タイ・ノンタブリ聾学校

1 タイの聴覚障害児教育

   第89回アジア障害者問題研究会報告
   1998年12月12日
   ノンタブリ聾学校・レイアッド・アンパバマット

2 タイの聴覚障害児の生活

   ノンタブリ聾学校での活動を通して
   第93回アジア障害者問題研究会報告
   1999年4月3日 南六郷福祉園・小島博幸



1 タイの聴覚障害児教育


ノンタブリ聾学校・レイアッド・アンパバマット
(通訳・穂坂由喜男)

*タイの聴覚障害児は15校ある聾学校かその他の統合教育校で学んでいる。特に東北部では統合教育が進んでいるが、教師が聴覚障害に理解を持たず授業を進めてしまうとの問題がみられる。特殊教育のほうが問題は少ないと思われる。
*ノンタブリ聾学校はバンコクから車で10〜20分のところにある、国立校である。5才以上の全聾と難聴の聴覚障害児350 人が、幼稚園、小(1−6年、義務教育)、中(1−6年、そのうち5−6年は高校)に分かれ在学している。その85%が寮に住み、3食、教科書、制服は無料で提供されている。15−17人のクラスに先生が一人いて、難聴と全聾の子供は別けて教えられている。手話、口話、指文字、ジェスチャ−がコミュニケ−ションの手段であるが、主には手話と指文字である。学校によっては教える手話が異なる。
*補聴器はシリントン・リハビリテ−ション・センタ−で検査を受けて無料で生徒に貸与される。しかし、バッテリ−代がかさみ親の負担が大きい、故障しやすく修理にお金と時間がかかる等の理由であまり使われていない。修理やバッテリ−購入のお金がない保護者のために寄付を集めている。
*中学以上になると、理容、婦人・子供服の洋裁とお菓子作りの職業訓練が行われている。*担当している幼稚園では一般の幼稚園でやることすべてをやっている。しかし全般的には普通校とは教育の内容が異なる。外国語の授業もあるが、単語や文法、その手話を教える簡単なレベルである。ALS(アメリカ手話)が出来るわけではなく、共通するものをジェスチャ−として指導しているだけである。ただしタイの手話はアメリカの手話を取り入れているものが多いので、英語教育に使えるのがある。
*設立後日が浅く、まだ高等1年生までしかいず卒業生はでていない。大半の高卒の聴覚障害者は仕事につけず、父母の手伝いをしている。大学に入れたのは今までに1〜2人くらいで、聴覚障害者に対する大学入学制限はないが、学力の問題で進学できない。しかし専門学校としての大学、特に教員養成過程には入学している。今王女はマヒド−ル大学の協力で、ナコンパトムに障害者だけの大学を建設中である。
*教育資格を持っていれば聾学校で教えられる。大学に行かずとも、助手として教えることは可能である。
*学区があるわけではなく、生徒は周辺地区から通ってくる。通えない場合には県の社会福祉部または直接学校に申し込み。寮に入って入学したいと伝える。入学を待っている人もいるが、それよりも大きな問題は父母が入学させたくないという場合である。それには、親から離して苦労させるのはかわいそう、教育に関心がない、学校があることも聾教育の事も知らない、特殊教育の効果を知らない、出生届を出していないなどの理由がある。
*親に知識があれば5才前の聴覚障害児には早期療法がされるが、そういう知識がない親が多い。また病院へ行く交通費や、仕事を休めず時間がないとの理由もある。
*仏教のタンブン(徳を積む)として、気の毒な障害者にお金を出す人がいるので、日本より確かにタイのほうが寄付が集まりやすいと思う。障害者を受け入れやすい社会になってきているとも思うが、聾者は読書力や書く力の点で社会に入っていくことが難しい。
                      


                 

2 タイの聴覚障害児の生活


1999年4月3日 南六郷福祉園・小島博幸

*1996年に知的障害者の施設に在職のまま、タイ・バンコク郊外のノンタブリ聾学校に青年海外協力隊員として2年間派遣された。聾教育は専門でなかったので、派遣前に横浜聾学校を見学したりした。
*ノンタブリはバンコクから30キロにあり、雨期にバンコクに流れる水をせき止めるための洪水で有名である。350 −400 人の生徒と40名程の教師がいて、幼稚園、小学校、中等部があり、今年5月にはじめて高等部ができる新しい学校である。1クラス15人であるが、休む子もいるので、常時12人ほどである。担当した幼稚園は年少、年長に分かれ、5才から入学できるが、さまざまな年齢の子が混じっている。午前で終わり午後子供は昼寝をする。学校は年間3000 万程の予算で、その80%まで政府から出る。学費は無料で、生徒は主にはノンタブリ県、遠くはアユタヤあたりから来る。
*移動バスが来て、年に1度ほど聴力検査をする。学校に検査室ができたが、鍵をかけ、使われていなかった。補聴器は国から支給されるが、暑いので付けてこない子がいるので、楽しい授業をやって音を聞いて喜んでもらえたら付けてくると考えた。
*音楽の時間に一本松市の「地球市民の会」寄贈の和太鼓、自分でもっていったキ−ボ−ド、日本の小学校で使ったピアニカ、国王が吹いているので憧れから人気の高いトロンボ−ンなどの音を聞かせたり、また子供にもやらせて評判がよかった。またFM補聴器を付けて音を楽しませたり、テレビに姿を写して子供に興味をもたせたりした。
*手話はマヒド−ル大学作成の手話の本を使い、カウンタ−パ−トの先生に習った。ラチャスダ大学の指導により、手話の統一が行われていて、ある日急に別の手話に替わることが。あった手話を親にも覚えてもらうように、小冊子を作っている。
*ト−タル・コミュニケ−ションを中心としているが、手話が最も使われている。普通校への転入を目的に喋る訓練もしているが、転入の例はなかった。口話の訓練ができる先生はいなかった。普通校と教育内容のレベルが異なるので、転入は難しいと思われる。
*幼稚園部でも何人かは寮にいた。寮にいる子は週末にはほとんど帰省する。学校の敷地に住んでいたので、残っている子と遊んだ。同じ県の肢体不自由児施設であるパックレッド・ホ−ムから来てる子たちもいて、寮に入っていた。
*新学期は5月に始まるので、3月の1ヵ月間に願書を受け付け、定員が一杯になると締め切る。
*校内で通用する金券があり、買い物の練習を兼ねて売店でコ−ラやスナックが買えた。
*毎年全国障害者スポ−ツ大会がバンコクで5日間に渡って開かれ、参加している。
*当時、知的障害と聴覚障害のためのロブリ特別学校とナコンサワン特別学校に各1名、コンケン大学とタイ障害児財団にPT各1名という、自分を含めて計5人の協力隊の養護隊員がいた。5人が協力し、1998年1月にPTと教育活動の紹介のための2日間のワ−クショップをバンコクのホテルで開催した。JICAと社会福祉省から資金を出て、先生等50人が参加した。VSO(英国政府派遣のボランティア)が毎年同様なワ−クショップを開催し、そこに講師に呼んでもらったのがモデルとなった。