平等に向けて:中央アジアの障害運動の創設

Towards Equality: Creation of the Disability Movement in Central Asia


勝井久代
ヘルシンキ大学社会科学学部社会政策学科・開発研究所
2005年2月

プロローグ

できるだけ多くの人に障がいと開発について理解してもらうことを目的として、本書は博士論文を簡潔にまとめたものである。本書が障がい者と区別されている人々の平等に役立つのであれば、自由に印刷、配布していただいてかまわない。

本書は1つのテーマを1ページ完結で取り上げている。テーマ、インタビューからの引用、説明文、そしてまとめとなるポイントの4点から各ページが構成されている。興味のあるテーマを選び、自由に読み進めていただきたいと思う。

本書を作成するに当たり、フィンランドの外務省とKynnys(フィンランドのDPO)から資金援助をいただいた。また、山村貴之氏には本書の推敲を手伝っていただいた。ここに深く感謝したい。

2005年、ヘルシンキにて

勝井久代

博士論文情報

博士論文全文が無料で以下のホームページからダウンロードできる。
http://ethesis.helsinki.fi/julkaisut/val/sospo/vk/katsui/

題目:    Towards Equality: Creation of the Disability Movement in Central Asia
著者:    Hisayo Katsui (勝井久代)
連絡先:   Institute of Development Studies
     Unioninkatu 38 E, University of Helsinki, 00014 Helsinki, Finland
     Tel: +358-9-191-24276
     E-mail: hisayo.katsui@helsinki.fi
出版社:  Helsinki University Press, Finland
出版年:  2005
ページ数: 207 pages

     Department of Social Policy Research Reports 1/2005
     ISSN 1795-4703
     ISBN 952-10-2256-6 (Paperback)
     ISBN 952-10-2257-4 (PDF)


目次

プロローグ
博士論文情報
目次
主な略字
博士論文の要旨

貧困と障がいの関係
障がいの定義
旧ソビエト連邦の障がい政策
中央アジアの障がい政策
社会の偏見
人生の転機: 教育、就職、結婚
差別の悪循環

中央アジアのNGO
中央アジアのDPO
DPOと国内のアクターの関係
DPOリーダーとメンバーの格差
国際協力: フィンランドの例
障がい者の消極性に立ち向かう
参加は過程であり、答えではない
NGOのジレンマ

中央アジアのアクターへの提言
「先進諸国」への提言
政策立案者への提言

エピローグ
参考文献

主な略字

DPO: disabled peopleユs organisation: 障がい者団体
NGO: non-governmental organisation: 非政府組織
GONGO: government-oriented NGO: 政府関連の非政府組織


博士論文の要旨

この論文は障がいの分野における国際協力のプロジェクトに焦点を当て、特にフィンランドのDPOが中央アジアで実施したプロジェクトの影響を研究したものである。中央アジアは広義にも捉えられるが、ここでは旧ソビエト連邦諸国であるカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トゥルクメニスタン、ウズベキスタンの国々をさしている。障がい者の多様性に注意しながら、2000年から2003年にかけて行ったインタビューを主なデータにしているため、論文ではできる限り彼らの生活が彼らの言葉で語られるということに重点を置き、これまでに無視されることの多かった「弱者」の声を多く引用している。

前述のプロジェクトの影響を研究するに当たり、まず第一に中央アジアの状況について詳しく調べる必要があり、中央アジアの障がい者の人々の暮らしを調査し、何が彼らを「弱者」にしているかというメカニズムを解明した。その結果、多様なグループが多層にわたり差別を作り出しているという構造が浮き彫りになった。例えば、現在の政府の障がい政策が医療モデルに偏っているために、障がい者を社会の一部というよりは「正常」ではない、特別な存在として位置づけている。この「異常」という考え方は社会全体に広まっており、障がい者を持つ家族や身近な人々にもこの考えを持つ人が多い。このように、政府、社会、家族などの多様なグループが多層で作り出し、再生産する障がいに対する差別的思考は、現状ではその複雑な構造ゆえに打破できない状況が続いている。この構造は、ある意味「先進諸国」にも当てはまる。この構造ゆえに、各障がい者が一人一人多様な個性を持ち、多様な生活環境で生きているにもかかわらず、非常に似かよった差別の経験をするという現状がのである。

次の章では中央アジアのNGOの活動に焦点をあてている。中央アジアではNGOの概念も活動も「先進諸国」とは異なり、独裁主義の強い政府の意向を反映させざるを得ない。例えば、団体活動をする場合には法律で登録を義務付けられているが、政府と相容れない団体は登録を拒否されることが少なくない。未登録団体の活動は違法であるので、このようにして政府がNGOを厳しく取り締まっているとも言える。さらに、DPOについていうと、障がい者は上記の構造のために消極的になることが多く、DPO活動を消極的にサービスを受ける場所として捉えることが非常に多い。そのため、消極性はDPO活動を通じて再生産されていく悪循環に陥る。その結果、DPOのリーダーばかりがエンパワーされて権限を拡大していく一方で、一般の障がい者メンバーは消極性を打破するきっかけをつかめない。この状況下では、国際協力のプロジェクトが目的としている障がい解放につながらない結果となることが多い。

最終章ではこれらの研究結果を学術論文として終わらせず、現実を改善するためにどのように役立たせるかという点に焦点を当てている。中央アジアのアクター、「先進諸国」のアクター、政策立案者、そして研究者にそれぞれ提言を行っている。この章では障がい者を含めた「弱者」一般にも視野を広げた提言を行っている。

経済的には往々にして「先進諸国」「開発途上国」という呼び名で、各国を分類するが、障がいの分野に限ってみると世界中のすべての国は発展途上である。いまだかつて障がい者にも平等の権利を保障し、それを実行に移せた国はまだない。その出発点に立ち、読者には障がい者が「弱者」にされている構造を理解し、障がい者への負のイメージを払拭していただけることを願う。


貧困と障がいの関係

われわれ障がい者は100%家族に依存している。われわれは政府は信じられないので、家族に依存することになる。隣近所の人にも助けてもらっている。彼らはほんとうに身近な存在だ。いつでも近所の誰かがちょっとしたものを分けてくれるから、ひもじい思いをすることはない。でもこれでは「生きている」というよりは「存在している」というほうが正しい。タジキスタンの人々は今存在しているだけだと私は思う。生きていれば、生活は楽しむものだ。でもここでは死なないために毎日どこから食べ物を手に入れるかということを考えなくてはいけないんだ。(タジキスタンの農村の障がい者I)

貧困者は障がいに、障がい者は貧困に大いに関わりがある。つまり、貧困と障がいには相関関係があることが言える。統計では世界中の障がい者のうち20%が栄養不足のために障がいを持つと言われていることからもその一端がうかがえる。


出典: UNESCO. (1995) Cited in (DFID, 2000:3) Graphed by the author.

環境の悪化、人口増加、紛争、エイズの蔓延等がすべて、機会や選択の幅の少ない貧困者の生活を悪化させている。貧困者は教育、職、健康、参政権を奪われていることが多く、障がいを持つにいたりやすい。逆に、障がい者もそれらの権利を奪われていることが多いために貧困に陥りやすい。このため、貧困者と障がい者は構造上「弱者」とされる傾向がある。

障がいと貧困は「弱者」という点でつながっている。

このため、弱者を作り出す構造を調べることが重要になってくる。次に、障がいの定義について論じる。


障がいの定義

障がい児施設では、障がい児は非障がい児から引き離されている。だから、その施設を出るときがくると、障がい児は社会に溶け込めないし、職も見つからない。すごくストレスになる。下級の人間だと感じるようになるんだ。そして非障がい者たちには異常だと言われるんだ。(カザフスタンの都市の障がい者C)

もともと障がい者と非障がい者の間には明確な線引きはない。その証拠に、定義は国によって違い、少ない国では人口の4%、多い国では20%が障がい者と定義されている。障がいには万国共通の定義はないと言える。そこでどのように障がいが定義されてきたのかを議論する必要がある。

つい最近まで障がいは医学的に診断される身体の状況が引き起こすものと考えられていた。そのため、その異常を取り除くまたは改善するための治療とリハビリが解決法とされていた。この定義は「医療モデルの障がい」と言われている。

「先進諸国」の障がい者はこの定義に異議をとなえ、独自の定義を作り出すことになる。「社会モデルの障がい」は「異常」の対義語である「正常」の定義をしなおすことにより、障がいとは社会が作り出す差別であると定義されてきた。つまり、障がい者は意図的に一線を画されて「正常」というグループから排除されているという考えである。このようにして、このモデルでは障がいを個々人の問題ではなく社会の問題として捉えるようになったのである。

これが転機となり、「先進諸国」の障がい解放運動が始まった。これまで非障がい者に支配されてきた歴史に学び、障がい者の視点で現実を理解し始めたのである。

さらに「政治モデルの障がい」では障がいを人権侵害と定義する。人権が障がいのみではなく、その他多くの人間の特性にも関わることから、このモデルでは持ち合わせたその他全ての特徴にも焦点を当てる点が前述の二つのモデルとの相違である。政治モデルでは障がい者自身が障がいを解放していく立役者となる。まずは障がい者自身が権利を理解し、個人として、またグループとして障がい者を「弱者」ににしている社会構造に取り組むことになる。

定義によって障がい者がどう位置づけられるかが定まっている為、どの定義を使うかは大切である。

次に、どのように政府はその政策の中で障がい者を位置づけているかを議論する。まずは旧ソビエト連邦(ソ連)を1つの事例として見てみる。

旧ソビエト連邦の障がい政策

旧ソビエト連邦は法律も人権も無視していた。人には主体性がなかった。例えば、
国連障がい者年は私たちには知らされず、その情報は隠されていたんだ。その代わりに、「ソ連には障がい者はいない。」「障がい者問題なんて存在しない。」と言われていたんだ。(ウズベキスタンの都市の障がい者E)

「ソ連には障がい者はいない。」というのはその文字通りの意味ではない。このように言われていたのは、当時のソ連のイデオロギーと障がい者の存在が矛盾していたからである。それゆえ、障がい者は社会に存在してはいけなかったのである。例外的に教育を受けて就職している障がい者も中に入るが、少数に過ぎない。この研究のインタビューでは、多くの人がこのソ連の負の遺産を現在の差別の原因の一端にあげている。障がい者が存在してはいけないという社会ルールがあったのはほんの15年前の話だからだ。

ソ連の共産主義のイデオロギーではすべての国民が就業し、公私の目標は同一だとされていた。働くための身体的な「正常」と就業能力が何よりも重要視されていたのである。この考え方が、ソ連の障がい者を「異常」として分類することになる。障がい者は、医療学的な診断によって3つのカテゴリーに分類されていた。カテゴリーによって毎月の障がい年金の額が決まるのである。このカテゴリーは一時的に疾病、または怪我を負った人が治療とリハビリを経て完治し、再び就労できるという治癒のサイクルを前提としていた。その為、障がい者は障がいが慢性であるためそのサイクルに該当せず、就業という目的に到達できない「異常」とみなされていたのである。つまり、障がい者はまず健康ではないという点、さらに完治されないという点で二重に「異常」とみなされる。この政策によって、障がい者には「無価値(Invalid)」という呼び名が使われるようになった。「平等の機会の保障」ではなく、「平等の扱い」がカテゴリーのシステムに顕著なソ連の障がい政策によって障がい者を苦しめている。

他方で、非障がい者は障がい者が存在しないというプロパガンダを信じるようになる。障がい者は施設に入れられるか、あるいは家の中に閉じ込められていたために、人々が障がい者を目にすることが極端に限られていた。このように、障がい者の存在は政府に管理されていた。障がい者は消極的に政府の思惑通りにするしか選択の余地はなく、ひどい差別と障害だらけの都市計画が進んだ。こうしてソ連から独立するまでには中央味各国は障がい者に大変住みにくい場所になってしまっていた。

ソ連は障がい者に「異常」のレッテルを貼った。

中央アジア各国がソ連独立後どのように障がい者に対処してきたかが次のテーマである。経済的には自由経済に移行する過渡期である現在、障がい者はどのような生活をしているのだろうか。

中央アジアの障がい政策

カザフスタンには現在最低でも38万人の障がい者がいると言われています。以前は48万人いると言われていました。10万人は一体どこに消えてしまったのでしょうか。経済的に困難な状況にある政府が、なかなかカテゴリーをあげなくなったということが関係していると思われます。(カザフスタンの都市の障がい者B)

中央アジア諸国の政府は、医学的な診断を基にし、ソ連のイデオロギーとあいまって出来上がった「誰も必要としていない人々」という否定的な障がいの概念を受け継いだ。その顕著な例が、いまだに機能し続けているカテゴリーのシステムである。

インタビューでは、政府高官たちは口をそろえて「障がい者は多くの特権を持ち、丁重に扱われている。」という。逆に障がい者へのインタビューではまるで正反対の現実が浮かび上がった。特定のサービスなしには生きていけないにもかかわらず、独立後それらが削減されていき、障がい者の生活の質はひどく悪化した。多くの特権は剥奪され、年金のみに頼る生活が始まったのだ。その年金も少なすぎる。それに加えて、政府が経済危機を理由に、カテゴリーを簡単に認めなくなっていった。このような状況下にあっても障がい者たちは政府からの制裁を恐れて声を大にすることができずに沈黙を続けるしかない。沈黙し、消極的に政府の意向に従うことこそが生き延びるすべであるという暗黙の了解ができている。カザフスタンやキルギスタンといった中央アジアの中では比較的民主的な国々の人々でさえ政府の制裁をひどく恐れている。独立後の混乱期にあり、障がい者は「弱者」の中の「弱者」としてのつらさを味わっている。

カテゴリーがもらえるように、または治療が受けられるように賄賂が横行している。賄賂は、ただでさえ非障がい者よりもお金が多く必要な障がい者の生活を圧迫している。多くの障がい者は、介助器具、介助者、タクシー代、そして医者に払う賄賂も持ち合わせず、結果的に十分な治療が受けられない。政府高官たちは自国の高度な医療制度を自負しているが、医療サービスを利用するために必要なさまざまな前提条件をクリアできない障がい者には手の届かない高嶺の花である。

独立後悪化の一方をたどる障がい者の生活は、障がい者の声が届く仕組みが存在しないためにその問題自体が認識されていない。例えば、障がい者には参政権が保証されているが、家から一歩も出られない障がい者たちには投票することが不可能である。その結果、隔離されている障がい者たちは無知にされ、声も届かず、彼らの存在はますます社会認識上排除されていくのである。

中央アジア各国の政府は独立後も障がい者の生活をより圧迫している。

次に、実際に障がい者の生活とはどのようなものかを見てみる。

社会の偏見

公共の交通機関を使うのはまれなんだが、たまに使うと回りの人たちの視線が自分に注がれているのを感じるんだ。僕は車椅子に乗っている人に比べたら障がいは軽いけど、それでもすごく注目されるんだ。僕らの国にいると、障がい者とすれ違うことはめったにない。でも障がい者がいないからではないんだ。周りの人の偏見のせいなんだ。みんなすごく無礼で、「何であんたがここにいるんだ?家に帰ってそこに一生座ってろ。」って言われたりするんだ。(キルギスタンの都市の障がい者D)

現地では数え切れないほどの偏見の体験談を聞いた。障がい者の無知と非障がい者の無知とが原因となって偏見が続いている。障がい者の可能性を知らない非障がい者は、障がい者をかわいそうな人たちと一方的に理解し社会の下層に位置づける。偏見は障がい者の可能性を無視し、障がい者自身も社会の偏見を内化して自分たちは「異常」だと思うようになる。度重なる偏見の経験が、それを確固とした認識に変えていくのである。

世の中には障がい者は存在しないと思って疑わない人々の偏見は、障がい者にはとても苦しい経験となる。ただでさえ外出しにくい上、その偏見を避けるために、障がい者はますます閉じこもりがちになっていく。たとえ彼らがいったん社会に受け入れられたと思っても、次の日にはまた別の偏見が待ち受けている。偏見は絶えることがなく、障がい者は徐々に外出が億劫になっていく。こうして直接障がい者とすれ違うことが少なくなる。メディアを通じて間接的に障がい者について知ることも可能であろうが、障がい者に関する報道は極めて少ないと言える。

偏見は外出時のみに体験するものではなく、実際には家族や一番身近な人との会話の中でも経験する。なぜなら障がい児を生むまではその家族も偏見だらけの社会の一部であるため、彼らが障がいに対して無知であることが理由としてあげられる。このため、障がい児が生まれた際には他の兄弟姉妹と分け隔てなく育てられないことは少なくない。障がい児には多くを求めない家族の態度が、障がい児自身に対する否定的な考え方を根付ける。このような社会と家族の偏見が「異常」を認識させ、障がい者は精神的苦痛を味わう。障がい者は家族がすべての世話をすることが多いが、中央アジアではリハビリから就職にいたるまで家族に依存するしか選択肢がない。そのため、家族の負担は大きく、障がい者に必要なすべてを満たすことは到底できない。家族への負担を目の当たりにして、障がい者は自身を家族の重荷であると理解するようになる。このようにして、家族への引け目と依存から障がい者には意思決定権が奪われている。そして徐々に障がい者は他者に依存する「弱者」に作り上げられていくのである。

偏見が障がい者を消極的で無知な人間に仕立て上げていく。

障がい者がこの構造から抜け出す手立てはあるのか。それが次のテーマである。

人生の転機: 教育、就職、結婚

19歳のとき **民族の人と結婚したの。彼が私を愛していると思ってた。でも、ちがったの。彼は私と結婚することで難民として自国を逃れ、永久ビザがほしかっただけだったの。妊娠したけど、彼におなかを蹴り上げられて流産した。家庭内暴力がひどくて、離婚を決意したの。(ウズベキスタンの農村の障がい者H)

人生の転機に障がい者は「弱者」であることを痛感する。その転機とは教育、就職、結婚の3点が主に言及された。これらの転機は非障がい者にとっては新しい可能性へのチャンスであり、弱点を克服する機会ともなる。ところが、中央アジアの障がい者にとっては同じ意味を持たないことが多い。ここにおいても偏見が潜んで社会的な構造の一面となり、障がい者を「弱者」として再生産しているのである。

ソ連時代、政府は教育において隔離政策を採っていた。独立後、中央アジア各国の政府は実質上その隔離政策を排除政策に変換していった。法律上は障がい児にも教育の権利があり、障がい児施設で教育を受けられるとしている。しかし、これらの施設は大都市に集中しており、農村部の子供たちは家族から引き離されることになる。さらに、交通費がかかり、それを賄うことのできない貧困層は経済的な理由から子供を施設に送ることができない。加えて、これらの施設はバリアフリーではないために、子供は介助なしで行動できなければ受け入れてもらえない。その結果、多くの障がい児が教育の機会を奪われ、家に閉じこもっている。自宅での教育の機会も法律では保障されているが、毎日の学校教育に手一杯の教員たちはなかなか障がい児の自宅訪問まで手が回らない。こうして教育を受けられない障がい児が増加し、必然的に仕事に就くことも困難となる。施設で過ごした子供たちも非障がい者との交流には不慣れで、社会に溶け込めずに就職できない子供が相次いでいる。多くの障がい者が義務教育の期間を終えても家族に依存しているのである。

結婚は障がい者の中でも女性により深刻な問題である。女性であるよりも障がい者であると思い込んでいる女性障がい者たちには、多様な暴力が待ち受けている。性と生殖の権利が著しく侵害されている。障がい者の子供は障がい者であると信じられており、女性障がい者は伝統的な女性の役割である妻、母親には適していないと思われている。女性障がい者は女性への人権侵害も重なり、激しい差別にさらされている。

これらの転機での非障がい者との相違が、障がい者に「異常」というレッテルを納得させていく。このようにして、障がい者一人一人が多様であるにもかかわらず、障がい者は一様に「異常」だと認識させられているのである。

人生の転機にも生活を改善できない障がい者は「弱者」創造の社会構造から抜け出せない。

その結果、障がい者には往々にして孤独が待ち受けている。

差別の悪循環

障がい者の心を開けられる鍵があればいいのに。鍵がほしいと痛切に思うわ。さっき話したその女の子、だんだん内向的になっていったの。「私はどうせ病人よ。外にも出られないし、何にもできない。」孤独に陥って、自殺してしまった。(...) ここ3年間で自殺率がすごく上がっているの。精神的な苦痛に耐えられなくなって、みんな自殺していくのよ。(カザフスタンの都市のDPOリーダーH)

多くの障がい者が日々差別にさらされているにもかかわらず、この問題が表面化しないのは障がい者が隔離され一人一人孤立しているからである。この孤立が差別の社会構造を現状維持させる構成要因のひとつである。

自尊心に欠ける障がい者は社会との関係を絶ち孤立している。その精神的苦痛から自分を責め、絶望へと陥っていく。この精神的苦痛の克服は多くの障がい者にとって、現状では大変困難である。それゆえ、障がい者は社会に立ち向かうのではなく現状を受け入れるようになっていく。ある人は困難は神の思し召しだと受け入れる。ほとんどの障がい者は立ち向かうという選択肢を捨て、現状を受け入れて孤立するに任せるようになる。この過程で障がい者は消極的にならざるをえない。他の障がい者の状況を知らないままに、困難はすべて自分の身体的「異常」のせいだという社会の考え方を内化していく。このようにして障がいの問題が障がい者個々人の問題にすり替わっていき、非障がい者の無知が再生産されていく。この孤立が差別を日常化させているのである。

悪循環


       消極性   孤立   社会の偏見
                       
自尊心の欠如                  社会の 障がい者の可能性への無知

                        
       否定的なイメージの内化   機会の不平等

この社会構造上の悪循環が差別を日常化している。中央アジア各国がそれぞれに多様であるにもかかわらず、この構造はどの国においても非常に似ている。

「弱者」構築の社会構造は差別を日常化していく。
障がい者の問題に取り組むために多くの非政府組織(NGO)が活動をしている。次の章ではその活動に焦点を当てる。

中央アジアのNGO

うちの団体はニュースレターを発行しているんだけど、このニュースレターにさえ書きたいことが書けないんだ。ここには民主主義というものはない。入手困難な義足の問題について書きたいよ。でもそんなことを書いたら、僕たちに対して政府が戦争を始めるよ。だから、どうしても中立的な記事しか載せられないんだ。十分な資金もないし、いろんな面で政府に頼っているから(ノ)言いたいことがいえないし、出版もできないんだ。(ウズベキスタンの都市の障がい者C)

中央アジア諸国では市民社会の概念とNGOの概念はほぼ同じものだと考えられている。なぜなら政府が活動許可をだした分野と組織にしか市民の活動は許されておらず、同時に、「先進諸国」がNGOの概念を国際協力プロジェクトを通して移入したからである。市民主導の活動というのは中央アジアでは新しい概念で、ペレストロイカの前後にようやく見られるようになった現象である。それまではほんの一握りの認可を得た団体にしか市民の活動は許されていなかった。しかも、それらの団体は政府に厳重に管理されていたのである。独立後、トゥルクメニスタンを除く国々ではNGOの数は著しく増加したが、これが民主主義とは同義ではないことが以下から理解できる。

中央アジアのNGO はおおまかにソ連時代から存在している政府に厳重に管理された組織と、新たに設立されたNGOの2つに分類できる。後者はさらに「先進諸国」のNGOと、それらのドナーに依存する中央アジアのNGOに分けられる。つまり、政府に掌握された組織(GONGO)が市民社会の大きな部分を占めており、そこが「先進諸国」との決定的な相違である。政府の管理は厳しく、政府の意向と相容れないNGOは登録を許可されないことが少なくない。未登録の組織の活動は違法であるため、政府には市民社会を左右する権限があるということになる。トゥルクメニスタンではいったん登録された組織でさえも、多くが強制的に閉鎖に追いやられている。このように、NGOの総数が増加してもそれが端的に「先進諸国」と同様の多様化につながっていないことが理解できる。

政府の統計によるカザフスタンのNGOの各セクターの割合
セクター %
環境 15
子供、若者 13.6
女性問題 13.3
社会保障 13.1
文化、教育、科学、芸術 12.5
人権 7.6
障がい者、障がい児 7.4
医療 6.8
社会開発 4.7
その他 6

出典: Kazakh government publication for the Civic Forum organised in Astana in October 2003.

中央アジア政府のNGO への影響力は非常に大きい。

次にNGOの中でもDPOの活動を見てみる。


中央アジアのDPO

ウズベキスタンの例をとってみよう。なぜ同じ国にあってあるNGOは成功しているのに、その他はうまくいってないか分かるかい? 政府の意向を反映させるNGOは政府の援助をもらって成功し、独自に活動しているところは政府からの援助がないからなんだ。(キルギスタンの都市の障がい者D

DPOの歴史は70年前にソ連が聾唖組織と盲人組織を設立したときにさかのぼることができる。それらの組織は意思決定が国の細部にまで行き届くように、モスクワから地方の最小単位の政治組織のレベルにいたるまで、ソ連的な中央集権の構造を持っていた。これらの組織に所属する障がい者たちは組織の工場での就労が許されていた。ようやくペレストロイカのころになって、身体障害者団体の設立が許可されるようになった。この3団体の細部の組織までが独立後それぞれ独立した団体として登録され、現在においてもこれらの団体へは政府の影響力が強いと言える。

DPOの総数は増加している。しかし、その半分は前述のGONGOであり、数自体では真実を語りつくすことはできない。国際協力のためのドナー(NGOも含む)が中央アジアのNGO数を増加させているという事実も見逃すことはできない。カザフスタンのNGOは収入の90%をドナーに頼っている。また、ドナーとの協働プロジェクトが終わるとNGOは閉鎖に追い込まれるという傾向もある。そのため、登録はされていても、活動をしていないNGOも多いのが現状である。ただし、障がいのセクターは比較的活発に活動しているセクターである。

活動的なDPOの数と割合
国名 1)活動的なNGOの数 2)活動的なDPOの数 2)が1)に占める割合(%)
カザフスタン 699 75 10.7
キルギスタン 1001 126 12.6
タジキスタン 595 48 8.1
トゥルクメニスタン 138 9 6.5
ウズベキスタン 465 74 15.9

出典: www.cango.net/db

GONGOと新たに設立されたNGOの相違は、その設立の経緯、メンバーの数、管理構造、政府よりかどうか、などだが、その差は徐々になくなってきている。共通しているのは以下の点である。
GONGOの活動もNGOの活動も、ほとんどの障がい者には手が届かない存在であることにはかわりがない。
次の章では、なぜDPOには障がい者への影響力が限られているかについて、DPOとその他の国内のアクターの関係を考察することにより解明する。

DPOと国内のアクターの関係

こんな状態では人権問題に取り組むのはとても困難です。視覚障がい児についての状況を説明しても、政府高官たちは何の責任も感じていないように思えるのです。戦わなければいけないとは分かっていますが、とても大変なのです。そのうち戦うことに疲れてきます。「このままでいいや。」って思うようになります。障がい児施設を改善したくとも、障がい児の親たちは政府を恐れて団体の活動を助けてくれないのです。団体の活動はとても孤独です。ひどい現状を国際機関に訴えています。国内は見限って国外からの援助を模索しているところです。国際機関は援助をしてくれますから、とても感謝しています。(タジキスタンの都市の障がい者E

この章ではDPOと国内のアクターの関係に焦点を当てる。障がい者はどの国でも少数派のため、障がい解放運動を始めるには多様なアクターとの協力、連携が必要不可欠である。

しかし、DPO間の協働は進んでいないと言える。「協働とは組織間ではなくリーダー間の個人的なつながりである。」と、あるリーダーは現状を描写する。ドナーの介入により、プロジェクトのために協力関係が構築されることもあるが、それらの関係は表面的であることが多く、同じゴールを目指して運動を進めていくまでにはいたっていない。DPO活動の多様性は個人の多様なニーズにこたえるには必要であるが、障がい問題全般を表面化させるためにはDPO間の協力関係を構築することも大切である。

政府との関係では政府側が極端に肥大な決定権を握っている。この不平等な関係の中では、政府に批判的な意見を持つことはできても、実際の関係構築はむずかしいと言える。DPOには関係構築のための足がかりが見つからないことが最大の問題となっているのである。

営利セクターとの関係はDPOが「物乞い」に行くという形でのみ細々とつながっている。独立後、多くの特権が削減されてからは、営利セクターに寄付を募りに行くことはDPOの日常的な活動の一部になっている。しかし、営利セクターも国レベルの経済危機のあおりを受け、市民社会の活動と障がい双方への理解を欠く中でその関係は一度限りの寄付をする程度の希薄なものである。

メディアは国の厳重な統制化におかれているが、関係は発展しつつある。メディアは障がい者について哀れみを誘う報道を続けている。報道関係者の偏見が問題視されているものの、報道自体は増加傾向にある。ただし、テレビ、新聞、ラジオを持っていない障がい者も多く、メディアの障がい者への影響力は限られている。

DPOは国内のアクターから孤立しており、そのため国外からの援助を模索している。

次に、DPOの活動を内側から見てみる。

DPOリーダーとメンバーの格差

法律についてのセミナーを開催しようと思ってメンバーに電話したら、「何の法律が要るって言うの? そんなんじゃなくて、私は薬がほしいのよ。」と言われたわ。(カザフスタンの都市の障がい者H)

前章ではDPOが国内で孤立していると論じたが、それでもメンバーが力をあわせれば社会への影響力を持つことができるだろう。残念ながらほとんどすべてのDPOで、メンバーが表面的な問題解決のみに終始して、その根本的な差別の構造に気づいていないために、DPO活動自体が現状維持の構造の一部になっている。

第1に、DPOに所属している障がい者の数は少ない。所属しない理由で一番多かったのは、単にDPOの存在を知らないからというものであった。障がい者が消極的にされる社会構造の中では必要な情報が届かない。日々の困難を個人の問題と認識するようになっている障がい者は、日々の問題解決のための人道援助を求め、物質的な援助での一時的な生活の質の向上を図る。人権について知る機会がないために、人権侵害についての根本的な問題解決は求めない。所属しているメンバーも、DPOの経済状況を把握しているため、多くを期待しておらず、家族だけではどうしても立ち行かないときにDPOに助けを求める。

他方でリーダーは比較的教養があり、経済的にも恵まれていることが多い。加えて、DPO活動で多様な経験を重ね、力をつけていく。国際セミナーに参加する過程で、平等という共通のゴールのために活動を進めたいという信念を深める。リーダーが啓蒙されて力をつけていくため、リーダーとメンバーの格差は徐々に広がる。情報伝達手段に欠けるDPOの既存の活動では、メンバーはいつまでたっても意思決定に必要な情報を入手できず、DPOの活動に影響力を与えられない。さまざまな前提条件の欠如した現状での障がい者への情報伝達は、文字通りお金、時間、労力のかかる活動である。そのため、DPOが多くの障がい者にとっての唯一の情報源であるにもかかわらず、情報伝達活動は後回しにされるか無視される。このようにして、リーダーへの責任は活動の拡大とともに増幅する一方で、メンバーは消極的なままリーダーとの格差を広げる結果となる。

消極的なメンバーが慈善活動を望み、そのニーズにこたえるためにリーダーは慈善事業を展開することが多くなる。慈善イベントには限られた人しか参加できないが、メンバーとの認識のずれが生じてきているリーダーたちには、メンバーがイベントに参加しないのは怠け者、消極的に見え、リーダーでさえも「弱者」を作り出す社会構造を認識していないことが多い。そして、慈善イベントに参加したメンバーたちも、イベントを通してDPOへの依存度を高め、GONGOか新しいNGOかに関わらずDPOの活動自体が障がい者の消極性を助長する結果を招いている。

多くのDPOは障がい者を「弱者」にする構造の一端になっている。

以上の国内事情を踏まえて、以下では中央アジアの障がいの分野での国際協力について見てみる。


国際協力: フィンランドの例

中央アジアの政治の文化は西欧諸国が自分たちの経験とは結びつけることができない特異なものである。中央アジアを「助ける」ことを目的にする人々が留意しなくてはいけないのが、西欧諸国の経験に基づくのではなく、このまったく異なる政治体制を理解することである。意義ある変化を遂げるまでには最低一世代の時間を要するであろう。(...) 何が起ころうとも、中央アジアの市民社会が発達するには長くて困難な道が待ち受けているのである。(Carley, 1995:315)

中央アジアは「先進諸国」とは全く異なる。それにもかかわらず、フィンランドのDPO、Kynnysは政治モデルでのプロジェクトを中央アジア諸国で実施した。この章では政治モデルの中央アジアでの可能性について考察する。

Kynnysの活動は政治モデルによるイデオロギーの譲渡、所有権の譲渡、そして資金援助の3段階にわたっている。まず、Kynnysは障がい者の消極性に焦点を当てた。人権を基本に据えて、国連の障がい者にかかわる条約等を紹介し、社会の一員としての障がい解放運動の活動家の例としての自分たちの活動を紹介した(Role Model)。つまり、フィンランドモデルを持ち込んだのではなく、大まかな人権の概念を知ることにより、中央アジアに適応する独自の障がい解放運動を発達できるようにしたのである。第2段階では、「私たち抜きに私たちのことは決めるな」という障がい解放運動のスローガンに顕著なように、中央アジアの障がい者が問題と解決に対する所有権を持つことができることを目的にすえた。フィンランドなどの外部に依存するのではなく、中央アジアの障がい者自身が参加する意義を唱えのである。第3に、人権を理解した中央アジアのDPOのリーダーたちが現状分析の結果、問題の解決策としてのプロジェクトを提案、採用されれば、フィンランドの財団よりそのプロジェクトに対して資金援助が行われた。プロジェクトを実行する過程で中央アジアのDPOが運営能力とメンバーの生活の質を向上させることが目標とされたのである。

インタビューによれば、メンバーの消極性、情報伝達手段の未発達等の様々な国内要因のためにフィンランドの国際協力プロジェクトの目に見える影響は微々たるものであった。しかし、参加者には精神的な変化が見られた。自分の人生への意思決定権を実感し始めたのである。国際協力プロジェクトの多くは、中央アジアの厳重な政治体制を鑑み、政治モデルを適用しない。精神的な変化の測定が難しいことからもこのモデルは避けられていたのであるが、この精神的変化こそ、個人の生活、DPO運営、ひいては社会運動を展開するためのはじめの一歩であることを忘れてはならない。

Kynnysも例外なく、誤解を生んだり過ちを犯すことにより、試行錯誤を繰り返してきたと言える。しかし、この3段階の活動は中央アジアの障がい者が所有権と決定権を持って自立するための興味深い例であったといえる言える。

政治モデル(人権中心のモデル)での国際協力は将来、新たに加えるべき重要な活動になっていくであろう。

次にKynnysのプロジェクトに啓蒙されたDanaの活動を見てみる。


障がい者の消極性に立ち向かう

こんなに簡単に外出というものができるなんて知らなかったの。ちょっとした段差すべてが障壁だし、いつ誰が助けてくれるか分からないもの。(...) まず最初にこのセミナーに参加したことで生き方が変わったわ。それまでは私が家に閉じこもらなければいけないのは運命だと思ってた。みんなのお荷物だと思ってた。だけど、Danaのおかげよ。彼女が精神的なサポートをしてくれたから外出できたの。彼女には本当に感謝してるわ。彼女は人間としてもリーダーとしてもすばらしいわ。(カザフスタンの都市の女性メンバーC)

これまでDPOは外出できないメンバーを消極的な人たちと捉えていたが、Danaは彼らを消極的にしている社会構造の障壁を1つ1つ取り除くことに取り組んだ。フィンランドのプロジェクトで学んだ主体性が原動力となったのである。彼女の活動は政治モデルが中央アジアに適応した方法論でならば将来可能性があるということを示している。現時点ではほんの一例に過ぎないが、内部と外部の努力がうまく実った活動であると言える。彼女の活動上の困難から、逆にどれほど現状が厳しいものであるかも理解できる。

これまでDPOの活動にはジェンダーの視点が欠如していた。それを受けて、Danaはカザフスタンに女性障がい者のDPOを設立した。失敗を繰り返しながら、現時点で人道援助は必要ではあるが現状を抜け出す手立てにはならないことに気がつき、重度障がいをもつ女性のためのセミナーを開催した。セミナーを開催する、というのはそれに参加するための前提条件が欠ける中央アジアでは容易なことではない。例えば、多くの参加者は介助器具を持っておらず、家の中を動くのにも不自由していた。また、積極性がなく外出する気力も持ち合わせていなかった。Danaはこのレベルから考え始めなければならなかった。つまり、時間、お金、そして労力のかかる方法でしかこれらの排除されてきた人々を活動に巻き込むことができなかったのだ。セミナーでは、自尊心を取り戻し障がい者ではなく女性としてのアイデンティティを持てるような訓練が用意された。また、自己防衛のための実際役に立つ技術も身につけた。車椅子でのダンスの練習もした。これらの活動を通して、自分の人生への自己決定権の認識を確固としたものにしていった。

障がい者だけではなく社会も同時に変化していく必要がある。そこで、セミナー参加者たちはショッピングモールに出かけ、偏見に自ら立ち向かい、同時に社会が重度障がい者に遭遇するという機会を提供した。このDPOはさらにメディアも巻き込んでキャンペーンを始めた。政府高官にも陳情を出したりして、政治モデルの活動を繰り広げた。団体として、また個人として偏見に立ち向かうことでこのモデルの活動を展開していった。

障がい者も機会が与えられれば非障がい者同様に活動的になれる

次の章では参加について考える。参加が平等というゴールを目指すに当たっての過程であり、最終的な答えではない点を論じる。

参加は過程であり、答えではない

キルギスタン参加者G:中央アジアの女性はシャイよ。歴史的にいつも男性に虐げられてきたから。
キルギスタン参加者B: 女性は家ではお皿を洗ったりして大切な存在だけど、家庭内にはひどい暴力が潜んでもいるわ。
タジキスタン参加者K: 私は暴力にあったことがないし、暴力にあったのに黙っていられる人の気が知れないわ。
キルギスタン参加者B: 私には経験があるわよ。
タジキスタン参加者K: だから障がいの概念はそれぞれに違うんだわ。

参加は政治モデルの大切な一部であるが、参加だけでは不十分である。参加はこの問題に取り組む上での答えではなく、ダイナミックな過程だと考えるべきである。誰が、どのように参加するかによって、参加のみでは目的は達成されないことも多いからである。

特に留意すべきことは「障がい者」とひとくくりに言われる人々の多様性である。障がい者は時に障がい者と感じることがあるとしても、まずは大前提として人間であり、障がい以外の様々な特徴を持ち合わせている。そのため、上記の「弱者」を作り出す社会構造が存在し、障がい者をこの構造に巻き込む傾向が見られるとしても、それが必ずしも障がい者を常時「弱者」にするわけではない。障がい者一人一人の生活を単純化、一般化することは不可能である。

「先進諸国」は代表者を送り込めばそのNGOの末端まですべての人々を対象にできると信じているふしがあるが、この研究において代表者の参加が必ずしも末端の人々を代表していないことが明らかになった。代表者のみが国際協力でエンパワーされるのではなく、末端の人々へ情報やサービスが行き届くように、更なる活動が保証されなければならない。しかし、末端の人々自身が代表者となれば、社会構造に作られた消極性が邪魔するため、人権ではなく日々の糧を求めるなどして、表面的な問題のみが強調されかねない。

この多様性を考慮すると、障がい解放のためには多様な解決方法が必要とされる。差別が障がいにのみではなく、女性、民族、年齢などのその他の人間の持ち合わせる特徴に対して存在する場合にはそれらへの対処も必要となる。また、個々のニーズも多様であるがため、障がいのみへの対処では平等を実現することはできないと言える。多様な人権が保障されてこそ、初めて平等は実現化の方向に向かっていけるのである。

障がい者は孤立しており、そのために個々の生活も障がい者全体としての経験も知られていない。参加だけではなく、個人とグループ双方に人権が理解され、オーナーシップが保証されてこそ、参加に意義がある。

参加だけでは不十分。障がい者全てが権利を理解しなければならない

次にNGOのジレンマであるサービス供給と政策提言活動について論じる。

NGOのジレンマ

正直に言って、どっちも大切だよ。何かをあげたとしても、それは根本的な問題解決にはならない。彼ら自身も変わらないといけないんだ。そのほうがいい。(...) ことわざにある、魚をあげるか釣りの方法を教えるか、というのに似てるのさ。(ウズベキスタンの農村の障がい者V)

NGOは今、世界的にジレンマの渦中にある。人々の期待するサービス供給か、「先進諸国」がたどり着いたより長期的視野に立った政策への提言活動を推進するか、というジレンマである。中央アジアのDPOも例外なくこのジレンマを経験している。

人道援助でのサービスや物資を確保するにはドナーの注意を引くために各DPOはあらゆる手段を使わなければならない。狡猾なDPOには何度も援助がくるが、全く援助にありつけないDPOもある。この物資供給は他の活動を展開するよりも容易にできる。さらに、もともと消極的に作り上げられてきた障がい者には受け入れやすい活動でもあるため、物資のバラまきが幅を利かせている。しかし、徐々にリーダーたちもこの活動は不十分である上に不平等であり、さらにはドナーへの依存につながる問題もあることに気づき始めている。人道援助は「弱者」を作り出す社会構造を助長する。障がい者の貧困問題から、人道援助は現時点で必要であることには間違いないが、人道援助だけでは差別の解決にはならない。そこで、ここでは人道援助とともに政治モデルでの活動を提案する。

政治モデルの活動では障がい者自身が個々としてもグループとしても力をつける点で評価できる。例えば、人道援助で供給される介助器具は彼らが「弱者」であるための慈悲ではなく、権利だからだと理解することが必要である。「魚」も「釣りの仕方」も必要なのだが、それだけでは全く話にならない。心と環境の障壁も取り除く必要があるし、機会の平等も保障されなければならない。その点で、「魚」か「釣りの仕方」かのジレンマは視野が狭すぎ、さらにDPOだけでなく社会全体の様々なアクターが責任を持つべき問題であることを忘れてはならない。社会構造が複雑であるがゆえに差別の問題はなかなか改善されないのである。

差別したりこの問題を無視したりすることで全てのアクターが関わっているのだから、それぞれが責任を持ち、できることから変革していくことでしか現状は変えられない。つまり、二者択一のジレンマでも、DPOだけでも手におえない問題なのである。

差別の社会構造に立ち向かうためには、全てのアクターによる、多様な解決方法が必要である。

これらの現状を念頭に置き、次章からは、いくつかのアクターへ今後の取るべき方針を提言する。

中央アジアのアクターへの提言

中央アジアのDPOは、どのように差別を取り除けるかとどのように政府に影響力を持てるかという2点に興味を持っている。上記で論じてきたようにDPOの多くは残念ながら現状維持の構造の一部となっている。そのため、まずはDPOが医療モデルから政治モデルへ基本方針を転換する必要があると言える。リーダーだけではなく末端の障がい者も人権を理解することが不可欠になる。メンバーの理解なしには活動の正当性にも影響力にも欠けることになるためである。障がい者自身が変わると共に、社会全般も障がい者を受け入れるよう変わる必要がある。悪循環が差別を現状維持または悪化させるため、全てのアクターが常に努力をしなければ現状を変えることはできないと言える。DPOだけに頼っていてはこの社会構造には太刀打ちできない。より多くのアクターを巻き込んで活動を展開していかなければならない所以である。

様々なアクターの中でも特に中央アジアのDPOはどのように政府への影響力を高められるかということに心を砕いている。ソ連の負の遺産として独裁主義的色彩の強い政府が現状を牛耳る状態が続いているため、国内のアクターの中でもその影響力で群を抜く政府との関係は最重要課題と言ってもいい。現在、中央アジアのDPOは厳しい政府の管理化におかれており、活動範囲も統制化で許可された分野のみに限られている。民主主義を広めるという口実で市民社会が許可されてきたが、政府の管理下でその影響力は微々たるものである。慈善活動ばかりが奨励される中、実際の問題解決から程遠い活動に終始している。そのため、活動自体をどうするかという以前に、どのように政府に市民社会の役割を理解させるかという点が重要になる。上記のDanaは直接的間接的両方の活動で、政府に働きかけを進めている。繰り返しになるが、全アクターでの全てのレベルでの活動が差別撲滅には必要不可欠であり、DPOにできることはこの巨大な社会構造を前に非常に限られている。そのため、DPO間の協働によって障がい問題の存在をアピールし、さらにNGO間で市民社会のスペース確保という共通目的のための活動もしていかなければならない。まずは政府に市民社会セクター全般への信頼を構築することが必要とされる。政府は逆に、市民が多様であるために意見の違いから議論や反対が出るという状態を受け入れなければならない。議論の余地こそが民主主義を促進し、反対意見を力づくで押し込める方法では立ち行かなくなるということに気づかなければならないだろう。その多様性こそが民主主義の萌芽を意味するのである。

政治モデルを付加することで、中央アジアでも多様なアクターの正当性と協働の双方を模索できる可能性が高い。

「先進諸国」への提言

障がい者と「発展途上国」にかかわる「先進諸国」のアクターは、政治モデルと障がい者のもつ可能性への理解を進めていく必要がある。障がい者が中心となるこのモデルを推進させていくためには、各アクターが障がいの特性について注意しなければいけない点がいくつかある。まず、障がい者には参加のための前提条件がそろっていないことが多いために、障がいに関わるプロジェクトは一般のプロジェクトよりも資金を必要とする。しかし、現実には資金不足から障がい者を開発プロジェクトの対象者から排除することが多すぎる。世界の人口の10人に一人が障がい者であるなかでのこのような障がい者排除は間違っている。全てのプロジェクトが障がい者のニーズを取り入れなければならない所以である。

さらに、「先進諸国」のNGOはプロジェクトという枠組みに縛られている。例えば、交通手段の確保にかかる費用はプロジェクトの予算に入れられないことが多いが、それでは障がい者の大半は参加さえできない。「先進諸国」のNGOは各政府やドナーに働きかけ、プロジェクト自体の予算に加えて、社会の障壁が多いために参加が困難である障がい者にも参加ができるように、障がい者用の予算を上乗せすべきである。同時に、社会で気がついた障壁を国内のアクターに問題として指摘し、それが解決に向かうよう補助するべきである。

サービスや物資援助は一時的な解決にしかならず、差別を維持する社会構造が変わらないとして批判されてきた。しかし、障がいと貧困に相関関係があるためにそうした物資援助も現状では必要である。人道援助は持続的でない上、その配布にムラがあり、うまく平等にいきわたっていないためドナー間での協働作業が必要とされる。例えば、物資援助の担当者を任命することで、円滑かつ平等な配布ができるようにできれば理想的である。ただし、物資援助のみでは依存を深め、その結果現状を悪化させるため、政治モデルとの同時進行が望ましいと言える。

その他の障がい分野の特性としては情報伝達があげられる。障がい者は孤立し、外出が困難であるために、情報入手の手段が極端に限られていることが上げられる。「先進諸国」の開発援助プロジェクトはこの点を全く考慮しないものが多く、プロジェクトの終了後に撤収するために、情報や物資が一番必要な「弱者」中の「弱者」の障がい者にはプロジェクトの効果が限られている。リーダーのみがエンパワーされるか、あるいは情報が生かされないまま忘れられるかで終わってしまうのである。この意味で、セミナー等の情報伝達を主な活動にするプロジェクトは特に末端への情報伝達手段の確保が必要である。末端の障がい者にも情報が伝達されることで、これまで拡大する一方であったリーダーとメンバーの格差も解消できる。DPO内での情報の開示が組織の腐敗も防止できる。情報がいきわたってはじめて、メンバーにも意思決定権が活用できるのだ。結論として情報伝達により力を注いだ援助が特に障がいの分野での開発援助には必要である。

環境や男女平等といったテーマとともに、障がいも、全ての開発援助で考慮されていくべきである。

政策立案者への提言

この章は「先進諸国」と中央アジア諸国双方の政策立案者への提言である。障がいについての研究はそのほか多くの「弱者」についての議論とも多くの共通点を持つ。共通点をまとめると以下が主なものにあげられる。
1. 撲滅の必要性
 ---「弱者」をなくすという主張は平等の権利という点において正当化される。
2. 政策と現実の格差
 --- 政策目標を達成するために、どのように実際「弱者」をなくしていくか
 といった具体的で明確な指針がなく、政策と現実には格差がある。
3. 多様な要因が「弱者」創造のメカニズムにかかわっている
 --- 往々にして歴史に深く根ざした要因もあり、この「弱者」創造メカニズが複 雑に絡み合って、現状を維持、または悪化させている。社会に作られた「正常」の
 概念がその対義語である「異常」「弱者」をつくり、「弱者」は不平等、差別、汚
 名を着せられている。このような社会の中の「弱者」は負のイメージを内化し、個
 人の問題と勘違いさせられることが多い。
4. 「弱者」の多様性
 --- 弱者個々とその環境の多様性から、似た条件を持っていても全ての人がいつ も「弱者」と感じているわけではない。
5. そのときその場所に特有の条件
 --- 以上のような共通点のほかにも、その時々特有の条件がある。
中央アジアの障がい者へのインタビューから、以上のような「弱者」への共通点が浮かび上がってくる。それを踏まえて、以下のように政策立案者への提言を行う。 
1. 文化や国固有の知識
 --- 対象者の多様性に留意し、彼らのニーズを聞くべきである。
2. その知識が創られた背景
 --- 彼らのニーズにはどのような背景とメカニズムが潜んでいるかを冷静に分析
 する。
3. 問題解決方法の多様性
 --- 「弱者」を作り出すメカニズムが多様な要因を包含しているために、「強  者」との対話を通して全てのアクターを巻き込みながら、多様な問題解決を政策で 保障する。
 --- 政治モデル(人権を中心にしたモデル)の活動をこれまでの活動に付加し、 平等を目標とする。
4. より多くの資金、支援
 --- 「弱者」は活動参加のための前提条件が充足されないために、往々にして現 存する活動に参加できない。活動資金のみではなく、「弱者」の参加前提条件をそ ろえるための資金や援助も現在の活動に加える必要がある。

エピローグ

博士論文を推敲していたところ、アジアの多くの国々とアフリカ、「先進諸国」を巻き込んだ津波が甚大な被害を巻き起こした。緊急援助と再建のための国際協力援助はいまだかつてない規模で進んでいる。これらの援助が少しでも被害をこうむった人々の役に立つことを祈っている。特に、再建の過程で障がい者が積極的に参加していけることを切に祈っている。

他方で、障がいについて考えてみると、6億人もの障がい者が世界中にいるにもかかわらず、その対応は遅々として進んでおらず、この研究でも一部を紹介したように、世界中で差別が蔓延している。ここでもう一度確認したいのは、この研究結果や提言が中央アジア諸国の障がい者へのインタビューを基にしているということだ。インタビューをさせてもらった障がい者の一人一人は社会から孤立しており、国際社会へはもとより自分の一番身近な社会への影響力も大変限られていた。彼らの声が聞こえてこないことで、国際社会は彼らへ対処してこなかった。その意味で、この研究がこれまで孤立していた人々の経験や感情を表面化することができたのならばとてもうれしく思う。また、読者が障がい者にまつわる偏見や負のイメージは社会に創られたものであると理解し、障がい者への偏見をなくしてくれれば、研究者冥利に尽きる。さらには、読者がこの問題に責任を感じてくれるようになったのならば、それこそが平等のための第一歩であると言える。

障がい者の平等は、「先進諸国」でも「発展途上国」でもひどい差別のため前途多難な課題であると言える。障がい者への平等を達成できた国が世界中に一国もないため、世界共通の問題なのである。この意味では、世界中の全ての国は障がいにおいては発展途上国であるから、全ての人に責任があるのである。

最後に、学問の世界からの私自身の平等のための働きかけはここで終わるわけではないことを明言しておこう。これからも障がいと開発にかかわる問題に深くかかわり続け、私にできる微々たる貢献をしていきたいと思っていることを述べて、ペンを置くことにしたい。

参考文献

Carley. P.M. (1995) メThe Legacy of the Soviet Political System and the Prospects for Developing Civil society in Central Asia.モ In Tismaneanu, V. (ed.) Political Culture and Civil society in Russia and the New States of Eurasia. M.E. Sharpe. London. P.292-317.

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DFID. (2000) Disability, Poverty and Development. On www.dfid.gov.uk/pubs/files/disabilitypovertydevelopment.pdf Visited on 1.9.2004.