CBRの有効性 ー タイの障害者の暮らしから

第103回アジア障害者問題研究会報告
2000年2月5日
筑波大学・教育研究科 石館ふみ


*タイの教育制度は6、 3、3、4年で、日本と同じである。義務教育は6年であるが、97年の新憲法により2002年までに12年にする予定である。81年には6−14才までの障害児に普通教育の義務化が始まり、98年の人権宣言6条で障害児の教育を保障している。
*障害は嫌悪の対象である場合もあるが、徐々に変わりつつある。しかし、国立身体障害児養護施設パクレッド・ホ−ムの職員でも障害者のために働くことはタンブン(喜捨)とみていたり、統合教育の現場では障害児がからかわれたり罵倒されたりすることもある。
*公共保健省は91年に障害者登録制度を始めた。97年には138、263 人が登録し、東北部が多かった。東北部の社会福祉事務所が熱心に勧めたり、年間家計所得がバンコク等他地域の1/3 の5万バ−ツ以下であるため月500 バ−ツの登録者への手当は重要であることが理由にあげられる。
*97年にはプライマリ−ヘルスケア(PHC)が正式に採用され、すでに全タンボン(地区)に8000ヵ所の保健診療所がある。今は各地区に2ヵ所に増やそうとしている。ただし医療を主とする私立病院が増加し、地域保健の崩壊が懸念されている。
*国の他に、CBMやキリスト教系の団体もCBRを運営している。国のCBRは盛んではない。国のCBRについては、シリントーン国立医療リハビリテーションセンターのCBRユニットを中心に、全国の保健事務所(郡、県レベル)と保健所(地区レベル)職員に対するCBR研修やセミナーなどを実施している。CBRを実施するかどうかは各機関の判断にまかされている。
*タイ障害児財団(FHC)のCBRを、WH0の質問用紙を使って、プロジェクトが立ち上げられてから10年以上が経過する東北部のノンブアランプ−県スリアブアン郡と、東北部をモデルに1−2年しか実施されていない南部での障害者の生活の質を調査して比較した。南部に比べて、東北部では知識を得る機会が増えた、リハビリテ−ョンの時間が増える、近所の人と話ができるようになったなどの顕著な進展がみられた。
*東北部ではCBR委員会が月に地域の人々が月に30バ−ツをCBR基金に拠出することを決定している。これは通院の交通費等に使われる。
*設備が整った施設でのサ−ビスをCBRと比較するために、パックレッド・ホ−ムでも調査を行った。しかし期待に反して医療など大半の分野でCBRを越える結果は得られなかった。 
*ホ−ムには全国からの入居者がいて、ほとんどの人は親がいなかったり、扶養能力がなかったりする。種々の年齢の各70人が居住する生活棟が5棟あり、寮は、男女別で各13戸ずつあり、一戸に5〜6人が共に生活をしている。重度のCPの子供のみが外に出る事なく寝起きしているCP棟がある。施設内にはプラチャパディ学校があり、施設の66人と地域から通学してくる20人が学んでいる。
*FHC事務局長のソムチャイ氏はいままでの医療中心のCBRを変えていく方針でいる。
*スイブンルアンのCBR開始の際の行事に参加した。まず僧侶が経を読み、地域の人と会食をし、地域の人がCBRの資金として差し出す寄付を受け取っていた。FHCは相談役を演じ、地域の人が主体となっていた。



研究会配付資料

   筑波大学教育研究科障害児教育専攻 石館 ふみ

 1.タイの教育制度
 1992年の「国家教育大綱」による教育制度は学校教育と生涯教育の二つの制度から構成されている。学校教育には、学級・学年制度による教育課程と目的別各種教科教育がある。基本的にはタイの教育制度は6-3-3-4制、すなわち初等教育(小学校)6歳から11歳までの6年間、下級中等教育(中学校)3年、上級中等教育(高校)3年、高等教育(大学)4年である。高等教育は、選考する学科によって2年から6年となっている。修士課程は2年、博士課程は最低3年となっており、日本とほぼ同じ教育制度となっている。現在は初等教育の6年間だけが義務教育であるが、1997年の新憲法のもとで、2002年までには、初等教育から下級中等教育までの12年間の教育を義務教育とし、生徒は学費なしで受け入れられることとなった。しかし、教育環境は十分整備されているとは言えず、生徒の関心や生活条件によっては、それぞれの責任において公的教育、私的教育あるいはノンフォーマルな教育のいずれかを選択できるようになっている。政府は教育の機会均等を目指しており、性、年齢、人種、宗教、所得水準による差別をできる限り排除しようとしている。また、障害者、遠隔地・奥地に住む生徒等に対しても、政府は特別の手厚い教育を準備することを考えている。

Fig.1 現行学校制度(略)

 2.タイにおける障害者福祉の現状
 (1)タイ人の障害観
 障害は前世の悪行の結果と信じられてきた時代もあった。この考え方は障害者に対する二つの矛盾した態度を生み出した。人々は障害者を哀れみ、家族は過保護になる一方、ひた隠しに差別される障害者もいる。タイの社会福祉は仏教によって始められたといわれている。社会福祉のみならず、教育、医療など、多くの民政分野の活動が僧によって始められたのであった。スコタイ時代(13世紀)の諸王は、近隣諸国から僧侶を招き、スコタイで布教を行わせた。スコタイ時代に続くアユタヤ時代の僧侶たちは、仏教の修行と実践を通じて、慈善活動を行っていったのである。寺院は地域の福祉センターの役割を果たしていた。なお、仏教では喜捨(タンブン)が賞賛され徳(ブン)を積む行為であると理解されたので、慈善は人々の日常生活の一部となっていた。困窮している隣人に施しをする行為が、初期のタイにおける慈善の最初の形態であった。この影響もあり、障害者を援助することや、金銭的な施しを与えることは、自らの功徳になると信じるタイ人がまだ存在することは、事実である。 (2)障害者数
 保健省は、1991年に制定された障害者福祉リハビリテーション法に基づく障害者の登録制度の確立にともない、障害者の登録を進めてきた。仏歴2540年(1997年)に新規で登録された障害者の合計は国内全土で40,239人であった。既に登録されている障害者の総数を足すと、登録者の総数は、138,283人ということになる。地域別の障害者の数は以下をFig.2に示す       
   

 登録者数は人口比はFig.2のとおりである。障害者の人口比が高いのは東北部であることの理由として、東北部各県の社会福祉事務所が登録を積極的に勧誘したのではないかということ、および東北部はタイの最貧地帯であり、もともと障害者の発生率が高いのではないかということの2つが想像される。

 3.タイの保健・衛生
 (1)タイの農村保健医療制度の整備過程
 タイ農村の保健医療分野の展開は、1950年代のマラリア・ボランティアの試みから始まり、その後1961年の第一次、第二次五カ年計画で病院、保健所を全国規模で拡充することにより大規模に展開した。また、年表に示したような1960年代から70年代にかけてピサヌローク県、チェンマイ県、ランパン県、などで試行されたプロジェクトが成功し、その後の全国的展開の大きな原動力となった。こうしたプロジェクトの経験をふまえ、1977年より第四次国家経済社会開発計画(1977-1981年)および第四次国家保健計画(1977-1981年)でプライマリー・ヘルスケア(PHC)が正式に国家的プロジェクトとして導入された。特に村落のプライマリー・ヘルスケアを担う中心機関として保健診療所が全国のタンボンに設置されていったこと、さらに保健ボランティアの育成と組織化が強力に展開したことが特筆できる。保健ボランティアの活動は1966年チェンマイ県サラピー・プロジェクトで試行され、ボランティアの原型が作られた。国家開発計画によれば、ボランティアは基礎的医療(Basic Medicalcare)と治療(Treatment)を行うよう選ばれ訓練する。また、保健情報を収集し村民の受治療を中継する役割をもつとされている。また、第四次国家保健計画では保健ボランティアに200バーツを与え、薬の購入と管理をさせるプロジェクトが開始され、常備薬の備蓄はボランティアの仕事の一つとなっている。
タイの農村保健医療制度の変遷をTable1に示した。

  Table1 タイの農村保健医療制度
1960年 地域保健開発プロジェクト開始
1961年 第一次・第二次国家開発計画(1961-1971年)で治療を中心とし た病院、保健所の拡充を目標とするMCH栄養プロジェクト開始
1964年 ピサロヌーク県ワットポー・プロジェクト
1966年 チェンマイ県サラピープロジェクト
1971年 第三次国家開発計画(1971-1976年)村落保健ボランティア村落保健通信員がはじまる
1974年 ランパン県プロジェクト
1976年 チョンブリ県プロジェクト・システム分析
1977年 第四次国家開発計画(第四次国家保健計画)でPHCが導入される
         基礎公衆衛生に関する国家セミナー開催
        村落常備薬購入・管理プロジェクト開始
1982年 第五次国家開発計画
 BMNが導入される 村落常備薬基金プロジェクト開始
1984年 保健カード・プロジェクト開始
  出所:タイ・バングラディシュ・日本における保健・衛生知識の普及と学校教育
    -心理・教育人類学的アプローチ-(野津、1998)


 保健診療所はタイ保健省の保健医療システムの末端機関として直接、村落住民に対する基礎的保健医療活動を行っている。自分の住む村に保健診療所ができることで、以前は隣り村の保健診療所まで時間をかけて通っていたのだが、その必要がなくなりアクセスがしやすくなるのである。保健診療所は地域住民の健康を預かる村内の最重要機関となった。全国的な保健診療所配置の動向を見ると、保健診療所を全国すべてのタンボンに設置する計画は第五次国家開発計画の実施期間中(1982年-1986年)にすでに達成された。現在は全国に約8000ヵ所設置され、さらに保健診療所を各タンボンに2か所設置する計画が進行中である。
 保健診療所は小学校とともに最末端の国家機構を構成し、職員は国家公務員として処遇されている。プライマリー・ヘルスケアが活動の中心で、医師免許を持った職員はいない。看護短大や保健衛生カレッジを出た看護婦・助産婦や衛生士が配置されており、彼らの手に負えない高度の治療が必要な場合は保健診療所が郡病院に連絡する。村民は各世帯
年間500バーツの診療カードを買えば診療は無料となる。村人は保健診療所職員をお医者さん、(クン・モー)と呼び、保健診療所をよく利用している。保健診療所の仕事は日々の診療活動の他に多種多様なものが含まれる。妊婦教室・育児教室を通じて妊娠中から保育園就学までの母子への支援(生後3ヵ月おきの検診、体重測定、ワクチン接種、栄養指導など)、校医類似の役割、エイズ予防のキャンペーン、保健ボランティアの組織と運営、ボランティアが各担当家庭に配布する資料やヨード添加物の受け渡しなどがある。さらに、保健診療所は村民の健康管理とは直接つながらないが、3年に一度実施される「村落基本調査」の一部を担当しており、保健ボランティアが集めた基礎調査表を集計し、住民基本台帳をつくるのは保健診療所職員であった、そのほかにっも水道・井戸数・寝たきり老人の数など多種のデータ収集と整理などの煩雑な業務も行い、保健診療所が国家保健医療機構の最末端として村人の健康管理の仕事も担っている。

 (2)現在の保健医療システム
 タイの基本的な保健医療の供給体制の枠組みは1970年代から、軌道に乗りうまく機能してきたといわれている。(丸井,1998)それには、WHOが1970年代にプライマリー・ヘルスケア(PHC)の理念を組立て、後1978年にアルマアタ宣言を発表したこととの関連が深い。アジア全域を襲った1998年の財政危機以後、立て直しの努力の中で、依然として将来への方向性を模索している段階だといえる。今後の方策もまたその延長上に築かれていくと考えられているが、現在のタイの保健医療は混乱状態にあるといえる。
 タイの行政システムは現在のところまだ中央集権体制が続いている。バンコクをはじめとしていくつか大都市は地方分権化が進んでいるものの、全国としてみると中央集権は強い。したがって保健医療についても、都市地域は制令都市として内務省の管轄下にあり、農村地域は中央の保健省の下にあるという縦割りの状況にある。また、タイの保健医療システムでは医療と公衆衛生(予防医学・地域保健)とが必ずしも明確に分けられていなかった。近年、医療の私的部門が成長するに至って、両者が明確に分けられる状況が生じてきた。かつてはほとんどの病院が公的病院で保健省の管理下にあった。そのため1960年代から、医療従事者、なかでも医師の90%以上が国家公務員としての身分をもっていた。たとえ勤務時間外に民間部門でパートタイムで仕事をしたとしても、まずは公務員であった。この時代は、保健省が公衆衛生を担当する部局であり、その傘下に医療を行う医師、歯科医師、看護婦、薬剤師などすべての医療専門家が管理されていたことになる。現在でも、地方の郡レベルの公立病院での仕事は臨床とともに地域保健の仕事の割合が高く、専門性の高い大病院は別として、住民に近い部分では、必ずしも医療と保健とが組織的に分けられているわけではない。(丸井、1996)
 しかし、近年の私立病院増加に伴って公務員の割合は低下しつつあり、同時に民間では保健活動とは別の医療だけに専従することになる。これは都市に特徴的で、農村地域では私立病院の収益性が低いので、私立病院は大都市に集中している。
 全国としては、地域保健医療システムは、国の中央の総合病院を頂点として、その下に地域病院、県病院、さらに地区の郡病院、そしてタンボンの保健所までひろがりをもったピラミッド型になっている。これは保健省のシステムであり、今後私立病院の増加が従来通りの伸びを見せるとすれば、このシステムは中間レベルで崩壊していくことにもなりかねない。

 4.タイのCBRの状況
 タイにおけるCBRは1983年にWHOの「障害をもつ人々に対する地域社会での訓練・研修(TPCD)マニュアルを翻訳したことに始まる.公共保健省は1970年代後半に「地域住民,特に農村地域を中心にした保健体系での地域資源を利用し,地域住民の参加により保健問題ひいては村レベルでの自助活動を確立すること」を目的としたプライマリー・ヘルスケア(基礎保健ケア)を導入し,これと同じ流れを持ったCBRは受け入れやすかった.この後,実験的プロジェクトが1986年に東北タイ(ナコンラーチャシーマー県,ノンソーン地区)で始まった.国では今第2期の試みをピサヌローク県(中部タイ)で,また,非政府組織(Handicapped International:HL)と共同で,東北タイ(スリン県,シーサケート県,ナコンパノム県)・南タイ(チュムポン県)等でCBRを導入している.タイ最初のCBRとしては,1982年に創立された非政府組織「タイ障害児財団(Foundation for Handicapped Children:FHC)が1985年に東北タイ(ナコンラーチャシーマー県プアヤイ郡,)で活動を展開したことに始まる.このようにタイにおいてのCBR活動は,政府レベルだけではなく多様な団体により活動が実施されてきている.タイでのCBRの実施状況を下の表に示した。(Table2)
Table2 タイでのCBR実施状況(略)

 5.CBRについての研究の流れ
 CBRの影響に関するの研究の最初の報告は、1982年にパドマニ・メンディス(Padmani Mendis)およびネルソン(G.Nelson 1982)らにより出版されたといわれている。この研究は、地域社会に根ざしたリハビリテーション計画に参加した417人の障害者の観察に基づいたものである。彼らは、5か国(ボツワナ・インド・メキシコ・パキスタン・スリランカ)を訪問し、障害者の生活を追跡調査した。この研究では、CBRに参加した障害者の78%に何らかの改善が見られたとの報告がなされている。他にも、パドマニ・メンディス(Padmani Mendis)はベトナムでのケーススタディの詳細な記録を残すなど、多数の研究を報告している。
 オトゥール(B.O'Tool,1988)はまた、ガイアナで自らが創始したCBRプロジェクトの評価を提示し、幼児期の障害児に対してCBR活動が極めて有効であると報告している。またアーノルド(Arnold,1988)はネパールで遂行され成功したプロジェクトについて報告した。その他、WHOのCBRマニュアルに対する評価(Finnstam,1988)、CBRにおける早期障害予防対策に関する研究(Simconsson,1991)などが報告された。さらに、1992年以降には、障害児に対する客観的評価を用いた方法でCBRプログラムの有効性を証明する論文がリハビリテーション専門雑誌に発表され始めた。その例として、Lagerkvist(1992)は、フィリピンとジンバブエという風土が習慣が全く異なったCBR実施地域において、障害児のDisabilityのレベルの軽減効果を測定した。その結果、CBRは障害児の年齢、性別、国籍、居住地域、宗教などを問わず有効なリハビリテーション方法であることを証明した。Mitchellら(1993)は、CBRの目的の一つである障害者に対する地域住民の意識変化に関して中国広東省におけるCBR実施地域と非CBR実施地域を対象とし、「障害者に対する態度測定の評価(Attitude Towards Disabled People=ATDP)」を行った。それによると、障害児に対する地域住民の意識変化は、非CBR地域よりCBR実施地域の住民に高いポジティブな反応が出たと報告された。また、Thorburn(1992)は、同じ中国広東省の調査地で、約80%の親が障害に対する理解を得たと報告した。Lysackら(1992)はインドネシア中部ジャワ州においてCBRに携わるスタッフに関して多岐にわたる調査を行った。この研究は、スタッフの効用を客観的に検討し、CBRに携わるスタッフに関して研究を行うことでCBRを総合的に評価できる可能性を示した。(山内、1995)
 このように、さまざまな形でCBR活動に関する研究はなされてきた。CBRの活動内容や実践方法は、実施国や地域により様々な形が存在し、CBRの理念に最も沿った効果的な実践方法については、いまだ明確な見解は得られていない。CBRの活動の実践が10年以上の長期にわたる国・地域において、CBR活動の有効性を明らかにした研究は幾つか報告されている。しかし、CBRの現在の評価においては、ADL(日常生活動作)など測定しやすい障害者の機能面での進歩のみが強調されていたことは否定できない。そのため、障害者の自立につながるCBRの成果にまで研究が充分に及んでいるとは言い難い。

 6.問題提起
 CBRとは、障害者本人の身体機能回復のための治療・訓練を指す狭義のリハビリテーションではなく、障害者が自己実現していける社会の実現を含む広義の意味で用いられている。CBRが急速に広まってきた最大の理由は、障害者問題の解決、つまり単に障害者自身が身体の機能を回復することではなく、身体の機能不全を抱えていても、人として平等な権利を有し、自己実現の主体として社会の発展に貢献できる社会の実現に対してCBRがよりよいアプローチであると理解されたからである(久野、1997)。1993-2002年のアジア太平洋障害者の十年にあたっては、ESCAPも、CBRを障害者のクオリティ・オブ・ライフ(以下QOL)を高める戦略として推し進めることを決定した(久野、1997)。CBRでは、障害者自身がサービスの提供に重要な役割を果たすべきだと考えられている。障害者自身が社会を変革していくための力を付けること(エンパワーメント)の重要性を説いたCBRだが、CBRの現在の評価においては、ADL(日常生活動作)など測定しやすい障害者の機能面での進歩のみが強調されていた。そのため、障害者の自立につながるCBRの成果にまで研究が及ぶことが少ないことは残念なことである(中西、1997)。1999年11月にアジア・ディスアビリティ・インスティテュートの主催で行われた「世界に広がるCBR」のパドマニ・メンディス(Padmani Mendis)の講演でも、そろそろQOLによってCBRの再評価を試みる時期に来ているのでは、との討議がなされた。
よってプライマリー・ヘルスケアの理念が浸透し、途上国のモデル像となっているタイにおいて実施されているCBRを、QOLの観点から評価することは意義深いことだと考えた。

 7.修士論文「タイの障害者のQOLの観点からみたCBRの有効性について」
 本研究では、障害者の自立につながるCBRの有効性をQOLを通して評価することを試みる(調査1 CBRプログラム下の障害者のQOLについて)。加えて、CBR下の障害者の生活実態の概要を把握し、CBRプログラム下の障害者の生活にどのような特徴があるのかを明確にしたい(調査2 CBRプログラム下の障害者の活動の多様性について)。また施設処遇を受ける障害者の生活実態も概観し、施設に入所する障害者との比較によっても、CBRプログラム下の障害者の生活環境の特徴を考察していく(調査3  施設処遇を受ける障害者について)。
 これらの調査の結果を考察することで、タイという国の文化や価値観の中で、CBRが障害者のリハビリテーションの方法として有効に機能しているかどうかをQOLの観点から評価していく。

*調査1 CBRプログラム下の障害者のQOLについて
1)目的 タイのCBRプログラム下の障害者のQOLを、WHO/QOL-26質問紙を用いて評価する。
2)方法 WHO/QOL-26質問紙を用いて、タイ東北部で実 施され ているCBRプログラムに参加する障害者37名、またタイ南部で実施されているCBRプログラムに参加する障害者各16名を対象に質問紙調査を 行った。用いた質問紙は資料に付した。
3) 結果
 各領域ごとのQOL得点の合計点の平均点を算出し、「身体的領域」「心理的領域」「社会的関係」および「環境」の各領域の最大得点に対する割合を、タイ東北部・南部CBR参加者それぞれの得点を算出した。そのレーダーグラフがFig.3 Fig.4である。    

タイ東北部CBR被験者37名、タイ南部CBR被験者16名のWHO/QOL-26に対する回答を、各項目ごとに平均点を算出したものをレーダーグラフにしたものが、Fig.5、Fig.6である。

   
            

・タイ東北部CBR
各領域ごとのQOLの得点のバランスを見ると、環境領域のQOLがめだって低いことがわかる。環境領域は、「金銭関係・自由、安全と治安・健康と社会的ケア・利用のしやすさ・居住環境・新しい情報と技術の獲得の機会・余暇活動の参加と機会・生活圏の環境
(公害/騒音/気候)・交通手段」という下位項目を含むものである。環境領域の中でも、最も低い平均点が算出されたのは、Q12「必要なものが買えるだけのお金を持っていますか」であり、次いで低いのはQ13「毎日の生活に必要な情報をどのくらい得ることができますか」Q25「周辺の交通の便に満足していますか」であった。これは、ノンブアランプー県がバンコクから610km、あるいは近隣の都市部からも離れている地域であることを、障害者自身も生活の中で感じており、不便さを感じていることが示された。これに対して心理的領域は、四つの領域の中で最も高いQOLが示された。心理的領域の中でもQ6「自分の生活をどのくらい意味あるものと感じていますか」Q5「毎日の生活をどのくらい楽しく過ごしていますか」の平均点が高かった。結果から、障害者自身は、金銭的な面、環境領域など、物質的な面では低いQOLを示しているが、心理的領域では良好なQOLを示しており、貧しさ、リハビリテーションの機器の不足などにも関わらず、毎日の生活を楽しく過ごし、自分自身の生活を受け入れる姿勢がみられる。
 身体的領域と社会的関係を比較すると、やや身体的領域が低く、社会的関係がわずかに高い。社会的関係は、「人間関係・社会的支え・性的活動」という下位項目を含むものである。社会的関係の中でも、Q22「友人たちの支えに満足していますか」が最も高い平均点を示した。質問は、家族や友人かれ得られる支援、実際にあてにできる援助の有無について調べるものである。家族や友人が個人の、あるいは家族の問題を解決するのにどれだけ責任を分かち合い共に働いてくれるか、危機に際して援助してくれるかなどに焦点をあてている。結果から、タイ東北部CBRプログラム下の障害者は、友人たちの支えについての満足度が高いと推測される。身体的領域は、「日常生活動作・医薬品と医療への依存・活力と疲労・移動能力・痛みと不快・睡眠と休養」という下位項目を含むものである。身体的領域の中でも、最も高い平均点を示したのはQ16「睡眠は満足のいくものですか」であり、低い平均点を示したものは、Q3「体の痛みや不快感のせいで、しなければならないことがどのくらい制限されていますか」とQ10「毎日の生活を送るための活力はありますか」であった。結果から、タイ東北部CBRプログラム下の障害者は、身体に痛みを感じたり、不快感のために生活の妨げとなるような場面があることがわかった。

・タイ南部CBR
 領域別にみてみると、身体的領域、環境領域において低いQOLを示していることがわかる。心理的領域と社会的関係が比較的高いQOLを示している。自分自身の生活を意味あるものと捉え、毎日の生活を楽しく過ごしすと共に、他者との関係、友人や家族との関係にも肯定的な感情を抱いていることがわかる。

*調査2 CBRプログラム下の障害者の活動の多様性について
1)目的 CBRプログラム下の障害者の活動の多様性を、面接を通して調査することを目的とす
る。
2)方法 タイ東北部のCBRプログラムに参加する障害者5名、またタイ南部のCBRプログラムに参加する障害者6名を対象に面接調査を行った。本人が回答できない場合は、保護者がかわって回答した。面接項目は@日常背生活の流れACBR下で行う活動についてBリハビリテーションについてC人的資源についてD生活圏の環境についてE就労についてF日常生活についての要望、の7つの領域からなる。面接項目の内容は資料に付した。
3)被験者の属性

タイ東北部CBR被験者の属性

性別 年齢 障害名 歩行 食事 衣服の着脱 トイレ 風呂 会話 外出 就学状況
A 4 CP できない 介助ありで可 介助ありで可 介助ありで可 介助あり で可 でき ない でき ない 就学前  段階
B 14 下肢に障害あり 杖を使用 できる できる できる 介助あり で可 できる 機会がない 通っていない
C 15 CP できる できる できる できる できる できる できる 統合教育
D 2 CP できない 介助ありで可 介助ありで可 介助ありで可 介助あり で可 できる 家族と一緒 就学前  段階
E 2 発達障害 できない できない でき ない 介助ありで可 介助あり で可 でき ない 家族と一緒 就学前  段階

タイ南部CBR被験者の属性

被験者 性別 年齢 障害名 歩行 食事 衣服の着脱 トイレ 風呂 会話 外出 就学状況
A 11CP CP できる できる  介助ありで可 介助ありで可 できる できる できる 通っていない
B 6 CP 杖を使用 介助ありで可 介助ありで可 介助ありで可 介助ありで可 できない できる 通っていない
C 3 CP できない できない できない できない できない できない できない 就学前段階
D 26 下肢に障害あり 杖を使用 できる  できる 介助ありで可 できる できる できる 小三が最終学歴
E 5 CP できない できない できない できない できない できない できない 就学前段階
F 12 CP できない 介助ありで可 介助ありで可 介助ありで可 介助ありで可 できる できない 通っていない

4)結果
@日常生活の流れ
 月に一度通院する以外は、平日も休日も家庭やその周辺で生活している。手工芸品製作や文字の学習など一日の主な活動は家庭の中で行われている。そのため、平日と休日との差があまりみられない。
ACBR下の活動について
 CBR活動に参加するようになり、障害についての知識が増し、家庭でのリハビリテーションに割く時間が増えた。地域の人とCBRについて話し合うようになった等の変化がみられた。
Bリハビリテーション
 リハビリテーションは主に家族によって行われており、肯定的態度により取り組まれている。家庭では自助具を作成しており、効果的に利用している。リハビリテーションの所用時間は、約30分である。
C人的資源
 障害についての相談相手は、主にNGOスタッフや医者であった。家族内の人間関係を肯定的に認識し、また地域内の住民とは集会所・寺院を利用して交流している。地域内の住民との催事には積極的に参加している。
D生活圏の環境
 病院までの距離は40km圏内、学校までの距離は5km圏内、寺院までの距離は5km圏内であった。移動手段は、市バス・モトサイ・自家用車を主に利用していた。病院へのアクセスに負担があることから、通院のための補助金給付の実施がなされている。
E就労について
 東北部CBR参加者の生計は農業であり、南部CBR参加者の生計は、雑貨販売・宝くじ販売・手工芸品製作・運転手などだった。長期間就労可能な安定した収入の得られる仕事を希望
F日常生活の要望について
 病気のかかりやすさ、病院へのアクセスの不便さ、移動の手段や就学・就労・健康について不安を持っていることがわかった。

*調査3 施設処遇を受ける障害者について
1)目的 施設処遇を受ける障害者のQOLをWHO/QOL-26質問紙を用いた質問紙調査、また面接調査を通して評 価することを目的とする。
2)方法 WHO/QOL-26質問紙を用いて、パクレット国立養護施設に入所する障害者60名を対象に質問紙調査を行った。加えて面接調査も行った。面接項目は@日常背生活の流れA施設内で行う活動についてBリハビリテーションについてC人的資源についてD生活圏の環境についてE就労についてF日常生活についての要望、の7つの領域からなる。面接項目の内容は資料に付した。
3)被験者の属性

性別 年齢 入所年度 実家 障害名 歩行 食事 衣服の着脱 トイレ 風呂 会話 外出 就学状況
A 28 1984年 バンコク  近郊 下肢に 障害あり 車椅子 できる できる できる できる できる 介助ありで可 訪問教育  (小学校段階)
B 18 1994年 ナコンパトム県 下肢に 障害あり 車椅子 できる できる できる できる できる 介助ありで可 小4が最終学歴
C 20 1989年 ウタラディット県 ポリオ 車椅子 できる 介助あり   で可 介助ありで可 介助ありで可 できる 介助ありで可 中学校通学中
D 17 1987年 チュムポーン県 下肢に障害あり 車椅子 できる できる できる できる できる 介助ありで可 中3が最終学歴
E 32 1994年 ロイエット県 全盲 できる できる できる できる できる できる 介助ありで可 通っていない
F 28 1991年 パトムタニ県 下肢に 障害あり 車椅子 できる できる できる できる できる 介助ありで可 通っていない
G 33 1987年 ウドムタニ県 下肢に 障害あり 車椅子 できる できる できる できる できる 介助ありで可 通っていない
H 32 1990年 チェンマイ県 下肢に 障害あり 車椅子 できる できる できる できる できる 介助ありで可 訪問教育  (小学校段階)

4) 結果
・WHO/QOL-26について
各領域ごとのQOL得点の合計点の平均点を算出し、「身体的領域」「心理的領域」「社会的関係」および「環境」の各領域の最大得点に対する割合を、タイ東北部・南部CBR参加者それぞれの得点を算出した。そのレーダーグラフがFig.7である。

 
・面接調査について
@日常生活の流れ
毎朝8時に朝礼、食事は集団ごとに行い、午前2時間・午後2時間は作業学習・スポーツなど、施設内の生活にはリズムがある。平日と休日では活動に明確に差がある。
休日は施設内にある生活棟や、施設周辺を散歩するなどして過ごしている。

A施設内で行う活動について
 スタッフの指導で造花・裁縫・カーペット作り・人形製作・水がめ製作・スポーツ等の活動を肯定的態度で行っている。キャンプ等の特別行事に参加し、施設内の友人関係を深めるなど、施設内の活動に入所者は肯定的である。
Bリハビリテーションについて
 主にPTによって行われているが、PTの不足により入所者の希望を全て受け入れるのは難しい状況にある。入所以前には自宅の周辺でリハビリの機会を習慣的に得ることが難しかった。CBRについて知識がある者はいなかった。
C人的資源について
 施設外の友人は1〜4人で、交流の機会はなしか多くて1か月に一度であった。施設外の地域の住民とは施設行事において集団で交流している。最も親密な人はいないか、施設内の友人であった。
D生活圏の環境について
 病院までの距離は100km圏内、学校までの距離は200km圏内、寺院までの距離は2km圏内、外出の機会は少ない状態であった。入所者は施設の設備について満足していた。
学校までの距離は
E就労について
 入所者の90%は父母なしか、扶養能力のない状態にある。電気製品の修理・アート関係・裁縫など作業学習で学んだ活動をいかした就職を希望している。
F日常生活の要望について
 施設内の移動の不便さ、食事の改善、施設外の知人の訪問の少なさ、父母・家族との関係に不満を持つことがわかった。その他では就学・就労・健康・家族のことについてであった。
*総合考察
1)QOL-26の比較・考察
 CBR群のQOLの特徴は、環境領域のQOLが目立って低いことである。国立養護施設パクレットのQOLの特徴は、身体的領域が目立って低いということである。医療的ケアが必要な時にはすぐにでも医者の診察を受けられる環境にいながらも、パクレット入所者の身体的領域のQOLは、CBR群よりも低く評価された。医療が提供されても、身体の不全感はCBR群よりも低く評価されているのである。WHO/QOL-26が、主観的QOLの測定をこころみた尺度であることを考えると、国立養護施設パクレットに入所している障害者の身体の不全感は、医療環境などが良好でも高い状況にあったということが推測される。CBR群は、環境領域のQOLが目立って低くいのにも関わらず、心理的領域のQOL は、パクレットの入所者のQOLの得点との差はなく、物理的に恵まれない環境にあるが日常生活を楽しく安定して送っていることが推測される。社会的関係については、CBR群よりもパクレットの入所者の方が高いQOLを示した。パクレット入所者は、施設内での人間関係、友人の支えに対する満足度が高いということが推測される。

2)面接項目の比較・考察
 CBRプログラム下の障害者の生活と、国立養護施設パクレットに入所している障害者の生活を面接調査を通して概観してきた。面接項目の領域ごとに、両者を比較、考察していく。
@日常生活の流れについて
 パクレットに入所する障害者の日常には、平日に主となる活動があることで、平日と休日の活動に明確な差ができている。比べてCBR下の障害者の生活は、地域の学校で統合教育を受けているタイ東北CBR被験者C以外は、平日と休日の差が明確に見られなかった。パクレットに入所する障害者は、施設の敷地内で生活し生活圏に限りがある中で暮らしているが、活動の内容は各個人で多様であった。CBR下の障害者の生活は、被験者の年齢がパクレット国立養護施設の被験者に比べて低いこともあるが、地域内で送られており、際だって目立った活動はなかった。
ACBR下あるいは施設内の活動について
 パクレット国立養護施設内の活動は、施設職員の決定に従って定められ、各被験者に合わせた活動が選択される。朝礼・作業学習の時間などは、毎日同じ時間帯に行われており、毎日の生活のリズムを作っていることは評価できる。逆に、あまり作業が習慣化してしまい、作業に飽きてしまう心配もある。現在行っている活動以外の活動を希望している場合は問題がある。CBR下の活動としては、家族によるリハビリテーションの実施、自助具、おもちゃの作成をきっかけとした地域の住民の意識の変化などがある。CBR下の障害者が積極的に地域住民との関わりを持とうとすることで、地域全体が障害者と共にふつうに暮らしていく地盤が醸成されていくという過程は評価できる。
Bリハビリテーションについて
 パクレット国立養護施設内でのリハビリテーションは、施設敷地内にあるリハビリ棟でPTによって行われている。リハビリテーションを受けるかどうかは、PTの判断によって決められる。PTは施設に2人しかおらず、慢性的なスタッフの不足に悩まされている。CBR下の障害者は、リハビリテーションの担い手は主に家族・親戚といった近親者であり、彼らによって毎日のリハビリテーションを行う習慣がついている。
C人的資源について
 パクレット国立養護施設の入所者は、施設内で最も親密な人はという問いに対して「いない」と答えた被験者が4名、施設内の友達を挙げた者が3名であった。施設外の友人が施設を訪問する頻度は少なく、限られた範囲内での人間関係が作られている。しかし、パクレット国立養護施設に入所する障害者は、社会的関係のQOLは高く、限られた範囲内の人間関係をうまく築いていることが推測される。同世代の友人は、国立養護施設パクレット内の障害者の方が多く持つが、みな同じ障害者同士の友人であり、健常者との関わりという意味で幅が狭い人間関係であることが特徴である。
 これに比べCBR下の障害者は、地域の中で家族と共に暮らし、近所の友人あるいは近所の住民と人間関係を作っている。一方、CBRプログラム下の障害者は、地域の中で日常を送り、なかなか都心に行く機会のない一方で、家族、親戚、兄弟、地域住民との良好な関係を築いている。地域の中で行われる催事には、家族が障害児を連れていくことが普通なこととなっており、地域内での住民と障害者との交流の機会は多いと推測される。パクレット国立養護施設施設内では、職員には「忙しそうで声をかけると悪いと思う」と考える障害者が存在する。障害について不安な時は誰に相談するのかということについて、パクレット国立養護施設に入所する障害者は、職員ではなく友人と答えた。職員は障害についての助言を知専門知識に基づいてできるはずだが、職員と障害の相談を気楽にできるような雰囲気が醸成されていないようである。誰にも相談しないと答えた者もいた。職員自身も、入所人員に比べスタッフの少なさを嘆いており、自身の余裕のなさを自覚している。
D生活圏の環境について
 環境面では、国立養護施設パクレットにおいては、施設内の敷地に学校や医療棟、リハビリ棟、寝泊まりをする生活棟など多くの社会的資源に恵まれている。施設外への外出は、施設の企画として集団で行う者や、実家への帰宅などで、スタッフの介助を受けながら外出の機会を確保されている。CBRプログラム下の障害者は、医療サービスを受ける場所として郡病院へ市バス、モトサイ、自分の車などで通院している。他県への外出については、近所の住人に誘われて、あるいは他県の親戚や友人を訪問するといったことがきっかけで他県への外出をしている。しかし、農村部という地理的条件は健常者にとっても外出の機会を持つことを難しくしている。
E就労について
 就労については、パクレット国立養護施設に入所する障害者、CBR下の障害者、両者とも、具体的な仕事のイメージを持つ障害者が少なかった。施設に入所する障害者の場合は、施設を出て就労につくこと自体、想像することが難しいというのがその理由であり、CBR下の障害者の被験者の年齢が低いことが理由であるだろう。
F日常生活の要望について
 日常生活の要望については、パクレット国立養護施設に入所する障害者、CBR下の障害者それぞれ、個人個人の障害によって様々な回答が得られた。パクレット国立養護施設では、「就学のこと」「就労のこと」という回答が目立った。CBR下の障害者では、「健康に関すること」についての不安を挙げる被験者が多かった。 

まとめ
 調査1の結果から、タイ東北部ノンブアランプー県CBRでは環境領域が非常に低いQOLが示され、タイ南部ナコンシータマラート県CBRでは領域ごとには偏りのないQOLが示された。各領域ともに、タイ東北部ノンブアランプー県のCBRがタイ南部ナコンシータマラート県CBRよりも高いQOLを示した。
タイにおけるCBR参加者は、少ない地域資源を可能な限り利用し、日常生活では家庭をリハビリテーションの場としていることがわかった。調査2では、面接を通じてCBRプログラム下の障害者の生活に迫り、活動の多様性について調査した。CBRプログラム下の障害者は、外出の機会・地域資源までのアクセスに困難がある、などの難点を抱えているが、家族や地域社会の住民の中で豊かな人間関係を作っている。地域の祭事や寺での集会に障害者を連れていくこと、また障害者を持つ家族が家庭の庭で自助具を作成することによって、地域社会の障害に対する意識の底上げが起こり、障害者が地域で暮らす基盤を醸成されていることが推測された。障害児はこうした交流の中で社会経験を積み、社会の側も障害者との関わりの中で啓発されていく。こうした地域住民と障害者との関わりは機能面のリハビリテーションのみの充実を考え、施設や病院などにリハビリテーションの主導権を委ねてていたのでは促進されない。広義のリハビリテーションの意義を考えれば、ADL面での改善をQOLの底上げにつながっていくものという意識を作っていくべきであろう。CBRプログラム下の障害者は、この面で模範となるべき活動を行っているのではないだろうか。

今後の課題
 本研究では、三つの調査によってタイで実施されているCBRをQOL の観点から評価することを試みた。調査を通して、タイのCBRは環境面のQOLの充実が望まれる状況があること、加えて厳しい環境にも関わらず、心理的領域のQOLは高く、今後の活動が長期に渡り安定して継続されることで、障害者に主体的に生きるきっかけとなることが期待されている状況が推測された。

参考文献
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山内 信重 (1995)Community-Based Rehabilitationに関する研究-インドネシア中部ジャワ州のフィールドワーカー訓練プログラムの検討- 筑波大学大学院 教育研究科障害児教育専攻 修士論文