北朝鮮の障害者

アジア・ディスアビリティ・インスティテート 中西由起子

                

はじめに
 2003年初頭のニューヨークタイムスでNicholas D. Kristofは、数年前にピョンヤンを訪問した際には全く障害者を見なかったと言っている。官僚は「綺麗で美しい首都から障害者は自主的に出ていっていると説明した。そのような状況の中でも、彼は障害者のアクセスを考慮したスターバックスがすぐに開店するだろうとの明るい予想をした。
 残念ながら事態はまだそこまで進んでいない。しかし、1990年代初めからバンコクの大使館を通じてDPIアジア太平洋ブロックに障害当事者団体との交流の働きかけがあった。また障害者の活動の状況伝える英文のニュースレターも刊行されていた。しかしおもだった交流がないままになっていた。2000年代に入ってからは、様々な人や団体による訪問の報告がされている。特に、欧米を中心とした先進国との交流 が増えている。

障害者数
 韓国障害者支援協会(KASD)は1998年12月に専門家と相談し、まず調査票を作成した。調査が調査員の前で実演され、99年1ー3月に抽出調査が実施された。人口フ2%にあたる435,866人の障害者が調査された。対象地域は, 平城(Pyongsong)市, 元山(Wonsan)市、平安南道(South Pyongan Province)の平原(Pyongwon)郡, 黄海南道(South Hwanghae Province)の碧城(Byoksong)郡, in江原道(Kangwon Province)の通川郡(Tongchon)であった。その結果、
障害者人口 3.41%
男性 57.4%、 女性 42.6%
視覚障害 21.63%
聴覚    22.03
知的    3.5
四肢    38.85
精神    4.95
重複    9.04
 2008年に中央統計局が実施した国勢調査によると、2.405万の人口の8.16%、196万人に何らかの障害があり、そのうち移動障害2.5%、視覚障害が2.4%、聴覚障害1.7%、精神障害1.5%であった。どの障害においても、女性の障害の割合は男性よりも高かった。
 栄誉軍人の多い理由として、10年間の軍の服務期間に各種突撃隊という名目で国家公共施設、坑道及び高速道路、数十万世代アパート建設などに労働者が投入されているが、彼らの栄養状態は悪く、また安全施設不備、無理な工事日程などで、危険度が高く負傷発生頻度が高いから、また、軍事境界線非武装地帯では、地雷や偶発的な爆発物 事故などの事故も頻発するからであるといわれている。

障害者観
 前世での罪によるもの、またはこの世でおかした罪に対する罰とする、迷信的な考えが残っている。障害者と単に知り合いになるだけで、不幸になると思っている人もいる。
 人々は「障害者」という言葉を聞き慣れていないために、代わりに「病身」、「腹の中の病身」、「不遇者」という表現が多く使われている。

法律

憲法(2009)
 72条―障害者への無償の医療と物品の支給
"Citizens are entitled to free medical care, and all persons who are no longer able to work because of old age, illness or a physical disability, the old and children who have no means of support are all entitled to material assistance. This right is ensured by free medical care, an expanding network of hospitals, sanatoria and other medical institutions, State social insurance and other social security systems."

76条―傷痍軍人への社会保障
"Revolutionary fighters, families of revolutionary and patriotic martyrs, families of servicepersons of the People's Army, and disabled soldiers shall receive special protection from the state and society."

障害者保護法(朝鮮民主主義人民共和国障害をもつ者の保護に関する法律)
 2003年に最高人民会議によって採択され、6章54条からなる。
1章 障害者保護法の基盤
2章 障害者のリハビリテーション 
3章障害者の教育 ― 学齢期前の適応能力がある障害児の無償教育(16条)、中等義務教育からの場外の禁止(17条)、障害児が在籍する施設職員の初歩的手話と点字の学習の義務化(23条)
4章 障害者の文化的生活 − 障害者の自立活動能力を増強するスポーツの開催(25条)
5章 障害者の労働 ― 必要な労働条件の提供なしの障害者の労働の禁止(34条)、 16歳以下の障害者の労働の禁止(35条)
6章 障害者の保護業務に関する指針と管理 − 障害者を利する交通手段、サービス施設、コミュニケーションの提供(48条)

リハビリテ?ション
 Kim Man Yu病院のリハビリテーション部、Ansan 総合病院リハビリテーション室、Jung Dal 療養所でリハビリを提供している。
 咸興整形外科病院(Hamhung Orthopedic Hospital)は1951年に、中央病院や県病院からリファーラルされる患者を受け入れ義肢を装着しやすいように2回目の手術を実施する唯一の整外科病院として建設された。400床あり、130人の意思を含む320人のスタッフからなる。
 金正淑療養所(Kim Jong Suk Sanatorium)は大きなサナトリウの一つで、身体障害と機能障害のリハビリテーションを主に扱っている。7病棟で850床あり、290人のスタッフのうち40人が医 師、60人が看護婦である。韓国の伝統療法にそった温泉療法を行っている。

福祉機器
 Handicap Internationalが義肢装具の製造の正常化と技術の向上に関する支援を始めた。
 国の東部の咸鏡南道・咸興に1951年につくられた咸興義肢装具製作工場(Hamhung Orthotic and Prosthetic Appliance Factory)は、敷地23310平方メートルに9180平方メートルン建物を持ち、栄誉軍人の義手足などを生産する校正器具工場である。ソケット設計・プラスティック作成室、義肢ワークショップ、義手ワークショップ、メタル・ワークショップ、皮革ワークショップ、補修ワークショップなどを持つ。義肢装具サービスを受けに来る人のための大きなホステルもある。350人の従業員の大半は障害者と家族である。障害者の医療費は無料である。主要な製造機器は1950年代のものであり、元社会主義国の市場から購入した付属品や材料を使っていたので入手できなくなった等の問題を抱えている。 需要に比べ供給不足で、器具の支給までは何ケ月も必要な状況だ。毎年、継続して栄誉軍人になる人たちがいることを見込んで忙しい。
 義肢装具の工場は国の東部に1ケ所あるのみなので、農村地域や山岳部の障害者は不便な交通事情ゆえに義肢装具のサービスが使えないので、ボランティアが長い距離を歩いて届けている。両江道(Ryanggang)三池淵(Samjiyon)の Phothae General Farm Clinicで働くボランティアのMr. O Yong Namの場合は一人の為の行帰りに4日を要することがあるという。
2012年には欧州連合(EU)の支援で、平壌に朝鮮障害者技能工養成班が設けられた。障害者職業教育の一環として、各自の心理的特性と身体準備程度に合わせて被服加工と電子製品修理、矯正器具修理などを習って社会活動に積極的に参加できる準備を整える。

教育制度
 視覚、聴覚障害児は4年間の小学校、5年間の中学校、計9年間の特別カリキュラムに基づく8500時間の教育を受けると働きに出る。
ろう学校が元山(Wonsan)市, 咸興(Hamhung)市, Songcho、鳳泉(Pongchon)などに8校あり、6歳から15歳までの約1250名が手話で教育を受けている。
1959年に3校の盲学校が建設され、当初は北東部の師範大学で、点字も含めて視覚障害児の専門家が養成されていたが、この課程はなくなり、ベテランの盲学校の先生が後輩の教師に点字を教えている。
 一番大きい学校がテドン盲学校である。8歳から21歳までの41人が、1クラスに平均5人で点字出版所が製作した教科書と、点字器を使って勉強している。4割は弱視であるが、点字学習は必修である。何歳でも入学は可能であり飛び級も可能であるが、教育を全て修了している中途障害者でも、点字の学習のために1年生から始める。先生は15名いるが、視覚障害者は含まれていない。寄宿舎が併設され、1部屋に5人が生活し、教師の一人が舎監を勤める。生徒たちの食事の助けにと、校庭では野菜を栽培している。視覚障害児の家族は、公共交通機関が無く国内の長距離移動が余り一般的ではないのと、移動には特別な許可が必要であることから子供が容易に帰宅できず、かつ休暇の際には親が迎えに来なければいけないので、盲学校での教育に熱心ではない。
教育大学の卒業生から教師が選ばれ、毎年教師のための短期コースが開催されている。国から奨学金が支給され、国費で遠足や観光に出かけ、医療が必要な児童は休暇中に病院やサナトリウムに送られる。
 清津医科大学(Chongjin Medical University)は1995年に障害者のための3年間コースを高麗伝統医学部(Koryo Traditional Medicine Faculty)に開いた。学生の家から彼らを負ぶって連れてくるといった学部長の個人的な努力もあり、1998年には男性4名、女性2名が伝統医の学位をえた。
 1982年に設立されたクワンミョン点字出版所が盲学校で使う教科書を参考している。職員80名のうち20名は障害のある職員で、そのうち11名が視覚障害者、副理事長も視覚障害当事者の団体である。

職業訓練・雇用
 1960年代、障害者の生産活動を奨励するために、南浦、清津などに、盲人工場を建設し、釘、 傘、かばんの取っ手などを生産していた。しかしこの工場は、90年代中盤の苦難の行軍時期に経済的な困窮で閉鎖された。また、地方の市o郡・区域では、奉 仕施設を作り、印鑑彫り、時計 o TV o 靴の修理、理髪などの職業に携わるようにした。
 多くの障害者が働く平城万年筆工場(Pyongyang Fountain-pen Factory)やRakarang Resin Factory 、障害者とその家族、特に妻がパートナー、介助者、助手として働く咸興樹脂工場(Hamhung Resin Factory) 、ワーカーの多くが義肢装具を使用し、工場にはクリクックがある万景台万年筆工場(Mangyongdae Fountain-pen Factory) 、咸興にある障害兵士プラスティック日用必需品工場(Disabled Soldier's Plastic Daily Necessities Factory) などがある。
2012年には欧州連合(EU)の支援で、平壌に朝鮮障害者技能工養成班が設けられた。障害者職業教育の一環として、各自の心理的特性と身体準備程度に合わせて被服加工と電子製品修理、矯正器具修理などを習って社会活動に積極的に参加できる準備を整える。

障害団体
 1990年代から設立され始めた障害分野の諸団体は、中国障害者連合との交流によって知った国際的状況をもとに、海外に出ていき始めている。 しかし、これらの団体は海外から支援を受けるための手段としての側面ももつ。

朝鮮障害者保護同盟(KFPD)
 朝鮮障害者支援協会(Korea Association for Supporting Disabled)が1998年に市民社会団体として名称変更した。保健省から職員の給与や運営経費がでているが、NGOと見なされている。
 1998年6月29日に設立され、3000人のボランティアとスタッフからなる。支部も設置され、そのネットワークは京城、Hamgyogや平安道(Pyongan Province)などほとんど全土をカバーする。1999年には協会の初めての事業として、国で初めての大規模な障害者調査を実施した。 常勤スタッフは8人いて、医療分野での経歴をもつ。
 活動は、障害者の生活や健康面での問題やニーズ調査、福祉機器の質の向上とニーズを満たすための支援、7専門的リハビリテーション・センターと整形外科ユニットへの技術的物質的支援、障害者の文化的生活のための適切な状況を提供する支援、関係ユニットや機関との連携の強化、障害者問題への意識の向上と障害予防のIEC活動の実施、障害関連の国際団体や国内ユニットとの連携と交流、KASDの組織発展のための仕事など、国内の障害分野の調整機関の機能を果たしている。
 現在は特に、障害者のエンパワーとKASDの強化のためのプロジェクトの開発、義肢装具の質の向上と必要を満たすための活動、リハビリテーション施設への物質的、技術的支援、障害予防のためのIEC、障害者のより良い労働環境への支援、ボランティアやスタッフのワークショップや訓練の開催に力をいれている。

 その他、朝鮮障害者芸術協会、朝鮮障害者体育協会、朝鮮障害者支援会社、朝鮮障害者・孤児財団が存在する。

障害者の生活

国が説明する障害者の暮らし
 仲間、社会、コミュニティに「一人は皆のため皆は一人のため」という高い理想をもって自分自身を捧げることはもっとも価値ある生き方であり栄誉あることと見られ、若者の中で多く見られる美しい行いは、障害者と結婚して幸せな生活を享受することであると、公にはされてきた。 しかし一方、傷痍軍人がモデルとしてたたえらえるケースもあった。例えば、Kim Si Gwenは良く知られた障害者の詩人である。21才であった1951年の祖国開放戦争で脊髄に傷をおい、死ぬまでの40年間ベッドを離れたことはなかった。約700の詩を発表し、雨や雪でもストレッチャーにのって社会主義建築現場を訪れ、手にマイクをもって自作の詩を朗読し建築員を励ました。金日成は彼の行為を大いに感謝し、健康を保障するために担当医と看護婦に彼の面倒を見させた。またテレビと車を与え国の生き生きとした現実をみさせようとした。1993年には最高の栄養市民としての労働英雄となった。
1999年には初めての全国障害者状況調査が実施された。

障害者への偏見
 障害者に対する偏見も未だ根強い。一時は身体障害者が「堕落した資本主義の産物」、「生まれてくるべきでない存在」等と考えられてきた。平壌で障害者が生まれると、保健当局が密かに殺害するとの噂も広まっていた。 1989年第13次世界青年学生祝典(平壌祝典)の準備にあたっては、「国の恥さらし」という理由で平壌に居住する障害者を家族と共に、平安南道、咸境道などに強制移住させた例もある。  

障害者への虐待
 2006年の北朝鮮人権状況国連特別報告者Vitit Muntarbhornによると、身体的欠陥または障害によって選ばれた人々を収容する集団キャンプを設置して、障害者に対する無慈悲な差別を行っている。小人症の人のための集団キャンプはその一例である。彼らはキャンプでの結婚は許されるが、子供はを作って子孫を残すことは許されない。障害者は首都から追い出され、特に精神障害者はWard 49と呼ばれるキャンプに非人間的な状況で監禁される。
 2013年に北朝鮮人権状況国連特別報告者Marzuki Darusmanが脱北者へ調査などに基づいて作成した報告書では、島にある隔離された83号病院では、送られてきた障害者が生物・化学兵器の試験もしくは体の部分の解剖試験に利用されていたという虐待の例が記述されている。

その他の問題
 くり返される自然災害により障害者を抱える家族は多くの問題を抱えている。特に義肢装具の製造が影響を受けている。

参考文献
Foreign Policy In Focus, December 3 2013 http://fpif.org/nothing-celebrate-north-koreans-disabilities/
Mainichi Shimbun April 21, 2014
Newsletter, March 2000, No.1; June 2000, No.2; Sept. 2000, No.3; Dec. 2000, No.4; March 2001, No.5; June 2001, No.6; Sept. 2001, No.7; Korea Association for Supporting Disabled
New York Times, January 14, 2003
United Nations, "Situation of human rights in the Democratic People's Republic of Korea", 23 January 2006 E/CN.4/2006/35
____________, "Situation of human rights in the Democratic People's Republic of Korea", 14 August 2013, United Nations A/68/319
United Nations Population Fund, "2008 Census of Population of DPRK: Key Findings,"
https://www.unfpa.org/webdav/site/global/shared/documents/news/2010/dprk08_censuskeyfinds.pdf
Visual Anthropology of Japan, January 8 2014
Zellweger, Katharina. People with Disabilities in a Changing North Korea, Shorenstein APARC Working Paper, The Walter H. Shorenstein Asia Pacific Research Center, 2014
田端道子 WBUAP便り http://wbuap.exblog.jp/profile/
朝鮮新報 2014年8月26日 
朝鮮中央通信 2012年5月3日
"Sincere' North Korean concern for disabled questioned" NK News Org  July 1, 2014「北 ロンドン・パラリンピック初参加 ... 障害者政策に変化?」 アジアプレスネットワーク 2012年8月29日 http://www.asiapress.org/apn/archives/2012/08/29182959.php
もずの独り言・ココログ版、http://m-bcfd3420788ceb00-m.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-9a6a.html

脚注
[1]特に聴覚障害の分野ですすんでいる。2011年には世界ろう連盟(WFD)はKFPDとの間で、協力推進のための覚書書に調印している。ドイツの非営利団体TOGETHER-Hamhung e.V.と世界ろう連盟(WFD)が共催し、2009年から毎夏、日本や中国、米国、スイス、フランス、イギリス、スウェーデン、シンガポールなどから聴覚障害者たちが訪問。交流会は2014年で6回目。
[2]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.1, p. 1
[3]アジアプレス
[4]Hong sun Won "The Necessity of Raising the Social Awareness about the Disability and a non-handicapping Environment for the Disabled", Newsletter, No.6, p.2
[5]アジアプレス
[6]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.1, p.4
[7]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.6, p2
[8]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.6, p2
[9]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.2, p.1
[10]アジアプレス
[11]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.3, p.4
[12]Mainichi Shimbun
[13]田端、http://wbuap.exblog.jp/23204676/ 
[14]同上
[15]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.3, p.2
[16]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.4, p.2
[17]田端、http://wbuap.exblog.jp/23204664/
[18]アジアプレス
[19]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.1, p.4
[20]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.2, p.1
[21]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.2, p.4
[22]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.3, p.4
[23]朝鮮中央通信
[24]Zellweger , pp. 15-16.
[25Zellweger, p. 16
[276]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.1, p.1
[27]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.2, p.2
[28]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.1, p.2
[29]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.1, p.3
[30]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.2, p. 3
[31]もずの独り言・ココログ版
[32]アジアプレス
[33]Newsletter, Korea Association for supporting Disabled, No.1, p.1