タイの職業リハビリテーション

第126回アジア障害者問題研究会報告
2002年2月2日
日本障害者雇用促進協会 野中由彦


*日本障害者雇用促進協会より3年間、JICAの専門家としてタイの労働社会福祉省公共福祉局障害者リハビリテーション委員会事務局に派遣され、職業リハビリテーション技術を指導し、昨年10月に帰国した。
*1930年代以降、タイは独立維持のために、あらゆる努力をした。その中心人物であったピブンソンクラーム首相が、1941年の第2次世界大戦中に、公共福祉局を設置した。障害者リハビリテーション委員会事務局は、1994年に同局の部の一つとして設置された。
*1997年7月にバーツが変動相場制になり、翌年には公共福祉局の予算はおよそ30%削られた。最近゚も、予算が削減されているので、辞めた人の後を補充しないという方法で、現在公務員の数が減っている。
*タイの官僚は働く。朝の交通渋滞を避けるために早くオフィスに入り、8時半の始業時間のずっと前から忙しく働いている人もいる。地位が上の人ほどよく働く。
*登録障害者は、ここ1,2年4000人ほどの割合で増えて来ている。施設ではいまだに手帳を持っている人の数は少ないという奇妙な現象がある。これは、その施設から出て、新たに社会生活をしようという人がいないためである。つまり、今さら登録するメリットがないということである。
*貧困と、学校に通うのが大変だという移動の問題などで、障害者の教育は進んでいない。1982年の調査では、教育を受けたことのある障害者は8%、働いている障害者は2%であったが、その時から数字はあまり変わっていないと言われている。一つには、社会の無理解が原因である。イラ宴純bト労働社会福祉省次官は、公共福祉局長当時障害者など公共福祉局のサービス対象者を「機会のない人たち」と表現していた。
*ワット・スアンケーオには、有名な僧プラ・パヨームを慕って障害者が集まり、現在500人くらいの障害者が一種の村のような共同体を作っている。
*障害者の雇用率は200人に一人となっているが、政府機関は除外されている。未達成の企業は年に一人につき29,000バーツを障害者リハビリテーション基金に払うことになっている。
*最低賃金は、バンコクと地方の区別なく1日165バーツに決まった。2001年5月のメーデーの際に、労働組合側からタクシン首相にあげられた要望書の中に「企業は50人に1人の割合で障害者を雇用すべきこと」と2%の雇用率設定の要望が盛り込まれていた。国民意識はそこまで進んできている。
*公共福祉局の職業リハビリテーションセンターは8ヵ所あり、訓練期間は1年間で、全寮セ制である。17歳以上40歳までが対象であり、訓練生の基礎学力がばらばらで指導が難しい上に、最近は、知的障害者とおぼしき訓練生も混じるようになり、ますます指導に苦慮している。
*どこのセンターも、修了生の職場の確保がたいへん難しい。
*集団生活になじめず、辞めてい「く訓練生もいる。
*JICAのスキームで、理学療法等の器材を提供し、各センターに分配された。
*最初のセンターは、1965年にILOの後押しでプラプラデーンにつくられた。8番目のノンカイのセンターは2000年に、国王生誕72年記念で王族から寄付された土地に建てられた。
*訓練コースは、全部で16コースあり、820人程度が訓練を受けている。コンケンのセンターは男性のみを対象とする。
*ナコンシータマラートのセンターは、僧侶が建てた病院の建物を公共福祉局が買い取り、使っている。
*タイでは、労働社会福祉省雇用局(Department of Employment)が雇用事務所を全国各県に置いて職業紹介業務を行っている。障害者も業務の対象とされているが、障害者の職業相談件数はごく少数である。
*レデムプトリスト障害者職業訓練校は開設以来100%の就職率を誇っている。3ヵ所で入学試験を行い、優秀な生徒が入ってくるようになっている。コンピューターと電子という、すぐに就職できる科目を教えている。職業紹介業務も始めた。
*ジンタナ・アパレル社はバンコク西部の郊外にあり、従業員総数は約2100人である。職業リハビリテーションセンターの修了生を集団就職させている。近くに宿舎があり、従業員は通勤の心配がない。彼らはセンターで1年間集団で暮らし社会生活のための基盤ができている、同窓生と一緒に就職するので互いに助け合えるというメリットがある。
*労災リハビリテーションセンターは、労働社会福祉省社会保障事務局の管轄下にある。定員満杯状態が続いてトいるため、全国に四つのブランチを造る計画が進められている。ラヨーンにその第一号が設置され、2002年9月にオープンする予定である。
*CBRによって障害者が自分の家でマッサージを営業しているのをみた。このような就業方法が広まれば、タイの障害者の長期目標である、地域de家族と一緒に住みながらの社会参加が進むのではないかと思われた。