パキスタンの自立生活運動

アジア・ディスアビリティ・インスティテート
中西由起子

 日本で2001年に9ヶ月にわたり研修を受けた車椅子の障害者Shafiq-ur-Rehamanが帰国後,小学校から高校まで養護学校での同級生の仲間2,3人と1992年に始めたラホールの自助団体マイルストン[1]を母体として,2002年にライフ自立生活センターを設立したのがIL運動の発端である。彼らを中心に活躍する若い障害者を,日本のメインストリーム協会やHCA,JILが研修機会の提供,運営費補助などによって支援した。2003年2月には第1回ILセミナーを開催した。
 ライフ自立生活ILセンターは日本で研修を受けた人たちをリーダーとして,介助サービス,自立生活プログラム(外出プログラム,スポーツ大会,アウトリーチプログラムなど),ピア・カウンセリング,車いすの製作と修理,障害者の在宅訪問など多岐にわたるサービスを開発してきた。その実績から2005年8月からには国の試行事業の認定を受け,25名の利用者に対する月2370時間の介助サービス事業も開始した。宗教的な規範に縛られないセンターの活動は若い障害者の関心を呼び,新規のメンバーが増えている。
 2005年の4月にはイスラマバードにある自助団体STEPのILセンターが2番目のILセンターとして開所し,両者は競いながら発展を続けている。
 2005年10月8日の大地震では,これら2ヶ所のILセンターが協力して緊急支援体制を確立した。その後復興事業として,ライフILセンターがイスラマバードに場所を確保し,イスラム教の教えでは女性は家から出られず,地震の際に家に残っていた女性が家の下敷きとなり脊髄に損傷を負う場合が多かったため、被災した脊髄を損傷した女性を収容し,ピア・カウンセリングの手法を利用しILの概念を伝え、移動訓練,排泄,褥そう予防などの自立生活プログラム,付き添いの家族には介助の研修を実施した。これらの活動に当たるためにマイルストンはイスラマバードにCapital IL Centerを設置した。
 マイルストンはその後Neham IL Center、2006年8月にはImaan IL CenterをChaniwalに設立した。Neham IL Centerは、農村部の障害者のためにラホーレ郊外に設立された。農村部では障害者や家族の識字率が低いため、障害についての情報がない。センター設立時には、スタッフが障害者宅を訪ねても家族が中に入れないこともあった。家族に閉じ込められているだけでなく、自らを不要な家族の重荷として自宅に篭りっきりで外に出たがらない障害者もいた。スタッフの努力により段々とセンターに障害者が集まり始め、センターは学校への入学の支援などを行った。女性には腕輪やイヤリングの製作、サクラ[2]の協力により移動の問題の解決と職業訓練を兼ねた車椅子製造の訓練を行った。
 マイルストンは、2006年に世界銀行のThe Pakistan Development Market Place[3]のプロジェクトに応募し日本社会開発基金から資金を提供され,ラホール近郊の農村部でILセンター建設を開始することとなった。STEPでも同じく世銀から障害情報センター事業に資金の提供を受け「障害に関する情報・リソースセンター」の活動を開始した。地震被災障害者への情報提供の一部にILの概念やピア・カウンセリングを活かしている。
 世銀から提供された767,000ドルによりマイルストンは被災地であるNWFP地域にMansehra IL Centerと Bisham IL Centerを、AJK地域にBagh IL CenterとMuzaffarabadを設立した。 さらに車椅子を1152人、白杖を3625人、携帯電話を聴覚障害者300人、介助訓練を1200人、ピアカウンセリングを600人に提供した。(Shafiq, 2007)センターの活動は地震被災者へのエンパワメントがいまだ大きな部分を占めているものの,結果として,自立生活の理念,自立生活プログラムという手法を学んだ障害者によって,地震被災地から避難してきているより多くの障害者をもエンパワーし,パキスタンの文化の中での試行錯誤を経ての活動が進められていることの意義は大きい。また,地元の支援団体や国際援助機関との協力体制を築きながら活動の対象を着実に広げている点に継続的発展性が認められる (三沢 [2006: 4])。 
 Mazaffarabad IL Centerでは自立生活の訓練を受けた障害者が運営に当たっている。センターは脊髄損傷8人、CP7人、ポリオ3人等計22人の障害者を訓練し、そのうち15人を自立させ、さらに介助者を訓練して重度障害者のところに派遣している。自立にあたっては移動が最大の問題であるため、脊髄損傷9人、CP3人、ポリオ2人、下肢切断1人等計18人に車椅子が提供された。丘陵地帯のでこぼこした道での車椅子の押し方には特別な注意が必要であるために、介助者への訓練も行われた。(The Milestone Maganize 2 pp. 12-13)Batagaram IL Centerが学校や病院のアクセシビリティや職業訓練センターの設置を求めたデモを2007年5月4日に行った際には200人が集まった。またMansehra IL Centerからもスタッフが参加して車椅子を配布し、デモの終了後には脊髄損傷者にアドバイスを行った。(The Milestone Maganize 2. p.14)



[1]「パキスタンの障害者団体マイル・ストーンの活動」を参照のこと
[2]障害者の兄弟が日本の技術を移転して始めた車椅子プロジェクト
[3]世界銀行が行っている小規模融資プログラム。開発プロジェクトの中から,他の開発プロジェクトが拡大もしくはモデルとできるような創造的な企画を競わせて,資金を提供する。パキスタンでは,障害分野に特化したプロジェクトが資金提供の対象となった。
[4]http://www.worldbank.org.pk/WBSITE/EXTERNAL/COUNTRIES/SOUTHASIAEXT/PAKISTANEXTN/0,,contentMDK:21015587~menuPK:293071~pagePK:2865066~piPK:2865079~theSitePK:293052,00.html


 

参考文献
三沢了[2006]『平成17年度事業の完了報告書』DPI日本会議。
Muhammad Shafiq-ur-Rahman, Milestone: A Right-Based Organization, 国際障害者支援シンポジウムー途上国の障害分野における人材育成の必要性と効果、及び援助機関のかかわり方、広げよう愛の輪運動基金、日本障害者リハビリテーション協会共催、2007年9月15日
The Milestone Magazine (1). July 2007, Milestone, Lahore
__________ (2). Aug. 2007, Milestone, Lahore

(2007/09/23)