ボランティア活動を通して見たパキスタンの障害者

第85回アジア障害者問題研究会報告
1998年8月1日
ひこばえ会・吉田美穂


*1992年から5年間、夫の赴任に同行してパキスタン・ラワルピンディに住んだ。
*パキスタンには信頼できる統計がなく、障害者数はわからない。
*94年11月から96年3月まで、修道会が運営する聖ヨセフ・ホスピスで作業療法士の資格を活かしてボランティアとして働いた。1961年に設立されたキリスト教系の慈善病院ゆえ、首都イスラマバ−ドの大使夫人たちのコ−ヒ−・モ−ニングの集まりやバチカン大使館のバザ−からなど寄付が多いので、院内はよく整っている。外国人ボランティアも受け入れていて、アフリカやマレ−ショアからも来ていた。キリスト教の布教活動は許されていないが、キリスト教徒は人口の1−2%にあたり、国会の議席も確保されているが公職にはつけない。主として掃除やゴミ集めに当たるインド・カ−ストの最下位の人々である。アフガン難民の多いペシャワ−ルには、キリスト教系団体が多く活動している。姉妹病院として、ドイツ人の修道女によるライ病院がある。
*男性(20人)、女性(15人)、子供(15人)に病棟は分かれる。ただし子供病棟はスタッフの不足から、10人ほどしかいなかった。退院する人もいるが、その他の人は身寄りがなかったり、重度障害、ガン末期等の理由でずっと留まっている。ポリオの子供に装具を作り、歩行訓練をさせて帰していた。補装具の工房を日本の小規模援助で作ろうとしたがだめであった。ファウジ財団の技師が装具をスチ−ルで作ってくれ、退院後親にまた連れられてきたら作り直している。男性病棟への入院を多くの人が待っている。
*脊髄損傷の人を家に帰そうとの方針が出された。入居中は食べ物は良いが、帰宅したら肺炎や尿路感染にかからず生きていられるかの、ホ−ム・エバルエ−ションを実施している。
*軍人には日本と同程度レベルの医療を提供できるファウジ財団が作られている。政府の病院での医療費は無料だが、薬は自費で買わなければならない。善意で薬が置いてあったとしても、安いペニシリンと痛み止めくらいである。
*男性の障害は、交通事故や労働災害等の事故が多い。女性はリュウマチによるものが多い。医療事故としては、骨折での切断、ギブスがきつくての麻痺、ギブスの中での化膿を見た。医療の貧しさゆえに、不必要に障害者となった人がいる。自分の一族以外には信用しない国民性ゆえに、コピ−の銃も氾濫していて、治安が良いと言われているイスラマバ−ドでも悪くなってきた。カラチの治安はニュ−ヨ−ク並みと言われている。爆弾でやけどをしたりすると、必ずインドがやったと言われる。いとこ同士の結婚が多いことも、原因となるだろう。
*医師のレベルは格差がある。一般人の湾岸地方への出稼ぎのように、医師も湾岸でお金を手に入れている。医師に一回会うだけで約1,500 円は掛かり、受けるにはラボまで出かけねばならない。レントゲンと臨床検査をあわせて1,000 円程はする。
*子供病院にはきれいなリハビリテ−ション室があり、ボバ−ス法を教えている。ODAの一部として日本の母子保健プロジェクトも実施され、日本人のワ−カ−がいる。