マレーシア・サラワク州NGOのCBRの開始を手伝って


第111回アジア障害者問題研究会報告
2000年10月7日


1 元青年海外協力隊 大竹雅子
*横浜市リハビリテーション・センターで作業療法士(OT)として勤務の後、東マレーシア・サラワク州州都のクチンのサラワク福祉協会(Social Welfare Council of Sarawak)に2年派遣され、7月に帰国した。NGOに派遣されたので、他の関係するところも自由に訪問できた。
*ボルネオ島(インドネシアのカリマンタン島)はサラワクとサバの2州とブルネイ、インドネシアで構成されている。その内サラワク州はマ レーシアの1/4の国土を占め、最後まで英国領であったので、イスラム教の影響はあまりなく、半島より英語が普及している。
*80年代までイギリス政府のボランティアがいた。90年になってからは、JOCVに代わった。
*占領時代より残っている民間団体は活発であり、サラワクではそれらが集まってサラワク福祉協会を作った。対象者の取り合いがあり、行政と民間の関係はよくない。ただしサラワクの中心地を除くとサービスを選ぶことはできず、地方では障害者を家に閉じ込めて、食べさせるだけである。
*サラワクでは政府は老人対象のサービス、主として就学前の脳性マヒ児を対象とするPDK(政府が進めるCBR)、EIP(早期療育)を行っている。
*協会は94年CBRセンターを作り、98年から20−30代前半の知的障害者を対象に職業前訓練(training for work)を始めた。障害者は、送迎サービスのある通所の作業所で、読み書きの基礎教育の他に、社会性を身につけながら仲間と清掃、手工芸品の製作、各家庭を回っての新聞回収などを習う。18歳以上の12人がいて、その中には養護学校に入れなかった人もいる。働いてお金をもらう事を経験してもらい、CBRワーカーが民間の会社等での仕事を斡旋し、ファローアップのために定期的に会社や工場を訪ねる。98年以前も小規模でやっており、今まで自営業をやった人を除くと7人がアイロンがけ、掃除、ベッドのクッションづくり、ケンタッキー・フライドチキンでの片付けなどの仕事を始めた。そこまでできない人たちには家庭訪問を行い、介助の方法等を指導する。親はみえもあって、自分の子の能力を実際より高く考えている。センターはリフト付きバンも持っているが、訪問グループの活動には十分ではない。スペシャル・オリンピックを企画したり、海岸での一泊旅行のキャンプをした。
*CBRの名を使っているのはここだけで、政府はマレー語で同義のPDKを使っている。
*OTはサラワク州に3人しかいなかったので、彼らに技術指導も行った。
*年に2回協力隊の福祉隊員が集まって、勉強会を開催している。
2 サラワク福祉協会CBRワーカー サンファ・グエル(Sanfa Guel)
*大竹さんのカウンターパートであり、JICAの研修生として10ヶ月の予定で横浜市総合リハビリテーションセンターでさらに専門知識を身につけている。
*CBRワーカーとしての仕事は、17才以上の知的障害者を対象にセンターでの訓練、彼らのため申請書を用意し政府の障害者登録の推進〈既に300人の登録を伝う)、センターに来られない人の訪問、啓発活動(新聞にパンフレット、ラジオで話す、スペシャル・オリンピックの開催)、レクリエーション(楽しいところの訪問や教育的訪問(図書館、工場、放送局、博物館)の実施、スポーツ(2年ごとにサワク州障害者スポーツ大会がありパラリンピック代表を選考する)の推進、セラピー(センターや訪問)、子供クリニックの開催、養護学校の脳性マヒクラスの手伝いである。
*登録をすると税の減免、手当てや就職奨励金(月75リンギ)の支給、電話料金の割引などがあるが、親はこれらを知らない。
*センターにはCBRワーカーが3人の他に、協会が奨学金を出して最近卒業したばかりのPT、OTが各一人いる。