マレーシアとタイの障害関連団体訪問報告

2008年7月
日本福祉大学大学院 国際社会開発研究科 修士課程2年
森川 倫江

 2008年2月〜6月にJICAの障害者支援分野でインターンをさせて頂き、その際、マレーシアとタイでいくつかの障害関連団体を訪問させて頂く機会を得た。
 関係者へのインタビューに基づき、その訪問先について報告する。

【マレーシア】

@ United Voice
1995年に4人のメンバーによって結成された、マレーシアで最初の知的障害者のセルフアドボカシーグループ。マレーシアに知的障害者のセルフアドボカシームーブメントを起こしている中心グループである。メンバーは94名(2008年4月)。支援者として非障害者もいるが、知的障害当事者により運営されている。
United Voiceは、知的障害者がお互いに助け合いながらリダーシップを身に付け、自信を持ち、自分自身の考えを他者に表明していくことを目指している。また、意思表明が困難な仲間の代弁者となること、マレーシア中にセルフアドボカシーグループを作ること、知的障害者の権利やニーズ、能力が認められる社会をつくることなどを目的としている。
 具体的には、週末のレクリエーション活動、意見を伝える練習、外泊体験、他のNGOとのネットワーク作り、セルフアドボカシーセミナー開催による理解促進などを行なっている。2004年には第1回全国セルフアドボカシー大会を開催した。
 また、2005年から就労プロジェクトを開始し、数名の知的障害者を雇用している。カードやしおり、キーホルダー製作などの仕事を提供している。
 メンバーの中には、いくつかの就労を経験してきた者もいるが、周囲との関係構築の難しさ等から定着しなかったケースも多い。しかし、UVの活動、就労プロジェクト、ジョブコーチによる就労支援の導入・活用などにより、本人の意識改革と同時に職場環境の整備を行い、就労の定着を目指し活動している。

参考:United Voice (2006) Our Journey window into our life's by person with learning disabilities

A Beautiful Gate
Beautiful Gate Foundation for the Disabledは、1993年メソジスト系教会が"Live with hope and joy, confident and independent." をスローガンに、障害者の生活の質の向上、自立生活を目指し設立された。その傘下には6つのセンターがある。今回は、1995年に設立されたグループホーム型のILCであるBeautiful Gate Petaling Jaya Centerを訪ね、代表のSia Siew Chinさんにお話を伺った。以下、Petaling Jaya Centerの紹介である。

センター利用対象者:身体障害者
主な事業:職業能力訓練・自立生活プログラム・ピアカウンセリング・アウトドア活動・移動サービス・職業紹介・自営支援・資金援助・支援マネジメント・各種相談・ボランティアとレーニング
登録者数:自立生活プログラム 68人(センターで生活している)
     アクティビティー  150人
サービス利用非登録者数:1000人
自立生活プログラムについて:Petaling Jaya Centerはグループホーム型のILCである。利用期間は2〜3年、最長でも6年までである。センターで生活しながら、生活スキルを身に付けたり、就職活動、家探し等を行なう。就職後も生活が安定するまでホームで生活をしながら、その後の住居や支援体制など、自立生活を送る条件を整えていく。様々な条件を整えながら検討を重ね、センターを退所し自立生活をスタートさせる。センターを出た者同士がグループホームを作るケースもある。
職業訓練について:大学や専門学校等外部の資源を活用し、社会で通用する技術の習得や、資格・証明書の取得を目指している。
非障害センター関係者:ヘルパー・ドナー・友人
ボランティアトレーニングも行なっており、ILのコンレプトやフレンドシップ、ヘルパーについて、一緒に活動することについて等を内容としている。

その他:
* 一人ひとりが自信を付け、精神的に自立できることを大切している。週に1日ミーティングを設け、前に出たり下がったり、バランスを取りながら支援している。
* 外部への提言を積極的に行なっている。障害問題だからと福祉局だけを対象とするのではなく、障害者が生活の様々な場面で社会参加していくには、様々な省庁・外部組織との関係を持つことが必要だと考えている。
* このセンターは、住宅街に位置する。それは、「センターを孤立した場所に作っても意味がない。多くの障害者は孤立していることが多い。このセンターを町の中、地域の中、暮らしの中に設け、私たちの生活を人々の生活の中に位置づけることが必要だ。」との考えに基づいている。
* 情報提供や啓発は、ラジオ、新聞で行なっている。利用者は、ラジオ、新聞、友人、教会を通しセンターの情報を聞き、利用に至っている。
* 病院にピアカウンセリンググループを導入した。
* 教会という場を通じたセンターの活動は、個人のネットワークを広げ、サポート体制を構築することに役立っている。教会を通して友人ができ、将来の生活の支えとなる。
* センター利用者を身体障害に限っているのは、必要な情報や、支援、方法が異なるためである。
* 問題は、財政面である。非障害者の運営では比較的財政的に恵まれているケースが多いが、障害当事者の運営の場合、厳しい。その他に、マンパワー不足の問題もある。
* 「自立生活とは何ですか?」との問いに、「人の助けがあったとしても、自分のやりたいことができることです」と答えてくださった。

B CBR(PDK :Pemulihan Dalam Komunitiマレー語)
 今回、4ヶ所のPDK、PDK Selayang、PDK Cheria、PDK Harapan Kg. Perting、PDK kotakinabal
を訪問させていただいた。
大きな共通点として、以下のことが挙げられる。
? 拠点となるセンターを有する。
? センターでの活動を中心とした、センター発信のサービス提供型活動が中心である。
? 知的障害者の日中活動の場としての役割を果たしている。
? 障害児の療育の場としての機能を果たしている。
? 利用者の親を含む地域住民がスタッフである。

PDKが果たしている役割として大きな共通点はあるが、その活動内容はそれぞれに異なる。
以下に、それぞれのPDKについて紹介する。

●PDK Selayang
 1992年、障害児を対象に活動を開始した。その後、地域の障害を有する者のニーズに合わせ、1999年職業訓練準備プログラムを始め、2002年には職業訓練プログラムに発展させた。また、障害に限らず地域住民のニーズに合わせ、2001年には、身寄りのない児童や障害児の兄弟、障害のない児童を対象にしたサービスを開始した。さらに、2004年には、高齢者を対象とした外出時の送迎サービスを始めた。そして、2007年にはシングルマザーを対象にしたサービスも開始している。
 Selayangの特徴は、センターの機能を地域住民のニーズに合わせ拡大していることにある。障害に関する取り組みから始まり、地域社会の変化、状況に合わせてセンターの機能を変化させている。
 また、このセンターの活動を通し、障害者の父母の会や、障害当事者の会、グループホームなどが設立している。さらに、対象を拡大し、役割を拡大してきたことにより、センターのサービスを利用したシングルマザーや高齢者が障害者への支援活動など、他の活動に関わるようにもなっている。
センターの機能が住民の必要性により変化することにより、地域住民にとってのセンターの意味に変化が生じ、住民とセンターの関係に変化が生まれている。
またセンターとの接点を持たない住民に対しても、地域に出て住民と清掃活動などを行いながら、PDKへの理解を促している。1996年と2006年には、Selayang地域でPDKに関する調査が実施され、PDKの認知度に関し「Know 16%→60%」「Understand 6%→45%」という結果が得られている。
 
他のセンターにない大きな特徴として、中心となるスタッフが男性であるということが挙げられる。他のセンターと比較して、このセンターの活動が拡大していった要因に、男性スタッフが中心となっていることも挙げられるのではないだろうか。

●PDK Cheria (in Bentong)
1995年に活動を開始。
Bengton地域にはPDKが2ヶ所あるが、どちらのPDKを利用するかは地区事務所が決定する。また、PDK利用には、障害登録が前提となっている。
地域にある2ヶ所のPDK間で、1ヶ月間のスタッフの交換勤務研修を行い、その研修をそれぞれのセンターの活動に活かすなど、積極的に取り組みの向上を目指していた。
Cheriaの雰囲気はとてもあたたかいものであった。利用者は乳幼児から45歳前後までの36名で、知的障害を有する者である。朝の会に2時間近く費やしながら、一人ひとりが主役となれる場面を設定するなど、利用者個々を大切にしたケアやケースワーク的な活動を行なっている様子が窺えた。活動内容は、身体的機能訓練や、言葉、数、計算などアカデミックな活動、外出、買い物、バザーなど社会性を身に付ける活動などであり、学校としての役割を果たしている。また、鍵作りなどの作業活動も行なっている。
PDKと地域社会の関係を捉えるという視点より、センター内での活動が重視されているようだ。
また、地域住民を交えた会議の機会等はない。外部向けた活動としては、地域のお祭りの際、PDK主催でセンターを会場としてPDK利用者による歌の披露や、住民による出し物など行い、PDKへの理解促進の機会としている。障害者は家で寝ているものだと当たり前に考えている住民が多いとのことだった。

●PDK Harapan Kg. Perting
 1997年、活動開始。
 利用者は3歳〜41歳。知的障害、脳性麻痺、重複障害を有する者が多い。41人登録。
 スタッフは、先生が8人、アシスタント2人、掃除・料理担当者1人である。またアシスタントは、元利用者であり、50リンギット(約1,500円)をPDKから支給し、福祉省からの300リンギット(約9,000円)の手当てを受給している。(政府から、収入が750リンギット以下(約22,500円)の低所得就労障害者に対し、300リンギットの手当てが支給される。)
 センターの機能は正に、学校であった。2階建ての建物にいくつかの教室があり、本人の能力によりクラス分けされ、クラス担任が授業を行なっていた。
 学齢期以降の利用者では、3名が就労している。しかし就職に関してセンターは関与せず、親の責任によるものだと考えられている。センターは、就職に関する支援は行っていない。就労している3名に関しても、親がその就職先を見つけている。また就職先は親類の店など、身内内に止まっている。
 地域住民とセンターの接点となるような活動は特に行なわれていない。

PDK Cheria、PDK Harapan Kg. Pertingは特に、知的障害、重度障害を対象にした学校としての役割が大きいことが特徴である。
PDKが学校の役割を果たさなければ、教育の機会のない子どもたちが多く生まれる。現在PDKの果たしている役割は大きい。しかし、PDKが学校の機能を果たすことによって、本来の学校がその役割を見直す必要がなくなるとも言える。また、学校がその役割を見直すことによって、PDKの現在果たしている機能が問われることになる。
CBRの意味を見直しながら、PDK、学校、地域、住民、それぞれの在り方を見直すことが求められているのかもしれない。

●PDK kotakinabal
サバにはPDKが18ヶ所ある。
このPDKは、本来14時で活動を終了するところを、1部8時〜14時と、2部14時〜15時30分に分け活動していた。2部の活動は、PDKの場所を利用してはいるが、別のものとして役割を果たしていた。
1部では障害児の療育を行い、2部では障害児の塾(託児)となる。
1部の利用料は無料であるが、2部の利用は利用料が必要である。
1部の登録者数は60名。43名は通所で、17名は家庭訪問を行なっている。2部は現在、5名が利用している。来所日に関しては保護者の都合や、プログラムによって決める。1部から引き続き利用している児童もいる。
 このPDKでは従来の活動とは別に、時間、必要性に応じ、その場を託児という別の場に転換し、地域住民のニーズに応えていた。

C Bangi Industrial Training And Rehabilitation Center(Pusat Latihan Perindustrain Dan Pemulihan Bangi :PLPPマレー語)
概要:身体障害者職業訓練リハビリテーションセンター
1982年、ILO,AHO主導で構想され、1999年に業務を開始。
福祉局に属し、身体障害者に対し職業訓練と医療リハビリテーションを提供する。
現在2人のJICAシニアボランティアが活動している。
運営:国 
利用費:訓練生の負担金はない。滞在費、食費、交通費は州負担、長期休暇時の帰郷交通費はPLPPで負担される。さらに毎月150リンギット(約4,500円)の訓練手当てが支給される。
入学:毎年、入学希望者に対して当センターでの面接と、各地方での地方福祉事務所との面接を行い、入学者を決定する。
訓練期間:1年(訓練内容によって1年半のコースもある)
利用者数:100名前後 圧倒的にマレー系の生徒が多い
職員数:管理者1、事務員4、カウンセラー(非障害者)1、講師2、外部インストラクター4、JICAボランティア2、医師1、看護師5、OT/PTはHp.に委嘱
職業訓練コース:コンピューター・家政・電気・マルチメディア・義肢装具製作・車椅子製造を主とし、職業訓練コースと職業訓練準備コースに分かれている。
        本人の希望、能力に合わせクラス編成されている。
        各クラスの人数にバラつきはある。
料理などの生活スキルの訓練はない。洗濯や身辺自立が入学要件となっている。
医療リハビリテーション:必要に応じて行なっている。
インストラクター:
省庁配属のオフィサーとは別に、現場で技術を指導するインストラクターをPLPPが雇用している。しかし、彼らの身分は臨時的な雇用であり、不安定である。そのため定着率が悪く、問題視されていた。またクラスを見学させて頂くと、最近職員が退職し、講師不在のクラスも見られた。
カウンセラー:
非障害者によるカウンセリングを実施している。
教える、諭すというスタイルで、他者と自己の障害を比べ優劣をもって諭すというような方法も見られるとのことだった。
進路:
訓練生の訓練前、訓練後の状況など記録として残っておらず、資料として提示できるものはないとのことだった。何年に何人卒業して、どんな進路を歩んでいるのかなど資料はない。記録がなく、人事異動と共に情報も移動するようである。
そんな中、JICAボランティアの方が個人の状況調査を実施されていた。その結果から、本人の職業観の狭さがうかがえるとのことだった。いろいろな職業を知らないのか、できると思っていないのか理由はわからないが、これまでに自分がやりたいと思って選び実現できるような社会ではなかったことも考えられるとのことだった。
また、就きたい職業として生徒自身が答えているものと、実際に行なっている訓練に関連性がないようだった。ここでの訓練が就職に直接的に結び付くことは難しいようだ。
職場開拓:
JICAボランティアが赴任する前は、職員の個人レベルでの話だったそうだが、今回職業紹介部門を設置し、担当職員を置いたことにより、職員間で共通の認識を持ち就職に結び付くような取り組みをしていきたいとのことだった。
また、PLPPはJICAプロジェクトにおける身体障害を対象とするジョブコーチに関するパイロットプロジェクト機関となっている。'07年10、11月にはプロジェクトによるジョブコーチトレーニングセミナーがPLPPにおいて実施されており、今後、センターの在り方が見直されながら、ジョブコーチによる就労支援が導入され、展開されることが期待される。

D Sanakhan Cheshire Home (in Sabah)
概要:チェシャヤホームはイギリスに本部を置くNGOによる事業である。バンコクにはその東南アジア支部があり、マレーシアのチェシャヤホームは東南アジア支部に属する。
このサバのサナカンチェシャヤホームは2000年4月8日に事業を開始し、知的障害を中心とした障害者入所施設である。
また、サバには同傘下の2つの入所施設があり、早期療育事業も開始している。
利用者(2008年4月現在):
人数・・32人
車椅子利用者(知的障害ではない)・・6人
知的障害者・・26人(そのうち3人は寝たきり)
年齢・・18才〜58才
約半数に、健康問題が見られる
入所経緯:
・ 家族が連れてくる
・ 病院からの措置
・ 福祉局からの連絡
・ 自分で来る
スタッフ:15名 (17人定数であるが不足している)
財源:政府(必要経費の35〜40%を負担)、寄付、募金、養子縁組、バザー、夕食会
事業内容:
・ 日常生活スキルの獲得を中心課題とし、訓練をして自立生活ができるようにすることを目標にしている。
・ 知的障害者の生活は、起床時間、食事時間など細かく時間が決められ、スタッフの支援を受けながら、生活スキルの獲得を目指す。その他の障害を有する者の生活は厳しく決められてはいない。
・ 日中は、作業活動をしている。訪問時は、ビーズアクセサリー作り、テーブルクロス作りを行なっていた。販売は、訪問者に対してや、バザーでの販売であり、販売経路の開拓はされていない。
・ 車椅子利用者の方が1名、外部の図書館に働きに出ている。
・ 施設内で働いている車椅子利用者が2名いる。給料として100リンギット(3000円)/月支給されている。
利用料:1ヶ月、約100〜150リギット(3000円〜4500円)。しかし、支払いが困難な者も多く、経済的状況を考慮し、個人の支払い能力に応じた金額が決められる場合が多い。図書館で働いている方は1ヶ月35リンギット(1050円)支払っている。
家族の状況:
・ 施設入所後、連れて帰らない家庭が多い。施設としては、利用料の支払いが困難であっても本人に会いに来てほしいと思っているが、80%の親は会いにこない。また、親がいない利用者も多い。施設利用開始時には、家族側と面会の約束を交わすようにしている。
・ 貧困家庭が多い。経済状況に応じ、月に85リンギット(2550円)の手当が政府から支給される。車椅子利用者の方で、自ら申請しこの手当てを受給している方もいる。しかし受給対象であっても、受給していないケースが多い。自己申請が困難な場合、その親が申請しなければならないが、申請を嫌がるケースも有り受給できない。施設が代わって申請することはできない。
その他
・ 定員は35人であるが、入所希望者は多数いる。しかし、定員以上の受けいれにより十分な支援ができなくなるため断っている。入所できない者には、家庭訪問をしたり、サポートファミリーを行なっている。
  「サポートファミリー」・・貧困家庭に対し食事、生活物資の提供を行なう。現在は5家族を支援している。
・ 施設を出て生活することを目指しているが、不動産賃貸を断られる。車椅子で生活するために家を改造することを嫌がられる。等の状況がある。
・ 退所後の生活支援は、施設がしていくことを考えている。


【タイ】

@ 障害者職業訓練校

●Phrapradaeng Vocational Rehabilitation Center for the Disabled
JOCV(PT)、SV(家政)が活動するプラプラデン障害者職業訓練センターを訪問させて頂いた。
概要:
・ 1968年設立。
・ 社会開発福祉省に属する国立の施設である。
・ スタッフ:30人(事務員、訓練講師、ソーシャルワーカー、PT)
・ 定員:100名 登録者数:45名(2008年5月) 年度当初は100名の生徒がいたが、興味喪失、家庭事情などで多くの生徒が退学している。
・ 入学要件:身辺自立していること
・ 対象年齢:14〜40歳 しかし40歳以上の生徒もいる。平均年齢は26歳。
・ 訓練期間:1年
・ 負担金:なし
・ 職業訓練コース:コンピューター/皮革加工/手工芸/被服縫製/電気
コースは希望が優先される。
皮革加工コースでは、製品を水上マーケットで販売したり、卒業生が店を始めるなど、活発な活動を行なっている。
収入の30%が、製作した生徒に支給される。
・ 訓練後の雇用率:50%以下
・ 医療リハビリテーション科:2006年開始。建物は寄付によって建てられた。生徒の多くはリハビリを必要としない。従って、地域にとってセンターを身近な存在とすること、近隣にリハビリテーション科がないことをカバーすることを目的のひとつとして、医療リハビリテーション科を無料で地域に開放している。脳血管疾患を負った患者であっても、医療費が高額なため十分な医療を受けられない。そのため地域住民に対してこの科が果たす役割は大きいものとなりつつある。
・ 障害のために教育を受けられていない生徒が多い。

●Redemptorist Foundation for People with Disabilities, Pattaya
概要:
障害当事者によって運営される民間の障害者職業訓練センターである。
100%の就職率を誇る。市場のニーズを調査し、それに合わせて職業訓練を行い、必要とされる人材を育てている。スタッフは障害当事者がほとんどである。
生徒は、身体障害を有する17歳〜35歳の240名。
入学に当たり自分自身を知ることから始める。自分のやりたいこと、学びたいこと、能力をチェックする。能力と知識によって段階にあった学びを提供する。また、職業斡旋科による適正コースの紹介も行なう。
6ヶ月を1セメスターとし、4セメスターの2年が訓練期間となる。6ヶ月毎に入学と卒業があり、生徒が入れ替わる。
セメスター毎に試験を行い、パスしなければ次の段階へは進めない。カリキュラム全てを終えた頃には、社会で必要とされる技術を身に付けることができるよう考えられている。
タイ全土に就職していく。英語のカリキュラムもあるため、外国人からの求人もある。
スポーツも盛んであり、マナーを身に付けたり、自信を付けたり、人格形成にも寄与している。
近隣国の障害者の入学希望もある。

A Nakhonpathom ILC
ナコンパトムILCを訪問し、Theerawat氏、Ake氏、Apitun氏、Kongkiat氏にお話を伺うことができた。
概要:
・ Theerawat氏は6、7年前にILCを設立することを考え始め、ILのコンセプトやピアカウンセリング、重度障害者を対象にしたILCを地域の中でどう運営していくか等について学んだ。そして、友人と共に2004年〜05年にかけILCを設立した。
・ 障害者の権利を重要視している。
・ 現在のマネージャーはAke氏である。
・ センターのスタッフは、ボランティアである。
・ 月に一度ミーティングを設け、スケジュールの見直しなどを行なっている。
・ 視覚障害者向けのPCトレーニングプログラムも行なっている。
財政源:
・ 国からの支援(活動計画書を政府に提出し、サポートを要請する)
・ カード販売等による資金集め
・ 寄付は全体の1〜2%のみ
移動:
移動は大きな問題のひとつである。
障害者の多くはこのセンターに来ることは困難である。そのため、スタッフがコミュニティを訪問することを始めた。訪問し、ILやピアサポート、ILCのサービスなどの情報を提供している。バンを1台所有しているが、これがとても大切な移動手段になっている。
また、村のアクセシビリティーを改善したいと考えている。例え車椅子を持っていたとしても、村の現状では使用が困難である。
ピアカウンセリング:
 「障害者にとってピアカウンセリングはとても重要である。ピアカウンセラーは友人のように話しかけ、障害者としてお互いの経験を共有することができる。そして、ピアカウンセリングを通して、自分自身のことを前向きに考え始めるようになる。また、障害者は家族からのプレッシャーを感じているが、カウンセリング後は気持ちに変化が生じる。」等お話してくださった。
 カウンセリングは、自宅以外の学校や寺などの場所で行なう。家族のいる自宅で本音を語ることは困難である。
 カウンセリング時間は人によるが、1回1時間程度である。
村での活動
 障害種別に関わらない活動を行なっている。
しかし、ほとんどの重度障害者は家から出てくることができない。そのため、彼らの家族がスタッフを訪ねて来る。
 センターの情報は人伝えに広がる。また、家にいる障害者の情報も人伝いに入ってくる。この「家にいる障害者の情報」を得ることがとても困難なことであり、情報収集のためにも村での活動を重要視している。
家族の反応
 始めの訪問では家族の反応は否定的である。しかし、少しずつ変化していく。スタッフは、家族に対しても情報を提供したり、よい関係が築けるよう努力している。
 家族への資金援助などとは違う、障害者自身をエンパワーすることに対して理解を得ることは、困難極まりない。大変な努力が必要である。仏教的考え方が障害者の生活を困難にすることもある。
コミュニティの反応
 障害者を外で見る最初の反応は、驚き、否定である。しかし、毎日その姿を見ればそれは次第に当然のことになっていく。
コミュニティリーダー訪問:
 当ILCが位置する地域のリーダーを訪問した。
 コミュニティーリーダーとしての役割は、地域の障害者の状況を政府に報告し、手当てを配当することであり、その役割を果たしているとのことであった。
 障害者にとって交通事情が危険であると感じているが、コミュニティの課題として取り上げるというような意識はないようである。
Nakhonpathom Hospital訪問:
 Ake氏と共にリハビリテーション科の医師1名と看護師(Ms. Scthon)にお会いすることができた。この病院でAke氏は看護師を対象にILについての講義をしている。
 Ake氏らILCは、病院と一緒に活動することを望んでいる。障害を負って間もない患者への支援がとても重要であり、効果的だと考えている。退院後にその患者らと接触することは困難となり、患者らが情報を入手することも困難となる。退院する前にきちんと多くの情報が与えられる必要があると考えている。
Scthon氏は、ホームヘルプケアで22歳〜45歳の在宅患者を訪問している。そのため、重度障害者のILコンセプトの重要性について理解を示している。しかし、医師は彼らの生活への理解は乏しく、ILCの活動に対する理解を得るには道のりがあるようだ。
今後の計画:
・ カウンセラーの養成
・ 個人の能力開発コースの設置
・ Experience Homeの設立

B Half-Way Home for Women
パトゥンターニー県に位置する、国立の精神障害者を対象とする施設である。1993年に女性専用の施設として設立された。隣には、男性専用の施設がある。精神病院退院者で、家庭の受け入れが困難、日常生活が可能、内科疾患がない者を受け入れている。精神障害が対象とされているが、知的障害者の割合も多いように見られた。
利用者は450名強。全国からの利用者がいる。
スタッフは50名で、看護師が1名。JOCV(OT)が活動を行なっている。スタッフは専門的な知識はなく、短期間の研修を受け、日常業務に当たっている。
施設の敷地は広大であり、外にいれば450名という大人数でも閉塞感は感じなかった。また、建物も手入れが行き届き清潔感があった。しかし、見学させていただいた部屋は26人の大部屋であり、約1.5m間隔で2列にベッドが並べられ、「個」について考えられるような状況ではないようだった。
日中活動は、OTによる作業訓練(手工芸品の製作)、食堂(調理スタッフ3名)での手伝い、洗濯、農作業(収穫物は来客に販売)、高齢利用者の手伝いなどをしている。
仕事の売り上げは、7割程度本人に還元される。(3ヶ月100B程度)作業能力の低い者への配当はなく、菓子が配られることがあるとのことだった。
近辺の学校との交流が有るが、施設外での交流ではなく、来訪による交流を行なっている。
施設外で働く利用者は2名いる(ラーメン屋と市場での皿洗い)。特に職場開拓は行なっていない。
この先、何を目標に生活すればいいのか分からなくなるような超大型の生活施設である。スタッフは生活の管理者として関わらざるを得ない状況であり、利用者も無気力になってしまうような状況にあるように感じた。この施設の現状での存在を許容する限り、スタッフにも、利用者にも、誰にも状況の改善を迫ることは難しいのではないかと感じた。

C Association for Persons with Intellectual Disability of Thailand
概要:
1975年設立。タイ唯一の知的障害者協会である。障害児の父親が代表者となり、親の会として始まった。その後、家族や教員、ボランティアを含む団体へと変わり、現在の代表委員は、父兄、教員、ソーシャルワーカーから成る15名で構成されている。現在の代表者はMs. Daraneeである(1989〜)。
 登録者数は、600名を超す。
 35の地域に35の父母の会を設立している。
活動:本部は、センターを有し活動している。
・ 父兄を対象とした講習
・ レスパイトサービス
・ 作業訓練・レクリエーション・家事・手工芸・外出の機会を提供している
・ センターにおいて知的障害者の雇用
・ ソーシャルワーカーによる就職斡旋
その他:
・ 本人にとっても、親にとっても心配なのが、就学期後の進路と親亡き後の生活であり、課題である。しかし、この問題を政府と共有し取り組むことは非常に困難である。
・ 議論される不妊手術に関する問題は、タイの知的障害を有する女性の性的被害の状況から考えて、人権の観点だけから論ずるだけでは解決できない問題であるとの見解であった。

【所感】

 今回様々な障害関連団体を訪問させていただいた。国立、民間、非障害者による運営、障害当事者による運営、文化の違い、ジェンダーの違い、都会と田舎の違い、設立背景の違い等によって、その活動内容は大きく異なっていた。
 「本人のことは本人が一番よく分かる。本当に必要なことは当事者にしか分からない。自分の問題だから頑張れる。」ということを、その違いを見ながら強く感じた。
 障害当事者ではない私の当事者性、その役割をきちんと考えていきたいと思う。
 
 また、国によって障害名も違えば、身体の状況に対する障害区分も異なる。タイでは知的障害と自閉症は全く違う区分である。「『○○』『障害』」が一体何を意味するのか、そこにどんな意義があるのか、意味のないものにとらわれ見るべきものを見落としていないのか、考えさせられる。

 全体の研修を通し、障害当事者の方からお話を聞く機会が多かった。障害当事者が置かれている状況、彼らが強いられている生活を知り、彼らの思いについて深く感じる機会となった。また、彼らの語る言葉の力、伝わるものの大きさを感じ、当事者のことを代弁することはできないことを実感した。彼らが仲間を思う気持ち、行動、語ってくれた言葉、思いを忘れずにいたいと思う。

 また、多くの団体を訪問し、他を知ることにより他が見えること、我が見えることを実感した。
 本当に貴重な機会を頂いたと、大変感謝している。