インドネシア西ジャワ州のCBR

第132回アジア障害者問題研究会報告
2002年8月3日
インドネシア小児医療リハビリテーション・コンサルタント
CBRコンサルタント                  フェリアル・ハディポエトロ・アイドリス


* インドネシアの首都ジャカルタから約180キロ南に位置するバンドンでの、17年にわたるCBRの経験をお話ししたい。バンドンは西ジャワ州の州都である広域都市であり、220万人が住む。26小地域(サブディストリクト)、20農村村落、119都市村落、1423地域協会(RW)、8941隣組(RT、約100家族を束ねる)から成る。RWからCBRを始めるので、この組織形態を熟知していなければならない。
* リハビリテーションの戦略には、施設基盤(IBR)、アウトリーチ(ORS)、地域基盤(CBR)の3つがある。バンドンのYPAC(インドネシア肢体不自由児ケア協会)の学校のように、IBRは障害者がそこを訪問してサービスを受ける。専門家が訪問するORSでは、西ジャワでは社会省のプログラムになっていたので、役人と障害者宅を訪問した。CBRは障害者、家族、その周辺の人たちつまり地域社会をエンパワーさせる、障害予防、発見、障害者の生活の全面にわたるリハビリテーションの分野での地域開発である。CBRの目的は、@CBRワーカーがそれぞれのCBR担当地域に居住する障害者を発見し、担当地域でCBRを実施するように、彼らの能力を高めること、A障害者が潜在能力に応じて自立の23基準を達成できるようにさせる、B地域社会の予防、発見、障害者のリハビリの能力を高めることである。WHOのマニュアルによる23の自立の基準とは@家族が共に住み障害者を世話する、A食べて飲む、B顔、手を洗い風呂に入る、C歯を磨く、Dトイレを使う、E服を着る、F理解する、G表現する、H他の人に理解させる、I(ハンセン病の人が)感覚がない皮膚を扱う、J横になった姿勢から起き上がる、K上肢を動かす、L下肢を動かす、M家の周りを移動する、N村の周りを移動する、O間接の痛みに対処する、P母乳で育てる、Q遊ぶ、R入学、通学する、S家族の活動に参加する、21地域に活動に参加する、22毎日家事をする、23仕事をすることができることである。
* CBRプログラムにおいての障害者とは、全年齢層の、見ること、移動、話すこと、聞くこと、学習に困難があるか、奇妙な行動や皮膚の感覚の喪失、発作などの問題がある、CBR該当地域に居住する全障害者である。CBRワーカーとは、同じ地域からのボランティアであり、10年以上の経験がある人もいる。PKK(家族福祉運動)や栄養、両親、ボランティア・ソーシャル・ワーカーなどの背景をもつ。多くの訓練や実際の仕事をとおして自信を増している。1985年からの総数は1100人である。
* CBRの目的はエンパワメントであるので、農村と都市部の両方への知識の伝達が重要となる。翻訳しインドネシア用に改変した、WHOの冊子に分かれたマニュアルの1―32番を障害者と家族に、B番を普通校教師に、C番を地域社会のリーダーに、全部をCBRワーカーに使う。
* 実施には分野を超えた協力が必要であり、バンドンのCBRチームは政府、NGO、障害者団体が連携している。NGOのYPAS、PKK、YMSと、政府の保健、社会、教育、人材、家庭問題、村落開発、宗教、情報の部門がかかわっている。情報の提供と訓練は下のレベルからは始め、上の人には力があるので、州、郡、村、RWの会議、CBRワーカー訓練者の訓練、その人によるCBRワーカの訓練、実施、CBRの強化と拡大という上からのファローアップがある。
* CBRは単独では成り立たず、保健、教育、社会、職業などの生活の全分野でのリファーラル・サービスによるバックアップがなければならない。バンドンのYPACは、建物は日本の草野の根無償資金で立てられ、障害者が働く電話屋や障害者の作品販売所のある施設であり、CBRのバックアップを行ってCBRを実施している。
* 成果
86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02
CBR小地域 3 3 3 4 4 5 6 8 10 26 26 26 26 26 26 26 26
小地域のCBRチーム 0 0 0 0 0 5 6 8 10 23 24 26 26 26 26 26 26
小地域のCBR訓練士 0 0 0 0 50 60 80 100 287 287
新規CBRワーカー 30 0 0 30 30 0 0 29 16 58
障害者新規報告数 117 0 0 40 40 0 0 45 119 34


政府からクレームがない様に注意深く最初の5年は慎重にやった。89年に新しい場所が増えたが、ワーカーを増加する決断がつかず、91年に訓練のためのワークショップを開催し増やした。必要だから地域がやりたいと言って始めるのが、時間がかかるが持続させるコツである。ワーカーは様々な仕事をこなしているので、必ずしも全障害者を報告しているわけではない。いろいろな団体との連携を深めならが地元の資金だけでやってきたので、私がジャカルタに転勤しても組織が維持できている。85年にYPACの活動の一部として始めたときには100万ルピアが必要で、CBRチームと市からの拠出でCBRワーカーの訓練を行った。厚いマニュアルを皆に配布するので、訓練が一番資金を必要とする。そのため昨年は500万ルピアが政府から出た。サブディストリクトからの要請があると、バンドンでの毎週月曜日の会議で決める。市は一番資金が要る訓練の経費を出し、CBRワーカーの活動は無料であり、補装具は年に一度くるMRU(移動リハビリグループ)から提供され、通院等の資金は地域の助け合いの中で用意され、必要なら医療は無料であり、問題は上にもっていくバックアップ体制が整っているので、地域社会がCBRを実施することは可能である。23の基準の達成を目標とし、体の変形の矯正等その他のことは重視しなかったので、リファーラルはほとんどなかった。政府からも活動をとめられることもなく、問題なく来た。


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