アジアの障害者 ー  リハビリテーション[1]

    アジア・ディスアビリティ・インスティテート 中西由起子

初めに
 リハビリテーション[1] はアジアの多くの政府や専門家の間で、未だ古い時代の定義で語られることが多い。つまりリハビリテーションを医療リハビリテーション、教育リハビリテーション、職業リハビリテーション、社会リハビリテーションにわける方法である。[2] 教育がインクルーシブ教育に理想をおいて語られる現在、教育リハビリテーションが云々されることは最早ない。しかし職業リハビリテーションという用語は、まだ多くの国が競って職業リハビリテーション・センターを建築し、職リハ専門家とされる人たちの間で最適な障害者の雇用形態の模索が続いているため、まだ有効である。しかし社会リハビリテーション [3]に関しては、障害者の人権から文化、生活全般を範疇とするため、むしろこれは専門家が統括する分野ではなく、自立生活運動において障害者が対応する領域に入る。社会リハビリテーションの課題と言われるものに関しては、障害学として障害当事者を交えて論じられているのも最近の傾向であるので、、障害当事者団体からはその無効性が指摘されている。
 本稿では普通言われるリハビリテーション、つまり医療リハビリテーションの現状をアジアの国々において考察する。なおCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)は医療リハビリテーションを補完する形で発展してきている例が多いが、厳密には障害者のあらゆる側面に関わる総合的な地域開発の戦略であるので、ここでは言及しないこととする。

リハビリテーション・センター
 後発開発途上国[4] においてすら、国のリハビリテーション事業の中核となる大規模な、立派なビルの中にある国立の総合的リハビリテーション・センターが1カ所は存在する。ミャンマーでは看護婦やPTも養成している国立リハビリテーション病院がある。モルディブには、首都マ−レの中央病院で理学療法も行われそこがリハビリテーションの中心となっている。そこから、17マイル離れたグライド−島の半分を占める1976年にできた国唯一つのリハビリテ−ション施設 [5]に医師を派遣している。1964年につくられたラオスの首都ビエンチャンの国立医療リハビリテ−ション・センタ−では国の障害者サービス全ての中心として理学療法部が新設され、補装具の製造と装着が行われている他に、特殊教育校まである。
 ブータンでは、首都のティンプに整形外科と理学療法科を備えたベッド数250のジグミ・ドルジ・ワングチュック国立リファーラル病院がある。北朝鮮でも、中央病院や県病院からリファーラルされる切断者を受け入れ義肢を装着しやすいように2回目の手術を実施する唯一の整形外科病院として1951年に建設されたハムフング整形外科病院がある。400床あり、130人の医師を含む320人のスタッフからなる。[6]
 ベトナムでは、1989年に設立された整形外科リハビリテーション研究所が全国の地域レベルに設立された計8ヵ所のリハビリテ−ション・センタ−を管轄している。ブルネイのような小国でも、カンポ・プライに国立リハビリテ−ション・センタ−がある。マレーシアでは、身体障害者を対象とするチェラス・リハビリテ−ション・センタ−が医療リハのほかに職業訓練も行っている。
 国が誇る総合的リハビリテーション・センターの多くが日本の援助を受けている。日本のリハビリテーション・センターが様々な試行錯誤を行いながらも依然として障害当事者の参加を排除する医師の牙城であるかぎり、技術、運営等において日本をモデルとしていることの是非は、問われなければならない。
 その典型的な例が、1988年に開所した中国リハビリテ−ション研究センタ−である。日本人専門家の派遣、日本での研修の実施、機材供与を通しての技術移転など日本政府による大量な資金と人材の導入により中国で最高の西洋式リハビリ病院として位置付けられている。パキスタンでも国立障害研究所が日本政府から18億円の援助を受けて建設された。病院や治療や矯正に当たる団体へのリファ−ラル・センタ−としての、役割をもつ。
 タイのシリント−ン国立医療リハビリテ−ション・センタ−は自前の資金で1986年に開設された、当面定員120名の身体障害を対象とするタイにおける総合医療リハピリテーションの中心的機関となる。しかし日本人専門家の派遣、日本での研修の実施、体育館建設資金の提供等日本の援助が大規模になされていて、日本の影響は大きい。
 インドでは全ての障害分野を網羅できるように計6カ所のリハビリテーション・センターが完備している。国立視覚障害者研究所、国立整形外科的障害者研究所、国立アリ・ユバル・ジュング聴覚障害者研究所、国立精神障害者研究所、国立身体障害者研究所、国立研究・訓練・リハビリテ−ション院が北部の大都市に配置されていて、県リハビリテーション・センターと連係することになっているが、多数の障害者人口に対応できるよう機能するには至っていない。
 
障害者と専門家の関係
 障害者が専門家とサービスの受け手のみとしての関係しか持てないため、最低限のサービスしか提供されず、それがリハビリの効果を妨げたり、健康状態の悪化に繋がるような逆転現象を起こしている。途上国では看護士に至るまで医療専門家の権限は強大で、患者である障害者の権利は無視されている。
 例えば、看護婦は階級が下であったり、低所得者地域の住民に対しては世話をすると言うよりも、命令・管理しているとの印象を受ける。入院患者の排泄物の観察や処置、器具の片付けも付き添っている家族の仕事である。彼女たち看護婦は高等教育を受けた技術や知識をもつエリートであり、プライドが高い。 [7]
 バングラデシュでは脊髄損傷の障害者が入院中のケアが十分でないために尿路感染を起こしたり、褥瘡をつくり、場合によっては入院前よりひどい状態で退院していた。そのまま家に戻れば死ぬ他ない彼らの状態に心を痛めたイギリス人ボランティア、バレリー・テイラーが麻痺者リハビリテ−ション・センタ−を開設し、ダッカ郊外の政府から与えられた土地に病棟、作業棟、ゲスト・ハウス、ホ−ル、特殊教育センタ−、バスケットボ−ル・コ−トまでもつ国内一の身体障害者リハビリテーション・センターとした。 [8]
 タイのリハビリテーション施設において直接介助にあたる職員の中で一番下のクラスの「ピーリヤン」と呼ばれる人たちに関しても、同様な問題が報告されている。彼らの社会的に地位は低く、労働条件も悪く、研修を受けたこともなかったことが、彼らの障害者に対するケアに影響している。相手を寝かせたまま食事介助をしたり、褥瘡や病気の際の手当が不十分で障害者が死亡しても、障害者がもう苦しまずにすんでよかった程度の意識しか持っていなかった。そのような職員にも研修の機会を与えて、障害者が少しでも良いケアが受けられるようにしようと、2000年にはタイに派遣されている障害分野の青年海外協力隊員がワークショップを開催した。[9]

リハビリテーション・サービスの不備をうめるNGO
 施設も医者や看護婦も都会に集中している。それ故、農村、特に離島やへき地に住む人々は都会に出る交通手段がないために、医療やリハビリテ−ションの機会に乏しい。近年PHC(プライマリ−・ヘルス・ケア) の制度により、国内にくまなくヘルスセンタ−が設置された国が多い。しかしスタッフの訓練が充分でなく、知識や技術が不足していることが多い。監督が行き届かず、スタッフの欠員もよくみられる。置かれている医療品が限られ、かつ医療品棚が空であることもあり、祈祷師を初めとする民間医療への依存がみられる。障害に関する知識もほどんどない場合が多いので、寝たきりのまま過ごすか、家族に食べさせてもらうだけの生活を送らねばならなくなる。
 カンボジアにおいても社会問題・労働・退役軍人問題省に設立されたリハビリテ−ション・訓練(適応)局が管轄するが、サービスを提供するのはNGOであり、その際には政府が土地や古い建物を提供することが多い。新規に建築されたプノンペン郊外のキアン・クレアン国立リハビリテ−ション・センタ−においても、実際にはベテラン・インターナショナルと難民を助ける会が職業訓練とリハビリテーションのサービスを提供している。
 ネパールでも国立トリブバン大学の病院がカトマンズで医療サービスを提供している以外には、国によるリハビリテーション・サービスはない。そのため海外の援助で障害児病院リハビリテ−ション・センタ−や今年にはネパール脊髄損傷協会による脊髄損傷リハビリテーション・センターが建設されたり、ネパ−ル障害者協会のカゲンドラ・ニュ−・ライフ・センタ−や、ネパ−ル盲人福祉協会によるファローアップのための訓練などが行われて、不足を埋めるための努力がなされている。

リハビリテーションが受けられない場合
 東チモールのように、主にカトリック教会が運営していた主要な診療所が国民投票後に焼かれてしまった場合には、援助機関が障害者をインドネシアのカンカールに送り、矯正手術やリハビリテーションを受けら得るようにしていた。数ヶ月滞在しブレースを装着し家に戻っても、なかなかファローアップができないとい問題がある。 [10]
 前述のモルディブの場合は、補装具を製作したり、高度なリハビリを受けたいと欲するお金のある人たちは近隣のインド、スリランカ、シンガポ−ルにまで出かけていく。これは、バングラデシュやネパールの上の階級に属する障害者が、近隣のインドやタイに出かけて行くのと同じである。
 何の医療に関する情報もなく、手段もなかった村にはCBRが導入され何らかのサービスが受けられる場合が少しずつ増えて来てはいる。CBRにも頼れない場合には伝統的医師や祈祷師しかいない。ネパールの村では未だダミ・シャクリーと呼ばれる普段は普通の農民である祈祷師に診てもらってだめだったら病院に行くという人が多いの。診察を受けるときはかなり病状が悪化して人のためにならない存在とも考えられるが、精神的な支えであることは事実である。 [11]

リハビリテーションを拒否する人たち
 インドでは国立整形外科的障害者研究所で診断を受けたポリオによる両下肢の障害者が車椅子は人目につくのでいやだと言い、わざわざ今まで通り両手をついて蛙のように跳んで歩く方を選んだ。これは彼が一般の人々が障害者に対して示す哀れみの態度に耐えきれなかったからである。 [12]
 たとえNGOが無料でサービスを提供してもそこまでの交通費がない、丸一日費やすような距離では家族が忙しくて連れていけない、リハビリテーションの効果が信じられず身近にいる呪い師に頼った方がいい、等の理由からリハビリテーション・サービスを拒否する人たちがいる。

結論
 1980年代の後半、特にアジア太平洋障害者の十年の期間中に、アジアの各国では障害者福祉法が競って制定された。[13]WHOは1980年代初めには、障害者の1ム2%しかリハビリテーション・サービスを受けられなかったとした。しかしながら20年が立っても状況の飛躍的向上はみられなかった。リハビリテーション・サービスは法律によって政府の義務または障害者の権利とされたものの、現実には施設の数、専門職の人数が十分でないからである。しかしそれを一般の医療に含めて欠如を補おうとするのではなく、NGOによる慈善的な側面が強い解決方法に頼っている。[14] 障害者や家族は医療モデルそのままの、サービスを文句も言わず受け、決してそのサービスの決定や提供に参加できない状態が継続している。
 サービスの配分が片寄っているのも問題である。数が限られてる施設も専門家も都市部に集中し、農村部ではCBRを導入し自分たちで提供していくのが唯一の解決方法となる。少なくとも15の政府[15]がCBRを政策に組み込んでいる。



[1] 現在のリハビリテーションは、「障害者に関する世界行動計画」(1982)に述べられた以下の定義を採用している。「リハビリテーションとは、機能障害を負った人が最適な精神的、身体的、そして/または社会的機能レベルに到達できるようにして、彼または彼女が自分自身の生活を変革する手段を提供する、目的志向の時間を限定したプロセスである。」
[2] Chamkajang, Kamontip. Country paper presented at the International Seminar on Social Welfare in Asia and the Pacific, 日本社会事業大学, 2001年11月13-16日;インドネシア障害者法18条2項;フィリピンのマグナカルタ法(障害者のリハビリテーション、自己啓発及び自立並びに社会統合等に関する法律)第1章4条e;韓国福祉法第3章36項を参照のこと。
[3] 国際リハビリテーション協会社会委員会が社会リハビリテーションを定義している。http://www.rehab-international.org/social_commissions/concepts.html
[4] 後発開発途上国とは、国連総会において選定された、開発途上国のなかでも特に開発の遅れている諸国をいう。
[5] 老人と障害者の収容施設に当てられている。ハンセン病者、精神障害者、脳血栓による身体障害者が大半をしめる。
[6] Newsletter, June 2001, No.6, p.2, Korea Association for Supporting Disabled
[7] 国際協力事業団青年海外協力隊事務局、「看護婦退院の活動アンケート2 アジアの地域で病院で」、クロスロード、協力隊を育てる会、2001年6月、37巻426号、33-40頁
[8] Friends of CRP Newsletter, Spring 2001, UK
[9] ユニセフなどによって基礎保健と訳されることもある
[10] DPI Asia & Pacific RDO (2000) "Mission on disability-related situation in East Timor", Disability International, Vol.7 No.1, Fall 2000, pp.22-24, Disability International, Canada
[11] 津田真理「ネパールの村にトイレはいらないのかな?」クロスロード、1996年1月、54頁
[12] マリック、P. K. 「インドの障害者の状況」第84回アジア障害者問題研究会、1998年7月11日
[13] インド、障害者(均等機会、権利保護、完全参加)法1995;香港、障害差別禁止条例1995;スリランカ、障害者権利保護法、1996;インドネシア、障害者法1997;台湾、心身障害者保護法1997改正;ベトナム、障害者に関する政令1998;モンゴル、障害者社会福祉法1998;韓国、障害者福祉法2000改定;バングラデシュ、障害福祉法2001
[14] Takamine, Yutaka. メモThe situation of disabled persons in the Asian and Pacific Region: ESCAP presentationモ, paper presented at the International Seminar on Social Welfare in Asia and the Pacific, 日本社会事業大学, 2001年11月13-16日
[15] バングラデシュ、中国、カンボジア、インドネシア、マレーシア、モンゴル、ミャンマー、ネパール、フィリピン、スリランカ、タイ、ベトナム

(アジアの障害者9 2002年6月、95号、現代書館)