b))、初等教育への権利(2項(c))、特別なまたは代替的な学習形態の利用への権利(3項)、手話教育及び点字教育の保障(4項)、及び高等教育、職業訓練、成人教育及び生涯学習の保障(5項)である。本稿では、特に障害のある子どものインクルーシヴ教育を保障していると考えられる、1項、2項(a)、同 (b)、3項、及び4項について検討していきたい。
 1項案では、教育の目的として、次の4つの点をあげている。すなわち、(a)人格の潜在性、尊厳の意識及び自尊の意識の完全な発達と、(b)人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重の強化、障害のあるすべての人が自由な社会に効果的に参加することができるようにすること、(c)子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力の可能さ最大限度までの発達、及び(d)特に教育計画を個別化することにより、子どもの最善利益を考慮すること、である。この点、本条における教育の目的は、社会権規約13条1項と子どもの権利条約29条1項を採り入れたものであるものの、これらの条文を完全に引用するのではなく、障害のある人に特に関係すると考えられる要素を選び、規定している[176]。なお、第3特別委員会の審議では、メキシコ代表が、これらの目的の中で、 (b)の「自由な」の後に「インクルーシヴな」という表現を加えることが提案されている。この点、ソーシャル・インクルージョンの実現を障害のある人の教育の目的として規定することを提案するものであると考えることができ、その手段としてのインクルーシヴ教育の保障を締約国に要請するものであると考えることができる。
 2項(a)案では、インクルーシヴで利用可能な教育の保障について規定している。この点、インクルーシヴで利用可能な教育の保障については、障害のあるすべての人が、自身の所属する地域社会において、幼年期及び就学前の教育の利用を含むすべての教育において、インクルーシヴで利用可能な教育を選択することができることを保障することを締約国の義務としていると解することができる。ただし、同条案は、障害のある生徒や学生のニーズに応じた教育を提供することのできない通常学校に、障害のある生徒や学生が通学することを義務付けることを意図していない[177]。
 2項(b)案については、障害のある人の教育への権利を実質的に保障するために必要とされる支援を、障害のある人の特別なニーズに応じて提供することを締約国に要請していると言える。その際、教員、学校のカウンセラーと心理学者の専門研修、利用可能な履修過程、利用可能な教育の媒体、代替的及び拡大的なコミュニケーション様式、代替的な学習計画、利用可能な物理的環境、及び障害のある生徒の完全な参加を確保するための他の合理的配慮などの提供を列挙している。
 また、3項案については、一般教育制度が障害のある人のニーズを十分に満たしていない場合には、障害のある人の特別なニーズに応じて、特別なまたは代替的な学習形態を利用可能なものにすることを締約国に要請していると言える。そして、そのような特別なまたは代替的な学習形態を提供する場合の条件として、次の4つの点をあげている。すなわち、(a)一般教育制度で提供される同一の基準及び趣旨を反映すること、(b)一般教育制度への障害のある子どもの参加を最大限可能な程度まで認めるようにして提供されること、(c)一般教育制度か特殊教育制度かのいずれかを十分な説明に基づいて自由に選択することを認めること、及び(d)いかなる意味においても、障害のある生徒のニーズを一般教育制度において満たすことに引き続き努める締約国の義務を制限しないこと、である。
 これらの規定は、原則として、障害のある人の特別なニーズに応じた教育の提供を、通常教育制度において行うことを前提としつつ、障害のある人の多様なニーズに応じた教育を提供するために、一般教育と同質であり、かつ障害のある人自身による選択の自由を保障することを締約国に要請するものであると言える。なお、第3特別委員会の審議において、(a)を基準規則の条項に適合させるために、「障害のある人の学習及び成長のニーズを考慮して、一般教育制度で提供されているものと同じ教育課程に密接に関連付け、かつこれを反映し、一般教育制度で提供されているものと同じ基準及び目標を反映することを目指す」に修正することが提案された。この点、障害のある人に、一般教育制度の中で特別なニーズ教育を提供することを明確にするものであると考えることができる。
 4項案については、視覚障害や聴覚障害のある子どもが、適当な場合には手話または点字の教育を受けること及び手話または点字で履修することを選択することができるように教育制度を整備することを締約国に要請していると言える。また、視覚障害の子どもの点字教育の保障や聴覚障害のある子どもの手話教育の保障のためには、手話または点字に通じた教員の雇用を確保するために、立法措置、行政措置、その他の取りうるすべての措置を取ることを締約国の義務として規定していると言える。この点、作業部会での審議では、視覚障害や聴覚障害のある当事者団体から、このような教育の保障として、ろう学校や盲学校などの特殊学校を選択肢として積極的位置づけるべきであるとの意見が出されている。したがって、視覚障害の点字教育や聴覚障害のある子どもの手話教育は、分離教育を選択肢の1つとして考慮されるべきであると考えるべきである。
 以上の検討から、教育に関して規定している17条案は、インクルーシヴ教育の保障について規定しており、特殊教育制度と通常教育制度障害のある人の多様なニーズに応じた教育を通常教育において行うことを締約国に要請していると言える。この点、2項(a)案において、インクルーシヴで利用可能な教育、すなわち、利用可能なインクルーシヴ教育の保障を明示して規定していることは注目すべきであると言える。

[註]
158 See, Sharon Detrick, supra, n.62, p.388.376-395 ; Theresia Degener and Yolan Koster-Dreese(eds.), Human Rights and Disabled PersonsEssay and Relevant Human Rights Instruments, Martinus Nihoff Publishers, 1995, p.151-155.
159 CRC/C66, Annex V. 16th Session, 6 October1997. 子どもの権利条約の締約国は、同44条に基づいて、「権利の実現のために取った措置及びこれらの権利の享受についてもたらされた進歩に関する報告」を、自国に条約の効力が発生してから2年以内に、その後は5年ごとに、同条約の実施機関である子どもの権利に関する委員会に対して、提出しなければならないとされている 。子どもの権利条約に批准している国は、2004年3月19日の時点で、192カ国であり、子どもの権利委員会は、276の政府報告書を受け取り、そのうち第1回政府報告書にあたるものが180、第2回は85、第3回は11である。2004年5月に行われた第36会期までに240の政府報告書の審査が行われている。
160 子どもの権利委員会は、「条約の内容・意味のより深い理解」を目的として、原則として年1回、特定の条項や事項に関する一般的討議を行っている(手続き規則75)。同手続き規則に従って、「障害のある子ども」をテーマとした一般的討議は、1997年10月6日及び7日に、同委員会の第40会期に開催された。なお、子どもの権利委員会は、報告審査に直接関わる情報以外にも、委員会はその任務全般において国際機関やNGOから積極的に情報を求めようとする特徴があり、一般的討議はその例と言える 。同一般的討議においても、各種の国際機関の代表と共に、この分野で活躍する数多くのNGOの代表が、それぞれの活動の経験を踏まえて、発展途上国における障害のある子どもの現状や問題の緊急性、障害のある子どものインクルーシヴ教育の保障に対して国際社会が払うべき努力、及び同一般的討議のフォローアップする作業部会の設置などの委員会への提案がなされた。See, Gerard Quinn and Theresia Degener, with Anna Bruce(et al.) , Human rights and disability : the current use and future potential of United Nations human rights instruments in the context of disability, United Nations, 2002, p.218-219.
161 CRC/C/58
162 Ibid, para.92.
163 Sharon Detrick, supra, n.62, p.388.
164 例えば、イタリアは、2002年7月に提出した政府報告書において、障害のある子どものインクルーシヴ教育が通常教育制度の不可欠の要素であると述べ、教育行政の様々なレベルでのネットワークの構築や初期の専門的な教員の養成などの取り組みを行っていると報告している。また、パナマは、2003年12月に提出した第2回定期報告書において、次のように述べている。すなわち、パナマは、インクルーシヴ教育を「過程としてのインクルージョン」として捉え、2000年2月に、障害のある子どもを含む、特別なニーズのある人のインクルーシヴ教育の実施の際の基準に関する行政通告を出し、現在、国家計画を実施していると報告している。その他、ベトナムは、2002年7月に提出した政府報告書において、インクルーシヴ教育の保障に向けて、障害のある子どもを通常学級で教育するための様々な国家計画を策定していると報告している。さらに、ザンビアは、2002年11月に提出した第1回定期報告書において、サラマンカ声明において宣言された、通常教育における特別なニーズ教育の提供を目的とするインクルーシヴ教育の保障を国家の教育政策とすることを1996年に決定し 、障害のある子どものニーズに応じた教育を行うための個別教育計画などの国家計画の実施に着手していると述べている。
165 A/RES/48/96
166 CRC/C66, Annex V. 16th Session, 6 October1997.
167 CRC/C/69のパラグラフ335は、次のように規定している。すなわち、「インクルーシヴ教育は、基本的な権利であり、特権ではない。統合教育とインクルーシヴ教育の間には大きな違いがある。統合教育に関する政策は、障害のある子どもに学校に適応することを要求する。これに対して、インクルーシヴ教育は、障害のある子どものニーズに応じるように学校環境を変革することを要求する。インクルーシヴ教育は、インクルーシヴな社会を促進するための戦略の一部として導入される必要がある。障害のある子どもの疎外や排除は、しばしば費用対効果の観点から擁護される。しかしながら、そのような議論は、排除の費用をまかなうことができるかという疑問が提起された場合には、もはや支持されえないだろう。障害のある子どもを社会に包み込む(include)ことに失敗した場合の世界全体の社会への損失は甚大である。障害のある子どもの潜在的な生産性が浪費されてしまうし、同時に、社会への社会的、創造的、文化的、及び感情的領域への彼/彼女らの貢献を通して豊かになるはずの可能性までも失うことになってしまうのだから。実際のところ、障害のある子どものインクルーシヴ教育を推進することに失敗することは、資源の欠如というよりは、政治的意思の欠如によることが大きい。国の財源の大部分を兵器やその他の軍事費に費やしている政府ほど、障害のある子どもの権利の促進を最小限に抑えようと主張している。」
168 CRC/C/SR.419, para.31-32.
169 Ibid, para.33.
170 Ibid, para.33.
171 Ibid, para.48. なお、特殊教育制度については、重度の障害のある子どもの場合は、特殊な施設や学校に措置することを例外的に認めるべきとの意見がインクルーシヴ教育の学説の中にもある。この点に関して、国際NGOであるInternational Save the Children Allianceの代表は、「インクルーシヴ教育は、最も重度の障害のある子どもには適用されない」という考え方に反対意見を示し、早期教育の重要性について提案した。中国における早期教育を実践の例を示して、最も重度の障害のある子どもを特別な施設や学校に措置するのではなく、通常学校におけるインクルーシヴ教育を保障すべきであると主張した(同、para.41)。
172 なお、障害のある子どもの権利の保障を起草過程から漸進的義務と解する見解として、今井直、「子どもの権利条約の実施における国際法上の諸問題」、永井憲一編、『子どもの権利条約の研究 [補訂版]』、法政大学出版局、1995年、178頁参照。
173 16条案は、次のように規定している。すなわち、「1締約国は、その管轄下にある障害のある子どもが、障害に基づくいかなる差別もなしに、他の子どもと同一の権利及び基本的自由を享有することを確保することを約束する。 2締約国は、障害のある子どもの尊厳を確保し、その自立及び自律を促進し、かつその社会への積極的な参加を推進する条件の下で、障害のある子どもが十分かつ相応な生活を享受することを享受することを確保することを約束する。 3締約国は、インクルーシヴな養護についての障害のある子どもの権利を認める。この権利は次のことを含む。(a) 適当かつ包括的なサービスの提供 (b) 利用可能な資源の下で、申込みに応じた、かつ当該子どもの状況及び親または当該子どもを養護をしている他の人の事情に適した援助を、これを受ける資格を有する子ども及びこのような子どもの養護について責任を有する人に提供すること 4障害のある子どもの特別なニーズを認めて、3の規定に従って与えられる援助は、父母又は当該子どもを養護している他の人の資力を考慮して可能な限り無償で与えられるものとし、かつ、障害を有する子どもが可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法で当該子どもが教育、訓練、保健サービス、包括的なリハビリテーション・サービス、雇用のための準備及びレクリエーションの機会を実質的に利用し及び享受することができるように行われるものとする。5障害のある子ども及びその親、または障害のある子どもの法的責任を負うもしくはその養護を行う他の人は、適当な情報、照会、及びカウンセリングを提供されるものとする。このようにして利用可能とされる情報は、それらのものに対してそれらのものが十分かつインクルーシヴな生活を営む潜在能力及び権力について肯定的な見解を提供しなければならない。」
174 A/AC.265/2004/WG.1, footnote.54.
175 17条案は、次のように規定している。すなわち、「1締約国は、教育についての障害のあるすべての人の権利を認める。この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するために、障害のある子どもの教育は次のことを指向する。(a) 人格の潜在性、尊厳の意識及び自尊の意識の完全な発達並びに、人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重の強化 (b) 障害のあるすべての人が自由な社会に効果的に参加することができるようにすること。 (c) 子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力の可能さ最大限度までの発達 (d) 特に教育計画を個別化することにより、子どもの最善利益を考慮すること。 2 この権利を実現するため、締約国は次のことを確保する。(a) 障害のあるすべての人が、自己の属する地域社会において、インクルーシヴかつ利用可能な教育を選択することができること(幼年期及び就学前の教育の利用を含む)(b) 必要とされる支援(教員、学校のカウンセラー及び心理学者の専門研修、利用可能な履修過程、利用可能な教育の媒体、代替的及び拡大的なコミュニケーション様式、代替的な学習計画、利用可能な物理的環境、または障害のある生徒の完全な参加を確保するための他の合理的配慮を含む)を提供すること (c) いかなる障害のある子どもも、その障害を理由として、無償のかつ義務的な初等教育から排除されないこと 3 締約国は、一般教育制度が障害のある人のニーズを十分に満たしていない場合には、特別なまたは代替的な学習形態を利用可能なものにすることを確保する。いかなる特別なまたは代替的な学習形態も、(a) 一般教育制度で提供される同一の基準及び趣旨を反映しなければならない。
(b) 一般教育制度への障害のある子どもの参加を最大限可能な程度まで認めるようにして提供されなければならない。 (c) 一般教育制度か特殊教育制度かのいずれかを十分な説明に基づいて自由に選択することを認めなければならない。 (d) いかなる意味においても、障害のある生徒のニーズを一般教育制度において満たすことに引き続き努める締約国の義務を制限するものであってはならない。 4 締約国は、感覚的な障害のある子どもが、適当な場合には手話または点字の教育を受けること及び手話または点字で履修することを選択することができることを確保する。締約国は、手話または点字に通じた教員の雇用を確保することにより、感覚的な障害のある生徒に対するよりよい教育を確保するための適当な措置をとる。
5 締約国は、障害のある人が、他の人との平等を基礎として、高等教育、職業訓練、成人教育及び生涯学習を利用することができることを確保する。このため、締約国は障害のある人に適当な支援を与える。」
176 A/AC.265/2004/WG.1, footnote.57.
177 Ibid, footnote

おわりに

本稿では、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利の内容について明らかにするために、初等教育を受ける権利とインクルーシヴ教育を受ける権利に関わる国際人権条約の検討を行った結果、次の2点が明らかになった。
まず、1点目については、義務的でかつ無償の初等教育の保障とは、初等教育への権利を子どもの権利として認め、原則として、学校教育において必要とされる経費すべてを無償とすべき義務を締約国に要請していると解することができる。その際、(a)「合理的な期間内に漸進的に実施するための行動計画」を「2年以内に作成し、かつ採択」する即時的義務と、(b)そのような計画を「実施する」義務については、漸進的に実施する義務であるとしても、「合理的な期間内に」、「自国における利用可能な手段を最大限用い」、かつ他の権利よりも優先し、可能な限り早期に取りうるすべての措置を講ずる義務が漸進的義務を締約国に課している点が明らかになった。
次に、2点目については、現在、障害のある子どもの教育の考え方は、インクルーシヴ教育が国際的な潮流であると考えられており、発展途上国における初等教育の教育内容もこの考え方に従うべきであると考えられる。この点、子どもの権利条約23条は、障害のある子どものインクルーシヴ教育を保障していると解することができ、締約国はインクルーシヴ教育を保障すべき漸進的義務があると言える。また、同23条は、次の4つの点を保障していると考えられる。すなわち、(a)すべての障害のある子どもが通常教育において、障害のない子どもと共に教育を受けること、(b)障害のある子どもはそれぞれが有する個別のニーズに応じた教育の提供を受ける権利が保障されること、(c)通常教育と特殊教育を統合し、1つの教育制度として整備するとともに、特殊教育制度は、障害のある子どもの多様なニーズに応じるために、通常教育を支援する役割を担うように計画されるべきであること、及び(d)このようなインクルーシヴ教育へ向けて教育制度を移行する漸進的義務が締約国に課せられていること、である。
 最後に、これまでの検討を受けて、今後の課題について述べておきたい。この点、本稿では、障害のある子どもの初等教育における教育内容として考えられるインクルーシヴ教育の保障の検討に関しては、特に障害のある子どもの権利について規定している子どもの権利条約23条を取り上げて検討を行ったため、教育への権利について規定している社会権規約13条や子どもの権利条約28条、及び教育の目的について規定している同29条については、検討を行わなかった。障害のある子どものインクルーシヴ教育の保障の内容を明らかにし、発展途上国における障害のある子どもの初等教育を受ける権利の内容をより明確にするためには、これらの条項と同23条の関連を明らかにし、総合的に検討していくことが必要であると考えられる。今後の課題としたい。

<参考文献・引用文献>

沒本語文献
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