ラオスの障害者者支援

第136回アジア障害者問題研究会報告
2003年1月11日
難民を助ける会コーディネーター 新村浩子

    
*インドシナ難民のために1979年に設立されたAAR(難民を助ける会)で、97年に旧ユーゴでの駐在員として派遣されて以来、サラエボ、ラオス、アフガニスタンのプロジェクトに関わってきた。
*ラオス車椅子製造支援計画はJICA(国際協力事業団)の開発パートナー事業として2001年に、ビエンチャンの国立医療リハビリテーションセンターで始められた。保健省管轄下の3年プロジェクトであり、本年12月に終了する。センターでは年間7−9台を製造をしていた。生活には月100ドル必要なのにセンターの技術者は10ドルしか得られなかったため、副業に走っていたス。
*工房をセンターの一角に開いたが狭かったので、隣の敷地に事務棟を含む建物を建てた。
*ラオス障害者協会から推薦をうけて7人の障害者研修生を選抜し、同様な障害者による車椅子製造の事業を行っている海外での研修も実施した。タイのタイウイールやレデンプトール障害者メ職業学校ならびにカンボジアのAARの車椅子工場や日本に派遣した。カンボジアの工場では午前中は読み書きや道徳の学習も行っている。ラオス研修生7人のうち5人が残っている。日本では特に清掃や整理の重要性に目覚めたようである。
*工房の自立発展性を考えて、初めから生産された車椅子の販売を計画していた。県リハビリテーションセンター(PRC)から患者の資料をもらったり、必要な人をみつけるのは大変であった。アウトリーチ活動はしていない。はじめはウエイティング・リストには100人いたが減ってきた。質問表を作り、無料で配る人、半額、全額自ゥ己負担の人に分類した。8割ほどのひとは払えない。ラオスの企業や、NGOの人たちなどがスポンサーとなってくれ、まだスポンサーを開拓中である。
*販売価格は材料費2000と人件費1000バーツを合わせた3000バーツ(約9000円)とした。成功報酬制度をとっているため、個々人の仕事を査定して渡しているので、総額もらえることはあまりない。将来は彼らがPRCで簡単な車椅子の修理ができるように技術を高めている。販売後のファローアップを考えると、海外のNGOであるGOALはPRCのスタッフの技術力の訓練を行い、PRCにはラオス人のPTが一人はいるが、それだけでナは充分ではないので、冊子を作って扱い方を指導している。
*ラオスで買える材料として、スチール製の車椅子を作っている。でこぼこ道では壊れにくいという利点がある。4サイズ生産し、月産36台である。
*初めは障害者が主にパーツを扱い分業制度をとっていたが、分業の担当を変えたの部分の研修をすることによって、皆に専門家となってもらえるように中間評価後変更した。評価はJICA、車椅子ユーザー、技術者、保健省の合同で行った。