発展途上国の自立生活運動

    アジア・ディスアビリティ・インスティテート 中西由起子


 リハビリテーションの専門家は、自立とは健常者にできるだけ近づくことであり、第一義的に経済的自立であるとし、教育と訓練を障害者に課してきた。そのため、親は重度の障害者の自立は達成不可能であると考え、障害児が一生過ごせる施設を望むようになり、政府は専門家の養成と施設の建設を障害者施策の柱として実施してきた。
 隔離と差別を生む施設を否定したのが、米国の重度障害者から始まった自立生活(IL)運動であった。一九七二年に最初のバークレー自立生活センター、その後を追って同年にヒューストン、一九七四年ボストンと急速にILセンターが誕生した。全米の障害者たちが一丸となって闘い勝ち取った一九七八年のリハビリテーション法改正は、ILセンターが連邦政府の財政的支援を受ける道を拓いた。一九七九年にはガーベン・デジョングが "Independent Living: From Social Movement to Analytic Paradigm" と題する論文で、従来のリハビリテーション・パラダイムから自立生活パラダイムへの変換を明確にし、ILを社会運動として学問的・理論的に位置づけた。この二つの出来事によって、ILセンターは瞬く間に全米各地に広がった。

●先進国の自立生活運動
 IL運動は、先進国の障害者に夢と希望をもたらし、この三○年間に、大洋州を除くすべての先進国で自立生活センターでの障害者によるサービス提供と権利擁護活動へと発展した。
バークレーILセンターを創設したエド・ロバーツらが唱えた基本的な哲学――@障害者は「施設収容」ではなく「地域」で生活すべきである、A障害者は、治療を受けるべき患者でもないし、保護される子どもでも、崇拝されるべき神でもない、B障害者は援助を管理すべき立場にある、C障害者は、「障害」そのものよりも社会の「偏見」の犠牲者になっている――は、各地で受け入れられた。ILセンターは、その哲学に準じた運営方法に則って、世界各地で以下のようなサービスを行っている。
@介助者サービス(日本のような直接派遣型と米国等の紹介型がある)
Aピア・カウンセリング(仲間の障害者によるカウンセリング)
B自立生活技能訓練
C権利擁護活動
D情報提供(住宅、公的制度等)
 現在では、米国には全国自立生活協議会(NCIL)、カナダにはカナダ自立生活センター協会(CAILC)、日本では全国自立生活センター協議会(JIL)、ヨーロッパではヨーロッパ自立生活ネットワーク(ENIL)という自立生活センターの連合体が結成されている。一九九九年に第一回世界自立生活サミットがワシントンで開催され、計三回のサミットには途上国の障害者リーダーも参加している。

●途上国でのIL
 途上国の障害者にとっても、自己決定と自己管理を基本概念とする自立生活運動は魅力あるものであった。しかし、資源が限られる途上国では、介助サービスやアクセスのよい環境等は遠い未来のこと考えられていた。また、自立とは経済的な自立をいうとの誤解もあり、アジアにおいてすら障害児の五〜一○%しか教育を受けられない現状では雇用を得ることも難しく、軽度の障害者のみが自立できると思われていた。
 そのため途上国では、ILとほぼ同時期に専門家によって提唱されたCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)を用いて障害者の自立を図ろうとした。施設中心のサービスでは都市部を中心とする限られた障害者しか恩恵に浴せない。CBRは人口の七○〜八○%に当たる農村部に居住する障害者を主な対象としたアプローチであった。地域でボランティアとしてCBRワーカーを養成し、簡単なリハビリや生活援助にあたらせた。CBRワーカーによる基礎的な理学療法、歩行訓練、基礎的手話のコミュニケーション、統合教育、マイクロクレジットでの起業の支援などによって、ある程度の障害者の生活の質的向上はあった。しかし、CBRでは実施段階でサービス提供者や運営委員として障害者の参加を強調しているが、CBRプログラムが結局専門家主導もしくは施設のアウトリーチ活動として運営されているため、障害者は依然として保護され、管理されており、ILには繋がっていない。
 ILにおいても、それが魅力あるアプローチであると発見した障害者によってILと名付けられた試みは、すでに途上国で見受けられる。メキシコの障害者団体は「国際障害者IL団体」を設立し、障害者のフィットネス、生理学、水泳、車いす操作、改造車の運転、性と家族生活、泌尿器学、日常生活活動訓練のカリキュラムを編成した。タイの国立シリントーン医療リハビリテーション・センターでは、障害者職員の提案で自立生活ユニットが創設され、メキシコのカリキュラムと大差のない訓練が実施されている。間違った実践例が出てくることもあるが、それは、その背景に是非ILを試みたいとする障害者が多く存在しているからである。

●途上国でIL運動を発展させるための方策
 IL運動に関わる米国の障害者は、一九八○年代から他の国々にILを広めようとした。現在は日本がアジアでの伝播を幅広く行い、米国は個々のILセンターやモビリティ・インターナショナル等の団体が自国でのILの研修に途上国のリーダーを招くことでILを伝えようとしている。
 途上国でIL運動を広めるためには、理論的理解を進めるための啓発活動、権利擁護活動、自助団体への重度障害者の参加、ILでのロールモデルの提示のいずれかの方法が取られている。
(1)理論的理解を進めるための啓発活動
 自分のことをすべて自分で行うことをILと見なす自立観を否定することは必要である。介助者の手を借りても自己管理と自己選択ができることがILであるとの教えは、障害者を救う「よき知らせ」として歓迎される。しかし、熱狂して迎え入れても、それを実際的な活動に結びつけることは少ない。一九八三年に日本各地を講演旅行した米国のIL活動家の呼び掛けに目覚めた障害者は、それをILセンターの設立につなげることができず、IL運動の開始は一九八六年の第一号のILセンターの誕生まで待たなければならなかった。フォローアップの方策がなければこの方法は実を結ばない。
 アジアで最初のILセミナーは、スウェーデンのSTILと日本のヒューマンケア協会の二つの自立生活センターが中心になって一九九四年にフィリピン・バコロッドで開催された。アジア三カ国の四肢マヒの障害者が参加した。セミナー終了後、バングラデシュのモターブは勤務するマヒ者リハビリテーション・センターでの仕事を自立生活の活動に結びつけようとしていたが健康が続かず、三年前に亡くなった。フィリピンの男性参加者たちは、参加時点ですでに結婚していて、興味はあっても家族を養うために運動を続けられなかった。タイのトッポンの場合は、自分の団体でILの視点を活かして、スカイトレイン(BTS――バンコクの高架鉄道)のアクセスを求めてのデモや地方団体の育成に努めたので、ヒューマンケア協会は彼を支援し、ILの研修を申し出た。
 一九九九年にアジア・ディスアビリティ・インスティテートがマレーシアで開催したILセミナーには、逮捕を覚悟でモノレールのアクセス化を求めるデモを組織したクリスティーン・リーをはじめとする主要な障害者運動の活動家が参加し、最終日にはセミナー参加者全員が興奮に包まれて今後のIL運動の推進を誓った。しかし、本当に運動を必要とする重度障害者の参加がなく、参加者それぞれは仕事をもっていて、自分たちの運動をILとして発展させる必要性を見出せないままで終わっている。
 啓発活動はその後のIL運動の基盤を築くために必要なものである。ヒューマンケア協会は、アジア太平洋地域でIL運動を進める計画で一九九四年から障害者インターナショナル(DPI)の地域リーダー養成セミナーでは必ずILを議題に入れてもらうようにしていた。また、彼らが海外でILプロジェクトに関わる際には導入部に必ず啓発教育を実施した。韓国では一九九八年に最初のILセミナー、二○○○年には済州島、光州、大邱、ソウルの四都市の移動セミナーを実施し、充分にILへの理解、期待が高まったところでリーダーの研修を始めた。同様にタイでも国際協力事業団(JICA)の支援で二○○一年に始まった三年間のプロジェクトでは、一年目はILの歴史、哲学、センターの役割、サービス等の説明を主とするプログラム構成となった。
(2)権利擁護活動
 ブラジルのIL運動は権利擁護活動を基盤とした。四肢マヒの女性障害者ロサンジェラ・バーマン・ベイラーがたまたま訪れた米国でILセンターを見学し、その哲学に感銘し、導入した。彼女が一九八八年に設立したリオデジャネイロのILセンターCVIRJは、歩道の段差の解消をはじめとする環境アクセスの向上にまず着手した。アクセス問題は障害の種別をこえて皆で取り組める課題であるばかりではなく、権利擁護活動として目に見える成果を示しやすいという利点があった。途上国としては早い時期にILセンターが誕生し、その後の米国のILセンターとの交流によって運動を強化していった結果、国内にはすでに二五のILセンターが存在するまでになった。全国ILセンター連合も結成されている。
 韓国でIL運動が急激に発展してきた背景には、運動に参加する人たちがすでに国内で大規模な権利擁護活動を行ってきたことがある。二○○○年にILのロールモデルの募集に応募した要介護のチョン・マンフがエンパワーされた背景には、二○○一年の地下鉄での車いす使用者の死亡事故を発端とする大規模デモ、二○○二年五月の地下鉄駅での墜落死に抗議しての長期ハンガーストライキなど一連のデモへの参加がある。これらはノドル障害者夜学校校長パク・ギョン・ソクが組織したもので、彼の教え子たちがIL運動と交流し、今では積極的に関わっていることも大きな力となっている。現在はピア・カウンセラーの養成に力が入れられ、IL発展のための物理的精神的状況が整いつつある。日本のヒューマンケア協会、立川自立生活センター、ハンズ世田谷の三カ所のILセンターがグループをつくり、年に数回のピア・カウンセラーの派遣、韓国人リーダーの日本での長期研修を行った結果、JILの基準を満たすピア・カウンセラーの誕生をみるまでになった。ILセンターはすでに、ソウル、ソウル東大門、光州、大邱、済州島の五カ所に設立されている。
(3)自助団体への重度障害者の参加
 タイでは宝くじ売りが、かわいそうな障害者から買ってやろうする顧客の慈善をあてにした行為ではあるものの、障害者に家族を扶養できるほどに儲かる職業となっていた。一方で、その利益のために利権争いから障害者運動が分断される弊害もあった。この状況を改善するにはIL運動しかないと考えた前述のトッポンは、県の障害者協会のうち権利意識が明確なノンタブリ、チョンブリ、ナコンパトムの三県の団体を通してIL運動を進めようとした。彼を支援するためにヒューマンケア協会が研修の開催を申し出た。
 これらの三団体は民主的に運営されている自助団体であり、在宅の重度障害者の家庭訪問も実施していた。重度障害者に対してそれ以外のアプローチを見出せず、団体の活動に行き詰まりを感じていた三県のリーダーはIL運動の推進に賛成した。三年間のプロジェクトの最初は日本の障害者リーダーによるセミナーであった。三県からの各一○人の参加者は熱心ではあったが、重度障害者ではなかった。そこで、次年度に予定されていたピア・カウンセリングをテーマとするILセミナーまでに、それぞれ五人の重度障害者を見つけ、彼らを外に連れ出すことを宿題とした。
 三団体はそれぞれ学生をボランティアとして訓練し、障害者を外に連れ出すようにした。生まれて初めて外出する障害者がいた。家族の反対でボランティアの訪問を拒否せざるを得なかった者もいた。健康状態が続かず、止めた者もいた。入浴介助に苦労している家族を見たボランティアによって、体を持ち上げるリフトを家に取り付けてもらった者もいた。彼らの多くが二○○二年度のピア・カウンセリングの研修会に参加し、物理的にも精神的にも解放された。今年度はILセンターの運営を学び、本格的に活動が始動することになっている。
(4)ILでのロールモデルの提示
 パキスタンでは、若い障害者のグループ、マイルストンのメンバーがダスキン障害者研修プログラムで来日し、メインストリーム協会やヒューマンケア協会等のILセンターで九カ月にわたる自立生活の研修を受けたのを機に、昨年よりIL運動に取り組み、まもなく一年を迎える。ラホール近郊を回り、それまで外に出る機会のなかった重度障害者を見つけて説得し、事務所を会場に開催したILプログラムの研修を受けさせた。そのなかの男性の何人かに目をつけ、事務所の一室でILを実践するよう誘った。
 最終的に自立を決意したのは、筋ジストロフィーの若い女性であった。彼女は自宅の片隅に小さな家を建て、人に世話してもらう方法、つまり如何に介助者に自分の希望にそって手伝ってもらうのかを学び、そこでILを実践している。昼間は日本からもってきた電動車いすで、ライフILセンターと改称した彼らの自立生活センターのスタッフとして通っている。イスラム社会でまず女性からILのモデルが出た意義は大きく、すぐに男性二人がILを希望し実践しはじめた。

●ILの哲学を正しくひろめるために

 ILの名前は広がりつつある。途上国の障害者の間でのILに対する期待感は強まっている。しかし彼らの大半は、我が国は資源がないので――、障害者に対する偏見が根強いので――、政府の施策が不十分なので――と、IL運動の導入は難しいとあきらめている。
 方法はある。IL本来の概念はすべての障害者にあてはまるものであり、問題は新たなことにチャレンジしようとする勇気を持ち合わせる重度障害者と、彼または彼女を支援する障害者の仲間の存在である。パイオニアには苦労が伴うが、その志はアピールする力をもつ。さまざまなILの研修の機会は用意されている。そのような彼もしくは彼女が出てくるよう、私たち先進国の障害者は、ILのグッドニュースをあらゆる機会を通じて流しているところである。

《参考文献》
二○○二年第六回DPI世界会議札幌大会 組織委員会編『世界の障害者われら自身 の声――第六回DPI世界会議札幌大会 報告集』現代書館、二○○三年
高嶺豊「アジアで交通バリアフリーを求め る動き「(『ノーマライゼーション』二○○○年一一月号、日本障害者リハビリテーション協会)三○〜三三ページ
中原えみ子「韓国の障害者と自立生活(I L)運動」一一九回アジア障害者問題研究会での発表、二○○一年七月
パク・チャノン「韓国の障害者の交通アク セス運動」一二七回アジア障害者問題研 究会での発表、二○○二年三月
International Organization of Independent Living for People with Disabilities(http://www.      vidaindependiente.com)


本稿は、アジ研ワールドトレンド(96号、20003年9月、25-28頁、アジア経済研究所)に掲載されたものである。