アジア太平洋障害者の十年[1]


アジア・ディスアビリティ・インスティテート(ADI)中西由起子




成立の経過[2]
 欧米諸国が国連障害者の十年(1983-1992年)の延長に反対したのとは裏腹に、アジア太平洋では十年が十分に達成されなかったことから、DPIアジア太平洋ブロック評議会が中心になって独自の十年を推進しようとの意見があった。92年の初頭に行われた、同年末の北京でのDPI(障害者インターナショナル)アジア太平洋ブロック総会の準備の打ち合わせの中で、ブロック議長八代英太氏側より同年4月に中国で開催される第48回ESCAP総会で「アジア太平洋の十年」の提案を、中国政府に働きかけた。[3]また同時に、アジア太平洋各国首脳へもそれぞれの国のDPIによるはたらきかけを行った。4月のESCAP 総会で初の33ヶ国による共同提案「1993-2002年アジア太平洋障害者の十年」が全会一致で採択された。
行動計画[4]
 DPIブロック総会と同時期の12月に開催された国連障害者の十年(1983-1992 )最終年評価会議では今後十年の戦略として、「アジア大平洋障害者の十年のための行動計画(アジェンダ・フォア・アクション)」が採択された。28ヵ国の政府代表及び9つの国連団体、DPIを初めとするNGOのメンバーが出席した。日本からは厚生省更生課長、労働省障害者雇用対策課長と文部省特殊教育企画官が出席し、政府は障害者問題に意欲的な取り組んでいることをアピールした。
 1982年に国連が採択した「障害者に関する世界行動計画」は障害者のイニシャチブでつくられ、障害者の自己決定をその中心として明確化している。それに比して、行動計画はESCAP事務局が用意した草案に広く各層からの意見を募って作成されたので広範囲に問題を取り上げているが、焦点が一本化していないという弱点がある。
 計画は「序」、「問題分野」、「地域協力と支援」の3つの部分から成る。「問題分野」には、国内調整、法律の制定、情報収集、啓蒙活動、アクセスと情報伝達、教育、職業訓練と雇用、障害原因の予防、リハビリテーション、福祉機器、自助グループ組織化の11分野が含まれる。各分野はさらにいくつかの項目に分かれ、それらは世界行動計画の中で自明のことゆえ触れられていなかったこと(国内調整委員会の仕事としての行動計画の自国語への翻訳など)、特にアジアで必要なこと(禁煙による健康推進をとうしての障害原因の予防、女児障害者や女性障害者対象の識字教育など)、世界行動計画で言われていることの繰り返し(障害者の自助団体への支援等)、世界行動計画作成時にはなかったこと(電子機器へのアクセスなど)に分類できる。アジア太平洋においては障害予防は今でも優先課題ではあるが、これからの十年はむしろ障害者の機会の均等化に力点を置くことが了承された。そして障害予防について言及する際は、「障害原因の予防」または「伝染性疾患と避けられうる障害の原因の予防」の表現を用いること、及び障害者の権利や尊厳を損なわない範囲で障害者は予防活動に参加する権利があることが確認された。「地域協力と支援」には、ネットワ−ク作りと2年毎に報告書を提出させて行う行動計画のモニタリングと見直しが含まれる。
第1回十年推進状況検討会議[5]
 第一回目の検討会議が1995年6月26〜30日にタイ・バンコクのESCAP会議場で開催された。24ヵ国の政府に対して、44ものNGOが出席した。NGOの中には、DPI(障害者インタ−ナショナル)などの当事者団体の他に、視覚障害者を支援するCBM(クリストファ−・ブランデン・ミッション)や補装具の技術者を養成するHI(ハンディキャップ・インタ−ナショナル)などの国際的サ−ビス提供団体からバングラディシの麻痺者リハビリテ−ション・センタ−、フィリピンの階段のない家などの民間施設まで集った。障害当事者の団体は勿論のこと、サ−ビスを提供するNGOの代表にだけではなく、モルディブやフィジ−、ネパ−ル、インドなどの政府代表として障害者を出席させていたことは、障害をもつ人たちのニ−ドは障害者自身が一番よく知っているとの当事者の主張が認められる当事者主体の時代への変化を感じさせた。日本政府は現地大使館員を出席させただけで、厚生省等関係官庁からの派遣はなかった。
 十年の行動計画となるアジェンダ・フォア・アクションの過去2年間の実践に関して、ESCAPが事前に各国政府や関係NGOに対して配布したアンケ−トに基づいての報告から始まった。十年開始後の2年間の実践としては、タイの1991年の「障害者リハビリテーション法」や1992年のフィリピンの「障害者マグナカルタ法」が成立した流れを受けて、各国から多くの成果が発表された。[6]
 行動計画実施のための各問題分野にわたる優先的到達目標と到達年が採択された。それらをみると、サ−ビスや施策の統合化及び、障害者の政策決定への参加という2つの傾向が顕著であった。国内調整委員会の設置や障害者の権利を守る法の制定、社会保障制度の導入、公共建築物や公共交通機関のアクセス化、自助具購入ための補助金、雇用に貢献した人の表彰など、日本では既に着手しているものも数多くあった。統合教育に関しては、実施のための具体的な時間的な枠組みが到達点として示されず、世界の流れに遅れを取っているとの印象を受けた。
 9月に北京での第4回世界女性会議を控えていたため、会議直前の2日間に約30名ほどの女性障害者を集めて、トレ−ニング・ワ−クショップも開かれた。アジェンダの全問題分野を網羅したここでの勧告は会議でさらに討議され、次のように報告書に添付された[7]。
 (1)国内調整ー国内で女性障害者の問題に関する政策や決定に女性障害者が関与できるようにすること
 (2)法律ー女性障害者の権利の保護と推進
 (3)情報と(4)啓発ー政策策定と活動の基盤づくりと国民の理解の推進を目的とすル、女性障害者の状況に関する情報作り、収集、提供
 (5)アクセスの度合いとコミュニケ−ションー 一般の障害者に対する勧告と同じ
 (6)教育ー全ての障害を持つ女子や女性が教育の機会を与えられることの保証
 (7)訓練と雇用ー障害を持つ女子や女性の職業訓練や雇用での平等な機会の提供
 (8)障害原因の防止ー一般の障害者に対する勧告と同じ
 (9)リハビリテ−ション・サ−ビスー障害を持つ女子や女性が保健やリハビリテーションのサービスを平等に利用できる保証
 (10)福祉機器ー障害を持つ女子や女性がもっと福祉機器を利用できるようにすること
 (11)自助団体ー自助団体の討議事項に女性障害者の問題を入れるよう彼女たちの能力の強化、ならびに団体での政策や決定に影響を与えるための平等な機会の提供
 (12)地域協力と支援 障害を持つ女子や女性の向上に関する情報や経験の推進と分かち合い、ならびに地域会議に必要な彼女たちの能力の強化
またワ−クショップ参加者が持参した色とりどりのバナ−は会場で継ぎ合わされて展示され、会議最終日には長い帯状となって会場を取り囲んだ。
 NGOの積極的な参加によって、ESCAPのお役所然としていた雰囲気が薄まったが、展示に力が入りすぎてお祭り騒ぎ的になったとの批判もあった。展示は会議場1階で、各国のNGOを中心に障害者の作品販売や活動に関して行われた。日本の国立身体障害者リハビリテ−ション・センタ−の佐賀錦やさおり織も紹介された。
第2回検討会議[8]
 国連ESCAP(アジア太平洋経済社会委員会)主催の「アジア太平洋障害者の十年中間点記念会議」は、韓国保健福祉省と韓国障害者リハビリテーション協会の協力を得て、9月25−29日に韓国ソウル市の最高級ホテルであるロッテホテルで開催された。そして、「RI(リハビリテ−ション・インタ−ナショナル)アジア太平洋地域総会」と、日本人だけでも300 人と言う最大の参加者を集めたRNN(アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議)の「アジア太平洋障害者の十年キャンペ−ン97」を含めた「ソウル国際障害会議」の一部として行われたので、全体的にはフェスティバルのような雰囲気であった。
 かたやESCAP会議は国連の会議の常として英語だけでおこなわれ、NGOに関しては事前に参加を認められた代表者に制限されたこともあって、ひっそりと行われた。24ヵ国[9]、国連の1団体[10]、国連事務局1部署[11]、オブザ−バ−としての28NGO[12]が集った。マカオやトルクメニスタンなどの初めてこの種の会議で見る国もあった。代表団にナロン上院議員がいたタイが、障害者を参加させていた唯一の国であった。日本は総理府障害者福祉推進本部、厚生省障害者保健福祉部、文部省初等中等教育局、労働省雇用安定局、外務省アジア局、駐タイ大使館から計9人という最多の代表を送っていた。太平洋からはオ−ストラリアとパプア・ニュ−・ギニアしか出席していなかった。NGOはせっかく多数が登録を認められていたのに、DPI日本会議とADIのみが最初から最後まで出席しただけで、大半はほとんど顔を見せずせっかくのチャンスを逃し残念であった。
 会議[13]は実質3日間であった。1日半は各国の報告に費やされ、国連の団体とNGOには約半日が発表のために与えられた。どの国も報告は実績中心となり[14]、実際障害者がどの程度の質の生活を送っているのかをそこから想像するのは難しかった。最後まで発表の時間が与えられるのか否かが不明であったのも原因と思うが、NGOは準備不足で発言の場に臨んだところが多く、全体的に迫力にとぼしかった。
 ベンクト・リンドクビスト特別報告官に対しては、国連の一職員にも等しい扱いしかされなかった。「アジア太平洋の十年のためのアジェンダ・フォア・アクション(行動課題)」があったためにアジアでは注目されることが少なかった「障害者の機会均等化のための基準規則」を、彼は行動規範であると説明し、行動計画であるアジェンダとは異なるものであるとした。彼の出席によって今回やっと両者の関係が明白となると期待したが、10分ほどの短い時間では十分な説明が得られず、がっかりした。
 最終日の午前中はESCAP事務局作成の「十年後半への提言案」が討議された。個別のことに関わるときりがないので、できるかぎり全般的な事項でまとめたいというのが事務局の意向な文案であった。女性障害者の一項目をいれてもらうだけでも大変で、インドに先ず提案してもらい、事務局の反対はあったが、数ヵ国が続いて支援に回ってくれたたために成功した。せっかく原案に入っていた手話と点字に関する2項目は、現状を説く当事者が誰も会場に姿を見せていなかったために、他の障害にも公平にという理由で削除された。地雷に関しては、禁止条約に調印しなかった日本や韓国が条約の批准を取り上げた原案に反対し、前回の評価会議で同意された表現に後退した。自立生活はDPI日本会議からの発言で、付け加えられた。
「アジア太平洋障害者の十年の後半への提案」
 1国内調整
   政府は以下のことをしなければならない。
  (a) 「十年」関連のプログラムや活動の実施、立案の鍵を握るすべての人々の参加を保障することを目的に、障害に関する国の調整委員会の設立と強化によって、障害関連の事項で国内調整を推進することを再決心する。
  (b) 「十年」の後半の国内活動計画を策定し、全体的な国内開発計画や執行中のプログラムにおいて部門別計画の中に組み入れる。「十年」後半の各国の計画はスケジュ−ルにそって、特に不利益を被るグル−プを考慮して部門枠を越えての取り組みを強調し、モニタリングと評価のための既存の機構と適切な資源配分の方法を入れなければならない。
  (C) 「アジア太平洋障害者の十年」のための「アジェンダ・フォア・アクション(行動課題」)実施の際に、「障害者の機会の均等化に関する国連基準規則」にさらに配慮する。
 2立法
   政府は以下のことをしなければならない。
  (a) 既に立法化されていない国では、すべての障害を持つ人たちの完全参加と平等を阻む障壁、特に障害をもつ女性や子供が直面する障壁を除去するために、優先順位に沿って補率を施行する。
  (b) 障害を持つ人の完全参加と平等への障壁を除去するための法律が効果的に実施されモニタ−されることを保障するために措置を講じる。
  (c)(i)障害を持つ人たちの完全参加を制限し、帰化員均等化に反する差別を行う条項の修正または取り消しや、(ii)障害を持つ人の権利を守り、建築やコミュニケ−ションでの障壁を含む、差別的しきたりを削除する基本法の制定を準備することで、犯罪法や民法、政策条項をはじめとする、すべての実体法と手続法を検討する適切な機構をつくる
 3情報
   政府は以下のことをしなければならない
  (a) 障害関連事項の情報センタ−とデ−タベ−スを設置し、維持する。
  (b) 該当国は、アジア太平洋統計研究所(SIAP)屋他おの適切な機関の支援をうけて、国内の統計担当者の訓練や、特に障害の定義、質問用紙のデザイン、抽出方法、計数訓練、他のデ−タ収集活動、性別や年齢別障害デ−タの図表化と表示に関して障害問題に関する訓練を始める。
  (c) 全ての将来の人口調査で障害に関する質問を入れ、障害問題に関する定期的調査を行う。そのために、調査員は適切な訓練を受けなければならない。
  (d) 障害に関するデ−タの配布と検索のためにインタ−ネットを適切に使用する。
 4啓発活動
   政府は以下のことをしなければならない
  (a)1998 年から「十年」中間点を記念し、「十年」後半の開始を知らせる全国的啓発キャンペ−ンを、障害を持つ人の完全参加と平等を推進する記念切手やコイン、初日の郵便カバ−の発行、障害者のスポ−ツ競技会や展示や上演する芸術祭の開催、12月3日の国際障害者の日を記念しての、全国または地域での民間や民衆のメディア、草の根の活動をも含めたマスコミのキャンペ−ンの実施などのいろいろな手段を通して実施する。
  (b) 障害を持つ人たちに関する情報資料の製作、著名人の参加、若者への障害者のためのボランティア活動の奨励によって、若い人たちの中で啓発を進め、意識を高める。
 5アクセス化とコミュニケ−ション
   政府は以下のことをしなければならない
  (a) まだ実施していない国では、障害者を参加させて、公共の建物や施設、公共交通サ−ビスへの障害者のアクセスに関して、国内状況を検査し、評価する。
  (b) すべての既存の公共建築物、施設、住宅、教育施設、スポ−ツやレクリエ−ション施設へのアクセス度を向上させる策を講じ、地方自治体による適切な行動を推進し、全ての新しい建築や統べ改造や増築にバリア−・フリ−の特徴を取り入れる。
  (c) 鉄道網をはじめとする、全ての大量輸送制度やシステムへのアクセス度を完全にするために策を講じ、段階的に既存の交通制度において障害を持つ人たちや高齢者のためにバリア−・フリ−施設と利用者に易しい特徴を組み入れた計画を作る。
  (d) 障害者の情報へのアクセス、移動、自立を推進するコミュニケ−ション制度を支援する。
 6教育
   政府は以下のことをしなければならない
  (a)(i)障害を持つ子供の教育のニ−ドに対する社会教育、(ii)学校入学率、物理的アクセス、必要な教育機器と支援スタッフ、早期療法サ−ビス、ニ−ド中心のカリキュラムを向上させて、障害を持つ全ての子供の教育機会の向上と増加の保障、(iii) 障害児の特別なニ−ドに関する専門家の訓練と普通校の事務職員と教師の支援の獲得、(iv)教育継続のために不利益を被る環境からの障害児への経済的、社会的支援の提供によって、インクル−シブ・エデュケ−ションを初めとする、特殊教育ニ−ズに見合った教育を全障害児へ提供する。
  (b) 通常の学校に通えない障害児のために遠隔地教育を利用できるようにさせる。
  (c) 適切な環境での障害を持つ人々のための職業教育を初めとする、成人教育や非公式な教育を推進する。
 7訓練と雇用
   政府は以下のことをしなければならない
  (a)(i)障害者が雇用を見つける援助をする、政府の役人、NGOスタッフ、民間部門や家族の能力を高め、(ii)障害者のための雇用斡旋プログラムや適切な職業訓練機会を開発し支援する政策を策定し、(iii) 一般雇用に充分に資格のある障害者の権利を認めることによって、障害者の職業斡旋の機会を向上する
  (b) 労働市場の現在と将来の需要に合わせた障害者の新規の雇用機会を見つけ、開発し、これらの分野での訓練を行う。これには全身性障害者や支援付きの環境を必要とする人たちへの特別なアレンジが含まれなければならない。
 8障害原因の予防
   政府は以下のことをしなければならない
  (a) 対人地雷の製造、使用、販売を禁止する国際的キャンペ−ンに参加する。
  (b) それぞれの国で収集したデ−タに示された優先事項に合わせて特別な障害の予防プログラムを発展させる。
  (c) 障害の流行と発生の両方を減少させるために、障害原因の早期発見や予防接種の普及、最も流行している予防可能な障害原因の駆除のためのプログラムを開発し、強化する。
 9リハビリテ−ション・サ−ビス
  (a) 国内のリハビリテ−ション・ニ−ズに関する研究と調査を行い、適切なら、特に農村でリハビリテ−ション・サ−ビスを設置し強化する。
  (b) 国内の地域に根ざしたリハビリテ−ション(CBR)の開発と実施を、特にこの分野での人材開発を強調して、優先する。
  (c) リハビリテ−ション・プログラムに障害を持つ人々、その家族、地域社会、NGOやその他の適切な団体を参加させる努力を高める。
 10補助機器
    政府は以下のことをしなければならない
  (a) 補助機器の部品や材料の標準化を実施して、利用者、地域の製造者、関係科学機関での情報の交換と交流を通して、低価格で質の高い補助機器の地元での製造、配布、管理を推進する。
  (b) 補助機器やその部品、材料ならびに、機器の製造、修理、管理をの関税を免税とする措置を取る。
 11自助団体
    政府は以下のことをしなければならない
  (a) ニ−ドが提示されているところには、障害者が農村の障害者自助団体にさらに力を入れるように支援するプログラムを奨励する。
  (b) 障害を持つ人たちの自助団体を推進し、さらにそのような自助団体の障害の枠を越えた連合体を推進することの価値を認識する。
  (c) 可能な限り、障害者の自助団体が全国の人たちを代表して、障害者の自立生活を目指すプログラムを実施できるように彼らに直接資源を渡す。
 12地域協力
    ESCAPやその他の国連団体や機関、その他の政府間団体、NGOや民間部門は、以下のことをしなければならない。
  (a) 全ての可能な技術援助の手段によって、前述の国のイニシャティブの実施を推進する。
  (b) ESCAPの会員、准会員がアジェンダ・フォア・アクション実施のために「十年」後半の国内行動計画策定の際に援助する。
  (c) 「アジア太平洋障害者の十年」の進展のモニタ−を継続する。
  (d) 国および地域レベルでの達成に関する詳細な評価を実施し、「十年」の終了にあたってESCAPでの討議のためにそれを提出する。
 アジェンダでは評価会議を2年に一度開催することになっている。1995年にバンコクで開催された初めての評価会議から現在までの進展が少なく、ソウルで再度評価が行われることに反対する政府もあったと聞いた。いくつかのNGOは今回の会議が第2回評価会議と思って出席したが、そのためか正式には評価会議の名称は使われなかったし、「提言」では「十年」終了時の評価についてしか触れていない。障害当事者は、「十年」の効果的な実践のためにも、是非当初の2年に1度の評価は実施するべきであると思っている。  
第3回検討会議
 二年に1度のアジア太平洋障害者の十年の進展を検討する会議は3回目をむかえ、1999年11月22-25日にバンコク国連会議場で開催された。ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)の意欲が十分に表われされるような、「アジア太平洋障害者の十年到達点の達成とESCAP地区での障害者の機会の均等化」という会議の名称がついていた。障害問題には熱心とされるバングラデシュ、中国、インド、韓国、日本、フィリピン、マレーシア、タイなどの常連をふくめた20ヶ国、WHOなどの7国際機関、25のNGOと企業の代表、および政策とアクセス、法律、教育の顧問として6個人が顔を合わせた。アジア開発銀行はその二ヶ月前にDPIアジア太平洋評議会とはじめて障害と開発に関する会議を開催したこともあり、今回が初参加となった。大平洋地区からはクック島、フィジー、パプアニューギニアのみで、オーストラリアが欠席であったことは残念に思う。障害者の参加は少なく、DPI以外ではインド盲人団体代表や法律顧問として盲人が2人、アクセス顧問としてのシンガポールの車椅子の女性のみであった。以前のように政府代表として、障害者が含まれることもなかった。日本は厚生省と総理府からそれぞれ2人の代表を送っていた。



討議中の参加者たち

 各国の報告の主なものをあげると、(1)大半の国に障害者団体の代表を加えた国内調整委員会が作られた。(2)インド、インドネシア、韓国、タイを初めとして、法整備はかなり進んだ。(3)教育に関してもブロック内の多くの国でいまだに5%以下の障害児しか教育を受けられない現状にそくして、統合教育を中心に障害児教育に取り組もうとしている。タイでは1999年を障害者教育年として障害児の就学率を高めた。(3)CBR(地域に根ざしたリハビリテーション)は有効な手段としてどこの国でも実施されている。(4)アクセスの問題に対しては各国で関心が高まりつつある。 1995年からの短期間の進展に制限されていたものの、多くの成果が語られた。[14]
 会議の後半では、参加者は「国内調整、法律」、「情報、啓発、自助団体」、「アクセスと福祉機器」、「リハビリテーション、雇用と訓練、障害原因の予防」に別れて、1995年に設定された各分野ごとの7到達目標が達成されたのか、到達年をずらして実行すべきかがチェックされ、内容の修正、追加も行われた。この会議の直前にESCAPが5日間の「障害を持つ子供と若者の教育に関する21世紀にむけた地域フォーラム」を開催し、教育に関してはそこで採択された提言を採用した。[16]
 提言の中には、国内調整では関係者間の効果的なコミュニケーション経路の設置など5項目、雇用と訓練ではそれらに関する法律を評価する機構の創設など新たに5項目の追加などどがある。フィリピンはほとんど全ての到達目標を到達年までに実施しているであるが、他の国が今後本当に達成できるのか気掛かりである。バングラデシュ代表は実際いくつかの項目に到達は難しいと意見を述べていた。今回の政府代表にはよく勉強して専門的知識をもつ人が多く、手話の意義や自立生活運動の定義についてNGO代表と議論できていた。
 2002年の最終年の会議開催地はまだ決定していないようであるが、各国ごとに達成度が厳しくチェックされるのはまちがいない。勿論、国連の諸機関やNGOもそれぞれの関連分野でその責任を追求されるはずである。
アジア太平洋地区団体間委員会
 アジア太平洋地区機関間委員会(RICAP)は、ESCAPの活動への諮問と推進を支援するためにESCAPを事務局として、国連諸団体と国際NGOがメンバーとなって作られた。その障害関係問題小委員会の活動は特に活発であり、十年の行動計画実施のためにESCAPの数々のプロジェクトを手伝ってきた。小委員会には、UNICEF、国連開発計画、国連環境計画、国連難民高等弁務官事務所、ILO、FAO、UNESCO、WHOなどの国連諸団体、アジア開発銀行のような政府間機関、NGOとしてはアジア太平洋脳性マヒ協会、CBR開発訓練センター、CBM、DPI、ハンディキャップ・インターナショナル、RI、世界盲人連合、世界聾者連盟などが加わっている。ESCAPの会員各国も勿論参加できる。ただし自費で出席することになっているので、バンコクに事務所をもっている所や、資金を捻出できる大きなNGOに参加が限られる傾向がある。残念ながらDPIは今まであまり積極的に参加していなかった。



アクセスの提案をする当事者団体代表者

 小委員会は年二回会合を開き、その第18回会議が十年の会議終了の翌日、11月25日に開催された。十年会議から引き続き8ヶ国の政府、5国連団体、1政府間団体、14NGOが出席した。
 18回会合はすでに前日3日間でかなりの話し合いがなされたので、主な討議事項はほとんど十年後の活動に関してとなり、あとは情報交換に費やされた。DPI日本会議が用意した「アクセスの十年」の提案は、そのままDPIアジア太平洋評議会の提案として発表された。それに対して、雇用や訓練に関心をもつNGOからアクセスだけでは環境面での問題を論じているだけと見なされ重要な雇用がないがしろにされてしまうとの意見も出された。アクセスの持つ広範囲な意味を表すためにあえて「アジア太平洋障壁からの解放運動(Asian and Pacific Movement for Freedom from Barriers)」と呼ぼうとの意見が採用され、ESCAP総会での決定に委ねるべく、19回の小委員会会議でその詳細がつめられることになった。

十年延長の決定
 
2002年5月のエスキャップ総会が第2次十年採択の山場となった。DPI日本会議は5章に渡る提案を作成し、ブロック事務所等の審議を経て幾つかの補強がされた後、次期十年の提案の英訳版が完成させた。そして障害者が提案する十年の重要性を印象づけるために人海戦術にでた。バンコクでのDPIブロック評議員会をに加えて、女性障害者セミナーも同時開催した。フロック評議員16人を含むそれらの出席者50人近くがオブザーバーとして、各国からの代議員を取り囲む形で総会議場に陣取った。NGOとして新十年行動計画の提案を行った他に、それぞれが自国政府代表への根回しにも走り回った。20ヶ国以上の支持があっという間に集まり、次の十年が決定した。
質の高い運動を目指して
 次の十年の内容は10月末の大津での十年の評価のための政府高官会議で琵琶湖ミレニアム宣言として出されることになった。その叩き台作りは6月の専門家会議で行われた。再度バンコクに乗り込んだ。5月の我々の提言が宣言の骨格になっていた。障害者の権利の重視と貧困の撲滅が中心で、最初の十年より進歩した内容だ。しかし、題名は「包括的、バリヤーフリーな、ライトベイスド、権利に基づく社会をめざして」となっており、フリーダム・フローム・バリヤー(障壁からの解放)の表現が環境面に限定された印象が強いバリアーフリーに代わっていた。エスキャップ事務局は敢えて狭義な解釈を使おうとしていた。専門家会議でDPIの4名のメンバーが順次発言を求め、再三にわたり障壁全般からの解放の必要性を強調した。会議でははもとの表現に戻ったが、最近配付された資料ではまた逆戻りしていた。
 このままの狭義で使われるのであれば、問題が残るので、琵琶湖会議の場でDPI として再度提案する必要がある。
十年に対する世界の見方
 十年前に、アジアが「国連障害者の十年」をさらに十年延長しようと呼び掛けた時、世界は反応しなかった。しかしESCAPが上手にリーダーシップを取り目に見えた成果が出てきた今、十年を選んだアジアを羨む声が出てきている。アフリカでは2000ー2009年を「アフリカ障害者の十年」とすることを決定した。中東地区でも、レバノンの障害者リーダー、ナワフ・カバラを中心に国連本部に「中東障害者の十年」をやりたいとの相談を寄せられていた。やっと国連の西アジア経済社会委員会(ESCWA )と アラブ同盟(Arab League )の同意をとりつけ、2003年より「アラブ障害者の十年」(Arab Decade of Disabled People.)を開始することになった。そのため2002年10月 2-5日にベイルートで準備のための地域会議が開催される。アジア太平洋障害者の十年は、障害者施策推進のモデルとして認められた。
 十年に弊害があるとすれば、それは十年の行動計画を重視するあまり、「障害者の機会均等化に関する基準規則」がなおざりにされたことである。基準規則はNGOの代表も含めた多くの人が討議を重ねて作成したものであり、そこには行動計画では十分に言い尽くされなかった障害者の権利を擁護するという姿勢が貫かれている。アジア太平洋で基準規則への関心がずっと低いままであることの弊害は、国連での権利条約を求める運動への関心も低いと言う結果をうんでいる。

                                   (2003年10月30日)



[1]本稿は、月間福祉(「世界の障害者施策(1)−アジア太平洋障害者の十年」、83:4、2000年3月、84-89頁、全国社会福祉協議会)に掲載されたものに加筆した。
[2]高嶺豊、「アジア太平洋の障害者の十年 − 途上国にとっての意義」、第12回アジア障害者問題研究会での報告、1992年6月6日
[3]長瀬 修「アジア太平洋障害者の十年──その背景と意義」ワールド・トレンド、1997年6月、アジア経済研究所
[4]中西由起子、「アジア太平洋の障害者の十年への取り組み − ESCAP及びDPI北京会議報告」、第18回アジア障害者問題研究会での報告、1992年12月12日
[5]中西由起子、「アジア太平洋障害者の十年の進展の具合−ESCAPの会議より」、第50回アジア障害者問題研究会での報告、1995年8月5日
[6]ESCAP. Asian and Pacific Decade of Disabled Persons, 1993-2002: The Starting Point, 1993, United Nations, New York
[7]中西由起子、「連載 アジアの障害者2−障害をもつ女性たち」、福祉労働88号、2000年9月、155-162頁、現代書館
[8]中西正司、「アジア太平洋障害者の十年の評価 − 韓国でのESCAP会議の報告」、第75回アジア障害者問題研究会での報告、1997年10月11日
[9].オーストラリア、バングラデシュ、ブルネイ、カンボジア、中国、香港、インド、インドネシア、イラン、日本、ラオス、マカオ、マレーシア、モンゴル、ミャンマー、ネパール、パキスタン、パプア・ニュー・ギニア、フィリピン、韓国、スリランカ、タイ、ツルクメニスタン、ベトナム
[10].ユニセフ
[11]ニューヨークの国連本部の政策調整・持続的開発局障害に関する社会開発委員会。ここを代表して国連機会均等化のための基準規則実施に関する障害特別報告官である、元スウェーデン社会大臣である視覚障害のベンクト・リンドクビストが出席。
[12].インド・アクションエイド、アジア・ディスアビリティ・インスティテート(ADI)、アジア太平洋脳性麻痺協会、障害者福祉協会(インド)、CBM,チュンニップ・ポリオ・センター、障害人権、DPI,DPIアジア太平洋評議会、DPI日本会議、DPIタイ、HI、HAREKAT、国際視覚障害者教育評議会、国際障害協会、心身障害合同協議会、韓国聴覚障害者協会、韓国ろう者協会、韓国盲人連合、韓国障害者雇用促進協会、韓国特殊教育研究所、韓国全国社会福祉協議会、韓国義肢装具協会韓国障害者父母の会、マレーシアろう者連盟、アジア太平洋障害者の十年推進地域NGOネットワーク(RNN),RNN日本、RNNパキスタン、RNNニュージーランド、RNN香港、RNNオーストラリア、RI、セーブ・ザ・チルドレン(UK)、タエグ大学、世界聾連盟、ヤング・ナック・アエネアス・ホーム
[13]会議の議事1開会式(97ソウル障害者会議の中で合同で開催)
        韓国首相の歓迎の挨拶
        韓国保健福祉省副大臣の歓迎の言葉
        ESCAP事務総長の挨拶
       2議長の選出
       3議題の承認
       4各国の政策とプログラムの見直し
       5さらなる活動への提案
[14]ESCAP〈1999〉Asian and Pacific Decade of Disabled Persons: Mid-point 〜 Country Perspective. United Nations, New York
[15]ESCAP. Report of the Regional Forum on Education for Children and Youth with Disabilities into the Twenty-first Century, 1999, ESCAP, Bengkok
[16] Report of the Regional Forum on Meeting the Targets for the Asian and Pacific Decade of Disabled Persons, and Equalization of Opportunities for Persons with Disabilities in the ESCAP Region, 1999, ESCAP, Bengkok