マレ−シアの交通アクセスを求める運動

第83回アジア障害者問題研究会報告
1998年6月13日
障害者リソルブ開発センタ− クリスティ−ン・リ−


*2才の時ポリオに。中国系マレ−シア人として7才で入学するはずだった中国系の学校は、車椅子は他の生徒の邪魔だと拒否。建物のアクセスも良くなく親は引き下がった。近所のマレ−系の学校の校長が教育省に手紙を書いて頼んでくれ、1年後に入学できた。中国系はほとんどマレ−語を習わない。私は漢字が分からないがマレ−語が出来る。試験を通ることを目標に、良く勉強した。両親に親戚や友人は大変だから通わせないほうがいい、たとえ卒業しても就職できないと言った。大学まで進んで、専門知識を身に付けた。
*子供の頃から自分は他人と違うと思わされた。親は寺や祈祷師の所に連れていったり、良い砂を取ってきて歩くようにとさせたり、毎晩歩行訓練もさせた。歩かなければ人生はだめになると思うようになったが、178才でこれら無意味なことは止め、父が歩かせる薬があると騙されそうになった時、止めさせた。その後人生の意味を考え、宗教を考えた。しかし教会では癒しを言い、歩くことを目標とさせられた。自分に悪いところがあって、不完全であると思わされたきた。自殺する勇気もなく、意味のない人生に苦しんでいた。勉強に集中して、出来ることを証明しようとした。期待に沿う生き方は止めた。今は、車を運転し、アクセスの良いオフィスで独立の株ブロ−カ−として仕事をしている。
*1994年に最初の軽鉄道が完成。車椅子使用者は、他の乗客にとって危険であり、非常時に他の人が逃げる邪魔になるとの理由で、利用を禁止された。会社の発表に怒り、障害者団体が何の反応もしないのでもっと怒った。3日後に50−70人の街頭デモを実施。障害者団体は警察に捕まることを恐れて関与しなかった。3日間で、参加者のタクシ−代づくり、法律専門家の障害者に刑務所に入るとか仕事を失うとか言われ怖じけづいた公務員の障害者の説得を行った。メディアがデモを取り上げ、社会の支援を取りつけたが、福祉大臣はモノレ−ルを使わせないのは心配故であり、障害者用タクシ−10台を約束するから我慢するように言った。障害者団体代表は承諾したが、我々は拒否した。その後、運輸、住宅の政府関係者が我々を招き話を聞いてくれた。急に世の中が障害者問題を語り始めた。会社が建物のアクセスについて質問してきたり、映画館が階段にリフトをつけ、ス−パ−マ−ケットは障害者用の駐車場、スロ−プもつけ、新聞も雇用等を取り上げた。モノレ−ルの2期工事はカナダの最新技術を使って、100 %車椅子の使用可と発表した。1期目の路線に続いて、別の会社が2期目を担当し完成した。
*年長の障害者は教育や訓練の機会がなく、手工芸品の製作に携わっている。私の父にも、役人が施設に入れて手工芸品づくりを習わせるように言った。その外に、洋裁、交換手、エレベ−タ操作が一般的な職業。仕事があっても、ビルのアクセス、交通手段の問題がある。国の建物に関する細則ではアクセスが保障されているが、守られていない。教育とアクセスの問題は、マレ−系、中国系に共通であるが、マレ−系が多少優位である。危険だが、車には減税措置がないため、安いオ−トバイを3輪にして乗っていることが多い。当事者団体は車椅子を贈り、仕事を捜すなどサ−ビス中心で、政策や法律には関わっていない。