日本における地域リハビリテーションの現状についての一考察
       −開発途上国におけるCBRと比較して−
1999年度卒業論文

仏教大学社会学部社会福祉学科
奥田真由実

目  次
序論                        (1)
第一章 近年の地域リハビリテーションの現状 
 第一節 地域リハビリテーションとは         (4)   
 第二節 対象および実施主体           (11)
第二章 CBRの概念と実践例
 第一節 CBRの定義               (17)
 第二節 開発途上国での実践例           (31)
第三章 地域福祉と地域リハビリテーション
 第一節 地域福祉とCBR             (51)
 第二節 日本の地域福祉と地域リハビテーション   (57)
第四章 今後の課題
 第一節 医療主導型の日本の地域リハビリテーション (64)
 第二節 包括的な人間支援を行うために必要な要件  (67)
結論                        (71)
註記                       (73)
参考文献 (79)

序論
 
 私は1993年4月から1996年8月まで、東アフリカに位置するタンザニアに、青年海外協力隊の作業療法士隊員として赴任した。赴任前は、リハビリテーション(以下リハビリテーションをリハと略す)の諸技術は世界共通であり、国内での勤務経験から地域でのリハについてもある程度のノウハウを持っていると思っていた。
 しかし実際に赴任してみると、すぐにその認識の甘さを痛感した。
 病院内ではなんとか治療行為らしきものはできたが、いざ患者の生活圏に出向くと、その問題の多さに圧倒された。健常者にも厳しいインフラストラクチャーの未整備な状態の中で、どうやって彼らが生活していくのか皆目見当もつかなかった。したがって、院内での治療訓練も目的のあいまいなものになりがちだった。なぜ、日本では通じるリハ技術が、こちらになかなか応用できないのかということに苦しんだ。
 帰国後、途上国で盛んに用いられているCBRという概念があることを知った。CBRとは、Community―Based Rehabilitation の略である。一見すると自分のなじんだはずの地域リハと同義にみえるこの概念を学ぶ事により、日本の地域リハの姿が明確になり、かつ隊員時代の苦しみへの回答になるのではないかと考え、本題に取り組む事とした。
 

第1章 近年の地域リハビリテーションの現状
    

 第1節 地域リハビリテーションとは

 地域リハという言葉が日本で盛んに使われ始めたのは、1983年の老人保健法施行後以降である。1992年に開催された第29回日本リハ医学会総会で、地域リハがメインテーマとされ、それまで一部の訪問保健婦や作業療法士(OT)・理学療法士(PT)らによって行われていた訪問リハ活動が、医師らの話題に取り上げられるようになった。   
 それから現在に至るまでの間に、地域リハという言葉は、医療関係者に広く用いられるようになってきた反面、その意味するところに混乱が見られることが、様々な文献に指摘されている。
 伊藤は地域リハ活動を「地域・在宅で生活している障害者を対象に、その生活の場を中心に展開されるリハ。」[1]と定義づけている。ここでは地域を「病院や施設に対置した」[2]場所と定義している。
 また、今田は、「地域に対して展開されるリハ活動すべてを指し、
(1) 病院や施設に対象者を収容して行うサービスに対して、居宅者を対象に行うサービス活動
(2) 通所・通園・通院等の利用施設を中心とする地域活動
(3) 対象が個人だけではなく地域社会とそのシステムに対する活動
などを含むものからなる。」[3]としている。
 1991年、日本リハ病院協会は「地域リハとは、障害をもつ人々や老人が住み慣れたところで、そこに住む人々とともに一生いきいきとした生活が送れるよう、医療や保健、福祉および生活にかかわるあらゆる人々がリハの立場からおこなう活動のすべてを言う。」[4]としている。
 このように、地域リハという言葉ひとつをとっても、「地域」と「リハ」の言葉それぞれが表す範囲と意味が少しづつ異なっている。
 先にも述べたように伊藤は地域を施設以外の場所と定義づけたが、その他の見方の中には「わが国において現実的に地域活動が行われている地域の単位」[5]というものもある。
 また竹内は、マッキ―ヴァ―のコミュニティの定義、「その中で共同生活がいとなまれ、人々がいろいろな生活場面で、ほかのひととある程度自由に関わりあい、このようにして、共通した社会特性をそこに表している生活圏」[6]に沿った「個々の障害者が生活を営む生活圏」[7]という考え方を提唱した。
 地域リハを述べている文献の中での「リハ」という言葉の定義は、「障害者が、各人の機能に応じた最適な生活と社会への再統合をはかるためのプロセスで、設定された一定の目標を目指して、目標達成までの一定の期間行われるもの」(1982年 国連、障害者に関する世界行動計画)に述べられている認識に基づいているものが多い。
 しかしながら実践レベルでは、それ以前の定義であった「リハとは、障害者をして、可能なかぎり、身体的、精神的、社会的および経済的に最高の有用性を獲得するよう回復させること」(1943年 全米リハ審議会)の認識が普遍的であるように感ずる。

 第2節 対象および実施主体
 
 実践レベルでの地域リハの対象者は、何らかの機能障害を持つもので、地域・在宅で生活しているものである。
 現在主要な実践活動を行なっている都市・病院は、その実施範囲にそって大きく全県型・郡部型・都市型などに分けられる。全県型の代表的なものは、兵庫県の県立総合リハセンターを中心とした地域リハシステムがある。[8]
これは、その圏域内で求められる
(1) 患者が発症して、ただちに入院する病院で原疾患の治療に並行して行なわれる急性期の機能再建訓練
(2) これに継続するリハ専門病院(病棟)で入院して行なわれる回復期機能訓練
(3) 病院を退院後自宅から外来へ通院することによって行なう機能訓練
(4) さらに、機能回復訓練を行なう必要のある者が、医療機関以外の市町の保健センター等に通院して行なう維持期の機能訓練
(5) 最後に、自宅において日常生活の中で行なう機能訓練
というニーズにこたえるべく、県内を10の第2次保健医療圏域に分け、そのリハ専門病院の中から、保健・医療・福祉の連携等、協力体制の中核となる病院を地域リハ中核病院として位置付けた。
 その機能は、大きく対象者への急性期リハ、専門リハ、通院リハの実施、市町村保健婦等への機能訓練事業などへの技術指導、圏域内のリハ関係者に対する教育・研修などとされた。基本的にはここで対応するが、そこで対応しきれない重度障害者や重複障害者の専門的医療リハや、職業復帰のためのリハは、県立総合リハセンターが実施するという分業体制をとっている。またここは、各地域の従事者に対する実務研修を実施することによるリハスタッフの育成、技術や医療機器の研究開発、情報の地域への提供などの、地域機能訓練活動を実践している。
 郡部型地域リハの代表的なものは、広島県の御調町における地域包括システムがあげられる。[9]
 ここの最大の特徴は、縦割り行政の弊害を防ぐ目的で、1984年公立みつぎ総合病院内に健康管理センター(現在は保健福祉センター)を設置して、役場の保健、福祉、国保および老人医療担当部門を移管している事である。そのことにより、病院入院時から自宅退院に至るまでのプロセスに、保健・福祉分野のサービスを一元的に利用できる仕組みとなっている。
  以上に挙げたものが、日本における地域リハの概要であるが、今度は途上国におけるCBRについて言及したい。
 

第2章 CBRの概念と実践例

 第1節 CBRの定義

 CBRの日本語訳に前述の地域リハをそのまま用いることもあるが、その実質が異なることから様々な訳語がある。
 中西は、「地域に根ざしたリハビリテーション」[10]と訳し、小林は「地域主導型、地域住民参加型、または社会資源開発型リハビリテーション」[11]と訳している。
 CBRという名称は、1976年にWHOが「障害の予防とリハビリテーション」に関する総会決議を行った際初めて使用された。
 CBR活動の始まりは、プライマリ―・ヘルス・ケアの一環として、医療サービスが未整備な開発途上国において、より多くの障害を持つ人にリハサービスの機会を行き渡らせるための戦術として実施されたことである。
 開発途上国では人口の70%が農村部に居住しているので、この地域に暮らす障害者は専門機関でのリハサービスを受けることが困難である。そこで、その地域にある人的・物的社会資源を利用して、より多くの障害者にサービスを提供するために、CBRが開始された。[12]
 同時に、これまでの先進国からの援助は、金・人・物の供与のみが中心だったが、その手法が新しい依存や従属関係を生み出したという反省に基づき、CBRには地域開発の視点も盛り込まれている。すなわちその地域にある人的・物的資源を有効活用し、新しいシステムをそこにあるものから立ち上げて行くというものである。
 明確な定義づけが行われたのは1981年のWHOリハ専門家会議においてである。そこでは、「障害者自身やその家族、その地域社会の中の既存の資源に入りこみ、利用し、その上に構築されたアプローチ」[13]と定義された。
 その当時のCBRは、
(1) 障害者の生活の質の向上
(2) 経済的で実行しやすい技術の譲与
(3) 地域社会の意識の向上
(4) 障害者のエンパワーメント
を目的としている。[14]
 基本的実践方法としては、地域に住む都市のリハサービスを受けられない障害者に対しての訓練担当者(Trainer)として、障害者自身あるいはその家族や地域のメンバー(ボランティア)にやり方を指導するものであった。
 訓練担当者の指導には、地区担当者(Local Supervisor)があたる。地区担当者には、地域の保健・福祉職・教員など、一定の教育歴のある人が選ばれ、第一レベルの指導者として訓練担当者の研修、指導を受け持つ。その上には中間指導者(Intermediate Supervisor)が置かれ、地区担当者の指導にあたる。中間指導者は、地域リハについての特別な訓練を受けたセラピスト(Specialized Community Therapist)あるいは地区医師が担当する仕組みとなっていた。途上国のようなリハ専門職が不足しがちな所では、地域看護婦などの関連職が担当することになっていた。[15]  
 1984年後半には、CBR概念の普及に伴い、WHOの定義以外の様々な解釈に基づく実践が行われた。
 すなわち、特定の障害のみを対象にするものや、リハ専門家や関連職種が在宅まで出向いて訓練を提供するアウトリーチ活動など、地域を巻き込むという要素に欠けるものなども増えた。
 ゆえに1994年に国連三機関(WHO・UNESCO・ILO)合同で「CBRとは、地域開発におけるすべての障害者のためのリハビリテーション、機会の均等、社会への統合のための戦略である。CBRは障害者自身、家族、地域社会の共同の運動、そして適切な保健、教育、職業、社会サービスによって実施される」という共同指針が打ち出された。[16]
 これまで障害の問題に触れるとき、障害と障害者の問題を障害者個人に還元する図式がほとんどであった。しかしこのCBRの考え方は、地域社会の問題と捉え、地域開発課題として問題解決方法をさぐるという視点の違いがある。
 以上のようなWHO主導型のCBRのほかに、途上国での実践の中から組み立てられた理論もある。
 途上国での代表的な活動例は、インドネシアのソロ市にあるCBR開発訓練センターでの、1970年代後半から医師であるハンドヨ氏によるCBR理論の展開と実践が挙げられる。彼は、CBRとは障害をなくしたり克服したりするのではなく、可能な限りの障害予防と障害者のリハを地域社会で発展させる活動とし、地域社会が主体的に障害者の問題に理解を示し、障害者の生活の質的向上を求める『地域社会づくり』であるとしている。[17]またCBRを、大規模な施設や病院で提供されるサービスの対極に位置するものではなく、それらの施設をCBRで活用していける社会資源の一部として取り込み、照会してゆくことも重要な機能であるとしている。
 もうひとつの例では、メキシコ西部山岳地帯で展開されたデビット・ワーナー氏によるプロジェクト「プロヒモ」が上げられる。ワーナー氏はその著作「Where There is No Doctor 」や「Disabled Village Children」で広く知られている人物である。[18]ここでの実践の特徴は、小さな単位の地域で障害者を巻き込んでの活動を展開することである。政府主導型で行われるCBRは数多くの障害者にサービスを提供できるものの、ヒエラルキーに則した方法でおこなわれるため、障害者が決定権をもてるまでに至らない。しかし、プロヒモのような小規模地域プログラムは、障害者を中心に実施されており社会参加を実現しているため、CBRの成功例として注目されている。この内容についても2節で触れたい。
 そして今日、日本でも盛んにCBRは研究されている。
 中西は、CBRと自立生活運動(Independent Living )の類似性を指摘している。[19]それは、前述したCBRの考え方の中で社会が障害者に合わせて変化するという点と、障害者の人権問題を関連付けて考えたものであるが、現状ではとくに開発途上国においては障害者への教育の機会が乏しく、意識も高まっていないので、障害者が自己決定権を主張するまでに発展していないことを問題視している。
 このようにCBRは、地域を対象としているためその特性が反映されており、解釈も様々である。
 2節では、実際どのように運営されているかを述べる。

第2節 開発途上国での実践例

 WHOのCBRマニュアルによる基本的な実践方法は、以下のとおりである。[20]
(1) その地区におけるCBR委員会の結成。
(2) 定期的奉仕が可能なCBRワーカーの募集、選考および図解されたCBRの手引き書を参考とした専門家による訓練の実施。
(3) 障害者のニーズ調査を実施。(兼PR活動)
(4) 試行プログラムの計画および実行。
(5) 地域で手に入る技術、材料を使っての補装具、自助具製作の実施。
(6) 正しい障害者観や障害予防の知識を育てるための啓蒙キャンペーンの実施。
(7) 障害者の雇用の促進。
(8) 障害者の自助団体を育成。
(9) 評価およびフォローアップ。
 だが、実際はこのマニュアルに忠実にそって行なわれているわけではなく、その地域により実践方法は様々である。
 数あるCBRプロジェクトの中で、10年以上実施の歴史を持ち、インフラストラクチャーを含む地元資源を活用し、障害者の社会サービスや保健、教育などの一般向けサービスの利用を可能にし、必要であればリファーラル制の専門的なリハ、訓練、相談事業へのアクセスを保障しているいくつかのプロジェクトの概要を以下に述べる。
(1) フィリピン バコロッドでのCBR
 フィリピンの中で四番目に大きい島ネグロスは、日本の四国の7割ほどの面積で、主産業は砂糖生産だったが、1984年の国際市況の低迷以来貧困がはじまり、1997年の時点でも飢餓状態に対して国際的救援活動が行なわれている。
 バコロッド(Bacolod)は西ネグロス県の県庁所在地で、当時の人口は193万人、そのうち63%が農村部に居住していた。ここでのCBRの成り立ちは、障害者に関する全国委員会(政府の障害問題調整機関)がWHOからCBRの情報を入手し、農村の障害者にもリハをと、フィリピン総合病院から整形外科医の協力を得て1981年より試験的に開始したことに始まる。[21]
 その翌年、中間レベルの統合的サービスと、中央レベルの専門的サービスの両方を提供する機関として西ネグロス・リハビリテーション協会(以下NORFIと略す)が設立され、現在に至っている。
 初期はWHOのマニュアル[22]に基づいて、移動、視覚、聴覚、言語、学習能力における問題、発作、手や足の感覚喪失、異常行動などの8つの障害をもつ人が対象とされた。対象者の大半は子供で、ネグロスのバランガイ・キャプテン(村長)によって選ばれたCBRワーカーとしてのボランティア(LS:ローカル・スーパーバイザーの略)は、障害児の母親だった。まず1週間ほど専門家より訓練を受けた後、3人の障害者が割り当てられた。彼らの経歴や病歴を記したカード作りからスタートし、週1回のマニュアルに基づいた勉強会を2ヶ月間継続しながら活動が展開された。問題がある程度解決し状態が向上したと評価された障害者の訓練は終了され、LSは別の障害者を担当した。2年間の実地経験を経てLSの成績は向上し、担当障害者の数も増えて行った。地域資源の有効活用をすすめるために集中的な情報キャンペーンや啓蒙キャンペーン、資金作りが開始され、LSによる会議も開催された。政府や民間団体との協力や調整に力がいれられ医療機関や特殊学校など地域に無い機関へのリファーラルが進められるなど、CBRの活動範囲が拡大していった。
 ここでの5年間の試行期間を経て、CBRプロジェクトは4都市6町村に拡大していった。それに伴いサービス対象となった障害者の数も増加したと報告されている。[23]
 また、この発展に付随して医学的リハを終了した障害者に継続しての援助を行なう必要性が生じてきた。そこで医療面以外のサービス、すなわち所得創出プログラムや福祉機器製作の店(障害者自身が運営)、障害者の自助団体、特殊教育センターなどが派生していった。
 このプロジェクトの成功点は、長期間に渡り継続していること、現地政府およびNGOグループによって運営されている事、そして障害者が訓練のあとに社会参加できる機会がプログラムとして設けられていることである。
(2)  インドネシア ソロでのCBR
 ソロでのCBR活動は、インドネシア障害児ケア協会(YPAC)のハンドヨ・チャンドラクスマ医師により、中部ジャワ州のこの地を中心に1978年に在宅訪問がはじめられたことがきっかけである。[24]
 1982年には地域活動として成人障害者にも対象が拡大され、ボランティアをサービス提供者としている。
 現在のインドネシアにおけるCBR活動の中心となっているCBR開発・研修センターは、1989年にスハルト大統領夫人の寄付によってソロ市に開設された。
 ここでは障害を、医療的問題ではなく社会関係的問題として捉えており、アプローチが必要なのは障害者本人のみでなく、本人を含む地域社会であるとしている。したがって障害者が、既存の施設や機関にアクセスできているかどうかを重視している。
 具体的には、全国に179ヶ所ある授産所のロカビナカリヤ(LBK)で、3ヶ月間訓練を受ける。その内容は、ボランティアのワーカーが訪問調査、職業訓練、ガイダンス、識字教育、啓蒙活動を行ない、障害者が制服縫製、手工芸、鶏やあひるの飼育、ラジオや自転車の修理、床屋、小物店、下請けの自営業をはじめることを目的としている。LBKで足りない知識や技術はMRU(移動リハユニット)で補う。MRUはそのほかにも遠隔地への巡回事業も受け持っている。
 これらの訓練を終了した障害者は、27州4,040ヵ所にあるKUPという共同事業に就労する仕組みになっている。開業に必要な機材購入費のみは社会問題省からでるので、5〜10人の障害者が集まって雑貨店や車椅子の製造、電気修理、マッサージなどの店や作業所を開いている。
 このプロジェクトも、前述のフィリピンのものと同様な成功点が挙げられるが、その上に障害を個人の問題のみに還元しないという視点が明言されており、取り組まれている点が独特である。
(3) メキシコ プロヒモでのCBR
 このプロジェクトは、1981年に西メキシコの山中の人口約1,000人からなる、小さなアホヤという村で開始された。プロヒモ(PROJIMO)の名は、「隣人」という意味をもつが、同時にスペイン語アルファベットの略語で、正式には「メキシコ西部の障害者の若者によって組織されているリハビリテーションプログラム」という意味である。[25]
 このプロジェクトのフィールドワーカーには、障害者が多数雇用されている。
 このプロジェクトの実践の中から生まれた有用な技術をまとめたワーナー氏の著書、「Where There is No Doctor 」や「Disabled Village Children」は、WHOのCBRマニュアルを補完する形で世界各国の現場で用いられている。
 このプロジェクトは、他のCBRプロジェクトと以下の点で異なると、D・ワーナーは述べている。[26]
* プロヒモは、村人によるプライマリーヘルスケアから派生し、現在もこれと緊密な連携を保っている。
* プロヒモは、ビレッジリハビリテーションセンターを中心に、障害者やその家族が補装具のデザイン・製作に参加し、様々な技術を習得し、互いに助け合い、学ぶ場所を提供する。
* そこでのサービスは障害をもつスタッフによって提供され、また、補装具も彼らによって製作される。その技術は、徒弟関係や相互学習、あるいはボランティアのリハ専門家や技術者から教えられ、学んだものである。専門家や技術者の短期の訪問では、彼らは直接サービスの提供に関わるのではなく、スタッフに技術を教えることに限定されている。
* プロヒモの経験をつんだ障害者のワーカーの技術および問題解決の技能は、多くのCBRプログラムのコミュニティレベルワーカーのそれよりも高度であると思われる。なぜならプロヒモのワーカーは様々な障害をもつリーダーたちとともに問題に取り組んできたからである。そのため、彼らの提供するサービスおよび製作する補装具のほうがおおむね質が高い。実際、彼らが製作した補装具や機器のほうが、時には都会の規模の大きいリハセンターでできたものより障害者の個々のニーズに合致し、効果的である。また、コストも安くできる。
 プロヒモでは、障害者自身が組織の運営者として前面に出ていることにより、よき役割モデルとしての機能を果たしていることが最大の特徴である。
 近年のアプローチは、医学的な技術面にとどまらず、住民の組織化を図って社会運動を起こし、疾病や障害の根本的な原因となっている貧困や社会的不平等の問題にも取り組んでいる。
 以上がCBRの概要だが、今度は日本のなかにこの動きに該当するものがあるのかどうかを検証する。

 第3章 地域福祉と地域リハビリテーション

 第1節 地域福祉とCBR

 障害者の社会参加をサポートする重要な機構で忘れてはならないのが福祉の分野である。
 近年、社会福祉の分野で、「地域福祉」という考え方が広く用いられている。それは、社会福祉の対象となるような生活上の困難が、個人の努力で解決できる範疇のものではなく、地域社会を含めて解決策を立てていかねばならないものという認識がもたれるようになったからである。
 地域福祉の着眼点は、これまでのような福祉対象別に分けられたアプローチではなく、地域社会の社会構造や社会関係の欠陥に着目して進められるものである。この着眼点は、前述した日本における地域リハ的発想よりも、よりCBRに近いものである。
 岡村は、地域福祉における「地域」の意味するところを、単なる地理的・空間的区分ではなく、その人間関係の傾向によって変化する機能を持つ共同体とした。[27]その傾向とは、
(1) 封建的な服従=支配関係のもとでの帰属意識とそれにもとづく相互的扶助のおこなわれるような「ムラ的地域共同社会」
(2) 住民相互が無関心であって、ただ個人の利益だけを追求する「無関心型地域社会」
(3) 個人の権利意識の自覚はもっていても、現実の生活の場において、みずから生活を向上させるような協同的・主体的行動をとることをせず、単に権利を要求する「市民化社会」
(4) 個人の権利意識の自覚をもちつつも、なお地域社会において自主的に生活要求に応じる協同的活動をおこなう「コミュニティ型地域社会」
である。
 近年のCBRは、単純に医療過疎地にリハサービスを配達するだけの戦略ではなく、「地域開発」の視点が加えられていうのは前述した通りだが、その際に目指す地域の姿は、岡村の分類[28]によるところの「コミュニティ型地域社会」に共通点がおおい。それは、完全ではないが障害者の地域での生活を援助するという目的で、その地域の当事者および住民が権利意識を自覚しつつ活動に携わるといった構造をしているからである。
 この「コミュニティ型地域社会」の構築が、近年の地域福祉的課題となっている。
 そのための実践として、「コミュニティ・サービス」という考え方がある。
 これは、まず予防的諸方策により疾病および障害をあらかじめ制し、必要に応じて施設収容をもふくめたコミュニティ・ケアを行なうというものである。また、地域住民の健康教育や、障害者を地域社会の構成員として受容し、支持するような態度の変容、さらには地域社会における各種の関係機関のサービスを調整・協働させる地域組織化運動を含む。
 これはまさにCBRの近年の活動方向と重なる部分の多いところであるといえよう。

 第2節 日本の地域福祉と地域リハビリテーション

 地域リハの視点と地域福祉の視点を比較して、地域福祉のほうがよりCBRに類似していると考えられるのは、現在日本で行なわれている地域リハが、病院を母体に行なわれる障害者本人へのアプローチであるのに対し、地域福祉の視点はその問題の発生している地域社会に焦点を当て、その構成員と共に関わっているという点にある。
 前述の通り地域リハは、医療関係者が運営の主導権を握っており、この中での当事者の役割は、「治療されるべき人」のニュアンスが強い。障害発生に係る原疾患の治療にあたる場合、対象者もその役割を望む事が多いが、慢性期の場合には終わりのない治療的訓練を提供されつづける可能性がある。
 本来のリハの意味からすれば、対象者が各人の機能に応じた最適な生活と社会への再統合をはかる過程であるから、地域福祉の動きもリハに包括されるといえよう。しかし、日本における「リハビリテーション」とは、医療職によって行なわれる機能訓練的アプローチのイメージから脱却しきれていない。そして、地域での生活課題にあたるには、機能訓練をベースにしたアプローチのみでは不充分なことはこれまでに述べてきたとおりである。
 また、社会的視野の狭さから「地域」の捉え方も、地理的・空間的な範疇から脱却しきれておらず、その構成人員の関係についての考慮がなされていないのが現状であろう。
 日本での「地域リハ」を概観すると、その掲げる理念と実践に大きな開きがあるように思える。
 では、実際現在行なわれている地域リハは、障害者へのアプローチとしては有用性はないのであろうか?
 地域福祉と現行の地域リハは、次元の違うものであり、現行地域リハは地域福祉の資源のひとつとして包括されるものであると考える。
 そして本当に検討すべき問題となるものは、福祉分野の選択肢の貧困さである。
 すなわち、医療については比較的選択肢が増えてきているが、身体的・精神的障害を持ちながら日常の生活を地域で送るには、支援資源の選択肢が貧困なのである。比較的近年充実し始めた老人分野でさえ、生活の基本中の基本である日常生活介護や家事援助など、最低限度の生活を支える資源が不充分である。
 又、現代の老人分野では、ただ生きるのみで無く、生きる喜びを感じられる援助が求められている。その点においても、疾患を中心として考える医療の視点よりも福祉の課題に適当であると思われる。
 その他の身体障害者や精神障害者に対する援助メニューに関しては、老人よりもさらに遅れが目立っているのが現状である。

 第4章 今後の課題

 第1節 医療主導型の日本の地域リハビリテーション

  これまでに述べてきたように、日本での地域リハは、その語感の持つイメージに基づいて短絡的にCBRと結びつけられがちだが、内容は異なるものである。これは、リハという概念が日本に導入される際、医療系の専門職の活動を通じて普及していったことにも由来する。
 日本の保健・医療・福祉施策のバランスをみると、医療偏重になっており、その反省のもとに近年、福祉基礎構造改革が実施された。
 前章で述べたとおり、医療を中心としたアプローチは、地域福祉の中に包括されるものであるから、その他の福祉サービスの充実を図り、医療との均衡を保つようにしてゆく必要性が大きいといえる。
 高齢者をめぐる現状では、介護保険の導入に伴い、徐々にケア資源の整備がすすんできている。反面、要介護度の判定により、利用できる資源を制限されるなど、個人の意思を尊重した環境づくりとは逆行した対応がある点が問題であると考える。
 老化という、誰にでも訪れる現象に対し、保険方式をとることの妥当性を再検討する必要性もあろう。
 また、若年障害者や精神障害者への援助が後手に廻っており、今後は同様にこれらの人へのケアシステムが成熟してゆくことが必要であろう。
  また、障害者自身の意向がプランに反映されるという構図が、未だ十分に浸透していないのも事実である。

 第2節 包括的な人間支援を行うために必要な要件
    
 開発途上国と呼ばれる国では、医療体制が農村部まで行き渡らない状態から、障害者の社会参加についての活動を始めた。当初は機能訓練の末端までの配達的要素が強かったが、それでは問題解決に行き着かないと言う結論から、多くのプロジェクトが社会開発の視点を採り入れた方向転換を行なっている。
 その過程から見えてきたものは、奇しくも進んだ医療システムを持ち、物質的に恵まれた日本社会でも行き詰まっていた、障害者の社会参加の方法論であった。途上国では既存の医療システムが無いだけに、様々な形の可能性を提示している。
 一方的にサービスの受け手となるのではなく、社会に参加し、サービスの提供者となる場所づくりに力を注いでいるのは、どの成功しているプロジェクトにも共通している点である。
 近年、国際障害分類(ICIDH)の内容の見直しが始まっている。インドネシアのハンドヨ医師が提唱したように、「障害」は個人の問題ではなく、個人と周辺環境との不協和であるという捉え方が、今後は主流となっていくであろう。
 そのときに必要となるのは、治療ばかりではなく、なんらかの機能不全を持ちながらもその人らしく生きられるような支援体制作りであろう。
 サービスの量や種類もさることながら、最も重要な事は、そのサービスに当事者の意見が反映されているかどうかであると考える。
 現在の日本は、高い技術レベルの医療を備え、新しい保険制度で保健・医療・福祉分野の統合を図るというプロジェクトを始めた段階である。この体制を更に有益なものにするためには、サービスの提供者が享受者に指示をだすような構図ではなく、必要な情報をわかりやすく提供し、享受者に選択できるようなシステム作りをしてゆくことが必要であろう。

 結論

 これまでに述べて来た内容から、やはり地域リハとCBRは同義ではないといえる。日本の地域リハは、以下の点をCBRの視点から学ぶべきであると考える。
@ 障害を、その個人の身体的機能不全を中心に捉えるのではなく、その属性を持った個人と環境の不協和として捉える。
A 現在サービスの享受者のみになっている人々が、サービスの提供側に廻れるような様々な環境整備を行なう。

 今回この研究を通じて、協力隊員時代の自分に欠けていたものは、対象者の社会関係的問題への視点であったことがわかった。
 この作業を通じて学んだ事は、途上国といわれる所のみでの話ではなく、そのまま日本の臨床に応用可能であると考える。今後の現場に生かしてゆきたいと思う所存である。

註記
1 伊藤利之 『地域リハビリテーションマニュアル』三輪書店、1995年、3頁
2 同上、3頁
3 (著者名)『リハビリテーション白書 第2版』、2頁
4 澤村誠志「地域リハの現状と課題」
澤村誠志『地域リハビリテーション白書‘93』三輪書店、1993年、23頁
5 (著者名)、前掲書、16頁
6 竹内孝仁「地域リハの本質」
澤村、前掲書、17頁
7 同上
8 澤村誠志「全県型(兵庫県)」
澤村、前掲書、126頁−133頁
9 林拓男「郡部型(御調町)」
澤村、前掲書、160頁−165頁
10 中西由紀子「途上国の発達障害児・者のインクルージョンのためのCBRの役割」
『発達障害研究』第18巻3号、1996、191頁
11 小林明子「CBRに学ぶ−日本の障害分野の地域実践への一考察」
『発達障害研究』第18巻3号、1996、171頁 
12 石渡和実「アジアにおけるCBRの実践と日本のリハビリテーション」
『発達障害研究』第18巻3号、1996、163頁−164頁
13 中西由紀子、久野研二『障害者の社会開発』明石書店、1997、23頁
14 同上、33頁
15 伊藤、前掲書、8頁−9頁
16 小林、前掲論文、175頁
17 同上、177頁
18 中西、久野、前掲書、51頁
19 中西、前掲論文、197頁
20 中西、久野、前掲書、39頁−47頁
21 同上、70頁
22 同上、127頁
23 中西、前掲論文、200頁
24 中西、久野、前掲書、81頁−86頁
25 JANNET『JANNET設立5周年記念セミナー−21世紀におけるCBRと国際協力−パンフレット』、1998、19頁
26 David Werner:Nothing About Us Without Us:Helthwrights,1998.P.2
高嶺豊「アジアのCBR展望における障害者の役割−Noting About Us Without us−」『発達障害研究』18(3):182―190,1996.
27 岡村重夫『地域福祉論』
28 同上、

参考文献

伊藤利之 『地域リハビリテーションマニュアル』三輪書店,1995.
澤村誠志『地域リハビリテーション白書‘93』三輪書店,1993.
小林明子「CBRに学ぶ‐日本の障害分野の地域実践への一考察」『発達障害研究』18(3):171‐181,1996.
中西由紀子、久野研二『障害者の社会開発』明石書店、1997.
JANNET『JANNET設立5周年記念セミナー −21世紀におけるCBRと国際協力−パンフレット』6‐7,1998.
岡村重夫『地域福祉論』光生館,1974.
David Werner:Nothing About Us Without Us:Palo Alto USA:Helthwrights,1998.
高嶺豊「アジアのCBR展望における障害者の役割−Noting About Us Without us−」『発達障害研究』18(3):182―190,1996.
澤村誠志『地域リハビリテーション白書2』三輪書店,1998.
小林明子『アジアに学ぶ福祉』学苑社,1995.
中西由紀子「途上国の発達障害児・者のインクルージョンのためのCBRの役割」『発達障害研究』18(3):191−200,1996.
石渡和実「アジアにおけるCBRの実践と日本のリハビリテーション」『発達障害研究』18(3):161−170,1996.