ネパ−ルのCBR

第101回アジア障害者問題研究会報告
1999年12月4日 
東京大学・渡邊雅行


*ネパ−ルとの付き合いは、86−89年にカトマンドゥ郊外ゾルパティのネパ−ル障害者協会(NDA)カゲンドラ・ニュ−ライフ・センタ−に青年海外協力隊から派遣されたのが始めである。
*当時のセンター入所者は、大半が軽度障害者であるにもかかわらず、年に1〜2人が退所する程度で、地方出身者は家に戻りたがらず居つづけていた。職業訓練で作製したものの売上金は施設の収入となったため、上肢障害者の入所は難しかった。
*敷地内には他に3施設が設置され、センタ−を含め合計200 人ほどの障害者がいた。TDH(Terre des Homme, 小児整形外科病院)は貧しい人のみを対象とし、地方から来る人の旅費も援助した。SOS(Save Our Souls)チルドレン・ビレッジでは障害をもった孤児が自立できるまで居住でき、英語を学べる寮制の学校に通わせてもらえた。ライダ−・チェッシャ−・ホ−ムには、主に脊損や筋ジスの障害者が入所していた。
*現在は、NDAの活動はCBRが主流となり、センタ−の規模も縮小し、教室では統合教育が行われている。病院は障害児病院・リハビリテ−ションセンタ−(HRDC)としてパネパに移り、バスコタ医師を中心に運営されている。当時の建物は貸し出され、大学付属病院となっている。NDAは独自に敷地内にネパ−ル整形外科病院を建設した。他の2施設は変わらず運営されているが、ライダ−・チェッシャ−・ホ−ムはCBRを計画。
*ネパ−ルでは1997年12月の時点で18団体がCBRを運営。主な6団体を紹介する。
(1) 各種障害児を対象に始まったバクタプ−ル郡のCBRは、年齢枠を取り払い、郡内の2市と16村で実施されている。簡単な母子クリニックや学齢期の脳性マヒ児などのデイケア・サービスも運営している。リソ−ス・センタ−で行なうCBRファシリテ−タ−養成は、アシスタントPTが教えるため内容が身体障害に片寄っている気がする。ファシリテ−タ−には学校の先生が多く、主に早朝仕事前に障害者宅を訪問している。各自1カ所もしくはかけ持ちで2カ所の村を担当し、謝礼をもらっている。父兄会は2ヵ月に1回開かれる。仏具や民芸品をつくっている家内工業の工場に障害者を通わせ、実地訓練による職業訓練を行なっている。聴覚障害児のための特殊学級は青年会議所が運営する学校内に設置されている。バクタプール市内の一部の学校では、身体障害児のための統合教育も実施。
(2) HRDCでは家庭訪問を行ない、身体障害児対象に医療援助を行なっている。
(3) ネパ−ル盲人福祉協会は東京ヘレンケラ−協会の援助で、職業、教育までを含めた幅広い活動を盲人を対象にバラ郡で実施している。
(4) 知的障害者福祉協会は16郡で知的障害者のCBRを実施。
(5) NDAでは村議会と3年間の契約を結び、その期間に調査やCBRワ−カ−の訓練を行なう形式で実施されている。
(6) 脳性マヒや知的障害の子供を対象としたデイ・ケアとクリニックを運営していた脳性マヒ児のための自助団体(SGCP)は今年度中の9郡でCBRを開始予定。
*94年にバクタプ−ルCBRが中心となって全国CBRネットワ−クが作られた。しかし1999年現在は、SGCPとともにその活動から抜けている。