Thailand  Bangkok / Pattaya 報告書
2003年 1月27日〜2月3日

≪CBRにおける当事者開発の重要性≫
〜タイ Bangkok / Pattayaにおける障害者ピア・カウンセリングセミナー&セッション〜

                      立教大学コミュニティ福祉学部 丹羽一恵

 
はじめに  セミナー参加への動機
1 タイ障害者の現状
   ___ 資料から見て
   ___ 実体験を通して
   ___ タイの自助活動
2 2002年ピア・カウンセリングセミナー
   ___ セミナーの目的
   ___ ピア・カウンセリングの有効性
   ___ 事例;セミナーを通しての変化
3 今後の発展性
  ___ タイ式のIL活動を広げていく意識
  ___ CBRの原動力
  ___ 障害領域の拡大
終わりに  ☆★私の願いと期待★☆


はじめに 〜セミナー参加への動機〜

 一般に途上国といわれる国における障害者の現状に興味を持ち、幸運にも大学の講師として出会う機会を得た中西由起子先生に紹介していただき実際のCBRをフィリピンで見る中、もっとも感じた点は障害当事者自身の意識とそこに向けられる周囲の意識であった。そこで今回のセミナーの内容を伺った際には是非、タイでのピア・カウンセリングの紹介の様子を見たい!と図々しくも同行させていただいた。今回のセミナーとセッションにあたりいきなりのぶしつけなお願いを快く受け入れてくださった中西先生、そして滞在中になにかできることがあればと手伝う気持ちであったはずが面倒ばかりをおかけしてしまったヒューマンケア協会の皆様に心から感謝いたします。この貴重な経験を自分なりに最大限に生かせるよう今後もCBRへの興味をより深めていこうと考えます。

1 タイ障害者の現状

 (1) 資料から見て
 まずタイでの障害当事者の現状とはどのようなものであるか?「目的」の文でも述べたように、障害者に対する社会的意識はまだまだ非常に低いものである。最初に背景となる国・政府としての動きをみてみる。1991年、立案から15年のときを重ねて障害者社会復帰法を制定し、タイは途上国において障害者のリハビリテーションに取り組む数少ない国のひとつとなった。その法によって障害者に対する主に7つのサービスが受けられることとなり、その内容は@医療、及び身体的・精神的・心理的リハビリテーション A義務教育、職業教育、および高等教育の保障 B障害者教育の保障 C職業訓練と相談助言 D障害者がアクセスできる建物等、環境の整備 E法律扶助、政府機関との折衝の援助 F障害者社会復帰基金による経済的援助 である。そしてこれらのサービスを受けるためには障害者登録をする義務が伴う。この障害者登録は1999年6月現在で21.4920人。これはタイ保健省により推定される障碍人口から考えると全障害者の5%以下と推定される。この低い数値の理由として登録の対象が5段階のうち障害の重い3〜5級の人に限られること・政府の病院が無料で利用できるが公共施設へのアクセスに問題がある・病院やサービス提供の場が混雑していて利用しにくいなど登録をしてもあまり利点がないことが考えられる。

(2) 実体験を通して
 アクセスの問題に関しては実際に今回の訪問で車椅子を利用してバンコクの街中を移動したことでその障害を痛感させられた。手動車椅子2人・介助4人・アシスタント1人の構成で2kmの道のりに1時間半という時間を要した。市内におけるバスは車椅子への対応がないため歩いての移動であった。日本で車椅子の扱いになれたベテランの当事者・介助者であったが、道の至る所にある段差・穴・石、路上に所狭しと並ぶ屋台(仕方なく車道を進んだりもした)、広い道路には歩道橋があるが当然スロープはない、とバリアだらけのうえ、さらに信号機はなく車もかなりのスピードで走っているため危険が大きい。すれ違う人はまさか車椅子が通るとは思いもしなかったかような雰囲気で実際街中において私たち以外の車椅子を見かけることはなかった。タイの障害者はその半数以上が身体障害で約2割をしめる視覚障害と合わせると全体の4分の3を占め、身体障害の多くが中途障害であること。さらにその原因が交通事故・銃など犯罪に巻き込まれて・仕事場での事故など環境によるものであることがその町の様子からも伺えた。環境によって障害が生まれ、環境によって障害者の権利が殺される。この状況から街中に障害者が出られない現実が経済的格差に関わらず問題となっていると考えられる。今回のセミナー参加者のうちにも長年(中には30年も)自宅から出ることができなかったという方、家族は当事者がセミナーやセッションの場に行くことにかなり反対していたという方が多くいたが、にたとえ家庭が裕福でも障害を持つことで生活に「自分の夢さえ語ることが許されない」というような制限がつけられてしまうのが現実だ。これには背景に家族関係を非常に重視するタイ文化の思想も重なり、障害者が地域の中でいわゆるほったらかしの状態になってしまっている現状をもたらす。もちろん経済格差によって貧困に苦しむ人にとって生活により悲惨さを伴ってしまう面も否めない。貧困が原因で育てることができなくなり捨てられるケースもざらにあり、バンコクの街中を歩いていると、道路の隅・歩道橋の下などさまざまな場面で鈴を鳴らしたりマイク片手に歌を歌いながら空き缶や箱をもって小銭を入れてもらうことを待っている障害者の姿に出会う。お金を待つ人々は以前フィリピンでの都会を歩いたときにも見かけたが、タイのほうがそのほとんどが障害者という印象を受け意識の低さを実感した。私が見た中で多くは視覚・身体の障害であったように感じたが中にはCPと思われる少年が寝返りさえできないまま道路に横たえられ、その横にいくらかの小銭が入った缶がおかれていた。ただ黙って誰に触れられることもなく、しかしそこには確実にひとつの命が在った。彼の場合は自ら動くことさえできなかったが(いやもしかしたらできたのかもしれないが)危険だらけのバンコクではたとえ歩けたとしてもどうすることもできないだろう。結局は同じ檻の中といった感じだ。以前にこうした障害者を朝に道なかに置き去りにして夕方に集まったお金とともにどこかへ連れ帰っていくことをしている商売人(?)がいると聞いた。彼らにとって障害者はまさに哀れみの対象のみの存在ではないだろうか。これらの現状をみると整備されてきたといわれる政策は、実際には障害当事者にまでサービスが届いていない、また現段階ではニーズの把握の時点で不足していることがうかがえる。公的サービスではその手が届いていないといえる。

(3) タイの自助活動
 ここまでタイでの障害者問題を挙げてきたが、タイのなかでも一部ではあるが障害当事者による積極的な運動がおこなわれてきた。現地で長年活動をなさっている方に伺ったところ当事者による運動は1980年からおこなわれ始めたそうだ。きっかけは視覚障害の方による運動であったが障害種別を問わない当事者同士のつながりとなるDPIが作られてからは当事者運動の強力なリーダーが生まれてきた。またタイにおいては国内外のNGOによる活動が盛んで、これまでにも質の良いサービスを提供する施設が挙げられたりもしている。(資料)しかしこうした活動は草の根的に行われてきたものの全体としての動きは細々としたもので、当事者主体の自立生活(=Independent Living)を理念としたプログラムは、昨年のヒューマンケア協会とのセミナーからのスタートであった。そのためサービスは情報を得ることのできる一部の障害者に向けられ、都市・農村の貧困地域で本当に必要とされるニーズはまだまだ表現さえされていないといえる。またその環境から当事者側に自分の権利として主張していく考えが少ないため現段階では当事者の声はあまりにも小さい。

2 ピア・カウンセリングセミナー

(4) セミナーの目的
 このような社会意識の開発の遅れから、経済的に発展途上といわれるタイ国において障害者はまだまだ“助けてもらう者”“役に立たない存在”といった認識を強くもたれるものである。また障害を持つ本人にとって自分自身が「地域・家族の中で迷惑をかけている存在、重荷」として本来持っている力さえも発揮できないままに自殺を考えるほどに悩み苦しんでいることが多くある。そういった中で障害当事者にとって自立生活とはなにか?自分らしい生き方・生活の送り方・考え方をどのようにもっていくか?そして自分の存在はこれまで気づかなかった、あるいは周囲に奪われてきた力をどれほどもっていることか。今回のプログラムはセミナー・セッションを通してタイの当事者が肌でそれを感じ、考え、さらにタイ国における障害を持つ仲間たちにタイ式自立生活として広げていけるようにそのきっかけとなることを目指したものである。プロジェクト全体としては昨年を始めに3年計画であり、今回はその第2段階となる。昨年の「自立生活とはなにか?」という内容をさらに発展させるうえで必要と考えられる相談・問題発見の手法、ピア・カウンセリングを伝えるセミナーとセッションがおこなわれた。またこれらの計画が障害者自身のエンパワメントと地域における自立を目指すものであることから地域そのものを活動の基盤として考えている。さらに今回のセミナー・セッションの特徴としては、昨年から動き始めた地域のIL活動の実践者(彼らはこれまでにも当事者としての意見を主張してきたリーダーである)と彼らからILの概念などを聞き触発されたがこれまで外の世界に触れる機会のほとんどなかった住民という異なる背景・意識を持つ当事者とがほぼ同数で同じ空間において参加した点が挙げられる。これはすべての障害者が向き合う人との「対等」の意識を持つ力を地域に広げる際に重要な意味を持つ要素と考えられる。

(5) ピア・カウンセリングの有効性
 今回のプログラムにいたる前提として、昨年からの自立生活運動の実践がある。(資料)その活動のなかで当事者運動にかかわってきたすべての人が、日本とは文化的・社会的背景は違うタイにおいても自立生活の概念普及と当事者による発言の拡大、また障害者自身の自己認識を変えていくことが非常に有効であると考えるにいたった。これは自分たちが動かなければこれまでそうであったように何も変化が期待できないこと。そして動き始めたらうまくいくか否かはわからなくとも周囲が変わり始めるということが実感できたためであると考える。しかし同時に自己認識の変化をもたらすには実践報告のなかで家族関係の問題が最重要に挙げられたようにあまりにも周囲からの偏見が根強いために自殺にいたるほどの精神的苦痛を伴ってしまうケースもあり、活動家たちにとってはそうした闘いにおける当事者の精神的サポートの必要を強く感じてきた。そこで今回のテーマに個人の尊厳と自己信頼を回復するピア・カウンセリング(以下ピアカン)という手法が持ち込まれたことに関係者は大いに興味を引かれたようだ。こうした十分な動機を持ちセミナーがはじめられたわけだが、初日・2日目とはじめのうちはまだ自分に対して、また活動自体に対する不安が残っていた。しかしセミナー終盤においてはいかにして自立生活、ピアカンをタイ独自の形にしていくかというところまでがタイ側から積極的に話し合われるようになったことなどからこれからへの大きな期待へと変わった。もとはアルコール依存の方から始まったピア=同じ背景を持つ仲間によるco-counseling(お互いに、協調して行うカウンセリング)のピアカンはなぜ当事者開発に有効であるのか?セミナーで秋山専門家・中原専門家からいただいたお話を簡単にまとめる。
 ピア・カウンセリングの目的・・・「自己信頼の回復」「人間関係の再構築」「社会の変革」
  方法・・・「カウンセラー・クライエントとしてお互いに時間を対等にシェア」「プライバシーを守る(話の内容への守秘義務)」「アドバイスをしない」「相手を否定しない」これらは必須条件でさらに極力「アルコール・カフェイン・タバコを取らない」
 これらの原則に基づいてカウンセリングに参加した人が自分自身で問題の発見と解決する力を見つけていくのがピア・カンである。ピアカンは個人としての力を信頼することが大前提で、そこからこれまで否定してきた自分への価値を変え、周囲への主張へと発展していく。最大の特徴は「対等」な関係であり、そこには他のカウンセリングで感じるカウンセラーとクライエントの役割的な差はない。まさに個人の開発である。今回のセミナーにおいて、昨年からのかかわりを続けてきたいわゆるリーダーたちと地域の中でこれまで外に出ることさえなかった人とが同じ空間を共有したということがピア・カンの手法だからこそ大きな意味を持ったと考える。ピアカンを通してリーダーたちが自身の問題をしり、新しく外にでていく人々に自己信頼と対等に人と向き合う意識が生まれた。そしてこれからタイで実際にIL活動を広げていくのが彼・彼女らである。

(6) 事例;セミナーを通しての変化
 (実践の中で悩んできたリーダー)
リーダーが地域の中の障害者たちに活動への参加を呼びかける中で、自立に向けた目標設定や自分の夢を語ることが上手くできない当事者が多かった。そこでどのように働きかかればよいのか・・という悩みが出てきた。今回のピアカンを知ることで、また実際に自分が誘ってきた参加者がセミナーに加わることで対等な話し合い・信頼を前提とした空間の大切さを知ることができた。またセミナー初日に「今の悩みは何ですか」という問いに対して「特にはありません」という答えがいくつかみられたように、リーダー自身はこれまで「自分が開発を先駆的に進めていかねば」という思いから悩み事を誰かと共有できずにきた面があった。しかし本当に自分たちの活動にするためにはみんなで問題に取り組み解決していく姿勢をつくることが重要であると考えられるようになった。
 (このセミナーで生まれてはじめて家族以外の誰かと関わりを作る場に参加した人)
 「これまで家から出ることがなかった。家の中では自分の存在は重荷であり、親ともうまくいかない。しかしもうこの状況に耐えられません。」そう語ったセミナー初日の表情が印象的であった。しかしピアカンを通して自分の話はみんなに聞いてもらえる、どんなささやかなことでも馬鹿にされるようなものではない、という自信と安心感を得ることで話し合いの場でどんどん発言回数が増え、まだ悩んでいる友達にこれから自分が活動を広げていくことまで考えるようになった。言語障害があり初日においては介助者がすぐに代弁しようとした方でも最後は自分で挙手をして自ら積極的に発言していた。また中途の障害により自分はもうこれまでのような価値がないと考えていた方はセミナー後に「今の自分はこれまでとまったく違うが、人としてもっと可能性と価値がある。」と感じるにいたった。
 地域から選ばれて始めて足を外に運んだ参加者は最初、目を合わせてもすぐにそらしてしまった。初めての集いの場に戸惑いがあったのも事実だが、それ以上にここ(セミナー)に来ることを親に反対されていたり、これまでに自分が認められる経験がなく不安があったそうだ。しかしセミナー後の食事会ではみんな同じように笑い、語り、歌い楽しんだ。言葉は通じなくとも私に何かを伝えようと話かけてくれた人もいた。たった4日の間にも目に見える大きな変化であった。

3 今後の発展性

(7) タイ式のIL活動を広げていくには
こうしてセミナーを通して自己信頼を回復する経験をした参加者はさらに自分の周囲で悩みを抱えたままの友人にもセッションを持っていきたいと感じ、今後の活動についてが話し合われた。しかしその中でILの考えを基本としながらも、日本とまったく同じではなく文化的・社会的背景への配慮が重要視された。
 報告会の中でセミナー参加者から出た意見〜タイでのIL活動〜
* タイではまだILの概念が一般に十分に広がっていないため専門家への理解を深めなければ協力を得ることが難しい。→専門家がこれまでの実績を否定されると感じ、受け入れにくいかもしれない。しかしILは障害者自身がサービスの主体者となる発想でそこにはこれまで活動をしてきた専門的な技術や知識は必要ないというものではない。基盤となる障害者自身の主体性を理解した上で、時には必要となる医療・制度・政策への切込みをニーズに即した形で展開していくことが大切である。
* IL運動の拠点となるセンターはまだほとんどないため地域に暮らす障害者の家を実際に訪問していかなければならない。その際に訪問する側の立場が「強い活動家」であったり押し付けにならないように心がける。→ピア・カンを使ってお互いに対等を保つ
* 多くの人は外に出て行く経験もなくまだ不安と恐れを持っている。そのためたとえ最初のうちに強い拒絶を受けたとしてもそこで情報提供をやめたり働きかけをあきらめてはならない。家族・社会に対して抱く壁を壊していくことからはじめる姿勢が大切。
この他にもセミナーにおいては多くの意見が交わされた。何よりこれらの意見を通して、まず自分たち自身が動き出していこう!と発言されたことが今回のセミナーをこれからの活動の契機として位置づけることができたといえるのではないだろうか。

(8) CBRの原動力
 これらの活動はその実践からもわかるように地域を実践場所とした住民参加型のプログラムであることから地域に根ざしたリハビリテーション=CBRという手法である。しかもCBRが目的とする障害者開発・障害者のエンパワメントへのまさに直接的働きかけといえる。CBRにおいて最も重要となるのが人材でありその主体が地域住民であることから、地域に暮らす個人それぞれの開発がCBRプログラムを進める上でどの段階においても重要課題となる。実際そのためにこれまでCBRが取り入れられてきた国・地域においてはさまざまに工夫がなされてきた。しかし現実に個人を開発し意欲を持続させることは難しく、中には主体となる活動団体・委員会またはCBRを導入しようと働きかけたNGOへの依存的な関係ができてしまうこともある。こうした状況を避けるために主体となる住民と当事者の活動には明確な目的意識と成果の実感である。ここでILの概念が当事者の意思から成り立つことが具体的な目標へとつながる。これまでの実践で地域の障害者に目標の聞き取り調査をし、計画を立ててきたような「自分のプログラム」という意識はやる気の持続に欠かせない要素である。成果においては目標が達成された場合に大きな充実感を得ることができるが、逆に挫折してしまうと意欲を失うことにもなる。そこで実行側に目標設定を一段ずつ設け、段階的なサービス実行への調整をしていく役割が求められることになる。その中でピア・カンを用いお互いに悩みと意見を話し合うことが心理的サポートとして必要となる。また昨年からの実践を進めてきたリーダーからは重度者へのPA制度の確立・タイ政府の障害項目に重度者への考慮を加えるなどより具体的で大きな意見もでたが、参加した当事者はどの人も一様にこの活動を積極的に進めていく気持ちであった。大切なことはCBRの原動力となるこうした気持ちの感染と広がり、そして持続である。タイにおけるILはこれから彼らによってタイ文化に合わせた形で発展される活動に注目していき、さらに他の団体とも連携を広げることで安定した幅広いサービスが可能になると考える。

(9) 障害領域の拡大
 上記で述べたようにどんな人も対等な関係を築くため、より重度の障害をプログラムに組み込んでいくことが考えられていく。タイでこうした活動を拡大させるにあたり、異なる障害領域への対応も当然考えなければならない。これまで主に身体障害に焦点が当てられてきて、自信と機会があればこれからさらに盛んな主張と活動が期待できる。しかし日本においてもつい最近になって精神障害者の地域生活が注目されるようになったように、さらに理解の難しい「障害」の社会的理解をいかに深めていくかは大きなハードルである。しかし十度の言語障害にしてもじっくりと時間を持ち(ピア・カンでは時間のシェアという)耳を傾けるといいたいことが次第に伝わってくる。やり方・タイプは異なるが知的ハンディ・精神的ハンディにおいても良い人間関係の上できちんと耳が傾けられさえすれば次第に意図がつかめるようになるものである。どんな環境であっても人はその中で個人として最大限に成長していく権利がある。また自己の成長を主張していく権利がある。その手伝いを地域社会全体で担っていかなければならない。

終わりに ☆★私の願いと期待★☆

 今回のセミナーでピア・カンを通してどの参加者も非常に大きな変化を遂げたと感じた。もちろんプログラムや自分たちが本当に主体となって活動していく「実践」はこれからが本番であるし、その中では大きな問題や困難に出会うこともあるだろう。しかし自分にとって必要なやり方という意識があれば今後自分たちで進められるIL運動・ピアカウンセリングは大きく支持されていくと思う。そして障害領域の拡大について最後にふれたが、今回セミナーがおこなわれたレデンプトール障害者職業学校の隣に同じカトリック団体による孤児院・視覚障害の特殊学校があり、その中の10歳前後の3人の障害児への思いが私の中にあったからである。私が個人で見学してきた隣の施設は、孤児院と学校のほかにその3人が住む生活施設があった。学校に行けず、ほとんど外に出ることのない3人は私を恐れているかのようだった。海外ボランティアの指導で英語も理解できる子がいたが結局彼女の意見は何も引き出せなかった。来年も同じ会場でセミナーをおこなうのであれば是非彼女の参加をお願いしたい。そしてまだこれから始まっていくタイのILがどうなっていくのかも情報を得て知っていきたいと感じる。最後に日本の皆様は勿論、タイで私を受け入れてくださった参加者・介助者の皆様に感謝します。本当にどうもありがとうございました。

資料

2001年 タイ IL運動実践の報告

(ア) 活動はRVSDのあるパタヤ市を含むチョンブリ県の他にノンタブリ県・ナコンパトム県の3県で始められた。

(イ) これらの活動はRVSDとJICAのセミナーへの呼びかけに興味を持った各県の障害者協会や地域の障害者たちがセミナーに参加した後に既存の団体等と連携をとりつつ自ら実践をおこなってきたものである。

(ウ) 活動の拠点として幾つかの地域で自立生活センターが設置、あるいは設置が予定されている。
≪チョンブリ県≫
 事例  これまで3人の介助を必要とするため週に1度しかできなかった入浴がリフトを紹介することで母親のみでお風呂に入れるようになった。
 活動を通して感じた課題  精神的ダメージを持っている人がどうしたら自発的に行動できるか?精神的自立の問題。
≪ナコンパトム県≫
 内容  「自立生活の考え方とCBRの導入」
     12名の障害者(肢体51%視・聴覚・精神・知的)が参加した第1期計画
       →3ヶ月にわたる自立計画
     (一般社会生活、社会訓練の準備・体制・プログラムを組む)
     ;PAの募集→55名参加・35名研修・5名が実際に活動
     ;自己診断の資料を作る
     ;県における障害者調査形態・そのうち15名を対象に分析(視覚・筋ジス・脊損)
     ;自立の考え方を対象の15名に伝える※1
     (計画に基づく実践)
      @ PAの紹介→自宅でなにもできなかった脊髄損傷の方に
        PA(Personal Asistant=介助者)と機器を紹介。
      A 自己診断 
      B 権利に関する会議 
      C 外の機関との連絡の取り方→バスの乗り方を一緒に実践・身分証明書の製作※2・野外活動・職業訓練においても自立している障害者の仲間を紹介※3・手芸品の作り方
      D 地方自治体の協力 →問題をまとめて提出
 問題点・感じた課題 ◎ プログラムのうちには実施委員会の体調不良で不実行のものもあった。また実際に介助できるPAの人数が不足している。自立計画がPAの不足で実行できなかったケースもあり、この計画における人材の重要性が挙げられる。
          ◎ このプロジェクトの参加者のうち一人は、自分の生きがいもわかっていた人であったが家族からの支援が得られずプログラムの途中で職業訓練を希望し始めた。家族との関係で当事者が落ち込んでしまうケースはほかにも多くあり、家族関係の考慮・障害者の立場を考えた社会作りの必要がある。同時に本人の気持ちのサポートを優先するべきである。特に重度者の相談相手となる存在は必要である。その意味で今回のピア・カウンセリングは必要だと考える。
          ◎ 個人にあった支援の必要・・何を得られるか?(家族・本人の生きがい・委員会に必要なもの)知識と認識の向上。自分への理解を深めてもらう(自分は役に立たない。何もできないと考えている人がかなり多く、そのために自分で選択できないと考えられる。中には自分が行きたい場所も選べなかったりするが自分自身で選択してもらう
         ◎ 時間・移動・予算・委員会そのものの準備体制などプロジェクト自体のリミットがあるが、サービス体制の継続性のために政府・民間からのプロジェクトへの参加・公共施設へのアクセスの整備・IL基金の設立などの必要がある。
 まとめ  ☆これまで施設に入らないとサービスが受けられなかったこともあり、現在ILT(自立生活トレーニング)はセンターに頼っている面が強い。当事者が「自分自身の決定をしていくためのトレーニングである」という意識を持つようより促す必要がある。個人に合わせたトレーニングのための家族の理解も必要である。活動の前提としてPAが必要なことも事実であるが、PAの存在によりもっともっと色々なことができる大きな可能性をそれぞれが持っていることを大切にしていかなければならない。
≪ノンタブリ県≫
 ・ノンタブリ障害者協会からの支援・多くの障害者施設がある
 ・バンコクの隣に位置するノンタブリの障害者数は80万人のうち3500人(社会福祉局に登録している障害者数)
 内容  (実践への基盤作り)
      @ノンタブリの重度障害者(登録者)を対象に約70名を訪問。
          →この際に洪水の問題があり訪問自体が難しいという問題
      A選別会議でそのうち15名を決定
          →地域村長・学校の先生に情報提供と協力のお願い、連絡
      BPAを探す   A、当事者自身が身の回りに呼びかける
             B、地域住民に話をして興味を示してくれる人を探す
             C、地域社会に連絡をして出してもらう
               →失業者・大卒者等をターゲットに
      C5月にPAに対して2日間のセミナー
         →52人の研修生に障害理解・ロールプレイ・介護体験
      D当事者15名のリストをPAに紹介し住む場所・時間等から実践できるひとを決定、
       そのうち40人のPAを当人に紹介
      E問題事項の記録
      F「あなたの夢は何ですか?」「今一番必要なものは?」という質問→目標設定
     (9月個人のプランを調整・実施)→PAにもそれぞれに説明
      ◎お互いに自分の問題を見つめていく
      ◎ 語り合い・製品作り・これまでに成功した人に会う
 事例  移動のできない状態だが雑貨店を経営していたかたが、店に客が入らずどうしたらよいかわからなかった。コンビニエンスストアで成功した人を紹介してから少しよくなった。
 問題点・感じた課題  ◎ 本人だけでなくPAの問題を明らかにしていく →会議の機会を多く設ける
            ◎ 交通費などの予算確保・予算の使い方の工夫
            ◎ 本人のILへの理解と介助者の上手な利用法
            ◎ 夢が大きすぎ、達成できなかったことで落ち込んでしまうケース・・少しずつできる目標の設定(自分の変化につながる無理のない上手な目標を立てる)
            ◎ PAの質の確保
            ◎ 地域にPAとなる人がいない・PAの家が遠く通いにくい
            ◎ 障害者ホームの改善など多くの機関の協力
 成果と提案  個人の設定した目標は15名のうち13名はほぼ達成。2名は健康の理由と目標が立てられない理由からリタイヤ。
        (提案)@政府からの予算の拠出
            A地域参加の促進  
            BILの宣伝活動を家族から社会へ 
            Cあくまでも当人の意思を決定するものであることを関係者が重要視するべき
              →障害者による自己ピーアールなどをしていく

(エ) これら3県での活動を今後につなげていくために相互に情報交換に必要がある。

(オ) 共通点として家族との関係・協力があげられる

(カ) 従来ボランティアであったPAに報酬を作ることで「与えられる人」という意識を変えていく必要がある。 個人としてのニーズに対応・拒否する権利を一人一人が理解しもてるようにしていく必要がある


2002年 ピア・カウンセリングセミナー

    @ セミナーとセッションのAPCDプログラムを視野に入れた位置づけ
    A 日程
    B セミナー内容


〇位置づけ・・2004年、アジア太平洋地域における障害者の自立を促進させるためのネットワーク・情報交換・人材育成の発信拠点としてAPCD(Asia-Pacific Development Center on Disability)がタイの首都バンコクに設立され、5年間にわたる自立促進計画が予定されている。すでに事務所は設立されているが出発信地となるタイで積極的に活動を支えていく基盤が必要となる。そこでAPCDのパイロットプロジェクトとして今回の3年計画がおかれ2004年からの活動につなげられることが期待されている。今回の3年プロジェクトはJICA(Japan International Cooperation Agency/ 国際協力事業団)の委託により以前からタイとつながりのあった日本で最初の自立生活センターヒューマンケア協会がタイ、パタヤのレデンプトリスト障害者職業訓練学校(カトリック系NGO運営)との協力によりおこなわれる。タイの3県では昨年のセミナーを元にIL(Indepenndent Living/自立生活)活動が始められていたがその中で悩み・問題が生まれていた。今回の内容は来年、さらに後の活動へつなげると同時にタイの活動家たちがこの一年を通して持っていた悩みをサポートする役を果たすものであったと考える。
       APCD設置にいたる簡単な背景・・タイはフィリピン・ベトナムといった他の途上国に比較すると福祉的制度がある程度整っているといわれる。また小規模ながら1980年代から障害者による当事者活動もあり、特にNGO団体がこれまでにかなり活動を広げていること、活発な障害者リーダーがいることなどからプロジェクトの中心地として取り上げられたと考えられる。しかし社会の障害理解はまだ低くこれらの計画の課題として人々の意識改変が求められる。

〇日程
 
1/27 バンコク 障害者・福祉関係者・リハビリテーション等専門家など300人出席のセミナーとオープンセレモニー
 1/28 パタヤ 当事者・その家族30名 セミナー
 1/29〜1/31 パタヤ ピア・カウンセリング(実践)
 2/1 パタヤ  カウンセリング評価セッション
 2/2 バンコク JICAへの報告書作成
 2/3 バンコク APCD・JICA 報告

〇セミナー内容
 
1/27バンコク ―APCDの役割 / 昨年からのタイでのIL実践 / IL理論と実践
          ピア・カウンセリングとは / タイでのILの拡大
 1/28パタヤ ―自立とは? / 日本での自立生活運動 / 自立生活センター / 自立生活とピア・カウンセリング / 自立生活プログラム

注意事項
※ 1・・近年のノーマライゼーションの思想の中で、自立に対する概念が変化してきたことを指す。これはたとえば自分で何でもできることが自立であるとして何時間もかけて自力で食事をするようなことではなく、PAを利用する・福祉機器を利用するなどの自己選択によって自分の道を決めていく力を持つことが本当の自立であるとする考え方のことをいう。
※ 2・・タイでは身分証明者がさまざまな場面で必要となり、これをもつことが市民として人としての一種のステータスである。しかしこれまでに活動の中でも役所の職員によっては「障害者には必要ない」としてその存在価値を否定するようなこともしばしばあったそうだ。ここに自分たちのおこなう活動と社会の認識とのギャップを感じたと訴えていた。
※ 3・・貧しい家庭においては特にお金が必要になる。家族とのかかわりを重要視するタイでは収入を得ることが家族の負担を実質的にも軽くし、本人の精神的自身へとつながる面がある。また施設などの外にいる人に「こういう生き方がある」ということを示す意味で仕事が重要な役割りを持つともいえる。