第2回DPI(障害者インターナショナル)北東アジア小ブロック会議報告

アジア・ディスアビリティ・インスティテート
中西由起子

  

 DPIアジア大平洋ブロックの5つに分かれた小ブロックの中でも、北東アジア小ブロックは状況がわかりにくい小ブロックであると言われていた。韓国と日本はいろいろ活動しているにも拘わらず英語での情報発信を億劫がっていたためであり、中国はCDPO(中国障害者連合会)による医療サービス受給者数などが含まれたそれなりの英語版年次報告は出ているものの国土が広大なためそれによって障害者の生活がどう影響を受けたかの把握は難しかったためである。モンゴルの場合は英語を解する者が少なく、唯一の情報源であったモンゴル障害者連合を支援する日本のNGOが支援を止めてしまい、民主化で混乱している経済状況では何も起きていないだろうと想像する他なかった。
 しかし福岡で2005年6月9−12日に福岡国際会議場で開催された第2回DPI北東アジア小ブロック会議に出席してみて、どの国でも障害者の運動によって大きな変化が起こっていることが理解できた。
 参加者は 
中国代表 張 宝林(中国障害者連合会理事)
     段 小蕾(中国障害者連合会)
日本代表 三澤 了(DPI日本会議議長)
     尾上浩二(DPI日本会議事務局長)
     中西由起子(DPI日本会議常任委員)
     山田昭義(DPI日本会議前議長)
韓国代表 イ・イクソプ(韓国DPI会長)
     イ・ソック(韓国DPI事務処長)
モンゴル代表 サインバヤ・サムダンジャムト(モンゴル障害者連盟議長)
       プレブジャブ・ガラチョイジル(モンゴル障害者青年連盟理事)
DPIアジア太平洋ブロック 中西正司(DPIアジア太平洋ブロック議長)
             福田暁子(DPIアジア太平洋ブロック事務局次長)
 最初の議題となった「物理的なバリアの解消に向けて」では、日本の最近のアクセスかの進展が紹介されたが、「障害者、高齢者、妊婦などの便宜増進法」に加えて、運動の成果により2005年1月には「交通弱者の移動便宜贈進法」も制定された韓国での発展も目覚ましかった。中国では現在、民生部、建設部、高齢者委員会、障害者連合会の4つが中心となり政府の5年計画にそい、北京、上海、大連、天津等の12都市をモデルに大幅なバリアーフリー化が進んでいた。例えば、2002年以降新設のオフィスビルなどのアクセスが義務化され、2004年末までに広場、商店街、地下鉄、バスの駅などで点字ブロック設置が行なわれた。しかしは予想どおりモンゴルは発表すべき内容がなかったのか、90年に設立され21県9箇所に4千人の会員がいる等、自分たちの団体の概要の発表に終わった。
 議題2では「地域生活支援の方策」が取り上げられた。当然のこと自立生活が話題となったが、モンゴルは障害者のパン工場、フエルト作品工場等4箇所ができたと発表する等、中国やモンゴルの代表にとっては経済的自立しか思い浮かばず、彼らへの自立生活センター等の説明に手間取った。一方韓国では、97年に自立生活の議論が始まって以来、財政的支援がないので、ピアカウンセリングや介助者派遣は十分ではないものの20箇所ほどの自立生活センターが設立された。今年から政府の試行プロジェクトとして10の自立生活センターに1億5千万ウォンの予算がつき、4千万ウォンはセンターの運営費、残りは主に介助者派遣に使われることになっている。
 議題3「障害者権利条約推進のための方策」は、韓国政府代表団の一員として国連障害者の権利条約特別委員会に毎回出席しているイ・イクソプ韓国DPI会長の講演会の様相を帯びた。2001年12月にフォックス・メキシコ大統領による国連で障害者の権利条約の必要性の提起から始まり、2005年8月の第6回特別委員会に至るまでの経緯に至るまで、日本に取っても参考となる話も多く皆熱心に聞き入った。25条の条約草案の説明においては、「自立生活(independent living)」を条文の中に入れようと努力しているが、「自立生活運動」がアメリカの運動であり、身体障害に限られているとの誤解もあるので、日本政府代表もこの件を支持するように働きかけて欲しいとの要望もあった。後半には、条約の必要性をメキシコとともに先ず世界に訴えた中国が36の障害者の権利に関する国内法を人権条約に基づいて修正し始めたなど、人権に配慮した活動にも力を入れていると発表した。
 第3回北東アジア小ブロック会議は中国で2007年について開催されることが確認された。その際には北京でのオリンピックの前年であることから町のバリアーフリー化が大幅に進んだのを見ることができるであろうし、各国でのさらなる障害者権利の推進状況の進展ぶりに関する多くの報告も期待されている。
 その後福岡宣言が採択され、討議は終了した。
 各国代表はその後フィールド・スタディとして、地下鉄に乗ったり福岡のアクセスチェックを楽しんだ。また引き続き開催されたDPI日本会議総会においては、セミナー形式で北東会議での討議の報告を行なった。

(2005年6月29日)