CBRを語る

第100回アジア障害者問題研究会記念報告
1999年11月6日
WHO・CBRコンサルタント パドマニ・メンディス

                 
*CBR における専門家の役割 ー 青年海外協力隊(JOCV)が働く施設に、自立生活(IL)やCBR の考え方を持っていくのは難しい。児童施設では、子供が地域の家に戻ってしまったら、職員は職を失ってしまう。施設で働く人の間に、それらの概念を持ち込むのは難しい。私がCBR を始めた時には、CBR のあり方に対して、風当たりが強かった。JOCVは派遣国で2ー3年しか働かない。その期間子供への援助は可能だが、技術援助の観点から言うと、カウンターパートがいることはあまりないので派遣は無駄であるとの意見もある。この状況を変えるには、JICAがきちんとカウンターパートを要求すること、そして新しいアイデアを分かち合うことは効果的であるので、分かち合うことである。そのためには、大きな地域団体で働くこと、もしくは政府の開発分野で働くことが推奨される。新たな考えを導入することは、長期に関わるプロセスである。人々は自国の人よりも外国人の意見の方に耳を傾けるので、JOCV等に影響を与えていってもらいたい。
*社会を変革するCBR  ー フィンランドの教会より弱視のフィンランド人2人がナミビアの視覚障害者の成人の施設で訓練を始めるために派遣された。彼らはウプサラ大学でCBR を学び興味を持っていたので、ナミビアの教会とセンタ−の役割について協議し、教会にセンタ−の役割を完全に変えた。障害者、地域の人、リ−ダ−たちと話合い、そこをリソ−ス・センタ−として点字図書館、点字印刷所など弱視者のためのサ−ビスを主とし、CBR を始める手助けをしている。これは、ボランティアが変化を起こした例である。
 ウプサラ大学でやはりCBR を勉強していたスウェ−デンのボランティアは、スリランカで障害児ホ−ムを運営するNGO に影響を与えた。障害児は家に戻され、親への援助が始まり、CBR プログラムを作った。
*CBR で働く障害者 ー パレスチナのリハビリテ−ション・ワ−カ−の多数は障害者である。障害の有無は問題にされていなかったので、調査をして初めてわかった。しかし、障害者がCBR ワ−カ−になることより、CBR では問題を解決する地域のリハビリテ−ション委員会に障害者が参加することがより重要である。多くの国で、障害者の参加が増えいる。
 CBR が障害者団体の結成を促進したことも重要である。地域のリハビリテ−ション委員会が障害者団体となっている例もある。スリランカでは障害者団体が自信をつけて、政府に要求をし始めた。障害者団体がCBR に参加し、方向付けをすることが大切である。  
 ILは障害者の声、CBR は社会の反応であると解釈している。社会は障害者の状況を改善する責任を持つ。しかし現状では、社会のCBR への関与は少なく、障害者団体は弱小なのでその声が聞こえない。
*戦争による障害者 ー パレスチナでは戦争は障害に影響を与えていない。スウェ−デン政府は戦争による脊髄損傷の若い男性のための大きなリハビリテ−ション・センタ−を支援していた。開設されても入所する若い男性が少なかったので、WHO のヘアランダ−博士にスウェ−デンが調査を依頼した結果、CBR の資源として利用されるよう変更された。
 レバノンでは銃で撃たれた脊損者のためにア−カン・シエルが1985年にCBR を始めた。そんなに戦傷者がいなかったので、今は一般市民のためのNGO としてCBR を運営している。
 スリランカでは民族間の戦争による障害者の数が多いと思われている。パレスチナやレバノンでは銃が原因であるが、スリランカの場合はテロによる。ユニセフから調査を依頼され、テロのあった村や難民キャンプを訪れた。NGO は50%の子供に障害があるといっていたが、小規模の情報収集とはいえ障害児の数は少なかった。戦争による不十分な保健サ−ビスや食料の欠乏も増加の原因かと思ったが、障害者は増加していなかった。
*社会の障害者観 ー 社会は障害ゆえに障害者のことを考え、いつ障害者となったかは問題としない。
 障害を罪と関連づけるのは、家族の中でのこと。仏教では障害を運命と考え、前世の行いよると思っているが、子供を責めはしない。アフリカのガ−ナの一民族は、障害児が生まれると川のほとりに夜置いてきて、流されるようにする。インドでも同様な話を聞いたことがある。障害児を遠ざけるのは、社会の中ではなく、家庭レベルの問題である。アジアでは家族は子供を愛している。障害ゆえに子供を捨てるのではなく、過保護にすることが問題だ。地域社会の障害児へのプレッシャ−が強いので、余計に親は子供を守ろうとする。アフリカで障害児を川に流すのも、社会のプレッシャ−による。若い障害者が家に閉じ込められるのは、家族が恥ずかしがるよりむしろ社会が拒否するので守るためである。
*WHO の「ケアの再考(Rethinking Care )」の会議  ー CBRは含まれていない。WHO の本部は途上国の現状を知らない。CBR ではWHO のリ−ダ−シップを期待していない。
 現在WHO は1976年にできて20年間使われた障害に関する政策を書き変えている。草案にはWHO の政策上のコミットメントは見られず、宣言のみであった。改定されるICIDH (障害の定義)は複雑すぎるという欠点もあるが、その変更を歓迎する。そこでいわれる「社会参加」が障害者の生活の質を評価する際に大いに関係してくるのに、政策に反映されていない。また20年障害に関する新政策が使われるなら、ICIDH 採択後に準備をしたほうが良い。ICIDH で「障害」という用語を使用しななら、どのように障害の政策を書くのか。
*CBR という名称 ー 当初はリハビリテ−ションの変革が目的であったので、”R ”を名称に入れる意味があったが、今は適切でないと思っている。”R ”を使わなければ社会変革がもっとできていもしれないと思う。1979年に最初のマニュアルができた時は、特に西欧のリハビリテ−ション専門家はWHO の医療リハビリテ−ションの本が出るとの期待が大きかったせいか、マニュアルを拒否した。彼らはその中にリハビリテ−ションはないとした。*CBR に関する文献 推薦する文献としてはUNDPから最近改訂版が出されたヘランダ−のDignity and Prejudice がある。革新的な活動を行っているDavid Wernerの本も良い。だだし途上国にとっては高度すぎるのではないか。CBR ワ−カ−にとっては習うことが多すぎ、むしろPTやOTのセラピストの仕事が書いてあるといえる。
*障害の判定 ー CBR では障害者を区別せず一員として扱っていた村に障害の定義を持ち込むのではなく、地域社会が問題をもっている人は誰か自分たちで決めるようにしている。医療関係者が村に行って調査をするのは良くない。
*CBR のモデル・プロジェクト ー 推薦をするのは難しい。講演会ではちょうど評価を終了した、たまたまパレスチナ、レバノン、イランという中東の国々を推薦した。
 フィリピン・バコロッドのCBR は開始後約5年間は社会開発プロジェクトとして大いに発展し、NORFI はWHO の協力センタ−となった。その方向が、外国の援助団体の介入と政府によるPHC との統合との指導によって変わった。自助具製作所も外国の援助ででき、地域の出番がなくなった。所得創出プログラムでも、外国の寄付者の資金に頼ると地域の支援しようとの責任感が薄れてくる。PHC と一緒にCBR を行なうのはやり方によっては効果的であるが、ヘルス・ワ−カ−を訓練しても、CBR の知識のある人(中間レベルの人)が指導に当たっていなかった。大学と提携し十分なCBR の教育を受けていなかったPTやOTのインタ−ンを使ったのも、医療中心になっていく原因の一つとなったのではないか。
 ベトナムでも最初のCBR の成功に気を良くし、外国の援助で2000年までに16省に広げる計画ができた。開発協力は重要だが、CBR での援助団体の役割は慎重に考えるべきである。