障害者問題とCBR
    〜フィリピン・PSMFの実践からの考察〜
 

2002年度 外国語学部アジア文化副専攻卒業論文

上智大学文学部新聞学科4年 
藤田裕美子


序文

 私が、そもそもCBR(コミュニティー・ベースド・リハビリテーション Community-based Rehabilitation;以下CBR)という障害者のためのプロジェクトを耳にするようになったのは、フィリピンミンダナオ島カガヤン・デ・オロ市にある障害者のためのフィリピン・サービス・オブ・マーシー・ファンデーション(Philippine Service of Mercy Foundation;以下PSMF)という団体の活動に関心を持ったことから始まった。PSMFを知るきっかけとなったのは、2000年にカガヤン・デ・オロ市に国際交流のプログラムで一ヶ月滞在した時のことである。PSMFへの活動訪問をとおして、フィリピンでは保健医療事情が未だ発展していないため適切な治療が施されず、障害を持つにいたるケースがあるという現状を知り、先進国と途上国の医療格差に関心を抱くようになった。
 そして帰国後も団体の資料をEメールで送信してもらうなど交流が続き、今年2002年PSMFを再度訪問することができた。大学時代、これまで幅広く国際協力に関心を高めてきたが、今回の卒業論文執筆に際して、自分自信が関心を高めるきっかけとなったこの障害者支援の団体の活動をもう一度知りたいという思いから、卒業論文のテーマとした。
 また、現在国際保健協力のNGO(非政府組織)でインターンをしながら、地域住民を主体とした参加型開発やプライマリーヘルスケアに関心を抱くようになった。現在の開発途上国への保険医療協力では、HIV/AIDSやリプロダクティブへルスケアのような母子保健への取り組みが主流である一方、プライマリーへルスケア支援の中での障害者問題の位置付けは未だに低い。アジアにおける障害の発生が、栄養失調、衛生・医療の不備、事故や災害、環境の破壊といった原因によるものが多数であるという現状の中で、社会的に弱い立場にある障害者に対する公衆衛生や感染症対策などの支援はもっと重視されていくべきではないだろうか。
 以上のことを踏まえた上で、本論文では、プライマリーヘルスケアの中でも特にその一つのプロジェクトである障害者のためのCBRに焦点を当て、障害者問題の取り組みを考察する。障害者のための支援は、福祉、教育、保健医療、雇用問題、社会問題と多岐に渡るが、本論文では、特にCBRの基盤となる保健医療問題を概観しつつ、CBRの有効性や現状と課題を明らかにし、今後の障害者への支援のあり方を考察することを目的とする。
 第一章では、アジアにおける障害者問題を概観しながら、障害者の社会開発におけるCBRの有効性を考察する。現在、開発や国際協力の分野で、住民主体性の意義が提唱されているが、CBRの内初的な地域住民主体の活動の面を取り上げ、障害の発生と予防、障害者の社会開発のための地域住民活動を外部から
どう支援していくかを検証する、
 第二章では、CBRの具体的な事例として、フィリピンを設定する。そして、フィリピン国内におけるプライマリーヘルスケアや障害者支援における政府や民間の役割を知る。そして、今年2002年の現地団体活動訪問をケースとして取り上げ、ミンダナオ島カガヤン・デ・オロ市のPSMFのCBRからフィリピンンにおけるCBRの今後の展望について考察する。
 第三章では、現在のCBR批判から、今後のCBRにあり方や国際的な障害者支援のあり方を考察する。
 本論文の執筆により、今後の国際医療協力のあり方を自分なりに再考し、今後の自分自身の国際協力への関わり方を考えていきたい。

目次

第一章 途上国における障害者問題                   1
 第一節 障害者支援とCBRの注目
  第一項 アジアの障害者
  第二項 CBRとは                         2
   一、 定義・目的
   二、 プライマリーヘルスケアにおけるCBRの提唱         3
   三、 従来のリハビリテーション戦略               4
   四、 途上国におけるCBRの実践                 5
   五、 CBRの目標
   六、 プロジェクト
 第二節 障害者の社会開発
  第一項 従来の障害モデル                     8
  第二項 障害者の社会開発におけるCBRの有効性             10

第二章 フィリピンにおける障害者問題
 第一節 フィリピンの障害者
  第一項 概要
  第二項 プライマリーヘルスケアの現状
  第三項 障害者問題への取り組み                  11            
   一、 障害者福祉
   二、 障害者支援機関                      12
   三、 民間団体〜CBRの実践〜
  第四項 障害者政策の問題点                    13
   一、 政府と民間の役割
   二、 国家予算におけるプライマリーヘルスケアの軽視
 第二節 ミンダナオ島カガヤン・デ・オロ市におけるCBR〜PSMFの例〜 15
  第一項 カガヤン・デ・オロ市
  第二項 PSMFの活動                       16
   一、 PSMFとは
   二、 活動概要
   三、 援助体制
   四、 障害児のための施設                    17
  第三項 CBRプログラムの実践                  19
  第四項 CBRの今後の課題                    20
   一、 現状と問題点                      21
   二、 今後の課題
  第五項 CBRの今後の課題
   一、 現状と問題点
   二、 今後の課題                       22
 第三節 フィリピンにおけるCBRの展望               23

第三章 CBRの今後の課題
 第一節 CBRの現状と問題点
 第二節 今後の国際障害者支援のあり方

終わりに                              28

参考文献・参考資料                         29

第1章 途上国における障害者問題


第1節  障害者支援とCBRの注目
  第1項 アジアの障害者

 世界の人口は、2000年には62億6千万人となり、先進国には20.2 %、途上国には79.8%が住んでいると推定されている。そして途上国と呼ばれている国々の多い、東アジア・東南アジア・南アジア地域には、世界の人口の約6割における30億人が住んでいる[1]とされ、そのうちの1割[2]の4億人が障害者であると推定されている。
 アジアにおける障害者問題には、主に次の3つが挙げられる。
第1に、途上国における障害の原因の1つは、栄養失調である。ポリオ(小児麻痺)、結核、ハンセン病、エイズ等の伝染病や、都市スラムにおいては環境破壊と衛生の不備も障害の大きな影響の一因となっている。その例として、スモーキーマウンテン、飲料水の汚染、下水処理の未整備が挙げられる。都市部においては、交通事故、未熟練労働や児童労働による労働災害、農村部では落下による事故によるものが多い[3]。また、乳幼児が高熱により、経済的な理由で近代的な医療を受けられずに放置される場合や、民間医療などに頼ったことにより、障害を持つにいたる子どもも多い。
 第2に、アジアの途上国の障害者は、その人口の7割〜8割以上が地方の農村地域に集中していることである。そのため大都市中心の医療やリハビリテーションのサービスに、農村部の障害者がアクセスすることは困難であり、わずか2〜3%の障害者しかサービスを受けることができないのが現状だ。また、途上国の農村地域は、都市部への人口流出による経済格差により、経済状態が悪いばかりではなく、公衆衛生、保健医療等の生活環境においても貧困化が見られる。そして、教育普及率が低いことによってこの悪循環が続いており、障害の発生の原因を生み出している。
 第3に、アジア地域を始め、途上国では、このような障害を持つ子どもを生むことは、宗教的な災いによるものとする迷信が未だ根強い。障害を不完全な存在であるとして、排除しようとする地域の宗教の大きな影響がある。キリスト教徒が大多数(約90%)のフィリピンでも、一部の貧困層や農村の人々の間では、障害は悪霊のしわざないし神の罰、または伝染するものと信じられている。このように、未だ宗教観から障害を恥や罰とし、障害児は家の中に隠され、家族や社会からも隔離されたまま支援を受けられない状態に陥ってしまう傾向がある。そのため、途上国での障害者への偏見と差別は、先進国以上に社会に根強く存在しているものと考えられる。
 このような問題に対して、国連(国際連合)は、1981年に「国際障害者年」を、1982年には「障害者に関する世界行動計画」を決議した。また、1983年から1992年を「国連・障害者の10年」を宣言し、世界の国々での障害者の福祉を推進するように提唱し、国連加盟国を刺激し、より積極的な行動を促した。また、「国連・障害者の10年」の終了後、国連アジア・太平洋経済社会委員会(ESCAP)は、引き続き1993年からの10年間を「アジア・太平洋障害者の10年」と定め、アジアの障害者政策の推進を継続することを決定し、近年アジア地域における障害者に対する支援が世界規模で推進されている。

 第2項 CBRとは
 1、定義・目的

 CBR(Community -based Rehabilitation)は、「地域に根ざしたリハビリテーション」、「地域主導型リハビリテーション」、「地域住民参加型・地域の社会資源開発型リハビリテーション」などと訳される。もともとCBRの概念は、パドマニ・メンディス[4]によって創始された。そしてパドマニ・メンディスは、「CBRは単なるリハビリテーションではなく、『社会変革』である」[5]と主張し、「本質的には、障害者とその家族の生活の質(QOL)を向上させる社会開発の領域での社会資源活用のプロセス」であるとして、ここに障害者支援が、社会開発の概念に基づいて行われることが提唱された。CBRは、障害者の社会への完全参加と平等を達成し、障害者の生活の質を高めていくことを目的に、地域社会全体を改革していこうという活動である。障害者の支援を従来のように医療施設中心に行うのではなく、個人、家族、コミュニティーがともに支えながら、専門家、行政、ボランティア団体のサポートを受けて、障害者の生活の質向上、障害者のエンパワメント[6]、地域社会の考え方と行動のあり方を変革しようとする新たなアプローチである。
 
 2、プライマリーヘルスケアによるCBRの提唱
 
 1970年代の半ば、従来の先進国の西洋型保健プログラムによる既存の保健医療体制を見直し、途上国への保健医療協力は予防、農村、地域優先、病気を社会的視点から見る考え方を持った住民参加型へと支援のあり方が変化した。そして1978年、ソ連のカザフスタン共和国のアルマ・アタで開催されたWHO(世界保健機関)とユニセフによるプライマリーヘルスケア(PHC)[7]の国際会議において、全世界の人々の健康の権利が実現される可能性が保障された。そして「2000年までにすべての人に健康を」という目標が掲げられ、さらに「身体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態」をWHOの健康の定義とすることが決定している。このプライマリーヘルスケアは、これまでのフィリピンやラテンアメリカ、その他の国々での小規模な闘争の中で作られたNGOによる、地域住民主体の保健活動(Community-based Health Program;CHBC)が基本理念になっており、従来草の根レベルで行っていた保健活動が、国家活動として位置づけられるようになった。そして単に保健分野によるのみではなく、地域社会レベルでの他の社会、経済的な分野への支援のあり方が見直されるようになった。そして、その中で、CBRは、障害の予防とリハビリテーションを推進していくWHOの具体的なプロジェクトとして位置づけられている。
 1978年のアルマ・アタ宣言の後、専門家中心から人々中心の保健医療政策が見直され始めた。これまで途上国では、大都市における病院建設のために保健予算の9割を使うような傾向があったが、プライマリーヘルスケアの重要性に改めて焦点が当てられるようになった。そして、すべての住民が基本的なサービスをその地域で受けられるようにする方向性が決定した。そしてプライマリーヘルスケアの4要素である健康増進、疾病予防、疾病治療、リハビリテーションの中で、障害の予防とリハビリテーションの普及のためには地域に根ざした(コミュニティー・ベースド)サービスの必要性が強調されるようになった。
 CBRにおけるプライマリーヘルスケアは、「プライマリーヘルスケアが統合的である一方、CBRは多部門的であり、実際にあらゆる省によって開始されうる」[8]。そのため、CBRを施行するに際して、プライマリーヘルスケアとの関係を保ちつつ、保健サービスとの強い連携の中で、教育、雇用、社会問題へと発展されていくことが重要になっている。

 3、従来のリハビリテーション戦略

 近年途上国では、CBRの有効性に注目し始めているが、障害者の支援には従来どのようなアプローチがされてきたのだろうか。
障害のプログラムの目的は、国連の「世界行動計画」により定義された3つの目的である<予防、リハビリテーション、及び統合>を成し遂げることとされており、障害者のリハビリテーションには、次の3つのアプローチがある。
第1に施設や施設入所などの方法で実施される施設中心型(Institution-based Rehabilitation;以下IBR)がある。IBRは障害者自身が施設を訪問してサービスを受けるというものである。ここでの障害者の役割は「患者」であり、援助の「対象」であって障害者自身の主体性は問われていない。
第2に、アウトリーチ型(Outreach-type Rehabilitation)は、専門家が直接地域活動に出向く訪問型である。施設の専門家が、障害を取り巻く不利な状況を改善するため、地方自治体に、環境、社会、職業、教育の問題について助言し、施設が専門家を地域レベルで派遣することを意味している。この場合は、サービスは資源が可能な限り障害者宅で提供される。
 第3に、CBRである。CBRはこれまでの施設基盤のIBR、専門家によるアウトリーチ型を見直していく過程で議論されるようになった。CBRにおいて専門家は支援者の1人であり、障害者は自身のニーズと住民との関係によって、自らの役割及び主体性を変化させていくことが可能である。

  4、途上国におけるCBRの実践

 CBRは1974年に開始され、1970年代後半から、東南アジア・南アジア地域を中心に政府及びNGOにより実施され、1976年には、WHO のCBRを促進し支持する方針[9]により、特に農村など既存のサービスがない地域でのリハビリテーションの実践方法として提唱された。1978年のWHOのアルマ・アタ宣言後、途上国ではCBRをとおしてそのプライマリーヘルスケアの目的を達成するために、CBRの技術開発を開始した。1981年には、途上国における障害者の地域社会への参加を促す戦略として、CBRがWHOリハビリテーション専門家会議において提案された。そして現在90カ国を超える国で、CBRの理念に基づき、障害児の早期発見や早期治療システムの施行が始まっている。
 1994年には、WHOとILO(国際労働機関)、UNESCO(国連教育文化機関)がCBRに関する合同政策方針を発表し、「CBRとは地域開発におけるすべての障害者自身、家族、地域社会の共同の運動、適切な保健、教育、職業、社会サービスによって実施される」[10]と提唱された。ILOが提唱するCBRは、地域統合プログラムと呼ばれ、職業中心にプログラムが組まれ、より積極的に地域を巻き込んでいく方針が決定している。そして、障害者のエンパワメントとして援助方法が変化した。このように、1990年代以降、CBRは障害者の社会参加と統合を推進するための社会開発の方法であるという位置づけがより明確にされ、現在にいたっている。
 これまでCBRは農村を中心として展開してきたが、近年WHOとNGOの協力により都市部にもCBRを拡大するプログラムが登場し、スラムを対象としたプロジェクトも開始された。そして最近では、先進国においてもその有効性が注目されてきている。CBRは、日本で使われている「地域リハビリテーション」とは異なった思想である。日本における障害者支援は専門家主導のサービスを在宅訪問等の手段で草の根レベルに持ち込む手法であり、障害者自身をエンパワメントする途上国のCBRとは異なっている。しかし、近年先進国の医療や施設を基盤とした障害者支援において、障害者自身を主体とする途上国のCBRから学ぶべきことは多いとして、CBRは新たな注目を集めている。
 
 5、CBRの目標

 CBRは、2つの基本的な仮定に基づいている。1つは、障害者を援助する最大の資源は障害者自身の家族であるということ、そしてもう1つは、家族の周囲の地域社会が支援のために関わることである。そうした中で、家族を常に障害児のための学習、支援、援助における資源とし、障害児の問題に関わっていくことは重要である。CBRにおいては、態度のレベルにおいて、その家族の貧富にかからず、親は専門家とは異なる役割を持ち、障害児の1番近くにいる存在として障害児を理解することができるとされている。このように家族がリハビリテーション専門家となり、個人と社会の心理をよく理解し、地域のための開発ワーカーになる必要がある。
 第2の仮定は、地域社会の活動に関係する。CBRを施行するには、従来のように開発計画者によって作られた決定や政令によるトップからのアプローチを、地域社会に施行しているのでは難しい。CBRは、地域社会全体、つまり家族、隣人、保健サービスワーカー、ソーシャルワーカー、地方官庁、雇用者が障害者のニーズを認識し、予防、リハビリテーション、統合を成し遂げる際のアプローチである。そのため、CBRを施行する際の開発ワーカーにとってのキーポイントは、単にプロジェクトを開始することではなく、既存の地域社会のパターンや関心を利用する方法を発見する段階から開始することである。
 このように、CBRは障害者が1級市民であるという認識をもち、障害者、その家族、地域社会が、計画、実行、管理に積極的に関わることを求めている。CBRのゴールは、障害者の人権及び生活の保護であり、障害者が入っていきたいと願うコミュニティーにどこにでも自由に入っていける環境を作り出すことである。そのため、コミュニティーがその人に権利を与えなければ、その人はコミュニティーへのアクセス権を持つことはできない。そのため、コミュニティーの障害者への理解と人権尊重が大前提となっている。

 6、プロジェクト

WHOの「地域社会の障害者の訓練」(“Training in the community for the people with disabilities ”、1989年)[11]は、CBRがいかに施行されるかを説明した、CBRの基準となるマニュアルである。このマニュアルは、WHOの行った試験的なCBRの施行に基づき刊行された[12]。このマニュアルには、専門家、地域、障害者、教師の役割について記述しているガイドがあり、また障害者のために情報、予防、リハビリテーションのための訓練パッケージが設けられている。このようにWHOではCBRをプロジェクトとしてマニュアルを規定しているが、CBRとはあくまで方法論であり、特定の地域での施行やプログラムを指すものではなく、マニュアル化された具体的実践方法ばかりでは成立しない。そのため、その国や地域に適した方法をそれぞれに作り出す必要があり、地域により異なったアプローチがされている。 
 CBRの活動形態は、政府、または社会の様々な発展段階でそれぞれに実施することが可能である。そして、ここでいうコミュニティーとは、その施行場所によって変化するため、例えば農村部においては「村」が、都市部においては「区」というように多様性を持ってみなされる必要があり、その地域にある社会的資源を活用するアプローチである。CBRは、CBR該当地域に居住する全障害者を対象としている。これまでの多くの障害者への支援が国レベルでサービスを開始するトップダウン型であったが、CBRは、まず障害者自身と家族からサービスを開始するボトムアップ型のアプローチである。
 CBRのプロジェクトは、次の3つの段階に分類される。
 第1に、村、地域レベルである。必要とされるサービスとして、障害児の早期発見、療育、家族への訓練方法の指導、自営業開始の支援、基本的・総合的福祉サービス、補助器の開発、地域社会に参加するための援助等がある。これらのサービスは、CBRワーカー、教師、ソーシャルワーカー、保健所、地域社会の長により障害者の自宅で提供される。訓練を受けたリハビリワーカーが障害者の自宅を訪問し、本人と家族との対話を重ね、優先事項は何かを明らかにする手伝いをする。そして障害者と家族は、予防やリハビリテーションに関する家庭内ですぐ始められるプログラムを開始する。
 次に市や県等のレベルでは、障害者の診断、治療、統合教育、職業訓練、一般の人々を対象とした社会サービス等である。そして啓発活動が、一般医、看護婦、助産婦、ケースワーカー、カウンセラー、教師、職業指導員、役員によって行われる。提供場所は、一般の病院や学校、施設等である。
 最後に専門家レベルでは、整形外科や眼科等の高度な専門的手術、医療、サービスを提供する専門医、リハビリ専門家、特殊教育専門家、そして政策の策定者、障害者の自助団体等のCBRを推進する役割を持つ者たちの参加が必要となる。
 これらのサービスへのアクセスが可能となるように、CBRの施行には、コーディネーター役としてCBRワーカーの役割が重要になってくる。CBRワーカーには次のような役割がある。

1) CBR担当地域に居住する障害者を発見し、担当地域でCBRを実施する
  ように、障害者とその家族の能力を高めること。
2)障害者が潜在能力に応じて、自立の23の基準[13]を達成できるようになること。
3)地域社会の予防、発見、障害者のリハビリの能力を高めること。
  
 このように、CBRワーカーの主要任務は他の人々、つまり障害者、家族、地域社会の他のメンバーに基礎的な技術をつけることである。そして障害者問題の解決のために地域を巻き込んでいくこと、栄養や収入を改善する問題について見直す能力が問われている。コミュニティーレベルのCBRの担い手であるCBRワーカーは、障害者やその家族、教師、婦人会や青年会などの会員が努めている。そして、障害者自身が、CBRワーカーとして仕事をするというケースもある。CBRワーカーには、コミュニティーを組織化していく役割(Community Organizer;CO)があり、専門家からの一方的なサービスの提供に終始するのではなく、住民の主体的な参加を促す力量が求められている。

第2節 障害者の社会開発
第1項 従来の障害モデル

これまで、障害者に対する支援は、どのような枠組で行われてきたのであろうか。障害は、従来「伝統的モデル」、「医療的モデル」、「社会的モデル」の3つに分類[14]され、次のように定義されてきた。
第1に「伝統的モデル」とは、あらゆる社会と宗教と文化によって形成された構造概念である。そして大部分の宗教や文化において、障害は罰または、神の力による祖先に対する怒り、報復の結果とみなされている。
第2に「医療的モデル」は、「正常」が存在するとの仮定にたって障害を「異常」と見る。そして病気を治すという医学の考え方を基本とした社会福祉支援や援助であり、この場合医師=治療者、患者=治療される側という立場になり、障害者は治療の対象とみなされる。
第3に、「社会的モデル」である。障害の「社会モデル」の出発点は、究極的に統合が「ノーマライゼーション」や回復、治療ではなく障害の除去に関連する点である。

第1項 障害者の社会開発とCBRの有効性

障害者の支援は、保健医療、福祉、教育、雇用等の広い分野に渡っているが、従来の途上国における障害者支援は、先進国による「医療的モデル」に傾倒しており、専門家が実施するケースが多かった。そしてこれまでの「障害『産業』は、主として『開発的』より『慈善的態度』によって運営される」[15]傾向にあった。しかし、近年障害者の支援を慈善的な福祉に頼るのではなく、障害者自身の人権を尊重し、障害者をエンパワメントしていこうという障害者の社会開発が問われるようになってきた。ピーター・コーリッジ[16]によると、開発とは、「人々が、発展が不十分な原因を理解し、その理解に基づいて自分たちの状況を変革するために働く状態。また、究極的に人々が自分たちの生活を管理できる状態である」とされている。そしてその障害者の社会開発の傾向によって、近年CBRが注目され始めている。CBRは従来のように障害を医療問題と捉えるのではなく、社会問題であると考えて、障害者自身が社会活動に参加することまでを目指しているという点で、障害者の社会開発の問題であるといえるだろう。そして、CBRとは、従来の国家主導のトップダウン的な先進国の援助による外発的発展による開発ではなく、地域住民を主体とした内発的発展であるとここに定義することができる。そして、CBRはプライマリーヘルスケアにおいて保障されており、住民が保健衛生という人間としての基本的なニーズ(Basic Human Needs;BHN)[17]の充足を基盤に、政治的参加、社会的参加、市場経済活動への参加を目指すものである。そのため、CBRは、その地域社会特有の社会・文化的特質に基づいて発展されなければならないので、地域社会は、外国人ではなく、その土地の人材によって支援されるのが最適であり、CBRの主体となるのは地域住民である。そして国際援助において、CBRにおける地域住民の内発的発展を外部からどのように支援していくかが課題となっている。

第2章 フィリピンにおける障害者問題
第1節 フィリピンの障害者問題
   第1項 概要

 フィリピンで1980年に全国委員会が実施した抽出調査では、人口の4.42%
が障害者であり、身体障害者がその90%を占めているとされている。そして1992年度の政府推定障害者数は640万人[18]であり、このうち70%が農村地帯かつ海により隔てられた多くの島々に住み、残りの30%が都市に居住している。そして2002年現在[19]680万人の障害者がフィリピンに居住していると推定されている[20]。
 フィリピンの障害区分[21]は、身体、精神、社会的障害の3区分である。第1に身体障害は、内部障害を含まない視覚、聴覚、肢体の障害やその他の口蓋破裂を指す。第2に精神障害は、知的障害と精神病回復者の2つを含んでいる。第3に社会的障害者として、高齢者、物乞い、薬物中毒回復者、ハンセン病回復者、元囚人、1年の治療後に進行の始まった結核患者が定義されている。

第2項 障害の発生とプライマリーヘルスケア

フィリピンの国家保健計画における2000年までの目標は、「ポリオ・破傷風・麻疹等・予防接種によって予防可能な疾患を減少・撲滅する」、「身体・精神障害を低下させる」、「栄養状態(熱量不足、蛋白質不足、微量栄養素欠乏)を改善させる」[22]ことであり、ここに障害予防対策も国家政策として位置づけられている。
 しかし、現在フィリピン国民の5人に1人が貧困による栄養失調であるといわれ、それがさらなる貧困を生み出している。保健省の2002年の調査[23]では、フィリピン人の3人に1人はヨード欠乏症にあると発表されている。ヨード欠乏は甲状線種の他、知能停滞や聾唖、斜視、歩行困難などの障害を引き起こすとされている。ヨード欠乏状態が多い地域は、東ダバオ、マリンデュゲ、アルバイ、カミギンなどの15州である。そして特に北ミンダナオの3州では、10人中6人から7人の子どもがヨードを欠乏している。そして現在500万人がビタミンAを欠乏し、17人の子どもが1日に視覚障害になっているという現状だ[24]。これらの障害の予防に関して、保健省はビタミンAをはじめ微量要素を摂取するように国民に呼びかけているが、食事で栄養を摂取する必要性があるという教育そのものが国民に行き届いていない。このようにフィリピンの障害発生は、貧困者の低所得、教育普及率の低さ、医療・衛生施設・水道など下部構造の未発達、そして劣悪な生活環境により障害問題を引き起こす要因が依然として広まっていることが原因となっている。
 フィリピンの保健医療の支援では、バランガイ[25]という単位が基本になる。このような障害の発生の予防におけるプライマリーヘルスケアに向けて、バランガイ・レベルでの地域保健医療活動が問われている。
 
 第3項 障害者問題への取り組み
  1、障害者福祉

 フィリピンでは、1917年に初の障害者福祉法が出され、その後も障害者の生活の向上を目的とする多くの法が出されたが、法自体の欠陥や関係省庁による不十分な運営により法の目的や意図にあわないものばかりであった。
 フィリピンで障害者の全面的な社会統合が責任とされた法律は、1992年のアキノ大統領により施行された「障害者のマグナカルタ」(Magna Carta for Disabled Persons)である。この法律によって、フィリピンの障害者は、福祉の対象としてではなく、人間的に権利が認められるようになった。この法律は、障害者をフィリピン社会の一員とし、彼らの全面的幸福や社会統合への国家の十分な支援、社会での同様の権利、政府の関心事としてのリハビリテーション、障害者の尊厳の主張と推進、社会統合を阻止するすべての障害の除去を原則としている。そして、同時に国家による障害者福祉促進の際の民間部門の役割認識と協力の奨励として、NGOへの支援もここで定義づけられている。

 2、障害者支援機関

 フィリピンで、障害者支援を行う行政機関には4つの機関が挙げられる。まず、障害者政策の中心となるのは、社会福祉開発省(Department of Social Welfare and Development;DSWD) である。フィリピン政府は、1968年にこれまでの社会福祉行政部を省に格上げし、社会福祉開発省を創設し、社会福祉を制度化した。同省は、総合的な社会福祉開発政策の立案、貧困者のための事業計画及び地域レベルでの実施において、地方行政機関・NGO・人材育成・社会への啓発・国内外の人間開発課題に関する支援を行っている。そして、家庭地域福祉、婦人福祉、児童青少年福祉、障害者福祉、緊急援助の5局が設置され、ここで障害者政策も社会福祉開発省の政策の一環として行われている。地方自治法による基本サービス実施主体の地方行政機関の移転により、実際の事業担当は、全国の地域、州及び市にある15の地方事務所に委ねられており、機能回復支援と職業訓練の2つを地方自治体の障害者福祉プログラムとしている。

 3、民間団体〜CBRの実践〜

行政によるプロジェクトだけではなく、国や海外からの補助金を受けて活動する民間団体もある。フィリピン政府は、国家開発におけるNGOの役割を高く評価しており、このことは、1987年フィリピン憲法によって「国の福祉を推進する地域主体あるいは活動領域別の民間団体を奨励する」[26]と定義されている。この憲法に基づき、1991年の地方自治法が、住民及びNGO・民間セクターが地方自治体と主要な開発課題への対策に参加するという条項を含むことになったため、フィリピンでは民間団体が発展した。
 フィリピンでは障害者政策の中心的調整機関として役割を果たしているのは全国障害者福祉協議会(National Council for the Welfare of Disabled Persons;NSCWDP)である。全国障害者福祉協議会は社会開発福祉省に属する機関として、障害者政策の中心調整機関としての役割を果たし、CBRの発展を支援している。主な活動は、第1に障害の予防、治療、リハビリテーション、第2にNGOと政府の活動に対する調整、諮問、第三に地域の政府やNGOとの協力機関である地区障害者福祉協議会(Regional Council for the Welfare of Disabled Persons;RCWDP)の設立と連携である。地区障害者福祉協議会は、首都マニラを除く12の地域にある。そして、CBRワーカーの訓練にあたる指導者の養成、CBR提供団体へコミュニティーで利用可能な情報の提供、技術の伝達、障害者問題の啓蒙、障害者問題に関するすべての分野との密接な協議を行っている。
 フィリピンの障害者当事者団体の活動は、1970年頃から国内、主にマニラを中心とする都市部で始まった。そして、1990年7月に、ネグロス島のオクシデンタル州のバロゴット市で開催された第二回障害者全国会議において、フィリピン全土の障害者団体の連携強化、プロジェクト、情報、サービスに関する効率的なネットワーク化を目的として、フィリピン障害者連合(Katipunan ng Makapanansan sa Philippians;以下KAMPI)が設立された。KAMPIは、フィリピン全国レベルでの障害者のリーダーシップ育成、当事者団体結成の援助を行っている。
 これまでフィリピンにおいてCBRの名目でさまざまな障害者のためのプロジェクトが実施されてきている中で、ネグロス島のバロゴッドのCBRプロジェクトは最も歴史があり、試行段階で成功し、開始後約5年間で社会開発プロジェクトとして多いに発展した例である。そして、現在では、国内の障害者運動とCBRの運営において強い発言権を持っている。このようにフィリピン国内においてCBRは民間部門によって推進されてきており、CBR成功団体と他の障害者団体の経験交流によって、より地域に根ざした障害者支援が求められている。

 第4項 フィリピン障害者政策の問題点
 1、政府と民間の役割

フィリピンは、300年以上に渡るスペインの植民地時代から続いている経済の集中した財閥体制によって、国内の貧困格差が非常に大きく、貧困と社会的公正の欠如が社会問題とされている。そして、フィリピンでの保健医療、福祉における障害者問題には、1992年の「地方自治法」が大きな影響を与えている。この地方自治法の施行によって、政府はサービスの欠如と汚職による腐敗化という状況に陥り、問題をますます深刻化させている。
第1に、地方分権ならば保健医療サービスは地方の住民に身近で役立つものになるはずであったが、現実的には質向上をもたらすどころか政策の質を悪化させた。というのは、国が行政権と同時に責任を地方行政に移行し、本来国が果たすべき機能や役割を喪失したためである。フィリピンでは保健行政にどれだけ予算を使用するかは、任期中の地域行政の長の裁量に委ねられている。そのため、地域ごとに住民が利用できる保健サービスの内容が異なるという事態が発生した。医薬品や建設物などの資源、ヘルスワーカーのような保健医療従事者が豊富な地域もあれば正反対の地域もあり、保健所職員に給料さえ支払っていない地域も少なくない。そのため保健医療従事者と官僚の間では、方針の相違から多くの問題が議論されている。また、地方自治体の多くは、実施体制や運営能力が不十分で財源不足に陥り、施設の維持やサービスの向上をもたらすことができてない。そのため、現在地方の保健医療従事者は、従来の資源に頼ることができず、新しい技術や情報を求めている傾向がある。そして地域住民レベルでの保健事業推進業務が急務となり、地方自治体や住民の実施能力を目指すようなプロジェクトが求められている。
第2に、地方自治法による地方政治化によって特定の権力が国家の有する資源の利用を独占的に行う傾向が出てきたことである。そして国民は腐敗した政府に失望し、NGOに協力を求めるか、神にただ貧困からの救済を乞うことしかできない。1980年に、IMF(国際通貨基金)や世界銀行が保健省への介入を開始し、国際機関はフィリピン政府が社会福祉のために費用を費やしていないことを指摘し、政府による政策が国民の公衆衛生の権利を奪っていると批判している。しかし、その一方で、IMFや世界銀行の支援によって国の政策がさらに私的、商業的になるという状況に陥っている。このようにフィリピンにおける保健医療分野は、政府の政治的、文化的、経済的な状況と切り離して考えることができなくなっていることが問題である。
そのため、フィリピンでは政府が民間団体の活動に依存している。しかし、民間部門の活動が発展しているものの、民間レベルでは他のプロジェクトに比較し障害関係のプログラムの優先順位が低く、資金的サポートや利用できるサービスがない。そして資源的に、古くて荒廃している施設が多く、薬剤や医療器具も旧式であるかまたは、決定的に不足している。また、地方自治法による中央政府から地方への権利の委譲により、国家レベルでの包括的、統合的、継続的に公共に障害に対する公衆衛生を改善させるような制度がない。特に障害者を持つ家族に対して、障害問題や予防の重要性を喚起する制度がないことも問題となっている。

2、国家予算におけるプライマリーヘルスケアの軽視

2002年の国家保健予算[27]は、11.4億ペソ[28](保健省の支出を含んで一人当たり1日40ペソの支給)である。フィリピンには南部ミンダナオ島におけるイスラム過激派の問題があり、軍事費に国家予算が膨大に使用されている。このように、フィリピンの国家予算において、軍事費がその大半を占め、障害の発生の予防などを含めるプライマリーヘルスケアへの予算の比率は極端に少ない。そして予算面ばかりではなく、保健省の予防プログラムも同時に減少傾向にあると批判されている。
現在のアロヨ政権下[29]では、民間活動や外資導入を活発にする基盤作りに力を入れている。そして財政赤字と格闘し、1479億ペソ(約3700億円)に赤字を抑え、歳出の1割の削減を実施し、予算を健康、福祉、教育、農地改革などを重点的に振り向けているなど対策がとられているが、国家予算における保健医療費はまだまだ少ない。また、アロヨ大統領は、貧困はテロの温床であるともして、「援助の利用効率を高める努力をしたい」と語っており、フィリピン政府は、その国内予算を海外の援助に依存する傾向にあるが、国家予算において軍部費がその大半を占めているという現状は、国際的にも問題視されている。

第1節 ミンダナオ島カガヤン・デ・オロ市におけるCBR
〜PSMFの例〜

 2002年9月13日〜9月27日までの約2週間、フィリピンミンダナオ島カガヤン・デ・オロ市の障害者の施設、フィリピン・サービス・オブ・マーシー・ファンデーション(PSMF)に滞在した。今回の滞在では、団体の全体的な活動を知るために、活動と提携する病院、カガヤン・デ・オロ市の近隣都市(マライバライやバレンシア)の機関を訪問し、委員会のミーティングに参加した。
PSMFのCBRの活動は、以前からある義足作りのための作業場(Orthopedic Center)と、2001年から開始された障害児の施設(Developmental Center)という2つの機関における活動の連携により行われているが、活動内容が多岐に渡ってしまうため、今回は障害児の施設におけるCBRを中心として取り上げることをあらかじめ断っておく。

  第1項 フィリピンミンダナオ島カガヤン・デ・オロ市 

フィリピンミンダナオ島は、首都マニラのあるルソン島に次いで2番目に大きな島であり、マニラに次ぐ人口を持つダバオを有する。緑深い山に少数民族の平和な暮らしがある反面、南西部のスール諸島やサボアンガにはイスラム教徒が多く、キリスト教徒との争いが近年活発になってきている。
 ミンダナオ島の北部の海岸に面するカガヤン・デ・オロ市は、ビサヤ諸島の南、ボホール海へと流れるカガヤン川の河口に発達した町で、川の東岸が市の中心部となっている。カガヤンとは友情の意味であり、16世紀頃、川で金の採掘が行われていたことから、「デ・オロ=金」という名が加えられた。
 観光名所やリゾート地としては、カミギン島やマラサグ・エコツーリズム村、デルモンテ・パイナップル農園などが知られているが、外国人観光客数は未だ少ない小規模な町である。カガヤン・デ・オロ市は、1995年の調査では人口428,314人[30]であり、世帯数は84,085戸である。フィリピンの公用語はタガログ語であるが、カガヤン・デ・オロ市ではビサヤ語が主流になっている。
PSMFは、カガヤン・デ・オロ市の中流階級の人々が居住する通りに位置する。ショッピングモールやスーパー、大学のある市の中心部から近距離である一方、通りの角を曲がるとカガヤン川に面した農村生活を送る人々の生活が広がるという環境だ。

第2項 PSMFの概要
1、PSMFとは

 PSMFは、カガヤン・デ・オロ市でCBRを行う唯一のセンターである。PSMFは、首都マニラにあるフィリピン・バンド・オブ・マーシー(Philippine Band of Mercy;PBMNMC)の北ミンダナオ支部として、1973年にラファエル・ボロメオ神父によって設立された非営利組織である。PSMFの活動[31]は、次の2つを目的としている。

1)障害者のリハビリテーションと支援を彼ら自身のコミュニティーの中で行うこと。
2)政府と共同で障害原因の予防、リハビリテーション、身体的、精神的な社会復帰のプロジェクトを推進すること。
                                                                                                                                          
 これらの活動内容の使命として、PSMFは以下の4つを主張している。

第1に、サービスの提供において、より包括的で参加的なアプローチを地方の政府、民間のNGOと市民のグループのパートナーシップによる強い連携の確立によって強化していくこと。第2に、障害を抱える人への介入、リハビリテーションと補助支援のために障害と損傷の予防における注意の喚起や情報の提供を継続的に行うこと。第3に、リハビリテーション、健康、社会福祉、教育プログラムのための要請として、知識や技術においてばかりではなく、効果的な改革のために継続的な自主改善を模索すること。第4に、障害を抱える人々がコミュニティーにとって活動的で責任感のある市民になることを可能にするために、職業的、技術なトレーニングをとおして、日々の食事や自立と持続のための機会を提供することである。

そして、障害を抱える人々にとって機能的、生産的、そしてよりよい生活を送ることができるようにエンパワメントするための効率のよい機関となることを、ビジョンとして掲げている。

2、活動概要

 PSMFのプログラムは以下の4つである。

1)Medical Outreach ミEENT Department (1992年〜)
 身体の奇形の予防や視聴覚治療のための医療機関と提携した保健医療
 分野での地域の活動
2) Orthopedic Workshop(1989年〜)
障害者のための歩行補助装置としての義肢装具製作とリハビリテーションのための作業場
3) Developmental Center for the Children with Special Needs (2001年〜)
  障害児の特殊教育施設
4) Hearing Diagnostic Center (2001年〜)
病院と提携した無料の聴覚検査センター
5) ボランティアやヘルスワーカーのトレーニング

 現在PSMFの専属スタッフが15名、メンバーは64名である。スタッフや委員会のメンバーは、ソーシャルワーカーや医療関係者、理学療法士、作業療法士、養護教員、ボランティア等で構成されている。

 3、援助体制

1989年の作業場の設立時、フランスに本部のあるハンディキャップ・インターナショナル(HI)から義肢装具のためのトレーニングプログラムが提供された。そして1991年には、西ドイツのChiristoffel Blindenmission (CBM)と市の政府との連携による視覚検査のためのEENTセンターを設立した。2001年には、オランダのLiliane Foundation (LF) と市内のCCC公共病院の聴覚検査センターによる支援によって障害児の施設を設立し、市のロータリー・クラブ等とパートナーシップを築き、CBRサービスを開始している。現在これらの機関からの技術的、人材養成なサポートを受けてサービス内容を拡大している。
現在財政面での主な海外の援助は、オーストラリアとベルギーによるものだ。そして、近いうちに日本のJICA(国際協力事業団)による援助も申請する予定[32]である。薬物はすべて、ドイツ(German Doctor)によるものである。地元の援助機関には、ライオンズ・クラブやロータリー・クラブのような機関がある。

4、障害児のための施設

 施設は、作業場の横に位置する木造3階建ての建物である。1階は、子どもの遊び場兼リハビリテーションのための部屋、ディレクターの事務所があり、2階は、子どもがおやつを食べる場兼言語治療の部屋になっている。そして、屋根裏の3階には、数人のCBRを行うスタッフが寝泊まりをしている。またトイレは2つあり、いずれも車椅子の使用できるものになっている。
 センターにおける専属スタッフは、特殊教育者1名、理学療法士5名、養護教員1名、職業訓練者1名である。活動内容は以下のとおりである。

1) バランガイでのリハビリテーションの提供において、CBRユニットを用
  いる。
2) 障害を持つ子どもに対して、治療、リハビリテーション、介入そして特
  殊教育を提供するセンターになるために、障害の診断規定の評価、照会
  機関となる。
3) CBRユニットとともに、障害発生の予防のために、コミュニティーのボ
  ランティアと障害を持つ子どもたちのトレーニングをする。
4)カガヤン・デ・オロ市の学校における統合教育を推進する。

 2001年までの施設では、聴覚障害者、視覚障害者、精神障害者のための支援と、補助装置のための整形外科サービスを設けていた。ここでは、車椅子や義足を提供している。2000年には、346人、2001年には81人、合計427人の子どもをこれまでに受け入れている。2002年現在登録している児童は81名であるが、定期的にセンターに通い、プログラムに参加できるのは53名である。
受け入れている障害児は、重複障害、自閉症、視覚障害、脳性麻痺、知的障害、言語障害、学習障害、脳水腫等である。中でもこの2年間における聴覚障害児の受け入れは、178名で最も多い。
 子どもたちへのセンター内でのトレーニングは、日常生活の訓練から、筋肉を強化するためのストレッチのような身体のリハビリテーションである。また、特殊教育とは、アルファベットボードやパズルを使った色や形の認識の教育から識字教育、聴覚障害児への手話や言語治療等である。また、休日には特別活動(キャンプやフィールドトリップ等地域におけるサービスを展開)、毎週土曜日には、PSMFのスタッフがバランガイにでかけ、バランガイ・ヘルスワーカーや障害児の母親とミーティングを行っている。

第3項 CBRプログラムの実践

PSMFの2001年当初の障害児のためのサービス案は、施設を設立すること自体が目的であったが、カガヤン・デ・オロ市の地域の問題を考慮し、CBRのプログラムの施行が開始された。
現在のPSMFの活動における問題点は、第1に、交通、距離、経済的状態によって、多くの障害児のセンターへの訪問が困難、または実現不可能になっていることである。PSMFはカガヤン・デ・オロ市で唯一のセンターであるため、山間部や農村部の地理的に遠方の地区から通ってくる子どもが多い。また、交通費は、モートレーラーやジープニーどちらも1回の乗車につき4ペソであり、センターがその交通費を支給しているが、負担額が大きく支援が行き届いていない。そのためPSMFは、センターに交通、距離、経済的な条件で訪問できない障害児のために、CBRを施行してPSMFのスタッフや地域のボランティアや機関が協力してトレーニングや教育を行い、コミュニティーの組織化が開始された。このように、CBRの障害者の居住環境に応じたプログラムを展開するという方法が、カガヤン・デ・オロ市においてPSMFのスタッフやその他の機関の連携によって実行されていることが分かる。
現在のCBR施行には、カガヤン・デ・オロ市東部のブゴ、フエルト、アグサンの3つのバランガイ[33]が試験的な地域として選ばれた。そして小規模な地域での試験的なCBR施行を基盤として、現在コミュニティーの範囲を拡大している。
CBRの活動内容は以下のとおりである。
  
   1)CBRユニット作り[34]
   2)生活実態調査 [35]
   3)ワークショップ [36]
   4)リハビリテーションのためのオリエンテーション
   5)特殊教育
6) 障害児の家族へのカウンセリング―地域開発に向けたコミュニティ ーの組織化への試み

1、 PSMFの特徴と評価

 2001年9月から開始した障害児の施設におけるCBRでは、173名がその対象となっている。CBRは、PSMFのEENTセンターのアウトリーチ活動、CCC公共病院と連携した聴覚検査機関、作業場の活動という既存のサービスとの連携の中で行われているのが特徴的だ。センターでは主に障害児の訓練を行っているが、口唇裂、口蓋裂、肢体の奇形等による障害を抱える子どもに対してはPSMFのEENTセンターや地域の病院や機関への照会を行っている。そしてこれらの既存のサービスによって、障害者の照会サービスのシステムが確立され、地域の機関や他のNGOとの連携も進んでいる。そのため、CBRのプロジェクトは、2001年に開始し、まだまだ発展段階にあるが、これらの既存の活動がコミュニティーを巻き込んで行われてきているため、CBRを効果的に行うことのできる基盤が既に確立している。そして、障害の発見やサービス開始というCBRの第1段階が、既存のアウトリーチ活動との連携によって行われている。このPSMFのアウトリーチ活動では、障害や損傷、ハンディキャップの予防のためにCBR委員会とともにネットワークを確立していくことを目的としている。アウトリーチ活動では、障害の発見(Screening)、医療の提供(Surgery)、トレーニング(Training)が行われている。そしてPSMFのCBRワーカーやスタッフ、バランガイのコミュニティーのボランティアが協力し、アンケートに基づいた障害児の発見と家族の生活の実態調査との協力を行っている。そして訓練を受けたリハビリワーカーが、障害児の自宅を訪問し、本人と家族との対話を重ね、優先事項は何かを明らかにする手伝いをする。
 また、センターでは、カガヤン・デ・オロ市のザビエル大学心理学科の協力を得て、現在13名の生徒、17家族がPSMFの障害児の受け入れを行い、障害児と居住し障害者自身やその家族にリハビリテーション移転や、両親へのカウンセリング等の支援[37]を行っている。このようにフィリピンでは、NGOと社会福祉開発系大学が提携し、学生が実習の一環としてCBRプログラムに関わり、実際にクライエントを持つシステムをとって経費削減、専門家不足の解消にあたっているのが特徴的だ。

1、 障害者のエンパワメント

 CBRにおいて重要となっているのは、障害者や地域住民が主体となっているかという点である。PSMFのCBRは、実際に障害者自身がスタッフとしてサービスを提供している。センターには、身体奇形の治療を受け、完治した元障害者がスタッフとして勤務している例や、作業場のスタッフは、ほぼ全員が身体損傷を持ち、作業療法士として勤務している例がある。このように、PSMFでは障害者自身が主体となってサービスを提供している。
 また、PSMFは社会開発福祉省との協力の下、地域の障害者のための啓発活動にも積極的に参加している[38]。地域のショッピングモールと提携して、地域への啓蒙のためのチャリティーコンサートを行うなど、地域社会との交流も深めている。そして毎年12月には、地域の教会の支援を受けて、通常距離的、経済的にセンターへ通うことのできない子どもを集めて、クリスマスパーティーを行うなど、地域機関との連携も進んでいる。

第4項 CBRの今後の課題
1、 現状と問題点

 2001年から、CBRを開始したものの、コミュニティー的なアプローチと施設でのアプローチに差が生じてきてしまっていることが問題となっている。定期的に施設に訪問する子どもと農村を含めた地域の子どもに対して、アプローチの仕方に差が出てきてしまっている。センター内では、常に専門家による障害児へのリハビリテーションや教育が充実しているが、地域の中のCBRはまだまだ確立していない。センターで受け入れている子どもたちは非常に貧しく、センターではお菓子や食事を提供しているが、子どもたちの家庭の生活環境は改善されていないという問題がある。また、センターに通う子どもの約80%が貧困層であり、授業料を払うことができず、学校に通うことのできない子どもたちも多い。そして、治療体制が整っていないこと、交通費の支給ができないことが問題として挙げられている。さらに大半のスタッフが無給のボランティアとして仕事し、有休スタッフの給料もフィリピンでの最低基本給6000ペソにも満たない。しかし、フィリピン社会において貧困は深刻な問題であり、支援団体や国民からの国内寄付金の見込みは期待できないという状態だ。

2、 今後の課題

PSMFにおける今後のCBRの確立に向けての課題は、PSMFのスタッフの人との交流や話、訪問で学んだこと、団体のファイルから以下のようなことが挙げられる。
 第1に障害者の自立である。現在PSMFのセンターは障害児のための施設であり、そのリハビリテーションと教育を行っている。しかし、現在その地域社会への統合教育、学校との連携がまだまだ確立していない。今後、障害児を普通の学校や地域社会と統合させるよう援助するという社会参加への援助が求められる。
 第2に、今後多くの利用者が青年となり、就労のニーズが増えてくることが予測される。そして、将来的に障害者が自立できるように、経済的自立のために、職業訓練等の機会を充実させることが重要である。
 第3に、家族や地域の積極的な関与を促進するための援助が必要だ。現在センターのスペースやスタッフの時間不足により、障害児の両親たちへのサポートが充実していないことが問題となっている。子どもたちが、センター内で遊び、リハビリテーションを行っている間、両親は3階建ての木造のセンターと横の家との狭い路地に椅子を並べて待機することしかできない。また、現在ニューズレターのような会報やホームページなどの広報がまったくないことも、両親へのサポートが整っていないことの原因となっている。将来的には、スペースを確保し、両親へのリハビリテーション教育、カンセリングや話し合いを充実していきたいとしている。特に、障害児のための育児に追われている母親が多く、母親の負担を配慮するようなプログラムを考えていくべきである。そして、障害児の健康面や教育に対するさらなる情報提供を行うことが必要であろう。また、現在特別活動などで障害児の両親同士の交流が進んでいる。今後は、障害児を持つ親、持たない親との交流の機会を設けたり、地域社会への理解をより深めていく場を設けることが大切であろう。
現在PSMFの活動は、地域の機関との連携を図り、着実に発展している段階にある。現在は4台のコンピューターを導入し、障害児の写真やデータを取り込んだり、また団体の冊子には、全体の活動概要から予算案、現状と問題点がグラフや統計とともに詳細に記録としてまとめられている。そして、2001年から開始したセンターは、開始段階であるため施設が基盤となっているが、既存のサービスとの連携によって、今後さらなる発展をみることができると予想される。特に既存のアウトリーチ活動は、ミンダナオ島北部の海岸沿いの都市を中心としたミサミスオリエンタル州、ミサミスオクシデンタル州、カミギン島、北部アグサン、北部スリガオのバランガイや自治区を中心に、視聴覚の障害を予防するために開始され、現在もコミュニティーの範囲を拡大している。そして、保健省とドイツの医療機関、教会組織との協力の下に自治市長や州統治者、自治保健所、バランガイ・ヘルスワーカー、コミュニティーのボランティア等の地域との連携を確立している。そのため、今後このアウトリーチ活動との連携によって、現在は施設基盤にとどまっているCBRの対象コミュニティーも拡大していくものと考えられる。
そして、現在PSMFのCBRは、保健医療中心のCBRである。今後保健医療の確立とともに、広報、啓発活動を積極的に行い、障害児の社会的参加のため障害自身、家族、地域をエンパワメントしていくことが重要となっている。将来的な展望は、コンピューターで子どもたちの写真、成長のデータを記録し、異なったタイプの障害を持つ子どもたちの研究のためのリソースセンターになることであると語っていた。

第3節 今後のフィリピンにおけるCBRの展望

現在、フィリピンにおける障害者問題は未だ都市を中心とした対応がなされており、農村における施設をはじめとした社会資源の不足、国民の障害問題への認識の低さ、提供プログラムが限定されているという問題がある。そして、政府の機能の低下と腐敗化というフィリピン社会において、CBRのような地域住民主導型のプロジェクトがますます重要視されるようになるだろうと考える。そして地域住民を主体とするプロセスによって、地域が問題解決能力を持ち、障害者問題だけではなく、地域が抱えるあらゆる問題の解決につながるのではないだろうか。
CBRをフィリピンで展開していくに際して、CBRの社会的資源となるフィリピン社会のコミュニティーの基盤は強みとなるだろう。フィリピンはキリスト教と、大家族による助け合い精神により、社会におけるコミュニティーの絆は強固なものである。国民の90%がキリスト教徒カトリックであり、キリスト教理念が深く人々やコミュニティーに浸透している。そのコミュニティーの中でフィリピンでは、核家族をこえた空間と広がりの中で日々の暮らしが営まれているのだ。また、フィリピンは政情が不安定で、国内の貧富の格差が激しい国であるが、NGO・NPOの先進国であるといわれている。そして政府の包括的な政策が欠如しているため、NGOが政府の代替機関としての役割を果たしている。このようなコミュニティーの相互扶助の価値観、文化を背景に、障害への地域への理解が築いていけるだろう。そしてそのためには、障害者のための支援が、生活支援ばかりに重点を置くのではなく、広報啓発活動を積極的に行い、地域をエンパワメントしていく姿勢が求められる。
 そして、フィリピンでCBRを施行する時、バランガイにおけるヘルスワーカー、ボランティアなどの村レベルの人材の役割がより重要になってくると考えられる。プロジェクトを住民対象に実施する場合、カウンターパートとして保健省、州政府や州保健局、州立病院などの役割は重要であるが、実際にコミュニティーで働くのは助産婦やバランガイ・ヘルスワーカー[39]である。助産婦は、公衆衛生の担い手であり、助産を行うだけではなく、母親学級、妊産婦検診の他、救急処置、BCGやポリオ、DPTなどの予防接種、乳幼児の建診、家族計画、栄養改善といった幅広い活動を行っている。今後コミュニティーの中で働く助産婦や、ヘルスワーカーの人材育成やネットワーク化への支援が必要である。コミュニティーの中で働く人材との協力によって、施設基盤になりやすいCBRを、さらに地域に根ざしたものにすることができるだろう。
 そして国際社会においては、このようなフィリピンの社会性を背景としたコミュニィーの内初的な発展を支援するようなCBRへの国際協力が求められる。日本のJICAやNGOのプログラムでも、1990年代から1992年のフィリピンの地方自治法が施行された政治事情を背景に、「地域保健推進」、「住民参加」の支援のあり方が見直され始めている。そして現地でのプログラム運営のための資金援助や人材育成にも力を入れていく方針であり、地域住民と直接関わるワーカーの育成、リハビリテーション等の専門家の養成、人材育成において研修生の受け入れ、その地域に適した方法での専門家の現地への派遣が課題となっている。

第3章 CBRの今後の課題
第1節 CBRの現状と問題点

 近年の途上国におけるCBRへの主な批判の1つは、プロジェクトが網羅する地域がなかなか拡大されないことである。CBRが各々の参加を基盤とした発展段階であるために、各々の地域社会の社会・文化的特質の中で長期的に発展させられなければならない。そのため、具体的なプログラムへと転換できず、地域社会が必要としているレベルでの技術的支援が十分に提供されていないという現状がある。また、WHOのマニュアルに忠実にCBRを実行されることの多いCBRでは、CBRの実績は、何人の障害者が医療や訓練、義肢装具を受けられたか、という達成を目指すものに陥ってしまっているケースもある。
 第2に、適切に訓練された人材が欠如していることである。CBRのゴールである障害者のための社会を達成するには、既存の人材が今までとは異なる態度と知識、技術を持つことが求められ、CBRを展開していくための人材として教育されなければならない。しかし、これらの人材育成において、根本的に新しいアプローチが必要であると認識している途上国は少ない。これまで活動していた人材の育成や、新しいCBRのためのカリキュラムを作るための予算も徹底的に不足している。
第3に、CBRがプライマリーヘルスケアの中で未だに位置づけが低いことである。WHOによるプライマリーヘルスケアの提唱によって、健康増進と予防、病気の治療が行われてきたが、疾病の結果である障害に取り組むCBRに関しては、これまであまり重要視されてこなかった。
第4に、現在障害者、及び障害者団体は、地位向上のための政策と戦略のためにほとんど影響力を持っていない。そして、ビジョンや活力の不足、また政府の乏しい補助金に財政上依存していることで、発展が阻害されている。

  第2節 今後の障害者支援のあり方

 CBRは、既存の保健、教育、及び関連する分野の人材養成のカリキュラムに障害問題とCBRが組みこまれることによって、CBRそのものを強化し、またそのCBRが地域の強化につながると考える。そのため、CBRの課題は、いかに地域の既存のシステムや人材という地域の資源を活用できるかということにかかってくる。そして、より地域に根ざした国際援助を行うかが求められるだろう。
 第1に、保健医療分野への支援である。現在多くの国々では、国家から障害問題の取り扱いを委任されているのは社会福祉部門である。国家や国際援助機関の資金はこの分野に向けられ、結果としてこの福祉分野で使われるという傾向があるため、保健や教育、雇用、その他の関連がある分野はCBRの開発協力の対象ではないことがある。そのため、緊急性があるのは、保健医療分野への支援である。現在先進国における障害者問題の多くが、雇用問題や社会的参加問題であることに比較し、途上国では未だに保健医療が確立していないことによって障害の発生を引き起こし、治療体制が整っていないことは問題視されなければならないだろう。また、公衆衛生対策やプライマリーヘルスケアへの支援が強化されるに従って、多くの幼児が出世時を無事にのりきり、それと同時に障害を持って生きのびる幼児の絶対数が増加傾向にあるという。そのような現状の中で、今後ますますCBRの有効性は見直されるようになってくるだろうと考える。そして障害者の自立のために、保健医療分野を前提とした、教育、雇用、社会問題が見直されていく必要がある。そして、障害の発生の予防と、障害者がより適切な保健医療サービスを受けられるようになることが課題である。
第2に、障害者と障害者団体の支援強化である。CBRの発展に参加し、影響力を持てるよう、既存の団体を支援していく方向性が求められる。そして、政府とNGOが連携し、共同で地域活動を推進していく必要性がある。日本は今や世界の中でODA(政府開発援助)援助額を誇っている。そしてアジアの国々やフィリピンにおける援助の割合は大きい。しかし、国際援助の動向に比例して、これまでのODAによる医療協力は、先進国日本の技術による病院や施設を建設するようなプロジェクトが多かった[40]。また、ODAは依然としてインフラ重視の傾向にある。そして、障害者支援分野においても、投資額に比べて、まだまだ地域に根ざした協力を展開できていないため、それらが実際に障害者の生活まで恩恵を及ぼしていないという現状である。その一方で、国内の障害者支援のNGOは、プログラムの実施やCBRワーカーの訓練の支援やCBRに貢献する様々な部門の中でのサービスの強化への援助によってCBRの開発へ特別な貢献ができるだろう。そして、政府は国内NGOとの連携の中で、地域住民主体の活動を外部から支えていけるような支援を行っていくべきである。
 第3に、障害児のエンパワメントである。障害児は、自らの可能性を最大限にし損傷の効果を最小限にするために集中的リハビリテーションと教育の機会を必要とする。しかし、現在の障害者支援の国際基準の欠陥の1つは、成人障害者に関する事項に偏っていることである[41]。CBRは、第1章でその有効性を述べたように、障害者の社会開発のためのプロジェクトである。そして、近年CBRも保健分野から教育、雇用、社会開発として発展している段階にある。しかし、フィリピンミンダナオ島カガヤン・デ・オロ市のPSMFによるCBRの活動を訪問し、障害児の支援[42]が未だ確立していないことに疑問を覚えた。CBRにおいて、まず第一段階として主体となるのは、障害者とその家族である。そしてその障害者が子どもである場合、地域を巻き込んでいくアプローチの主体となるためには、家族やコミュニティー、外部の存在がより必要となってくるだろう。
 第4に、障害者の母親への支援である。地域保健活動への支援のあり方として、「地域に展開して円滑に効果的な援助活動ができる条件として、既存のシステムがある程度有効に機能していること。また、それを支える人々がいて、その活動が地域社会から一定の評価を受けていることが必要」、「母子保健プロジェクトの場合は、女性がある程度社会進出していることも重要」[43]とされている。そのため、障害者のCBR においても、ある程度コミュニティーの内発的な発展が必要になってくると考える。そして、障害児だけではなく、障害児の母親たちにこそもっと支援が必要なのでないだろうか。一日中障害児と付き添い、施設や専門機関に出入りし、生計を立てるための仕事や他の子どもたちの育児に追われる日々である。特に、農村部においては多数の子どもを抱え、その中で障害児のための育児に母親がどこまで時間をさけるかということも課題になっている。そのためには、障害児の母親たちが育児支援を受け、心身にゆとりを持って育児に当たれるようなシステムを作ることも重要である。そして、地域の中で人材開発を行っていくために保健医療のみならず、こういう人材開発はもっと重要視されていくべきであろう。

終わりに

 先進国である日本は、福祉体制が整っているので、母親の定期的検診によって障害児の発見が病院のサービスによって容易であり、その後も適切なサービスを国から保障されている。これに対して、途上国の障害者問題は、その障害者の多くが保健医療体制の整っていない農村部に住んでいるため、まず障害者を発見する段階から開始しなければならないという点に、非常に驚いた。これまで途上国における障害者問題ばかりか、日本における障害者問題にも馴染みがなかったため、本論文の執筆から得たものは、何もかもが始めて知ることばかりであり、そこから新たな問題意識が生まれた。
 今年2002年は、PSMFについて関心を高める中、CBRを知るようになった。CBRという言葉からは、戦略的なプロジェクトとしてのイメージや、形式ばったイメージがあったが、実際に団体を訪問し、実に多くの人々の力や支えの下に、障害を持っている子どもたちを中心としたコミュニティーが広がっていることを知った。そして、もともとフィリピンにある強固なコミュニティーの基盤の中で、「ひと」という資源が最大限に生かされていることを知った。「ひと」という人材によって、「ひと」を動かし、コミュニティーを動かし、社会が動いていく。その動きを、滞在中に幾度となく体感した。そして明るく熱心なスタッフや元気いっぱいの子どもたち、暖かい家族やボランティアによるコミュニティー中で、一人一人の思いがコミュニティーを動かす原動力になっていた。
 しかし、その一方で、今回現地を一人で訪問し、CBRという確立されたコミュニティーの中で、何もできない自分自身を間の当たりにすることになった。子どもたちや家族、スタッフの人たちとの交流の中で、専門家でもなく、ボランティアしてできることも少ないまま、一人の専門性のない日本人の学生にとってこのコミュニティーにどこまで関われるのかと悩むことも多かった。文化、価値観の違いもあり、日本人に対する資金的な期待もあり、コミュニティーの深刻な問題を知れば知るほど、外部者の日本人として戸惑うこともあった。これまで国際協力に関心を高めてきたが、今回の経験で今後日本人としてどのように関われるのかを考えていくという新たな視点を得た。今後、このPSMFとのつながりの中で、コミュニティーを支える国際協力のあり方や日本人としての関わりについて深く考えていきたい。

[1]中西由紀子『アジアの障害者』(現代書館、1996年)、5頁。
[2]アジアには、世界人口の半数以上が居住し、WHOの統計ではその10%が障害者である ので、4億人近くの障害者がアジアに住むといわれている。http://www.din.or.jp/~yukin/popula.html (2002年3月1日)中西由起子「アジアの障害者人口」(アジア・ディスアビリティー・インスティテュート)。
[3]中西、前掲書、7頁〜11頁。
[4]WHOのCBRマニュアル著者の1人。WHOのCBRコンサルタント。
[5]吉田美穂・渡辺雅行『CBRの手引き パドマニ・メンディス博士講演会記念集』(日本CBRネットワーク、2000年)、27頁。
[6] 障害者のエンパワメントは、社会福祉の一分野である社会福祉技術論の中で、問題を抱えている人たちを支援・援助する際の視点として提起されるようになった。エンパワメントとは@力をつけていく過程、A力をつけた状態、と定義されている。伊藤千佳子『障害者福祉シリーズB障害を持つ人たちのエンパワメント』(一橋株式出版、2001年)、20頁〜25頁。
[7]PHC@健康の定義A健康を保持・推進するための方法として地域レベルでの保健活動(健康増進、予防、治療、社会復帰)の重要性、B地域での保健活動を主体的に進めること、CPHC 増進のためにこれを国家政策と定め、開発、教育、農業、住宅など他部門との連携を図ること、などを宣言している。ディヴィツド・ワーナー/ディヴィッド・サンダース『いのち・開発・NGO』(新評論、1998年)、81頁。
[8]中西由起子『WHOリハビリテーションサービス改善のための戦略に関するインター・カントリー・ワークショップ-アジアの経験から学ぶ報告書』(ADI、2001年)、16頁。
[9]WHOの障害政策は、4条第1項で「障害者を保健イニシアチブに含める」こと、第2項で「障害の発生要因に対処する」ことを規定している。
[10]「CBR for and with Disabilities; ILO, UNESCO,WHO, Joint position Paper1994」吉田・渡辺、前掲書、34頁
[11]マニュアルは34冊の小冊子で、総計700ページ以上に及び、4つのガイド、30の訓練パッケージで構成されている。現在50ヶ国語に訳され、CBR施行の基本マニュアルになっている。
[12]このマニュアルは、1979 年版、1980年版、1983年版の3つのマニュアルによるCBR
 の施行と評価が行われた上で、作成された。
[13] 自立の23の基準@家族がともに住み障害者の世話をする、A食べて飲む、B顔、手を洗い風呂に入る、C歯を磨く、Dトイレを使う、E服を着る、F理解する、G表現する、H他の人に理解させる、I(ハンセン病の人が)感覚のない皮膚を扱う、J横になった姿勢から起き上がる、K上肢を動かす、L下肢を動かす、M家の周りを移動する、N村の周りを移動する、O間接の痛みに対処する、P母乳で育てる、Q遊ぶ、R入学、通学する、S家族の活動に参加する、○21地域の活動に参加する、○22毎日食事をする、○23仕事ができるようになることである。インドネシア小児リハビリテーション・コンサルタント/CBRコンサルタント フェリアル・ハディポエトロ・アイドリス氏『インドネシア西ジャワ州のCBR「第132回アジア障害者問題研究会特別講演会」』(2002年8月3日)。
[14]ピーター・コーリッジ『アジア・アフリカの障害者のエンパワメント』(明石書店、1997
 年)、113頁〜116頁。
[15]ピーター・コーリッジ『アジア・アフリカの障害者のエンパワメント』(明石書店、1997
 年)、113頁〜116頁。
[16]ピーター・コーリッジ、前掲書、著者。
[17] BHN(基礎的生活分野):1973年USAIDの新援助新政策に端を発する民衆レベルの援助概念で、人間としての基本的なニーズ。保健医療は、BHNの範疇にある。1970年代のBHNアプローチは、1990年代以降「人間開発」(Human Development; HD)へのアプローチに変化してきている。「人間開発」は、BHNだけではなく、人々の参加を促進する動態的な過程であると論じられている。中村優一『グローバリゼーションと国家社会福祉』(中央法規出版、2002年)、178頁。
[18]中西、前掲書、160頁。
[19]『アジア太平洋の障害者の10年(1993−2002)』http://www.unescap.org/decade/publications/apdcp/philippines (2002年11月18日)。
[20]2000年度のフィリピンの人口は、76,498,735 人であり、そのうちWHOの基準によりその内1割が障害者ということになる。「2002 Census of Population and Housing 」 http://www.census.gov.ph/census2000/c2khighlits_final.html_(2002年12月1日)。
[21]中西、前掲書、159頁。
[22]Department of Health (1995モ National Health Plan 1995-2020モ)「保健省 国家保健計画」仲原俊隆『火曜日はマーシーの日』(パル出版、2002年)、97頁。
[23]BALITA http://www.balita.org/(2002年5月1日)。
[24]Council for Health and Department (CHD)http://www.compass.com.ph~/chd(2001 年12月1日)。
[25]フィリピンの行政機構は、中央政府、州政府、市と町、村(バランガイ)の4層構造になっている。地方自治法で、バランガイの人口は少なくとも2000人以上の基礎的な自治体であるとされている。仲原、前掲書、23頁。
[26]萩原康生『アジアの社会福祉』(中央法規出版、2002年)、183頁。
[27]「Coalition for Health Budget Increase 「Council for Health and Department 」 http://www.compann.com.ph~/chd (2002年11月18日)
[28]1ペソ=約2.5円(2001年5月現在)
[29]アロヨ大統領の貧困対策プロジェクトは政府の社会開発福祉局のプログラムによるものである。アロヨ政権は「貧困との闘い」を最優先課題として、従来の開発独裁型からの脱却を目指すし、民主的な手法で政策を行っていこうとしている。「アロヨ政権 貧困との闘いに支援を」(朝日新聞、2002年3月12日)。
[30]Cagayan De Oro At Glance http://www.cagayandeoro.cdo.ph/glance/index.htm (2002 年11月18日)。
[31]『PHILIPPINE SERVICE OF MERCY FOUNDATION 』パンフレット。
[32]現在スタッフがJICAの研修制度を利用できる機会はあったが、まだセンター自体に支援はない。
[33]この3つのバランガイにおける人口は、約4500人である。
[34]CBRはCBRユニットと呼ばれるバランガイの中でCBRサービスのための単位を作り、施行する。そして地区(ZONE)ごとに区別して障害児を管理している。
[35]このアンケートには、家の材料の形態(竹、木造、鉄筋等)、家庭電気製品の有無、両親の収入に渡るまで障害者の生活の実態を調査する事項がある。
[36]地域で収入向上のための生計プロジェクトやワークショップ、PSMFのCBRの照会とコミュニティーの組織化に向けたワークショップを行って、地域への理解と関心を促している。ワークショップのファシリテーター(養成者)はPSMFのスタッフである。
[37]インターン。「フィリピン大学のCBR」(アジア・ディスアビリティー・インスティテュト)http://www.din.or.jp/~yukin/popula.html (2002年3月1日)。
[38]社会開発福祉省は、毎年7月の第3週を全国障害予防リハビリ習慣に、視覚障害者のニードに関する啓発と白杖の社会認知を高めることを目的に、8月1日を白杖安全日に定めている。
[39]バランガイの保健支所には、一人の助産婦がいる。助産婦の活動を支えているのが、バランガイごとに数人いるバランガイ・ヘルスワーカーと呼ばれるボランティア女性である。仲原、前掲書、24頁。
[40]基本的に、日本のODAが対象とするのは、政府機関であり、保健省、州保健局レベルの担当者への協力になる傾向があり、住民に直接利益が及ぶ形にはなりにくかった。そしてJICAの専門家や青年海外協力隊の人的派遣も政府機関に配属されるのが基本である。
[41[ 日本CBRネットワーク、前掲書、44頁。
]42] 国連子どもの権利条約の第23条は特に障害児に関して言及し、国連基準規則の欠陥を補完するものとされている。前掲書、同頁。
[43] 仲原、前掲書、242頁。


  
 
 

参考文献
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フェリアル・ハディポエトロ・アイドリス「第132回アジア障害者問題研究会特別講演会(2002年8月3日))『インドネシア西ジャワ州のCBR』
村井吉敬+ODA調査研究会『無責任援助ODA大国日本』JICC出版局、1989年。
吉田美穂・渡辺雅行『CBRの手引き パドマニ・メンディス博士講演会記念集』日本CBRネットワーク、2002年。

資料
Philippine Service of Mmercy Foundation PROFILE(2002)。
Philippine Service of Mmercy Foundation パンフレット(2002)。

ホームぺージ
・ 外務省国別援助方針
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/seisaku/seisaku_3/sei_3_15.html (2002 年4月1日)。
・国連
 http://unstats.un.org/unsd/disability/(2002年12月18日)。
・ADI(アジア・ディスアビリティー・インスティテート)
 http://www.dinor.jp/~yukin/(2001年3月1日)。
・ Asian and Pacific Decade of Disabled Persons(国連障害者の10年)
http://www.unescap.org/decade/publications/apdcp/philippines.htm (2002年11月18日)。
・ BALITA-L
http://www.balita.org/ (2002 年5月1日)。
・ Cagayan de Oro At A Glance
http://www.cagayandeoro.cdo.ph/glance/index.htm (2002年11月18日)。
・CBR研究会
 http://homepage3.nifty.com/CBR/(2002年8月4日)。
・Council for Health and Department (CHD)
http://www.compass.com.ph~/chd(2002年11月18日)。
・JICA (国際協力事業団)
http://www.jica.go.jp/global/disability/japan.html(2002年7月16日)。

新聞記事
「アロヨ政権 貧困との闘いに支援を」(朝日新聞、2002年3月12日)。
「障害児持つ母親へ配慮を」(朝日新聞、2002年10月19日)。