ソロ・リハビリテ−ション・センタ−での活動の概要

第91回アジア障害者問題研究会報告
1999年2月6日 
国立職業リハビリテ−ションセンタ−・山田文典


*JICAの職業指導・評価専門家として縫製やコンピュ−タ−の職業訓練専門家を含めた5人で、インドネシア・ジャワ島のスラカルタ(旧名ソロ)市のスハルソ国立身体障害者リハビリテ−ション・センタ−に1995年1月より3年間派遣された。目的は、インドネシアに職業リハビリテ−ションの種をまくこと(職業リハビリテ−ション・システムの開発)であった。
*センタ−は、インドネシア・リハビリテ−ションの父と言われるスハルソが中心となり傷夷軍人対策として1946年に設立された。医療から始まり、職業リハと小学校4年程度までの学力を付与する中学校もある。社会リハ(職業リハのような専門的技術の付与にまで至らない訓練)が最近活動の中心となった。ILOやUNDPと協力し、アジアの専門家の研修も実施。資金不足で建物の修理が十分でなかったが、やっと改修が始まったもよう。*障害があることと、貧しいことが入所の条件となっている。定員は350 人で6ヵ月間の訓練となっているが、実際には120 −150 人ほどで運営されていた。18の訓練コ−スのうち縫製が男女を問わず人気があった。就職が難しいため車椅子の研修生は、1人だけであった。4人のうち3人は終了後自営(主として家業手伝い)であった。指導者の技術は低く、その大半は給与が低いため物売り等の副業も持っていた。
*新たに職業リハビリテ−ションのシステムを開発すべく、センタ−で95年からの3年間、1,000 時間(1年間)の縫製(企業で使用するミシンを使う)とコンピュ−タ(文書処理と表計算)の職業訓練も開始された。定員は各20人で、縫製は中学、コンピュ−タ−は高校卒業程度を条件とした。高校卒業の障害者の数は少なく、定員を満たすのは大変であった。縫製の就職率は良かった。コンピュ−タ−を使う企業が少ないのと、使う人は自分で文書を作るのでパソコン・オペレ−タ−の需要は少なく、職場開拓に苦労した。
*1997年に法律で障害者の雇用率1%が決められたが、違反した際の罰則があっても、調査・指導機関がないために現状ではかけ声にとどまっている。
*ジャカルタの南50キロのチビノンにJICAの援助でチビノン職業リハビリテ−ション・センタ−が1997年に開設され、ソロでパイロット的に実施した職業リハビリテ−ション・プロジェクトは拡大されてチビノンに移され、上記の2つを含めて5職種の訓練、職業指導・評価、調査研究、及び職業研修の技術移転が行われている。ソロでも1年間コ−スは継続されている。全国を対象に応募者を募集、選考する計画である。
*MRU(各地を車で回る集団でのリハビリテ−ションと検診制度)にも参加した。1ヵ所に月−金の5日間留まり、障害者を発見し、その場でサ−ビスを提供し、料理や椰子での玄関マット作り等の数時間の講習も行う。必要なら県や国のセンタ−に連れていく。月曜に障害啓発のセミナ−を行い、最終日には青年団や婦人会から寄付を募り、センタ−で手術を含むリハビリテ−ション・サ−ビスを受けさせる資金にしていた。ソロのセンタ−のスタッフは中部ジャワを回るMRUに半年で十数回参加するなど、出張回数が多くセンタ−内部の業務に支障を来すこともあった。スタッフは借り物、車や器材は外国の援助、経費は寄付に頼ると言う状況で、運営が難しいと思った。