フィリピンの視覚障害者教育
                    

第138回アジア障害者問題研究会報告
2003年3月1日
国際キリスト教大学 二葉泰子

       

*昨年フィリピン・ネグロス島南部のドゥマゲッティにあるシリマン大学に1年間留学し、卒論にはフィリピンの視覚障害者教育を選んだ。
*特殊教育は1907年にミッショナリーによる最初の盲聾唖学校の設立に始まる。1963年に視覚障害教育推進法が成立し、国立盲学校ができた。戦争で一時閉鎖されていたが、今もいろいろな地域から生徒を受け入れ、寄宿舎もある。
*フィリピンは他の途上国と比して、整備された法律がある。教育に関しては、1974年の児童福祉法(必要なら特殊教育校を設置)、1982年の教育法(特殊教育を整備)、1987年の憲法改正(全てのフ人に平等な教育、障害者への教育を補助)、1992年の障害者のマグナカルタ(初めて統合教育の概念、障害を理由に拒否する学校への罰則)がある。1987年の特殊教育政策・ガイドラインは1997年に改正され、特殊教育教員の養成、理解推進のための政府による情報提供、必要なら介助浮フ提供など細かなことまで決め、特殊教育の法的整備がされた。
*1990年代には特殊教育の法律が完備し、UNESCOやOECDを初めとして、特殊教育に関する研究が多い。フィリピンはアジアの中で、唯一一般教育法の中に特殊教育の記述があり、特殊教育法もあるので、評価が高い。
*2000年の特別なニーズを持つ人の就学数や1995年の障害者の人口統計から、視覚障害者の就学率を割り出した。遅く入学する人もいるので、非障害者の就学率が120%になる地域もあり、非障害者の平均は100%、障害者でも71%だが、視覚障害者では16%であり、2地域を除いて20%以ネ下である。政府は全盲と弱視に分けて障害者人口を出しているが、就学人数の資料では弱視は全盲の中に含まれていたり、発見されなかった人がいるためか、ほとんどの地域でいないことになっている。マニラ首都圏にあたるNCR地域で視覚障害者就学率が61%と最高なのは、政府機関、NGOも多く、特殊教育プログラムがここで開始されたからである。小数民族が多いバギオ周辺のCar地域で次に高い57%であるのは、NGOの盲学校や当事者団体があるからである。
*国立盲学校一校以外には、私立校が外国の援助でミンダナオに一校と小規模校が3校ある。一般校に設置されている全国133ヶ所のSPED(特殊教育センター)は、ミンダナオなどを例外として、他の学校にもサービスを提供している。センターがない地域のためにアウトリーチ・プログラムが実施されている例は少ない。すでに開始されている遠隔地教育は、2,003年6月から特殊教育を始める。
*ドゥマゲッティ市のSPEDには20才、21才、8才の3人の視覚障害児がいた。点字の教育のみが行われ、統合教育前段階であった。普通校はまだ統合教育を認めていない。21才の生徒の親は共働きで忙しく、今まで通わせられなかった。バコロッド市のSPEDは初等と中等教育でナ1ヶ所づつがある。初等教育を受けている9人のうち、2人は統合教育に行き、時々戻ってくる。
*法律上は政府が全ての障害者教育サービスを提供することになっているが、実際には視覚障害ではNGO、特にRBI(Resource for the Blind)に任されている。米国のミッショナリーが設立したRBIは聖書の点訳から始まって、今では政府から委託を受けて教員研修、眼科検診、幼稚園、教材作成を含むほとんどのサービスをやっている。教科書の点訳は、教育省の点字プリンティング・センターの仕事が校正のみなので、全国の分を全て作成している。要請が多いマニラ奄フ対応に追われているが、6月の新学期までには地方の要請に対応できているといっている。実際には無料の点字郵便物は遅配や紛失が多い。
*RBIによれば、以下の問題がある。家族が視覚障害児を学校にやりたがらない。交通の便が悪く、送り迎えができない。交通費が払えない。貧困が視覚障害の原因であることが多いのに、その支援がなされていない。