パキスタンの障害者団体マイル・ストーンの活動

第128回アジア障害者問題研究会報告
2002年4月13日

ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業3期生
モハメッド・シャフィック・ウル・レーマン


* パキスタン・ラホールより研修のため昨年8月に来日。1年間日本に滞在。
* 6歳の時にポリオにかかる。パキスタン障害者リハビリテーション協会(PSRD)の収容施設で教育を受けるために10年間過ごした。教育のレベルは低くリハビリに重点が置かれていて遊びやおしゃべりがでナきたので、多くの友人ができた。優秀な学生であった親友は指2本が動かせるだけのポリオの重度障害者であり、16歳で死ぬ前に家に呼ばれたがいく手段がなく、会えなかった。24時間の介助を家族に頼っていた彼は現実しか見られず、子供らしく将来の夢をもつことがなかったから早く亡くなったと思う。
* その後カレッジで2年学ぶが、構内を移動できず成績はよくなかった。昔の友達に連絡し同様の問題を抱えていることがわかった。小遣いをタクシー代にしたりして定期的に会うようになり、脊損で整形外科医のジャミールの助けで自分たちの施設をつくるため゚に施設の仲間とマイルストーンを結成する。マイルストーンの顧問を務める彼は政府が「障害者のビッグブラザー」とした人であり、上院議員となると思われている。
* 有名人の慈善活動としてPSRDは運営されていた。一緒に仕事をしようとPSRDに申し入れに行った日、障害の部分を誇示するような「人間の展覧会」をやっていた。我々がそれを止め、専門家との対立は新聞にも取り上げられ、95年には会員も150人まで増えた。
* マイルストーンはユニークな活動をいろいろ行った。
―「障害者」という表現を止めさせる活動をした。今は公的な文書においても、A「特別な人」と呼ばれている。
―96年にアボッタバードでの全国障害者スポーツ大会に12―22歳の16人を参加させる旅費がなく、父親に小遣いの前借を頼み、貧しい友人の分まで出してもらえた。しかし片道の費用でしかなく、全ての種目で勝ち賞金を旅費とした。他のグループは施設から来ていた。シドニーのパラリンピックにも出場し、非常に貧しかったメンバーは3位になり、現在はオーストラリアで重量挙げを教えている。
―98年に95年制定の法律を施行させた。大学、カッレジ、学校で2人、学部の定員が10人なら1人の障害者枠を認めさせた。雇用においてトも100人なら2人の障害者を雇わねばならない。入学・就職試験では合格点が70なら障害者は50点でいい。
―1年前にやっと事務所ができた。公園、駐車場、川べり、病院の廊下等で会議を開いていた。資金はなかったが、民間でITの無料教育、商工会議所のメンバーの工場での障害者雇用等の活動もしていた。仕事で友人宅から帰る時ガソリン代がなく次々と通行人にバイクを押してもらったこともある。人のためなら何でもできる。
―ラホールの五つ星のパルコンチネンタルホテルに大統領に来てもらうおうとした。会議室2時間の賃料は100万円であった。マネージWャーを説得し無料で借りられた。日にちと場所を決めて手紙を書いて友人を通して出席を依頼した。首相はたまたまその日家族がいるラホールに来ることになっていた。セミナー「誰も障害者ではない」に1時間出席し障害者枠を発表した。視覚障害等の120人の障害者も含む200人が集まった。州知事、市長も当然出席した。ホテルのマネジャーは毎年セミナーでの使用を許可してくれた。
―マイルストーンは有名になり、有名な人たちからその名声を利用しようと参加したいとの申し出があった。
―考えたことをやってしまったので99−2000年は活動を模索し、外国で学ぼうということになった。私の場合は、今まではスポーツが中心であった。財務を担当していた27歳の人はドイツで羊のクルーニングを勉強し、いとこと結婚したモッデッサはバークレーに、私は日本に来た。
*我々をモデルとして、各地に障害者自助団体ができた。カスールのBSSOも若者から99年に同じようなパターンででき、スポーツや教育などをやってきた。Al Khuwazami、Faisal Group、Criyranwalaなど国中に同様な団体がある。彼らとの関係はいい。互いにスポーツ大会を運営し、今ではメダルを持って行かれるようになった。
*重度障害者のメンバー[はいない。今メンバーは増えているが、その人たちのためにお金がない。会員は25、6、7歳になってきて、結婚や将来のことを考えねばならなくない。256人の会員の中に女性は10人。他の団体には誰もいない。97人は10年間中等教育まで終了し、専門家もたくさんいる。大半は教育の機会がない村にいる。2003年には運営委員会15人のうち7人は女性、3人は農村部、5人が都市からとする。
* 私が集めた障害者数は、車が少なく事故も少なくそのため脊髄損傷の人は少なく、地雷の障害者もほとんどいないので、90%くらいがポリオであると見る。ファウジ財団は戦傷障害者のためにあり、彼らはサービスや保障を受けられるので、これらの人を障害者の範疇にいれて考えていない。