韓国の障害者と自立生活(IL)運動

第119回アジア障害者問題研究会報告
2001年7月7日
ヒューマンケア協会 中原えみ子

*1998年から3年間、以前より交流のあった韓国と、日韓自立生活交流プログラムを開始した。98年には、日本からソウルに行って、正立会館で自立生活セミナーを開催、99年には韓国からポリオ、筋ジストロフィー、脳性麻痺(CP)などの障害をもつ4人を招聘し自立障害者の自宅等へのフィールドトリップを含めた研修の実施、2000年5月正立会館で募集した要介護のCPであるチョン・マンフさんが自立生活体験プログラムのため来日。
* チョンさんは起床、食事、金銭、介助の時間の自己管理、朝のラッシュ時に飯田橋までの外出、自立生活実践者の自宅や福祉機器展示場、市役所、ハローワークの訪問、ピアカウンセリングを行った。韓国KBSテレビが同行し、ゴールデンアワーに放送された番組は重度障害者の自立例がなかったため画期的であった。帰国時は飛行場から地下鉄で帰宅するほどになった。地下鉄の駅には多少エレベーター、リフトがつく。重度障害者に配布された鍵で開けてリフトを組みててるが、けが人は多いし、昨年は死者も出た。施設にいたチョンさんは出て自立したがっていたので、東大門にピノキオ自立生活センターを作り所長となった。
*2000年9月には一週間済州(ジェジュ)島、光州(カンジュ)、大邸(テグ)、ソウルの4都市で、ハンズ世田ヶ谷の横山晃久氏と移動セミナーを行った。自己主張の重要性、短い一生での積極的な人生づくりを横山氏が、自立生活センターや日本の福祉やスライドを使っての自立の現状について私が講演した。他に正立会館の職員(ポリオで松葉づえを使用)キム・ドンホー氏も話す。会場には、作業所、デイケア、障害者用プール、美容院、歯科、食堂を併設した大きな社会福祉会館が使われた。各地とも到着日の夜は障害者団体との話し合い、翌日午前センター見学、午後セミナーとう日程であった。光州では自立生活センター設立希望の女性障害者が参加し、その後彼女はセンターを設立した。済州島では行政や親の会を含め150人が集った。サービスが進んでいて職に就いている人が多い視覚障害と肢体不自由の間で自立観が対立した。自分のこと全てが出来、金銭的自立ができなければいけないと思っていた肢体不自由者には、日本からの講師2人が介助者つきであったため、インパクトがあった。光州は昔から市民活動が盛んであり、100人が集まり、市長も来た。知的障害者の親は子どもの自立はあるのか知りたがった。大邸は昔から障害者運動が活発で、親が会長を務める脳性麻痺の団体が主催した。CPの参加者はける若い人が多く、恥ずかしがって自己主張ができない。ソウルでは98年のセミナー参加者が発足させたIL研究会が主催した。具体的質問が出た。各地とも、隣の障害者の質問を代わりに喋ってしまい、障害者もそれを疑問視しないという事態があった。
* 今年5月には韓国の要請でピアカウンセリング(PC)集中講座を行った。専門家による相談事業はあったが、障害者同士によるカウンセリングはなかなか認められなかった。2泊3日のセミナーを2回行い、主だった団体に手紙を送り10人になるように選考したが結局12名(1回目)と14名(2回目)が参加した。在宅、リハセンター職員、福祉会館ケースワーカー、大学生等のポリオ、CPA脊損、頚損の障害者であった。通訳は日本に留学しILセンターを手伝っている女性。8月に再度セミナーを行い、9月に今までの参加者から20人選考しピアカウンセラー養成講座を2回開く。重度障害者の方が抑圧がひどいのでPCをとおして変わる。何かをやってあげようと専門家として援助技術を学ぼうと来ている障害者もいた。1日目は午後1―8時にPCに関する講議と2人1組のセッション、全員によるシィンクアンドリッスン、2日目は人間の本質や、感情の解放の他、サポートグループを4テーマにわかれて作り、話を聴きあった。そのグループ毎に夜の交流会で劇やゲームを披露しあった。寸劇やゲームの際にはスタッフや送迎や食事と宿泊の介助を担当したボランティア(正立会館に3人いる良心的兵役拒否者)も加わった。3日目は9―12時にまとめ。1回目の参加者5人が2回目の参加者の交流を手伝いにあらわれ、月に1回集まることを提案していた。
* ピノキオILセンターメンバーは全員PCセミナーに参加していた。チョンさんは一般の人対象の市営住宅に入居し、30-40分かけて東大門に通う。施設で出会って結婚したCPの夫婦もチョンさんの講演を聞いて共鳴し、ソウルの出てきて手伝っている。レストランに行くとお金を渡され帰ってくれと言われるような状況の中毎日電動三輪車に乗って通っている人を入れ、合計4人のCPが働く。
*正立会館の6人のスタッフから成る自立支援チームの活動に予算が組まれて、動き始めた。